主は正義と公正を愛されます。 主の御心を汲んで 誰に対しても偏り見る事をせず、 相対するようにしたいものです。 そのような姿勢で生きておれば、 神の恵みが …
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
主は正義と公正を愛されます。 主の御心を汲んで 誰に対しても偏り見る事をせず、 相対するようにしたいものです。 そのような姿勢で生きておれば、 神の恵みが …
神はみことばで悪を炙り出し、 みことばで私たちを 保護してくださいます。 神のみことばは サタンの攻撃に対して 鋭い攻めと鉄壁の防御で 私たちを護ってくださ…
ヨハネの福音章1章1節に 「初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と あるように、神はみことばです。 また14節では …
イエス様も間違いなく尊いお方です。 ですが、イエス様も聖霊様も 御父と同じ神であって 位格が違うだけなのです。 ですが、イエス様は目に見え、 人々の生活の真…
「信仰が大事なのであって 行いは二の次だ」と意味不明な 言葉を発するキリスト者がいます。 牧会者の中にもいたりします。 ですが、これはナンセンスです。 「救…
自分は何をやってもダメだと 自分に嫌悪感を覚えている人が 意外とたくさんいるようです。 また、中には、 自己卑下と謙遜を混同して、 やたらめったら自分を貶め…
みことばを喜び、 みことばを生きる者を 神は祝福します。 なぜなら、 みことばを生きる者が 不幸になると、 神の力が疑われるからです。 みことばを通しての約…
アンガー・マネジメントは 本当に大切です。 というのは、怒っている時、 あなたの心の中も頭の中も 神は不在に なってしまっているからです。 怒りの矛先となっ…
自分の弱さ、罪深さを知る者が 御子イエスの十字架での贖いを 必要とする。 罪の代償が死であることを 知らなければ、 イエスの代償の死の有難さを 理解できない…
人が出来る事は 人がやればよい。 だが人に無理なことがある。 その無理な事を 無理なく解決してくださる方が 神なのです。 ひょっとしたら 私たちが神に対して…
神は私たちを いつも護ってくださいます。 神は私たちに いつも恵みをくださっています。 神は私たちが 試練に直面した時、 共に解決に向けて歩んでくださいます…
信仰が大切だというのはその通り。 だが、だからと言って 行いは必要ないというわけではない。 キリスト者の行いは 信仰を賜って救っていただいた事への 感謝の表…
しきりに見て関心を持った事を 人は実現しようとします。 多くの場合、それらは 無意識のうちにやっているので、 自分でも気付かないうちに 神が喜ばれない行為を…
神の恵みは私たちには 計り知れないものです。 そんな計り知れない恵みが 主を恐れ、主に拠り頼む者に 与えられるのです。 その恵みは夢物語ではありません。 あ…
キリスト者も 未信者と同じように この世の栄華や成功を 得ることを願い、 あたかも神を利用しているのかのような 祈りをしてしまっているかもしれません。 神に…
最初であり最後である主が あなたと共にいてくださいます。 飢え渇いたあなたの心は みことばによって 潤されるでしょう。 命を生かす みことばの水を飲んでます…
自ら積極的に 神から遠ざかろうとしない限り、 神は私たちを 神の御心に適った生き方を 選択できるように導かれます。 それほどに慈愛に満ちたお方なのです。 そ…
イエスは想像を絶するような 侮辱、冒涜、拷問の末に、 皆に捨てられて ぼろ雑巾のように 人々にも、弟子たちにも、 最後は御父からも捨てられました。 なぜ、こ…
この世の知恵は 多かれ少なかれ 見せかけのものが含まれる。 一方で、神がくださる知恵は えこひいきや見せかけのような 人との比較が介在せず、 神の御心に適い…
ある人が冗談で言っていました。 その人が言うには、 神にもできない事があるそうです。 皆さんはそれが なんだと思いますか? 私も初めてそれを聞いた時には 笑…
全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
みことばの力が 及ばない所はない。 心の中の悩み事も主はご存知です。 主の助けが必要な時は 聖書を開いて朗読しましょう。 みことばがあなたに気付きを与え、 …
偏り見ることが あってはなりませんし、 偏見の目で見られる方も それが当然なことだと思って 自己卑下したり、 その逆に逆差別に利用したり することのないよう…
