思い煩っている状態とは 突然、襲ってきた事態を 脳が処理できていない状態の事。 キリスト者は、 直ぐに神に委ね切ることが肝心です。 考えを巡らせたところで …
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
思い煩っている状態とは 突然、襲ってきた事態を 脳が処理できていない状態の事。 キリスト者は、 直ぐに神に委ね切ることが肝心です。 考えを巡らせたところで …
信仰を神から賜わって キリスト者は救われたが、 その信仰は先に救われた 誰かを通して 伝えられたものだった。 今度は私たちが伝える番。 自分の親兄弟、子ども…
三位一体の位格の一つである 御子イエス。 私たちの罪の贖いとなるため 最も弱い姿でこの世に来られ、 最も惨たらしい姿で殺された。 なぜ、そんな惨めな経験を …
五感を通して入ってくる 情報を基にして 私たちは様々な判断をします。 特に視覚情報は 私たちの思考に 大きな影響を与えます。 私たちはこの地上で 生きており…
イエスの十字架の死による贖いと 預言通りに復活されたことにより アダムの背信と堕落により サタンが手にした人間支配の 二大武器である罪と死が 無力化された。…
この世は悪に覆われています。 この世の王がサタンなのですから 当たり前と言えば当たり前です。 ですが、そうであるからと言って キリスト者も悪を行なって 良い…
義とは神との関係が 正常化している状態を言います。 神は全きお方であらせられるので、 罪を犯した人とは交わり得ません。 神に義と認めていただくためには その…
神はみことばによって 万物を創造されました。 その神の似姿として創造された 私たち人間も 言葉でもって様々なものを 造り出します。 言葉には創造性があるので…
イエスは極重悪人である私たちを 命と引き換えに罪の赦しを得させて 救ってくださった。 これに優る恵みがあろうか。 私たちを救い出すために 命すら惜しまれなか…
「仕える者となれ」 これはイエスが残された 新約時代の戒め、 新しい律法です。 キリスト者が果たすべき事は 主イエスに倣って命懸けで 隣人にお仕えする事なの…
諸行無常の世に生きている私たち。 しかし、変らぬものがあります。 それはイエスのおことばである 福音です。 福音はとこしえに変わりません。 不変の真理を礎と…
救われたことを 誇りに思うのは結構なことです。 ですが神に選ばれたことを 鼻に掛けて他人を見下すような 人間になってはいけません。 ユダヤ人がつまずいたのは…
エルサレムの神殿の拝殿には ユダヤ人しか入れず、 外国人はユダヤ人のいる領域の 壁の外かまでしか入れませんでした。 パウロはこの隔ての壁を イエス様は壊して…
私たちには気付かなくても 神は私たちを導いてくださいます。 疑わずに委ね切る。 それが私たちに求められている事です。 委ね切るというと 何もせずにいる事だと…
キリスト者であれば ヨハネの福音書の1章1節は 誰でも知っているでしょう。 「ことばは神であった」 みことばが神なのです。 そのみとばは聖書に記録され 最終…
神は一人ひとりに 最高の人生を定めておられます。 神の臨在を確信して みことばを生きるキリスト者を 神は必ず祝福されます。 志の堅固な者を、 あなた…
度の過ぎた聖霊運動が 教会に問題を来たらしめたことが ありました。 彼らは牧師の制止も振り切って 預言という名の予言をして 教会を分裂に導きました。 しかし…
神は私たちの必要を 満たしてくださいます。 危急の際には 直ぐに必要を満たしてくださいますが、 最終的には、その必要を 自分で手にすることが出来るように フ…
乱世を生きる私たちは これまで以上に霊的な戦いを 勝ち抜いていかねばなりません。 とは言っても私たちがすべきことは 主のご加護を堅く信じて みことばを忠実に…
衣食住など 生活に直結する問題も ないがしろにすることは 出来ません。 しかし、先ずは 衣食住を含めた人生全般を 計画してくださっている 神との関係の回復、…
罪と聞くと 誰かに直間接的に 危害を加えたりと 民事、及び、刑事上の 法律に触れるようなことを することだと考えがちです。 勿論、それは罪ですが、 聖書で言…
主が共にいてくださる事に 心からの安堵を得て 安心して今を喜び生きることが 大切であります。 その状態を本当に喜んで 感謝の気持ちを表すことを 賛美と言うの…
