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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
ブログ村参加

2011/04/26

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  • 地名の研究(64) 地名考説(54) 京丸考

    遠州京丸(きょうまる)の牡丹(ぼたん)の話、あれは今の周智(しゅうち)郡気多(けた)村大字小俣(おまた)京丸の一部である。人の住む在所である。路が遠くて悪いのは人家の数が少なく経済力が弱いためである。たまたまその土地の名を奥山などと呼ぶために、不当な概念ができてしまった。京丸という地は多分は京往きの夫役(ふえき)を、世襲的に勤めていた者の屋敷給田の地であろう。静岡県浜松市天竜区春野町小俣京丸 シズオカケンハママツシテンリュウ...

  • 地名の研究(63) 地名考説(53) 鉦打居住地

    この「鉦打(かねうち)」地名は、以前鉦打(かねうち)部落の住んでいたためにできたものと思う。下総の三ヶ尾(現千葉県野田市)のことは前にも話が出ている(柳田、念仏団体の変遷、郷土研究二巻二号)がこれらの土地の現状はいかん。常陸筑波(つくば)郡鹿島村大字古川字鉦打下総猿島(さしま)郡弓馬田(ゆまだ)村大字弓田(ゆだ)字鐘打下総香取郡古城村大字鏑木(かぶらぎ)字蟹打台(かにうちだい)下総印旛(いんば)郡公津(こうづ)村大...

  • 地名の研究(62) 地名考説(52) 破魔射場という地名

    「ハマイバ」という地名は、奥州から中国にわたって無数にある。「破魔射場」と漢字でかいた地名だけ挙げて見るが、<破魔地名>常陸多賀郡黒前(くろさき)村大字黒坂字破魔射場(はまいば)三河八名(やな)郡七郷村大字名号(みょうごう)字破魔射場伊勢鈴鹿(すずか)郡関町大字新所字破魔射場同 同 亀山町大字亀山東町字破魔弓場(ゆみば)美作(みまさか)真庭(まにわ)郡美和村大字樫東字鳴ノ殖(うえ)小字破魔場石見(いわみ)美濃郡豊田...

  • 地名の研究(61) 地名考説(51) トツラ・トウマン

    これも諸国の山村に数多いトツラまたはツツラという地名は、前に挙げた多々良とは何の関係もないらしい。自分はこの小名ある地のしばしば谷川の岸であることと、東北ではもっぱらトツラといい中央部から西ではツツラばかり多いのを見て、二者はともに藤その他の蔓(つる)類を意味し、その地名の発生した事由は、単にこの植物の多くある所というところだけではなく、これを採取して最も利用する作業、すなわち筏(いかだ)を組むわざに...

  • 地名の研究(60) 地名考説(50) 多々羅という地名

    東西の各府県にわたって「タタラ」という地名があって、とりわけ山中に多い。久しく、この地名を「タタラ製鉄」由来としてすべてを語るのは、いかに砂鉄の分布でもおおよそ限りのあるものであろうから、その起原をことごとく鍛工または鋳工の居住に帰するのは無理であろうと思うていた。しかし、多数のタタラは必ずしも原料の所在でなくとも、工人の分散してその業を営んだためであって、しかも燃料または用水の関係及び場所の清浄...

  • 地名の研究(59) 地名考説(49) 金子屋敷

    何々屋敷という小字の中には注意すべき者が多いかと思う。ことに今は田畠や山林となっていてなおその地名を存する者などは、何か普通の農民にあらざる者が居住したために、その地を別異にする風があった結果かと認められる。その一例として金子屋敷のことを言おう。もっとも金子という地名はいくらもある。今の美作(みまさか)苫田(とまた)郡加茂村大字黒木字樫原に金屋護神(かなやごじん)という祠がある。銕山(かなやま)の守護神だ...

  • 地名の研究(58) 地名考説(48) グリ

    「グリ」は各地で、海中の暗礁のことをそう呼んでいる。また地域によっては陸上でも岩の事を指す場合もある。「はなぐり」などよよばれる大きな立岩があるマクリ・シワナグリ・イスズグリ等とあり、、一合ぐり・宇田島ぐり・姫ぐり等もある。『和漢三才図会』には涅、和名久利、水中黒土などが載っている。東京などでも道路に敷く小さな割石をワリグリと呼んでいる。「ハエ」というのも中国・四国の海辺で、弘く暗礁を意味する語で...

  • 地名の研究(57) 地名考説(47) ウダ・ムダ

    水田を「ウダ」というという説があるが、ウダは果して単純なる水田だろうか。東北地方の多くの宇田という地名には注意せられぬまでも、鴫(しぎ)わな張ると大昔の歌にもある大和の菟田県(うたのあがた)などがあり、ウダは九州に多い牟田(むた)と同じ語ではなかろうか。長門風土記の阿武郡椿郷東分村松本船津組字無田ヶ原の条に「「小畑へ行く道なり、家二軒あり、むたヶ原、ぬたヶ原・うたヶ原とも唱え、文字定かならず」とある。ま...

