ある人が冗談で言っていました。 その人が言うには、 神にもできない事があるそうです。 皆さんはそれが なんだと思いますか? 私も初めてそれを聞いた時には 笑…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
バプテスマの預言者は 旧約時代を締めくくる 最後の預言者だと言われています。 預言は予言と違って 神のみことばは成就する事を 証しする事を言います。 旧約は…
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…
マタイの福音書の末尾に 大宣教命令と呼ばれている イエスの宣教に関する奨励が 記録されている。 キリスト者であれば 知らない人はいないだろうが、 その字面に…
主に誉れと栄光は 私たちキリスト者の 生き様を通して 神に帰されるものです。 イエスのおことば通り、 みことばを生きる事で 世の光・地の塩と 私たちがなる時…
私たちキリスト者は 福音を生活を通して 証することが 求められています。 イエスはそれを「世の光」、 「地の塩」たれと教えられた。 証し(マルテゥリア)は、…
神は完全なお方であるとか 全き方であると教会で聞く。 完全なお方や全き方 という言葉を聞くと 良い事や善のみで 構成されたお方のように 考えがちだが、 完全…
みことばを生きるキリスト者を 聖霊は支えてくださいます。 みことばを生きているのに 実を結ぶことがなければ、 みことばの権威が失墜するからです。 また、キリ…
私たちは霊的に 死んだ状態であったが、 そんな私たちを神は憐れんで 御子イエスの命と引き換えに 私たちの罪を贖ってくださった。 ここに神の愛があり、 救いは…
神はみことばですから、 みことばを恐れる者が 憐れみを受けられるのです。 みことばを恐れるとは みことばは必ず実現する事を 認める事です。 そう確信する者が…
俗な表現を使えば 「運が悪い」状態に 陥ることが 誰にでもあるでしょう。 ですが、そんな状態に 陥っている時には 共通点があります。 それは感謝の心が 失わ…
救い主イエスは みことばが受肉して 来られた方だった。 なのでイエスに従うとは みことばに従うという事。 イエスを愛するとは みことばを愛する事。 あなたは…
私たちの信仰は 十字架に基づいた ものでなければならないと 信仰の先輩方に よく言われていました。 その十字架とは 神との一対一の関係を 表わす縦軸と 同信…
生きていれば試練には 必ず直面します。 その事については 主も言及されました。 しかし主はそんな試練に遭った時、 恐れてはならないと教えられました。 理由は…
万物を創造された方こそ 私たちキリスト者が お仕えしている神です。 その神はみことばであると ヨハネの福音書の嚆矢にあります。 そのみことばは聖書に収められ…
主の御業を讃えるのは 大切な事だと思います。 歌うのが苦手であれば 詩篇を朗読するのもよいでしょう。 自分で詩を創作するのも 素晴らしい事だと思います。 で…
牧師は救い主ではない。 だから神との間の仲介者ではない。 では牧師とは何か? 救いのみことばを証しする者。 信仰は神が与えてくださり、 救いのみことばが 救…
新約聖書の中で一番古いものは テサロニケ人への手紙だと 伝えられています。 まだ比較的若い頃にパウロが書いた ものだということになります。 歳のせいもあって…
神のなさることは その時、その時に意味があり 美しいものなのでしょう。 しかし、私たちの心が曇ると その美しさを見る事が 出来なくなってしまうようです。 み…
決して渇くことのない水を あなたは飲みましたか? その水とは福音です。 決して渇くことがないと 主がお語りになったのですから 渇かないはずですよね。 なのに…
みことばに留まり続ける、 つまりみことばを生きる事が 恵みを受ける最良の方法です。 みことばを生きるならば、 聖霊様がお働きになって あなたを助けてください…
真理はみことばに 啓示されています。 救いのみことばである福音を 私たちに伝え、 その福音の神髄である 神の愛を顕すために 私たちの罪を贖うために 十字架で…
キリスト者は 互いに励まし合い、 互いの徳を高め合うのが 基本なのです。 間違っても 傷つけ合わないように! 間違う人が多いので 言っておきます。 で…
心を尽くして 神を探し求めているだろうか? 共にいてくださるからと 少し甘えすぎているのでは? もう少し真剣に主との交わり、 つまり、みことばとの 交わりの…
完全に神に委ね切った時、 そこに本当の安らぎが あるのでしょう。 神の臨在をいつも感じながら 心安らいで毎日を送れるように 祈りましょう。 たとい、…
自分が生きている意味を知らずして 生きる事は大変な事だと思います。 順境の時であれ逆境の時であれ 突如として訪れる 理由の分からぬ虚しさの正体は 自己存在の…
