〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
(前日からの続き)霊のいのちに目覚めて本心が生き生きし出すと私たちは私たちのまわりの人の心の中に入っていってあいさつしてあかりを点すことが出来るのです自分のいのちととけ合ってゆくこれが自愛、他愛ということなのです自愛他愛これが人間の本来の姿です自分を本当に愛して本心をかがやかすことで霊のからだが目覚めてきます肉体の奥のおくの私たちを活きづかせている生命そのものにこうして私たちは出会うのです自分という人間がこの世だけに存在していると思う限り死ねば自分という人間は無になってしまうわけですが本来生き通しの光である我々は霊界にも神界にもその場を持って働いているというのが事実ですそれでなければ生命は今迄つづいてくる筈がないのです何のために生命がここまでつづいてきているかというとそれはこの宇宙をつくられた神様のみ心を...神様につながる道(5)
(前日からの続き)想いにしばられることくらい人間苦しいことはありません何の想いかというと自分の心の中から出てくる自分の評価への言葉や価値にとらわれるそういう想いをいうのです自分で自分を評価するでも、その太初(はじまり)は人の言葉であり人の評価ひらたくいえば人の眼ですいいものばかりなら気持ちがいいかも知れないけれどなかなかそう上手くはゆかなくていろいろな声がきこえてきますその声に敏感であればあるほど人間は人の想いを自分の想いにしてしまうこの想いにしばられるのが一番苦しいのです自分の心の中から出てくる声だと思ってもおもっても多くは人のおもい波に心を染めてそれに気付かずに苦しんでいる全くみていられないくらい苦しむ。何故こういうことになるかというとみんな自分の本当の家を忘れてしまっているからです昔々はるか古代の星...神様につながる道(4)
(前日からの続き)本来光である人間が光であることに気付かない永い時代がつづいて今七却目に入っています今光に立ちもどってそれぞれの天命を素直に祈るこれが私に与えられた神様からの至上命令だったのです私は天と地を光でつないで一人一人を神様にお渡しする役目なのです素直に神様と祈り世界人類が平和でありますようにと本来一人びとりがかって祈っていた祈りを私は、もう一度あなたがたに伝える役割を与えられたのですどうぞ素直に神様にむかって祈って下さいあなたが祈れない時は天から、私が、あなたに代わり祈っています(つづく)神様につながる道(3)
(前日からの続き)この世は光ですあなた自身も光の子ですけれども何も真理に対してあせる必要はありません神様は愛という光を照らして真理にみちびいて下さる方ですがそれは不動のものですからあせる必要はないのです愛がいつもそこにあるように神様も我々の親である光もかわらずひかりかがやいているからです自分に都合の悪いことや何かがバレたら困るという心これらすべてをやはり業と呼ぶのです業というのは善業もあれば悪業もある平たくいえば人間が心におもって何か一つをしたらすべてそれらは業今は悪いことばかりのように思われているけれどそんな言葉ではありませんただ逆に悪いおもいゴマ化しや恐れやそういう心を育てる種になるものをかりとってしまうということを神様は人々の業という言葉に対する思い込みを通じてなさるわけですおもうことおもってしまう...神様につながる道(2)
神様につながる道はそんなに考え込んだりむずかしく祈りをしたりそんなものではありません素直に自分のそのままを神様にぶつければいいのですかっこうをつけたりもったいぶって心にもないことを言ってみたりする人がいるけれどそれは神様から遠ざかるばかり何故なら神様っていうのは円満なのだから明るい素直な魂を送り出した方なのだから自分の子どもたちが辛がっていれば抱きしめて哭いて下さるし涙をふいて下さる方なのです涙をふいて下さりながらでも一人一人の行く道筋はちゃんと備えて下さっているそういう方なのですだから心の中に湧き上がってくる想いの一つ一つを辛がって神様すみませんとくり返す必要はないすみませんと一度いったら心にあかりをともして想いを放って明るく生きていけばいい何事にも素直素直素直そのままの姿で神様とお話することが神様とつ...神様につながる道(1)
