子ども心の夜を明らめた燈火(ランプ)で 幼馴染の三人はたがいを照らしあった 一輪の花、一茎の草、榲桲(マルメロ)の木、床の染み、壁の剥がれ 目に、耳に、指に触れるのはみな聖堂だった 時は巡り聖女は習俗に嫁いだ 僕たちは天に憧れたまま空
ひきもり生活の改善と社会復帰を目指して、自分探しをしています。
かつて鬱病で引き篭もっていたオヤジの独白ノートです。時系列にそった自分史を書きあげ。今は適当に日々を生きている、オヤジの心の日記です。
子ども心の夜を明らめた燈火(ランプ)で 幼馴染の三人はたがいを照らしあった 一輪の花、一茎の草、榲桲(マルメロ)の木、床の染み、壁の剥がれ 目に、耳に、指に触れるのはみな聖堂だった 時は巡り聖女は習俗に嫁いだ 僕たちは天に憧れたまま空
『星の王子さま』にある「飼いならす(apprivoiser)」の意味
「apprivoiser(アプリヴォワゼ)」の訳が難しいって話、確かに多くの訳者が苦労したところだよね。辞書的には「飼いならす」って出てくるけど、それだけだと結局、支配とかコントロールみたいなニュアンスが強すぎる。でも、実際にはその言葉には、もっと深い人間的な関わ
愛を探して歩いたが 都会の迷宮は方角すら掴めない あの人の宮殿は遠かった 緑の丘に白い高殿はあった あの人は北を見つめていた 死神に誘惑されるまま 水晶は砕け、ガラス玉へと 二人は塩辛い飴玉を嘗める 逃げゆく愛を追いかけて
世に呼ばれし名は完全なる兵士(パーフェクト・ソルジャー) 遺伝子操作が生んだ悲劇の虜 戦うことを宿命づけられ 勝つことを目的とする悲しみ 神に決して触れられぬ者 "Y(イプシロン)" 勝利なき戦いと知らずに銃をとり 金髪は血に塗(まみ
この戦いは三十万年も続いている この先にまだ百年は続くのだろう 蠅は木の実を食べ草べを喰(は)う 満たされずに肉に喰(く)らいつく 燕は空と海を駆け地に降りる 切れた尾羽根は迷いを消す旗 蝿は群れをなして正しいと喚く 小さな声
瑞希よ、わが眼前を歩みゆく乙女よ 幾度も通りすぎては振り返りもせず 思い出の貴女(あなた)とは違う誘惑顔をして 黒い綾編み(レース)の礼服(スーツ)に黒い網タイツを履き 剥き出しの素肌、その両腕は寒々しい 頑なで、鋼のようで柔らかげな
『夜間飛行』を読み終えた。現実に手が震えるほど感動した。本作は、一言で言えば「理想の上司」「使命感を背負った理想の人間」の物語である。もちろんそれは主人公リヴィエールを指す(この名前は、他の川に流れ込む川という意味であり、海に注ぐ川ではない)。 彼を
暗黒のなかを黒い鳥が走って翔ぶ 姿も見えず、有り様もわからず あたかも沈黙に潜む沈黙にも似て 現(うつつ)と想(おもい)を見つめる両目に啓示の兆し 人類は科学とともに著しく進歩した 粗黒(マット)に塗られた黒い怪鳥は姿を見せた 音
星ひとつ見えない夜空に 上弦の月が浮かんでいる ぽっかり何も囁きもせず 夜の帳に包まれた道々に 光の彩が花と咲いている 通り過ぎる前照灯(ヘッドライト)、尾灯(テールライト) 花壇を照らす電灯は温かく 頬を撫でる一陣の風を感じ
汝(なれ)が神だというのか? この草も木も、やがて散る この雫を友とする紫苑(シオン)の花も ――それすら神だというのか? 殴られし、沈黙の痛み 滴り落つ、血の苦しみ 笑いと涙、歓喜の川 愉楽の饗宴――それすらも、汝か? 汝
【歩格とはなにか?】 これを単純化して語るのは難しい。 まず大別すると、二種類に分けられる。長短(短長)と強弱(弱強)である。 長短とは、長い音と短い音を組み合わせてリズムを作る格である。 強弱とは、強い音と弱い音を組み合わせてリズムを作る格である。
英国風の庭園で過ごした 懐かしき思い出が蘇る 君は金髪を風にまかせる 稀有な親しき友だった 古びたテーブルに二杯の紅茶 黄赤紅(きあかべに)から盛んに、澄んだ 湯気の精が立ち香っていた 彼女は伏し目がちに口にした 「私たち、
あーした、こーした あれよー、これよー あーした、こーした あれよー、これよー あーこれ、ちょー格 短はー、こうよー あーこれ、ちょー格 短はー、こうよー こんなにするとね 長短と短長は とっても、わっかり、やーすい
あなたは生を求めに求めた そして神聖な火が 大地の奥処(おくか)から湧き起り 赫灼と照り輝いた。 おののきふるえる渇望のままに あなたは身を投じた エトナの焔の中に。 このように 女王の傲りは 酒杯の中に真珠を溶かした その傲りはさも
いつかの暑い夏に啼き誇った 一匹の見も知らぬ蝉よ 今も網戸に抜殻を遺すお前よ 白く柔らかい体を伸ばし 雄々しく空へと羽ばたき 短い命を燃やしたお前よ その抜殻はまだなおも 時雨に打たれたまま黙し 琥珀色の殻陀(からだ)は朝日
ひと繋がりに並ぶ街路灯に 白い火が灯った夜の街で 赤信号に行く手を阻まれ 振り仰ぐと、満開の桜花 ぼんやりと、くっきりと 霊気に照らされた妖精たちが 浮かび上がり迫ってくる 奈落からの使者のように 恐懼と不安、勇猛と安心
さて、本書が無意識の世界を描き、かつシュールアリスム批判の作品という解釈はすでに述べたが、ここでそれを証明する部分を作中から引用しておこうと思う。 「『部屋の精霊』が開幕を知らすのであった。くり返して言うが、この劇場の主役たちは誰一人として見物人の役目
愛する兄弟(はらから)よ! 思うに我らの芸術(わざ)は 若人にひとしく 長らく泡立ち沸き返り やがて美の静けさへと熱するのだ ひたすら心虔(つつま)しくあれ ギリシャびとのように! 神々を愛し 死すべき人の身にこまやかな思いを寄せよ!
