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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
ブログ村参加

2011/04/26

  • 那賀郡郡衙、台渡里廃寺跡

    常陸国風土記に、現在の水戸を中心とした那賀郡の記載内容は意外に少ない。少ないのか、写本に省略されて残っていないのかは良くわからないが、とにかく余り多くは残されていない。そのため、まり訪れてみる機会もなく、今迄やり過ごしてきてしまった。この風土記の勉強をするに当って、もう少し知っておかねばならないことを痛感して、遺称地を訪ねてみる事にした。まず向かったのは、那珂郡の郡衙(郡家)があったとされる「台...

  • ネモヒラを見に・・・

    イギリス・ロンドンから来ている長女家族も今朝(8/18)成田を出立しました。先週末は1日東京デズニーランドで楽しんで、日曜には長男家族も3年ぶりの再会と云うことで我が家にやって来ました。そして、ファミレスで食事をした後に見頃を向かえているという常陸海浜公園にネモヒラを見に行って来ました。午前中は天気もまずまずで、午後から雷雨もあるというので心配していましたが、夕方3時頃なら空きはじめるかとも思って夕方...

  • 新緑と釣り人と横利根閘門

    銚子にも月に3回ほどまだ通っているが、最近は比較的交通量が少なく、また道路も広い神栖市側を通って、。銚子大橋をわたることが多くなっていたが、今回は利根川の土手沿いの道を通る事にした。その入口には国の史跡に登録された「横利根閘門」がある。霞ヶ浦と利根川を水路で結び、蒸気船をはじめ、物資輸送にも大いに利用された閘門である。一般的な水門は上下に動かすが、この水門(閘門)は真ん中をくの字にして前後にして...

  • 浮島・和田公園のチューリップ

    昨日銚子へ出かけました。桜も散り、途中でどこ見ておきたいところは・・・などと考えながら車を霞ヶ浦北側を潮来のほうへ走っていました。もう、周りの田んぼは土起しがなされ、かなりの田には水が張られていました。一部の田では稲がすでに植えられているところもありました。茨城のこのあたりは長閑で良いのですが、新緑の美しさや湖は見られるのですが、この日は少し霞んでいて、遠くの方はぼやけていました。これも黄砂の影...

  • 潮来長勝寺

    もう6日前ですが、潮来の裏山の稲荷山から、脇の道を下に下って潮来の市街に出ました。ここの頼朝ゆかりの古刹「長勝寺」に桜と新緑を求めて立ち寄ってみました。この参道沿いの桜も並木となって、咲いているときも、また花吹雪となっているときも美しいのですが。多くに桜花は散って、葉桜となっていました。この楼門も水戸光圀の命で、別な寺から移築されたものです。ほんどうも前にこのあたりを通過した台風で痛めつけられま...

  • 潮来稲荷山

    麻生から東に進むと「潮来」地区になる。ここは市街地のすぐ裏手を国道51号線が通っているが、この高台に「稲荷山公園」がある。暫く訪れていなかったので、様子を見に山側の国道側から公園に入った。国道沿いに公園の入り口がある。中を右に進むと、市街地から稲荷神社への上り階段がある。ここから潮来の町をこのように見下ろすことが出来る。これが稲荷神社。公園の桜はもうすっかり葉桜となっていた。この稲荷神社もすっかり...

  • 麻生の羽黒山公園

    沖洲、小高ときて、次に立ち寄ったのは麻生、この町の街中商店街から直ぐの所に「羽黒山公園」があります。地元の方の憩いの場所となっているようです。でも初めて訪れた人はその入り口から少し迷いそうです。結構狭いところから山に登ります。上は公園や休憩所などと、旧麻生の城跡遺跡があります。麻生氏は行方四頭の一人ですが、戦国時代に隣にいた同じ身内の島崎氏(潮来)に攻められ落城しました。江戸時代になると、周りは...

  • 小高氏の菩提寺「皇徳寺」

    沖洲の常福寺を後にして、次に立ち寄ったのは小高地区にある「皇徳寺」だ。この寺へも久しぶりである。国道355号線の道沿いに「皇徳寺」の矢印看板があるので、そこを左折してすぐである。ここは行方四頭の長男「小高氏」の菩提寺だ。小高氏も戦国末期に玉造氏や島崎氏と同様に、佐竹氏により滅ぼされたが、玉造や麻生などの名前は都市として残されたのに比べ、小高氏は行方氏の長男であったにもかかわらず、余り知られていない...

  • 桜と竹と沖洲常福寺

    昨日は銚子へ仕事に出かける途中で、桜のまだ見られそうなところをまわりながら出かけた。ただ、朝方にやりかけの仕事1時間ほどした後になったので、遠くまで行くわけには行かないので、通り沿いで見物し易そうな場所を選んだ。まず、国道355号線を霞ヶ浦の北側沿岸沿いで、行方市に入り、国道から逸れて沖洲の町への旧道に進んだ。そこには1233年開山と伝わる「(真言宗)常福寺」がある。ここの桜が少し気になったので立...

  • 大洗海岸で孫と波に戯れて

    コロナ禍で、行き来が出来ないでいましたが、3年ぶりにやっと孫もイギリスから日本に来ることができました。孫娘も、前に来たときは2歳と6歳、大分大きくなっていました。30日に我家に来ました。少しこちらにいて、来週から九州のほうまで旅行に行き、その後又戻ってくる予定。そして東京ディズニーランドに行くのがもっとも嬉しいようです。さて、昨日は大洗に遊びに行って来ました。しばらく波と戯れて大はしゃぎ。海浜公園も...

  • 大生の里(その三)

    常陸国風土記を紐解き、関係のありそうな所を調べながら記事にしています。今回は行方郡の最後に記述されている大生の里にある古社「大生(おおう)神社」を紹介します。ここを最初の訪れたのは2014年でした。 今から9年近く前になります。いろいろなサイトで「元鹿島」といわれるとの紹介があり訪れてみたのです。当時の記事から少し引用します。元鹿島といわれる大生神社は、鹿島神宮とは北浦を挟んだ反対側(西側)の少...

  • 6回目の冬を越えて

    事務所に置いたままになっている鉢植えのシクラメン。今年で6回目の冬を越えました。健気でかわいらしいが、手入れも殆んどしないずぼらな主人で少し可哀相になる。去年の夏は葉っぱを総て枯らして水を数ヶ月絶った。秋になって水をあげたが、年明けて蕾だった花も3月になってやっと咲いてきた。リンなどの栄養素もわずかに差した。殺風景な場所だけど、日当たりは結構いいんだよね。後数ヶ月きっと咲いてくれそうだ。ありがとう...

  • 大生の里(その二)

    大生の里には元鹿島と呼ばれる大生神社があります。私も今までに数回訪れているのですが、まともにこの鹿島神宮の「元」の意味を紐解いたことが有りません。何しろ、鹿島神宮の創建よりこちらの大生神社は大分後に創建されているのですから、「元」という」意味が理解できずにいます。まずはこの大生原といわれる大地の上に広がる大生古墳群を見てみましょう。築造されたのは古墳時代中期と言いますので、大体5世紀頃と言います...