光への道はいろいろな入り方があっても最後には一筋につながっているものですそれは丁度いろいろと性格もちがい育った所もちがう人たちが会えば笑顔を交わして通りすぎるそんな素朴なつながりに似ています笑顔を交わすということは深くは相手を識らなくてもほほえまずにはいられない人としての自然な心が湧き上がるからで光も光に気付いた以上人間が光を拒むことは出来ませんなぜなら光は愛であり光そのものだからです光という一粒の種が地におちれば拡がることはあっても決して世界をせまくすることはありません光は人の心におちてまずその人の心の中でその人に一番いいようにあかりをともしはじめますそれから徐々に心の内と外を照らして遂には宇宙にまで広がってゆくわけですいつの間にかやさしくなっている気持ちがおちついているというのは愛と祈りそのものの光の...光への道
私は一滴の水小さな流れの中に入り土をしめらせていつか一筋の河岸から海へと雪(そそ)ぐ生命という永遠へつながる大河にむかって人はみな歩みをやめることなく日々瞬々の光を受ける人間というものは本来円光のようにやさしく辺りを調和させているものなのだ自分でそれと気付かずに光をふりまいているそれが本来の人間の相(すがた)一筋の光も一滴の水も真理に照らされて存在する自由自在な私のこころのなかに一滴の水となり一筋の光となるよろこびがあふれてくる一筋の光となって
神への道は遠い道ではありませんただ心を素直に悲しい時は悲しいままに神を呼べば神様はあなたの涙の中にいるのです流れる涙の一滴一滴に想いを入れてそれを生命(いのち)の河に流す・・・だれも気付かない内にちゃんと道は備えられているその人にふさわしい道を神様はご存知です涙の中で私を呼びなさいというささやきに心を留めて道を歩く時いつか青空が自分にほほえみを投げていることに気付くでしょう悲しみも悲しみをいやす暖かな陽の光もどれほど私たちの心と魂に必要であるかを神様は御存知ですなぜならすべてのものは愛から生まれ出たものだから悲しみだけを与えるなどという不公平なことを神はしない悲しみはその人が次に登るべき階段を目の前にして実は上がりやすいように備えられたものなのです悲しみ悩むことで人間は次に進むための覚悟を与えられますたと...友への短信
序文人間というものはやっ介なもので、一日の内にでもさまざまな感情の波にとらわれます。寂しい、切ない、かなしい、うれしい・・・。うれしさはまだしも、切なさや寂しさの波(想念波動)の中に入り切ってしまうと、なかなか明るいことを思えないが、何百生、何千生と過ごす内に、人間の心(本来心)の中に喰い込み、いつの間にか主人の椅子にすわってしまうのが、業想念波動のもとであります。それでは、さまざまな感情は意味なく与えられているのかというと、これは実は、(個々の)魂の発展のために与えられたものなのであります。神の愛を証するこの書の序として、まずこれだけのことを述べておきましょう。五井昌久神のこころ序
(前日からの続き)人というのはね、見える人も聞こえる人も感じる人もいろいろあるけれども、いろいろな能力をもってればもってる程、不自由ですよ、逆にね。ちょっと持っちゃうとね、把われちゃって、大変なことになるんだけども、そういうものは全部、必要があるからこそ見させる、聞こえさせるものでね。そんなものは、生命に全然関わりがない。永世の生き通しの生命というものは、見えるとか聞こえるとか、どんな才能があるかないかとか、お金も地位も、何にも役に立たない。ただ素直な生命になる。それだけでしょ。神様に素直になる。それだけですよ。そこへ目指してゆくんですからね。そこが大目的だから、そこへ向かって、我々いろんな想いを抱いたままでいいから、お願いしますといって統一に入っちゃうと、いつの間にか気持ちが良くなって、何だか訳わからな...統一ということ(4)
