〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇神は愛に徹底される。〇しずかに神をおもう。神は愛そのもの
〇言葉をすべてにせずに、沈黙という余白をおきなさい。そうすれば、その人のありのままの愛のすがたがあらわれてくるものだ。沈黙することでありのままの愛のすがたが
〇光を送り、光に結ぶためにみんな生きているのだ。光を送り光に結ぶ
〇自然の児というのは、野生児ということではない。神の愛を受けて、自然と人の中にあそぶ人間を指すのだ。自然の児とは
〇山川草木、生きとし生けるものの生命に思いを致す時、自分が自然の児であることがわかる。私たちは自然の児
〇この世で、どんなに不平等にみえても、神の世界では、みんな愛の衣を着ています。神の世界はみな平等
〇業想念を放つのは祈りしかありません。祈り以外にない
〇いのちに一区切りというものはありません。いのちはずっと続いている
〇我々のおもいをなるべく神にむけましょう。おもいを神にむけよう
〇人間が祈るのではありません。霊止が祈るのです。霊止(ひと)が祈る
〇祈りがすべて、肉体が痛む時も霊体が祈っています。祈りがすべて
〇かといって、いたずらな妥協をゆるしているのではありません。一人一人の生命の流れをさまたげるなということです。生命の流れをさまたげないように
〇なるべくやわらかにものをいうようにしなさい。人間関係をまるくすれば、神様も光を入れやすくなるのです。なるべくやわらかな言い方を
〇神界ではみんな一つになっている。男も女もない、霊も肉もない。そこを超えて神様と一つになっているのです。神界では…
〇何でも心を遊ばせなくちゃあ、まじめ一方では息がつまってしまう。まじめ一方では息がつまる
〇こことおもえば、またあちらという言葉があるけれど、本当に神の働きというものは自由自在よ。神の働きというもの
〇自分は駄目だとおもいすぎないように。神様がよいように使って下さるのだから。自分を神様がよいように使って下さる
〇天使というのは一人一人をまもっている神の使いだけれど、みなさんは、地上での神の使徒なのだよ。神の使徒
〇子どもの心というものはいいね。何故大人になると、みんな変になってしまうんだろう。子どもの心大人の心
〇おもいを神にむけなさい。それはやがて祈りとなって光の階段をのぼってゆく。おもいを神にむけよう
〇愛しても愛しても神の愛には足りない。愛しても愛しても
〇見かけだけで判断してはいけない。心が大切なのだ。心が大切
〇肉体は弱っても、心がかがやいていることは多い。肉体は弱っても
〇心くばりは必要だけれど、余計な心配、おもいすぎの心は肉体を弱めるだけである。余計な心配は肉体を弱めるだけ
〇気持ちをひらく祈りというものが現代には必要です。気持ちをひらく祈り
〇たゆみなき統一行が世界平和の祈りです。たゆみなき統一行
〇天界ははるかかなたにあるものではなく、ごくありふれた、日常を楽しくすごす皆さんの楽しさの中にあるものです。天界は楽しさの中にある
〇ほがらかな心、ほがらかな空気こそ天界のものです。ほがらかさは天界のもの
〇何事もさらさらと流してゆけたらその時、私たちは肉の身のまま、天界の住人なのです。何事もさらさらと流してゆけたら
〇信仰は肩に力を入れるものではありません。まして、年数などは何ら関係ありません。どれだけ、神にすなおになるかということだけをみられるのです。どれだけ神にすなおになるか
〇人間は神のひながた、神の愛そのもの。時がそれを忘れさせた。本来人間は神のひながた
〇すべてのものは神から生まれる。すべては神から
〇無とは統一にもとらわれない心。無とは何ものにもとらわれない
〇何も語らなくても、神の愛にあふれている人がいる。何も語らなくても…
〇走ろうとしないで、歩幅に合わせて歩きなさい。歩幅に合わせて歩きなさい
〇 しばらく目を閉じて神様をよんでごらん。心がおちつくから。目を閉じて神様をよんでごらん