同信の兄弟姉妹が イエスの名において 複数人で集うならば、 そこは立派な教会です。 親子、夫婦、恋人同士、 友人同士、職場の同僚も 例外ではありません。 キ…
詩篇119篇133節にある聖句を 心に刻み込んで生きれば 堅実な人生を送れそうです。 そうなれるように、 先ずのこの聖句をあなたの祈りに 取り入れてみては如…
実際のところキリスト者ですら 神を侮っているのではないか? 困った時だけ神を頼って 願いかかなえば儲けものぐらいに 思っているのではないか? おそらくこう聞…
神を信頼して委ねる事が 何か自分に対する 敗北であるかのように 考える人がいるが、 そういう人に限って 頼る価値もないようなものに 心を寄せていたりする。 …
イエスは言い切った。 キリスト者も この世で生きている限り 必ず患難に遭遇すると。 しかし、それを恐れるなと イエスは言われたのだ。 理由は、イエスが この…
キリスト者とは イエスが旧約聖書で預言された メシア(キリスト:救い主) であるとの証人です。 真実な証人と偽りの証人の差は まやかしを言うかどうかで 決ま…
神は望まれることを ことごとく行われます。 つまり御心を行なわれるのです。 その御心は 聖書に啓示されています。 ですから聖書を朗読して 神の御心を理解して…
信頼関係が破綻していると 可能な事も不可能になります。 神の力が及ぶためには 私たちは信じて頼る事が 必要なのです。 当然のことですが この当然なことが出来…
キリスト者は 神の御心の啓示された 聖書のみことばを生きる 福音行者です。 ですが、この世で生きている以上 少なからず世の影響を受けます。 みことばに沿わな…
自分から言いふらす必要は ないとは思いますが、 自分がキリスト者であることを 積極的に隠そうとする人が 思いのほか多いように思います。 どうやら自分が キリ…
世の中が荒んでくると キリスト者も世の影響を受けて そのライフスタイルが 乱れてくるものです。 毎日の生活が 霊的戦いの連続でもあることも 忘れてはなりませ…
自分だけ良ければいい。 自分だけ幸せであればいい。 そんな自分だけ〇〇の考え方を 俗に「自己中」と言ってますが、 この自己中こそが 罪の温床であったことに …
情報過多の時代に 私たちは生きています。 依って立つべき主義主張も 凄まじい速さで変わっていく、 そんな時代に私たちは 生きています。 その所為なのか、 私…
イエスは隣人のために 命を捨てるのに勝る愛はないと 語られたが、我々、日本人には 当然のように感じる向きがある。 先の大戦で英米をはじめとする 連合軍側が恐…
毎日の生活もままならない 厳しい時代に私たちは 生きています。 国も国民の生活を守れず、 自分で面倒見るようにと しゃあしゃあという時代です。 給料は上…
私たちの罪を背負って 私たちに代わって 贖罪のいけにえとなって 十字架で死んでくださった イエスこそ 私たちキリスト者の主です。 主イエスによって この世に…
結局のところ 心に何を満たしているかで 人の生き方は変わってしまう。 真理のみことばを心に宿せば みことばを生きることになるので その行いはきよくて当然。 …
パウロは互いに 労わり合うように勧め、 最後に愛を着けなさいと 締め括っている。 労わり合ったり、 励まし合ったり、 赦し合ったりする事は 一度や二度なら出…
厳しい時代です。 本当に主は助けてくださるのか? そんな疑念が心をよぎります。 それはあなただけではありません。 聖書に登場する信仰の偉人たちも 同じような…
主を恐れる事が知恵の初めと 聖書に度々登場する。 恐れるという言葉に ひっかかる人が多いように思う。 この恐れは畏敬の念で接する事を 言おうとしているのだ。…
教会の本義は マタイ伝18章20節に 簡潔にまとまっている。 同信のキリスト者が複数名 集っておれば教会なのだ。 だから家族だって教会になり得る。 その意識…
パワハラ、モラハラなど 多くのハラスメントが 社会問題となっております。 人間はアリストテレスの 「政治学」の定義を待たずとも 社会的動物であることに 違い…
罪の代償は死なのですが、 イエスがあなたに代わって 十字架で死んでくださったので もし、あなたが イエスの十字架での死を 自分の身代わりであったと 心から信…
預言とはみことばの真実性を 証しする事を言う。 その意味で牧師は当然ではあるが、 全てのキリスト者が預言者となる。 その事は知って おかなければならない。 …
キリスト者になるという事は 罪の奴隷であった過去の自分は 十字架で死んで、 キリストにあって 生まれ変わった事を意味します。 生まれ変わった今、 あなたは神…
写本によっては マタイ伝18章11節が 消されていますが、 最近では括弧の中に書き入れたり、 欄外に添付したりしているので このマタイ伝18章11節も お読…
