人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
栄養過多は肥満や糖尿病の 原因となるように、 恵みも受けてばかりいると 恵みを当たり前と思うようになり、 結果的には害となってしまいます。 私たちは先に神か…
信仰生活は守備より攻撃を 選択した方が賢明です。 守備は相手に攻撃の機会を 先に与えてしまうことになります。 ですから攻撃の方がよいのです。 攻撃的信仰とは…
サタンが人間を支配する二大武器は 罪と死でした。 罪は私たちを神と断絶させます。 律法によって罪が確定し、 私たちをさらに罪深い者としてのです。 しかし、イ…
聖書的に死とは別離を意味します。 そのことをふまえて ヨハネの福音書11章25ー26節を読むと イエス様は二つの約束をされたことに 気付くと思います。 先ず…
神が万物を創造され、 今もトータルコーディネートして くださっている事を 忘れないようにしたいですね。 私たち人間は 神から被造物の管理を 委任されましたが…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…
イエス様はみことばが受肉して 私たちの許へと 来てくださった方です。 なのでパウロは イエス様のお語りになった福音が 万物を保っているとまで喝破しました。 …
イエス様は私たちのために いのちすら惜しまれませんでした。 イエス様はその姿勢を学ぶようにと 弟子たちに旧約の律法に代わる 新しい戒めを残されました。 その…
罪の赦しを得るためには 苦痛の果ての死です。 本来、この恐ろしい死を 私たちの全てが味合わなければ ならなかったのです。 しかし、いつくしみ深き神は その罪…
かつては罪の奴隷であった私たち。 今はイエス様を主と仰いで 生きるキリスト者となりました。 イエス様はご自身のいのちを 罪の代償として捨てることで 罪から神…
愛とは何かを 端的に表した個所として 第一ヨハネの3章16節を 挙げることが出来そうです。 アガペーの愛とは、 命懸けで兄弟姉妹に尽くす事。 私たちを救うた…
救いは彼岸のためのものでなく 此岸でこそ大切なもの。 なぜなら、救いは此岸での信仰により 決定するものだからです。 この世で救いを得て、 生きている間も神の…
イエスは天に戻られて 神の右に座し給いて 定められた再臨のその日まで 私たちを執り成してくださっています。 私たちは12弟子たちのように 直接にイエス様を拝…
イエスから目を離さないように! みことばから目を離さないように! みことばを読み込む事が イエスとの親しき交わりを意味する。 聖書を開こう! 主はあなたとの…
キリスト者のアイデンティティは 神の御心が啓示された聖書に 由来するはずです。 由来するはずと書いたのは、 聖書の教えから遠ざかった 言動や行動をする自称キ…
神の存在を露骨に否定する人は 思いのほか少ないように思す。 ロシア革命の立役者であった レーニンですら もしイエス、乃至、12使徒が 目の前に現れたら 直ぐ…
罪なきイエスが 罪人として身代わりとなって 死んでくださることで、 私たちの罪は赦され、 神との関係が回復しました。 この状態を義と言います。 罪とは神の御…
神との関係を阻害していたのは アダムの堕落以来、 全ての人間が持っている罪でした。 また、罪の代償として 死が要求されるので、 人は罪と死の存在に 戦々恐々…
約2千年前にオリーブ山から 天に戻られたイエスは 再びこの世に戻ってこられます。 初臨の時は 私たちの罪を贖うために 仕える僕の姿で来られましたが、 再臨さ…
みことばを生きる者は いつも神のご加護の下にあります。 なぜなら、みことばが神だからです。 神のご加護求めるならば みことばを読みましょう。 今すぐ聖書を開…
人それぞれ 負うべき十字架があります。 しかし、その十字架は 負いきれない十字架ではありません。 なぜなら、その十字架を イエスが共に担いでくださっているか…