〇適当にやすむことは必要です。それでないと息切れしてしまう。適当にやすみましょう
〇祈りは愛、神のこころ。祈りというもの
〇明るくあろうと努力する内に、心の灯がともってきます。明るくね
〇瞬間瞬間に新しくされているのが、私たちの生命なのです。生命は瞬間瞬間新たに
〇神のみこころ深いところまで、天命はつづいているのです。天命はつづく
〇想いを光にかえるのは神様。神様がなさること
〇荷を軽くすることは、怠けることではありません。荷物を軽くしよう
〇進歩を人間に合わせるな、そうすると楽になる。進歩と人間を合わせないで
〇空念仏ということはない。すべて神にとどいている。念仏は神にとどいている
〇自分をなくそうとあせらずに、相手の天命を祈りなさい。相手の天命を祈ろう
〇自分を祈りの中に放り込みなさい。そうすると、かなしさも寂しさも神様が引き取って下さる。祈りの中に入り込もう
〇一休み。魂の休息は神様。一休み
〇神さまへのチャンネルは無限。神さまへのチャンネルは
〇神がすべてを抱きとって下さる。すべて神におまかせ
〇無という言葉にとらわれず、雑念のままでいいから統一をしなさい。雑念のままでいいから
〇人間の自意識というものを消せば、すべてがなくなるとおもっている人が多い。けれど本当は、生命が活きるのだ。自意識を消そう
〇おこなうこと、おこなおうとおもわずにおこなうこと。じねんほうににおこなう
〇人につくすという言葉よりも、無言の行いを神はみられる。無言の行いを
〇人間の一生は70年や80年ではない。永遠につづくのだ。人間の一生は
〇光の進軍を誰もとめることは出来ないすべてが過ぎ去っても神の愛は辺りをおおって新しいいのちを生み出してゆく何にもとらわれない何の影をもとらえない光となって愛は私たちをつつむのです愛が新しい生命を生まなければこの世界はあらためられません生命の意志はすなおに光を生むものです闇はその時、世界の外にあり人はほほえみを絶やすことがないでしょう光の進軍はそのまま光の本流となって辺りをおおうのです光の進軍は光の本流となって
〇天の親と地の親の愛、さらに、そのおおもとの神様の愛。 天の親と地の親そして大神様の愛
〇眠っている時にさえ、守護霊守護神は、一人一人のいのちを、生き生きさせるために働いている。四六時中働いている
〇どんな時でも、みんな神の愛のなかにいるのだ。いつも神の愛のなか
〇すべての想念を正しくつかわれるのが、神様。神は想念を正しくつかわれる
〇神さまのわざは、技巧を超えた世界である。神さまのわざ
〇愛はとどまることがない。〇神の愛を説明するのに千万言をついやすより、ただ相手の手をにぎってあげた方が、こころが伝わるときがある。千万言をついやすより…
〇言葉を出そうとせずに、相手を愛をもって見てあげなさい。愛をもって見てあげよう
〇祈りがすべての原点。まず祈りから
〇神の声とか、霊の声にまどわされないように、そんなものがきこえなくても、神様は使われる時にはつかって下さる。神の声霊の声にまどわされないように
〇祈っている時、人は光になる。光になる
〇すべての人は神の器なのだ。ただ働きの場所がことなるだけである。宗教家だけが、神にちかいなどと思い上がってはいけない。〇私は神のしもべ。すべての人は神の器
〇謙虚はいい。しかし過ぎてはいけない。謙虚もほどほどに
〇そのままで、私をよびなさい。飾らずにそのままで
〇神に任せたこころはよろこびにあふれている。お任せのこころは
〇何が善で何が悪であるかという区別は人間界だけのものである。神様にはただ光があるだけだ。神様にはただ光があるだけ
〇神へのおもいを競わずにいなさい。神様からみればみんな平等なのだ。神へのおもいを競わずに
〇真理を語るくちびるは、人の理性では計れない。真理は理性で計れない
〇おもいは人のもの。心は神の光。みんな光の一筋。みんな光の一筋