キリスト・イエスの生き様に 倣う者がキリスト者です。 ですから私たちキリスト者は イエスのように隣人の幸せのために 試練をも喜んで受け入れるほどの 使命感が…
神との正常な関係が 維持されている状態を 義と言います。 神は全きお方なので 罪を犯した者とは交わることが お出来になりません。 関係の回復のためには 罪の…
自分の弱さを認めるのは 人として難しい事だと思います。 自分のこれまでの生き方の全てを いわば全否定するかのように 感じるからです。 多くの人が罪の悔い改め…
子どもの日の今日、 私が切に願うのは 神の慈しみ深さと公正さが 世々限りなく顕れる事。 そうすればこそ子々孫々、 みことばに望みを置いて 生きて行くことがで…
罪は自分の弱さを 隠そうとするところから 始まる。 嘘、虚言、大言壮語、排他性。 これらも結局は自分を護るために してしまう悪しき行為だ。 しかし、イエスの…
私たちキリスト者は もっと自分を大切にすべきだ。 自分を愛せない者は 隣人を愛せない。 なのに自分をそっちのけにして 隣人愛に没頭して 疲れ果てている兄弟姉…
エレミヤ書の巻頭に エレミヤの召命についての 記事だ記録されている。 それによると神はエレミヤが 受胎する前から 預言者として生まれさせる 予定をしていたこ…
悪の勢力が 勢いを増している昨今、 詩篇55篇22節のみことばが 真である事を明らかになる事を 願っている。 キリスト者がつまづいて これ以上、悪に迎合する…
キリスト者の現世での 立ち位置についてパウロが ガラテヤ書2章20節で 述べています。 有名な聖句なので暗唱されている方も おられるのではないでしょうか。 …
あなたが天の御父から 信仰を賜わって 御子イエスの代償の十字架を 自分の罪の赦しのためであったと 心から信じているのであれば、 罪の赦しは完了しているのです…
信仰を賜わったキリスト者は 自覚してもらいたい。 この濁世から救い出さんと 主イエスは私たちのために 十字架で血を流して 私たちを贖い出して くださったとい…
私たちはどうしても 馬が合う人とつるんでしまいます。 それが大きくなり派閥となり 派閥間の闘争となるのは 政治の世界だけでなく 町内会、学級委員、 ひいては…
使徒の働きは 新約聖書の「使徒の働き」の記事で 完了しているのではなく、 今も天の御国で書き続けられており、 全てのキリスト者が その登場人物の一人だ。 だ…
人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
教派神学に盲従するのでなく みことばを生きることで 心に平安を得て生きる親に 育てられた子どもは 親のそういう生き方を学び 長じてからは親と同じように みこ…
神の御心に適った願いは かなえられます。 御心は聖書に啓示されています。 ですから聖書に毎日親しむ事で 御心に適った生活を送ることが 出来るようになります…
アダムとエバの背信により 被造物の世界に罪と死が 入り込んできました。 サタンは罪と死を 被造物を支配するために 利用してきました。 神は全きお方であるがゆ…
天においても、地においても 一切の権威が 与えららえている主イエス。 イエスがみことばが 受肉された方であることを 思い出そう。 そうすれば、 私たちが毎日…
イエスは 王、祭司、預言者として、 権能をお持ちであると 聞いたことがあるでしょう。 最初の二つの部分については パウロがヘブル書の5章や7章で 論証してい…
山は黙示文学的表現法では 信仰を阻害する諸要因の形容だ。 からし種は日本語なら 「豆」に相当する イスラエルで最も小さいものを 表す言葉だ。 もし私たちに豆…
私たちの手に負えない事は 神がしてくださいます。 しかし、手に負える事かどうかは やってみないと分かりません。 いずれにせよ、 手に負える事案であれば 出来…
真の力は神のみことばから。 荒んだ時代には 暮らし向きへの不安の所為なのか 目先の利益に翻弄されがち。 私たちには 先の見通しがつかなくても 時の流れも創造…
私たちは、 とかく他人と比較して 自分で自分を評価しようとします。 ですが、聖書は他人と比べず 神がどう評価されるかを 基準にするように教えています。 善を…
キリスト者として貧窮者を 助ける事は大切な働きの一つです。 ですが、ここにも 大切な心の在り方が求められます。 それは、神(みことば)への 愛ゆえに神の似姿…
主の祈りを唱えているだろうか? 祈祷文の出だしの部分に 「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。」とある。 天、つまり神の国は みこころが100%…
みことばが 受肉して来られた方が 私たちキリスト者がお仕えしている 主イエスなのであるが、 受肉されたがゆえに、 人としての弱さもお持ちであった。 神であり…