キリスト者は 神から賜わった信仰により キリスト・イエスの代償の十字架を 信じることにより 罪の赦しを得ているので 罪の支配を受けることはありません。 しか…
出来れば苦しみは避けたいと 思ってしまうのが 私たち凡夫の悲しい性なのでしょうが、 様々な苦境を乗り越えることで 私たちが成長するのも事実です。 逆に恵みば…
イエスの十字架での死は 代償の十字架と呼ばれています。 イエスが私たちに代わって 全ての罪を背負って 死んでくださったという事です。 イエスの十字架での死が…
マルコ伝の10:45には アガペーの愛について イエスが自ら説いた内容が 記録されています。 アガペーというと 無償の愛だとか表現されますが、 分かった気が…
自分の才能が 自分の努力のみが原因だと 思うのは非常に危険であります。 なぜならそのような思いは 高ぶりを誘発するからです。 慢心すれば身を滅ぼします。 私…
自分を傷つける者や 憎んでいる者に対して よくしてあげたり愛することなど 到底無理です。 先ずはそのような事は 自力では絶対に無理だという事を 知っておきま…
ここ数十年の間、 私たちは過去に類を見ない 摩訶不思議な時代を生きています。 それは勝者の存在しない時代を 生きているという事です。 第二次大戦後、 資本主…
希望がなければ 試練を乗り越えるのが 難しくなります。 キリスト者は 勝利が約束されていますから 臆する必要は本来ないのですが、 一方で私たちは肉を帯びてい…
ガラテヤ書にパウロが述べた 御霊の結ぶ実の一覧が載っています。 その一覧の一番最後に 自制が挙げられているところに 私たちは注目すべきでしょう。 せっかく御…
3年以上続いたコロナ騒動は 私たちの暮らしを更に厳しくしました。 今はデフレどころか スタグフレーションとなってしまいました。 厳しい環境では 人々の本性が…
キリスト教の 約2000年の歴史を紐解けば、 信徒数が増え、 教会も成長した時期が 不思議と為政者たちからの迫害が 激しかった時期と 重なることが分ります。…
クリスチャンは 自分の過去の経験を振り返って 必要以上に苦しんだり、 今現在の不甲斐ない姿に絶望したり、 明るい未来を思い描けない 自分を卑下したりするのは…
神をどのように愛せばよいのでしょう? 旧約聖書の申命記にシェマ(聞け)という 有名な神のみ教えが載っています。 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、 …
神の栄光のために 頑張りたいと考えるのは 素晴らしい事だと思います。 もしそうであれば、 今、神から求められている事を 自分はしっかりと果たせているのかを …
私たちは常日頃から 関心を持っているものを求めます。 しかもそれは無意識に行われます。 ですから神の御心に適うことに 関心を持つか もしくはこの世の事に関心…
人生の問題は根本的治療が必要。 対処療法では堂々巡りです。 自己の存在の意味や なぜ生きているのかという 根源的問題に答えを与えてくれるのは、 聖書の教えで…
自分の信仰を 第三者に説明するのは 意外と難しいことです。 信仰でなくとも 自分の知っていることを 誰かに説明してみてください。 なかなか上手く 説明できな…
異端やカルトの特徴は、 教祖とその教えに 依存させるように教導するという 点を挙げることができます。 正統派のキリスト教の場合は、 神と個々人との間の 救い…
振り返って見ると 過去の良い経験や 忘れてしまいたいような 苦い経験であっても、 その全てに意味があったことに 気付かされます。 全てを益としてくださる神が…
長く信仰生活を送っている キリスト者であれば ほとんどの人に 共感していただけると思いますが、 自分が経験した試練が 同じような試練を経験しておられる 兄弟…
神の力が働く時について 考えてみました。 するとあることに気付きました。 実は、私たちキリスト者は 神から恵みだけでなく キリストと同じように 苦しみも賜わ…
