〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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〇自由というのは何をやってもいいということじゃないありのままに生かされている生命と知ることが先ずはじめなんだよそれがわかれば次第にとらわれなくなってきて毎日をすごせるようになるそこから段々に自由の階段を上るんだ生命はありのままに生かされている
〇あんまりこうだからああだからと想いをめぐらせないこと苦しくなったら神様のなかに入りなさいあまり想いをめぐらせないで
〇性格というものは確かにあるだから人に対する時はその人の性格をよくみなさいそうしている内に自分も相手も調和される人に対する時は
〇世の中みにくいとみればすべてがみにくくなり美しいとみればすべてが美しくなるそういうおもいの転換をさせて下さるのは守護霊、守護神であるおもいの転換をさせて下さるのは守護霊守護神
〇真の自分というのは肉体ではない光る人なんだよ私はずっとそのことを説いてきたし今も説いている真の自分は光っている
〇自分が自分がと想っている間は苦しい想いを放して祈ることです想いを放して祈る
〇どんな人でも尊い神の光世界人類なのだどんな人でも
想いを消すのは容易なことじゃない消そうとすればする程想いにとらわれるそういう時は守護霊さん守護神さんおねがいしますと想いの荷物を預けてしまうんだそうするといつの間にか消えている守護霊守護神に預けよう
〇欲というのはやっかいなものだねけれど欲でさえも真理へと通じる道筋におかれてつかわれるそれが神様です欲はやっかいなものだけど…
〇あるがままなすがままさながらの生命(いのち)とはそういうことですあるがままなすがまま
〇守護霊様守護神様ありがとうございますとおもえる時あなたは祖先につながり神様につながっています守護の神霊に感謝
〇真理は一つ神は愛であること神は愛である
〇みんなかがやいているのですそのことに気づけば呑気になるんだけれどねみんなかがやいている
〇素直な心は神につながる素直な心を
〇心を鎮めることは祈りへの第一歩である祈りに入り込みはじめているといってもいい祈りへの第一歩は
(前日からの続き)目は口ほどにものをいうということは、我々が日常に経験していることであります。こういうときには、我々は、言葉よりも、直接に、相手の心にじかに、自分の心をぶつけてゆくことになるのです。無言であっても、その無言であることが、百万言をついやすよりも、その人の心をあらわしているということです。私ども、宗教にたずさわります者は、こうした心、言葉を超えた人間の心というものに敏感でなければなりません。心というものを言葉でおおうことは出来ません。言葉を心でおおうことを、むしろ、私たちは心がけるべきであります。そして、自分の心と、人の心を大事にして、ともに祈りの座につきながら、愛という、人間の言葉を超えた神の心に、すなおに溶け込んで参りましょう。昭和61年8月29日五井昌久言葉を超えた心(2)
言葉で説明しつくせないことが、この世の中や、人間には沢山あります。よく、あの人は論客だという言葉を耳にします。たしかに雄弁な人の言葉は、ちょっときくと耳にさわやかなものです。しかし、どんな理論家でも、また、すぐれた思想や哲学でも、たとえば、人間やいのちというものを突きつめてゆくと、どうしても答えが出てこなくなってしまうのです。なぜかと申しますと、これは、私たちのいのちや、人間の存在というものを科学的に説明しようとするからであって、究極まで参りますと、おのずから言葉にならない世界に突きあたるのであります。そこで、ここからが宗教の領域ということになるのでありますが、シュヴァイツァーが、生命への畏敬といったあの言葉は、科学者として、また、一人の人間として、実に真理の的を得た言葉だと思うのであります。人が、科学の...言葉を超えた心(1)
皆さんおはようございます。今日は、愛ということについてお話したいと思います。人間が生きてゆくなかで、欠かすことのできないものは、いくつかあります。水、空気、その他考えればいろいろある。これらは、私たちの肉体が生命を保つ上で、欠かせないものです。よく、山道に迷って、一週間、水だけで生きのびたなんていう記事がありますが、水は、本当に、我々の生命の源なんですね。ところで、この生命の源ということも、ずっと考えてゆきますと、最終的には、愛に、神様の愛にたどり着くわけです。空気や、水は、我々の肉体の生命を生かしめるために、是非とも必要な、欠かすことのできないものでありますが、その肉体を養い、またかたちづくっている根元は、愛という神の心なのであります。我々一人一人の生命は、神の愛、神の光を受けなければ、とても生きつづけ...愛について
