神は全てご存知です。 私たちの行動だけでなく 心の中で去来する情動も 全てご存知です。 その事を忘れれずに 神に申し開きせずともよいように 悪に心を奪われな…
1件〜100件
神は全てご存知です。 私たちの行動だけでなく 心の中で去来する情動も 全てご存知です。 その事を忘れれずに 神に申し開きせずともよいように 悪に心を奪われな…
歴史について論ずるときに、 自らは一次資料を 一度も目にしたことが ないにもかかわらず 自らが教えられた歴史観を 永遠なる真理かのように信じ込んで、 別の歴…
キリスト者はイエスと共に 居続けることが大切です。 イエスはみことばが受肉した方なので、 イエスと共にいるとは みことばと共にいるという事です。 つまり、私…
救いは信仰による。 その通りです。 その信仰は、 神が与えてくださったものです。 そして、あなたは救われ、 次は、あなたを通して、 また誰かを救いへと導くた…
もし、神が憐れみ深い方でなければ、 間違いなく私たちの罪は赦されることなく 地獄行きが確定していたでしょう。 しかし、私たちを救うために 御子イエスを身代わ…
みことばに力があると主張し、 相手が理解できていなくても やたらめたら聖書のみことばを 一方的に宣べ伝える事を良しとする 牧師がかなりの数いました。 みこと…
ユリの花言葉は「威厳」なんですね。 キリスト教ではユリの花が好まれて ステンドグラスや講壇の荘厳にも ユリが用いられています。 思えば、主イエスのみことば…
キリスト者の中には 因果応報は仏教思想だとして 鬼の首を取ったかのように 否定してかかろうとする人たちがいますが、 聖書は、そのような者たちに 思い違いをし…
神は御子イエスを犠牲にしてまで 私たちを救ってくださいました。 私たちを救うために、主イエスは 喜んで、その命を捨ててくださいました。 その生き様に学び、 …
牧会者をはじめとする教役者は パウロの表現を借りれば 神の協力者であり、 信徒の皆さんは、神の畑、建物と 表現しています。 また、信徒の皆さんも 教会の外で…
イエスの代償の死がなければ、 私たちの罪は赦されず、 神との関係は 断絶したままであったでしょう。 しかし、憐れみ深い神は 預言通りにイエスを送ってくださり…
義とは神との関係が 回復した状態を言います。 しかし、神との関係が回復すると サタンはキリスト者をつまずかせ、 不義の状態へと 逆戻りさせようとします。 そ…
怒りの感情というものは、 相手の発言や行動に対して 私たちが評価を下すことで発生します。 ですから、相手の言葉や行動に対して 性急に評価を下そうとせず、 先…
御霊の導かれつつ 聖書を読み進めることで、 私たちは神の知恵を 学ぶことができます。 それまで自分が 正しいと思っていた価値観が 神の目から見れば 全然、正…
かつて御霊は エルサレムの神殿の至聖所におられ、 期間限定で神の契約の確かさを 伝えさせる目的で預言者に降りました。 しかし、新約時代である今は、 心からイ…
本気で神にお会いしたいと 心から願って探し求めるならば、 あなたは必ず神に お会いすることが出来るでしょう。 神はいつでも会見できるように 万全の態勢でお待…
キリスト者は神を信頼しているはず。 信頼しているなら 問題に直面したとしても 神が必ず支えてくださるとの確信が 心のうちにあって当然なのですが...。 さて…
私たちキリスト者が 神の御心にかなった行いをすれば、 仮に誰かと衝突したり 敵対関係になったとしても その仲を神が取り持ってくださいます。 逆に、私たちキリ…
一人でなく、 同労、同行、同朋が一丸となって 神の御心にかなった平和と 皆で喜んでみことばを生きるという 聖き生活を求める事が 今まで以上に求められている気…
イエス・キリストから始まり 現在までの約2000年に間、 変わる事なく宣べ伝えて来た福音こそ 私たちキリスト者が拠って立つ礎です。 それ以外の教説は福音で…
信仰を賜わっていない者からは キリスト者が何故に 荒唐無稽な戯言のような福音を 大切にしているのかが分からないでしょう。 聖書は誰でも読めるのですが、 信仰…
自分の弱さから 逃避しようとするのでなく 自分の弱さと向き合い、 その弱さを認めて 神の前に告白するところから キリスト者としての人生は スタートするのです…
信仰生活は適当に やるものではありません。 パウロも言っているように 競技大会で金メダルを狙うかのように 死に物狂いで鍛錬して 試合にのぞむかのようでなけれ…
