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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
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2011/04/26

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  • 地名の研究(59) 地名考説(49) 金子屋敷

    何々屋敷という小字の中には注意すべき者が多いかと思う。ことに今は田畠や山林となっていてなおその地名を存する者などは、何か普通の農民にあらざる者が居住したために、その地を別異にする風があった結果かと認められる。その一例として金子屋敷のことを言おう。もっとも金子という地名はいくらもある。今の美作(みまさか)苫田(とまた)郡加茂村大字黒木字樫原に金屋護神(かなやごじん)という祠がある。銕山(かなやま)の守護神だ...

  • 地名の研究(58) 地名考説(48) グリ

    「グリ」は各地で、海中の暗礁のことをそう呼んでいる。また地域によっては陸上でも岩の事を指す場合もある。「はなぐり」などよよばれる大きな立岩があるマクリ・シワナグリ・イスズグリ等とあり、、一合ぐり・宇田島ぐり・姫ぐり等もある。『和漢三才図会』には涅、和名久利、水中黒土などが載っている。東京などでも道路に敷く小さな割石をワリグリと呼んでいる。「ハエ」というのも中国・四国の海辺で、弘く暗礁を意味する語で...

  • 地名の研究(57) 地名考説(47) ウダ・ムダ

    水田を「ウダ」というという説があるが、ウダは果して単純なる水田だろうか。東北地方の多くの宇田という地名には注意せられぬまでも、鴫(しぎ)わな張ると大昔の歌にもある大和の菟田県(うたのあがた)などがあり、ウダは九州に多い牟田(むた)と同じ語ではなかろうか。長門風土記の阿武郡椿郷東分村松本船津組字無田ヶ原の条に「「小畑へ行く道なり、家二軒あり、むたヶ原、ぬたヶ原・うたヶ原とも唱え、文字定かならず」とある。ま...

  • 地名の研究(56) 地名考説(46) 丘と窪地の名

    関東平野の丘陵と丘陵の間、いわゆる窪またはヤツという地形の処を、田畑に開いた場合に一つの特色がある。・常磐線の利根川附近などは、そう言った風の田畑が丘の根方まで、ずっと境なしに続いている。・浦和辺では、地が低く沼がちで水の多いためか、丘と田畑との境には溝があって、丘の裾(すそ)から湧(わ)く清水が直接流れこまぬよう、やや温かくなってから田へ落すようにしてある。これらの溝を流れる水は相当の量となって川に...

  • 地名の研究(55) 地名考説(45) ダイ(台、代、袋)

    「ダイ」という地名は大きく分けて三種類ある。1) ○〇台:高台などと云うように、文字通りに物の台などと似寄っているからの名であろう。2) ○〇代:河内・和泉その他畿内の国々では、上代(かみだい)、下代(しもだい)、東代、西代など、耕地の一区域をシロと言ったのが元かも知れぬ。3) ○〇岱:岩手・青森・秋田の諸県で多く使われ、堆、平の字を当てている例もある。またこのタイはサワ(沢)に対して使われている。これはア...

  • 地名の研究(54) 地名考説(44) カクマその他

    朝日という地名が朝日をよく受ける特徴からできたことは地形だけからでも疑いがない。これに対するカクノのカクは、あるいは「隠れる」などの語と縁のある陰地の義ではあるまいか。関東・東北に多い角間(かくま)または鹿熊など書く地名も、これと同事由かも知れぬ。川の隈だからとは説明しにくいカクマもずいぶんある。もっとも山の北または西に当る日影に乏しい処は、東国ではアテラというのが普通である。大和・伊勢でこれをオン...

  • 地名の研究(53) 地名考説(43) 新潟と横須賀

    「潟」カタ、ガタという地名は太平洋岸にも愛知潟(あゆちがた)・平潟などの古い例はあるが、まずは日本海海岸に特有なものである。川口の砂浜がすでに必ずしもその川の搬出した物でないとすれば、もちろんさしたる川の流れて出ぬ海岸にも、砂嘴はできるはずである。汀(みぎわ)の屈折した静かな入江、ないしは海沿いの低地の地先に、砂の堤がおいおい高くなって来ると、それから内側はすなわち潟である。荒浪が幾度となくこれを毀(...

  • 地名の研究(52) 地名考説(42) 八景坂

    大森停車場の上の八景坂はどう考えてみても八景一覧の地とは思われぬ。近年たびたびの土工などのためにやがて地形も不明になろうから、今の間にあの地名の何を意味するかを確かめておこう。大森の八景坂は、岡の上(ハナワ)の村里から浜辺へ下りて行く坂のことで、風流という物を知らぬ人の附けた名だろう。ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である。武蔵には特にこれから出た地名が多い。甲武線の附近...

  • 地名の研究(51) 地名考説(41) 竹の花

    武隈(たけくま)の塙(はなわ)の松は有名なる奥州の歌名所で、古来人のもてはやす所である。武隈という地名の起原は、一説には阿武隈(あぶくま)の阿の字が脱落したのだろうとあるが、阿武隈や武隈の名はともに中国以西に多い久万(くま)もしくは何隈という地のごとく、水流の屈曲している地形を意味する普通名詞であろう。塙の字は多分は和製の合意文字で、土の高い処がすなわちハナワであることを証している。(圷:アクツはこれの...

  • 地名の研究(50) 地名考説(40) 土居の昔

    ・土居(ドイ):堺などの置土をドイ、ドエなどとという所は多くあり、土手を言う言葉と思う。この土の堤防で囲まれた屋敷などが昔はドイと呼ばれたとしても、土居は決して近世にいわゆるドイをもって取り囲むことを要せず、単に武家の屋敷を指してそう呼ばれたりしたようである。この土居の地名の多く存している中国・四国の村々に入り、その地形を審(つまびら)かにしつつ昔からの生活を考えたら、多くの面白い事実が発見せられる...

  • 地名の研究(49) 地名考説(39) 根岸及び根小屋

    ・根岸(ねぎし):山の根岸の義としか考えられないが、関東から奥羽へかけて数多い地名であり、何故この地名がはなはだ多く発生したか?第一には村が高い処から下りて来る傾向である。そのため、根岸という村は、根岸に家を作って開発するのが便利であった土地が新田となった時代にできたものと見てもよろしい。(比較的新しい時代にできた)第二には荘園が小さく分裂し、多くの小名が各自館を構えて兵備を事とする際、家来と農夫...

  • 地名の研究(48) 地名考説(38) 堀之内

    「堀之内」という地名は非常に数多くあり、堀からすぐに中世以降の城の堀を考えるが、そこに村が起こっていることを考えれば、「城址」と考えるのは早計であろう。多くの堀ノ内の地名のある場所で「城址」の説明がされているが、地名となったのはもっと古い頃ではないかと思える。中古の武家は通例砦の中には住まず、戦時の防禦地は険阻の山の上にあって、平時は平地に今の大地主のようにして住んでいた。堀之内の堀はその屋敷を取...

  • 地名の研究(47) 地名考説(37) タテ(館)

    ・東北六県に地名としてまた普通名詞として最も広く行わるるタテ(館)という地名は、漢字が「館」であるので武士の居宅を想像するが、館は国訓タチであってタテではない。しかも奥州のタテは古くは「楯」の字も用いられて始めからタテである。・代表的に実物をもって示しているのが、常陸真壁(まかべ)郡下館(しもだて)の町(現茨城県下館市)である。また北足立郡志木(しき)の町(現埼玉県志木市)も、古くは「館村」と呼ばれてお...

