私たちは生まれながらに 罪の性質(原罪)を宿して生まれ、 罪を犯しながら生活しています。 神は完全なお方であらせられるので 潜在的に罪を犯す存在である 私た…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
私たちは生まれながらに 罪の性質(原罪)を宿して生まれ、 罪を犯しながら生活しています。 神は完全なお方であらせられるので 潜在的に罪を犯す存在である 私た…
未来に対する 漠然とした憂慮の大半は 起こりません。 起こりもしない未来に 戦々恐々とせず、 二度と戻ってこない 今という時間に 全力投球しましょう。 大変…
私たちの経験は 全て隣人たちに仕える時に 役だつものばかり。 キリスト者に偶然はない。 全ては神の摂理による必然。 私たちにはつらく思える事でさえ 神は必ず…
神は私たちの 心の癒しだけでなく 人生そのものを 祝福してくださいます。 そしてその祝福が 代を継いで継承されることを お喜びになられるのです。 神は私たち…
イエスは十字架で 死に渡されました。 彼は罪を犯して おられませんでしたが、 罪にまみれた 私たちの罪を背負い 罪の代償である 死を私たちに代わって 支払っ…
隣人を恨むのは止めた方が良い。 脳科学の発達により 明らかとなったことがある。 それは、脳が人称を 捉えないという発見であった。 人が誰かを恨んだ場合、 脳…
愛が神の本質であるが故、 愛することを知らぬ者は 神を知り得ない。 自称キリスト者は多いが、 キリスト・イエスに倣って 命懸けで隣人に尽くそうとする者は 多…
高慢になりたいと願っている人は おそらくいないでしょう。 ですが望んでもいないのに 私たちは高慢になりがちです。 小さな人間関係の中においては 主導権を握り…
私たちキリスト者が お仕えしているイエスは 神のみことばが受肉されたお方。 ですから主を喜ぶとは みことばを喜ぶこととなります。 みことばを喜ぶキリスト者の…
よくクリスチャンは お節介焼きだと言われます。 隣人に親切にするのは 良い事ですが、 親切心の押し売りはいただけません。 また、隣人に罪を認めさんがために …
第一コリント1章22節で パウロは次のように語っています。 「神はまた、 確認の印を私たちに押し、 保証として、御霊を 私たちの心に 与えてくださいました。…
毎日の生活もままならない 厳しい時代に私たちは生きています。 もはや我が国は先進国ではありません。 政治腐敗と民生の崩壊は連動すると 昔から言われております…
サタンの奴隷であった私たちは キリスト・イエスの贖いによって 罪の赦しを得て義と認められた。 キリストの代償の十字架を 自分の身代わりであったと信じる者は …
ヤコブの手紙3章17節で 主の弟であり初代エルサレム監督 であったヤコブが 天賦の知恵とはどのようなものかを 説明してくれています。 しかし、上からの…
神から賜わった信仰を土台に 自分の人生を築き上げることが キリスト者として 最高の生き方となります。 色んな事に気を取られがちですが、 ブレない信仰を維持す…
有難いことに 信仰というものは 私たちが持とうとして 努力するものではなく、 神が与えてくださるものです。 信仰は天賦のものなのです。 私たちは 賜わった信…
神が私たちの生活に どのように働きかけて 恵みを与え続けて くださっているのかを 知る事が出来たなら、 ただただ感嘆する事しか 私たちには出来ないでしょう。…
信仰生活は一人ではできません。 みことばを生きる時、 私たちは様々な試練に遭遇します。 そんな時、同信の兄弟姉妹がいれば 彼らから励ましを得て 試練に打ち勝…
キリスト者の歩みは 基本的に神のお導きによって キリストにより似た姿へと 造りかえられれていくもの。 なのにこの基本から 逸脱してしまうキリスト者も 中には…
キリスト者であれば 教会の兄弟姉妹を 実の兄弟姉妹の如く思い 彼らの幸せを神に祈る者で ありたいですね。 お互いに祝福し合う共同体として あなたの教会も成長…
今の時代は 悪が世を支配しているかのような 様相を呈していますが、 それが永久に続く事はありません。 悪人は悪人なりに自分らに都合のよい 世の中が続くように…
神の国は神の御心が 100%顕現したところです。 この世も神の国のように 神の御心が反映した世となるように 求めたいものです。 また、霊的な側面で見た時、 …