信仰生活を送る上で大切な事は 沢山あるでしょうが、 自分の心が何処へ向かっているかを 確認する作業は 数多ある重要事項の中でも 最上位に位置するものだと言え…
みことばを生きると この世の価値観では 良しとされているような事でも 信仰故にNOを突き付けることが 増えてきます。 そうすると、 この世の価値観を是とする…
敵を愛したり、 自分を憎んでいる人に対して 善を行なったりすることは、 私たち凡夫には至難の業です。 努力しても一回か二回が限界でしょう。 そもそも自力では…
自分の罪には甘く 他人の罪は赦せずに 辛く当たってしまう事って ありませんか? 神は罪深い私たちを赦してくださったのに 私たちはなぜ隣人に対して 神のように…
私たちキリスト者は、 神から救いという、 一番、得難い恵みをいただきました。 救っていただいた後も、 私たちは、様々な賜物をいただき、 その賜物を用いること…
みことばのうちに知恵を求める者は 神からも人からも栄誉を受けるでしょう。 しかし、神の御心を無視して 自分の欲望を満たすこのみを 生き甲斐にするような生活を…
イエスは律法を完成されました。 全ての律法は一つに集約されました。 互いに愛し合う。 それが新しい戒めです。 ここでいう愛とは イエスが見せてくださった愛で…
時に、主のみことばは 心をえぐるように迫ってくる時も あったことでしょう。 しかし、みことばは、最終的には、 私たちを主に立ち返らせ、 彼との豊かな交わりを…
闇はいくら深まれども 小さな光一つも消すことは出来ません。 世の光として来られた キリスト・イエスを信じる全てのキリスト者は 光の子となり、 この暗い夜を照…
イエスがみことばが受肉して この世に預言通りに来られた神であると 信じて告白する者こそキリスト者であり、 そのような者が神との深い交わりに 入ることが出来る…
終わりの日まで待たずとも、 私たちの心に 真の平安を与え得るものは 神のみことばであります。 聖書を読み、 教会でみことばを聴き、 聖餐に与る事によって、 …
神は、みことばで 万物を創造されました。 その神の似姿として 創造された私たち人間も 神と同じように言葉を介して 様々なものを 生み出す力を持っています。 …
神はキリスト者の歩みを 常に護ってくださるのですが、 すべてのことを働かせてと ローマ人への手紙の中で パウロが言っているとおり、 神はすべてを働かせて、 …
国の品位を高めるのは 為政者だけではなく、 国民の素行が著しく反映されます。 海外における私たちの行いは 日本人を代表しての行動と見做されます。 海外では私…
神は私たちの一挙手一投足の全てを ご覧になっておられます。 自分に利益となるようなことが 一切なくても、 神の似姿として造られた 私たちの隣人に仕えることが…
ついこの間、 冷戦が終わったかと思ったら、 またもや同じような対立軸が 出来ようとしています。 役者の中心が米ソから米中に 変わっただけで、 人類は、またも…
私たちは、自分の力で 人生を切り開いているかのような 錯覚にとらわれがちです。 私たちは、確かに、努力はしています。 しかし、そのように努力することが 出来…
命は救いたいと思うのがふつうでしょう。 しかし、イエスは逆に 救おうとすれば命を失い、 イエスのために命を失う者が 命を見出すだろうと教えました。 イエスは…
イエスが再臨されると言っているが 2000年もの間、 姿を見せていないではないかと 嘲笑う人もいます。 私は逆に訊ねたいです。 イエスの再臨は裁きの時が 来…
二年半近くに及ぶコロナ禍との格闘は まだ収束してはおりませんが、 時の流れと共に 対処の仕方が分ってきたこともあり、 ソーシャル・ディスタンスは保ちつつも …
不思議な事ですが、 人は、やましい事があると、 暗いところに逃れようとしますね。 ヨハネの福音書などを読むと顕著ですが、 神は光にもたとえられます。 闇はど…
どんな悪党であっても 自分の子には良いものを与えるものだ。 であるなら天の父が 私たちキリスト者に対して 良いものでもって 祝福してくださらないはずはないと…
幼い頃、自転車の補助輪を 外した時のことを思い出します。 補助輪がなくなったので バランスが取れず、倒れそうになります。 すると父が自転車の後ろを持って 倒…