  • 地名の研究(46) 地名考説(36) 垣内と谷地

    垣内(かいと)問題は、郷土研究で必ず研究すべき課題であったが、必ずしもこれと云った説に接していない。これはそれだけ込み入った事柄である。垣内は文字のごとく垣の内でいわゆる土豪の囲い込んだ地域を意味する。しかし、これがその後いろいろな村の属地の義に転んじたり、切り開いた新部落をよぶようになった。東京近郊で村附の山野を開いた一区をサンヤ(山谷、三屋などと書く)というのと同じであろう。・『三州志』などに...

  • 地名の研究(45) 地名考説(3) サンキョ

    ・山居(サンキョ):家族が増えて、遠い原野の開墾に着手し、別な居を構える「散居」が元の言葉か?関東から奥羽にかけての地名にサンキョというものが多くある。「散居」「参居」「三居」「山居」などと書く。文字のごとく山中の住居の義かと思っていたが、不思議に平地にも往々にこの名がある。たとえば羽後酒田港で有名な米穀倉庫の所在地なども確か山居であった。市街から少し離れ最上(もがみ)川の川口に臨んだ水郷である。房...

  • 地名の研究(44) 地名考説(34) イナカ

    ・イナカ=田舎 とはどの範囲を表しているのだろうか?イは居であって、イナカは民居の中ではないかと思う。 田舎という語の最も古く顕われたのは『日本書紀』垂仁天皇の二年、意富加羅(おおから)国王の子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の伝説である。その中の黄牛(あめうし)に田器を負わせて田舎に将往(い)かんとすとあって、田舎の二字をいつの頃よりかイナカと訓ませている。昔は今でいう田舎それ自身の中において、特に田舎...

  • 地名の研究(43) 地名考説(33) 田代と軽井沢

    ・軽井沢:「カルウ=背負う」から、この地で馬から人の背に荷物を積みかえ人力で山を越す仕度をした場所? 軽井沢と称する地で最も有名なものは、もちろん中仙道碓氷(うすい)峠の軽井沢である。この「軽井沢」という地名が諸国にわたって多いことと、それが知れている限りいずれも峠路の麓にあることとを注意していた。この地名の意を今までの書物では、「涸渓(かれさわ)の義(村岡櫟斎(れきさい)翁)」とか「水源涸渇の渓頭(吉...

  • 地名の研究(42) 地名考説(32) アヘバ

    ・饗庭(あへば):饗場の田ではあるまいか武蔵の村々に饗庭(あへば)という地名かまたは家名が多いが、相場もこれと同じく、ともに道饗祭(みちあヘまつり)すなわち邪神祭却の祭場のことであろう。また北武蔵などに多いアイノ田「間の田」という字も単に里と里との境の意味でなく、饗場の田ではあるまいか。二万分一図で見ると、古川跡の田に開かれた所に「間の田」が多い。すなわちあまり古い地名でないことがわかる。<アイバ地名>...

  • 地名の研究(41) 地名考説(31) 峠をヒョウということ

    この「峠」を「ヒョウ」「ビョウ」と読む地名が千葉県下に散見される。また「ヒヨ」と読むところもある。・下総千葉郡蘇我(そが)町大字小花輪字中峠・上総山武郡日向村大字木原字中峠(なかびょ)・上総山武郡公平村大字松之郷字中峠・上総山武郡瑞穂(みずほ)村大字萱野字中瓢・上総君津郡富岡村大字上宮田字境俵・上総君津郡富岡村大字下宮田字境鋲・上総君津郡平岡村大字永吉字中 (山ヘンに票)・上総市原郡海上村大字引田字中 ...

  • 地名の研究(40) 地名考説(30) 横枕(ヨコマクラ)

    ・横枕(ヨコマクラ): 成功開墾地の地割をするに当り、地形の都合上幹線に併行して割ることのできぬ分、すなわち大部分の田地の上端に横に長い形の地面のできたものをいうかと思う。田地の大割は山や林の陰を考えて、だいたいどの田にも日受けのよいように縄を引くから、横枕は多くは日射の十分でない若干不利益な地面に相違ない。<横枕地名>栃木県那須烏山市横枕 トチギケンナスカラスヤマシヨコマクラ新潟県長岡市横枕町 ニイガタケンナガオカシヨコマクラマ...

  • 地名の研究(39) 地名考説(29) 五反田

    五反田に古墳との関係をする話があるが、これには同意できない。やはり五反を一区とする田地のあったゆえの地名である。<五反田地名>宮城県登米市豊里町五反田 ミヤギケントメシトヨサトチョウゴタンダ宮城県遠田郡涌谷町北五反田 ミヤギケントオダグンワクヤチョウキタゴタンダ宮城県遠田郡涌谷町五反田 ミヤギケントオダグンワクヤチョウゴタンダ福島県伊達市梁川町五反田 フクシマケンダテシヤナガワマチゴタンダ福島県河沼郡会津坂下町五反田 フクシマケンカワヌマグンアイヅバンゲマチゴタンダ茨城県かすみがう...

  • 地名の研究(38) 地名考説(28) 一鍬田(ひとくわた)

    ・一鍬田(ひとくわた)、一窪田: 田を開きにくい地域内に、孤立して存する小面積の田のことであろう。下記2か所の「一鍬田」にはどのような地名の共通点があるのだろうか?・千葉県香取郡多古町一鍬田 チバケンカトリグンタコマチヒトクワダ・愛知県新城市一鍬田 アイチケンシンシロシヒトクワダまた、小字名に・出雲能義(のぎ)郡飯梨村大字植田字西谷字一鍬田がある。ここは場所の特定が小地であるので地形と対照することは容易と考えて考察す...

  • 地名の研究(37) 地名考説(27) 反町(ソリマチ)

    ・ソリ、ソウリ、ゾレ: 焼畑のこと横浜市神奈川区に「反町」があり、今は「タンマチ」と訓じているが、諸国にある反町は「ソリマチ」と読む地が多く在る。<反町 地名>・反:ソリ福島県喜多方市塩川町反町 フクシマケンキタカタシシオカワマチソリチョウ福島県本宮市本宮反町 フクシマケンモトミヤシモトミヤソリマチ栃木県宇都宮市下反町町 トチギケンウツノミヤシシモソリマチチョウ栃木県真岡市反町 トチギケンモオカシソリマチ栃木県矢板市川崎反町 トチギケンヤイタシカワサキソリマチ群馬県太田市新田反町町 グンマケン...

  • 地名の研究(36) 地名考説(26) 玉来(タマライ)

    ・玉来(タマライ): 狩猟の集合所人の集合する所を溜(たまり)といい、熊本県では「り」をもって終る連体格の動詞を、ライと昔風に延べて言う風があると記憶する。豊後の玉来も同じ火山の麓だから集合の意味で附せられた一つのタマライであるべく、なおおそらくはこれもまた「狩溜ライ」であろう。大分県竹田市玉来 オオイタケンタケタシタマライ「狩集」は薩摩においては「カラズマイ」と呼び、他の国では常のごとく「カリアツマリ」という。...