  • 地名の研究(56) 地名考説(46) 丘と窪地の名

    関東平野の丘陵と丘陵の間、いわゆる窪またはヤツという地形の処を、田畑に開いた場合に一つの特色がある。・常磐線の利根川附近などは、そう言った風の田畑が丘の根方まで、ずっと境なしに続いている。・浦和辺では、地が低く沼がちで水の多いためか、丘と田畑との境には溝があって、丘の裾(すそ)から湧(わ)く清水が直接流れこまぬよう、やや温かくなってから田へ落すようにしてある。これらの溝を流れる水は相当の量となって川に...

  • 地名の研究(55) 地名考説(45) ダイ(台、代、袋)

    「ダイ」という地名は大きく分けて三種類ある。1) ○〇台:高台などと云うように、文字通りに物の台などと似寄っているからの名であろう。2) ○〇代:河内・和泉その他畿内の国々では、上代(かみだい)、下代(しもだい)、東代、西代など、耕地の一区域をシロと言ったのが元かも知れぬ。3) ○〇岱:岩手・青森・秋田の諸県で多く使われ、堆、平の字を当てている例もある。またこのタイはサワ(沢)に対して使われている。これはア...

  • 地名の研究(54) 地名考説(44) カクマその他

    朝日という地名が朝日をよく受ける特徴からできたことは地形だけからでも疑いがない。これに対するカクノのカクは、あるいは「隠れる」などの語と縁のある陰地の義ではあるまいか。関東・東北に多い角間(かくま)または鹿熊など書く地名も、これと同事由かも知れぬ。川の隈だからとは説明しにくいカクマもずいぶんある。もっとも山の北または西に当る日影に乏しい処は、東国ではアテラというのが普通である。大和・伊勢でこれをオン...

  • 地名の研究(53) 地名考説(43) 新潟と横須賀

    「潟」カタ、ガタという地名は太平洋岸にも愛知潟(あゆちがた)・平潟などの古い例はあるが、まずは日本海海岸に特有なものである。川口の砂浜がすでに必ずしもその川の搬出した物でないとすれば、もちろんさしたる川の流れて出ぬ海岸にも、砂嘴はできるはずである。汀(みぎわ)の屈折した静かな入江、ないしは海沿いの低地の地先に、砂の堤がおいおい高くなって来ると、それから内側はすなわち潟である。荒浪が幾度となくこれを毀(...

  • 地名の研究(52) 地名考説(42) 八景坂

    大森停車場の上の八景坂はどう考えてみても八景一覧の地とは思われぬ。近年たびたびの土工などのためにやがて地形も不明になろうから、今の間にあの地名の何を意味するかを確かめておこう。大森の八景坂は、岡の上(ハナワ)の村里から浜辺へ下りて行く坂のことで、風流という物を知らぬ人の附けた名だろう。ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である。武蔵には特にこれから出た地名が多い。甲武線の附近...

  • 地名の研究(51) 地名考説(41) 竹の花

    武隈(たけくま)の塙(はなわ)の松は有名なる奥州の歌名所で、古来人のもてはやす所である。武隈という地名の起原は、一説には阿武隈(あぶくま)の阿の字が脱落したのだろうとあるが、阿武隈や武隈の名はともに中国以西に多い久万(くま)もしくは何隈という地のごとく、水流の屈曲している地形を意味する普通名詞であろう。塙の字は多分は和製の合意文字で、土の高い処がすなわちハナワであることを証している。(圷:アクツはこれの...

  • 地名の研究(50) 地名考説(40) 土居の昔

    ・土居(ドイ):堺などの置土をドイ、ドエなどとという所は多くあり、土手を言う言葉と思う。この土の堤防で囲まれた屋敷などが昔はドイと呼ばれたとしても、土居は決して近世にいわゆるドイをもって取り囲むことを要せず、単に武家の屋敷を指してそう呼ばれたりしたようである。この土居の地名の多く存している中国・四国の村々に入り、その地形を審(つまびら)かにしつつ昔からの生活を考えたら、多くの面白い事実が発見せられる...

  • 地名の研究(49) 地名考説(39) 根岸及び根小屋

    ・根岸(ねぎし):山の根岸の義としか考えられないが、関東から奥羽へかけて数多い地名であり、何故この地名がはなはだ多く発生したか?第一には村が高い処から下りて来る傾向である。そのため、根岸という村は、根岸に家を作って開発するのが便利であった土地が新田となった時代にできたものと見てもよろしい。(比較的新しい時代にできた)第二には荘園が小さく分裂し、多くの小名が各自館を構えて兵備を事とする際、家来と農夫...

  • 地名の研究(48) 地名考説(38) 堀之内

    「堀之内」という地名は非常に数多くあり、堀からすぐに中世以降の城の堀を考えるが、そこに村が起こっていることを考えれば、「城址」と考えるのは早計であろう。多くの堀ノ内の地名のある場所で「城址」の説明がされているが、地名となったのはもっと古い頃ではないかと思える。中古の武家は通例砦の中には住まず、戦時の防禦地は険阻の山の上にあって、平時は平地に今の大地主のようにして住んでいた。堀之内の堀はその屋敷を取...