私たちキリスト者は 主によって信仰を賜って 義と認められ、 神との親しき交わりを 得ることが出来るようになった。 その事を喜んで 救いのみことばである福音を…
聖書に書かれている 終わりの日の兆候が 現代社会に現れている。 戦後、宗教を忌避する傾向が 強くなったが、 それがGHQの指令によって 作り出されたものであ…
約束された勝利を 信仰の目で見ながら 主と共に前進し続ける者は 喜びながら勝利を刈り取ります。 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろ…
聖書を通して感じる 神についてのイメージ。 それは私たちを 救われるに値する者にするために 猛烈な特訓を課すお方ではなく、 みことばを通して私たちと 親しく…
自分の弱さをひた隠しにして 虚勢をはって生きているのが 私たちの姿なのかもしれません。 そんな窮屈な生き方から 福音は解き放ってくれます。 自分の弱さ(罪)…
政治経済の腐敗により 思い煩いが多い時代です。 生活は困窮をきわめ、 毎日の生活もままならない 人が増えてきています。 そんな中にあっても 生きる希望を見失…
互いの重荷を負い合うとは 命懸けで仕え合う アガペーの愛のことを意味する。 パウロはそれが 主イエスによって発布された 新約時代の新しい戒めであることを 思…
私たちが思い描く人生より 主が定められた人生の方が 遥かに崇高、且つ、理想的な ものであることを知っておこう。 自分の思いや願いは 肉の欲を満たすための 野…
自分の喜びを増すために 神を利用するようなことをせず、 神の御心に適った生活を送ることが 最高の喜びとなりますように。 しかし、私は主にあって喜び勇み…
罪を赦していただいた キリスト者であっても、 世の誘惑に翻弄されずに 居続けるのは難しいことです。 キリスト者であっても 肉を帯びている限り、 罪の支配は受…
ある程度の負荷をかけないと 筋肉が付かないのと同じで、 試練という負荷をかけないと 人は成長しません。 キリスト者は耐え得ない試練に 遭うこともないのですか…
心のうちにあることが 行動となり、 その積み重ねが生活となり、 人生となります。 心のうちに神のみことばが 刻まれれば、 行動も生活も人生も 神に喜ばれるも…
自分で立てた目標ですら ろくに達成できない私たちが 律法を完全に守ることなど 土台無理なのです。 律法を守れないのですから 死後は地獄が住処と ならざるを得…
主から託された使命を 貫徹することができるならば いのちも惜しくないと言い切れる 信仰が欲しいものです。 しかし、頑張ったとて それは無理だと思います。 し…
イエスの御名によって イエスがお持ちであった 権威と権力を キリスト者も悪霊に対して 行使できる。 しかし、そのような事よりも イエスの贖いによって 罪の赦…
主に委ねて歩み出したら 恐れない事です。 天地を創造された神が あなたと共におられるのです。 恐れる必要などありません。 主の臨在を確信して 勇気を出して前…
主に委ね切って 今を最善を尽くして生きれば 神も最善を尽くして 最も良きところへと 導いてくださる。 神の最善は あなたを救うために 御子イエスをも 犠牲に…
あなたの救いのために 自分の命すら 喜んで捨ててくださった イエスに望みを置いて この方と共に歩み続けてください。 自分の弱さ(罪)を知った今、 その弱さの…
イエスの語られた福音自体に 力がなかったとしたら、 イエスが天にお帰りになられた後、 時間と共にイエスも福音も 忘れられて行ったに違いありません。 しかし、…
神が信じる信仰を授けてくださり その信仰が心に根付いた時に 神との和解、つまり義と認められ、 その信仰を喜び公にする時、 救いの確信がもたらされるのです。 …
敵を愛し、 迫害する者のために祈れと イエスは教えられた。 結論から言えば、 凡夫に為せる業ではない。 先ずはその事を 知らなければならない。 では為し得な…
私たちの発話や行動の 原材料は心の中にあります。 心の中に満ちているものが 言葉や行動となって 出てくるのです。 ところが自分の心の中に 何があるのかを 注…
イエスの十字架での 贖いによって罪の赦しを得て、 神との和解が成立した 私たちキリスト者には 霊的な自由が与えられています。 律法を守れたものだけが 救われ…