  • 大生の里(その一)

    大生の郷については、常陸国風土記の行方郡最後に「此(田の里)より以南に、相鹿(あふか)・大生(おほふ)の里あり・・・」と出てくるだけで、相鹿の里と大生の里は合体しているような書き方がされています。又説明も倭武の天皇(ヤマトタケルの命)が相鹿の丘前の宮にいたときに、飯を炊いた建屋を浦浜に建てたので「大炊(おほひ)」から「大生の村」という名前になったという謂れしか紹介されていません。そのため、角川の...

  • 相鹿の里(丘前の宮)

    常陸国風土記の行方郡の最後に、「此(田の里)より以南に、相鹿(あふか)・大生(おほふ)の里あり。古老の曰へらく、倭武の天皇、相鹿の丘前(おかざき)の宮に坐(いま)しき。此の時、膳(かしはで)の炊屋舎(かしぎや)を浦浜(うらべ)に構へ立て、小舟を編みて橋と作(な)し、御在所(みましどころ)に通ひき。大炊(おおひ)の義(こころ)を取りて、大生(おほふ)の村と名づく。又、倭武の天皇の后(きさき)、大橘...

  • 小牧の普門寺

    昨日書いた行方郡の田の里にある鹿島神宮と関係の深かったという(小牧)鉾神社を紹介しましたが、この神社のある台地に南側に普門寺(天台宗)というお寺が、この神社の別当であるというので、そちらも確認して来ました。山の麓に立っていますが、台地の上からは竹林で道は確認できませんでした。この寺の上には中世に砦があったようです。下の道から回っていきました。寺の入口に「天台宗」の文字が。奥に寺の本堂が見えます。...

  • 田の里と鹿島神宮の神馬

    先日書いた行方郡の芸都(きつ)の里の後に、「其の(芸都の里)南に田の里あり。息長足日売(おきながたらひめ)の皇后の時、此の地に人あり、名を古都比古(こつひこ)と曰ふ。三度韓国(からくに)に遣されしかば、其の功労を重みして、田を賜ひき。因りて名づく。又、波須武(はずむ)の野有り。倭武の天皇(ヤマトタケル)、此の野に停宿りて、弓弭(ゆはず)を修理ひたまひき。因りて名づくる也。野の北の海辺に、香島の...

  • 芸都(きつ)の里=うるわしの小野

    常陸国風土記の行方郡に「芸都(きつ)の里」という場所が書かれています。前に書いた当麻(たぎま)の里のすぐ後、「此れより以南に芸都(きつ)の里あり。古、国栖、名は寸津毘古(きつひこ)、寸津毘売(きつひめ)と謂ふ二人有りき。其の寸津毘古、天皇の幸に当り、命に違ひ、化(おもむけ)に背きて、甚く粛敬无(な)かりき。爰(ここ)に御剣を抽(ぬ)きて、登時(すなはち)斬り滅(ころ)したまひき。是に、寸津毘売、...

  • 角折の浜

    この角折の浜についても今まで何回か書いてきたが、いろいろ調べていくと知らない話しも出てきて面白い。1300年以上も経つとその間に歴史変わっていくものなのだろう。さて、常陸国風土記には昨日書いた「白鳥の里」の話の後に、「以南に有る所の平原を、角折(つのをれ)の浜と謂う。謂へらくは、古(いにしへ)、大蛇(をろち)有り。東の海に通る(いた)らむと欲ひて、浜を掘りて穴を作りしに、蛇の角折れ落ちき。因りて名づ...

  • 白鳥の里

    この記事は以前書いたものの再話ですが、こちらにも少し変えて残しておきます。常陸国風土記の香島郡の記述「郡の北三十里に、白鳥(しろとり)の里あり。古老の曰へらく、伊久米の天皇の世に、白鳥有り。天より飛び来たり、僮女(をとめ)と化為りて、夕に上り朝に下る。石を摘(ひろ)ひて池を造り、其が堤を築かむとして、徒(いたづら)に日月を積みて、築きては壊えて、得作成さざりき。僮女等、 白鳥の 羽が 堤を つつ...

  • 難破船とうつろ舟

    さて、常陸国風土記も一般によく引用やお話しに扱われる話も結構ありますが、全く無視されている箇所もたくさんあります。まあ、ここでは余り説明も殆んど無い箇所を主に取り扱っていますが。昨年くらいから、この江戸時代にUFOか? とか 養蚕伝承との関係は? とか 瀧澤馬琴の話し 新分や展示会などいろいろ取り上げられています。どこまでが本当にあった話なのかはここでは検証はしませんが、常陸国風土記に書かれている...

  • 鹿島灘沿い

    常陸国風土記の香島郡については、先日「香島の天の大神」や郡家跡(神向遺跡)などを紹介しました。今回は、このさらに南部について書かれている辺りを散策して来ました。まず、香島郡の成立については、西暦649年に下総国の軽野の南側の1里(さと)と那珂国の寒田より北の5里を割いて、香島の神の郡を設けたと書かれています。この軽野という地名は現在神栖市の神之池(ごうのいけ)の南部に軽野という地名があります。小...

  • 麻績王(をみのみこ)のこと

    常陸国風土記の行方郡の後半に、気になる記述があった。「郡の南二十里(約10km)に、香澄の里あり。・・・・・・・・此の郷(霞の郷)より以西の海の中の北の洲を新治の洲と謂う。・・・・・・・・此れより往南十里(約5km)に板来の村あり。近く海浜に臨みて、駅家を安置けり。此を板来の駅と謂う。その西、榎木、林を成せり。飛鳥の浄見原の天皇の世(天武天皇と持統天皇2台代)、麻続王(をみのみこ)を遣らひて居処らし...

  • 当麻の郷

    常陸国風土記の行方郡の後半の記述に現鉾田市あたりの事が書かれている。「都より東北十五里に当麻(たぎま)の郷(さと)あり。古老の曰へらく、倭武の天皇(ヤマトタケル)、巡り行でまして、此の郷を過ぎたまふに、佐伯、名は鳥日子(とりひこ)と曰ふもの有り。其の命に逆ひしに縁りて、随便ち(すなはち)略殺したまひき。即(すなは)ち、屋形野の帳の宮に幸(いでま)ししに、車駕の経るところの道狭く地深浅しかりき。悪...

  • 若海香取神社

    常陸国風土記の行方郡。ここまで、現原の丘、鴨の宮と書いて来ましたが、この鴨野の北として書かれている場所を見てみましょう。 「野の北に、櫟(いちい)・柴(くぬぎ)・鶏頭樹(かへりで)等の木、往々森々りて、自ら山林を成せり。即ち、枡の池有り。此は高向の大夫(まへつぎみ)の時、築きし池なり。北に香取の神子の社有り。社の側の山野は、土壌腴衍(こへ)て、草木密生れり。」とあります。でもこの記述について、あ...