〇静かにものをおもうとき、神の心が流れ込んでくる。静かにものをおもう
〇怒りのなかに神はいない。怒りは消していただこう
〇どんな時にも責めてはいけない。どんな時にも
〇自分を放せ。〇言葉は言霊。いのちがこめられている。だから、一つ一つの言葉に礼拝しながら言葉を出すようにしなさい。言葉は言霊
〇人の眼からみれば不思議でも、神の眼からみれば、すべて愛念。人の眼神の眼
〇世界人類が平和でありますように─という祈り言は全宇宙が祈っている。全宇宙の祈り言
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
自由なこころ自由自在身これが人間の真実のすがたすべての枠もたがもなく神の愛をうけて光となって働くいのちすなおにほがらかにいのちを放射して天と地とをつないでゆくのがにんげんのすがた十字交差の大きく深い人と神との愛のかけ橋がやがて宇宙の星々の光と一つになって世界平和の祈りが天地にみちるときが来る昭和61年8月29日祈りが天地にみちるときが来る
私の仕事はみんなの本心を照らして本心がそのままに持っている光をかがやき出させること明るく無邪気でとらわれがない光そのもののこころこれが本心なのです本心は、何も特別な人のものじゃないこの世の生命を持って生まれてきた人間すべてが持っているものですただそれが今までの思いグセや業想念の波のなかでスッキリとかがやくことがむずかしくなっていっぱいほこりがついているあきらめや、悲観やねたみやそねみやそういう想念にとりまかれて光を出そうにもずいぶん苦しい状態になっているけれどこの光は消えることがない何故なら本心を照らしている光は神様の奥の奥から放射された愛という神の心なのですからこの神の心をそのまま肉体を持つ我々人間のこころにゆきわたらせて肉の身のまま霊人となることが早まるように私は生命を投げ出して世界平和の祈りを祈りつ...みんな大生命の源から分かれてきたいのち
世界平和の祈り言がこの地球世界からやがて宇宙に満ちて完全な平和がくることを私はみているのだ夢想でもなく理想でもないこれは事実なのだ来たるべき事実なのだ五井昌久いのり(2)
いのりは私の力私の真実誠をつくして人と神とにつくしぬいた場所しずかにいのるときやさしい神の光が私をつつむ人々の苦悶の声が一つ一つ薄らいでゆき守護の神霊にちからが満ちてゆくよろこび神様、あなたに感謝をしながら私はぬかずくのです五井昌久いのり(1)
神様への素直なおもい素直な愛が私たちをつよくつよく守ってくれるのです神様の世界には武器というものはありませんが神様の愛は光の武具でしょうそれは平和な世界をつくるための平和な心で生きるための何よりのまもりであります世界人類が平和でありますようにという祈り言のなかにはかぞえきれない神の愛と神霊の加護その働きが内在しているのです私たちが神様と呼びかけて神への愛をあきらかにし世界平和の祈りを唱える時神様の愛─無限の無限定の愛が私たちにそそがれるのですもっと本当のことをいえば私たちが神様をおもうも、おもわないもないずっと以前から私たちは神様に愛されているのですこの世の中は生きていくに従ってさまざまなことが起きています私たち一人一人もいくつかの波を受けてゆきましょうけれども辛くて辛くて声も出ない時でも神はあなたを守り...本心本体と一つになってゆこう
神様と一緒に歩いているとおもうとどんな時でも心強いものです実際、光はあふれにあふれて私たちのまわりをとりかこみ守っているのです愛念と言葉を出すけれど実際はおもいとおこないが肉体を超えた光になってあちこちととびかっているのです友だちが病気だ行ってあげたいけどゆけない神様おねがいしますとおもう時にはもうあなた自身が光になって友だちのベッドの所までとんでいっているのですこれが事実ですそして神様はこの地球や宇宙に生きる一人びとりに愛の光をなげかけてその生きとおしの生命を守りはたらきやすくして下さっているのです神のこころは愛だということを知りましょう自分のなかに愛の光がうずまいていて人を愛したがっているのだということを知りましょう私たちは神の愛のなかにとけ込む光の先達なのです昭和61年7月31日いつも神様と一緒