主のお導きを確信することが キリスト者にとって 極めて大切なことだと思います。 自力で何でもしているような 気色になるから疲れるのです。 主が共にいてくださ…
神の恵みに与って 私たちは、毎日、 無事に過ごしています。 神の恵みに感謝して 神をほめたたえるのは ある意味、当然ですよね。 祈りであれ、讃美の歌であれ、…
この世に生きている間は 五感を満足させるモノやコトを 追求しがちです。 しかし、天の御国では この世での肉の喜びではなく 霊的な喜びが求められます。 実は、…
愛の根底には主イエスにあっての 神との和解があります。 主イエスを犠牲にしてまで 私たちを救ってくださった 神の慈悲深さと 主イエスの代償の十字架が 本当に…
被造物の中で 一番賢いのはサタンです。 ですから、私たちがサタンと 差しで戦うと負け確定です。 しかし、私たちは 主が共にいてくださいます。 主と共に戦うな…
私たちを救うために 御子イエスを犠牲にされるほどに 私たちを 愛してくださっている神です。 その神は 時々おでましになるのでなく いつでも共にいてくださり …
自分がそれまで大切にしていたものが、 キリスト・イエスによって 与えられた救いの素晴らしさに 気付いた途端に 価値のないもののように思えてきます。 これは関…
自分の知恵を誇り始めると 新たな知恵を得ようとしなくなる。 そうすると劣化がスタートする。 自分の知恵は天賦のものと悟り、 感謝の心で学び続けよう。 そして…
どんなに怖いと思える事が あったとしても 必ず助けてくれると 両親を信頼していた子どもの頃を 思い出してみてください。 その信頼を礎として 誰でも多くのチャ…
人生の荒波も 信仰でもって立ち向かえば 大なぎになる。 イエスはいつでも あなたと共にいてくださる インマヌエルなるお方です。 彼に委ねなさい。 イエ…
キリスト者なら ヨハネ伝13章34節を 度々、読み返し、暗唱すべきだ。 なぜなら、主によって定められた キリスト者に対する 新しい戒め(律法)が ここに記録…
苦しんでいる時、 実は私たちはなぜこんなに 苦しい思いをしているのか 分からなくなっているのです。 分かっていれば そこから抜け出すために 何かしら行動を取…
自分を自分たらしめる信仰。 現世のみならず 来世まで含めた生きる望み。 信仰、希望を自分だけで独占せず、 その喜びや祝福を 隣人た分かち合うために 隣人に命…
天賦の賜物は 隠さずに使いましょう。 隠れてやっている悪事も 明らかになります。 良いものであれ悪いものであれ 隠し通せるものなど 存在しないのです。 …
どうしたらよいのか分からない 追いつめられた状態では 凡人である私たちは ただただ呆然とするしか 手立てがありません。 ですが、もう何も考えられないような …
キリスト者は神の御心に適った 生活を送るために 聖書のみことばに神の御心を 尋ね求めます。 様々な気付きをそこから与えられ、 その実践によって キリスト者は…
人間関係から国家間の関係まで 争いの原因は憎しみであり、 友好関係のの礎は愛である事は 誰でも分かっています。 誰でも分かっているのに 争いを選択してしまう…
祝福を得るために 神を信じるのではなく、 救っていいただいた 喜びと感謝から みことばを生きる者の生き様は、 本人だけにとどまらず、 周りの人にも影響を与え…
この世は平等ではありません。 出自によって世の中での 待遇に差が出ることは 洋の東西も時代も関係なく いつでも存在しています。 不平等なのは容姿の差、 能力…
大切な人の為なら 命懸けで守ろうとする人も いるかもしれません。 しかし、イエスは この世での栄華を求め、 その実現のために この世の王であるサタンと 結託…
第一コリント13章で パウロは愛の特徴を述べている。 この個所では 愛をイエスに置き換えても 文章が成立する。 そこからイエスが愛であり、 みことばが愛であ…
キリスト者はみことばによって 自分も他人も裁いてはならない。 悔い改める事は大切ではあるが、 犯した罪に心を奪われて 失望したりしないように。 罪は犯してし…
命懸けで互いに仕え合う。 これがイエスが身をもって お示しになったアガペーの愛です。 その愛でもって互いに仕え合い、 その輪を広げて行く事が キリスト者には…
全てを主に委ね切れる者は 心安らいで 眠ることが出来るでしょう。 人生の半分近くは 寝ているのですから、 睡眠の質を向上させることは 残りの半分の 目が覚め…