  • 鴨の宮を探して(3)

    前にもここで鴨の宮調査は終ってしまっているので、今回はもう一度チャレンジと言うわけで、GOOGL地図を広げた。するとそこには「鴨之宮神社」なる場所が地図に載っていた。最近のGOOGLE地図は誰かがこうして登録してくれたりする。以前、私が銚子で「天狗湯」探しを下記事を書いたが、その後この場所がGOOGLE地図に書き込まれていた。私は登録した覚えも無いので誰かが登録しているのだろう。さて、地図には載っていたが、探す...

  • 鴨の宮を探して(2)

    元あったという鴨の宮は江戸時代末期に存在した玉造郷校の跡地から東に250mくらいの場所にあると聞いていたので、まずは江戸時代に水戸藩の大山守をしていたという県指定有形文化財となっている「大塲(おおば)家住宅」へ。なかなか手入れも行き届いていて梅の花もきれいに咲いていた。見学は申し込みが必要なのか? 門は開いてない。この大塲家の裏山に戦国時代末期まで玉造城があり、城は1591年に佐竹氏により滅ぼされたが...

  • 鴨の宮を探して(1)

    常陸国風土記の行方郡では、「倭武(ヤマトタケル)の天皇が、現原の丘から降りて、無梶河を郡境の果てまで行ったとき、鴨が飛びわたるのが見えた。そこで天皇が弓でそれを射ると、弓の弦の音に応じて鴨が地に落ちた。鴨が落ちた場所を「鴨野」と言う。しかしそこは土地が痩せていて草木も生えない。」その後、地元の人が鴨野の場所にお宮を建て祀ってきたという。しかし、昭和2年に鹿島参宮鉄道は玉造駅までできていたが、玉造...

  • 現原の丘

    常陸国風土記は現在完全な物はなく、全て省略本でしかない。その中で「行方郡」は、今残されている写本で「不略之=略かず」と注記されている唯一の郡になる(総記も短いが省かれていない)。そのため、結構細かなことまでを詳細に記述がされている。恐らく、他の郡も同じように省かれる前は、細かなところまで記述されていたのではないかと考えても不思議儀ではない。また、この行方郡も現在の玉造・井上・芹沢あたりから徐々に...

  • 無量寿寺の今

    親鸞聖人の幽霊退治話で知られた茨城県鉾田市にある「無量寿寺」が火災にあったのは2021年1月21日。今から約2年前だ。このニュースを聞いたとき大変驚いたが、その後ここを訪れる機会もなくそのままになってしまった。昨日、この近くまでより道できたので、ついでに足を伸ばしてみた。鉾田手前で巴川沿いに川に沿って上流へ向かう。暫くして見覚えのある無量寺の前に出た。手前にある駐車場に車を止めた。寺の入口には「茨城百...

  • 鹿島神宮(7)拝殿の向き

    香島の天の大神の関係を追いかけてきて、やはりこれらの神社などの向きが気になります。勿論これは鹿島灘や鹿島地方がある台地の方向に関係していると思われますが、一応検証してみましょう。まず、神宮の拝殿の向きです。このように北北西を向いています。ただこれも手で書かれた地図であり余り細かく見ても正確と言えるかどうかはわかりません。では、神宮本殿(拝殿)と郡家(神野向遺跡)などの位置関係です。これも社殿の位...

  • 鹿島神宮(6 )跡宮

    鹿島神宮近くに「跡宮」という場所があるのをご存知ですか?大生神社とは違います。大生神社は「元宮」などと呼ばれていますね。場所は昨日紹介した「郡家跡:神野向遺跡」の丁度真西方向です。鹿島小学校の脇の道を真直ぐに南に行く進み、高台の台地の先端部分です。住所は「神野」です。現在はこの道も下へ降りて続いていますが、恐らく昔はこの下は一の鳥居のある大船津から水辺が広がっていたと思われます。跡宮はこの処をし...

  • 鹿島神宮(5) 郡家跡

    古代香島郡の郡家は一体何処にあったのだろうか?常陸国風土記には香島郡のところで「香島の神の南に郡衙がある。また北には沼尾の池がある。・・・・・・この沼尾の地は以前郡衙の置かれていた所である。」と書かれている。すなわち、鹿島神宮の南側に郡衙があったことはわかっていた。神宮の南側は「宮中」という地名が広がっている。じつは、香島の天の大神といわれる「沼尾神社、坂戸神社、鹿島神宮」三社の位置が並ぶように...

  • 鹿島神宮(4) 本殿

    香島の天の大神は「沼尾神社」「坂戸神社」「鹿島神宮」の3つを一つにして常陸国風土記で呼ばれているわけですが、これは現在の鹿島神宮の成り立ちにも大きく係わっていると考えられます。そこでこの三社を順に回ってみているのですが、時間もなく見てまわるだけでも何かを感じないか・・・・・・・今回は神宮を駆け足状態で見て来ました。香取神宮と違って、入口に無料の駐車場が無く、ほとんど1日いくら(殆んどのところが500...

  • 鹿島神宮(3) 坂戸神社

    常陸国風土記に「香島の天(あめ)の大神」と書かれている鹿島神宮の社を北から順に巡ってみました。最初に経津主神を祀る「沼尾神社」を紹介しました。今回は坂戸神社です。場所は沼尾神社と鹿島神宮のちょうど中間あたりにあります。沼尾神社も、坂戸神社も県道鹿嶋-鉾田線の西側にあり、鹿嶋サッカースタジアムに近い場所になります。県道側から西に入ると、沼尾神社はそのまま参道となり正面に神社の拝殿が迎えてくれるので...

  • 鹿島神宮(2) 沼尾神社

    常陸国風土記の香島郡の最初の方に、「天の大神、坂戸の社、沼尾の社、三処を合わせて、惣べて香島の天(あめ)の大神と称ふ」と書かれています。現在の鹿島神宮の摂社である「坂戸神社」「沼尾神社」に「鹿島神宮」を3つ合わせて一体と見ています。前にも訪れたことがありますが、これらの沼尾神社、坂戸神社、鹿島神宮と香島郡の郡家跡は一直線にほぼ等間隔に見事に並んでいます。そして鹿島神宮の拝殿の向きもこの方向と一致...

  • 大内カッパハウス

    先週の木曜日は天皇誕生日で休日だったが、仕事でまた銚子に出かけた。久しぶりの休日の銚子であったが、途中であちこち散策していて、銚子についたのは昼少し前の11時半頃。ランチもあり、仕事に間に合わせると30分ほどしか余裕時間はない。でも念願の「大内カッパハウス」に行く事にした。休みの日にしか開いていないが・・・・・・確かにいつもはしまっている入口扉は開いている。しかし、この内側にも扉があり、営業中などの...