明るい道を歩くと心が和んで何かしらほっとしてくるというのは人間の人情です誰だって暗い所を歩きたくはない明るいこと明るいこととおもっているのだけれど世の中にも自分のまわりにも暗いことが多すぎて世の中に明るいことなんて本当はないんじゃないかしら先生、苦しいです辛いです五井先生、五井先生と私を呼ぶ声がきこえてきます私は一人一人に光を送りながら一人一人を抱きしめながら心に少しでもあかりがともってそしてそのあかりでよろこびをみつけられるようにと祈るのです祈れない程のかなしみをかかえている人にかわって私は一瞬一瞬を祈りつづけるのです世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様、守護神様ありがとうございます私がみんなのかなしみを引き受けているのだからかなしみは消えてゆく...任せるってことはのん気になること
(前日からの続き)霊のいのちに目覚めて本心が生き生きし出すと私たちは私たちのまわりの人の心の中に入っていってあいさつしてあかりを点すことが出来るのです自分のいのちととけ合ってゆくこれが自愛、他愛ということなのです自愛他愛これが人間の本来の姿です自分を本当に愛して本心をかがやかすことで霊のからだが目覚めてきます肉体の奥のおくの私たちを活きづかせている生命そのものにこうして私たちは出会うのです自分という人間がこの世だけに存在していると思う限り死ねば自分という人間は無になってしまうわけですが本来生き通しの光である我々は霊界にも神界にもその場を持って働いているというのが事実ですそれでなければ生命は今迄つづいてくる筈がないのです何のために生命がここまでつづいてきているかというとそれはこの宇宙をつくられた神様のみ心を...神様につながる道(5)
(前日からの続き)想いにしばられることくらい人間苦しいことはありません何の想いかというと自分の心の中から出てくる自分の評価への言葉や価値にとらわれるそういう想いをいうのです自分で自分を評価するでも、その太初(はじまり)は人の言葉であり人の評価ひらたくいえば人の眼ですいいものばかりなら気持ちがいいかも知れないけれどなかなかそう上手くはゆかなくていろいろな声がきこえてきますその声に敏感であればあるほど人間は人の想いを自分の想いにしてしまうこの想いにしばられるのが一番苦しいのです自分の心の中から出てくる声だと思ってもおもっても多くは人のおもい波に心を染めてそれに気付かずに苦しんでいる全くみていられないくらい苦しむ。何故こういうことになるかというとみんな自分の本当の家を忘れてしまっているからです昔々はるか古代の星...神様につながる道(4)
(前日からの続き)本来光である人間が光であることに気付かない永い時代がつづいて今七却目に入っています今光に立ちもどってそれぞれの天命を素直に祈るこれが私に与えられた神様からの至上命令だったのです私は天と地を光でつないで一人一人を神様にお渡しする役目なのです素直に神様と祈り世界人類が平和でありますようにと本来一人びとりがかって祈っていた祈りを私は、もう一度あなたがたに伝える役割を与えられたのですどうぞ素直に神様にむかって祈って下さいあなたが祈れない時は天から、私が、あなたに代わり祈っています(つづく)神様につながる道(3)
