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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
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2011/04/26

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  • 鹿嶋明神の事

    鎌倉時代にまとめられた説話集「撰集抄」(せんじゅうしょう)に鹿島神宮の事が書かれていましたので紹介しておきます。撰集抄は西行法師に仮託されて書かれている説話集で、作者は不明です。 巻7第13話(73) 鹿嶋明神事 原文は ⇒ やたがらすナビ (参照) 治承(1177~1181年)のころ、常陸鹿島の明神(鹿島神宮)にお参りすると、神宮の造りは南向きになっており、その前は海で、後ろは山である。社や瓦屋根が並び、廻廊...

  • 筑波山をぐるっと

    先日天気も良くて、車でちょこっと筑波山まわりを一回りしてきました。 石岡市八郷地区側から見た筑波山は、手前の女体山の一つ頂上の山に見えます。石岡市根小屋の県畜産センター付近つくば市小和田 国道125号線北条大池手前。こちらからは女体・男体の二峰が離れて見えます。国道125号から県道14号(筑西つくば線)に入ると、女体山が隠れて男体山のみが見えてきます。わんわんランド付近筑波山のすそ野を廻るように真...

  • 西蓮寺の大銀杏

    11月26日に行方市の西蓮寺に立ち寄りました。ここの大銀杏の黄葉は毎年12月始め頃ですのでまだ早いのですが様子を見ておきたくなったためです。樹齢1000年以上ともいわれる大銀杏ですが、紅葉にはまだ早かったようです。まだ青々とした元気な葉を繁らせていました。...

  • 六の宮の姫君

    芥川龍之介が今昔物語集を題材にいくつもの短編小説を書いています。羅生門、芋がゆ、鼻などが有名ですが、その中に「六の宮の姫君」という話しが有ります。この中に、都に残した姫君と遠く離れた陸奥守(仙台・多賀城)、常陸守(介)として赴任する父親について一緒に現地へ行った男の話が語られています。物悲しい話ですが、当時の様子を少し垣間見れるような気がしましたので、ここに載せておきます。芥川龍之介 六の宮の姫...

  • 平維叙(貞盛の子)の話

    今昔物語の中に平貞盛の嫡子「平維叙(これのぶ)」の話が載っていますので紹介しましょう。平将門を倒し、朝廷から褒美をたくさんもらったと言われる平貞盛は国香の嫡男であり桓武平氏の棟梁です。常陸の国にいると、この貞盛の弟・繁盛の子供である「維幹(これもと)」が貞盛の養子となり、常陸国の平氏の長として大掾氏が誕生しますが、貞盛の直接の嫡子とされる維叙(これのぶ)はいったいどのような人物だったのでしょう。...

  • 多気大夫(平惟幹)が事

    常陸国の大掾氏(だいじょうし)は関東にやってきた桓武天皇系列の平氏の一族です。平将門の乱を平定したとされるのは藤原秀郷(俵藤太)と平国香の長男の平貞盛の二人で、共に朝廷よりたくさんの褒章として東国の土地などを与えられることになります。そこで貞盛は自分の血族の人たちの多くから養子をうけいれ、これらの土地の管理を任せることにしたようです。常陸国では源護から譲り受けた大掾職は護の娘婿の平国香に渡り、国...

  • 相撲人成村の事

    平安時代中期の頃、常陸国出身の相撲人真髪成村(まかみなりむら)という男がいた。この成村の話が、今昔物語集と宇治拾遺物語に書かれている。永観2年(984)相撲の節会(せちえ)で左の最手(ほて:現在の横綱)となり,右の最手海恒世(あまのつねよ)と死闘をくりひろげたという。当時の相撲取りがどのような扱いを受けていたか詳しくはわからないが、なかなか興味深い。相撲節会(せちえ)飛鳥時代から相撲は存在したが、奈良時代の...

  • 平忠常の乱

    前回多気太夫こと平維幹が宇治拾遺物語に登場している話を書きましたが、今回は「今昔物語」に、将門の乱からおよそ100年後に起きた「忠常の乱」の話があり、この平維幹が登場します。紹介しておきましょう。平維幹(多気太夫)は平忠常と利権をめぐって抗争しており、忠恒(忠常)は惟基(維幹)のことを「惟基ハ先祖ノ敵也」と述べています。これは忠常の母は将門の娘であるといわれており、父方は千葉氏の祖と言われた平良文...

  • 潮来・津軽河岸は新観光拠点となるか?