  • 風土記とクジラ

    常陸国風土記を読み勧めていくと、クジラの話が何箇所かに出てくる。このようなことも少しまとめておけば当時の様子も見えてくるかもしれない。とりあえず気付いた箇所の3箇所です。行方郡1) 郡の西に津済(わたり)あり。謂はゆる行方の海なり。海松、及塩を焼く藻生ふ。 凡て、海に在る雑の魚は、載するに勝ふべからず。 但、鯨鯢の如きは、未だ曾て見聞かず。 ・・・・当時内海で海水が流れ込んでいた霞ヶ浦にはい...

  • 鳥羽の淡海

    最近少し真面目に読み始めた「常陸国風土記」だが、読み進めるに従っていろいろ疑問点が見つかってきた。気がついたときにメモしておかないと後から探すのにも苦労すると思うので、このブログにメモ代わりに書いておきたいと思う。最後は何かの形で書籍化をする予定だ。今回は「騰波ノ江(とばのえ)」について この騰波ノ江は、風土記の「筑波郡」に出てくる。「郡の西十里に騰波の江在り。長さ二千九百歩、広さ一千五百歩なり...

  • 鹿島神宮(1)一の鳥居

    2月も気付けば今日で終り。最近ブログも少し遠ざかってしまったが、忘れないうちにUPしておきたい記事もまだたくさんある。少し別な仕事が少し忙しくなってしまって、でも忘れないうちに記事は書いておこうと思う。今年に入り、ふるさと風の会で「常陸国風土記の勉強」と称して、本の読みあわせと、解釈などを微力ながら紐解き始めた。それに合わせて、少し気になる場所などの散策もしている。そのため、記事も早めにまとめてお...

  • 三昧塚古墳と沖洲古墳群

    霞ヶ浦の西側周辺には多くの古墳群が並んでいます。私は余り古墳を知らないので、何となく並んだ古墳を眺めて、ここに暮らしたであろうその時代の人たちへの思いを噛み締める程度です。それでも昨年11月にかすみがうら市の「風返稲荷山古墳」から出土した刀や馬具などの品が、国の重要文化財に登録されたニュース (⇒ こちら) などを聞いて嬉しくなっていました。稲生は朝から天気が良く、銚子へ仕事に出かける事になって...

  • ふるさと”風” 年度別縮尺版完成

    ふるさと風の会の機関紙(会報)が1月で200号になり、先日茨城新聞にも掲載いただきました。一応の区切りでもあり、今までの会報の年度別にまとめ縮尺版(カラー)を作成しており、昨年度に今回の200号を加えてNo.16を作成しました。昨年1月~今年1月までの13ヶ月分270ページ分を一冊にし、B5サイズに縮尺したものです。会報として配布している物は白黒ですが、こちらは写真や絵はカラーです。基本的には風の会の会員...

  • 歴史~今 伝えたいこと

    昨日、市内の「まちかど情報センター」にて、前石岡市長の今泉氏の講演会が行なわれました。この講演会は12月に行なう予定でしたが、氏の体調不良により延期され、今回の講演会となりました。私の所属する「ふるさと風の会」の会報200号達成の記事が、この日の茨城新聞に掲載され、この記念日と全く同じ日になりまし。今回の「ふるさと

  • ふるさと”風”200号が発行されました。

    ふるさと”風”の機関紙200号が先日発行となり、今朝の茨城新聞に紹介されました。16年8ヶ月休み無く毎月会報を発行し、自ら編集・印刷・製本・し、図書館や公民館等に無料で配布し続け200号を迎えました。全て会員の会費から運営し、無料で配布しています。今年からは年四回の季刊となりますが、自らまとめた冊子、本などもこれまで通り、作成していきます。応援宜しくお願いします。...

  • 常世の国(7) 徐福はどこへ

    今回の常世の国は遠く離れた中国の紀元前3世紀の話を紹介しましょう。中国では紀元前90年ころ(前漢時代)に、司馬遷により膨大な歴史書である「史記」が書かれています。古代中国では日本の「常世の国」といわれる不老不死の理想郷と同じように、東方の渤海(ぼっかい:遼東半島と山東半島の間にある内海状の海域)の先にある神仙が住む島で、蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神山があると信じられ...

  • 常世の国(6) 竜宮城(浦嶋子伝説)

    年初めから数回にわたり常世の国に関する記事を書き、一旦終了としたのですが、後からの考察に便利になる事柄が見つかりましたので数回分記事を追加しておきたいと思います。まずは「浦島太郎」の昔話(常世の国=竜宮城と考えられる)の元になってあろう「浦嶋子(うらしまこ)伝説」について紹介しておきます。昔話の浦島太郎については、もう皆さんは良くご存知だと思います。(あらすじ)浦島太郎は、浜で子供達が亀をいじめ...

  • おいしいね。

    大きなイチゴにかぶりつき・・・・・・規格外といっても・・・やよいひめ いただきました!甘くてとても美味しいです。昨日、「ふるさと”風”」200号(記念号)発行しました。ページ数は30Pでいつもの1.5倍です。ついにここまでと言うところです。次回からは季刊(年に4回)となります。ホット一息つきました。...

  • 常世の国(5) 少彦名(すくなびこな)命

    常世の国に渡った人物(神)として忘れてはいけないのが、少彦名命(日本書紀:すくなびこなのみこと、古事記:少名毘古那神)です。これは、大国主(大黒様、大己貴命(おおなむちのみこと))が出雲で、この日本国の国造りをしている時代ですから、いつ頃になるのでしょうか? まあ神話ですから良くわかりません。大国主が出雲の海岸で、国造りをどのように進めていけばよいかを悩んでいると、海から見知らぬ小人がガガイモの舟...

  • 常世の国(4) 御毛沼命(みけぬのみこと)

    さて、古事記や日本書紀などの古代の記述にある「常世の国」には、ここまで書いた橘を持ち帰った田道間守(タヂマモリ)の他に行ったきりで帰ってこない人物がいます。そんな人物に焦点を当ててみましょう。まずは、御毛沼命(古事記:みけぬのみこと、日本書紀は三毛入野命)です。あまり聞きなれない人物ですが、初代天皇となる神武天皇の兄です。神武天皇は第4子で、御毛沼命はその上の第3子(または第2子)とされています。...

  • 常世の国(3)万葉集と橘

    常陸国風土記に橘(たちばな)の記載されたところとして行方郡があると書きましたが、もう1箇所香島郡にも書かれている箇所がありました。香島郡という表記は常陸国風土記のみで使われ、他では「鹿島郡」と一般には表記されています。653年に行方郡が成立しましたが、香島郡はその4年前の649年に海上国と那珂郡の地域を一部割いて成立しました。この時に最初に置かれた香島郡の郡衙は、鹿島神宮の北の沼尾神社付近にあったと推察...