命あっての人生です。 しかし、命を大切にしながら 生活している人が 一体、どれほどいるでしょうか? 生きるとは何かとの問いかけをせずに ただ漠然と生きようと…
創造主なる神の摂理に基づいて 被造物は生かされています。 私たちの人生も同じであります。 神のお導きにより 様々なご縁をいただいて 私たちの生活は成り立って…
限られた知能しか持ちえない私たちが 神を完全に理解することは 難しいのかもしれません。 しかし、神はそんな私たちを憐れんで 私たちが理解できるように 人の姿…
人を裁くのは良くない事です。 人を裁けば、 あなたも裁かれます。 完全な人間はいません。 自分の弱いところは 神に働いていただき、 自分の得意な事は、 困っ…
キリスト者であるなら 絶対に知っておくべきことがあります。 それは、不必要な事や ネガティブな事を 語ってはならないと言う事。 なぜだか分かりますか? 神は…
筋肉に付けるために ある程度の負荷をかけるのと同じで、 信仰を成長させるためにも ある程度の試練を乗り越える 必要があります。 ヤコブは信仰が試されると 忍…
キリスト教には洗礼というものがあります。 旧約時代に割礼というものがあったように、 信仰を目に見える形で公にするために 行なわれるものです。 ご存知の通り、…
私たちキリスト者が求めているものとは 一体、何なのでしょうか? 世的な成功も求めているかもしれません。 生きていく上では、仕方ありません。 しかし、それでは…
福音を喜び、 福音を生きるならば、 私たちが求めるものは 自然と神が喜ばれることを 望むでしょう。 神の思いと私たちの思いが 一致するので、 このような求め…
キリスト者は罪の赦しを得ましたが 罪がなくなるわけではありません。 もし罪がなくなってしまうならば、 キリスト者は 罪を犯すこともないでしょう。 しかし、こ…
神が片時も私たちを離れず 共にいてくださっている事を 私たちは忘れがちです。 しかし、その事実を確信しているならば どのような苦境に立たされていたとしても …
知恵を得ようと知識欲を持つことは 悪い事ではありません。 しかし、知識を持っていても それを使えなければ 無用の長物となってしまいます。 知恵は知識を運用す…
御子イエスの死と引き替えに あなたは救われたのですから そのいのちを神の栄光のために 使うのは当然のことです。 救いだけ受けて何もしなかったら、 恩知らずと…
信仰は神が与えてくださるものです しかし、信仰を持つのは意外と難しい。 何が難しいかと言えば、 自分の弱さ(罪)を認めるのが 難しいからです。 これまでの自…
あなたの前に救いの門は 常に開かれています。 入りさえすれば救いと平安が そこにはあります。 しかし、不思議なことに ほとんどの人が そこに入ろうとしません…
この世の常識は変わらないようで 結構、変わっています。 知らないうちに変わるので 気付いていないだけです。 この世で良さそうに思える価値観も 人の数だけ解釈…
窮地に陥った時の あなたと神との関係を考えてみてください。 直ぐに神に祈ったり 助けを求めたりしているでしょうか? 意外と多くのキリスト者が 危機的状況下で…
今、世の中は少しずつ変わろうとしています。 そしてこのような過渡期には その変化に乗じて事を有利に運ぼうと 悪の勢力も活発に活動します。 個性と競争が求めら…
イエスの教えを直接受けた弟子ペテロ。 多くの失敗も繰り返しました。 弱さと戦いながらみことばを生きた ペテロの信仰の旅程から紡ぎ出された キリスト者への奨励…
私たちは徳のある行為をしようと 努力してしまいます。 これは悪い事ではないのですが、 キリスト者として、 なぜそのような行いをするのかを 先ずは、わきまえる…
自分が御国へ招き入れられるに 相応しいと思っている人は おそらくいないでしょう。 皆、自分では分かっているのです。 どれだけ罪深いかという事を。 しかし、そ…
肉の考えは自利を追求し、 御霊は自利利他へと導きます。 自利ばかりを追求すると 結果的に自分を追い詰め、 利他の生き方は安らぎをもたらします。 世の中も共生…
現代人は即効性を求めすぎて 待つことが苦手になってきています。 当然のことですが、 神の恵みは 即効性を求めるべきではありません。 むしろ神は私たちに 待つ…
聖書には日本語で訳せば愛となる単語が 何通りか出てきます。 それらの愛の中で一番最上位の愛として アガペーという愛があります。 アガペーの愛はキリスト・イエ…