キリスト・イエスは 私たちを贖うために 自らの命を犠牲にされました。 私たちの救いは イエスの命と引き換えに 与えられたものなのです。 キリスト者はイエスの…
世の人間関係は どちらが上か下かで もめるものです。 勿論、上の方がメリットが 大きいので、 相手より優位に立ちたいと 無意識に考えてします。 そうすると相…
敵や迫害する者のために 祈るのは難しい事です。 しかし、難しい事だという事を 本当に知るためには 自分が実際にやってみるしか 手立てはありません。 したこと…
自分の弱さ(罪)を認められない人は その弱さが露見することを恐れて ますます自分を頼りとします。 そうすればするほど苦しいのです。 イエスはそのような 人の…
神が自分の生活の中で どれほど深く 関わってくださっているのかに 気付く時、 人は自ずと 神に賛美をささげます。 神はみことばを通して 私たちに恵み与えてく…
神があなたたちを護るから 私に委ねなさいと 先に語ってくださっているのです。 だから私たちは 大船に乗った気持ちで 神にお委ねすればよいのです。 私たちがす…
キリスト者の間で 命懸けで仕え合う様を 確認することが出来ればこそ 世の人は本当にキリスト者だと 関心と尊敬の念を持つのです。 キリスト者同士でもいがみ合い…
人は外見にとらわれます。 外見はどうでもよいというわけでは 決してありませんが、 何といっても、 その人を決定づけるものは やはりその人をその人たらしめてい…
受けた御恩には報いたいと 考えるのが普通ですよね。 私たちが主イエスから受けた 御恩を有難い事だと 本気で思っているなら、 条件なしに主にお仕えし、 主が喜…
何事も独り善がりはダメだ。 自他共に幸せになる道を 求めてこそ救いなのだ。 自分を大切にするように 隣人を大切にしよう。 そのように心がけることが 煩瑣な律…
窮地に陥った時、 黙って主の行われる業を 信じて待つのは 言うほど易しい事では ないでしょう。 しかし、そのような 絶体絶命の時にこそ 信仰の真贋が明らかと…
人間の合理的な判断は 採算重視となり 採算に合わない事は切り捨てる。 そこに人の感情は反映されない。 新自由主義の社会は 個人の自由を押し出しすぎて わがま…
神の御心に適った生き方を 心がけている者は 神がその生活を 保障してくださいます。 ただし、 順番が逆にならないようには 注意が必要です。 生活の保障を得る…
カトリックや東方正教会の信徒は 教義的な背景もあって 聖母マリアを敬愛してます。 一方で、プロテスタント諸派は 偶像崇拝になることを恐れてか 触らぬ神に祟り…
やましい事をする者は その思いを払拭しようと また悪事を繰り返します。 そんな者こそ 主を頼るべきなのです。 しかし、残念なことに 彼らは主から 遠ざかって…
世の経済活動も そもそもは相手に提供した 心からのおもてなしに対する 感謝の印として お金が支払われるのが普通でした。 しかし、 昨今の経済活動を見てみると…
みことばを聴いて いいなと思うだけなら 信徒以外でもできます。 有難いお話に頷くだけなら 誰でも出来るのです。 信仰とは行いが伴ってこそ 真価を発揮するので…
私たちがいただいた自由は キリスト・イエスの命と 引き換えに与えられた自由。 その自由を肉の欲を満たすために 用いてはなりません。 イエスの命と引き換えとい…
聖書の最初の巻の 一番最初に書かれているのが 神による天地創造の記事だ。 ここを読んで神を信じた人も たくさんいるそうだ。 私が知っている人の中でも 少なく…
大学卒業を前に 内定している会社に入社するか 留学するかで悩んだ。 一週間、祈りに祈った。 その時にいただいた聖句が エレミヤ書29章11節だった。 迷わず…
罪の赦しを得たキリスト者が そのまま罪にまみれた生活を送るなど、 あってはならない事。 罪は赦しを得た時に決別したのです。 そこを忘れてはなりません。 罪の…
詩篇13篇5節にあるように 完全に神に委ね切る姿勢が キリスト者には求められます。 そのためには神から受けた 救いの有難さをしっかりと 理解することが大切で…
キリスト者は罪の赦しを得ましたし これから犯してしまった罪も 神の前に悔い改めて告白すれば 赦していただけます。 ですが、してしまった罪が 救いの取り消しに…