  • 地名の研究(35) 地名考説(25) 教良石、教良木

    ・教良石、教良木:このキョウラは「清らかな」意ではないだろうか。「清ら石」「清ら木」であろう。すなわち霊石または霊木のある地でその石その木を神明の依る所として祭祀を営んだ場所と考える。<キョウラ 地名>山梨県北杜市白州町上教来石 ヤマナシケンホクトシハクシュウチョウカミキョウライシ山梨県北杜市白州町下教来石 ヤマナシケンホクトシハクシュウチョウシモキョウライシ和歌山県伊都郡かつらぎ町教良寺 ワカヤマケンイトグンカツラギチョウキョウラジ福岡県北九州市八幡西区京良城町 フクオカケ...

  • 地名の研究(34) 地名考説(24) 魚ノ棚

    ・魚ノ棚:棚とは店のことで、魚の棚は魚商人が毎日または日を決めて魚の店を出した場所広島県廿日市市宮島町(魚之棚町) ヒロシマケンハツカイチシミヤジマチョウ(ウオノタナチョウ)愛媛県宇和島市吉田町魚棚 エヒメケンウワジマシヨシダチョウウオタナ鹿児島県大島郡大和村大棚 カゴシマケンオオシマグンヤマトソンオオダナ京都府京都市下京区下魚棚 キョウトフキョウトシシモギョウクシモウオノタナ京都府京都市中京区小結棚町 キョウトフキョウトシナカギョウクコムスビダナチョウ京都府京都市中京区衣棚町 キョウトフキョウトシナカギョウクコ...

  • 地名の研究(33) 地名考説(23) ハンタテバ、ハンバ

    ・ハンタテバ、ハンバ(飯立場、飯場):ハンはおそらくは判が正しいので、訴訟示談等によって境論を決着した場合のことであろうと思うこの地名は信州その他の山地の小字として折々あったように記憶する。またハンバというも同じ由来を有するものかと思うが、文字はまちまちで、飯場または飯立場と書いたものが最も多い。これとは別にこの飯場については述べている。この「飯場」(ハンバ)などという名前は、前の地名の研究(18)...

  • 地名の研究(32) 地名考説(22) アテラ

    ・アテラ(安寺、阿寺): アテラのアテは陰地または日陰の義、ラはもと名詞を確定するための一種の語尾ではないか。大工がアテというのは樹木の日陰に向った側面で生長悪く木質の素直でない、反(そ)りやすき部分であるという。ある村では痩地(やせち)の作物に適せぬ所をアテといい、あの畑はアテだからいかぬなどというという。アテラという地は、山の陰、日光の十分でない地にある。また、安寺跡という地名も山中の新田にしばし...

  • 地名の研究(31) 地名考説(21) アクツ、アクト、アクタ

    ・アクツ、アクト、アクタ: 川添の平地(阿久津、圷、悪田)「阿久津」(アクツ)という地名は水運の発達に伴い、荷を下ろす船着場に多く存在もしているが、各地の分布を調べると、必ずしも「津=船着場」とは限らない。これは東国では単に川沿いの平地をさす言葉と云える。常陸ではこれを「圷(アクツ)」と書くが、これは「塙(ハナワ)」という語と同様に、近世和製の会意文字であろう。 水戸市渡里町に、旧地名で渡里(わたり...

  • 地名の研究(30) 地名考説(20) ナル、ナロ

    ・ナル、ナロ:山腹の傾斜の比較的緩やかなる地、平らな地。東国にては何の平(たいら)と言い、九州南部ではハエと呼ぶ地形を中国・四国ではすべてナルといっている。<ナル、ナロ、奈良地名>兵庫県美方郡香美町村岡区池ケ平 ヒョウゴケンミカタグンカミチョウムラオカクイケガナル伊予周桑郡小松町大字新屋敷字堂ガ平(なる)丹波氷上郡鴨庄村大字牧字大岩ガ平(なる)伯耆東伯郡北谷村字詰平(つめがなる)但馬美方郡村岡町大字板仕野(いたしの)字平ル淡路津名...

  • 地名の研究(29) 地名考説(19) コウゲ、カガ、カヌカ

    ・コウゲ、カガ、カヌカ:開けたる草生地のこと東京人が単にハラまたはクサッパラと呼んでいる地形を、中国諸県では古くから、コウゲといっている。また、このコウゲ(草地)を東北地方では「カガ」という地名となっている。芝原、芝生を「カガハラ」「カヌカハラ」という。鹿糠(カヌカ)もコウゲと同様の意味を持つ土地。<高下(こうげ)地名>兵庫県宍粟市山崎町高下 ヒョウゴケンシソウシヤマサキチョウコウゲ岡山県津山市椿高下 オカヤマケンツヤマシツバキ...

  • 地名の研究(28) 地名考説(18) 強羅(ごうら)

    ・強羅(ごうら):岩石の露出している小面積を意味し、耕作その他の土地利用から除外しなければならない場所相模足柄下郡宮城野村字強羅相模足柄上郡三保村大字中川字ゴウラ飛騨吉城(よしき)郡国府村大字宮地字ゴウラ越前坂井郡本郷村大字大谷字強楽丹波氷上郡上久下(かみくげ)村大字畑内字中ゴラ備前赤磐(あかいわ)郡軽部村大字東軽部字ゴウラ周防玖珂(くが)郡高根村大字大原字ゴウラ谷大隅(おおすみ)姶良(あいら)郡牧園村大字下...

  • 地名の研究(27) 地名考説(17) 富土、風戸

    ・富土、風戸(ふと、ふっと):ホド(陰部)と同じかなり古くから、男女ともにおのおのその隠し所の名を高い声で呼んでいたらしい。その痕跡を留めている地名のごときは、よほど起原の古いものと見てよろしいのである。これも海岸において往々遭遇するフトまたはフットと言う地名は、疑いもなくホドすなわち陰部と同じ語である。海岸に沿うて漕ぎ廻る船から見れば、二つの丘陵の尾崎が併行して海に突き出している所あたかも二俣大...

  • 地名の研究(26) 地名考説(1) 袋

    ・袋(ふくろ):平地の水辺につけられた地名「フクラ」が海岸線や山の中の水辺にあって、この「フクロ」は平地の水辺に多く在るので、語源は恐らく別であろう。ただ、肥前平戸の西方には江袋湾と言う入江があり、これは「フクラ」地形と同じに見える。<全国の袋地名>北海道砂川市袋地 ホッカイドウスナガワシフクロチ北海道石狩郡新篠津村袋達布 ホッカイドウイシカリグンシンシノツムラフクロタップ青森県弘前市清野袋 アオモリケンヒロサキシセイノフクロ青森県弘前市袋町 アオモリケンヒロ...

  • 地名の研究(25) 地名考説(15) 福良(ふくら)

    ・福良(ふくら):海岸線の湾曲している形状我国の海岸線にもっとも多い地名は「由良(ゆら)」「女良(めら)」「福良(ふくら)」の3つがあるが、この中で「ふくら」は「膨(ふく)れる」と語源は一緒であろう。ただし、このフクラ地名には海岸線とは関係がない山の中にも結構ある。しかし、平地にはほとんどないので、山地においては水筋の屈曲していることを表現する語となったのかあるいはまた狭い谷を入って行って地勢が再びやや寛(...