  • 常世の国(2)-非常香果(ときじくのかぐのこのみ)

    この「まほらにふく風に乗って」というブログのタイトルは「まほら=真秀ら」(真によい処)=常世の国ということにもなる。そして、このブログのスタートは2010年8月だから、今から12年以上前となる。今回、「常世の国=古代の理想郷」をどのように見るかを考えているのだが、まず、古事記や日本書紀に記載のある「常世の国」との表現がある箇所をピックアップしていきたいと思う。第2回目は「非常香果=日本書紀」「登岐士玖能 ...

  • 常世の国(1) 常陸国風土記

    2023年になり、気分を新たにしてまた1年を過ごして行きたいと思います。当ブログも2010年に始めて、13年目に入りました。昔は毎日書いていたのですが、これは6年で断念しましたが、これからも細々とやっていきましょう。今年の初めは、「常世の国(とこよのくに)」を少しまとめて紐解いて見たいと思います。「常世の国」とは古代に不老不死の理想郷をそのような呼び方をしていたようです。古事記、日本書紀、常陸国風土記などの...

  • 大生神社へ

    銚子への途中に30分くらい時間に余裕があったので、今年最後の神社めぐりとしてどこへ行こうかと考えましたが、思いついたのは、「大生(おおう)神社」でした。ここも何度か来てはいますが、暫く振りでのきがします。潮来から北へ4~5km位離れていますが、元鹿島と呼ばれる何かありそうな雰囲気が漂っています。この神社の参道は結構長く、車で神社の前まで行く事ができます。木々の間を縫って神社めがけて行きます。神社の前...

  • 霞ヶ浦も波高し

    今年も残り少なくなって来ました。先週金曜日に、また銚子まで出かけました。その前夜は雨が降りましたが、当日は晴れ上がって透き通った冬の青空が広がっていました。しかし、時々強い風も吹いていました。こんなときの霞ヶ浦は結構波が高いのです。途中、麻生の天王崎へ立ち寄ってみました。ここは霞ヶ浦に少し突き出した岬となっていて筑波山も良く見える場所です。やはり、風が強いと、大きく波立った湖面が見え、岸辺のコン...

  • わらべうたカレンダー

    きょう午前中に5回目のコロナワクチン注射をしてきました。これも当初は5回目まであるなんて考えてもみなかったのですが・・・まあ、ワクチンに抵抗のある方もおられるのは分かっていますし、実際にアレルギー反応が強く出る方もおられます。でもそれを承知して、個人の考え方に従ってワクチンも打つことを自分では理解してきたつもりです。ワクチンを打ってもコロナに感染するのをゼロにすることは出来ません。少なくても感染...

  • 秘密の紅葉スポットへ。

    もう12月も半ば。昨日は雨だったし、一日出かけており帰ったのも夜8時過ぎ。 しかし、今日は少し風はあるが、穏やかな陽気。午後になり、2年前に今の時期に紅葉がきれいだった秘密の場所(八郷地区)を思い出して、また訪れてみました。今回は一人。 もう紅葉・黄葉も終わりに近づいてきてはいてもまだ素晴らしい光景がそこにはあった。ここには昔何かがあったことを示す看板がありますが、もうあまり読めなくなっています。...

  • 黄葉も残りわずか?雨に人気もなし

    先月末頃に黄葉を見に訪れた行方市の西蓮寺。昨日雨がふっていたが、銚子までの行きの道中に、見納めにと思い立ち寄る事にした。多分この前の土日にはテレビで紹介されていた影響で、結構賑わったのではないかと思う。でもこの日は辺りには誰もいません。小雨が降り、まだ時間も朝の9時少し過ぎあたり。びっしり敷き詰められたような銀杏の葉も、雨にぬれ淋しそう。近くの保育園、幼稚園などの子供達の声もありません。紅葉もま...

  • 小雨の銚子港

    12月に入り大分寒くなって来ました。昨日はまた銚子まで行って来ましたが、あたりの黄葉・紅葉もほぼ終りとなり小雨が降って寒い一日でした。そんな中、銚子漁港近くで昼食を早めにとり、港を眺めて来ました。昼頃ですので、銚子漁港(駅に近い側)も舟溜りにはたくさんの漁船が並んでいました。このような日はあまり外洋へ出ての漁もあまり出来ないのでしょうね。上の写真は向かって左側が利根川(河口付近)で、右側が船溜りエ...

  • 豊浦について

    以前、このブログでも常陸の養蚕神社(三蚕神社)について書いたことがある。・金色姫伝説(蚕影山神社:つくば市神郡) ⇒ こちら・蚕養神社(日立市川尻) ⇒ こちら・蚕霊神社(神栖市日川) ⇒ こちらこの常陸の三蚕神社と呼ばれる三箇所の神社は共に「豊浦」と名付けられた場所にあり、今は海や川に面していなくとも昔はここに金色姫を乗せた舟がインドから流れ着き、養蚕が伝わったとする昔話が存在する。これは前に書...

  • 東庄町散策(11) 千葉県民の森(その二) 椿海と八丁堰

    東庄(とうのしょう)町散策での県民の森の続きです。江戸時代初期までは今の旭市から匝瑳市や銚子市北部や東庄町にかけて大きな湖が存在しました。私も千葉県北部の散策などを始める前までは知りませんでした。そして何度か説明看板などを現地で見て、段々イメージとして固まって行きました。前にも書いた地図に少し加筆してあらためて下記に載せます。これはFlood Mapsという洪水のシュミレーションソフトですが、これで海面が...

  • 東庄町散策(10) 千葉県民の森(その一) 福聚寺と鉄牛和尚

    東庄町の南東側、銚子市と旭市に近い場所に「千葉県民の森」という施設がある。バーベキューをしたり、森の小鳥を観察したり、テニスコートなどもあるかなり広い施設です。先週、東庄町散策としてここに行って見ました。江戸時代に干拓で埋め立てられた「椿海」の東北部の高台にこの施設はあります。前に紹介した大友城跡のすぐ近くにあります。共に、この椿海と関係があったことが伺える場所です。銚子側や旭市側からは椿海干拓...

  • 里山もすっかり色づいて

    今日土曜日は12月会報の印刷日。午後から八郷地区や旧新治村、つくば市北条などを回りました。午後からは日も差して比較的穏やかになり、思ったよりは寒くありませんでした。里山はどこも色とりどりのまだら模様の紅葉が見事です。途中で何枚か写真を撮りましたので紹介します。ここは朝日トンネルの土浦川の入り口付近です。こんな山の下をトンネルが走っています。写真左側にトンネルがあり、向こう側の出口が石岡市八郷地区...

  • 西蓮寺の黄葉

    月曜日に銚子へ行く途中、行方市にある古刹「西蓮寺」の銀杏の黄葉を見に立ち寄りました。毎年12月に入って1週間位したときにこの大銀杏の黄葉を見に行くのですが、今年は一足早く行って見ました。今年は少し早いかもしれないと気になったのです。駐車場には4~5台車が止まっています。時間はまだ朝の9:30前で、天気もあまり良くなくどんより曇っています。この山門は石岡にある国指定の文化財の善光寺楼門とほぼ同じ頃の創...