(前日からの続き)キリスト教だろうと仏教だろうと、白光真宏会だろうと何だろうとね、みんなそうなんですけどね。我々は、世界人類が平和でありますようにという、神様のひびきから出たこの大光明の言葉によって、祈りによって、愛深くならせたまえというその祈りを、この言葉の中に深く感じとって、そして祈っていく訳です。我々はこれを梯子にする訳です。エレベーターにする訳です。だから、統一というのはね、何も難しいことじゃないんです。ありのままの自分自身をそのまま持って来られていいんですよ。病んでいれば病んでいるまま、疲れていれば疲れているまま、言葉が出なきゃあ、それでいいんです。別に守護霊さんや守護神さんもいるんだしね。あなた一人だったら大変だけど、その人たちが助けてくれるんだし、五井先生もいるんだし、皆いるんだから。私がし...統一ということ(3)
(前日からの続き)禅をやってる坊さんたちでも同じことです。自分の中に仏がいるんだというとね、皆自力本願になっちゃって、何か傲慢無礼のように思いますけれどねえ。あれだって一つの真理でしてね、自分の中に仏がいるんだってことは、自分は小宇宙なんだということと一緒なんです。その宇宙というものを自覚して、その宇宙の広がりといいますか、もっと言葉をやさしく言えば、自分がその神様からいただいている宇宙の光でもって、皆さんに少しでもやわらいでいただくということ。例えば、自分の笑顔とか、あるいは、自分の作った料理を食べてもらって喜んでもらうとか、そういう、要するに人に仕えるということ、奉仕ということなんです。奉仕というものは、ただお金を出すとか、何十万何百万献金するとか、そういうことではないんです。霊妙なやさしい愛の波動で...統一ということ(2)
統一会や祈りの会とか、支部でも集会でも、今ではWPPMもありますしね(当時)。世界中に世界平和の祈りが広がっていって、だんだん大がかりになっていってる。統一ということも、なかなか難しい。本質を言えば非常に難しいんですね。けれどもまた、あんまり難しく考えすぎてもね、統一というものの姿が見えなくなっていくということはありますね。統一ということは何かというと、言葉は何でもいいんですが、神様に寄りそって神様を呼んで、そうして、神様の愛と一体になっていくということですね。言葉で言うと非常に難しいんだけれども。さっき申しましたように、私の柏手とか口笛とか印だとかいうもので、流れというものを引き出すといいますかしらね。皆様が、私に唱和して、世界人類が平和でありますようにと祈って下さる。その瞬間から、皆様の中の神の子とし...統一ということ(1)
(前日からの続き)人というものはね、自分も含めて我がありますよ。想いがありますよ。都合の悪いことはやっぱり避けて通りたい想いがある。皆そうでしょう。だから、そういう人を頼んだって、頼みきれるもんじゃないんです。皆弱いんだから。信頼関係をこわせというんじゃないんですよ。皆合い和して生きていかなきゃならないの。生命を尊敬していかなきゃならないの。けれども、そういう意味じゃない。やはり、朽ちることのない生命というのは神様にしかない。裏切られない愛というものも神様にしかないんです。我々はそこから愛情をもらってる、光をもらってる訳でしょ。だから、そこへ帰っていかなきゃどうするんですか。そこへ信をおいて初めて深く祈ることが出来る。そこを基盤にしなかったら、誰々先生の言うことを基盤にしたら駄目なんです。私だって、私が喋...神の子について(12)
(前日からの続き)信ずるということは、ただあなた任せじゃないんです。私の信仰は駄目だけど、あの人の信仰はすごいから、あの人の信仰の話を聞いたら少しは私の信仰がって、そりゃあ確かにそうだけど、その人にいつまでも引っぱってもらってる信仰じゃないんですよ。その人に開いてもらって、そして、自分でも驚くような力が出て、神様ありがとうございますと言えた時に、あなた方が輝くんだよね。その辺のことをね、きっちりと腹の中に入れて、そうして、五井先生のことも神様のことも、向こうの世界のこともこの世のことも、いろんなことを思って、説いて、祈ってやっていかなきゃ。我々の中の本心開いて下さるのは神様なんです。我々じゃないんです。だから、任せるというのは、私がさっきあなた任せと言ったのはね、人に頼っちゃいかんということです。人に頼る...神の子について(11)