華やかで啓(ひら)けたまっすぐの路(みち) 舗装され平らに広がる路 春霞(かすみ)で先が見えなくとも 風と香りに誘われて歩く 草おい茂る曲がりくねった径(みち) 小石だらけのでこぼこした土の径 秋霧(きり)で先が見えなくとも 露
「カップ麺でも食べるかな」 水垢のついた蛇口を捻って ケトルに水を注ぎ火にかける 換気扇の紐を引き汽笛を待つ ピューウーキューと蒸気が昇る とくとくと、お湯を注いで待つ 「やることないなー」と暇になり 何を思ったか、電気を消した
ここは、眩しく美しい世界? 手足には元気がみなぎって 無心にぶんぶん振り回しちゃう でも眠いので、寝ちゃいましょう なにやら、お口が勝手に動くよ これは何? 合言葉? それとも宇宙語? ずりはいしたり、はいはいしたり つかまっ
地底からまっかな岩漿(マグマ)に導かれ 湧きあがってくる気配がある モグラがいっぴき、モグラがにひき ぴょこぴょこと、顔のぞかせる あらこんにちはモグラさん でもあんまり好き勝手しないでね モグラがさんびき、モグラがじゅっぴき
【作詩】翔ぶ日に――Old goggles tell anymore…
「翔ぶ日に――」 ある漫画のタイトル 軍装品の骨董品屋からか 手にいれた古い防塵眼鏡(ゴーグル) ゴムバンドは歴史を語る 罅(ひび)われ、固く縮んでいる 戦いの証、こびりついた黒い染み 血痕を思わせる悲しみ 持ち主の男が聞い
ああ、ああ、降ってくる、降ってくる いまだ言葉にならない混沌が降ってくる 豪雨のように、いや雪のよに 白い結晶が溶けて身体(からだ)に染み込み 消えゆきながら結ばれる 見たこともない偏(へん)と旁(つくり)があわさって 律動(リズ
解説を少し読み進めた。そして多くの人が朔太郎の詩について、身勝手な印象をもつ理由がわかった。朔太郎の詩はある時期以降、非常に哲学的だといえるからだ。解説に書かれている哲学者らの名前を見て、「え、この顔ぶれの哲学者らの思想を全部ちゃんと理解してる人なんて
わたしは懇々と云つた 「それはこういうことなの!」 あなたは渋々と云つた 「それはそういうことなの?」 なんでこの人、云つてること 理解できないのかしらと? わたしは怪ぶみ項垂れる わかるだろうと察したけど? ちゃんと話した
朽ちかけた東屋(あずまや)に一人の老婆 庭ではマルメロの木が見守る 穀雨(こくう)に濡れ薄桃色の花咲けば 老婆は恍惚としては眺めやる 立冬の風に吹かれ果実おちても 老婆は泰然としジャムも作らず 東屋の賃料はますます滞れども 老婆
運命の輪が苦くも廻(めぐ)る 親潮に翻弄(あそ)ばれるように 運命の輪が甘くも薫る 緑風(りょくふう)に煽られるように 死を願つても死ねぬは 悲劇の騎士トリスタンか 死すべき者を生かすは 慈愛の天使イゾルデか 天秤は波風に激
【詩とはなにか?】 まず、物事を論じる場合、必ず大前提を措定する必要がある。 したがって、詩を論じるにあたっては、「詩とは何か」を考える必要がある。ところが、これがとても難しい問題なのである。大前提は必ず正しくなくてはならない、というのは論理学の基本で
「仮名序」 倭歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に、思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかわづの声をきけば、生きとし生け
じつと座りて目を閉じる あるいは閉じずただ見つめ 息の流れを感じつつ 吸うては吐いて吸うては吐いて 鼻を抜けゆく風の音 その音ひとつただ聴いて 胸も腹もて動けども それもまたただ流れゆく ひたすら呼吸ただそれを みつめる
我が名はエルザ、貞淑なるエルザ! その名声は芸術の国(ブラバント)と謳われし 緑豊かなベルギーとともにあり 今は父王、崩御の悲しみに沈みし 木漏れ日の森で愛弟(おとと)を喪(うしな)いし その悲劇につけいりし後見人 テルラムント伯
歩いてね、また歩いてね、歩いてね 手を振りて、また手を振りて、手を振りて 右足が、つぎ左足、右足が、つぎ左足 てくたくと、てくたくと、歩きまして 赤信号で止まつたら、考える――自動車のタイヤと舗装路が擦れる摩擦音を聞きながら僕らは時間と
汝の思う清燈な理想郷(アルカディア)を描け 現実の歴史に遥かな夢を見よ ヒッタイトの朧げな伝説を手に 古代ギリシャの神話を歌いあげ 現実の鉄槌に打ちのめされるな 天使の舞う、一葉の天景を描け 風の聖騎士、光の聖王女の姿