  • 地名の研究(24) 地名考説(14) 湿地を意味するアイヌ語

    ・湿地を意味するアイヌ語:トマム・トマン・ニト・ニタトトマム・トマン・・・沼、沼地ニト:濡れて腐りたるニタト:沼地に樹の生じたる部分ヤチ :沼沢マカ:開く、開けたる + ト:湖水 ⇒ マカド(間門)<どうまん地名>武蔵都筑郡二俣川村大字二俣川字榛(はり)ヶ谷小字ドウマン谷武蔵北足立郡美谷本村大字内谷字大野小字堂満武蔵入間郡柳瀬村大字坂下字道満前相模愛甲郡依知村大字下依知字堂満坂磐城相馬郡金房村大字小谷...

  • 地名の研究(23) 地名考説(13) 江角

    ・江角(えすみ、えずみ):出づるもの・・・ではないか? 出雲(いづも)も同様か?出雲八束(やつか)郡恵曇(えとも)村大字江角(えずみ)浦この江角は郡名の恵曇(えとも)村の曇(とも)は安曇(あずみ)の「ずみ」であり、江角(えずみ)となった。ただこれはアイヌ語と係わりがあったと考えられる。北海道には室蘭の東南に「エドモ(絵鞆崎又は江友)と名のつくアイヌ部落が存在する。江戸時代の元禄郷帳には「エンドモ」と記載が...

  • 地名の研究(22) 地名考説(12) 真間

    ・真間(ママ):間々は儘(まま)にて、土が心の儘に崩るる所(十六夜日記残月抄) 『万葉集』に勝鹿(かつしか)の真間(まま)の入江、または麻万(まま)の浦と出て来るママは市川市真間であろうか。ママという地名は東部日本に充満している。「間々田」や「大間々」などいくらでもある。土の崩れる崖をママという。上総・信濃では土堤のことをママという。その説明には崩れるということはないが、高地の側面をママということだけは前...

  • 地名の研究(21) 地名考説(11) ドブ、ウキ

    ・ドブ、ウキ:排水不十分なる足入(あしいり)の地東京では下水堀のことをドブというが、これは明らかに転用であって、以前は阿原と同じく排水不十分なる足入(あしいり)の地のことである。この地名の普及したのは、まったくドブが水稲の栽培に通ずるという経済上の意義があるからである。また、ドブは昔の語ではウキである。諸国にある浮田という地名は、すなわちまた武蔵などの土浮耕地である。総てがこれとは限らないが、一つ一つ...

  • 地名の研究(20) 地名考説(10) 阿原(あわら)

    ・阿原(あわら):昔は池や沼であった所の水が減り後に開拓した所。また、陸地の上昇、川床の下降などで、まだ排水が不十分な地、関東では「谷地(やち)」などと呼んでいる場所と同類の地。アワラの「ア」が「ヤ」と混同したのではないか? 「あわら」は近世に水が「あせた」所?蘆原なども似たようなものであるかもしれない。アワラは中部地方、ヤチは東北地方に集中している。<全国の「あわら・あはら」(阿原)地名>富山県高...

  • 地名の研究(19) 地名考説(9) 帷子(かたびら)

    ・帷子(かたびら):一方山に拠(よ)り一方は田野を控えている=片平地形古代稲作中心の生活には、必ず水田の近き所に邑落を作ることを要とした。そしてできる限り水の害を避けるため、近く平野に臨める丘陵の傾斜地、すなわち片平の地を求めねばならなかったのである。また、大小名主の時代には、さらに軍事上の理由が片平を重要ならしめた。たくさんの帷子は皆当て字であることは、さして推測に困難ではないが、なお十分に地図に...

  • 地名の研究(18) 地名考説(8) 久木

    ・久木<クキ、クノキ>:燃料採取地を意味する地名1)各地のたくさんある「クキ」「クニ」などの地名 久木、久喜、久木野村、久木迫(くきさこ)、釘山(くぎやま)、柴島(くにしま)、岫崎(くきざき)、 久弐(くに)郷、玖珂(くが)郡、柞原(くはら)郷、樟原(くにぎはら)、欅崎(くのきさき) 久原(くはら)・久沢(くさわ)・久谷(くたに)・久土(くど)・久場(くば)・久平(くのひら)これらはみな「柴・薪」などの燃料にする...

  • 地名の研究(17) 地名考説(1~7)

    柳田國男の「地名の研究」を読んでいます。ここまで、「地名の話」(大正元年)「地名と地理」(昭和7年)「地名の歴史」(昭和9年)に刊行された講義録のようなものを見てきましたが、この地名の研究にはその他に「地名考設」という明治22年~昭和2年の書かれたものを55項目にわたってまとめて載せてあります。ここでは、書かれた内容を大雑把に要約し、検証も含めて記載してみたいと思います。<地名考説(1~7)>平民生...

  • [免」を含む地名

    NHK朝ドラ「あんぱん」では四国高知県の「御免予町」が舞台となっていますが、高知駅の少し手前に「後免駅」があり、後免町がモデルと考えられます。この後免町(ごめんまち)の町名由来をこの地名の研究から探ってみます。柳田國男の地名研究と同じように、まず同じ名前の地名を全国から探して見ます。今の郵便番号簿から拾ってみましょう。1)「後免」で探すとここ1件だけです。 高知県南国市後免町 コウチケンナンコクシゴメンマチ2...

  • 朝ドラ撮影場所

    最近、NHKの朝ドラ「あんぱん」を見ている。「あんぱんまん」も年代としてはもう子供の世代という感じで、それ程インパクトや想い入れも無いのだが、テレビに映る映像に懐かしい気がして見入てしまうこともしばしば。のぶの女子師範学校時代が終わったが、この高知県の師範学校の校舎は地元「土浦一校」の旧校舎だ。見ていてすぐにわかった。この校舎は実によく使われる。 以前書いたブログ ⇒ こちらまた、今度赴任する御免与...

  • 地名の研究(16) 地名と歴史(7)

    地名と歴史(7)14、交通の変遷 県下交通の変遷に関しても、地名はかなり豊富な資料を包含しているらしいが、自分は時間が足りなくて、その点までは書き抜くことができなかった。一つ二つ気のついた点をいうと、この地方だけに多く出逢うゴウドという地名は古い。美濃の川渡(ごうど)などは大往還の駅であって、すでに『太平記』以前から知られている。尾張・三河のものはすべてが官道の上にあるわけでもないが、その数が非常に多...

  • 夕陽に向かって走って帰宅

    昨日銚子へまt仕事で出掛け、終わったのは夕方5時半前頃。そこから石岡へ車で帰る時、利根川の千葉県側の堤防沿いにできた356号のバイパス道を通りました。夕方6時半ごろが今の時期の日の入り。正面から夕陽を受けながら、右手は利根川の土手、左手は田植えがされたばかりの水田地帯。やはりサングラスが必要かな?これから夏至に向かって日没方向は少しづつ北に向かう。銚子からも利根川上流に陽が沈む。(写真撮影場所の...

  • 地名の研究(15) 地名と歴史(6)

    地名と歴史(6)11、我々の小地名は新旧が交錯しているために、全部一度にできたかのごとき感を抱くが、生活上の必要もないものを、拵(こしら)えておく人はなかったろう。田畠や村里の名に、何野・何沼という類の古名が残っているのも、やはりアテラやオチと同様に、それを開発しようというある年月日の前から、なにか問題となって注意していた者が多く、有名になっていたから踏襲したのであろう。小さい事ではあるが、これによら...