奴隷は主人の言い付けを 黙々とこなす存在です。 私たちはかつて罪の奴隷でした。 そのころは主人である 罪に支配されて 言いなりにならざるを得ませんでした。 …
救世主として来られた方なら もう少し華麗なる生活を送られても 良かったのではないかと イエスに対して評価する人も いるかもしれません。 確かに救世主というか…
イエスは全てのキリスト者と共に 今もいらっしゃいます。 片時も離れることなく 苦楽を共にしてくださる方です。 しかも喜びは私たちに、 苦しみは自分がという具…
人生は苦しみの連続ではなかろうか。 そう思わざるを得ないような毎日を 私たちは送り続けています。 この苦しみからいつになったら 解放されるのだろうか。 逃れ…
パウロは神の愛から 私たちを遠ざけようとする この世の否定的な力を列挙し、 キリスト者はそれらの力によって 神の愛から引きはがされることは 絶対にないとの自…
自分には甘く、人には厳しい。 それが凡夫である私たちの姿。 自分の弱さを良く知る者であれば 他人にたいしても辛くは当たれません。 他人に辛く当たれるという事…
牧者はイエス様だけです。 私は牧師と呼ばれていますが、 牧者に仕える牧童にすぎません。 しかし、良い牧者であるイエスに倣って 私も命懸けで人々にお仕えしたい…
イエスが天へお帰りになって さほど時がたっていない時期に、 ペテロとヨハネが 福音を宣べ伝えていました。 二人がイエスの復活を例に引きながら 死者の復活を教…
全てを神に委ね切りましょう。 あなたの心を神に完全に開けば、 神の無尽蔵の恵みで あなたは満たされるでしょう。 人は心の中の思いを実現していきます。 心の中…
頑張ったけど、結果は散々だった。 大失敗した。 もうダメかもしれない。 そんな思いを誰でも一度や二度は したことがあるでしょう。 誰だって失敗はします。 し…
大切な事は、 私たちが何処に目を向けているか、 つまり関心ごとが何かという事。 常に心の中に去来する事を 人は実現しようとします。 低俗なものに目を向ければ…
救われたキリスト者であることを 自任している者が時々、勘違いをして やりがちな事があります。 それは救われていない人を 裁いてしまうということです。 自分が…
自分がお世話になった人の事は 本人に対しては勿論の事、 折に触れてその事を他人にも話して 感謝の心を直間接的に表すものです。 さて、御子イエスを犠牲にしてま…
バプテスマのヨハネは 旧約時代の終わりを告げる 最後の預言者です。 旧約時代の預言者はメシア(キリスト)の 来臨を伝えました。 バプテスマのヨハネも メシア…
私たちが信じる神が この世に存在するものの全てを 創造されたお方であることを 忘れないでください。 そして神は今も万物を統制しておられます。 被造物を管理す…
私たちの発する言葉には 創造力があります。 神の似姿として 私たち人間は造られたため、 みことばでもって 万物を創造された神と同じように、 言葉を通して様々…
自分さえよければいいとの思いから なかなか自由になれない私たち。 しかし、それに気づいているかどうかで 大きな違いが出てきます。 自利ばかり追求するあまり …
厳しい時代です。 働き盛りと言われている 30代後半から50代前半の人たちは 丁度、第一次ベビーブーマーの 子どもたちにあたり、 いわゆる第二次ベビーブーマ…
社会は乱れに乱れています。 私たちは、何処へ立ち返るべきでしょうか。 答えは簡単です。 私たちをお造りになった神へ 立ち返ればよいのです。 神はみことばです…
大阪では蓬莱の豚まんが たいそう人気であります。 私も時々、息子にせがまれて 梅田駅で買って帰ります。 数百円しかしない豚まんですが それを食べると なんと…
イエスを救い主として信じて イエスのみことばに従って生きる者は、 罪の赦しと永遠のいのちが与えられています。 この一番、あり得ない事を 一番最初にいただいて…
使徒パウロは主にあって喜ぶようにと 度々、奨励しています。 そこで喜ばないといけないと 無理して笑顔を作って喜ぼうとする人を 見かけることがあります。 しか…
神が喜ばれる捧げものは 私たちの全生涯を 神の栄光のためにお捧げすることです。 これは世俗を捨ろという意味では ありません。 生活のすべての領域で 神を第一…
