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わだつみの華 https://blog.goo.ne.jp/wadatsumihirohime

あなたの心のなかを、ここちよい風が吹き抜けますように。

ライフスタイルブログ / 感謝と祈りの暮らし

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wadatsumi−hirohime
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2010/05/20

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  • 光満ちた世界(5)

    (前日からの続き)神様というのは、あなた方がお呼びになれば、あなた方のすぐそばへ来て下さる。守護の神霊たちは、お呼びになればすぐ来て下さる。そして、寄り添って下さる。目には見えないかもわからない。けれども、祈りの中に神様を呼べば、あるいは、五井先生を呼んでもですね、すぐあなた方のそばに行ってあなた方を守り、あなた方を支えて、そうして、光へ光へ、明るい方へ明るい方へ導いてゆく。で、ここを根幹といたしませんことには、闇と見えるものを闇と見まちがえてしまいます。思いまちがって、憂い辛い世の中のこの表面の現象面のことだけに把われてしまって、自分も憂い辛いそのうずに巻き込まれてしまいます。けれども、本当に強いやさしい真実の光の世界というものは、そういうものにのみ込まれないものであります。そういうものに引きずられない...光満ちた世界(5)

  • 光満ちた世界(4)

    (前日からの続き)荘子に逍遙遊篇(しょうようゆうへん)というのがございます。逍遙遊篇というのは何かというと、ご存じの方もあるかもわかりませんけれども、つまり、大鳥鳳凰というのがあって、鳳凰(ほうおう)のあの大きな鳥が天空をかけ巡ってゆく、その姿の壮大なこと、それを最初にうたっております。そうして、鳳凰というのは元を正せば、北の方に大きな海があって、そこにこんという大きな魚がいて、その大きなこんという魚が鳳凰になったんだというふうに、冒頭に書いてあります。で、後の注釈者などは、これは何を言っているのかよく分からない。非常に混沌として、大魚が出てきたり、鳳凰が出てきたり、なんだか気宇壮大ではあるけれども、それ以上何を言おうとしているのか、非常に空想的な物語であると、たいがいの人がそういうことを申します。けれど...光満ちた世界(4)

  • 光満ちた世界(3)

    (前日からの続き)本当の真実の姿というのは、それでは何かといえば、それはどんな時にも動かされない、どんな時にも迷うことがない、疑う余地のない神様の愛の光というもの。例えば、どんな業の中にあっても、その業をゆるやかに、愛情をもって消してゆきながら、ついに、その業の闇をも光に変えてゆく、そういう大愛。それが真実の光の世界であります。で、この真実の光の世界というものを、実は私たちはそれぞれの心の中にもっておりまして、本当はこれが原動力になって私たちが生きてゆくことができるということであります。ですから、そこへずっと気持ちを集中し心を集中し、祈りを集中してゆけばですね、いつも私が申しましたけど、一分キリスト一分釈迦一分老子になることができる。老子が無為と申しましたのは、何もしないということではありません。あるがま...光満ちた世界(3)

  • 光満ちた世界(2)

    (前日からの続き)本当に信心深いということはどういうことかとよく聞かれますけれど、本当に信心深いということは、ただひたすら神様と一体になっていて、そして、神がかりになるというんじゃなく、ちゃんと自分を持ち、その上で何かひたすらに打ち込んで、喜んで、動いている。語っている、働いている。その時に、信仰というか信心というか、そういうものが動いてゆく。と私は思います。そのあたりが、我々の肉体を本当に動かしてゆくもんである。ところが何か信仰といいますとね、遠く離れたもののような、あるいは、神様や仏様というものも遠く離れたもののような、光明とか何とかいいますけれども、それも何か自分からは遠く離れたもののような、そういう気持ちに皆なりがちですけれども、そうではないんですね。あなた方も一人一人が皆光なんです。そうして、そ...光満ちた世界(2)

  • 光満ちた世界(1)