    江戸時代になり東北方面からの物資の輸送には水戸側から涸沼に船で入り、一部陸路や小河川などを経由して北浦から鹿島の大船津から前川を通って、潮来地区の河岸にいったん荷下ろし、保管をして、高瀬舟などに荷を積みなおして、江戸まで利根川などを使って江戸まで荷物を船で輸送していました。これは、家康が利根川を銚子の方と結び、江戸での洪水防止を兼ねて船で関東や東北地方からの輸送を行う大輸送ルートを開拓したもので...

  • 猿を飼う、常陸国多珂郡の上人

    北茨城方面は猿に対する伝承や昔話も多いので、過去の文献などを探していたところ見つかった話があり、ここに残しておく。鎌倉時代に書かれた説話集の「古今著聞集 巻第二十 魚虫禽獣第三十の698話」を取り上げます。698 近ごろ常陸国多珂の郡に一人の上人ありけり大きなる猿を飼ひけり<現代語訳(解説)> 近ごろ、常陸国多珂(たか)郡に一人の上人がおりました。その上人は大きなる猿を飼っていました。この上人は、お経の...

  • 秋の陽に誘われて

    今日は朝外を見たら深い霧が一面に広がっていました。昨日までの寒気が緩んで今日は暖かくなりそう。今日はゴロ合わせで「いい夫婦(1122)の日だとか・・・・まああまりこんな記念日に気持ちも動かないが、久しぶりの晴天気になりそうだったので、近くの紅葉具合を見に筑波山周り巡ってきました。石岡からはフルーツラインで朝日トンネルを抜けて土浦市側に出て、小町の里から見学スタートです。小町の里には時々風の会の会報を...

  • 常陸国で地蔵菩薩の化身に会う

    今昔物語集から地蔵菩薩説話を。京より生身の地蔵に会うことを願いながら、方々を訪ね歩きながら常陸国にやって来てやっと願いがかなった話です。やはり都から見れば、東の端の国である常陸国は遠い国だったのでしょう。遠い国まで願いを持ちながら旅する僧侶の思いが伝ってきます。 巻十七第1話 地蔵の化身に会った話 原文はこちらを参照 ⇒ やたがらすナビ<現代語訳(解説)>今は昔、西方の京に住む僧がありました。たい...

  • 常陸国の男、心を発して山に入る

    松浦静山の甲子夜話はひとまず終りにして、過去の色々な文献資料を探してみましょう。今回は「閑居友(かんきょのとも)」という、鎌倉時代初期の承久 4年(1222年)春成立とされる説話集です。原本は仮名文で書かれており、上21話、下11話の 2巻全32話からなり、無名の人や女性などが発心して仏道に適う話しが主体です。その中から 閑居友 上巻 第14話 常陸国の男、心を発して山に入る事 中ごろ、常陸国に言う程の価値も...

  • 新庄越州の話、大番頭・将門祟り

    常陸麻生藩は新庄氏が江戸時代の殆どを治めていましたが、松浦静山公は麻生藩11代直規(1772-1802)、12代直計(1803-1845)の2代に渡って親しくしていたようです。甲子夜話の表現では越州、駿州などと役職での呼び名で書かれていて、現代の感覚では理解しがたい面があります。新庄直規(なおかず)の役職は「備前守」で、新庄直計(なおかず)は「駿河守」です。藩主は江戸屋敷にいて常陸国などにはあまりこなかったよう...

  • 間宮林蔵

    今回も甲子夜話から間宮林蔵の話です。間宮林蔵は常陸国筑波郡上平柳村(現在の茨城県つくばみらい市上平柳)の農家の生まれです。 続編巻之五十六 【7】 間宮林蔵 官の小吏の中に、間宮林蔵と云し者あり。予一見したく思ふこと有りて尋ぬるに、是まで値(あ)はざりき。斯人嚮(あき)に蝦夷地に事ありしとき、蝦夷の極に至り、満州の境を踰(こ)へ、清人にも接語せしと聞く。頃ろ或人に聞くに、林蔵は常陸の人にて、先年蝦...

  • 上総屋今助

    常陸国久慈郡亀作村の農家の生まれで、江戸に出て蔵前の札差に立身出世した、「上総屋今助」こと「大久保今助」(正しくは伊麻助)の記事(甲子夜話)ですが、ここにも書かれている通り、世の中の評判は良い人・悪い人が半々と別れていたようです。ただ、静山公も実際に会っており、その人物と接し、その人物評をしています。ヤクザまがいの男が江戸で成功して大富豪となり、水戸藩に多大な献金をして勘定奉行までつとめ、水戸藩...