  • 「近世小川の水運」展へ

    昨日は晴れて結構暖かくなったのですが、今日は雨で気温も上がりません。いい夫婦の日も勤労感謝の日も特に何もありません。外の雨の音を静かに聞くばかり。冊子本が足りなくなったのを少し印刷してのんびりしています。テレビでは明日の金曜日がブラックフライデーだと、消費をあおっていますが先立つものもありませんので必要最小限でしばらく我慢。ガソリン代は少し下がってきたようです。久しぶりに150円を切りました。昨日...

  • 東庄町散策(9) 大友地区の小さな薬師堂

    千葉県香取郡東庄町(とうのしょうまち)をぶらぶらと散策した記事を書いています。東大社(とうだいしゃ)を紹介する前に「大友城址」を紹介しましたが、大友城址から東大社に向かう途中に見つけた気になったお堂を紹介します。大友地区は東北から西南に斜めに細長い地形をしています。その中心部から南西側に広がる台地の上に「大友城」があり、その中心部の名前が「政所台(まんどころだい)」「遠台(とおのだい)」などの字...

  • 東庄町散策(8) 東大社(その4) 海の神と式年大神幸祭

    千葉県東庄(とうのしょう)町の古社「東大社(とうだいしゃ)」の紹介をしています。名前が大社であり、いかにも何かありそうなのですが・・・・紹介するのが後ろにずれてしまいましたが、神社の由緒・沿革などを簡単にWiki.などから拾い出してみましょう。1) 「景行天皇が東国巡幸の折に、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりであるという。」・・・景行天皇はヤマトタケルの父であり、...

  • 東庄町散策(7) 東大社(その3) 芭蕉句碑

    東大社(東大神)の幾つかの気になる物などを何回かに分けて紹介しています。今回は境内にあった芭蕉の句碑です。この碑がおかれている場所は、県道側から神社へ入る横道の入口です。結構大きな石碑です。ここに書かれている説明によれば、ここから50mほど離れた場所にあったのをここに移したのだという。昔、道がもっと狭かったり無かったので、神社境内を人馬往来の通行使っていたが、境内が道では困るためにこの句碑を立てた...

  • 東庄町散策(6) 東大社(その2) ケヤキの古木

    今回は境内のケヤキの古木を紹介します。神社のご神木は杉の木のようで、古木の杉の木があります。しかし、こちらのケヤキと思われる古木が目に留まりました。脇に置かれている石碑は何が書かれているか読めませんでした。幹の半分ほどに大きな空洞が出来ています。環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(Ⅱ)」には 樹高 11m 目通り幹囲 5.0mと書かれているそうです。樹齢は不明だとか・・・・今の時期ですが、葉の...

  • 東庄町散策(5) 東大社(その1)

    今回の東庄(とうのしょう)町散策を始めた動機は、1)香取市と銚子市に挟まれて、平成の合併でもどちらとも一緒にならなかった「東庄町」はいつも近くを通っていても良くわからない存在であったのでそこ氏興味がわいた。2)常陸国の国衙に住んで、大掾氏(だいじょうし)、平国香などと当たり前のように書いたり喋ったりしているが、どうも良くわかっていないのではないか?長男国香の弟に当たる平良文について小見川を散策して...

  • 東庄町散策(4) 大友城址<その2>

    さて、ここで千葉氏について調べてみよう。なぜなら千葉氏の始まりがこの大友城にあったというのを記事で見たような・・・・・Wiki.によると、「桓武天皇を先祖とする桓武平氏、平良文(村岡良文)の孫・村岡忠常(平忠常)が、千葉氏の初代,千葉忠常(下総国のナンバーツー・千葉介)である。」と書かれている。まあ、常陸国国府(現石岡)の歴史を少しかじっている人間にとっては、最初の方はなじみ深い。このブログの「常陸国にお...

  • 東庄町散策(3) 大友城址<その1>

    諏訪大神は昔は須賀山明神と呼ばれていたという。江戸時代は神仏習合で明神様と呼ばれていたところは多い。我が常陸国府中(現石岡)の常陸国総社宮も「六所明神」「明神様」などと呼ばれていたらしい。この須賀山には中世の須賀山城が作られ、東氏の居城となっていたらしい。ここには前に訪れている。ブログ 「須賀山城跡(2014年6月)」 ⇒ こちらここでは、この東氏と須賀山城について以下のように書かれていた。「千葉常胤...

  • 東庄町散策(2) 延命寺

    東庄(とうのしょう)町は入口に町の看板として「相撲」と「天保水滸伝」の里という文字があちこちに書かれている。私の興味はもう少し古代にあるが、これも町を知る上で必要と、以前に調べて書かせていただいた。天保水滸伝は天保年間(1830~1844年)であるから、江戸も後期のことだ。この時代は東北地方の冷害による「天保の大飢饉」が数年にわたって続いた年でもあり、米の高騰などにより各地で暴動などがおこった時期でもあ...

  • 東庄町散策(1) 諏訪大神

    最近銚子へ行く途中に、千葉県東庄(とうのしょう)町を近辺を散策している。何故か少しだけ気になっているのだ。気になる内容は徐々に明らかにしていきたいと思うが、まずは大雑把に見ていこうと思う。あまり時間も無く、主だった所は、前にも訪れているが、目に付いたところを2~3ヶ所まわっている。何か見えてくるものが無いかどうか・・・・・東庄町は平成の合併でも隣の小見川町などが佐原市と合併し、香取市になる中、独立...

  • 東国三社「息栖神社」へ立ち寄る

    前回銚子に出かけたのは10日ほど前。途中で香取、鹿島両神宮とともに「東国三社」と呼ばれる息栖神社に立ち寄ってみました。いつも平日朝は、人も少ないのですが、数組の参拝客が来ていました。神社は初詣の注意事項などの看板が掲げられたりして、もう年末・年始に近づいているのを感じます。ただ訪れたのは10月末日のハロウィンの日です。また、神社の西側の通り沿いに大きな駐車場の整備が進められていました。やはり、初詣に...

  • 銚子の伝説、本をゲット

    先週末に銚子へ行ったときに、下記の本2冊を購入しました。「銚子の歴史と伝説」・・・銚子市郷土史談会二十周年記念誌 平成5年発行(2000円)「銚子の伝説と奇談」・・・高森良昌 編集 平成21年 発行(500円)どちらも自費出版をサポートしている銚子の(株)秀英社が発行している。一般書店ではあまり扱っておらず、観光関連の施設などと、出版社で手に入るという。今回、駅近くの出版社の辺りをうろうろし良くわからなかっ...