(前日からの続き)平和というのは、ただ単に事なかれ主義ではないんですよ。イエスが言ったでしょ、私がこの地上に来たのは、兄弟を分かれさせて家を分かれさせて、争いを起こさせるためだ、剣を投じるために地上に来たんだというふうなことを言います。何という言葉だと皆思いますよ。肉体もってる人はね。イエスがそんな人だったらついていけないと想いますよ。でもそうじゃないんです。いろんな事が起こるんです。本当に真理に従おうとすれば。だけど、私たちは神様に任せてるんだからね、お願いしてあるんだから、預けてるんだから、そこからの祈りであれば、絶対に私たちは間違った方向へ行きっこないんだ、そういう想い、信仰、そういうものをもって進んでゆく時に、いつの間にか分かれた家が握手するんですよ。気の合わなかった人と挨拶ができるようになるんで...神の子について(10)
(前日からの続き)本心の座というものは、そういうもんじゃない。本心の座というものは、そこも全部つき抜けて、空になって溶けてね、解放されて、明るくなる、そういう座が本心の座ですね。それをやっぱり思わなければ。それを修行してゆくのがこの世の中の修行です。そこを目指してゆくのが祈りですね。さっきも言ったように、だから、祈りというのはね、何でも放り込んでもいいんですよ。いろいろ言ってもいいんですよ。あれが欲しいこれが欲しいと、いろいろ言っても構わない。ただ構わないけど、絶対に、神様がそれをどんなふうに叶えるかというのは、そこのところは任せてしまわないと。私たちの想い描いたことからは、うんとかけ離れた答えが返ってくる時がやっぱりあるんですね。その時に、どうしたら神様から離れないで、祈ってゆけるかというのが、これが人...神の子について(9)
(前日からの続き)決してね、才能とか力とか個性とか、そういうものを否定はしません。それは神様から送られて来た贈り物なんだから、それはそれでいいんです。だけれども、自分の力でもってこれができたとかね、あの人の我を押さえつけるのに往生したとか、そう想っちゃうと後で苦しくなりますよ。皆同じ生命なんですね。だから、さっき言ったけども、悪口言われて、やっぱりありがとうございます。足を踏まれてありがとうございます。と言えるところまで自分を精進させていく。できるできないは問題じゃないんです。そういうふうに言える自分をいつか出して下さい。何生かかっても出して下さい。そのために祈らせて下さい。そういうふうに想うこと。そういうふうに祈ること。それを目指すことね。それが我々の領土を広くしてゆく。神の子の光を深くしてゆく。輝かし...神の子について(8)
(前日からの続き)もう今日はね、何とか速く喋ろうというのをね、ゆっくり喋ってね。でないと聴きとれないでしょ。原稿にもできないから、ゆっくり喋ってますけどね。あんまり速くってね、私のいつもの喋り方は迷惑かけてるからね。これの倍くらいの、あるいは3倍くらいの速さで若い時喋ったと思いますね。5倍かな?高橋君なんか聴きとれなくってね、いらいらして、本当にあの頃は録音技術も悪かったしねえ。私も言いたかったしねえ。そしたら、五井先生聞き取れませんとかね。何言ってるんだか分からなかったけど、先生の情熱だけ分かったとかね。後で言われてがっかりしたりして、そういうことがありましたけどね。だけど、今私はゆったりしてますよ。向こうの世界というものは、本当にもう何の不安もないでしょ。安心だけでしょ。そういう意味でゆったりしてる。...神の子について(7)
(前日からの続き)人間というものは、いつも言いますようにね、この肉体の五尺何寸の体だけじゃないんですね。いつも言いますでしょ。宇宙のように大きくもなれば、針のように小っちゃくもなる。もう融通無碍、それが人間の生命の本来なんですね。それが神様に抱きとられている。神の子の本質はそういうものなんです。無碍なんです。ゆるしですね。そういうものを我々はいただいて毎日を生きてる。だから、この真理というものは、本当に悟って明るくなった人ならば、私でなくったってどんな人でも言いますよ。誰だって言います。キリストだって釈迦だってこれを言ったしね。あるいは、今生きてる宗教者で明るい所へ行ってる人というのは、絶対にここを言いますね。ここへ向かって皆がゆけるんですよ。何故ならば、皆が神様の器だから、神様の子どもだから。(つづく)神の子について(6)