キリスト者の心の内には 聖霊がお住まいです。 聖霊は力と愛と慎みを 私たちに与えてくださいます。 決して私たちを臆病にさせたりは なさらないのです。 しかし…
詩篇29篇3節に 「主の声は、水の上にあり」と ありますが、 これは川や湖などの 陸上のことではなく、 雲の中の水の事を言っています。 その事を理解したうえ…
神の助けを求める時、 旧約聖書に度々登場する 神のご性質を語りつつ 祈り求めると 気持ちが入ります。 窮地に陥ると 祈りが言葉にならないことが あると思いま…
自己卑下も神に対する冒涜です。 神はあなたを選ばれたのです。 その神の選びを否定する行為が 正に自己卑下であるからです。 謙遜と自己卑下は似て非なるもの。…
私たちは何かをやろうとする時、 うまく行かない可能性については 誰から習わなくても 恐ろしいほど雄弁に論証します。 しかし、その逆に うまく行く可能性につい…
主に絶対的信頼を置いて 委ね切ることが出来れば 幸いです。 そのような信仰を持てますように 神に請い願いましょう。 私もあなたと共に祈ります。 主のご加護が…
苦楽を共にできる 友人がいることは幸いです。 そんな仲間が集っている所が 本来、教会です。 最近はそんな雰囲気では なくなってきているのかも しれません。 …
謙遜な姿勢は我が身を護る。 高慢は神からも人からも 嫌われる。 これは止めた方が良い。 主が仕える者となれと 教えられた背景には 私たちがすぐに高慢になる事…
心から信頼を寄せて 主の御名を呼んでごらんなさい。 主はあなたの願いに耳を傾け、 あなたの必要を 満たしてくださいます。 信じて主にすがるあなたを 主は必ず…
とにかく主を愛する事。 キリスト・イエスが あなたのためにしてくださった事を 忘れないでください。 そうすれば主の戒めは 負い難いものでなくなります。 …
キリスト・イエスは 私たちの罪の贖いとなるため 惨たらしい拷問を受け、 遂には十字架で血まみれになって 亡くなられました。 しかし、その凄惨極まるお姿は 私…
主が教えてくださった祈りを 「主の祈り」として キリスト者は祈ります。 祈りの中の祈り、 最も完全な祈りと言われています。 ですから内容を吟味して 祈りたい…
第一余波へ4章8節にある 使徒ヨハネの直球が好きです。 彼は「愛のない者に、 神はわかりません。 なぜなら神は愛だからです。」と 煩瑣な教義に拘泥する信徒を…
神から受けた恵みに対する 喜びは感謝の祈りとして 神の御前に表しましょう。 私たち日本人はシャイなので そういうのが苦手ではあるのですが、 喜びは喜びとし…
神を愛しているなら 神の似姿として造られた 隣人をも愛せよと キリスト・イエスは命じた。 その戒めを守っている キリスト者が今日 どれだけいるだろうか? 自…
不動の信仰に基づいて 揺らぐことのない心、 ぶれない行いを キープしたいものです。 そんな信仰を 得ることが出来るように 毎日、聖書の朗読に努め 神への信頼…
祈り、奉仕、献金...。 どんなものであっても 自分のできる最高のものを 神にお捧げすることが大切。 惜しみながらでなく 一番の上物を差し上げれば 神も最高…
オオカミの群れの中の羊。 それが私たちキリスト者が 置かれているシチュエーション。 そのままでは、間違いなく オオカミの餌食になってしまう。 だから神の御助…
キリスト・イエスは 私たちの救いのために 命を捨ててくださいました。 それを通して私たちは 神の私たちに対する愛を 知ったのですが、 キリストに倣うキリスト…
聖書には「忍耐」という言葉が 度々、登場します。 日本人が忍耐と聞くと 辛抱するとか我慢する事と 思いがちです。 しかし、聖書で忍耐という言葉が 用いられる…
神の力は 完全に委ね切る時に 顕れる。 神に委ね切ると言うと 丸投げする事と 勘違いする人がいる。 それは委ね切るのとは違う。 神の臨在を確信して 今できる…
同信の兄弟姉妹が集う 教会であっても 言いたくはないが 人の集まりである以上、 人間関係がこじれる事は 皆無とは言えない。 だが、そこが「教会」 であるがゆ…
私を含めキリスト者の多くは 今も暗闇の中にいるのやもしれない。 兄弟姉妹を憎む者は 闇の中にいると使徒ヨハネは教える。 もちろんいつもかつも 誰かを憎んだり…
困難に直面した時 本気で神に頼れる人は 幸いな人だと思う。 あなたはどうだろうか? 困難に直面した時、 スマホを握って 友人に助けを求めようと していないか…