みなさんおはようございます。今日は光について、よく、光明光明と私が申し上げておりますが、そういうことについて、ひらたくお話をしてみたいとおもいます。そこで光というのは、どんな性質を持っているかというと、一口にいえば、闇を消してしまうという性質を持っているのであります。太陽が沈んで、夕ぐれになり、かすかな光も消えて、夜になりますと、私どもは電気をつけますね、電燈をつける。何だ五井先生あたり前のこといってなんて思ってきかないのよ。あたり前の質問を、じゃこちらからしますが、では、どうして電燈をつけるんでしょう、明るくなるからですね。みんな、電気をつければ明るいということは知ってる、けれども、じゃ、その電気、電流がながれてるところというのは、みたことない筈です。みていなくても、スイッチを入れれば、電気がついて、明...光について
神のひびきというものは霊妙である。我々のおもいも、肉体も、すべては波動から出来上がっているが、神のひびき、神様のひびきは、おもいをはるかに超えた愛そのものなのだ。我々は、そのひびきを、この身にも、心にも受けて生きているのである。本当のことをいえば、我々一人一人のなかに、愛である神のひびき(生命の流れ、神のこころ)は流れ込んでいるのである。このひびきに気付くには、世界平和の祈りを祈り抜くことである。祈る内に、自分の本心があらわれ、守護霊、守護神と一体の自分を感じられるようになる。そして、祈っていることも忘れて、いつの間にか神様を呼んでいる─という真の祈りに入る時、神とともにいる自分、神のひびき、大愛のなかにつつまれている自分を、観じることが出来るのである。神のひびきは、あなたがたの中にすでにあるのであって、...神のひびき
実際、想念というものが、すべてのものの源になっているのである。速い汽車があればいいというおもいが、今、新幹線を走らせている。これも、人間のおもいを受けた科学が、結実した結果であります。これを、神様の方に移しますと、神様は、もう愛のおもいで宇宙をつくり、地球という星をつくり、人間、私たちをつくられたのである。だから、私たちの中には、神の愛と光が流れ込んでいるのであります。どんなことが起ころうと、その愛と光は、誰もとりのぞくことが出来ないのであります。いつも申しますように、私たちの生命というものは、ずっとつづいて参ります。神のみこころ、みふところ深く、天命を完うするまで、この生命は、かがやいて神と共にあるのであります。いわゆる不幸とみえることは、その人の過去世の業、-本来光であることに気づかずに、犯した過ち-...神の心(2)
神の心、神様の心というのはどんなものか。この世の中には、不幸なことが絶えないとみんなおもっている。事実、病気になる、貧乏になる、こんなに一生懸命やっているのに、ちっともよくない。そこで神様なんているのかしらというおもいにとらわれちゃう。神様がいるとしたら、神様はこういう現実をみて、みながら、どう思ってるんだろうと考える。果ては、神様に心なんてあるのかと思ってしまう。しかし、ここで、わたくしははっきり申し上げますが、神様の心というものは、ただもう人間を愛する愛一元、光一元の心なのであります。この世的にみれば、病気になった、あるいは貧乏になったということはあります。そういうことは出てきます。しかし、それは、一つのあらわれであって、いつもわたくしが申しておりますように、過去世の業が、今、消えてゆくためのあらわれ...神の心(1)
(前日からの続き)で、その生命の本体というのは、もう素直な素直な神様の光なんです。いいですか、生命というのは、本来、けがれもしなけりゃ、傷もつかない、まっ白な、純白な、かがやきつづけている神様の光なんです。それが、みなさんのからだの中、肉体も、幽体も、神体もずっとつらぬいて、宇宙神のみ心にまでずっとつながってるわけなんです。人間は、みんな、そういうすごい生命を一人一人持ってるんです。私からみると、そういう何物にも痛まない、傷つかない、神様の生命を持っているということに気付いた人間は、かがやいています。業というものが、人間の出すおもいというものが、辺りをおおっちゃって、それが自分だと思いまちがいをしている間、私たちはとっても苦しいんだけれど、実は、人間を突き動かしている生命というものはかがやいていて、まっす...生命の流れについて(3)
(前日からの続き)そこで、この生命の流れというのは、単にこの世での70年80年というみじかい時間の過ぎゆきばかりを指すのではありません。本当をいってしまえば、私のなかに流れている生命も、ずーっと、生き通しの生命なんだから。そういうことをいうと、先生、人間は死ぬじゃありませんかと、きっときいてくる人がある。勿論死にますよ、みんな死ぬ、けれども、それは、私にいわせれば、肉体を離れるだけなんだ。肉体生活をおえるだけなんです。生命というのは、そんな何十年のちゃちなものじゃなくて、宇宙が創造された時から、ずーっと流れつづけている、生きつづけているものなんです。生命には死というものがない、キリスト教で永遠の生命というけれど、本当にそうなんです。宇宙のはじめからあるこの生命は、神様、宇宙神からわかれてきて、段々段々分か...生命の流れについて(2)