  • 銚子浦の事

    今回も松浦静山公の甲子夜話から拾っています。千葉県銚子は常陸国ではなく下総国でしたが、この書物ではたびたび常陸とか常州と書かれていますので、ここに加えておきます。今回はアシカ島、銚子浦(利根川河口部)の記述内容を取り上げます。現在の銚子は江戸時代の利根川東遷事業などで、現在の利根川河口に銚子漁港ができて、江戸に魚などを運ぶ水運で発展してきました。しかし最初に漁港が出来たのは「外川(とかわ)」の方で...

  • メッポウ嶋

    甲子夜話で常陸沖、銚子沖での鯨猟の異国船の話は前に紹介した。今回は常州銚子沖合はるか遠いところに在る「メッポウ島」の話を紹介します。でも実はこの島はジョン万次郎が最初に漂流して100日以上滞在してアメリカの捕鯨船に助けらえたという「鳥島」ではないかと思われるのです。先ずは甲子夜話の記事から紹介しましょう。 続編巻之七 【22】 メッポウ島 或人云ふ。近き頃、伊豆の沖なる無人島に漂流して数年在りし人...

  • 石塔磨の怪事

    甲子夜話に常州下館周辺(古河、関宿、小山、結城など)で、多くの寺の石塔が一夜にしてたくさん磨かれるという怪事が発生した。その原因を探ろうと見張るが、音はすれど姿は見えないうちに次々と石塔が磨かれたのであった。また続編巻之五十五には墓や塔を磨く人物がいることも載っています。千塔磨けば祈願が成就するなどという話しも各地に伝わり墓を磨いて銘字に金朱を施したりも各地であったようです。(続編巻55の1,2,5...

  • 鶴、雷に撃たれ死ぬ(常陸太田)

    以前の豆知識(5)に書いたが、常陸太田藩という藩は正式には存在していないが、水戸藩家老の中山備州が高萩(松岡)から城を常陸太田に移して「常陸太田藩」と呼ばれた時期があった。これは1707年~1803年の約100年間で甲子夜話が書かれた頃は松岡に城を戻していた。しかし、この中山備州(備前守)の常陸太田での話が載っていたのでここにも記載して残しておきたいと思う。巻之10 〔23 〕 凶兆信ず可からざる事 奇...

  • 西山荘

    松浦静山は水戸公とはかなり親しかったようで、甲子夜話には特に水戸光圀公(黄門)に関する記事もよく出てきます。今回は光圀が隠居して住まいとした西山荘(常陸太田)について書かれている内容を紹介したいと思います。 三篇巻之四 【1】 水戸義公西山御隠栖之事〔運河弥話〕并記 この頃(甲午四月:1835年)故ありて、水戸侯の同朋運阿弥(同朋は芸術などを将軍や藩主などに世話をする朋:運阿弥は小方運阿弥か?)に...

  • 常陸海上異国船

    甲子夜話などによると常州は常陸のみではなく房総半島の先の方、北総や銚子辺りも「常州」とか「常陸」などと書かれています。この銚子沖から常陸沖には鯨の油を採る異国船がかなり頻繁に来ていた様子がわかります。ここでは常陸沖と銚子沖の異国船の話を4話載せます。なお、甲子夜話の記載は平凡社の東洋文庫の記載を採用しています。原文からはカタカナをひらがなにしたり、読みやすく訂正されていますが、原文に近くなったもの...

  • 旗桜寺の桜

    甲子夜話より続きます。今回は常陸太田の瑞竜町にある「旗桜寺(せいおうじ)跡の桜」が紹介されている記事です。この瑞竜町には水戸徳川家墓所(国指定史跡)があります。ここには水戸德川家の歴代当主とその夫人、一族が眠る約200基の墓が広大な敷地にあります。見学は可能ですが予約が必要です。その同じ瑞竜町にある桜の古木の話です。甲子夜話 巻之六十 【10】 旗桜寺の桜 南道和尚行脚のとき見たる迚(とて)話す。八幡...

  • 鹿嶋松

    甲子夜話に鹿島神宮及び周辺で『鹿島の七不思議』の一つと言われる「根上がりの松」の話が載っています。一般には「根上がり松」と呼ばれる松の木は、根が地表から上に出ている松で、日本各地にあります。しかし、鹿島の「根上がりの松」は違い、「鹿島山および高天原に生える松は、すべて伐り株より芽が出てくることから、幾度伐っても枯れないといわれています」と書かれています。また七不思議にはもう一つ鹿島の松が載っていま...