  • 地名の研究(14) 地名と歴史(5)

    地名と歴史(5)9、<焼畑、切替畑>(山間部の地名)・九州・四国:コバツクリ、コバキリ・関東四周の山地:サス(武蔵・相模)、ソリ(ソラス:荒らす)、焼畑が行われ、それを元の地形に戻すに適する区域を、甲州などは何々草里(そうり)といい、駿河・遠江ではゾウレ(蔵連など)といい、土地によっては単にソともいう。・クサ:豊根振草(とよねふりくさ)などのクサという地名が、同じ地方には折々あるようだが、これも多分は切...

  • 地名の研究(18) 地名と歴史(4)

    地名と歴史(4)<畠作の地名>水田に続いて畠作の歴史があるが、まだいっこう調べられていない。常畠の開け始めた土地は、やはりいろいろの条件に恵まれていなければならなかった。そのため水田適地に次いで人が早くからこれに注意を払い、地形語が地名となる機会は多かった。・コウゲ:中国全部と四国の片端にかけて、水のない草生地の地名(村が山から遠くに独立するとき、肥料の補給によって、切替畑の利用法から脱却)・カッ...

  • 地名の研究(17) 地名と歴史(3)

    地名と歴史(3)6、フケ、フゴ、クゴ、アワラ、ドブ、クテ、トンボ、タンボ:変化する地名 ただしクテと同じであろうと思う水づいた低地を、フケといいフゴまたはクゴといい、あるいはアワラともドブともいう人のいたことは、地名によってこれを窺(うかが)い知ることができる。フケは泓とか湗とかいう漢字をあてて、クテよりははるかに広く使われる地形名である。京都でも富家と書いた地名がよく知られており、関東の方でも足の入...

  • 地名の研究(16) 地名と歴史(2)

    地名と歴史(2)4、地名は普通にはまず地形によって附ける。それが間に合わなくなって他の材料を加味して行くのである。たとえば、アイヌなどは狩猟が中心で耕作がほとんど進まず、農地など居住以外の目的で土地を区割して占有することがほとんどないため、地名は場所さえ記憶でき、かつ他人とその話ができればよい。従って地名には具体的にその土地の性質を指示するものを選び、誰が聞いてもその意味を捉えやすいものとなる。これ...

  • 地名の研究(15) 地名と歴史(1)

    柳田國男の書いた「地名の研究」を紐解いています。ここからは「地名と歴史」というタイトルで愛知教育という雑誌に昭和9年7月に発表した記事です。明治の初期に全国で大字・字を選定する事業があり、多くの字名が誕生しました。ここには古くからの地名や新たに追加した地名もたくさん混じっています。愛知県では明治15年に「愛知県地名調」という冊子を印刷し頒布していたようです。このため、この「地名と歴史」もこの活用...

  • 地名の研究(14) 地名と地理(10) 人文地理と地名の研究

    地名と地理(10)人文地理と地名の研究 以前私などの学校にいた頃にも、人文地理なる名の学問はあるにはあったが、ただ統計の要約であり、現状の記述に止まっていた。しかし、一たび訝(いぶか)り問わんとするようになって、学問それ自身がかなり煩悶をしたようである。大地の表面は隅から隅まで、人類去来の足跡であり、無名の彫塑(ちょうそ)家の篦(へら)の痕(あと)であるはずだが、それがどういう順序と計劃の下に行われたかに至...

  • 地名の研究(13) 地名と地理(9) 沼地、湿地、草原

    地名と地理(9)地形語 東国奥羽において沢といい、西南日本において谷というなどは、ともにその字義から見ると天然の力ばかり強く人が住むには不向きと思われるが、実際はかなり古い部落や耕地の地名となっているものが無数ある。農作は当初自然の水流を利用するために、好んで傾斜のある山添いを利用し、しかも背後に拠(よ)る所がある最小の盆地を求めたゆえに、上代の植民は常に川上に向って進む傾向をもっていた。それが平和...

  • 地名の研究(12) 地名と地理(8) 地名発生の変遷

    地名と地理(8)地名発生の変遷 地名の必要には三期があって、一期ごとに若干の新命名は出現したが、人はその煩労を節約すべく、毎回必ず若干の旧地名を採択保存することを心掛けたのである。その結果としてある一つの時代の横断面には、新旧年齢のきわめて区々(まちまち)なる、命名の趣旨の最も著しく相異した地名が、入り組んで頭を出しているのである。地名の起りには限らず、物の名前が必要となるのは、指でさし顎でしゃくっ...

  • 地名の研究(11) 地名と地理(7)地名の分類

    地名と地理(7)地名の分類 地名発生の理由には前に書いたように明白なる時代の変化があった。今でも新たに利用地名を作る場合がないとは言われないが、永く伝えてくれる望みは乏しい。その地にすでに地名があり、細かく区割した地域地名があり、新たに割り込んで行く余地がなくなっている。だからこれからの分類には、まずやや命名の趣旨の複雑に見えるものを除いて、人がその地域を占有してしまう以前から、すでにあったと思わ...

  • 地名の研究(10) 地名と地理(6) 新開拓地と地名

    地名と地理(6) 新開拓地と地名1) 地名が定着して一時代を過ぎて、戦争などで住民が離散し、それまでの多くの地名が消えた。2) 再び平和な土着期に戻って、その荒地が改めて開拓せられたが、この時につけられた地名は・以前からの故老が少しでも残っていた場合はできるだけ在来のものを利用した。・それがまったく忘却された地域にあって、始めて近世風の命名を試みている。この新開地の地名にも、相変らず時代と慣行とを表示...

  • 潮来長勝寺の新緑

    潮来に来ると古刹「長勝寺」に立ち寄ることが多い。桜の時期、新緑の時、菩提樹の花の時期、紫陽花、紅葉とそれぞれに境内は美しい。「山門不幸」と立て板が建てられている。3月末に亡くなられた前住職の「谷元明さん」が90歳でお亡くなりになったようだ。禅寺であるこの長勝寺もいろいろ観光客にも開放していつもきれいに管理されているのも谷住職のお陰でもあろうかと思う。ご冥福をお祈りいたします。新緑に交じって「紫蘭:...

  • 地名の研究(9) 地名と地理(5) 地名と人の苗字

    地名と地理(5) 地名と人の苗字 今一つの特殊なる興味は、日本の地名と我々の家名との関係であった。日本人のいわゆる苗字は全国を通じてその数が何万の多きに及ぶのだが、面白いことにはその中のごく一小部分五十か六十のものが最も普通であって、それを名のる家の数も多く、かつ万遍なく各府県に行き渡っており、残る大部分はいずれも地方的にわずかずつかたまっている。・これを自分等は家が居住地の地名によって呼ばれる風...

  • 新緑を求めて西蓮寺へ

    五月一日、行方市井上にある古刹「西蓮寺」(常陸高野)を訪れました。新緑に包まれた境内には誰もおらず、心地よい風が吹いていました。千年銀杏の黄葉も見事ですが、この時期の新緑も気持ちよいです。...