官能と肉欲(ヴィーナスブルグ)の女王に 愛されし者、タンホイザーよ 肉欲と快楽に溺れし者よ 苦痛を退け、陶酔の淵に沈み 貞淑なる聖処女を見いだせ! エリザベートのもとへ帰れ! そしてその見いだせし心を歌え いざや、歌合戦の幕を開
にくしみを人にぶつける ん? それは良くないね! げんばくみたいな人間がいる? んーん? 恐い、恐いね! がおーって唸ってるライオン お前さんのが可愛いカモン! わんこ、もといイッヌなら こいぬが一番可愛いんだな! んこネタ
帆柱を高く掲げて船よ征け 波を切ってどこまでも征け 警笛のような風音を恐れずに 海図も羅針盤なきを恐れずに 中継の寄港地などなくとも 雲間の星灯(ほしあかり)が頼りなくとも 岩礁と挫傷を避けて舵を廻せ 沖天から太陽の灼熱に焼かれ
綺羅びやかな陽光を撫で 陶酔という名の雨浴びて 大地に分厚い絨毯を積み そこに根を張る、花、花、花 とっても綺麗に咲きました どんな品種もございます とっても美麗な花びらで うらないをしましょう 好き、好き、好き! 大好
わたしは青く深い湖に憩う一匹の魚 遥かな想いを無言で歌いかける魚 潮流に乗って浮き沈みの旅をする魚 葦原に囲まれた湖で生を終える魚 一匹の魚は鱗(うろこ)の奥に冷たさを感じ 時折、太陽を求め湖上へ舞う 一匹の魚は鰭(ひれ
軽合金の翼が飛翔する 遥かな成層圏めざして 蒼い、蒼い世界に憑かれ 赤い血に汚れた心を抱いて 翼に黒い鉄十字の記章 濃緑色(ドゥンケルゲルプ)に塗り込められ 全身を喘がせ羽ばたく鷲 機種に欧羅巴コマドリ(ロトキエッシェン)の姿
"The Charge of the Light Brigade" By Alfred, Lord Tennyson
随分がんばって詩のお勉強をしたが、これには衝撃を受けた。 ということで紹介しておく。 日本語だとタイトルは『光の旅団の突撃』。作者はアルフレッド・テニスン。 この詩はクリミア戦争のときに、命令の不行き届きなどから、無謀な突撃をして凄惨な状況になった
あれは夢か現実なのか 明かりの消えた部屋で 眠れぬ夜に魘(うな)されては 独り寒さに震えて見た 鮮明な光景が瞼に蘇る 大理石のアテーナーの彫像 青銅のオーディーンの彫像 頭に一羽ずつの烏(カラス)が留まり じっとこちらを見つ
「自由ってのはいいもんだ!」 クライドは言った 「そうよ、最高のディナーよ!」 ボニーは黙ってウインクした 二人は迷わず羽を伸ばした 「ハニー、自由の味はどうだい?」 クライドは訊いた 「ダーリン、ちょっと足りないわ!」 ボ
星も見えない夜 俺はお前を撃ち殺した 44マグナム握りしめ ズドンと一発ぶち込んだ 鉛の弾丸(たま)をぶち打ち込んだ お前は死んだ 赤い血溜まりのなか そして、俺も死んだ 黒い死病に冒されて 医者は一体何してた? 新月の
あるひの あるよる あるばしょ あなたと あたしは であった あかい あいを あいし あった あなたは あたしを あいして あたしは あなたを あいした あいが あいより あかく あかい あいは あかより あかく あかあかした あい
美しく咲く薔薇の花がある それを見ている僕がいる 花と僕は向きあっているのか 薔薇を見つめる僕がいて 僕に見つめられる薔薇がある 僕も薔薇も意識が創る幻想 じゃあ、意識ってなに? 秒針がカチコチと鳴っている 刻と刻が向きあっ
牛頭人身の晦(くら)き怪物 ミーノータウロス 醒めぬ欲火に身を焦がし 性欲の火炎を吐く者 雷霆(ゼウス)との約束を違えたミーノース王 その報復をうけた后から生まれ 堅固な大迷宮(ラビュリントス)に封じ込められた 罪なき、哀れにし
詩人は真実を歌う 明けの金星に誘われて 青い光が降り注ぐ梢で 一羽の告天子になる 雲雀は妄言を歌う 「昨夜に見た夢は 最高だった!」と でも告天子は―― 陶酔に溺れない 詩人は気軽に話しだす 仲間と心を通わそうと
赤――! 愛と憎悪の炎 地獄の劫火、愛のサラマンダー 橙――! 活力が湧く源泉 電灯の竹芯(フィラメント)の温くもり 黄――! 裏切りと不信、嘘 ユダに隠されし貧しき心 緑――! 天を一途にめざす葦の
目前に迫るのは三叉路だ 右か、左か? あるは 来た道をまた戻るのか? 最高の人生はそのまま 傾かないのがヤジロベイ! English version Yajirobei Before me looms a fork in the road, Right or left? Or back to my load
1分33秒 詩人のためのソネット くぁzwsぇdcrfvtあ yhぬjみk,おl.p;え pl,お
運命に抗える天津風(あまつかぜ)の乙女よ 一枚絹のペプロスの衣を纏いて 長い髪を編みあげ、孔雀の飾りも艶やかな 高貴なるイーピゲメイアよ 雷霆(ゼウス)を掲ぐる神々が下す運命も 梟雄(きょうゆう)の王が恣意(ほしいまま)に下せし酷命も
短い午睡から目醒めると ほんのり、雨の匂いがする 耳をツンとそばだてても 鈴葉の音ゝ(おとと)は聞こえない 湯気に曇ったような窓 銀白色のひといろ染(そめ)で 雨滴の可愛い足跡もない 土の小太鼓、知らん顔 けれど、雨の匂いが
汝、太古より狩猟の民を守護(まも)り 神秘なる光は夜の闇を明(あか)らめ 獲物もとめる獣の息を白(しら)ませ 逆立つ獣毛(じゅうもう)を光らせし 汝、古(いにしえ)には苗を植える刻(とき)を教え 満ちて欠ける月灯りは仄影(そくえい)を
ある都市をめぐって、神々の戦いがおきた その守護神は、どちらの神が相応しいのか そういう選手権である。――関取入場! 西の横綱、ポセイドーン! 対しましては 東の横綱、アテーナー! ――行司は 市民代表のみなさんです 「生活に役立
愛ある理想を希(のぞ)める者よ 穢(あい)なき大理石を彫(ほ)む者よ 万物の至高、心魂(こころ)の美を求む者よ 神と人の似姿(にすがた)を刻む者よ 汝、ピュグマリオーン なぜ、衣(ころも)を纏わせしや 汝、一
【抄訳詩】"Ode on a Grecian Urn" John Keats
"Ode on a Grecian Urn" John Keats ギリシャの壺への頌歌(甘味なる永遠)―抄訳 ジョン・キーツ おまえは穢れなき、静けさの花嫁、 おまえは静寂と、ゆるやかな時の養子、 森の歴史家よ、誰に出来るのか、
勝敗の別れめたるスカイア門に 遥かに見ゆ隅櫓(すみやぐら)に立つ妻は 戦場(いくさば)の狂気に満ちた瘴気を吸い 風に煽られ神懸かれば そぞろ気(げ)に求むるは愛する夫(ひと) ようやく無事に逢えたるは スカイア門の影、懐(ふところ
トロイアの王女、カッサンドラーよ 汝、なんのために、この世に生まれ来しか 神に恋われ、金の聖花を咲かせし乙女よ 悲しき予知夢に、赤い口唇(くちびる)が震えている 「そちの予言は誰も信じぬ」 太陽神(アポローン)の愛は、呪いの言葉となり
土と水をまぜまぜして はい出来上がりました これが人間です 男です アダムじゃありません 作ったるは 神の怒りもなんのその 人間に火を与えた プロメーテウスさん 一応は神々の一員です ところでちょっと聞きますが 「
潮騒が奏でるは、嘆きか 愛撫か、慰めの楽(がく)の音(ね)か 川の瀬音、せせらぎの歌 滝壺へ落ちては、蘇るは 愛しく人を思うゆへ 毒牙に翻弄(あそ)ばれ、踵を噛まれ 死んだ妻、ヱウリュディケーを 苦しく思うゆへ、嘆くゆへ 竪
詩人は脚韻を踏む 神秘を求めて 終わりの言葉は木霊となり やがて我が胸に還ってくる 憤懣の詩歌(うた)は殷々と響いて やがて我が胸に還ってくる あんたなんて、大っ嫌い! いや、違う、嫌っていたのは—— 私、この私自身 私
文学は死んだ! 読み手はもちろん 書き手も死んでいる 死屍累々の荒野(あれの)には マナの雫(しずく)は潤わない 「わたしは山田太郎 17歳の高校生です」 禁じ手の書き出し 意味不明な会話文 表現を棄てた擬音語の羅列 ラ
「愛は全部キモい」と 有罪判決を下し 十三階段を登らせ 愛を絞首刑に処す人 愛を知らない裁判官 人類史も思想も 宗教すら知らずに 恣意的な愛を呟く 愛もさまざま エロス――性愛 人と人の間で フィリア――友愛
さあ、さあ 炎の中へ手を突っこめ 理由(わけ)を、理由を 向いた先で力に会って 今度は、今度は 真っ白く恐ろしい感覚 引いて、引いて 極からまた別の極 夏から春へ 山から空へ サマリア人から罪(シン)へ そしてそれは
太陽を背に飛翔している 君の表情は逆光で翳のなか だけど気持ちは汲みとれる ――用意はいい? と微笑む悪戯の女神なのさ 二人、密な編隊(フォーメイション)を崩さずに 天空めざして駆け昇ってゆく 唐突な目配せ(サイン)のあとに
【作詩】ライの国の七つの海――Seven seas of Rhye
丘の墓地から見える海 波濤をかき乱しながら 渦潮が海鳴りをあげて 歌う声が聞こえてくる 旋律は砕けてはまた結ばれる 風が吹き抜け、海鳴が舞い戻る 生と死の行進を織りなしながら 父から子へ、子から孫へ 祖母から母へ、母から子
昇る太陽に小躍りしてごらん 愛する人などいなくても 沈む夕陽を寂しがってごらん 愛する人と一緒にいても いつでも、どこでも 愛は魅了する不思議な光 綺麗なビーズみたいな 小粒な愛にしがみつき 沢山の人を傷つけて 傷ついて
【作詩】黒き女王の行進曲―― The march of the back queen
母からもらった贈物 白き女王への純真さ いつかある日の気づき 宝箱にしまった心… それがどうしたの? 満月がどれほど強く蠱惑するか 知りもせずに愛だなんてね いいから、こっちへいらっしゃい さあ、この行進に参列せよ! わ
君と僕が出逢ったのは 階段を降りたさきだった 漆黒の扉が誘(いざな)う理想郷(アルカディア) 赫灼(かくやく)たる永遠の時の川 唇が黄金(こがね)色の麦酒(コロナ)に濡れ 接吻はライムの香りがした 心はテキサスの黄色い薔薇(イエロ
【作詩】妖精「樵」の巧技――The Fairy Feller's Master-Stroke
アイルランドの妖精すら 逢ってみたいと噂しあう 伝説の精がいるという その名は通称、妖精「樵」(フェアリー・フェラー) 性別はまるで不明瞭 男(フィル)の姿といわれるが 嘘か真(まこと)か知る者はない 性別なんてないんだとも
今は昔、昔は今 老いて白髪になった 俺の話を黙して聞け! 口を閉じて聞くんだ 狂宴は終わったと懶(ろう)するな 占いが大吉だからと 有頂天になんかなるな 美酒に酔って自惚れるな ハメルーンの笛吹き男に 気をゆるして油断する
【作詩】遂には敗残者――The loser in the end
「子どもじみた遊びは いい加減に辞めなさい」 母の口癖が突き刺さる 意思を奪う悪魔の槍が 僕の心に子宮(ヒス)が住みついて 毒蛇がとぐろを巻くように コブラはチャンスを窺う ――いつか見ていろ! 「ねえ、ハンコ貸して」
本当の気持ちを 打ち明けたことはあるかい? いつかある日 そんな日が来るかもしれない 部活が終わった僕の後ろから 君は声をかけたっけ 「先輩、一緒に帰りましょう 方向どっちですか? 同じだといいんですけど」 紺色の制服の
あの人に出会った日は もう思い出せない 白い霧と雨に霞んで 哀しみの涙で見えない お別れの日に 忘れないでと手渡した 帆布(カンバス)にはソルジィの絵が 桜が蕾をつけはじめた 春かぜ香る卒業式の日 貴女は近寄りがたい
ぼくが父から引き継いだもの 二重螺旋の糸車、DNA いうなれば、ぼくは父のコピペ よくできた あるいは、できそこないの焼き増し ある人は屈託なく言った 「後ろ姿がそっくりね」 その背中を追うように 父が愛した映画をなぞり 抜
沈黙の風に吹かれて歩いている 前を往く人の背中を見つめて 後ろにつづく人びとも ただ背中を見つめて歩いている ヒタという足音すらなく 行列は粛々と進んでゆく 霞んで見えない先頭 後尾も靄の向こうだ 周囲には健気な動物たち
妖精はおとぎの国で嘘をつく よくあることであたりまえ 陽気な声で法螺うたってる ライライ、ラララ、ライ、ライヤー 妖精はまた真実も語ります どれがほんとかわかりません 玉虫いろの歌で酔わせる ジェンジェン、ジェジェジェ、ジェ
雁が秋の空を飛んでゆく あのご婦人の笑顔 朗らかさと健やかさ どこにも陰がない光 ぼくには眩しかった 手の届かない憧れだった あどけない子どもたちも また貴方に似ていた だけどそれは突然に壊れた 病に伏せたあなたは 鳴
力自慢の太っちょ兄さん 布袋腹には金貨が詰まり お尻の穴から紙幣もだせる おしっこは黒い燃える水 兄貴の掲げる旗印は 自由と平等、開拓精神 観光旅行が大好きで ブランド集めが無類の趣味 旅先で怪訝な空気を嗅ぎとると とた
閃光と爆煙の花が咲き 砲口から霧が流れる 対岸に見える女戦士 それは突撃の合図か 「警戒せよ!」と口笛ふけば 草原の蒼空に鶴の歌 それは世界を守る歌 女戦士はカチューシャに似て ああ歌よ、口笛よ 飛んでゆけ、塹壕に隠れて
アポローンの馬車が丘駆けのぼる 目をこする眠くて眩しい朝がきた とこ、とこ、と常歩(なみあし)は穏やかで 洗顔、朝餉(げ)にお茶の香(かおり) 月桂樹の黄花の足並みタンゴを踊る 両手をふって上をむいて歩きだす とっこ、とっこ、速足(
鍛鋼(たんこう)の鎧きた勇者 ドン・キホーテが闘い挑む 理性の剣を突きだして 感情の盾、怯まず守る 攻撃は激しくて 盾は防戦するばかりかと 渾身の盾打ちで ここぞとばかり反撃が飛ぶ ドン騎士はよろめいた 耳奥からはスパルタ
Ⅰ それが、何世紀前におこったか誰も知らない。 ただ、この物語を残した者が、確かに人間だったことが記録から読みとれる。そして今、この物語に耳を傾ける者が、確かに人間であるか誰も知らない。 漆黒の宇宙空間に浮かぶ、自律AI万能型人工
黄緑いろの芽がでたよ にょきにょきと茎が伸びては 蕾は青空めざすのさ 一面に電子の花が咲きまして あら美しき満開の薔薇 幻視の棘は優しくて 指を刺すなどありません 匂やかでデジタルなLa Vie en rose(バラ色の人生) ある学者さ
街はぐるりと壁に囲まれ 鈍色で赤錆びて垢まみれ 楼閣みたく暗雲さして 兎角(とかく)すれども果て見えなくて 捻れ歪(いびつ)で醜くて 俺の歌が歪曲される 悪魔の蹄(つめ)が鳴りだして 厭らしき笛の音が胸を苛(さいな)む 「お
語りえぬ幾多の苦痛に 苛まれるの悔いはなく 激情という黒い鬼火の 暴虐の声、抗えぬまま 翳に紛れた暗晦が 心の闇を抉りだす その闇の奥底は 奈落の果てに届きはしない 生きんとし絶叫する咽頭(のんど) 闇の奥では恐怖が笑う
慣れてない、きみの笑顔は 卑屈な僕に寄り添った その喜色、照れだと知れば とたんに顔がほころんだ 頬に桃色、灯らせた 差し出す両手、震えてた ほろ苦い珈琲の香り テディベアが温かく抱き きみの愛情、心に満ちた 首に巻かれた
羽毛のように飛翔する愛 手と心をすりぬけて いつも誰にでも公平な愛 二人で分け合うなんて あなたが私を愛しても 二人抱えられなくて 私があなたを愛しても 独り占めできなくて ああ、愛の溜息が宙に浮かばせる 一枚の羽根は天穹
頭じゃ解らない 体でも分からない 心で感じれられるのかな? ぜんぶを足したのが愛? 論文じゃ解らない 散文でも分からない 韻文で感じられるのかな? 読みとれないのが愛? 文字にすれば 言葉にすれば 声音(こわね)にのせ
空想家は孤独を粧飾(しょうしょく)する夢想家は愛を讃美するかれらは人間を知らずに自分をあやす絵筆にする絞りだした妄想を捏ねあげて断片をつないで塑像を作る耽美に耽溺し、遊戯する愛おしいのは自分とその妄想現実家の知る孤独は奈落だ実際家の感じる愛は激
わたしの名前はマポです わたしには祖父と祖母と 父と母と 兄と弟がいます
胸で蠢く疼く悲痛黒く不気味な戦慄と絶望わたしは穢れているこの不浄は拭えないわたしは決して赦されないぼくは汚辱を受け入れるぼくはすべてを赦すからぼくの言葉を信じてくれきみは崖から飛び降りてぼくに全魂をまかせたよぼくだから抱きとめるとぼくでなけれ
身体(からだ)は乾いた薪となり思考は怒りの焰(ほのお)を点け気分は薪と焰に油を注ぐこうして怒りの輪廻は起こる業の輪は鎖となってつらなる放火魔が放った火は燃え移る「なんでお前はそうなんだ、あの時もそうだった!」「黙れ! お主はまた儂に口出しするか!
あなたがいてわたしがいて言の葉の風が吹く言の葉の風は縁(えにし)となり慈悲が輪舞しあなたとわたし親しくなった偽りの暗雲から鋼鉄の雨が降る自由を奪う豪雨に仏陀は濡れて金の口を開く「因の輪 縁の輪 果の輪が 繋がることは 不自由だ 時間
犬はわんとなき猫はにゃんとなく鳥はさまざまで人はなんでなく?悲しいから辛いから寂しいからでございましょう慟哭は喉で降り止ぬ北国の猛吹雪嗚咽は息を殺し待つ晴天の俄か雨そよ吹く穏やかな春の風に揺さぶられ桜が散るはむせび泣き悲しくも辛くもなく
父よあなたは強かった 打ちっ放しのコンクリに 深淵に繋がる穴ひとつ 窓から見える空すらも暗灰色の隔離の病室(へや)痴(し)れた頭で書いたのは「妙とは蘇生の義なり」とは ペン字を習ったその筆は 痴れてなお麗筆だった 父よあなたは弱かった
太陽 ひつじ雲 あま雲 鳩 烏 雀~♪ 脳 あたま 耳 目 目 耳 鼻 口 肩 鎖骨 首 鎖骨 肩 腕 胸 腕手 腹 手掌
天使の顔した淑女がひとり 社交辞令の瞳が笑う悪魔の顔した紳士がひとり 金槌鉄砧(かなづちてっしょう)の瞳が嗤う 青ざめた笑顔は喪服で天使の顔した淑女がひとり 「女の子みたいなかわいい男(こ)」 社交辞令の瞳が笑う 黄ばんだ嘲笑は法服のよ
終わりにするといいつつ終わらない。 というのは、大体こういう連載記事を書いていると、最後の方に最重要なことに気づくからだ。そしてそれこそが思索の強みであり恐ろしさでもある。 一応『詩学』のなかにもあるのだが、詩は真実を語っているという前提がある。しか
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子ども心の夜を明らめた燈火(ランプ)で 幼馴染の三人はたがいを照らしあった 一輪の花、一茎の草、榲桲(マルメロ)の木、床の染み、壁の剥がれ 目に、耳に、指に触れるのはみな聖堂だった 時は巡り聖女は習俗に嫁いだ 僕たちは天に憧れたまま空
「apprivoiser(アプリヴォワゼ)」の訳が難しいって話、確かに多くの訳者が苦労したところだよね。辞書的には「飼いならす」って出てくるけど、それだけだと結局、支配とかコントロールみたいなニュアンスが強すぎる。でも、実際にはその言葉には、もっと深い人間的な関わ
愛を探して歩いたが 都会の迷宮は方角すら掴めない あの人の宮殿は遠かった 緑の丘に白い高殿はあった あの人は北を見つめていた 死神に誘惑されるまま 水晶は砕け、ガラス玉へと 二人は塩辛い飴玉を嘗める 逃げゆく愛を追いかけて
世に呼ばれし名は完全なる兵士(パーフェクト・ソルジャー) 遺伝子操作が生んだ悲劇の虜 戦うことを宿命づけられ 勝つことを目的とする悲しみ 神に決して触れられぬ者 "Y(イプシロン)" 勝利なき戦いと知らずに銃をとり 金髪は血に塗(まみ
この戦いは三十万年も続いている この先にまだ百年は続くのだろう 蠅は木の実を食べ草べを喰(は)う 満たされずに肉に喰(く)らいつく 燕は空と海を駆け地に降りる 切れた尾羽根は迷いを消す旗 蝿は群れをなして正しいと喚く 小さな声
瑞希よ、わが眼前を歩みゆく乙女よ 幾度も通りすぎては振り返りもせず 思い出の貴女(あなた)とは違う誘惑顔をして 黒い綾編み(レース)の礼服(スーツ)に黒い網タイツを履き 剥き出しの素肌、その両腕は寒々しい 頑なで、鋼のようで柔らかげな
『夜間飛行』を読み終えた。現実に手が震えるほど感動した。本作は、一言で言えば「理想の上司」「使命感を背負った理想の人間」の物語である。もちろんそれは主人公リヴィエールを指す(この名前は、他の川に流れ込む川という意味であり、海に注ぐ川ではない)。 彼を
暗黒のなかを黒い鳥が走って翔ぶ 姿も見えず、有り様もわからず あたかも沈黙に潜む沈黙にも似て 現(うつつ)と想(おもい)を見つめる両目に啓示の兆し 人類は科学とともに著しく進歩した 粗黒(マット)に塗られた黒い怪鳥は姿を見せた 音
星ひとつ見えない夜空に 上弦の月が浮かんでいる ぽっかり何も囁きもせず 夜の帳に包まれた道々に 光の彩が花と咲いている 通り過ぎる前照灯(ヘッドライト)、尾灯(テールライト) 花壇を照らす電灯は温かく 頬を撫でる一陣の風を感じ
汝(なれ)が神だというのか? この草も木も、やがて散る この雫を友とする紫苑(シオン)の花も ――それすら神だというのか? 殴られし、沈黙の痛み 滴り落つ、血の苦しみ 笑いと涙、歓喜の川 愉楽の饗宴――それすらも、汝か? 汝
【歩格とはなにか?】 これを単純化して語るのは難しい。 まず大別すると、二種類に分けられる。長短(短長)と強弱(弱強)である。 長短とは、長い音と短い音を組み合わせてリズムを作る格である。 強弱とは、強い音と弱い音を組み合わせてリズムを作る格である。
英国風の庭園で過ごした 懐かしき思い出が蘇る 君は金髪を風にまかせる 稀有な親しき友だった 古びたテーブルに二杯の紅茶 黄赤紅(きあかべに)から盛んに、澄んだ 湯気の精が立ち香っていた 彼女は伏し目がちに口にした 「私たち、
あーした、こーした あれよー、これよー あーした、こーした あれよー、これよー あーこれ、ちょー格 短はー、こうよー あーこれ、ちょー格 短はー、こうよー こんなにするとね 長短と短長は とっても、わっかり、やーすい
あなたは生を求めに求めた そして神聖な火が 大地の奥処(おくか)から湧き起り 赫灼と照り輝いた。 おののきふるえる渇望のままに あなたは身を投じた エトナの焔の中に。 このように 女王の傲りは 酒杯の中に真珠を溶かした その傲りはさも
いつかの暑い夏に啼き誇った 一匹の見も知らぬ蝉よ 今も網戸に抜殻を遺すお前よ 白く柔らかい体を伸ばし 雄々しく空へと羽ばたき 短い命を燃やしたお前よ その抜殻はまだなおも 時雨に打たれたまま黙し 琥珀色の殻陀(からだ)は朝日
ひと繋がりに並ぶ街路灯に 白い火が灯った夜の街で 赤信号に行く手を阻まれ 振り仰ぐと、満開の桜花 ぼんやりと、くっきりと 霊気に照らされた妖精たちが 浮かび上がり迫ってくる 奈落からの使者のように 恐懼と不安、勇猛と安心
さて、本書が無意識の世界を描き、かつシュールアリスム批判の作品という解釈はすでに述べたが、ここでそれを証明する部分を作中から引用しておこうと思う。 「『部屋の精霊』が開幕を知らすのであった。くり返して言うが、この劇場の主役たちは誰一人として見物人の役目
愛する兄弟(はらから)よ! 思うに我らの芸術(わざ)は 若人にひとしく 長らく泡立ち沸き返り やがて美の静けさへと熱するのだ ひたすら心虔(つつま)しくあれ ギリシャびとのように! 神々を愛し 死すべき人の身にこまやかな思いを寄せよ!
華やかで啓(ひら)けたまっすぐの路(みち) 舗装され平らに広がる路 春霞(かすみ)で先が見えなくとも 風と香りに誘われて歩く 草おい茂る曲がりくねった径(みち) 小石だらけのでこぼこした土の径 秋霧(きり)で先が見えなくとも 露
「カップ麺でも食べるかな」 水垢のついた蛇口を捻って ケトルに水を注ぎ火にかける 換気扇の紐を引き汽笛を待つ ピューウーキューと蒸気が昇る とくとくと、お湯を注いで待つ 「やることないなー」と暇になり 何を思ったか、電気を消した
「第一部」は一般庶民、いわゆる平民の世界を描いたものだが、「第二部」は、がらりと変わり、王侯貴族たちの世界が描かれてゆく。 しかし、その前に、ファウストが「グレートヘンの悲劇」からうけた傷を、自然のもつ力で癒される「風趣のある土地」の場面が描かれる。
以下、読書メーターに投稿した感想。 第一部はグレートヘンの悲劇が描れる。物語のあらすじは複雑ではないが、そこにある思想や暗喩を読みとるにはそれなりの思索力がいる。とはいえ、そこは訳注が非常に役立つ。主題は、生命を対象化する(=知識の獲得)ではなく、生
すべては虚しい。 自分が学び得たことを 惜しげなく与えようとしても 嫌われるのが人世だから。 言葉は虚しい。 発された表面だけをおい 奥に秘められた心を 見つめられないから。 思考は虚しい。 光か影かだけに スポットをあて そこしか照らし出
「舞台の前曲」は、本編に入る前に、「戯曲(Drama)」の果たすべき役割や社会的意味を提示した章といっていい。 その構造はゲーテの特徴といえる三位一体的であり、「座長」「道化師」「座付詩人」の会話となっている。 それぞれ「座長=快楽主義」「道化師=実利(な
ゲーテ『ファウスト』全編の個人的考察を行っていこうかと。 (最後までできる自信は毛頭ないけれど……) まずは「献(ささ)ぐることば」から。 この「献ぐることば」は、ゲーテが『ファウスト』を書きはじめてから長い中断の時期をへて、シラーの勧めがあって再
いやあ、面白かった! と、またしても小学生なみの感想から記事をはじめてしまったが、本当に面白かったのだから仕方がない。 それはさておき、本作の原題は「Much Ado About Nothing」である。 お気づきの方はお気づきだろうが、韻が踏まれているので、タイトル
読んだ順番とは逆になってしまったが、「読書メーター」に投稿した感想をエントリーしておく。 たぶん3回めの読了。本著を手に入れたのは25歳くらいのこと。当時、シュワイツァーのことは辺境医療の先駆者くらいの知識しかなかったが、読んでたいへん感動した記憶が鮮明
以下は「読書メーター」に投稿した感想。 だが、少しばかり加筆もある。 理想と現実の乖離に悩み、目に映るものすべてを見下して批難し、ときに誹謗中傷してしまう心理は、多くの人がある時期に経験するものだ。かつまた、メタ認知力のある人なら、何にでも怒りを吐
ぶっ飛んだ作品で面白かった。 ものごとの感想を訊かれたとき「面白かった」と答えるのは、愚の骨頂だというのは知っている。しかし、本当に面白かったときには、なんの邪気も作為もなく「面白かった」という小学生のような感想になるのが人間なのだと思う。 『じゃじ
とにかく素晴らしかった。 こういう作品を読むと、文学っていいなと、つくづく思う。 とはいえ、「近代の孤独」に習い性な人や、近現代が大好きだったり、実利主義だったり、物事の表面しか見ない人たちからしたら、まったく意味不明の著作なのだろう。 その辺が、
哲学者・納富信留さん曰く「『ゴルギアス』はプラトン著作の入門書として最適」。 確かに読み終えて、氏の言うことに納得できた。 哲学というものが、どういうものかがよく理解できたからだ。 ぼくたちの無教養はそれほどのひどい状態に至っているのだよ。 さて、
「大東亜戦争」と表現のSNS修正 陸自部隊の活動紹介「誤解を招いた」 つらつらと記事に寄せられたコメントの半分くらいに目を通したのだが、まともなことを言ってる人が一人もいなかった。日本人は駄目だなと、かなり絶望させられた。 じゃあ、お前はどう思ったんだ?
現象学がたどり着いた場がどんなかを説明するのは、なかなか難しい。 しかし、以下の引用を読めば、何となく理解できる人はいるのかもしれない。 歴史学的に見て、それ自体において最初のものは、われわれの現在である。われわれはいつもすでにわれわれの現在の世界
ララァ「ひとつの文明のはじまりから終わりまで、せいぜい1万年と少し。人が作ったものだって10万年も経てば塵も残さずに消えるわ。100億の時を数える宇宙で、わたしたちがいくつめの世界を生きていると思って。それは無限につづく螺旋階段のようなもの。果てない円を廻り
奇妙な夢を見た。 それは、自分と女の子が身体をぴったり寄せ合わせて歩いている場面からはじまった。 というより、起きた時の記憶によれば、そこがはじまりだったとしか言えない。 視点は三人称視点、すなわち、自分とその子が歩いているのが見えていた感じ。 で
否定的であることは、無に通ずる。 われわれはただ(中略) 黙々と正しい道を歩みつづけ、 他人は他人で勝手に歩かせておこう。 それが一番いいことさ (ゲーテ) 世の中、詭弁に溢れていて、ほとほと嫌気がさしている。 しまいには、聖書や仏典にある言葉
この命題に答えるためには、まず、ありのままの定義が必要である。 見たものをみたまま受け入れるなら、それはありのままと言えるかもしれない。 また、われわれの視覚と意識には制限があるとするなら、われわれは事物をありのままに見れているとは言えない。 しかし
生活とは、たえず〈世界確信のうちに生きる〉ということである。〈目覚めて生きている〉とは世界に対して目覚めているということであり、たえず現実的に、世界と世界のうちに(、、、、)生きている自分自身とを「意識している」ということであり、世界の存在確実性を真に
客観的諸科学、特に精密科学がどれほどその明証的な理論的ならびに実証的の成果を力として、それだけが唯一の真の方法の場であり、究極的な真理の宝庫であるとみずからを評価しようとも、それらの諸科学は一般的かつ厳密に言って、学問ではない。すなわち究極的な基礎から
「コギト・エルゴ・スム」、いわゆるコギト。日本語では「我思う、ゆえに我あり」という自我意識に対する命題の解は、現在でも根本的な真実ということで、多くのひとに知られている。 しかし、この「コギト」に重大な誤謬があることを知る人は、案外少ないのだろう。 ま