    こうやって壇上から見ていますと、本当に光が満ちておりましてね。皆さんの体からも心からも、それから、気持ちの流れからもね、本心からも、ありとあらゆるところから光が出ていて、そうして、お互いの体とか心だけじゃなくて、光がお互いに呼び合って、大光明になって内も外も浄めてゆく。そういう情景が私の方から見えます。本当は、人間のその見える見えないということなどは些細なことでしてね、ささやかなことで。光というものはとにかくあるんだということ、光のいのちによって我々は生きているんだということ、そのことが一番大事なことなのであります。光のいのちというのは何かというと、これは神様のいのちだ。神様というのは何かというと、これは愛と平和とゆるしの源だ。愛と平和とゆるしというものが我々の生命の根幹にもなっているし、大宇宙の秩序にも...光満ちた世界(1)

  • 業を浄める(8)

    (前日からの続き)何も無理なこととか、あなた方の分相応以上のことを突然やらせようなんてことは誰も思わない。だけども、あなた方がこれが私の分相応だとか、これ以上私はできないとか思ってるその枠というものを、神様というのは守護の神霊というのは取っぱらってね、本当の人間というものはそんなちっぽけなもんじゃないよ、あなた方の中にも本当の人間が息づいているんだよということを知らせよう知らせようとしている。だから一番いいのは、私は何もできないけれど、神様がさせて下さるんだったら私はやりましょうという、そういう心ですよ。そういう心でもって、皆で和顔愛語でやってかないと。神様の言葉だからといって、しかめっ面でやっていっちゃあ駄目。和顔愛語なんです。いろんな人がいるんですから。いろんな人の悲しみがあり悩みがあり苦しみがあるで...業を浄める(8)

  • 業を浄める(7)

    (前日からの続き)我々は滅びのない生命へ向かうために祈りをやっている。その滅びのない生命というのは、ただ我々だけが助かろうとか、我々だけの神様であって欲しいとか、愛念であって欲しいとか、そういう利己を求めての祈りではないわけです。我々の本来心というもの、本心の座というものね、そこへ深く信頼して、それが皆の生命の中に平等にあるということを思って、そして、その光のおもいを世界中にまくんだ結ぶんだという信仰でもって、この祈りをずっと続けていった時に、私たちのこの祈りというものは、ただ本当に光になって光明になってかけ巡るんです。だから、私よりもあの人の方が経験があるからとかね、そんなことは、神様から見たら問題じゃありません。あなた方の魂というのはだいたい古いんだからね。皆それ相応に古いんですよ。誰が特別古いとかい...業を浄める(7)

  • 業を浄める(6)

    (前日からの続き)五井先生なんかは、もう私もあなたもないし。私はね、本にも書いたけれど、いろんな人が来ますよ。そして、ひどいのになると、先生、受験を受からして下さいとかね、いろいろありますって。そういう人のいろんな想いをお浄めする時に、何とお浄めするか、一つしかない。この人の天命が完うされますようにしかないんです。それによってそりゃあ運命修正してゆきますよ。それによって叶えられることがある。斉藤さんだってさ、巡講した時に、斉藤さんの話を聞いただけで足の痛みが治りました、入院してたのに退院できました、とでてくる。それで斉藤さんは、何かあの先生が来ると奇跡が来るとか言われて困ってさ、私にこぼしたことがあるけれども、そういうことじゃないんです。本当はね。それは、ちゃんと喜びを分け与えるんだけれども、そういうこと...業を浄める(6)

  • 業を浄める(5)

    (前日からの続き)闇というものはないんです。本質的に言えば。本来の世界から言えばね。だけど、闇と見えるものはいっぱいあるんですよ。その闇と見えるものを闇だとおもい間違えてね、とらえ間違えて、そこへ引っかかっちゃうと、苦しくって苦しくってしょうがなくなる。例えば、痛みがくる、痛みが辛い、もう本当に痛みが辛いという時に、その辛い辛いつらいで辛いにひっかかってるとね、その痛みそのものがずっと続いていきますよ。頭の中から心の中から離れないから、あるいは、体から離れないように自分でぐっとおもっちゃってるから。ところが、痛みの最中でも、誰かから電話がかかってくるとか、何かしなきゃなんないことがあるとか、何かそういうことがあると、何分間かでもその痛みを忘れているということがありましょう。あら痛みが消えてる、何故か。その...業を浄める(5)