  • 地名の研究(8) 地名と地理(4) 点地名から地域地名へ

    地名と地理(4) 点地名から地域地名へ <アイヌの地名>アイヌの地名解は永田方正氏の一著があり、またバチェラア師辞書の旧版の附録にも若干の講説があって、今日ではまず十の八九までおおよそは意味が明らかになったと言ってよい。そのお蔭に今では内地の地名まで、よくわかっているのにアイヌ化しようと努める人さえできて来た。あほらしい話である。アイヌ人地名のわかりやすい理由は明白で、彼等の名の付け方は一色しかな...

  • 潮来の藤

    五月の初日に銚子へ行く途中に潮来で藤まつりがたしか四月末にやっていたことを思い出して立ち寄りました。まつりは過ぎて、次のアヤメ祭りで観光潮来は頭が一杯でしょうが、潮来の藤も長く房が垂れ下がることが江戸時代に書かれた「甲子夜話」にも出てきていたので、復活されたら4月から6月までの潮来観光にもう一つの目玉が出来るかと期待していたのだが・・・・昨年の方がきれいだったような。アヤメの準備だけでも大変だろ...

  • 地名の研究(7) 地名と地理(3) 東西南北の地名の一致

    地名と地理(3) 東西南北の地名の一致 日本の地名研究のまた一つの大きな特徴は、東西南北の一致がきわめて顕著であって、その発生の通則が見つけやすいことである。これは一つの中心地から四方に向って、前後何回かの移民が分散して行った国でないと、見ることのできない現象であって、これあるがために我々は純然たる帰納法によって、地名ばかりからでも多くの前代生活を闡明(せんめい)することを得るのである。いずれの国で...

  • 地名の研究(6) 地名と地理(2) 日本の地名の特色

    地名と地理(2) 日本の地名の特色 日本における地名研究が他の民族のそれに比べて、何ほどの特色があるのか。これは将来この仕事を始めて見ようという人には小さくない関心事であり、私はそれが確かに張合いのある研究だという結論をもっている。○ 地名の分量が多く、その変化が盛んである。この国に生まれて、これを当り前のように思っているが、日本はきわめて多種な地質的変化があり、他の国よりも多くの地名がある。道府...

  • 地名の研究(5) 地名と地理(1) 地名研究の学術分野

    地名と地理(1) 地名研究の学術分野(注:本論文は日本地理学会が1925(大正14)年に発行を開始した機関誌「地理学評論」の昭和7年に載せた論文である。従って読者の対象者は「地理学」に携わる学生たちが主と思われる。) 地名を調査して一つ一つを解説し、一般的傾向を要約した書物は西洋では多くの国で出されており、これを独立した一つの学問分野と見ることはできない。地名の研究には、いろいろの文化現象に興味をもち、...

  • 地名の研究(4) 地名の話(3) 区割するための地名

    地名の話(3) 区割するための地名 開墾地ではまたその内を区割するための地名を必要とする。二つに切って上下東西に分ける場合はいうまでもなく、共同開墾人が五人八人で分けて持つべき場合には一々の地名がいるのである。大和朝初期の地租改正法は、明治九年のやり方よりもいっそう激烈なものであった。今まで居住者のあった村は古くからの字・小字も多かったろうに、それをドシドシと改めて行って、新たに条里の制をしいた。三...

  • 地名の研究(3) 地名の話(2)開墾地の総称

    地名の話(2) 開墾地の総称 第一期の地名:地名には一種の拡充性ともいうべきものがある。・最初は一地点または一地形に附与した名前を、これを包含している広い区域にも採用して行く風習がある。たとえば女夫(めおと)岩という二つの岩の屹立している所があると、それに接続している数町歩の田畑または村里の字をも女夫岩という。また、ドウメキ、ザワメキ、ガラメキなどはもと水の音を形容した地名であるが、瀬の早い川の岸に...

  • 地名の研究(2) 地名の話(1)

    三年程前に、山上氏の手紙の中に、神保(じんぼう)氏の話と記憶するが、こんなことが書かれていた。「日本の地名には意味の不明なものがはなはだ多い。アイヌなどとは大いに違うと平生いっておられる。」この一言は予にとっては感謝すべき刺戟であった。自分はこの言葉をこう解した。『日本内地における地名の大多数は、まだ説明することができないものが多い。これをだんだん研究し説明して行くならば、将来地理学上・言語学上む...

  • 地名の研究(1) 初めに

    本ブログでも茨城県・千葉県・埼玉県と三県にわたって「難読地名」を取り上げ、その地名の発祥由来などを調べてきました。しかし、やはり基礎知識が少ないこともあり、肝心なところで解釈にブレが生じており、すこし勉強を加える必要を感じ、民俗学の父とも云われる柳田國男の「地名の研究」について、少し真面目に読み下してみたいと思うようになりました。この書物は、明治終わりころから昭和の初期に柳田國男が各誌に発表した...

  • 椎尾薬師(薬王院)

    真壁地区の散策も、やはり雨が結構降ってきたので帰ろうかとも思いましたが、やはり予定通り薬王院(椎尾薬師)に立ち寄ることにしました。椎尾(しいお)の名の通り椎の木の古木が沢山あるこの古刹。筑波四面薬師としても12月に石岡市内の講演会でも紹介しましたので、昨年も訪れており、今年も少し前にも訪れています。やはり雨が結構降っており、他の参拝者もほとんどおりませんでした。社務所の方にも「足元にお気をつけて・...

  • 五所駒瀧神社

    桜川市真壁町の総鎮守とされる「五所駒瀧神社」は新緑に包まれひっそり佇んでいました。元々は真壁氏の創建とされ、鹿島神宮のタケミカヅチを祀っていた神社ですが、別に4社を合祀して、「五所」と名前に冠して今の名前になりました。秋には紅葉が境内を赤・黄に染めます。上曽峠を真壁に下る途中に鎮座しています。神社のすぐ上に「分水嶺」の大きな石碑が建っています。境内を流れる清らかな水が心に積るわだかまりなどもスッ...

  • 真壁城跡

    13日の日曜日、小雨の中真壁の町へ。真壁氏の城跡が国の指定史跡に指定されたのは平成6年とある。筑波山系の山懐に囲まれた様に雄大な城跡の敷地が残されている。このあたりの中世の城は山城が多い中、東側の裏山を背にして、西に開かれた麓平野に町が広がる。桓武天皇の曾孫から民間に降った桓武平氏の流れをくむ北条多気山の多気氏から分かれた一族がここ真壁に居を構えて「真壁氏」と呼ばれたが、佐竹氏の家臣となって、佐...

  • 奉安殿(真壁)

    桜川市真壁町に戦時中の小学校に置かれた「奉安殿(ほうあんでん)」が残されており、見てきた。戦後GHQの市道でほとんどが壊されて残存する物も少ないが、ここにはきれいに残されている。旧真壁駅のすぐ近くの通り沿いにポツンと置かれており、説明板などは一切ない。菊の御紋のある大火式の独立型の立派な建物だ。内部には、明治・大正・昭和の3代の天皇、皇后さまのお写真と、教育勅語などが額に入れて飾られている。各学校...

  • 雨引山マダラ鬼神祭

    桜川市の雨引山で奇祭「マダラ鬼神祭」が4月第2日曜日の13日に行われました。毎年桜のこの時期に行われる奇祭です。マダラ神(摩多羅神 )は天台宗の常行堂の後戸に祀られて、人前にその姿をさらすことが殆どない神と云われ、能楽などの芸能の神とも云われていますが、ここ雨引山楽法寺の祭りの起源話としては「裏筑波山系の雨引山に長尾勢を追い上げた足利勢は、四方から火を放って長尾勢を攻め立てた。 当山はこのため炎上...