救いは信仰を賜った時に 決定するのですが、 賜わった信仰を維持することが キリスト者には求められます。 信仰を維持するとは 言葉をかえれば、 神との深い交わ…
思い通りにいかず、 失望することもあるでしょう。 しかし、その失望の虜(とりこ)に なってはいけません。 失望は、やがて絶望となります。 望みを失う失望であ…
鉄が鉄によって鍛えられるように 人も友人と切磋琢磨しながら 成長します。 友人の質であなたの質も変わります。 友はしっかりと選びましょう。 鉄は鉄に…
みことばを生きる者も 様々な試練にも遭います。 しかし、キリスト者は 試練を必ず克服できるとの 約束があるります。 その約束を疑わずに歩み続けるならば つま…
キリスト者はみことばを 喜ばなければなりません。 みことばを通して過ちに気付いて 悔い改めることは大切です。 しかし、悔い改めと がっかりすることは違うので…
神から信仰を賜っても、 聖霊の導きに従って 神(みことば)との 深い交わりを続けないと みことばと生活の一体感が 失われてしまいます。 みことばは 生きてこ…
パウロはピリピ書4章8~9節で 新約聖書にある徳目を 心に刻み、 その実践を促しています。 みことばを読み、聞き、学び それを実践する。 実践する中で疑問が…
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思い煩っている状態とは 突然、襲ってきた事態を 脳が処理できていない状態の事。 キリスト者は、 直ぐに神に委ね切ることが肝心です。 考えを巡らせたところで …
信仰を神から賜わって キリスト者は救われたが、 その信仰は先に救われた 誰かを通して 伝えられたものだった。 今度は私たちが伝える番。 自分の親兄弟、子ども…
三位一体の位格の一つである 御子イエス。 私たちの罪の贖いとなるため 最も弱い姿でこの世に来られ、 最も惨たらしい姿で殺された。 なぜ、そんな惨めな経験を …
五感を通して入ってくる 情報を基にして 私たちは様々な判断をします。 特に視覚情報は 私たちの思考に 大きな影響を与えます。 私たちはこの地上で 生きており…
イエスの十字架の死による贖いと 預言通りに復活されたことにより アダムの背信と堕落により サタンが手にした人間支配の 二大武器である罪と死が 無力化された。…
この世は悪に覆われています。 この世の王がサタンなのですから 当たり前と言えば当たり前です。 ですが、そうであるからと言って キリスト者も悪を行なって 良い…
義とは神との関係が 正常化している状態を言います。 神は全きお方であらせられるので、 罪を犯した人とは交わり得ません。 神に義と認めていただくためには その…
神はみことばによって 万物を創造されました。 その神の似姿として創造された 私たち人間も 言葉でもって様々なものを 造り出します。 言葉には創造性があるので…
イエスは極重悪人である私たちを 命と引き換えに罪の赦しを得させて 救ってくださった。 これに優る恵みがあろうか。 私たちを救い出すために 命すら惜しまれなか…
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私たちには気付かなくても 神は私たちを導いてくださいます。 疑わずに委ね切る。 それが私たちに求められている事です。 委ね切るというと 何もせずにいる事だと…
キリスト者であれば ヨハネの福音書の1章1節は 誰でも知っているでしょう。 「ことばは神であった」 みことばが神なのです。 そのみとばは聖書に記録され 最終…
神は一人ひとりに 最高の人生を定めておられます。 神の臨在を確信して みことばを生きるキリスト者を 神は必ず祝福されます。 志の堅固な者を、 あなた…
度の過ぎた聖霊運動が 教会に問題を来たらしめたことが ありました。 彼らは牧師の制止も振り切って 預言という名の予言をして 教会を分裂に導きました。 しかし…
神は私たちの必要を 満たしてくださいます。 危急の際には 直ぐに必要を満たしてくださいますが、 最終的には、その必要を 自分で手にすることが出来るように フ…
乱世を生きる私たちは これまで以上に霊的な戦いを 勝ち抜いていかねばなりません。 とは言っても私たちがすべきことは 主のご加護を堅く信じて みことばを忠実に…
人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…