(前日からの続き)この世は光ですあなた自身も光の子ですけれども何も真理に対してあせる必要はありません神様は愛という光を照らして真理にみちびいて下さる方ですがそれは不動のものですからあせる必要はないのです愛がいつもそこにあるように神様も我々の親である光もかわらずひかりかがやいているからです自分に都合の悪いことや何かがバレたら困るという心これらすべてをやはり業と呼ぶのです業というのは善業もあれば悪業もある平たくいえば人間が心におもって何か一つをしたらすべてそれらは業今は悪いことばかりのように思われているけれどそんな言葉ではありませんただ逆に悪いおもいゴマ化しや恐れやそういう心を育てる種になるものをかりとってしまうということを神様は人々の業という言葉に対する思い込みを通じてなさるわけですおもうことおもってしまう...神様につながる道(2)
神様につながる道はそんなに考え込んだりむずかしく祈りをしたりそんなものではありません素直に自分のそのままを神様にぶつければいいのですかっこうをつけたりもったいぶって心にもないことを言ってみたりする人がいるけれどそれは神様から遠ざかるばかり何故なら神様っていうのは円満なのだから明るい素直な魂を送り出した方なのだから自分の子どもたちが辛がっていれば抱きしめて哭いて下さるし涙をふいて下さる方なのです涙をふいて下さりながらでも一人一人の行く道筋はちゃんと備えて下さっているそういう方なのですだから心の中に湧き上がってくる想いの一つ一つを辛がって神様すみませんとくり返す必要はないすみませんと一度いったら心にあかりをともして想いを放って明るく生きていけばいい何事にも素直素直素直そのままの姿で神様とお話することが神様とつ...神様につながる道(1)
光への道はいろいろな入り方があっても最後には一筋につながっているものですそれは丁度いろいろと性格もちがい育った所もちがう人たちが会えば笑顔を交わして通りすぎるそんな素朴なつながりに似ています笑顔を交わすということは深くは相手を識らなくてもほほえまずにはいられない人としての自然な心が湧き上がるからで光も光に気付いた以上人間が光を拒むことは出来ませんなぜなら光は愛であり光そのものだからです光という一粒の種が地におちれば拡がることはあっても決して世界をせまくすることはありません光は人の心におちてまずその人の心の中でその人に一番いいようにあかりをともしはじめますそれから徐々に心の内と外を照らして遂には宇宙にまで広がってゆくわけですいつの間にかやさしくなっている気持ちがおちついているというのは愛と祈りそのものの光の...光への道
私は一滴の水小さな流れの中に入り土をしめらせていつか一筋の河岸から海へと雪(そそ)ぐ生命という永遠へつながる大河にむかって人はみな歩みをやめることなく日々瞬々の光を受ける人間というものは本来円光のようにやさしく辺りを調和させているものなのだ自分でそれと気付かずに光をふりまいているそれが本来の人間の相(すがた)一筋の光も一滴の水も真理に照らされて存在する自由自在な私のこころのなかに一滴の水となり一筋の光となるよろこびがあふれてくる一筋の光となって
神への道は遠い道ではありませんただ心を素直に悲しい時は悲しいままに神を呼べば神様はあなたの涙の中にいるのです流れる涙の一滴一滴に想いを入れてそれを生命(いのち)の河に流す・・・だれも気付かない内にちゃんと道は備えられているその人にふさわしい道を神様はご存知です涙の中で私を呼びなさいというささやきに心を留めて道を歩く時いつか青空が自分にほほえみを投げていることに気付くでしょう悲しみも悲しみをいやす暖かな陽の光もどれほど私たちの心と魂に必要であるかを神様は御存知ですなぜならすべてのものは愛から生まれ出たものだから悲しみだけを与えるなどという不公平なことを神はしない悲しみはその人が次に登るべき階段を目の前にして実は上がりやすいように備えられたものなのです悲しみ悩むことで人間は次に進むための覚悟を与えられますたと...友への短信