  • 業を浄める(4)

    (前日からの続き)浄めるということは祈るということといっしょなの。祈るということは自分をなくすことですと先程言いましたよね。なくする練習をすることです。浄めるということはもっとすごいでしょ。もっといろんな想いとか病気とかいうものをねえ、浄めて下さいとか、浄めることによって窮地から脱却させて下さいとか、そういういろんな人の想いを受けますでしょ。受けて受け取ったまんま、苦しいまんま印を切ったってしょうがない。仕方がない。それじゃあ駄目なのね。それは、業というものは消えるんだから。いろんな意味でです。神様すいませんお願いしますと言ったとたんに神様が受けとって下さってるんですよ。目には見えなくてもね。そこをちゃんと信じて、そこをおもいながら祈って統一して、印なら印を切らないと。僕みたいなのがやってできるかなあとか...業を浄める(4)

  • 業を浄める(3)

    (前日からの続き)業を浄める時にね、一番大事なのは恐怖心をなくすことね。それから、私がいつも言ってますように、私がやるんじゃないということ、神様がさせて下さる。守護霊さん守護神さんがついてて下さる。お浄めする相手にもね、どんな人にでも守護霊守護神というものがついてましょ。だから、その人たちから頼まれて私は代理人でやるんだから。私がやるんじゃなくて、私の後の神霊が動くんですね。あるいは五井先生が動くんです。あるいは、五井先生を通しての神様の愛情が動くんですね。そこをちゃんと見てますとね、私の体を使って私の祈りを用いて私の言葉を用いて、実は、そういう大愛というものが動くから、だから、スーッといろんなものが上に昇っていくんですよ。この間、ほら、五井先生がどうのこうのというの大変だったでしょう。あれだってもうちょ...業を浄める(3)

  • 業を浄める(2)

    (前日からの続き)生きてる時も死んでからも本当にまあずっと浄め続けていますけれどね、ただ、業を浄める時にね、皆さん浄める立場の方だから申し上げますけれど、業というものに対して、やっぱり恐れるとかね。例えばですよ、どこかお家を浄めてください。すごい病人がおります、浄めて下さい。想いがくっついて来ますよ。だから、〇〇さんなんて、いつか病気になったんじゃなかったかな。出すぎてね、印をもらっちゃった時にね、あれだって、病気になるというのはね、こっちから見ていると大変なことだけれども、あれで、体の中の余分な、〇〇さんの業なら業というかなあ、そういうものに対する抵抗力ですよね。それをつけるために病気にさせて、病気が治ったとたんにというか、病気をとり去った時に、光がうーんと中へ入って、そして浄める力というのがうんとアッ...業を浄める(2)

  • 業を浄める(1)

    業を浄めるという題を出しましたけれども業というものは非常にやっかいなものでしてね、本当に次から次から湧いてくる。この間も質問があって、五井先生、なくなる時に業を全部持っていくといって、後(あと)カスみたいなものだと言ったけど、あれは嘘だったのかというね、そういう質問がくるくらい、肉体の人間というものは業を湧かせますでしょ。業といったらちょっと言葉がきついけれども、こうして欲しいああして欲しい、こうなりたいああなりたい、ね、そういうものもやっぱり度が過ぎると業になっていく。それだけならいいけど、念になってね、そうして、その想いというものはいつも申しますように飛びますでしょ、飛んでいろんな所へ行きますよ。例えば、皆さん気がつかないけれど、眠ってる間に、自分の友だちが死にそうだとか、何か心配事がある、離れてる人...業を浄める(1)

  • 光満ちた世界 序

    この法話集は、人間本来の明るい天命について述べたものである。本来の我々のいのちが、神の明るい大生命の光をうけていることを知ることによって、我々は肉体をもったまま、霊人となることができるのである。神の愛とゆるしと光とを感受していただければさいわいである。昭和63年8月26日五井昌久光満ちた世界序