  • 浮島和田公園のチューリップ

    昨日銚子に行くときに思いついて、浮島にある和田公園に立ち寄りました。浮島(稲敷市)も昔は霞ケ浦に浮かぶ島でしたが、江戸時代に灌漑も進んで陸地と繋がりました。霞ヶ浦沿岸を車で走ると、この時期は田植えの準備で田に水が張られて水面が輝いて・・・・出も既に田植えを終えたところもあり、田植中の所もありました。田植えも、いつもの年より少し早そうです。また、和田公園のチューリップ公園は13日の日曜日に「チューリ...

  • 埼玉県の難読地名(51) 天目指峠、出牛峠、粥新田峠 (最終)

    天目指峠【あまめざすとうげ】・・・飯能市 出牛峠【じゅうしとうげ】・・・皆野町/長瀞町 粥新田峠【かゆにたとうげ】・・・皆野町/東秩父村山の名や峠の名前には良く首をかしげたくなる名前がついていたりします。埼玉県も秩父地方を抱えており、西部の山には変わった峠の名前があります。ここにその一部を拾ってみました。 天目指峠【あまめざすとうげ】名栗と吾野を結ぶ県道395号線が通る峠で、かなり勾配がきつい峠(...

  • 埼玉県の難読地名(50) 贄川、露梨子、樋籠

    贄川【にえがわ】・・・秩父市 露梨子【つゆなし】・・・寄居町 樋籠【ひろう】・・・春日部市 贄川(にえがわ):荒川上流部にある支流に川の名として贄川があり、その一帯に「贄川村」が明治22年まであった。戦国期から地名として見られ、その後大字として贄川が残った。 現在は秩父市の地名として「荒川贄川」と表記されている。地名の由来は角川の地名辞典には次の2つを挙げている。①、贄の魚を捕る渓流の意(秩父郡...

  • 埼玉県の難読地名(49)

    今羽【こんば】・・・さいたま市北区 仁手【にって】・・・本庄市 仏子【ぶし】・・・入間市 今羽(こんば):荒川右岸の大宮台地上にあり、東と南に見沼の低地がある。江戸期より今羽村があり、明治35年に今羽町となり、大宮市の町名となり、現在はさいたま市北区の町名として残る。地名の由来についてはよくわかっていません。 仁手(にって):利根川中流右岸の沖積低地の自然堤防上に位置し、戦国期から見える地名である...

  • 埼玉県の難読地名(48) 小手指、差間、白井差

    小手指【こてさし】・・・所沢市 差間【さしま】・・・川口市 白井差【しらいざす、しろいざす】・・・小鹿野町武蔵国であった埼玉県南部は「指」「差」という字に「さし」「さす」といった読み方をする地名があります。以前あげた地名にも「指扇(さしおうぎ)」という地名もありました。どこか共通した地名のようです。これは武蔵(むさし)の「さし」にも共通する発音で、一般には「焼畑」の意味だとされています。新たに開...

  • 埼玉県の難読地名(47) 八甫、八基、三九

    八甫【はっぽう】・・・久喜市 八基【やつもと】・・・深谷市 三九【さんく】・・・三郷市八甫(はっぽう):「八浦」とも書くと、地名由来は「旧利根川流路に面し、8つの浦があったことによる(新編武蔵)が、不祥という。ただ場所は中世から河川交通の要所で重要な河岸場であったという。また、八ヵ村に囲まれた地から八方と言われて「八甫」となったという説もあるがはっきりしない。また洪水でしばしば被害を受けている。...

  • 埼玉県の難読地名(46) 曲本、曲田、曲師

    曲本【まがもと】・・・さいたま市南区 曲田【まがつた】・・・深谷市 曲師【まげし】・・・川島町 曲本(まがもと):「まげもと」ともいう。荒川下流左岸の平地に位置する。美女木のすぐ北側にあたる。荒川が曲がっているところではあるが、昔の荒川はどのような流れであったのかはよくわからない。 曲田(まがつた):角川の地名辞典では「まがりた」とあり、平凡社では「まがつた」とある。 郵便番号住所は「まがつた」...

  • 埼玉県の難読地名(45) 吉妻、吉敷

    吉妻【きつま】・・・春日部市 吉敷【きしき】・・・さいたま市大宮区 吉妻(きつま):角川の地名辞典では、「きつま」の「き」は城か柵を表し、「つま」は隅と解されることから地名は柵の隅と地の意という(地名誌)。と書かれている。この「き」が城や柵をあらわしているのは、東国地方には多く存在し、昔の蝦夷人たちとの境界に「柵=き」を作っていたことの表れだと思われる。古代朝鮮語(百済?)での「キ」は「城」を意...

  • 埼玉県の難読地名(44) 上谷、上谷塚、上八ツ林

    上谷【かみやつ】・・・越生市 上谷塚【かみやつか】・・・草加市 上八ツ林【かみやつばやし】・・・川島町 上谷(かみやつ):「上谷戸」とも書き、上殿川の山間地に位置するという。村名も室町期から見られる。単純に「谷津、谷戸:やつ」の谷地形から付けられた地名と思われる。 上谷塚(かみやつか):越生郷の村の一つで、中谷塚、下谷塚があり、八つ塚(古墳など)の伝承がある。明治22年にこの3ヶ村を含む7ヶ村が合...

  • 埼玉県の難読地名(43) 馬内、鹿手袋、鹿室

    馬内【もうち】・・・加須市 鹿手袋【しかてぶくろ】・・・さいたま市南区 鹿室【かなむろ】・・・さいたま市岩瀬区 馬内(もうち):会ノ川の自然堤防上に位置し、地名の由来は牧草地が多く馬が多く飼われていたことによる。とされる。<県内の「馬のつく地名>埼玉県さいたま市西区西遊馬 サイタマケンサイタマシニシクニシアスマ埼玉県さいたま市緑区馬場 サイタマケンサイタマシミドリクバンバ埼玉県さいたま市岩槻区馬込 サイタマケンサイタマシイワツキクマゴメ埼玉県行田市...

  • 埼玉県の難読地名(42) 名栗、名細

    名栗【なぐり】・・・飯能市 名細【なぐわし】・・・川越市 名栗(なぐり):名栗川、名栗渓谷、名栗湖などと今でも観光地として「名栗(なぐり)」の名前は残っていますが、都市としての「名栗村」の名前は2005年に飯能市に編入されて消えました。この名栗川や名栗渓谷などは私も子供時分に小学校の遠足などで行った事があります。名栗の名前の由来は① 古くから栗の名産地② ナ・クリ(刳)で浸食地③ 狸が多くいたため...

  • 埼玉県の難読地名(41) 都幾川、都家郷、大調郷

    都幾川【ときがわ】・・・比企郡ときがわ町 都家郷【つけのごう】 大調郷【おおつきのごう】 都幾川(ときがわ):この「都幾川」も現在は市町村名では「ときがわ町」とひらがな表記になってしまいました。越辺川の支流に「都幾川(ときがわ)」という名の川があり、この名前があって都幾川村が村名となったと言われています。ただ、都幾山(ときさん)という山もあり、都伎山とも書いていたりもしますので「とき」という言葉...