  • 今年も残りを数えるようになりました。

    私の所属している「ふるさと風の会」の11月号の印刷を先週末の土曜日に行いました。A3用紙で5枚(A4x20頁)を毎月500部強発行を続けていて、今回が198号です。来年1月に200号(16年8ヶ月)となり、一つの区切りを迎えます。継続は力なりと言いますが、3年、5年、100回、10年、15年ときて、とうとう200回続けられそうです。ただ、会員数も少なく、年々年令を重ねて自分達だけで発行していますので、それなりに苦...

  • 秋の雲??

    今週始めの月曜日(31日)に銚子へまた出かけた。家を朝でて、霞ヶ浦沿いを東に車で走る。出かけは天気は良かったが、まだ暑さは感じなかった。しかし、徐々に気温が上げって行く気がしてきた。車は東に走っていくのだが、東の地平線側からどこか夏を思わせるような雲がもくもくと湧いてくるようだ。10月に入って、秋のイワシ雲(うろこ雲)のような高い雲が暫く上空を覆って、秋を感じたのだが、この日は何処か夏に戻ったよ...

  • 玄蕃山(その3)

    この記事は平田篤胤が江戸時代に書いた「仙境異聞」に出てくる天狗小僧寅吉のその後を追いかけ、子孫が千葉県銚子で薬草湯の銭湯をやっていたという実話により、3年前に書いた「天狗湯を探せ」というブログの追加記事として書いています。 天狗湯を探せ ⇒ こちら 玄蕃山(その1) ⇒ こちら 玄蕃山(その2) ⇒ こちらさて、銚子の飯沼観音を見下ろせる少し高台の小山が玄蕃山と呼ばれていますが、この場所は銚子でいち...

  • 玄蕃山(その2)

    先日「天狗湯」関連で、ブログに読者からコメントをいただき、銚子の玄蕃(ゲンバ)山という場所に何かがありそうだと散策をしてみようと思い立ったのですが・・・・これが思ったより難題を与えられたようで、奥が深そうです。わたしの手に負えるかどうか・・・・。一般的な地図にはこの玄蕃山の表記がなく、これまでこの名前を聞いても場所が良くわからなかったのですが、国道を銚子電鉄に沿って東に進むと、飯沼観音のあるところ...

  • 玄蕃山(その1)

    今から3年ほど前に「天狗湯を探せ」として、千葉県・銚子にあった天狗湯の場所を訪ね歩いた記録を書きました。これは江戸時代後期に儒学者平田篤胤の書いた「仙境異聞」に出てくる「天狗小僧寅吉」の晩年に子孫が開いた薬草湯「天狗湯」の場所を探した時に記したものです。(詳細は ⇒ こちら)そして、その後この寅吉が天狗修行した茨城県笠間市(岩間山)に縁のあった陶芸家の高橋協子さん、ピアニストの小林萌里さん、ギタリ...

  • 三昧塚古墳から

    国道355号線を石岡から霞ヶ浦北岸沿いに進むと、小美玉市・小川を抜けて行方市に入ってすぐ左側に「三昧塚古墳」がある。農村公園ともなっていて、古墳というと少し暗いイメージがあるが、ここは周りには木々も無く、カラッと明るく、陽射しもまぶしい場所にある。堤防などの盛り土に使おうとこの小山を削っていたところを、たまたま通りかかった県の職員?が古墳である事に気付き、掘削をやめさせ、古墳調査がなされたという...

  • 麻生港にて

    行方市麻生は旧麻生藩(新庄氏)があり、周りの水戸藩とは一線を画していた。しかし、いま行方市と一緒になってみると、どこか淋しげに見える。霞ヶ浦での漁の中心はこの麻生港であろうと、銚子に行くときに時々アサザの花見物(今は見ることが殆んど出来なくなっている)とともに訪れている。町の大きさに比べて少し小さな船たまりがあるだけである。すぐ近くに浅生漁業組合らしき建物もある。しかし、こんな静かな雰囲気も好き...

  • 潮来のコスモス畑

    昨日は2週間ぶりに銚子へ。国道355号線を朝から霞ヶ浦沿いに車を走らせて向かいましたが、天気も良く陽射しもだんだんまぶしくなって・・・・又発生した台風を気にしていたのですが、まったく雨が降る気配もありません。道路端にはあちこちでコスモスの花が風に揺られていました。ならば潮来の上戸地区の広大な休耕地に毎年コスモスが植えられていたことを思い出し、立ち寄ってみる事にしました。今年は立て看板もありません...

  • 茅葺き民家 大場ぶどう園様

    石岡市八郷地区には筑波流という独特の葺き方をした茅葺屋根の民家が今も多数残されている。そのほとんどが、今もそこで生活され暮らしている。先日、外は台風の雨が時々強く打ち付ける日であったが、お祭り見物に息子夫婦と孫娘が石岡に来たので、国の登録文化財に指定されている「大場ぶどう園」さんにぶどう狩りをかねてお邪魔し、少しは意見させていただいた。上記は、平成19年2月石岡市発行の冊子「筑波山麓 茅葺き民家」...

  • 岩間山の天狗伝説3

    岩間山(愛宕山)に伝わる寅吉少年の天狗伝説。江戸時代に平田篤胤が書いた「仙境異聞」に載っている。この少年の晩年は子孫が、銚子で薬草湯の銭湯を開いたと伝えられ、この銭湯の場所を3年半前に調べ、紀行文を書いた。 「天狗湯を探せ」 ⇒ こちらこのときはこんな素敵な話しに仕上るとは思っていなかった。まったく緩やかな天狗湯探しで、銚子の町を理解する大きな助けともなった。それから3年、これが音楽アニメとなって1...

  • 近所の農園でぶどう狩り

    この前の日曜日(9/17)に、息子夫婦と孫娘でお蕎麦を食べて、近くのぶどう園でぶどう狩りに行く予定を組んでいました。しかし、お店を出ると外は台風からの雨が結構降っていました。午前中は晴れ間もあって何とか天気ももちそうではあったのですが、やはり天気予報通り降り出してしまいました。でもせっかくだからと様子を見に来るまで行く事にしました。このあたりはかすみがうら市(旧千代田町)の観光果樹園がたくさんあるの...

  • 八郷でも蕎麦の花が満開

    この三連休中に八郷地区瓦会に。息子夫婦と孫娘(5歳)を伴って、蕎麦を食べに「まんまや」さんへ行って来ました午後から雨も降り始めて・・・・・午後1時過ぎにお邪魔しましたが、丁度その前にいたお客さん達が帰ったところで、良いタイミングでした。私は何時も同じ、天ぷらそば(ざる)をいただきました。とても美味しいそばと、サクサクの野菜てんぷら・・・・ご主人と少し話をし、秋そばの収穫時期を聞くと、11月半ば頃とか...