  • 恐怖 不安を乗り越えてゆく

             (前日からの続き)この前も隕石のことが話題になってましたね。隕石がかすめるんじゃなくて、実際衝突して、ついこの間も海に落ちて、で、ものすごい勢いで、どれぐらいの勢いかと言うと、ニュースで言ってましたよね。つまりそれは、原爆の十倍、百倍、千倍、もっと…というような勢いで隕石が海に落ちたのだと。海に落ちたっていうことは、人間には被害が少なかったかもしれないけれども、海底にいる生物にとってはとんでもない話。そういうことは人間ないしは人間の恐怖、不安、この世を生きるための日々の、どうしたらいいんだろう、とそういう気持ち、それらが集合したらすごい暗いものを呼ぶから、そうすると隕石のほうが、地球にぶつからないでおこうと思っても、今の人間の不安のかたまりは、その隕石の飛ぶ方向、落ちる方向さえ操作して、...恐怖不安を乗り越えてゆく

  • 宇宙神とつながっている事実を 自分のものに

         (前日からの続き)自分たちが何をすればいいのかということよりも、本心によって私たちが動いている、動かしてもらっている、いただいているいのちというのは、単にいのちというものだけではなくて実際に言葉を発し、実際に感情を持ち家族を持ち、苦しみを持ち、あるいは生活苦を持ち、さまざまな現実と戦うということのなかで、本心が縮まっている、今。で、縮まる必要もなければ、縮めさせることは、もっとこの世を暗くすることになっちゃうから、だから一見してすぐには実際の生活とかが楽にならなかったり、現実ですから、実際ですから、うまくまわらないことがいっぱいあっても、でもあなたたちがまず、自分の本心から私は出て来た、その本心は宇宙とつながっている、宇宙の大愛とつながっている、宇宙神とつながっている、大元のいのちとつながってい...宇宙神とつながっている事実を自分のものに

  • すべてのできごとを 自分のこととして 自覚する

           (前日からの続き)そして、私たちは文化も違うし、言語も違うし、主義も違って、考え方も違って争ったり喧嘩をしたり、あるいは殺されたり、殺されなかったり、いろんなことがさまざま起こっているけれども、でも元を正せば、全部がこの本心によって生まれてきたものだから、そのことをあなた方が、まず自分のこととして自覚をしなさい。で、自覚をしたところで、たとえば原稿のことも発信して下さったり、今までと何ら変わらない日常かもしれないけど、そういうことを続けていっていただくと、この理解のもとに、この決意のもとに続けていっていただくと、さらにこの乱世というか、乱れた空気をお掃除する、そのやさしい光明だったり、強烈な大光明というものが地球全体にゆきわたります。そうすると、宇宙にもそれはひびいて宇宙の人たちも、この皆さ...すべてのできごとを自分のこととして自覚する

  • すべては 与えられて出て来ている

        (前日からの続き)前も申し上げたと思いますけど、個人的には、私(M先生)が “白珠(しらたま)”という短歌雑誌に所属をしていた時に、うちの主宰の80を過ぎた安田清風という歌人がどう詠んだかって言ったら、“一本の指さえ礼拝したくなる我のつくりしならぬこの指”っていうのがありましてまさにそれって、こういうことなんだなと。つまり、すべて自分が生まれてきたって思っているけど、そうじゃなくて全部与えられて出て来ている。もちろん自分がいのちそのものなんだけど、それを成り立たせている、この世でいう肉体、髪の毛、筋肉、皮膚、骨、内臓・・・さまざまのものは、一本の指にしたって何にしたって、私個人がつくって創造して出て来たって決して言えない、という意味ですよね。でもそれを造った大元が今、先生がおっしゃる意味で言うと、...すべては与えられて出て来ている