約2千年前に ローマ帝国の属州であった ユダヤの州都エルサレムで ユダヤの宗教指導者や民に そそのかされた 総督ポンテオ・ピラトによって 政治犯として十字架…
イエスを救い主として信じる キリスト者の心のうちには 御霊がお住まいです。 この御霊は 出たり入ったりするのでなく お住まいになっているのです。 この事を忘…
ローマ人への手紙12章12節は 私たちが試練や患難に直面した時に どのように対処すればよいのかを 教えてくれます。 私たちは試練や患難に 残念ながら必ず直面…
父なる神が一つなのだから、 その神を信じる私たちも 一つであるべきなのだ。 しかし、救われたキリスト者が キリスト者同士で分裂するのは 本当に滑稽としか言い…
直ぐに戻ってくると言ったイエスが 2千年経っても戻ってこないので イエスが帰ってくるなんて 嘘だろと言う人がいます。 私は逆に問いたい。 戻ってこられても構…
人間関係のトラブルの大半は 口が災いして起こります。 ですから余計な事は出来るだけ 話さないように努めれば 不必要な対立を避けることが 出来るでしょう。 も…
日頃からみことばとの 深い交わりを時間を持つ者は、 危機的状況に陥ったとしても 意外と冷静にいられるものです。 一方で、キリスト者であると 自称はしていても…
忍耐とは新約聖書記録言語である 古代ギリシャ語の民衆言葉である コイネーで書かれています。 忍耐にあたる単語はコイネーでは υπομονή(ヒュポモネー)で…
教会内では 互いに教え合うよりかは 仕え合った方が 結果的にはお互い成長出来ます。 教えようとすると、どうしても、 お互いの間で優劣を競ってしまいます。 し…
聖書のみことばは 不必要な美辞麗句は 並んでいません。 聖書にはストレートに 神の御心のみが啓示されています。 ですから読む私たちも 何も付け加えずにそのま…
イエス様は神の子でしたので 罪のない方でしたが、 私たちの代償となるために 罪人として十字架で殺されました。 罪なき方ですから 洗礼など必要ないのに バプテ…
日常生活がぎすぎすし始める 原因の一つとして 感謝の心を失う事を 挙げることができます。 私たちの毎日の生活は、 仮に自分が努力して 行ったことであったとし…
神の御心に背いて 自分勝手な生き方をすることを 聖書的には罪といいます。 ですから、罪はないという事は 神の御心通り100% 生きていると自称することですか…
みことばが受肉された方が イエス様なのですが、 イエス様は福音をお語りになりながら 自らそのみことばを実践なさいました。 愛について説かれたイエス様は、 そ…
本当に疲れますね。 世の中、どうにかしてます。 原因の定かでない疲れが 私たちを襲ってきます。 そういうときこそ 神のみことばから 力を得たいものです。 あ…
残念ながら救われた今も 私たちキリスト者は肉を帯びています。 なので、罪に支配はされなくても 罪の誘惑には遭うのです。 肉を帯びている以上、 仕方ありません…
愛の模範はキリスト・イエスです。 敵対状態にあった私たちを 恨むこともなく、 むしろ憐れんでくださり、 ご自分のいのちすら捨てられました。 彼の十字架での身…
神はαでありωです。 つまり初めであり終わり。 創造から終末まで 神は全てを支配しておられる 全能なる方です。 その神の創造の御業の道具として 私たちも用い…
私たちとの関係を回復するために 先に神が御子のいのちという 大きな犠牲を払われたという事を 私たちはしっかりと知っておくべきです。 神がどれほど私たちを愛し…
今日までの常識が 明日からは通用しなくなるような 時代に私たちは生きています。 私たちが信を置ける存在が 現代社会にはないかのように思えます。 しかし、昔か…
私たちキリスト者は イエスを主として、また、師と仰ぎ、 主であり師である イエスの生き様に倣って生きるのです。 故にキリストのような輩、 キリスト野郎(クリ…
相手が求めるものであれば なんでもやってあげることが 愛ではありません。 基準は神が喜ばれるかどうかです。 子どもが拳銃を 欲しがっているからといって 買い…