  • 明日から祭り

    三年ぶりに祭りが帰ってくる。そんな言葉が適切なのか分からないが、町中は一部の人たちにとって待ちに待った祭りなのだろう。台風が近づいてきてもいるがギリギリ大丈夫かもしれない。でもここには祭り太鼓の音は今は聞こえない。年番は中心部の「中町」だ。3年も毎年やるかやらないかと待たされたのだからもう限界だったと思う。中町の2か所の入り口に年番の案内が建てられている。守木町との境。香丸町との境は神社通りへの曲...

  • ほほえみの丘遠望

    昨日は久しぶりに銚子まで仕事で出かけて来ました。霞ヶ浦北岸沿いの国道355号線(笠間~石岡~玉造~麻生~佐原(香取))で潮来までのんびり車を走らせました。小美玉市から行方市へ入るとすぐに左側に三昧塚古墳が見えます。少し人工的な形に整形されてしまっていて少し不自然ですが、古墳としてはカラッと明るく、眺めもよくなかなか素晴らしいと思います。何しろ、古墳時代に馬の飾りのついた王冠は古代への夢を広げてくれ...

  • 霞ヶ浦のアサザは何処に消えた?

    霞ヶ浦沿岸の多くの場所で、可憐な花「アサザ」の花が見られなくなりもす数年が経つ。霞ヶ浦護岸工事が行われ、全体に堤防がかさ上げされ、水害の被害はおおむね無くなった。しかし、利根川と合流する場所の設けられた逆水門は、霞ヶ浦側の水位が高くなければ開かないので、利根川、海からの水の流入はない。霞ヶ浦は昔、気水湖であったが、今では完全な淡水湖になった。その種様々な生き物の生態が変った。そして湖岸整備後に、...

  • 処暑といわし雲

    昨日(23日)はまた、千葉県の東端銚子に出かけました。一昨日と比べて少し暑い日でしたが、朝方、行方から潮来の方を車で走っていると、左右は収穫を今か今かと待つ黄金の稲がたわわに実り日本の原風景を感じてしまいました。一部ではコンバインが稼動し、稲刈り、脱穀が住んでいる場所もありましたが、今月末から来月始めが稲刈りのピークになるのでしょう。この時期にこの両脇に黄金の実が風にゆれ、丘やその先に見える霞ヶ浦...

  • 伊東甲子太郎の顕彰碑

    石岡の隣町のかすみがうら市志筑(しづく)地方は、石岡市の恋瀬川をわたったすぐ隣り合わせにある。志筑は常陸国の佐竹氏が出羽(秋田)に転封となって、かわりに秋田から常陸国に国替えで来た氏族の一つだ。元々1万石に満たない石数で、藩にはならなかったが、明治維新直前に加増されて「志筑藩」となった。藩主は本堂氏で、江戸に大名としていたが貧乏だといわれ、財政的にはかなり厳しかったという。そんな中、この志筑藩から...

  • 南郷街道

    茨城県北部は中世「常陸奥七郡」と呼ばれ、源氏の佐竹氏が最初に制した場所だ。源平合戦に向かう前の頼朝の攻撃にも山奥に逃げ込みしぶとく生き残った。またその後世継ぎ問題で、本流が上杉氏(藤原系)からの養子縁組することに反発した、佐竹氏他派との内乱が100年間も続いたが、最後に常陸国を制した佐竹氏が戦国を生き残ったのはこの奥七郷という地形が幸いしたことは間違いないだろう。水戸の北、「常陸太田」の北部は、...

  • 山方宿御城

    水郡線の常陸大宮市にある道の駅の少し先(北)に「山方宿」という場所がある。コロナ禍騒動前までは「日本一の芋煮会」と大きな看板が目に付いたが、コロナ禍で中止となったりしてその存在感が少し薄れてきた。日本一大きななべを使って芋煮をするのだそうだ。また、この山方宿は久慈川を越えて三太の湯や金砂の湯などの日帰り温泉施設への入り口でもある。しかし、このブログでも「常陸国における源平合戦」シリーズを書いたが...

  • 12年前 ブログ開始

    2010年8月11日にブログ「まほらにふく風に乗って」を書き始めた。その2年前の2008年に勤めていた企業で定年を向かえ、そのまま仕事も継続はしていたがこれからの人生をどのように過ごしていこうかをいろいろ考えていた。今住んでいる「石岡」には妻の希望で、2006年に隣町から引っ越してきたのだったが、古くからの歴史がある町とはいっても、他所から来たものにはどこと活気が無く、おまつりではしゃいでいるだけの「一地方都市...

  • 37年前 日航機墜落

    8月12日のニュースで、日航ジャンボ機の墜落事故から37年という記事が目に入ってきた。もうあれから37年も経つというのだ。その事故当時の37年前に大卒で会社に入った人が来年60歳定年を迎えるのだという。坂本九さんがその飛行機に乗っていて亡くなり、御巣鷹山の山中で朝から救出が始まり4人の方が助かったが多くの乗客・乗員は助からなかった。テレビから映されたその惨状は眼を覆いたくなるものであった。私にとっても...

  • 77年前 終戦

    今年も原爆投下、終戦のあった昭和20年(1945年)8月の行事がやってきた。これは今から見ると77年前になる。また、その終戦のさらに77年前は明治維新である。2度とこんな戦争はしないと誓ったはずなのだが、最近は相手から攻撃される恐れがあった場合は、先制攻撃も出来るようにするとか、核を持っていなければ攻撃されるから持つべきだといった意見が今までになく大きくなっている。日本は神の国で選ばれた民族国家...

  • ひつじ草(池花池)

    小美玉市の石塚街道沿いにある池花池は冬場は白鳥が来る事で知られていますが、もう一つ琵琶湖周航の歌でも知られる「ひつじ草」が池いっぱいに広がって咲くことでも知られています。名前の通り「ひつじ刻」頃に花が咲くというので、午後2時には少し早かったが、昼過ぎに近くを通ったので立ち寄りました。たしかに睡蓮に似た葉と花ですが、可憐に咲いていました。ただ、思っていたよりは花は少なめでした。もう少し一面に咲くに...

  • 石神遺跡(環状列石?)

    行方市沖洲の山側に縄文時代の環状列石遺跡に似ているとされる「石神遺跡」があります。行方市の文化財の案内にあり、少し興味を持ってその示されていた住所を訪ねてみました。しかし、書かれていた住所の最終番地はナビで表示されておらず、近くを探したのですが、近くは沖洲藝術村の奥で、宅地開発されて造成されている感じでした。もっとも造成と言ってもかなり前で、今では住んでおられる人も少なめで、草木が生茂っている場...

  • 小幡観音寺(行方市)

    行方(なめがた)市も結構広い。この行方の名前の由来も分っているようでわかっていない。常陸国風土記にはヤマトタケルの話として説明はある。まあ、でもこれはあまりあてにならない。さて、今回はこの行方市の古くからあるお寺だが、あまり話題に上ることがない気になるお寺を訪ねてみた。前にも訪れた事はあるのだが、どうも場所があまり通る事がないところなのではっきりしない。近くに「要(かなめ)」という道路が集まる場...

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