  • 本心から出て来てることを 自覚する

     (前日からの続き)ご自分が本心によって、もう言葉ではなく、自分という存在はそこ(本心)から導かれてこの世に出て来て、で、今生きてると。で、選ばされた状況とか、選んだ状況とか現実的にはいろいろあるけれども、でもそれも含めて大愛に向かってゆく大光明に向かってゆく一つのプロセスとして、あなたたちの存在があります。だから、まず何をやらなきゃいけないかって言うと、やっぱり自分たちは本心から出て来てるっていうことを忘れずに自覚しましょう、骨に自覚させましょう、血液に自覚させましょう、筋肉に自覚させましょう、自分の身体全体に自覚させましょう、身体を大事にね、身体をいじめないでね、全部に感謝してね。“感謝”という言葉を“自覚”に代えてもおんなじだと思います。    (つづく)本心から出て来てることを自覚する

  • “ 諦 ” を持っていることを 忘れないで

          (前日からの続き)本当の意味で、こんなことやったってどんな意味になるのか、あぁやっぱりとか、いろんな単純な諦念(ていねん)、単純とは言えないかもしれませんが、どうしても人間というのは、諦める癖がついてしまっている。諦めるというのは、前にも申し上げたように、ただ、あぁこれはダメだって言って横に置くことでなく、諦めるというのは、真理を諦める、明らかにする。それがしっかりと目の前に立ち現われる。その時にたじろがない、身じろがない、それを真正面から受け止めて、感謝して自分のいのちを燃やしてゆく。そういう気持ちになるための諦めがあるわけです。それが、“諦(たい)”です。その“諦”を自分たちの中にみんな持っています。そのことを忘れないで下さい。        (つづく)“諦”を持っていることを忘れないで

  • 本当の形の変革を やっていく決心を

         (前日からの続き)すべて私たちの大元は、大神様の宇宙神からの、その私たちに委ねられたいのちなのだ。私たちは、その本体そのものなのだ、本心そのものなのだ、ということが理解されれば理解されるほど、それを一緒の船に乗っている、見ることもなく抱きしめることもない人たちかも知れないけれども、この兄弟姉妹たちにこの光を届ける。そういう意味で、本当の形の変革というのを、こういう目に見えるところでは大変な時代であっても、だからこそ決心を強めてやっていかなければならない。    (つづく)本当の形の変革をやっていく決心を

  • 大元が 私たちの元なのだ

         (前日からの続き)そういうものが、そんなもの(強烈な光)持ってたって、そんなことわかってたって、そんなもの呼んだって、この今の混乱や、この今の人を人とも思わない状況や、人が殺戮をする、銃の規制がない、そんな無法地帯と呼ばれるような事件がいっぱい起こる。目を覆いたくなるようないろんなことが世界各地に起こっている。人が人を尊ぶような、そういうふりをして、実は殺戮があり、実は陥れがあり、そういう現実がいっぱいある。だからと言って宗教が、祈りが届かない、届いていないのではなく、この大元が私たちの元なのだ。だから、何も怖れる必要もないのだ。   (つづく)大元が私たちの元なのだ

  • 大元の 強烈な光によってすべてが生み出された

         (前日からの続き)ずっと前にね、大阪のUさんが、もう死ぬほど大変な目に遭って…そんな話をしましたよね。あの原稿を開けないのに、それぞれの巻が光の種類が違ってしまって、ほんとに死ぬような目に遭ったんです、彼は。もう、痩せさらばえてしまったんです。ほんとに死ぬか生きるかの、それぐらい強烈なんです、この原稿の光というのは。でも、この強烈な原稿の光というか、この強烈な光によって生み出された森羅万象なんです、あなた方なんです、あなた方の肉体なんです、あなた方の本心なんです。だから強烈で大変なんだ、ということではなくて、大元をそのままボン!と浴びたから、余計大変なんです。だから、それこそそれをそのまま持っていこうとすれば、それは原子爆弾よりもっとすごくて、一つの国や地域や海がなくなってしまうかもしれない。そ...大元の強烈な光によってすべてが生み出された