序文人間というものはやっ介なもので、一日の内にでもさまざまな感情の波にとらわれます。寂しい、切ない、かなしい、うれしい・・・。うれしさはまだしも、切なさや寂しさの波(想念波動)の中に入り切ってしまうと、なかなか明るいことを思えないが、何百生、何千生と過ごす内に、人間の心(本来心)の中に喰い込み、いつの間にか主人の椅子にすわってしまうのが、業想念波動のもとであります。それでは、さまざまな感情は意味なく与えられているのかというと、これは実は、(個々の)魂の発展のために与えられたものなのであります。神の愛を証するこの書の序として、まずこれだけのことを述べておきましょう。五井昌久神のこころ序
(前日からの続き)人というのはね、見える人も聞こえる人も感じる人もいろいろあるけれども、いろいろな能力をもってればもってる程、不自由ですよ、逆にね。ちょっと持っちゃうとね、把われちゃって、大変なことになるんだけども、そういうものは全部、必要があるからこそ見させる、聞こえさせるものでね。そんなものは、生命に全然関わりがない。永世の生き通しの生命というものは、見えるとか聞こえるとか、どんな才能があるかないかとか、お金も地位も、何にも役に立たない。ただ素直な生命になる。それだけでしょ。神様に素直になる。それだけですよ。そこへ目指してゆくんですからね。そこが大目的だから、そこへ向かって、我々いろんな想いを抱いたままでいいから、お願いしますといって統一に入っちゃうと、いつの間にか気持ちが良くなって、何だか訳わからな...統一ということ(4)
(前日からの続き)キリスト教だろうと仏教だろうと、白光真宏会だろうと何だろうとね、みんなそうなんですけどね。我々は、世界人類が平和でありますようにという、神様のひびきから出たこの大光明の言葉によって、祈りによって、愛深くならせたまえというその祈りを、この言葉の中に深く感じとって、そして祈っていく訳です。我々はこれを梯子にする訳です。エレベーターにする訳です。だから、統一というのはね、何も難しいことじゃないんです。ありのままの自分自身をそのまま持って来られていいんですよ。病んでいれば病んでいるまま、疲れていれば疲れているまま、言葉が出なきゃあ、それでいいんです。別に守護霊さんや守護神さんもいるんだしね。あなた一人だったら大変だけど、その人たちが助けてくれるんだし、五井先生もいるんだし、皆いるんだから。私がし...統一ということ(3)
(前日からの続き)禅をやってる坊さんたちでも同じことです。自分の中に仏がいるんだというとね、皆自力本願になっちゃって、何か傲慢無礼のように思いますけれどねえ。あれだって一つの真理でしてね、自分の中に仏がいるんだってことは、自分は小宇宙なんだということと一緒なんです。その宇宙というものを自覚して、その宇宙の広がりといいますか、もっと言葉をやさしく言えば、自分がその神様からいただいている宇宙の光でもって、皆さんに少しでもやわらいでいただくということ。例えば、自分の笑顔とか、あるいは、自分の作った料理を食べてもらって喜んでもらうとか、そういう、要するに人に仕えるということ、奉仕ということなんです。奉仕というものは、ただお金を出すとか、何十万何百万献金するとか、そういうことではないんです。霊妙なやさしい愛の波動で...統一ということ(2)
統一会や祈りの会とか、支部でも集会でも、今ではWPPMもありますしね(当時)。世界中に世界平和の祈りが広がっていって、だんだん大がかりになっていってる。統一ということも、なかなか難しい。本質を言えば非常に難しいんですね。けれどもまた、あんまり難しく考えすぎてもね、統一というものの姿が見えなくなっていくということはありますね。統一ということは何かというと、言葉は何でもいいんですが、神様に寄りそって神様を呼んで、そうして、神様の愛と一体になっていくということですね。言葉で言うと非常に難しいんだけれども。さっき申しましたように、私の柏手とか口笛とか印だとかいうもので、流れというものを引き出すといいますかしらね。皆様が、私に唱和して、世界人類が平和でありますようにと祈って下さる。その瞬間から、皆様の中の神の子とし...統一ということ(1)