神の祝福を受ける者は みことばに耳を傾け、 そのみことばを生きる人です。 みことばに耳を傾けていますか? みことばには三つの形態があります。 書かれたみこと…
神はインマヌエル、 つまり、いつも私たちと共にいてくださる神です。 共にいてくださるので 私たちの事をとてもよくご存知です。 私たちが求める前から 私たちに…
幼い子にとっては 毎日が未知の事の連続だと思います。 したことのない事に挑戦するのは とても勇気のいる事ですが、 お父さんやお母さんが 一緒にいてくれるとの…
私たちの限られた知性では 神を完全に理解することは 不可能と言っていいでしょう。 それ故、神はどれほど人を愛し、 関係の回復を望んでいるのかを 私たち人間が…
キリスト者は神の栄光となる事を 希望とすべきだと言われています。 しかし、これを自分でやろうとすると 無理があります。 私たちは自分にとって利益になろことを…
相手よりもアドバンテージを取りたいと 無意識に思ってしまう癖が 私たちにはあります。 そしてこの癖が、時として 人間関係を難しくしてしまいます。 イエスもイ…
心を一つにして、 傷ついた者に同情し、 実の兄弟のように仲睦まじく相対し、 相手の落ち度に対して寛容で お互いに謙遜な態度でお付き合いする。 教会は、そんな…
「ブログリーダー」を活用して、metanoia75さんをフォローしませんか?
神は全てご存知です。 私たちの行動だけでなく 心の中で去来する情動も 全てご存知です。 その事を忘れれずに 神に申し開きせずともよいように 悪に心を奪われな…
歴史について論ずるときに、 自らは一次資料を 一度も目にしたことが ないにもかかわらず 自らが教えられた歴史観を 永遠なる真理かのように信じ込んで、 別の歴…
キリスト者はイエスと共に 居続けることが大切です。 イエスはみことばが受肉した方なので、 イエスと共にいるとは みことばと共にいるという事です。 つまり、私…
救いは信仰による。 その通りです。 その信仰は、 神が与えてくださったものです。 そして、あなたは救われ、 次は、あなたを通して、 また誰かを救いへと導くた…
もし、神が憐れみ深い方でなければ、 間違いなく私たちの罪は赦されることなく 地獄行きが確定していたでしょう。 しかし、私たちを救うために 御子イエスを身代わ…
みことばに力があると主張し、 相手が理解できていなくても やたらめたら聖書のみことばを 一方的に宣べ伝える事を良しとする 牧師がかなりの数いました。 みこと…
ユリの花言葉は「威厳」なんですね。 キリスト教ではユリの花が好まれて ステンドグラスや講壇の荘厳にも ユリが用いられています。 思えば、主イエスのみことば…
キリスト者の中には 因果応報は仏教思想だとして 鬼の首を取ったかのように 否定してかかろうとする人たちがいますが、 聖書は、そのような者たちに 思い違いをし…
神は御子イエスを犠牲にしてまで 私たちを救ってくださいました。 私たちを救うために、主イエスは 喜んで、その命を捨ててくださいました。 その生き様に学び、 …
牧会者をはじめとする教役者は パウロの表現を借りれば 神の協力者であり、 信徒の皆さんは、神の畑、建物と 表現しています。 また、信徒の皆さんも 教会の外で…
イエスの代償の死がなければ、 私たちの罪は赦されず、 神との関係は 断絶したままであったでしょう。 しかし、憐れみ深い神は 預言通りにイエスを送ってくださり…
義とは神との関係が 回復した状態を言います。 しかし、神との関係が回復すると サタンはキリスト者をつまずかせ、 不義の状態へと 逆戻りさせようとします。 そ…
怒りの感情というものは、 相手の発言や行動に対して 私たちが評価を下すことで発生します。 ですから、相手の言葉や行動に対して 性急に評価を下そうとせず、 先…
御霊の導かれつつ 聖書を読み進めることで、 私たちは神の知恵を 学ぶことができます。 それまで自分が 正しいと思っていた価値観が 神の目から見れば 全然、正…
かつて御霊は エルサレムの神殿の至聖所におられ、 期間限定で神の契約の確かさを 伝えさせる目的で預言者に降りました。 しかし、新約時代である今は、 心からイ…
本気で神にお会いしたいと 心から願って探し求めるならば、 あなたは必ず神に お会いすることが出来るでしょう。 神はいつでも会見できるように 万全の態勢でお待…
キリスト者は神を信頼しているはず。 信頼しているなら 問題に直面したとしても 神が必ず支えてくださるとの確信が 心のうちにあって当然なのですが...。 さて…