  • 出会わない人たちの本心も 呼び覚ますつもりで

          (前日からの続き)本当に大きな計画はあるけれども、気がつかない人たちがたくさんいると。で、それはアクセクせざるを得ない人たちもたくさんいると。宗教なんてやってられない人たちもたくさんいると。それぞれがやさしくて、それぞれがいい人で苦しんでいる人もたくさんいると。で、それぞれを白光(真宏会)に導くとか、導かないということよりも、それぞれの人たちの本心に語りかける。立場とか年齢とか政治学者であるとか、経済(学者)であるとか、そういう立場の差異とか、そういうことだけに把われるのではなくて、それは私たちが実際に出会える人の数なんていうのは、ものすごく少ない。でも、そういう私たちが一生出会わないであろう、あるいは本当に出会うことがないであろう多くの人たちと一緒に、この地球という星に乗って動いているわけで...出会わない人たちの本心も呼び覚ますつもりで

  • 神様の大愛を この世に降ろす決心で

        (前日からの続き)ですからこそ、それぞれが違う立場にいても、違う宗教にいても、違う人種であっても、違う文化であっても、お互いがまさにわかり合えなくても、それでも大元のところは繋がっており、大元で私たちは呼び合っており、同じ真正な神様からのいのちを託された者同志であるという、その大きな事実、真実、取り去りようのない真実、それによって私どもが生かされているというところにもう一度、お二人が立たれて、その上で滅私奉公ではなく、自らの身体も大事になさりながら、いろんな人のことを理解をしたい、寄り添いたい、すべてがわかる訳ではないけれど、すべての人のことを祈りながら、そして神様の大愛をこの世に降ろすのだという、そういう決心のもとに言葉を広めていっていただきたい。そのことを申し上げたくて、今日おいでいただいた次...神様の大愛をこの世に降ろす決心で

  • 私も 大神様から遣わされた霊止である

          (前日からの続き)非常に大まかに申し上げれば、いろんな災害、それが昔から申し上げておりますように、人々の不安の想念がそういったものを引き起こす。そして大浄化でもって、いろんな爆発が起こったり、天災が起こったり、死もいろいろ起こったり致しますけれども、しかし今のこの戦っているところが多くなっている、あるいは戦わなければ領土が勝ち取れない、あるいは他民族を、あるいは人種を、自分だけが残りたい、人を蹴落としたい、そういった想い、それが強くなっている。今こそ、そういったものを取り去る。大根を引き抜くように、魚を一本釣りするように。神様の大愛というものを武器にして、鎧にして、そして人々を本来のいのちの大元に戻してゆく。そのための祈りこそが世界平和の祈りであり、そのためにこそが、皆さんが預かっていただいて...私も大神様から遣わされた霊止である

  • 治に居て乱を忘れず 乱に居て乱に把われず

            (前日からの続き)それは一人ずつの80年、90年、あるいは今では100年のいのちの中で、徐々に徐々に進化を遂げればいいではないかという、そういう人もおりますが、しかしながら今この地球存亡と言ってもいいような、この地上の乱れた波というのは、もちろん私どもは必死に、(白光真宏)会の人たちも必死に祈って下さっておりますけれども、さらに具体的に各国の先ほどから申し上げている政治やさまざまなことが乱れている、乱れさせている。それぞれの人々のそれぞれの不安がそれを生んでいるのでありますから、不安の反対の安心、愛念、祈り、安らぎそして思いやり、やさしさ、穏やかさ、こういったものこそが、治(ち)に居て乱を忘れず、乱に居て乱に把(とら)われず、そういった私どもの本来のいのちの道すじに立ち返る、そういうところ...治に居て乱を忘れず乱に居て乱に把われず

  • 光のひとすじとなって 宇宙に帰るために

        (前日からの続き)大きな愛念は大神様、宇宙神、大宇宙神、それは我々人類のいのちの源、存在の大元、そういったところからしか生まれ得ないものでありますが。私たちがこの地上に何年間生きて、あるいは死に変わって、また生きて、そして生まれ変わって、また生きて…なぜそういうことをやり続けているかというと、この愛念によって私たちのいのちは溶かされ、生かされ、そうしてこのすべてのものは進化をしてゆくということを魂に刻み込み、私たちがまた光のひとすじとなって、宇宙に帰ってゆく。そのことのために、この地上に私どもは生きているのであります。   (つづく)光のひとすじとなって宇宙に帰るために

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