とげとげしい言葉は 使わないことだ。 絶対に良い結果に なることことはない。 回りくどい話し方をしろと 言っているのではない。 余計な事は話さず。 温和な表…
主イエスは事実、 全ての栄光、尊厳、支配、権威を お持ちであり、 その力は隅々にまで及んでいる。 なのにそのお力を 私たちが否定してしまうので その力が働き…
キリスト者にも日常生活があります。 キリスト者同士でも摩擦があるのに 生活信条の違う キリスト者でない方々と 一緒に社会活動をするわけですから 人間関係に頭…
どんな罪であって 赦していただけますが、 罪に気付かなければ 悔い改めることもできません。 私たちは神の御心の啓示である 聖書のみことばを全うすることは 残…
私たちが味わった つらい体験は 無駄ではありません。 それが契機となって 私たちはさらに成長しましたし、 そればかりか、 同じような試練に直面している 兄弟…
詩篇37篇37節は 訳が幾通りか考えられるが、 表面的意味合いは 上の写真にある英語NLT訳が 分かりやすいと思う。 邦訳では新共同訳が これに近いので 今…
神との親しき交わりを持つために 何か特別な方法はないかと ああでもない、こうでもないと 模索するキリスト者がいます。 そういう方は、基本を お忘れになってい…
キリスト者であれば 度々、経験したかもしれないが、 信仰と現実との間で 心が揺れ動く。 私自身の経験を述べれば、 海外にいた頃、 その国の経済状況が悪化し …
イエスが公生涯に入られる前、 荒野で40日にわたる断食の後 サタンの試練に遭われた。 その時のサタンとの遣り取りが 福音書に記録されているが、 その時、サタ…
救いを得るようにとの計画は 万人に向けられたものなのです。 万人に向けられているが 救いへの招きを断る人が多いのです。 御怒りに遭うか救いを得るかの選択は …
モーセは罪をとは何かを 知る基準となる律法をもたらしたが イエスはその律法を完成された。 行いによって神の御心に適うには 律法の要求を心身共に 守らないとい…
永遠のいのちとは 創造主なる神の御心を知ること。 なのに全きお方である神と 罪深い私たちは交わることが 出来なかったので 神の御心を知り得なかったのです。 …
イエスの代償の十字架のおかげで 私たちキリスト者は 罪と死の縄目から解放されました。 代償を支払われたイエスが 新しい主人です。 だから主イエスとお呼びする…
今もイエスは 私たちを御覧になって 深く憐れんでくださり みことばを 伝え続けてくださっている。 今の時代は 直接イエスに拝謁することは 残念ながらできない…
ヤコブ書1章26節で宗教と訳されているギリシャ語はΘρέσκεια(スレスケイア)という単語なのだが、この単語のニュアンスは幅広く、翻訳が難しい。敬虔、誠実…
御子イエスの 貴い犠牲と引き換えに 私たちは罪の赦しを得て 義と見做され、それによって 神との和解が成立しました。 キリスト者となった今、 私たちキリスト者…
私たちキリスト者の救いが 神によって あらかじめ定められていたという点は 驚きと共に感激ですね。 救いは私たちの努力でなく 神からの賜物です。 私たちは、そ…
誰でも神の助けや恵みに 感謝したことがあるでしょう。 なのに、どうしてれを忘れて 神の御力を疑うのでしょうか? あなたを助け、 恵んでくださった神は 今も変…
兄弟姉妹に無私の心で 命懸けで仕える、 それがキリスト・イエスが 自ら模範を見せてくださった キリスト者の生き方でした。 イエスは私につながっていなさいと …
窮地に陥る時は 決まって神を無視して 自分勝手な生き方をしている時。 主を恐れることをわすれないように 心がけたいですね。 主を恐れることはいのちの泉…
今、本当にそう思います。 荒んだ世を正し 平和な世をつくるために 神の子として立ち上がる キリスト者が起こされることを 願ってやみません。 平和をつく…
私たちキリスト者は 狼の群れの中の羊のような状態。 ぼーっとしていたら 獰猛な狼の餌食になってしまいます。 だから被造物の中で一番狡猾な サタンのように賢く…
奉仕であれ喜捨であれ 同調圧力に屈してしたり 義務感に駆られてしたりでなく、 神から賜わった恵みへの 報恩感謝としてすればこそ 神に喜ばれるのです。 奉仕や…
イエスによる贖いを得たことで 私たちは罪の赦しと共に 義と認めていただけます。 義とは神との関係が正常な状態。 つまり神との和解の成立を 意味します。 です…
罪の代償は死です。 罪の赦しなくば神との和解は 成立し得ません。 完全なお方である神は 罪人である私たちとは 交わることが おできにならないのです。 それ…
信仰は天賦のものです。 神から与えられた信仰だから 信仰による歩みを 保障されるのも神なのです。 神が太鼓判を 押してくださったのですから 安心して天賦の夢…
主は自らお選びになった 私たちキリスト者一人ひとりに 歩ませようとの計画をお持ちです。 そしてその計画を知り、 その計画の実現のために生きる時、 私たちキリ…
主に全面的な信頼を寄せられるかが カギとなります。 多くの場合、主との関係が 信頼でなく信用になってしまうからです。 漢字を見ればわかるのですが、 信頼は信…
私たちは神に選ばれて 救いへと導いていただき、 今、キリスト者として サタンが不法占拠しているこの世で 人々を救いへと導く神の道具として 神に用いていただい…
みことばを生きる事が 最大の防御です。 みことばを生きるためには 自分の弱さ(罪)を しっかりと認める事が必要です。 神の導きなくば 自分の利益ばかりを慮り…
ヒッポのアウグスティヌスは 歴史の中での神の存在を 「神は永遠なる現在」という 秀逸な言葉で表現しました。 神は歴史の主人であるので 時の流れに支配されて …
神の御心が啓示された 聖書のみことばを生きるのが 私たちキリスト者なのですから、 みことばを朗読して 神の御心を知って その御心に適った生活を送るのが 順…
みことばを生き切る。 これがキリスト者の 人生の目標です。 今週もみことばを 誠心誠意生きる私たちで ありましょう。 みことばを生きる あなたの上に 神のご…
今の時代を見てみるがよい。 なぜここまで腐ったのか? 民主主義社会は 法の下での権利が保障されているが、 それは国の主権者である国民が 主権者としての意識を…
多くのキリスト者が 勘違いしていることがある。 昔から困った時の神頼み という言葉があるが、 このことば通り、 神のみことばを生きてこそ キリスト者であるの…
いつ主が再臨されても 喜んでお迎えできるように キリスト者は生きていたいですね。 主がお越しになった時に 「少々、お待ちください」と 言い訳せずにおれるよう…
信仰は神から賜わったもの。 私たちが神を信じたのではなく、 神が信じることが出来るように 導かれたのです。 神が主権的にその事をなされたので、 最後まで責任…
学ぶの語源が「真似ぶ」であると 聞いたことがあるかもしれません。 何事も模倣からはじまります。 これは信仰生活も例外ではありません。 信仰の先輩方の生き方に…
妻は夫に従うように との部分ばかりが強調されているが、 夫は妻を命懸けで守れと 聖書は教えていいる。 イエスが教会へと呼び集められた 私たちキリスト者を救う…
主の力を信じられないから 浮足立ってこの世の方法で 問題を解決しようとしてしまう。 焦るな! 主に委ねよ! みことばと向き合え! そうすれば今すべきことが分…
同信の先輩方に倣って 私たちも忍耐でもって みことばを生きましょう。 聖書において忍耐は 試練に喜んで立ち向かうという ニュアンスで使われています。 勝利さ…
神の御心に適ったものを イエスの御名で求めれば その望みは成就するとの 約束がある。 知らぬキリスト者はいない。 だが、適ったらラッキー という程度に思って…
イエスの命と引き換えに 神に買い取られたのが キリスト者となった私たち。 その有難さを忘れてはいけない。 それを忘れるから肉が働く。 神の目にあなたは 御子…
キリスト者がお互いに 憐れみと平安と愛で 満ち溢れるようにと 祈り合えるようになれば、 教会の成長は 難しくはないだろう。 自分の事ばかりでなく 同信の兄弟…
イエスはみことばが 受肉されたお方。 なので私たちキリスト者は みことばという木に つながる枝ということだ。 みことばにつながっておれば 多くの実を結ぶで…
人である以上 キリスト者であっても 心の片隅で見返りを 求めてしまいます。 それは致し方ない事です。 それはそれで認めることが 必要です。 そのような弱さを…
キリスト・イエスのように 命を捨てる覚悟で 隣人に仕える事を愛という。 その愛でもって 互いに仕え合えと イエスは教えられた。 その教え(福音)通りに 私た…