  • ウキキ(マンボウ)

    今回も静山公の甲子夜話より記録を残します。巻之三十五 〈23〉 ウキゝ (大魚の名) 東海のウキゝと云る魚は、未だ形を見ることも無りしが、辛亥の東覲中、長崎の宿老徳見茂四郎も東来して予が邸を訪ひ、水戸侯へ参りてこれを食したると語り。又その臣に請て真図を得たりとて示す。予即其図を写す〔小記を附す〕。ウキゝ本性の文字なし。故に献上にも仮名にて認(したため)上る也。魚の大きさ弐間四方、或は三四間余りも有り...

  • 潮来の藤花の事

    今回も甲子夜話から一つ抜粋します。潮来の藤の話です。三篇の終りの方ですので静山公も晩年の頃(1841年8月没)の話でしょう。三篇 巻之七十五 〔8〕 潮来曲、潮来の藤花、鹿嶋神社の藤花の事都下に云触(ふら)す。潮来曲(ぶし)と云うは、常陸国行方郡潮来村の游女が歌ふ曲(ふし)なり。又聞。此処の藤花は、殊に長ふして能く垂ると。因て一両年前、彼地に識人有て、小枝を求て園中の池畔に植置しが、稍長じて今春は盛花...

  • 常州太田の山猫話

    松浦静山公の甲子夜話からまた一つ巻之ニ十 〈22〉 山猫の事 故中山備州の領邑常州の太田にあり。備州一年邑に行しとき、鳥銃を持て邑中を猟あるきしが、一朝、山間の経路を上るに、向一夫の息を切(きらし)て走来るあり。近付(ちかづき)て何ごととぞと尋(たづぬ)れば、山猫跡より追来れば逃去ると云ながら走り行く。外に同行の人ありやと問へば無(なし)と答ふ。其うちはや犬より大なる猫の、毛色紫なるが牙を露(あら...

  • 常州谷田辺のろくろ首の話(江戸瓦版)

    江戸時代後期に書かれた甲子夜話には松浦静山公が晩年の20年間にわたって毎日書き続けた数千にものぼる話が載っている。その中から常陸の奇妙な話が載っているので紹介しておこう。甲子夜話続編 巻之22 〔12〕 常州奇病概要は以下の通り 家の中にいると、外の通りを大きな声で何か瓦版を売りあるく者がいたので、従者に言ってその瓦版を買い求めた。そこに書かれていたのは 「常陸国の利根川に沿った谷田辺村(現つくば...

  • 文正長者(角折浜)

    豆知識3回目は鹿島灘の塩汲みから長者となり都で貴族に出世した文正長者のお話です。鹿島灘沿いに「大野潮騒はまなす公園」という大きな公園があります。最寄り駅は少し前まで、日本で一番長い駅名としても知られた鹿島臨海鉄道「長者が浜潮騒はまなす公園前」(かな22文字)駅です。まあ、東日本のハマナスが咲く南限とも言われていますが、このすぐ鹿島灘海岸は「角折(つのおれ)」と呼ばれる地名であり、常陸国風土記にそ...

  • 常陸国と陸奥国の境「焼山の関所」

    豆知識の2回目はやはり今昔物語からの豆知識です。久慈川に沿って水郡線と並行して国道118号線が上小川駅(大子の1つ手前)の少し手前で久慈川が小さく輪を書くように蛇行し、線路と国道が川を横切るように橋と鉄橋が並んでいる場所があります。このあたりは「頃藤」と呼ばれていますが、川を渡る手前の山の上に中世は頃藤城とよばれた佐竹派(小川氏)の城がありました。あまり知られていませんが、佐竹氏が南方三十三館虐殺の...

  • 常陸国の豆知識(1) 巨人女の死体漂着

    過去の文献などに記載されている常陸国にかかわる記事などから、少し気になる記事をいくつか気が付いた時にここに紹介していきたいと思います。時代は古代から近代まで、ジャンルもバラバラになりますが備忘録的に残したいものを順不同でUPしていきます。 最初は平安時代に常陸の海岸に巨人女の死体が打ちあげられた話です。常陸国風土記には那賀郡のところに、大男の伝承が書かれています。いわゆるダイダラボッチなどと云わ...

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