みことばの光が あなたに向かって 照り輝いています。 みことばの光が あなたの心の闇を 明るく照らして心に平安を もたらしてくださいます。 あなたの心に み…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
人生の荒波も 信仰でもって立ち向かえば 大なぎになる。 イエスはいつでも あなたと共にいてくださる インマヌエルなるお方です。 彼に委ねなさい。 イエ…
キリスト者なら ヨハネ伝13章34節を 度々、読み返し、暗唱すべきだ。 なぜなら、主によって定められた キリスト者に対する 新しい戒め(律法)が ここに記録…
苦しんでいる時、 実は私たちはなぜこんなに 苦しい思いをしているのか 分からなくなっているのです。 分かっていれば そこから抜け出すために 何かしら行動を取…
自分を自分たらしめる信仰。 現世のみならず 来世まで含めた生きる望み。 信仰、希望を自分だけで独占せず、 その喜びや祝福を 隣人た分かち合うために 隣人に命…
天賦の賜物は 隠さずに使いましょう。 隠れてやっている悪事も 明らかになります。 良いものであれ悪いものであれ 隠し通せるものなど 存在しないのです。 …
どうしたらよいのか分からない 追いつめられた状態では 凡人である私たちは ただただ呆然とするしか 手立てがありません。 ですが、もう何も考えられないような …
キリスト者は神の御心に適った 生活を送るために 聖書のみことばに神の御心を 尋ね求めます。 様々な気付きをそこから与えられ、 その実践によって キリスト者は…
人間関係から国家間の関係まで 争いの原因は憎しみであり、 友好関係のの礎は愛である事は 誰でも分かっています。 誰でも分かっているのに 争いを選択してしまう…
祝福を得るために 神を信じるのではなく、 救っていいただいた 喜びと感謝から みことばを生きる者の生き様は、 本人だけにとどまらず、 周りの人にも影響を与え…
この世は平等ではありません。 出自によって世の中での 待遇に差が出ることは 洋の東西も時代も関係なく いつでも存在しています。 不平等なのは容姿の差、 能力…
大切な人の為なら 命懸けで守ろうとする人も いるかもしれません。 しかし、イエスは この世での栄華を求め、 その実現のために この世の王であるサタンと 結託…
第一コリント13章で パウロは愛の特徴を述べている。 この個所では 愛をイエスに置き換えても 文章が成立する。 そこからイエスが愛であり、 みことばが愛であ…
キリスト者はみことばによって 自分も他人も裁いてはならない。 悔い改める事は大切ではあるが、 犯した罪に心を奪われて 失望したりしないように。 罪は犯してし…
命懸けで互いに仕え合う。 これがイエスが身をもって お示しになったアガペーの愛です。 その愛でもって互いに仕え合い、 その輪を広げて行く事が キリスト者には…
全てを主に委ね切れる者は 心安らいで 眠ることが出来るでしょう。 人生の半分近くは 寝ているのですから、 睡眠の質を向上させることは 残りの半分の 目が覚め…
キリスト・イエスは 私たちを贖うために 自らの命を犠牲にされました。 私たちの救いは イエスの命と引き換えに 与えられたものなのです。 キリスト者はイエスの…
世の人間関係は どちらが上か下かで もめるものです。 勿論、上の方がメリットが 大きいので、 相手より優位に立ちたいと 無意識に考えてします。 そうすると相…
敵や迫害する者のために 祈るのは難しい事です。 しかし、難しい事だという事を 本当に知るためには 自分が実際にやってみるしか 手立てはありません。 したこと…
自分の弱さ(罪)を認められない人は その弱さが露見することを恐れて ますます自分を頼りとします。 そうすればするほど苦しいのです。 イエスはそのような 人の…
神が自分の生活の中で どれほど深く 関わってくださっているのかに 気付く時、 人は自ずと 神に賛美をささげます。 神はみことばを通して 私たちに恵み与えてく…
神があなたたちを護るから 私に委ねなさいと 先に語ってくださっているのです。 だから私たちは 大船に乗った気持ちで 神にお委ねすればよいのです。 私たちがす…
キリスト者の間で 命懸けで仕え合う様を 確認することが出来ればこそ 世の人は本当にキリスト者だと 関心と尊敬の念を持つのです。 キリスト者同士でもいがみ合い…
人は外見にとらわれます。 外見はどうでもよいというわけでは 決してありませんが、 何といっても、 その人を決定づけるものは やはりその人をその人たらしめてい…
受けた御恩には報いたいと 考えるのが普通ですよね。 私たちが主イエスから受けた 御恩を有難い事だと 本気で思っているなら、 条件なしに主にお仕えし、 主が喜…
何事も独り善がりはダメだ。 自他共に幸せになる道を 求めてこそ救いなのだ。 自分を大切にするように 隣人を大切にしよう。 そのように心がけることが 煩瑣な律…
窮地に陥った時、 黙って主の行われる業を 信じて待つのは 言うほど易しい事では ないでしょう。 しかし、そのような 絶体絶命の時にこそ 信仰の真贋が明らかと…
人間の合理的な判断は 採算重視となり 採算に合わない事は切り捨てる。 そこに人の感情は反映されない。 新自由主義の社会は 個人の自由を押し出しすぎて わがま…
神の御心に適った生き方を 心がけている者は 神がその生活を 保障してくださいます。 ただし、 順番が逆にならないようには 注意が必要です。 生活の保障を得る…
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みことばの光が あなたに向かって 照り輝いています。 みことばの光が あなたの心の闇を 明るく照らして心に平安を もたらしてくださいます。 あなたの心に み…
思い煩っている状態とは 突然、襲ってきた事態を 脳が処理できていない状態の事。 キリスト者は、 直ぐに神に委ね切ることが肝心です。 考えを巡らせたところで …
信仰を神から賜わって キリスト者は救われたが、 その信仰は先に救われた 誰かを通して 伝えられたものだった。 今度は私たちが伝える番。 自分の親兄弟、子ども…
三位一体の位格の一つである 御子イエス。 私たちの罪の贖いとなるため 最も弱い姿でこの世に来られ、 最も惨たらしい姿で殺された。 なぜ、そんな惨めな経験を …
五感を通して入ってくる 情報を基にして 私たちは様々な判断をします。 特に視覚情報は 私たちの思考に 大きな影響を与えます。 私たちはこの地上で 生きており…
イエスの十字架の死による贖いと 預言通りに復活されたことにより アダムの背信と堕落により サタンが手にした人間支配の 二大武器である罪と死が 無力化された。…
この世は悪に覆われています。 この世の王がサタンなのですから 当たり前と言えば当たり前です。 ですが、そうであるからと言って キリスト者も悪を行なって 良い…
義とは神との関係が 正常化している状態を言います。 神は全きお方であらせられるので、 罪を犯した人とは交わり得ません。 神に義と認めていただくためには その…
神はみことばによって 万物を創造されました。 その神の似姿として創造された 私たち人間も 言葉でもって様々なものを 造り出します。 言葉には創造性があるので…
イエスは極重悪人である私たちを 命と引き換えに罪の赦しを得させて 救ってくださった。 これに優る恵みがあろうか。 私たちを救い出すために 命すら惜しまれなか…
「仕える者となれ」 これはイエスが残された 新約時代の戒め、 新しい律法です。 キリスト者が果たすべき事は 主イエスに倣って命懸けで 隣人にお仕えする事なの…
諸行無常の世に生きている私たち。 しかし、変らぬものがあります。 それはイエスのおことばである 福音です。 福音はとこしえに変わりません。 不変の真理を礎と…
救われたことを 誇りに思うのは結構なことです。 ですが神に選ばれたことを 鼻に掛けて他人を見下すような 人間になってはいけません。 ユダヤ人がつまずいたのは…
エルサレムの神殿の拝殿には ユダヤ人しか入れず、 外国人はユダヤ人のいる領域の 壁の外かまでしか入れませんでした。 パウロはこの隔ての壁を イエス様は壊して…
私たちには気付かなくても 神は私たちを導いてくださいます。 疑わずに委ね切る。 それが私たちに求められている事です。 委ね切るというと 何もせずにいる事だと…
キリスト者であれば ヨハネの福音書の1章1節は 誰でも知っているでしょう。 「ことばは神であった」 みことばが神なのです。 そのみとばは聖書に記録され 最終…
神は一人ひとりに 最高の人生を定めておられます。 神の臨在を確信して みことばを生きるキリスト者を 神は必ず祝福されます。 志の堅固な者を、 あなた…
度の過ぎた聖霊運動が 教会に問題を来たらしめたことが ありました。 彼らは牧師の制止も振り切って 預言という名の予言をして 教会を分裂に導きました。 しかし…
神は私たちの必要を 満たしてくださいます。 危急の際には 直ぐに必要を満たしてくださいますが、 最終的には、その必要を 自分で手にすることが出来るように フ…
人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…