すでに信仰を賜って キリスト者としていただいた 者であっても、 危機一髪のところで 主に助けていただくたびに あたらめて主を身近に 感じるものです。 私たち…
自分の力では 如何ともしがたい状況に陥った時、 私たちは悩むことになります。 悩むとは脳が事態の把握が出来ず、 対処できない状態なのです。 その時は焦れば焦…
イエス様があなたに してくださった通りに、 あなたも隣人にしてみましょう。 この輪が広がれば 世の中はきっとよくなります。 先ずは家族や身近な人に対して。 …
ストレスを受ける原因の大半は 人間関係です。 誰かと会って、誰かと別れる。 たったそれだけの事なのに なぜ、ストレスを受けるのでしょうか。 それは相手と比較…
キリスト者の中にも キリストの再臨について あくまで教義的なものであって 実際には再臨などないと 思っている者もいるようです。 厳密に言えば、 再臨を信じな…
旧約時代の預言者たちを 特別な存在だと思いがちだが、 キリスト者は 皆が預言者であることを 知らない方も 多いのではなかろうか。 福音という救いのみことばを…
そもそも人間は 神の似姿として造られた存在。 神の聖性に憧れて当然なのです。 アダムとエバの背信によって 罪と死が入り込み、 神との関係が断絶し、 霊的に死…
キリスト者は忍耐が大切。 ですが聖書で言うところの 忍耐は世間一般で使われている 忍耐とは、少々、趣が違います。 聖書的な忍耐とは 信仰を基として前進し続け…
この世の誘惑に 膝を屈めて主を裏切るか、 この世の誘惑を振り払って 迫害されても みことばを生きるかの選択を キリスト者はすることになる。 主からいただいた…
私たちが願う前から 主は私たちの願いをご存知です。 私たちが主を信じて 祈り求めることを 主は首を長くして 待っておられます。 信じてお委ねする。 それだ…
怒り、憤り、立腹は 自分の感情を正常に コントロールすることが できなくなります。 聖書はそれらを悪への道だと 断定しています。 アンガーマネジメントを し…
少しでも他人より優位に立つことが 自分を守る術だと教えられ 親や教師たちの言うがままに 闇雲に勉強に打ち込んだものが 望み通りの安定した生活を得られずに 凶…
みことばの確信を心の支えとして 試練に立ち向かっていくことを 聖書で忍耐と表現しています。 救われたことを喜び、 みことばを隣人にお伝えするのは 素晴らしい…
みことばに従って生きると 世の常識に従って 生きる人との間に 少なからず軋轢が生じます。 ここで妥協をしてしまうと さらなる妥協を生んでしまいます。 あから…
後生の一大事が解決されていれば、 その事を案じて右往左往せずに 今生ではすべきことに没頭できる。 召天の約束があるから 今の事業が神への感謝となり 心がこも…
余計な講釈を垂れるより やって見せるのが一番。 困っている人には 具体的な助けを与えることが 大切です。 窮地を脱して一息つかないと 大切な福音も耳に入りま…
ソ連が崩壊した後、ジェフリー・サックスのアドバイスで急激な民営化に舵を切った。一握りの大富豪は生まれたが、ロシアは大不況。餓死・自死、若者のアル中が激増。ル…
御子イエスの命と引き換えに あなたを救ってくださった 天の御父は、 あなたを必ず護ってくださいます。 あなたを護るために 命を捨ててくださった御子イエスは …
主の啓示は 新旧約両聖書に記録されている。 キリスト者は新旧約両聖書を 朗読することで主と交わり、 その深い意味を 悟らせていただくことが出来る。 聖書を読…
天賦の知恵は この世の栄華のためや 私利私欲のために 用いるものではありません。 天賦の知恵がどのようなものかを 主イエスの弟のヤコブは ヤコブ書3章17節…
自由に聖書を読めることは 幸いなことです。 聖書を読むことで 神と会見することができ、 天賦の知恵をいただき、 その知恵の活かし方まで 教えていただけるので…
私たちは神から 様々な賜物をいただいています。 その賜物は一人ひとり違い、 一人として同じ賜物の人は違う 完全オーダーメイドの賜物です。 私たちはその賜物を…
聖書で言うところの 忍耐とは、 信仰を基として主と共に 前進し続けることを言う。 天に御国に約束通り 迎え入れていただくために 必要な事を敢えて言えば。 世…
パウロがテモテに宛てた手紙の中で 宣教活動は時を選ばず いつでも継続すべきことを テモテへの手紙第二の 4章2節で述べています。 その後半部分で 「寛容を尽…
自分の事は棚に上げて 人の落ち度を責める傾向が キリスト者にはあるようです。 罪の意識を芽生えさせようとして そうしているのかもしれませんが、 それは本当に…