言葉はもういい。 生き様で みことばの素晴らしさを 証ししていこう。 我が国の福音宣教は 元来、そうであったはず。 教勢と信徒数が伸びない事に 頭を抱えた一…
神を愛するキリスト者は 神の似姿として造られた 隣人をも愛するのが筋だ。 だが、昔から変わらないのは 神への愛は語りながらも 隣人は目に入らない。 しかし、…
キリスト者は イエスの命と引き換えに 神に買い取られた存在です。 罪の代償は死であったので、 イエスがその代償を 償ってくださったのです。 罪が赦された今、…
三位一体の位格の一つである 聖霊が篤信のキリスト者の 心の内にお住まいである事は 本当に有難い事であります。 これこそ正に、インマヌエル、 神が共におられる…
神の御心を無視して 自分勝手な生き方をして 自他ともに苦しめてきた 自らの罪に気付かせていただき、 その罪を赦していただいたのが 私たちキリスト者で あった…
神を知っている者は 神のご性質に倣って 愛し合うようになる。 その愛とは、 キリスト・イエスに見られる 無私の愛だ。 あなたは如何であろうか? キリスト教と…
福音宣教と聞くと ことばで伝えるというイメージが 強くなるが、 福音を生きるキリスト者の 生き様を目撃した者が、 その素晴さに感銘を受けて 原因を聞いてくる…
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私たちは生まれながらに 罪の性質(原罪)を宿して生まれ、 罪を犯しながら生活しています。 神は完全なお方であらせられるので 潜在的に罪を犯す存在である 私た…
未来に対する 漠然とした憂慮の大半は 起こりません。 起こりもしない未来に 戦々恐々とせず、 二度と戻ってこない 今という時間に 全力投球しましょう。 大変…
私たちの経験は 全て隣人たちに仕える時に 役だつものばかり。 キリスト者に偶然はない。 全ては神の摂理による必然。 私たちにはつらく思える事でさえ 神は必ず…
神は私たちの 心の癒しだけでなく 人生そのものを 祝福してくださいます。 そしてその祝福が 代を継いで継承されることを お喜びになられるのです。 神は私たち…
イエスは十字架で 死に渡されました。 彼は罪を犯して おられませんでしたが、 罪にまみれた 私たちの罪を背負い 罪の代償である 死を私たちに代わって 支払っ…
隣人を恨むのは止めた方が良い。 脳科学の発達により 明らかとなったことがある。 それは、脳が人称を 捉えないという発見であった。 人が誰かを恨んだ場合、 脳…
愛が神の本質であるが故、 愛することを知らぬ者は 神を知り得ない。 自称キリスト者は多いが、 キリスト・イエスに倣って 命懸けで隣人に尽くそうとする者は 多…
高慢になりたいと願っている人は おそらくいないでしょう。 ですが望んでもいないのに 私たちは高慢になりがちです。 小さな人間関係の中においては 主導権を握り…
私たちキリスト者が お仕えしているイエスは 神のみことばが受肉されたお方。 ですから主を喜ぶとは みことばを喜ぶこととなります。 みことばを喜ぶキリスト者の…
よくクリスチャンは お節介焼きだと言われます。 隣人に親切にするのは 良い事ですが、 親切心の押し売りはいただけません。 また、隣人に罪を認めさんがために …
第一コリント1章22節で パウロは次のように語っています。 「神はまた、 確認の印を私たちに押し、 保証として、御霊を 私たちの心に 与えてくださいました。…
毎日の生活もままならない 厳しい時代に私たちは生きています。 もはや我が国は先進国ではありません。 政治腐敗と民生の崩壊は連動すると 昔から言われております…
サタンの奴隷であった私たちは キリスト・イエスの贖いによって 罪の赦しを得て義と認められた。 キリストの代償の十字架を 自分の身代わりであったと信じる者は …
ヤコブの手紙3章17節で 主の弟であり初代エルサレム監督 であったヤコブが 天賦の知恵とはどのようなものかを 説明してくれています。 しかし、上からの…
神から賜わった信仰を土台に 自分の人生を築き上げることが キリスト者として 最高の生き方となります。 色んな事に気を取られがちですが、 ブレない信仰を維持す…
有難いことに 信仰というものは 私たちが持とうとして 努力するものではなく、 神が与えてくださるものです。 信仰は天賦のものなのです。 私たちは 賜わった信…
神が私たちの生活に どのように働きかけて 恵みを与え続けて くださっているのかを 知る事が出来たなら、 ただただ感嘆する事しか 私たちには出来ないでしょう。…
信仰生活は一人ではできません。 みことばを生きる時、 私たちは様々な試練に遭遇します。 そんな時、同信の兄弟姉妹がいれば 彼らから励ましを得て 試練に打ち勝…
キリスト者の歩みは 基本的に神のお導きによって キリストにより似た姿へと 造りかえられれていくもの。 なのにこの基本から 逸脱してしまうキリスト者も 中には…
キリスト者であれば 教会の兄弟姉妹を 実の兄弟姉妹の如く思い 彼らの幸せを神に祈る者で ありたいですね。 お互いに祝福し合う共同体として あなたの教会も成長…
イエスの十字架の贖いで 罪の赦しは完成したのです。 ですから、罪の赦しを得るために 様々な行が必要とされることは ないのです。 では、キリスト者の行いの動機…
パウロはキリスト・イエスに倣って 高ぶらずに自分を低くし 隣人に仕え尽くすようにと 教えています。 キリスト者の模範が他でもない イエスの生き様なのですから…
全世界へ出て行って みことばを宣べ伝える事は 出来ないかもしれませんが、 身近な人には出来るでしょう。 また、あなたに代わって 海外へ宣教師として派遣されて…
教会内でわだかまりがあると 祈りの精度が落ちてしまいます。 祈りは複数人で 心を一つにすればこそ 力が倍増します。 成長している教会の特徴は、 信徒同士の結…
一人の人アダムによって 全ての被造物が 呪われたものとなったように、 キリスト・イエスの十字架の贖いは 人だけでなくとどまらず、 全ての被造物に及びます。 …
飢え渇くという経験も 時には大切な気がします。 でないと与えられている恵みの 有難さに気付けなくなるからです。 途上国の田舎町に行って 水も買わなければ飲め…
究極の安息は 主が共にいてくださる事によって 得られるものです。 キリスト者はその祝福を 既にいただいているのですが、 その祝福があまりにも 大きすぎるため…
全力で神を愛するなら、 その証明として 神の似姿として造られた隣人をも 愛すべきなのだ。 極めてシンプルであるが、 なかなか実践できない徳目でもある。 だか…
主日礼拝の最後に 多くの牧師は第二コリント13章13節を 唱えて祝祷とします。 私もこのみことばをお読みして 信徒の皆様と次の主日に 再会するまでの間、 三…
パウロは救の確信を 持ち続けるように励ましています。 今も昔も立ちはだかる試練の前に くじけてしまうキリスト者が いたという事です。 しかし、信仰を守り続け…
キリスト者の全ての行動の動機は みことばに基づいたものであるべきです。 みことばは神の御心の啓示であり、 真理であるからです。 故に、これに逆らえば 何も為…
TBS系テレビドラマ『半沢直樹』で 有名になったセリフに 「倍返しだ!」というものがありました。 実際の生活では言いたいことが言えず 泣き寝入りになることが…
神は私たちが幸せを満喫しながら 最高の人生を送れるようにと 予め最高のプランを 準備してくださっています。 そのプランは私たちの知能では 時には理解できない…
アダムの背信によって 人は原罪を負う事になりましたが、 神の子イエスの従順によって イエスをキリストと信じる者は 罪の赦しを得て義と見做され、 神の恵みの相…
ヨハネの手紙第一1章7節に 逆説的な表現が使われている。 ヨハネは全てのキリスト者に 真のキリスト者に なってもらいたいとの思いから この表現を敢えてしてい…
パウロはエペソ人へ宛てた手紙の 結語の部分で 主イエスと共に歩む、 つまりみことばと共に生きる事で 神の全能なる力によって 護ってもらうように勧めています。…
神のように完全にはなれませんが、 神の御心に適った生き方への 憧れは持ち続けたいものです。 憧れはあっても そのように生きられない自分に 気付かされる事で、…
「今だけ、金だけ、自分だけ」が 当たり前となった昨今、 自分の命の大切さも 今の楽しみや金と比較したら 価値すら感じない時代です。 こういう現状を見ますと、…
キリスト者が拠って立つべきは 神の御心の啓示であるところの 聖書のみことばです。 聖書のみことばこそ キリスト者にとって 隠れ場や盾となり 悩める時に私たち…
ダブル・スタンダード。 略してダブスタ。 日本語で言えば 二枚舌、二律背反。 こんな人は信用できませんよね。 さて、神から私たちを見たら ダブスタに見えてい…