今日は生命の流れということについてお話ししたいと思います。よく私たちは、何か悩んだりすると、一体自分は何だろう、どっから来て、どこへ行くんだろうと考える時があるんです。よく言うじゃあありませんか、行方定めぬ旅がらすって。つまり、自分という者は何者なんだろうということです。それは、自分が誰と誰を両親に持って、どこの家に生まれてきたかということはわかっている。けれど、私たちが考え込む時は、もっと根本的なことでしょ。自分という、この一つの存在の確かな在り場所、行き場所を求めているわけです。で、そういうことを考えている時の人間というのは、実は、「肉の私」を離れているんです。我知らず魂の私、霊の私に呼びかけている。離れるったって、完全に、たましいの中、霊の中に入り込んでるんじゃありません。丁度、そういう自分にあこが...生命の流れについて(1)
(前日からの続き)さて世界人類が平和でありますようにという祈り言には、さらにもう一つの奥義があります。それは、人間というものの全体にむかって、祈り言を発しているということであります。人間というものは、いつも私が申しておりますように、この肉体だけではありません。幽・霊・神、大きくわけて、肉体以外に、さらに三つの世界に生きているものであります。この人間の本質、本体と申しましょうか、それぞれの世界によびかけ、光の放射を、霊界神界から放射しやすくする働きを、自然と持っているのが、世界人類が平和でありますようにという祈り言なのであります。個人と人類の同時救済という性質を、この祈りが持っておりますことは、何度も申し上げましたが、さらにこの祈りは、人間の本体である光にむかって愛と調和を放っている祈りなのであります。です...世界平和の祈りについて(3)
(前日からの続き)この地球上に多くの国々があり、そのそれぞれの国と国交を結んでおります。これからの政治家は、世界平和を根底に据えてかからなければ、一日たりとも、政治がとれなくなってくるでありましょう。しかし、もっと真理を見きわめる眼を持ちますなら、単に地球という星の地上の国々との交わりというばかりではなく、星と星との交わり、星交というところまですすまなければ、本当の宇宙全体の調和というものは完成されないのであります。そして現在、我々にコンタクトを求めてきております宇宙の兄妹たちは、この宇宙の大調和のなかに、我々地球人類が、一日も早くとけ込むよう、最大の助力を日々おこなってくれているのであります。世界人類が平和でありますようにという祈り言は、宇宙神のみこころ─愛の中にとけ入り、宇宙人類の一人として、全宇宙と...世界平和の祈りについて(2)
私どもが唱えております世界平和の祈り、特に最初の世界人類が平和でありますようにという祈り言について、述べてみたいと思います。私はつねづね、世界人類が平和でありますようにという祈り言を、心に想いうかべた時、その人は、神様のチャンネルをひねったのと同じであると申し上げて来ました。人類すべての悲願が結集し、祈り言となったこの言葉には、どんな人間の個我をも消してしまう大きな光がこめられ、放射されているのでありまして、この祈り言を、思いうかべるだけで、私どもは大光明霊団の中に参加しているのであります。ところで、この祈りの世界人類とは、どの程度の世界であるのでありましょうか。勿論直接的には、私どもが住んでおりますこの地球を指しているのであります。我々人間のいのちをこまかくみて参りますと、それは光子という宇宙子から成っ...世界平和の祈りについて(1)
(前日からの続き)みんな、一生懸命無になろう、悟ろうと思ってやってるけれど、妙な焦り心がある間は、中途半端で、第一その人自身が満足出来ないわけでしょう。お祈りというものは、勿論一人一人が、守護霊さま、守護神さまを通して神さまに向かって叫ぶわけだけれど、私なんかから見ていると、世界人類が─とやり出した途端、みんながみんな、光明化してしまうわけです。いろいろな個々の悩みや苦しみやそういうものを持ちながら、しかも、光体になってしまう。この事実はどういうことかというと、祈りというものは、霊界、神界─宇宙神につながってゆくあらゆる光を放射される神霊方と、一人一人のみなさんとの協同作業だということに他ならないのです。言葉を変えて言いますと、光一筋というのが、人間本来の姿であって、それは、この今の自分自身が、どのように...祈りとゆるし(2)
暑いですね。(講演当時)こう暑いと、人の話を聴いても、よっぽどのことがないと耳に入ってこないから、真理のことを喋るんでも、一寸面白おかしく言わないとはっきり入っていかないかも知れないけれども。人間にはいろいろな単位がありますね。単位というのか、一番小さな単位は家族で、それから、学校とか社会とか、だんだんに大きくなってゆくわけだけれども、この中で、いろいろ面白くないことが起こったりする。喧嘩ね、啀み合い、俺のものだ、とかね、家族であれば、血がつながってるから、まあ流せることも多いわけだけれども、集団になると、各々の癖が直接ぶつかり合って、別に何の義理もないというような場合には、喧嘩も深刻なものになってしまう。つまり、個我というものが、そのまま出てしまうわけですね。そこには、慎しみとか、遠慮とか、普段私たちが...祈りとゆるし(1)
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない