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生かされるまま生きる http://blog.livedoor.jp/ipsilon/

ひきもり生活の改善と社会復帰を目指して、自分探しをしています。

かつて鬱病で引き篭もっていたオヤジの独白ノートです。時系列にそった自分史を書きあげ。今は適当に日々を生きている、オヤジの心の日記です。

イプシロン
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2010/05/19

イプシロンさんの人気ランキング

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  • 夢と現象学

    夢と現象学

    奇妙な夢を見た。 それは、自分と女の子が身体をぴったり寄せ合わせて歩いている場面からはじまった。 というより、起きた時の記憶によれば、そこがはじまりだったとしか言えない。 視点は三人称視点、すなわち、自分とその子が歩いているのが見えていた感じ。 で

  • 詭弁も使い方しだい

    詭弁も使い方しだい

    否定的であることは、無に通ずる。 われわれはただ(中略) 黙々と正しい道を歩みつづけ、 他人は他人で勝手に歩かせておこう。 それが一番いいことさ (ゲーテ) 世の中、詭弁に溢れていて、ほとほと嫌気がさしている。 しまいには、聖書や仏典にある言葉

  • われわれはありのままに物を見ることができない

    われわれはありのままに物を見ることができない

    この命題に答えるためには、まず、ありのままの定義が必要である。 見たものをみたまま受け入れるなら、それはありのままと言えるかもしれない。 また、われわれの視覚と意識には制限があるとするなら、われわれは事物をありのままに見れているとは言えない。 しかし

  • 日常に目覚めること

    日常に目覚めること

    生活とは、たえず〈世界確信のうちに生きる〉ということである。〈目覚めて生きている〉とは世界に対して目覚めているということであり、たえず現実的に、世界と世界のうちに(、、、、)生きている自分自身とを「意識している」ということであり、世界の存在確実性を真に

  • フッサールの基本的信念と見解

    フッサールの基本的信念と見解

    客観的諸科学、特に精密科学がどれほどその明証的な理論的ならびに実証的の成果を力として、それだけが唯一の真の方法の場であり、究極的な真理の宝庫であるとみずからを評価しようとも、それらの諸科学は一般的かつ厳密に言って、学問ではない。すなわち究極的な基礎から

  • 「コギト・エルゴ・スム」問題

    「コギト・エルゴ・スム」問題

    「コギト・エルゴ・スム」、いわゆるコギト。日本語では「我思う、ゆえに我あり」という自我意識に対する命題の解は、現在でも根本的な真実ということで、多くのひとに知られている。 しかし、この「コギト」に重大な誤謬があることを知る人は、案外少ないのだろう。 ま

  • わたしは何を知れるのか?

    わたしは何を知れるのか?

    タイトルにした問いは、古今東西にわたって人類が長年考えてき問いである。 古代ギリシャを尋ねれば、デルポイの信託に「汝自身を知れ(グノーティ・セァウトン)」という言葉にぶつかる。 16世紀に生きたモンテーニュが長大な『エセー』を書いた動機は「私は何を知る

  • いまどき宿業論を信じる馬鹿らしさ

    いまどき宿業論を信じる馬鹿らしさ

    「仏教的には地震や津波の犠牲者も過去世の業が原因なのか?」という問題がしばし炎上しますが、仏典とその註釈を注意深く読む限り「その可能性が高い」と言う外ないです。 こういう見解は顰蹙を買うかもですが、これは私の意見ではなくて、仏典と注釈にそう書いてある

  • 真実を語ること

    真実を語ること

    仏典には真実を語るには4つの特徴があると説く。 その心は、以下のとおりである。「立派な人々は説いた――〔ⅰ〕最上の善いことばで語れ。〔これが第一である。〕〔ⅱ〕正しい理(ことわり)を語れ。道理に反することを語るな。これが第二である。〔ⅲ〕好ましい言葉

  • 出家と在家

    出家と在家

    『サンユッタ・二カーヤⅡ(「悪魔との対話」中村元訳)』を読んでいて、つくづく思ったのである。 出家と在家は価値観が相当違うな、と。同列で語ることはできないし、ある部分では価値観が対立している、と。 しかし、その価値観の違いが、時代の進展とともに綯い交

  • 真

    初期仏教が説いた「真」とは、いったい何だろうか? これを正確に言葉でいいあらわすことは絶対に不可能だ。 なぜなら、仏教によって説かれた「真」、つまり真理は「何も説いていない」ということだからだ。 経典にはこうある。 仏には、「説く」ということがな

  • 初期仏教における布施と布教

    初期仏教における布施と布教

    もう何年前になるか忘れたが、日蓮遺文を読んでいて疑問に思ったことがあった。 それは布施(供養)に関する内容であった。 日蓮が信徒から物品の布施を受けた返信はこんな感じであった。「これとあれとそれという(物品の)供養、ありがたく受け取りました。本来供

  • 他者と他人

    他者と他人

    この問題は非常に深いのである。 なぜなら、哲学がいわゆる「他者」について深く考察するようになったのは、フッサール現象学(わたしが現象学という場合、ほとんどフッサール現象学のことを指す)が現れてからなのだから。 したがって、哲学において真摯に「他者」が

  • フッサール現象学における今

    フッサール現象学における今

    フッサール現象学については、これまで自分なりにまとめてみようという気持ちはあった。だが、それをしようとすると説明が複雑になり、余計に現象学への理解を妨げると思ってきた。 ゆえに、何度か記事にしてみようとしたことはあるのだが、いつも途中で投げ出してきたの

  • 無始無終〔永遠〕の生命にあるカラクリ

    無始無終〔永遠〕の生命にあるカラクリ

    大乗仏教はとにかく「無限」というのが好きである。 それは、現代人も同じで、人間は「無限」とか「永遠」といった、量ることのできない概念が大好きなのだ。 君には、無限の可能性がある! 一般に、こういう言葉は人に希望を持たせる。多くの人が無限という言葉に好

  • どの本尊に功徳があるのか問題

    どの本尊に功徳があるのか問題

    答えは明瞭、どの本尊にも功徳はある。 じゃあなぜ、創価学会と日蓮正宗はああも口汚く本尊論を中心にして互いを罵り合っているのか? この答えも簡単。 それは、社会倫理というものがあるからだ。 破門された教団が、破門してきた教団が奉じている本尊を認める

  • 仏教はなに主義か?

    仏教はなに主義か?

    この問いに答えるのはなかなか難しい。 キリスト教のように唯一絶対の神なる存在があるとするなら、「絶対主義」だと簡単に判別できるし、神や宇宙の法則などといった絶対的な存在は無くすべては異なる存在であり、その意味でいうなら世界は相対的であるとするなら、

  • 曼荼羅本尊に拘る愚かな人たち

    曼荼羅本尊に拘る愚かな人たち

    創価学会と日蓮正宗、というか日蓮系の教団というのは、どうしてああも本尊に拘り、不毛で無意味かつ骨肉の争いを続けるのだろうか。 真面目に関わる気など、もはやもとより持ってはいないが、あまりの愚かさに思わず助言してしまいたくなる。 というのが今回の記事(

  • 五蘊からみる「空」

    五蘊からみる「空」

    「色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと、――わたしはこれではない。またこれは、わたしに属するものではない。このように観じて、わたしはそれらについての執着を離れる。このような執着を離れて、安穏に達し、一切の束縛を超えている者を

  • 破邪顕正

    破邪顕正

    最近知ったのだが、この「破邪顕正」という仏教用語は、もともとは三論宗の根本教義であったのだそうだ。 したがって、破邪顕正の本来の意味は、現代の一般的な意味「邪道をうちやぶり、正しい道理を世の中にあらわし広めること」という意味ではない。 ではどういう

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