私たちキリスト者が 神の御心にかなった行いをすれば、 仮に誰かと衝突したり 敵対関係になったとしても その仲を神が取り持ってくださいます。 逆に、私たちキリ…
一人でなく、 同労、同行、同朋が一丸となって 神の御心にかなった平和と 皆で喜んでみことばを生きるという 聖き生活を求める事が 今まで以上に求められている気…
イエス・キリストから始まり 現在までの約2000年に間、 変わる事なく宣べ伝えて来た福音こそ 私たちキリスト者が拠って立つ礎です。 それ以外の教説は福音で…
主に守られているのだとの確信を 常に持ち続けることで 私たちは心に 平安を持ち続ける事ができます。 主に守られているのだとの 確信を得るためには、 主が自分…
罪を赦していただき 神との関係が回復したキリスト者は 罪を犯す以前のアダムと同じように 神と親しく交わることが 出来るようになりました。 罪の赦しと永遠のい…
ピレモンは小アジアのコロサイの 名士だったようです。 パウロの宣教の協力者でもあり、 自らの屋敷を家の教会として 開放もしていたようです。 宣教活動は、いつ…
救いを得るための善行は 結局のところ 自利に重きが置かれている。 利他を装っているが、 結局は自分のためなのだ。 聖書のみことばを通して与えられる 知恵はど…
イエスは私たちの心のうちから 永遠のいのちへの水が湧き出ると 教えられました。 実は、これは非常に重要であります。 というのは、 私たちが信仰生活を送るにあ…
イエスの証、 つまり福音をそのまま信じる者は 神は真実であるという事に 捺印したことになると バプテスマのヨハネは 彼の弟子たちに語りました。 突然、現れた…
誰かに対する恨みは さっさと赦してしまった方が 良いでしょう。 なぜなら恨めしい気持ちは あなたの心の平安を破壊するからです。 寝ても覚めても 恨みを持って…
パウロはお互いに愛し合うように、 つまり、命懸けで仕え合うようにと 教えました。 これはキリスト・イエスの 福音でもあります。 そして、それを 実生活で適用…
キリスト者が最も求めるべきものを キリスト・イエスは前もって 教えてくださいました。 それは神の国と神の義でした。 神の国は、 神の御心が100% 反映され…
みことばのタネは 聖書を読むとき、 説教を聞くとき、 日常生活を通してなど、 様々な機会を通して 蒔かれています。 そのタネが実りを得るためには 良いと土地…
やられたらやりかえしたくなるのは 人の素直な気持ちだと思います。 しかし、聖書は、祝福するようにと 教えています。 こう言われると 我慢しろと言われているよ…
東京オリンピックの開催を巡る 様々な問題が報道されるたびに 国民は恥ずかしい思いをしました。 しかし、それを可能とする 雰囲気を醸成しているのは 他でもない…
人にはそれぞれ、 得手、不得手があります。 得意でないことにも 挑戦はしてみるべきでしょうが、 その場合であっても、 その分野に造詣の深い者が 傍らでサポー…
聖められるとは、自己中心的な生き方をして神の御心を無視して罪を重ねていた自分の生き方に気づかせていただき、キリストの十字架の贖いにより罪を赦していただくことで…
やましい事があると正しい事が分かっていてもそこから逃げようとしたり、正しいものを潰そうとします。大伝道者パウロも若かりし頃、ステファノの説教を聴いて衝撃を受け…
みことばを生きるキリスト者は 時々、試練に遭遇します。 みことばを従うか、 それとも長い物には巻かれよとの 世の格言に従って、 妥協して事なきを得るか、 こ…
神と私たちの間に仲介者は必要ありません。 キリスト者はすでに イエスにお取次ぎをしていただいて 神との関係が正常化しています。 ですから、さらに別の仲介者を…
日本語は諸外国の言語と比べて 悪口が非常に少ないという 特徴があります。 文法的に近い朝鮮・韓国語は 驚くほど悪口が多く、 会話での使用頻度も高いです。 一…
「 初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」 (ヨハネ1:1 新改訳) みことばが神なのです。 ですから神を畏れると…
イエスを救い主と信じる者は 神の子とされます。 これはすごい事だと思いませんか。 これは神に隷従する存在ではなく 神の家族として 受け入れられたという事なの…