私たちは自分の事を 一番分かっていません。 なのに分かったつもりに なっているのです。 自分の事を誰かに 紹介してみてください。 名前も両親に 付けていただ…
教会の目標は、 教会のメンバー一人ひとりの信仰が ますます成長し、 さらにお互いに仕え合うことで 主が私たちを愛してくださったように メンバーが互いに愛し合…
神は愛だとよく言います。 神の愛は御子イエスを 私たちの贖いのために 犠牲にされたところから 明らかだと聖書は証言します。 その証言とは、 キリスト・イエス…
主なる神を愛することと 自分を愛することは ある意味でセットです。 万物を創造された神が 特別な計画を持って 私という存在を 創造された事を知ることで 私た…
自らの信仰を決定するためには その根幹となる信仰の対象との 結びつきが大切となってきます。 他の信仰形態を持っている人や 信仰の対象が違う他宗教に対して 寛…
自分の益を無意識に求めるのが 私たち人間の悲しい性であります。 しかし、その事を知っているかどうかで 大きな差が出るのも事実。 自分に利益になるような考えが…
義とは神と私たち人間との間の関係が 正常な状態であることを意味します。 ですから福音のうちには 神が私たちとの関係を修復する御心が 啓示されており、 神は私…
昔は自分の家で生まれて 自分の家で死ぬのが当たり前でした。 自分の家で血を流し生まれて、 血を流して死んでいくのが 日常の生活でした。 それ故に、死が身近だ…
最近、しきりに目に飛び込んでくる 聖句がある。 エペソ書4章2節のみことばだ。 謙遜と柔和の限りを尽くし、 寛容を示し、 愛をもって互いに忍び合い... (…
三位一体をしっかりと理解して 信仰している人は多くないでしょう。 それは当然と言えば当然です。 合理的に理解できるものでは ないからです。 キリスト者の中で…
神は私たちの想像をはるかにこえた計画を私たち一人ひとりにお持ちです。私たちはその事を信じて神に委ね、今を誠実に生きれば良いのです。委ねる言っても丸投げではあり…
信念を持つことは良い事です。 しかし、それを貫き通すために 他人の意見に耳を貸さないのでは 正常な人間関係は営めません。 最近は、他人のことなど構わずに 自…
神の最終啓示が与えられています。 その啓示は聖書に記録されています。 誰でその聖書を読むことができます。 最近ではネットでも公開されています。 いつでもどこ…
先日、ABC朝日放送で とある牧師先生のメッセージの収録に 立ち合いました。 そのメッセージの内容については まだオンエア前なので詳しくは書けませんが、 そ…
私たちがみことばを離れて 大きな失敗をしたり、 人々から不利益を 被ったりすることがないように 日頃から神に祈るのは良い事です。 私たちは事が起こってから …
律法は完全に守ることができて 救われるものです。 しかも表面的に守ればよいのでなく、 私たちの情動も判定の対象です。 となるとほぼ100%アウトでしょう。 …
自分が好きな人を愛するのは さほど難しい事では ないのかもしれません。 しかし、自分を憎んでいる人を 愛するとなると 話は変わってくるでしょう。 しかし、イ…
何でも先送りにするのは良くない。 やるべき事は分かっているはず。 分かったらやれば良い。 やらなければ先に進まない。 信仰も同じ。 主から誘われたら 直ぐに…
神がいつも一緒だと分かっていれば 恐れることなどないはずです。 ところが試練の時、 私たちは神の臨在を忘れて 恐れおののき、 思考停止状態に陥ってしまいます…
キリスト者の持つべき徳目の一つに 柔和というものがあります。 ガラテヤ人への手紙5章22-23節にある 御霊の実の一つにも数えられています。 ところで、この…
自分にとって益となるものが 与えられた時、 私たちは素直に神に感謝することもなく あたかも自分の手柄であるかのように 装います。 しかし、傍から見て成功して…