  • 地名の研究(47) 地名考説(37) タテ(館)

    ・東北六県に地名としてまた普通名詞として最も広く行わるるタテ(館)という地名は、漢字が「館」であるので武士の居宅を想像するが、館は国訓タチであってタテではない。しかも奥州のタテは古くは「楯」の字も用いられて始めからタテである。・代表的に実物をもって示しているのが、常陸真壁(まかべ)郡下館(しもだて)の町(現茨城県下館市)である。また北足立郡志木(しき)の町(現埼玉県志木市)も、古くは「館村」と呼ばれてお...

  • 地名の研究(46) 地名考説(36) 垣内と谷地

    垣内(かいと)問題は、郷土研究で必ず研究すべき課題であったが、必ずしもこれと云った説に接していない。これはそれだけ込み入った事柄である。垣内は文字のごとく垣の内でいわゆる土豪の囲い込んだ地域を意味する。しかし、これがその後いろいろな村の属地の義に転んじたり、切り開いた新部落をよぶようになった。東京近郊で村附の山野を開いた一区をサンヤ(山谷、三屋などと書く)というのと同じであろう。・『三州志』などに...

  • 地名の研究(45) 地名考説(3) サンキョ

    ・山居(サンキョ):家族が増えて、遠い原野の開墾に着手し、別な居を構える「散居」が元の言葉か?関東から奥羽にかけての地名にサンキョというものが多くある。「散居」「参居」「三居」「山居」などと書く。文字のごとく山中の住居の義かと思っていたが、不思議に平地にも往々にこの名がある。たとえば羽後酒田港で有名な米穀倉庫の所在地なども確か山居であった。市街から少し離れ最上(もがみ)川の川口に臨んだ水郷である。房...

  • 地名の研究(44) 地名考説(34) イナカ

    ・イナカ=田舎 とはどの範囲を表しているのだろうか?イは居であって、イナカは民居の中ではないかと思う。 田舎という語の最も古く顕われたのは『日本書紀』垂仁天皇の二年、意富加羅(おおから)国王の子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の伝説である。その中の黄牛(あめうし)に田器を負わせて田舎に将往(い)かんとすとあって、田舎の二字をいつの頃よりかイナカと訓ませている。昔は今でいう田舎それ自身の中において、特に田舎...

  • 地名の研究(43) 地名考説(33) 田代と軽井沢

    ・軽井沢:「カルウ=背負う」から、この地で馬から人の背に荷物を積みかえ人力で山を越す仕度をした場所? 軽井沢と称する地で最も有名なものは、もちろん中仙道碓氷(うすい)峠の軽井沢である。この「軽井沢」という地名が諸国にわたって多いことと、それが知れている限りいずれも峠路の麓にあることとを注意していた。この地名の意を今までの書物では、「涸渓(かれさわ)の義(村岡櫟斎(れきさい)翁)」とか「水源涸渇の渓頭(吉...

  • 地名の研究(42) 地名考説(32) アヘバ

    ・饗庭(あへば):饗場の田ではあるまいか武蔵の村々に饗庭(あへば)という地名かまたは家名が多いが、相場もこれと同じく、ともに道饗祭(みちあヘまつり)すなわち邪神祭却の祭場のことであろう。また北武蔵などに多いアイノ田「間の田」という字も単に里と里との境の意味でなく、饗場の田ではあるまいか。二万分一図で見ると、古川跡の田に開かれた所に「間の田」が多い。すなわちあまり古い地名でないことがわかる。<アイバ地名>...

  • 地名の研究(41) 地名考説(31) 峠をヒョウということ

    この「峠」を「ヒョウ」「ビョウ」と読む地名が千葉県下に散見される。また「ヒヨ」と読むところもある。・下総千葉郡蘇我(そが)町大字小花輪字中峠・上総山武郡日向村大字木原字中峠(なかびょ)・上総山武郡公平村大字松之郷字中峠・上総山武郡瑞穂(みずほ)村大字萱野字中瓢・上総君津郡富岡村大字上宮田字境俵・上総君津郡富岡村大字下宮田字境鋲・上総君津郡平岡村大字永吉字中 (山ヘンに票)・上総市原郡海上村大字引田字中 ...

  • 地名の研究(40) 地名考説(30) 横枕(ヨコマクラ)

    ・横枕(ヨコマクラ): 成功開墾地の地割をするに当り、地形の都合上幹線に併行して割ることのできぬ分、すなわち大部分の田地の上端に横に長い形の地面のできたものをいうかと思う。田地の大割は山や林の陰を考えて、だいたいどの田にも日受けのよいように縄を引くから、横枕は多くは日射の十分でない若干不利益な地面に相違ない。<横枕地名>栃木県那須烏山市横枕 トチギケンナスカラスヤマシヨコマクラ新潟県長岡市横枕町 ニイガタケンナガオカシヨコマクラマ...

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