  • 埼玉県の難読地名(40) 埼玉、行田、久喜

    埼玉【さいたま】【さきたま】 行田【ぎょうだ】 久喜【くき】今回は一般に使われていますので特に読みにくいという地名ではないですが、地名の由来なども気になりますので載せておきます。埼玉(さいたま):埼玉県の名前ですのでどなたも読めると思いますが、初めて目にしたら読めませんね。普通に読んだら「さきたま」でしょうか。こちらは行田市にある「埼玉」は「さきたま」と読みます。埼玉の名前は律令国の武蔵国の「埼...

  • 埼玉県の難読地名(39) 越辺川、身馴川、樋遣川

    越辺川【おっぺがわ】 身馴川【みなれがわ】 実熟川【みなれがわ】 樋遣川【ひやりがわ】・・・加須市川の名前は、地名と違って時代でかなり変化してきているように思う。古代、中世はその流れる土地の地名で呼ばれることも多かった。そのため、川の上流から下流まで何通りもの呼び名が有ったように思う。今回取り上げるものもそんな見方もしておかなければならない。越辺川(おっぺがわ):この川の名は、越生(おごせ)の地...

  • 埼玉県の難読地名(38) 御正、円良田、金鑚

    御正【みしょう】・・・熊谷市(江南村) 円良田【つぶらた】・・・美里町 金鑚【かなさな】・・・神川町 御正【みしょう】「新編武蔵」の見える中世末期ごろから見える郷名に「御正郷」が使われている。地名の由来は、古くからこの辺が上野(こうずけ)国新田(にった)岩松氏の所領で、荘園があり、「御庄」と一般に呼んでいたためという。(角川地名大辞典) 円良田【つぶらた】角川の地名辞典には『地名は「ツブラ」な田...

  • マイナンバーカードの更新

    マイナンバーカードも作成してから5年で電子申請の期限が来て使えなくなる。この更新手続きの手紙が数か月前に来ていたが、余りよく見ずに放っておいた。誕生日まじかになったので、取り出して役所に行くのかとよく見たら、申請にID番号があって、次の3つの方法で申請するように書かれていた。①スマホで自分の顔写真を撮ってオンライン申請②パソコンで6か月以内に撮影した写真をつけてオンライン申請。申請にはメールアドレス...

  • 埼玉県の難読地名(37) 猿田、猿ケ谷戸、猿喰土村

    埼玉県の「猿」のつく地名を集めて見ました。 猿田【やえんだ】・・・日高市 猿ケ谷戸【さるがやと】・・・さいたま市(大宮市) 猿喰土村【さるがいとむら】・・・深谷市(花園町) 猿田(やえんだ):全国に猿田(さるた)という地名は数多いが、(やえんだ)と読む地名はここだけでした。(現郵便番号簿)ここも「さるた」ともいうと地名辞典には書かれている。日本神話に出て来る「猿田彦(毘古)」は天狗のように鼻が長く...

  • 埼玉県の難読地名(36) 庁鼻和

    庁鼻和【こばなわ】・・・深谷市室町期に地名として存在する。「ちょうのはな」「ちゃうのはな」などとも読むという。唐沢川右岸の台地上に位置する。この「こばなわ」地名は日本各地にあり、多くが「小塙」と書く。漢字の通り、「はなわ」は少し高く成った場所であり、逆に低く成った場所は「圷(あくつ)が使われる。この「塙」と「圷」という漢字もあとからの合成語であろうと思われます。「鼻」も「ハナ」は少し高くなった顔...

  • 埼玉県の難読地名(35) 不老川、野老沢、老袋

    不老川【としとらずがわ】 野老沢【ところざわ】 老袋【おいぶくろ】・・・川越市 不老川(としとらずがわ):この川は入間川の支流で、冬季に渇水し、流水が年を越してながれないことから「年不越川(としこさずがわ)」と呼ばれ、次第に不老川(としとらずがわ)となったと言われている。現在は水量が減り、住宅も増え川の汚濁が著しいという。 野老沢(ところざわ):この野老沢は室町期(1486)の書物に書物に「ところざ...

  • 埼玉県の難読地名(34) 入間、入西、入東

    入間【いるま】 入西【にっさい】 入東【にっとう】古代から中世にかけての入間(いるま)郡は武蔵国の中央に位置し、現在の埼玉県の南部中央部に位置している。しかし716年に南西部を割いて「高麗郡」が新設され、1799人の高句麗人がここに集められました。また758年には新羅郡が新設され、後に新座郡と改称されていますが、こちらも入間郡から割いたともいわれています。途中でこれらの地域を分けていますので領域が少...

  • 埼玉県の難読地名(33) 利田、釣上、志多見

    利田【かがだ】・・・行田市 釣上【かぎあげ】・・・さいたま市岩槻区 志多見【しだみ】・・・加須市 利田(かがだ):岩波の地名辞典には『地名の由来は、平坦のな草地を意味する「カガ」によるという(地名誌)』とある。寛永12年(1635)の中村家文書に「加賀田」と書かれている。柳田国男の地名の研究にはこの「カガ」について次のように書いている。------------------- 東国奥羽にてはいまだこの名の地名を発見せぬけ...

  • 埼玉県の難読地名(34)

    入間【いるま】 入西【にっさい】 入東【にっとう】古代から中世にかけての入間(いるま)郡は武蔵国の中央に位置し、現在の埼玉県の南部中央部に位置している。しかし716年に南西部を割いて「高麗郡」が新設され、1799人の高句麗人がここに集められました。また758年には新羅郡が新設され、後に新座郡と改称されていますが、こちらも入間郡から割いたともいわれています。途中でこれらの地域を分けていますので領域が少...

  • 埼玉県の難読地名(32) 村君

    村君【むらきみ】・・・羽生市 角川地名辞典には室町期から『村君郷(むらきみのごう)』という郷名があり、場所は県東北部の利根川中流域に位置する。という。利根川が少し屈曲している地区で、川に隣接している。江戸時代初期に、上・下の2村に分かれ、明治22年に近隣の5村が合併して「村君村」となり、昭和30年に三田ヶ谷村と合併して千代田村となった後は大字上村君、下村君が残った。地名の由来については、平凡社の地名体...

  • 埼玉県の難読地名(31) 鹿下、大満、龍ケ谷

    鹿下【かのした】・・・越生町 大満【だいま】・・・越生町 龍ケ谷【たつがや】・・・越生町越生町から地名を3つあげておきます。 鹿下(かのした):室町期から見える地名。また縄文中期の集落跡「谷遺跡」がある。「鹿ノ下」などとも書く。全国の「鹿」のつく地名は、古代の「鉄」製造に関係すると思われる場所が多くあるように思われます。ここもそうかもしれないです。 大満(だいま):大間とも書き、中世戦国期には「...

  • 埼玉県の難読地名30) 美女木、女影、妻沼

    美女木【びじょぎ】・・・戸田市 女影【おなかげ】・・・日高市 妻沼【めぬま】・・・熊谷市今回は女性に関する地名を3件。少し由来が調べたくなりました。 美女木(びじょぎ):この名前は室町期(14世紀半ば)より見える地名です。角川の地名辞典には地名の由来として2つの説を上げています。1)「もと上笹目と云いしが・・・・・・古え京師より故ありて、美麗の官女数人当所に来り居りしことあり、其頃近村のもの当村をさ...

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