神のお護りが必要ですか。 神から力を授かりたいですか。 神はみことばであることを思い出し 聖書をお読みください。 神から何をいただくにせよ みことばを通して…
神を讃美するのはとても大切な事。 ところが、どうも我が国のキリスト者は 他国のキリスト者に比べて 讃美が自然とできないような気がします。 外国の讃美歌を翻訳…
人間は二つの事を同時には出来ません。 御霊の導きによりみことばを生きるか、 我執にとらわれて欲望のままに生きるか、 どちらか一つを選択することになります。 …
神は私たちに 耐えられないほどの試練に 遭わせることはないと パウロは教えています。 試練がなければ成長もありません。 ですから私たちに試練は ある意味で必…
神は私たちと ウェットな関係をお望みです。 私たちともっと深く交わりたいと 神は考えておられるのです。 私たちキリスト者の生活の根本は みことばですね。 そ…
神の御業がどのように 私たちに働いているのか 結果が出るまで分かりません。 結果が出ても分からない事も あるかもしれません。 そのくらい神の御業は 恒常的に…
慈しみ深い神は 私たちに信仰を与えてくださり 救いへと導いてくださいましたが、 聖書でパウロは 私たち一人ひとりを救う計画は 天地創造の前から 決められてい…
光は神を形容する表現として 聖書に登場します。 暗闇はどれだけ深くなっても 小さな光ですら消せません。 しかし、その逆に漆黒の闇すら 小さな光一つで明るくで…
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人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
栄養過多は肥満や糖尿病の 原因となるように、 恵みも受けてばかりいると 恵みを当たり前と思うようになり、 結果的には害となってしまいます。 私たちは先に神か…
信仰生活は守備より攻撃を 選択した方が賢明です。 守備は相手に攻撃の機会を 先に与えてしまうことになります。 ですから攻撃の方がよいのです。 攻撃的信仰とは…
サタンが人間を支配する二大武器は 罪と死でした。 罪は私たちを神と断絶させます。 律法によって罪が確定し、 私たちをさらに罪深い者としてのです。 しかし、イ…
聖書的に死とは別離を意味します。 そのことをふまえて ヨハネの福音書11章25ー26節を読むと イエス様は二つの約束をされたことに 気付くと思います。 先ず…
神が万物を創造され、 今もトータルコーディネートして くださっている事を 忘れないようにしたいですね。 私たち人間は 神から被造物の管理を 委任されましたが…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…
イエス様はみことばが受肉して 私たちの許へと 来てくださった方です。 なのでパウロは イエス様のお語りになった福音が 万物を保っているとまで喝破しました。 …
イエス様は私たちのために いのちすら惜しまれませんでした。 イエス様はその姿勢を学ぶようにと 弟子たちに旧約の律法に代わる 新しい戒めを残されました。 その…
罪の赦しを得るためには 苦痛の果ての死です。 本来、この恐ろしい死を 私たちの全てが味合わなければ ならなかったのです。 しかし、いつくしみ深き神は その罪…
かつては罪の奴隷であった私たち。 今はイエス様を主と仰いで 生きるキリスト者となりました。 イエス様はご自身のいのちを 罪の代償として捨てることで 罪から神…
愛とは何かを 端的に表した個所として 第一ヨハネの3章16節を 挙げることが出来そうです。 アガペーの愛とは、 命懸けで兄弟姉妹に尽くす事。 私たちを救うた…
救いは彼岸のためのものでなく 此岸でこそ大切なもの。 なぜなら、救いは此岸での信仰により 決定するものだからです。 この世で救いを得て、 生きている間も神の…
イエスは天に戻られて 神の右に座し給いて 定められた再臨のその日まで 私たちを執り成してくださっています。 私たちは12弟子たちのように 直接にイエス様を拝…