光は福音であり 闇はその光に抗う この世の価値観。 今も昔も変わらないのが 自らの道徳的問題を 知的問題に転嫁して 隠蔽しようとする姿勢だ。 今もそうではな…
福音を思い起こし、 それを反芻して 真理を生きる事が 今まで以上に求められる時代に 私たちは生きています。 信仰を賜わったキリスト者は 心の中に聖霊がお住ま…
自分では努力もせず、 神に丸投げする者がいる。 そういう者は 神から賜っているタレントにも 無頓着である事が多い。 信仰とは、 神から既に賜っていると確信…
神はモーセを通して イスラエルに与えた 石板に刻まれた律法でなく、 新たな律法である福音を 私たちの心に刻んでくださいました。 信仰を賜わったキリスト者の心…
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ある人が冗談で言っていました。 その人が言うには、 神にもできない事があるそうです。 皆さんはそれが なんだと思いますか? 私も初めてそれを聞いた時には 笑…
全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
バプテスマの預言者は 旧約時代を締めくくる 最後の預言者だと言われています。 預言は予言と違って 神のみことばは成就する事を 証しする事を言います。 旧約は…
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…
マタイの福音書の末尾に 大宣教命令と呼ばれている イエスの宣教に関する奨励が 記録されている。 キリスト者であれば 知らない人はいないだろうが、 その字面に…
主に誉れと栄光は 私たちキリスト者の 生き様を通して 神に帰されるものです。 イエスのおことば通り、 みことばを生きる事で 世の光・地の塩と 私たちがなる時…
私たちキリスト者は 福音を生活を通して 証することが 求められています。 イエスはそれを「世の光」、 「地の塩」たれと教えられた。 証し(マルテゥリア)は、…
神は完全なお方であるとか 全き方であると教会で聞く。 完全なお方や全き方 という言葉を聞くと 良い事や善のみで 構成されたお方のように 考えがちだが、 完全…
みことばを生きるキリスト者を 聖霊は支えてくださいます。 みことばを生きているのに 実を結ぶことがなければ、 みことばの権威が失墜するからです。 また、キリ…
私たちは霊的に 死んだ状態であったが、 そんな私たちを神は憐れんで 御子イエスの命と引き換えに 私たちの罪を贖ってくださった。 ここに神の愛があり、 救いは…
神はみことばですから、 みことばを恐れる者が 憐れみを受けられるのです。 みことばを恐れるとは みことばは必ず実現する事を 認める事です。 そう確信する者が…
俗な表現を使えば 「運が悪い」状態に 陥ることが 誰にでもあるでしょう。 ですが、そんな状態に 陥っている時には 共通点があります。 それは感謝の心が 失わ…
救い主イエスは みことばが受肉して 来られた方だった。 なのでイエスに従うとは みことばに従うという事。 イエスを愛するとは みことばを愛する事。 あなたは…
私たちの信仰は 十字架に基づいた ものでなければならないと 信仰の先輩方に よく言われていました。 その十字架とは 神との一対一の関係を 表わす縦軸と 同信…
生きていれば試練には 必ず直面します。 その事については 主も言及されました。 しかし主はそんな試練に遭った時、 恐れてはならないと教えられました。 理由は…
万物を創造された方こそ 私たちキリスト者が お仕えしている神です。 その神はみことばであると ヨハネの福音書の嚆矢にあります。 そのみことばは聖書に収められ…
主の御業を讃えるのは 大切な事だと思います。 歌うのが苦手であれば 詩篇を朗読するのもよいでしょう。 自分で詩を創作するのも 素晴らしい事だと思います。 で…
牧師は救い主ではない。 だから神との間の仲介者ではない。 では牧師とは何か? 救いのみことばを証しする者。 信仰は神が与えてくださり、 救いのみことばが 救…
新約聖書の中で一番古いものは テサロニケ人への手紙だと 伝えられています。 まだ比較的若い頃にパウロが書いた ものだということになります。 歳のせいもあって…
神のなさることは その時、その時に意味があり 美しいものなのでしょう。 しかし、私たちの心が曇ると その美しさを見る事が 出来なくなってしまうようです。 み…
決して渇くことのない水を あなたは飲みましたか? その水とは福音です。 決して渇くことがないと 主がお語りになったのですから 渇かないはずですよね。 なのに…
みことばに留まり続ける、 つまりみことばを生きる事が 恵みを受ける最良の方法です。 みことばを生きるならば、 聖霊様がお働きになって あなたを助けてください…