私たちの方から 願掛けをしなくても 神が私たちに向かって 必ず護るから頼れと 語りかけてくださっています。 私たちはそのおことばに 素直にアーメンと 応じる…
信仰を賜ってキリスト者と していただいた者であれば、 心の中に聖霊様がお住まいです。 救われたキリスト者は 罪の赦しを得ているので 罪の奴隷になることはあり…
残念なことではありますが、 この世は平等ではありませんし、 これから先も平等になることは ないでしょう。 全ての者が寸分の狂いもなく 平等となるのは土台無理…
「愛し合う」という単語が 微妙な誤解を与えるようなので 言葉を変えてみるとよいだろう。 イエス様が私たちに 何をしてくださったかを 考えてみよう。 命を捨て…
自己中心的考え方、 自分は正しく 相手が間違っているとの 思考方式こそが罪を生み出し、 自他共に苦しめるのです。 自分の弱さ(罪)を知る者こそ キリスト者の…
神に信仰を賜って キリスト者として 新しい歩みを始めた私たち。 新生したキリスト者として 身に付けたい徳目を コロサイ書でパウロが述べている。 深い同情心、…
救いを得たキリスト者は 謙遜、柔和、寛容の徳を 身に付ける必要があるように思う。 特に柔和さが重要だ。 柔和とは聖書的には 自己主張をしないという意味。 自…
主イエスは いつも私たちと共にいてくださる インマヌエルなるお方です。 そして私たちが彼と共に 歩み続けることを本当に 喜んでくださいます。 その喜びようは…
私たちは切なる思いで 主に祈り求めているのだろうか? 主の助けを待ち望んでいるのだろうか? 祈りはしても 心の奥底では聴いてくれはしまいと シニカルな態度を…
以前とある雑誌に 日本の経済が30年近く 伸び悩んだ原因の一つが 日本人の成功者に対する 妬みや足の引っ張り合いであるとの 見解が掲載され、 その論を巡って…
教会における秩序は とても大切です。 同信の兄弟姉妹との関係も とても大切ですね。 みことばを より深く理解できるように 導いてくれる牧会者を 敬う事も大切…
神の御心に適った生き方こそ 自らを守り、家庭を守り、 街を護り、国を護る 最も最適な方法なのです。 神の御心に沿った生活は 利己的にならず 利他を心がけるの…
主イエスがお持ちの平安を 私たちに与えてくださるのです。 何か不足なものでもありますか? わたしは、あなたがたに 平安を残します。 わたしは、あなたが…
一番大切なのは 主に完全に委ね切る事。 真実なる主は私たちに 福音の約束を必ず成就されます。 私たちに必要な事は その事を堅く信じて この世に代替物を求めず…
救われたキリスト者は 救いを失うことはありません。 ありのままの姿で 救っていただけるのです。 救われたことに感謝し、 主をほめたたえつつ みことばを生きる…
イエスの十字架での贖いと 死よりの復活により サタンが人間を支配するための 二大武器が無力化されました。 イエスを救い主と信じる者は 誰であっても そのまま…
マグダラのマリアが 高価なナルドの香油を イエスの足に塗って 自分の長い髪の毛で それを拭い始めたのを見て イスカリオテのユダは 300デナリで売って 貧者…
みことばの光が あなたに向かって 照り輝いています。 みことばの光が あなたの心の闇を 明るく照らして心に平安を もたらしてくださいます。 あなたの心に み…
思い煩っている状態とは 突然、襲ってきた事態を 脳が処理できていない状態の事。 キリスト者は、 直ぐに神に委ね切ることが肝心です。 考えを巡らせたところで …
信仰を神から賜わって キリスト者は救われたが、 その信仰は先に救われた 誰かを通して 伝えられたものだった。 今度は私たちが伝える番。 自分の親兄弟、子ども…
三位一体の位格の一つである 御子イエス。 私たちの罪の贖いとなるため 最も弱い姿でこの世に来られ、 最も惨たらしい姿で殺された。 なぜ、そんな惨めな経験を …
五感を通して入ってくる 情報を基にして 私たちは様々な判断をします。 特に視覚情報は 私たちの思考に 大きな影響を与えます。 私たちはこの地上で 生きており…
イエスの十字架の死による贖いと 預言通りに復活されたことにより アダムの背信と堕落により サタンが手にした人間支配の 二大武器である罪と死が 無力化された。…
この世は悪に覆われています。 この世の王がサタンなのですから 当たり前と言えば当たり前です。 ですが、そうであるからと言って キリスト者も悪を行なって 良い…
義とは神との関係が 正常化している状態を言います。 神は全きお方であらせられるので、 罪を犯した人とは交わり得ません。 神に義と認めていただくためには その…
神はみことばによって 万物を創造されました。 その神の似姿として創造された 私たち人間も 言葉でもって様々なものを 造り出します。 言葉には創造性があるので…
イエスは極重悪人である私たちを 命と引き換えに罪の赦しを得させて 救ってくださった。 これに優る恵みがあろうか。 私たちを救い出すために 命すら惜しまれなか…
「仕える者となれ」 これはイエスが残された 新約時代の戒め、 新しい律法です。 キリスト者が果たすべき事は 主イエスに倣って命懸けで 隣人にお仕えする事なの…
諸行無常の世に生きている私たち。 しかし、変らぬものがあります。 それはイエスのおことばである 福音です。 福音はとこしえに変わりません。 不変の真理を礎と…
救われたことを 誇りに思うのは結構なことです。 ですが神に選ばれたことを 鼻に掛けて他人を見下すような 人間になってはいけません。 ユダヤ人がつまずいたのは…
エルサレムの神殿の拝殿には ユダヤ人しか入れず、 外国人はユダヤ人のいる領域の 壁の外かまでしか入れませんでした。 パウロはこの隔ての壁を イエス様は壊して…
私たちには気付かなくても 神は私たちを導いてくださいます。 疑わずに委ね切る。 それが私たちに求められている事です。 委ね切るというと 何もせずにいる事だと…
キリスト者であれば ヨハネの福音書の1章1節は 誰でも知っているでしょう。 「ことばは神であった」 みことばが神なのです。 そのみとばは聖書に記録され 最終…
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主は正義と公正を愛されます。 主の御心を汲んで 誰に対しても偏り見る事をせず、 相対するようにしたいものです。 そのような姿勢で生きておれば、 神の恵みが …
神はみことばで悪を炙り出し、 みことばで私たちを 保護してくださいます。 神のみことばは サタンの攻撃に対して 鋭い攻めと鉄壁の防御で 私たちを護ってくださ…
ヨハネの福音章1章1節に 「初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と あるように、神はみことばです。 また14節では …
イエス様も間違いなく尊いお方です。 ですが、イエス様も聖霊様も 御父と同じ神であって 位格が違うだけなのです。 ですが、イエス様は目に見え、 人々の生活の真…
「信仰が大事なのであって 行いは二の次だ」と意味不明な 言葉を発するキリスト者がいます。 牧会者の中にもいたりします。 ですが、これはナンセンスです。 「救…
自分は何をやってもダメだと 自分に嫌悪感を覚えている人が 意外とたくさんいるようです。 また、中には、 自己卑下と謙遜を混同して、 やたらめったら自分を貶め…
みことばを喜び、 みことばを生きる者を 神は祝福します。 なぜなら、 みことばを生きる者が 不幸になると、 神の力が疑われるからです。 みことばを通しての約…
アンガー・マネジメントは 本当に大切です。 というのは、怒っている時、 あなたの心の中も頭の中も 神は不在に なってしまっているからです。 怒りの矛先となっ…
自分の弱さ、罪深さを知る者が 御子イエスの十字架での贖いを 必要とする。 罪の代償が死であることを 知らなければ、 イエスの代償の死の有難さを 理解できない…
人が出来る事は 人がやればよい。 だが人に無理なことがある。 その無理な事を 無理なく解決してくださる方が 神なのです。 ひょっとしたら 私たちが神に対して…
神は私たちを いつも護ってくださいます。 神は私たちに いつも恵みをくださっています。 神は私たちが 試練に直面した時、 共に解決に向けて歩んでくださいます…
信仰が大切だというのはその通り。 だが、だからと言って 行いは必要ないというわけではない。 キリスト者の行いは 信仰を賜って救っていただいた事への 感謝の表…
しきりに見て関心を持った事を 人は実現しようとします。 多くの場合、それらは 無意識のうちにやっているので、 自分でも気付かないうちに 神が喜ばれない行為を…
神の恵みは私たちには 計り知れないものです。 そんな計り知れない恵みが 主を恐れ、主に拠り頼む者に 与えられるのです。 その恵みは夢物語ではありません。 あ…
キリスト者も 未信者と同じように この世の栄華や成功を 得ることを願い、 あたかも神を利用しているのかのような 祈りをしてしまっているかもしれません。 神に…
最初であり最後である主が あなたと共にいてくださいます。 飢え渇いたあなたの心は みことばによって 潤されるでしょう。 命を生かす みことばの水を飲んでます…
自ら積極的に 神から遠ざかろうとしない限り、 神は私たちを 神の御心に適った生き方を 選択できるように導かれます。 それほどに慈愛に満ちたお方なのです。 そ…
イエスは想像を絶するような 侮辱、冒涜、拷問の末に、 皆に捨てられて ぼろ雑巾のように 人々にも、弟子たちにも、 最後は御父からも捨てられました。 なぜ、こ…
この世の知恵は 多かれ少なかれ 見せかけのものが含まれる。 一方で、神がくださる知恵は えこひいきや見せかけのような 人との比較が介在せず、 神の御心に適い…
ある人が冗談で言っていました。 その人が言うには、 神にもできない事があるそうです。 皆さんはそれが なんだと思いますか? 私も初めてそれを聞いた時には 笑…
妻は夫に従うように との部分ばかりが強調されているが、 夫は妻を命懸けで守れと 聖書は教えていいる。 イエスが教会へと呼び集められた 私たちキリスト者を救う…
主の力を信じられないから 浮足立ってこの世の方法で 問題を解決しようとしてしまう。 焦るな! 主に委ねよ! みことばと向き合え! そうすれば今すべきことが分…
同信の先輩方に倣って 私たちも忍耐でもって みことばを生きましょう。 聖書において忍耐は 試練に喜んで立ち向かうという ニュアンスで使われています。 勝利さ…
神の御心に適ったものを イエスの御名で求めれば その望みは成就するとの 約束がある。 知らぬキリスト者はいない。 だが、適ったらラッキー という程度に思って…
イエスの命と引き換えに 神に買い取られたのが キリスト者となった私たち。 その有難さを忘れてはいけない。 それを忘れるから肉が働く。 神の目にあなたは 御子…
キリスト者がお互いに 憐れみと平安と愛で 満ち溢れるようにと 祈り合えるようになれば、 教会の成長は 難しくはないだろう。 自分の事ばかりでなく 同信の兄弟…
イエスはみことばが 受肉されたお方。 なので私たちキリスト者は みことばという木に つながる枝ということだ。 みことばにつながっておれば 多くの実を結ぶで…
人である以上 キリスト者であっても 心の片隅で見返りを 求めてしまいます。 それは致し方ない事です。 それはそれで認めることが 必要です。 そのような弱さを…
キリスト・イエスのように 命を捨てる覚悟で 隣人に仕える事を愛という。 その愛でもって 互いに仕え合えと イエスは教えられた。 その教え(福音)通りに 私た…
言葉はもういい。 生き様で みことばの素晴らしさを 証ししていこう。 我が国の福音宣教は 元来、そうであったはず。 教勢と信徒数が伸びない事に 頭を抱えた一…
神を愛するキリスト者は 神の似姿として造られた 隣人をも愛するのが筋だ。 だが、昔から変わらないのは 神への愛は語りながらも 隣人は目に入らない。 しかし、…
キリスト者は イエスの命と引き換えに 神に買い取られた存在です。 罪の代償は死であったので、 イエスがその代償を 償ってくださったのです。 罪が赦された今、…
三位一体の位格の一つである 聖霊が篤信のキリスト者の 心の内にお住まいである事は 本当に有難い事であります。 これこそ正に、インマヌエル、 神が共におられる…
神の御心を無視して 自分勝手な生き方をして 自他ともに苦しめてきた 自らの罪に気付かせていただき、 その罪を赦していただいたのが 私たちキリスト者で あった…
神を知っている者は 神のご性質に倣って 愛し合うようになる。 その愛とは、 キリスト・イエスに見られる 無私の愛だ。 あなたは如何であろうか? キリスト教と…
福音宣教と聞くと ことばで伝えるというイメージが 強くなるが、 福音を生きるキリスト者の 生き様を目撃した者が、 その素晴さに感銘を受けて 原因を聞いてくる…
みことばを生きておれば みことば通りに生きる自分を みことばの約束通りに 護ってほしいと 神に祈ることが出来る。 神の御力はみことばを生きる者に 働くわけだ…
鹿は喉が渇くと 舌が貼りついて 呼吸困難になるとか。 鹿にとって 喉を潤すことは 死活問題なのです。 それと同じように 私たちも主のみことばで 心が渇いたま…
バプテスマの預言者は 旧約時代を締めくくる 最後の預言者だと言われています。 預言は予言と違って 神のみことばは成就する事を 証しする事を言います。 旧約は…
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…