全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
聖書に書かれている 終わりの日の兆候が 現代社会に現れている。 戦後、宗教を忌避する傾向が 強くなったが、 それがGHQの指令によって 作り出されたものであ…
約束された勝利を 信仰の目で見ながら 主と共に前進し続ける者は 喜びながら勝利を刈り取ります。 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろ…
聖書を通して感じる 神についてのイメージ。 それは私たちを 救われるに値する者にするために 猛烈な特訓を課すお方ではなく、 みことばを通して私たちと 親しく…
自分の弱さをひた隠しにして 虚勢をはって生きているのが 私たちの姿なのかもしれません。 そんな窮屈な生き方から 福音は解き放ってくれます。 自分の弱さ(罪)…
政治経済の腐敗により 思い煩いが多い時代です。 生活は困窮をきわめ、 毎日の生活もままならない 人が増えてきています。 そんな中にあっても 生きる希望を見失…
互いの重荷を負い合うとは 命懸けで仕え合う アガペーの愛のことを意味する。 パウロはそれが 主イエスによって発布された 新約時代の新しい戒めであることを 思…
私たちが思い描く人生より 主が定められた人生の方が 遥かに崇高、且つ、理想的な ものであることを知っておこう。 自分の思いや願いは 肉の欲を満たすための 野…
自分の喜びを増すために 神を利用するようなことをせず、 神の御心に適った生活を送ることが 最高の喜びとなりますように。 しかし、私は主にあって喜び勇み…
罪を赦していただいた キリスト者であっても、 世の誘惑に翻弄されずに 居続けるのは難しいことです。 キリスト者であっても 肉を帯びている限り、 罪の支配は受…
ある程度の負荷をかけないと 筋肉が付かないのと同じで、 試練という負荷をかけないと 人は成長しません。 キリスト者は耐え得ない試練に 遭うこともないのですか…
心のうちにあることが 行動となり、 その積み重ねが生活となり、 人生となります。 心のうちに神のみことばが 刻まれれば、 行動も生活も人生も 神に喜ばれるも…
自分で立てた目標ですら ろくに達成できない私たちが 律法を完全に守ることなど 土台無理なのです。 律法を守れないのですから 死後は地獄が住処と ならざるを得…
主から託された使命を 貫徹することができるならば いのちも惜しくないと言い切れる 信仰が欲しいものです。 しかし、頑張ったとて それは無理だと思います。 し…
イエスの御名によって イエスがお持ちであった 権威と権力を キリスト者も悪霊に対して 行使できる。 しかし、そのような事よりも イエスの贖いによって 罪の赦…
主に委ねて歩み出したら 恐れない事です。 天地を創造された神が あなたと共におられるのです。 恐れる必要などありません。 主の臨在を確信して 勇気を出して前…
主に委ね切って 今を最善を尽くして生きれば 神も最善を尽くして 最も良きところへと 導いてくださる。 神の最善は あなたを救うために 御子イエスをも 犠牲に…
あなたの救いのために 自分の命すら 喜んで捨ててくださった イエスに望みを置いて この方と共に歩み続けてください。 自分の弱さ(罪)を知った今、 その弱さの…
イエスの語られた福音自体に 力がなかったとしたら、 イエスが天にお帰りになられた後、 時間と共にイエスも福音も 忘れられて行ったに違いありません。 しかし、…
神が信じる信仰を授けてくださり その信仰が心に根付いた時に 神との和解、つまり義と認められ、 その信仰を喜び公にする時、 救いの確信がもたらされるのです。 …
敵を愛し、 迫害する者のために祈れと イエスは教えられた。 結論から言えば、 凡夫に為せる業ではない。 先ずはその事を 知らなければならない。 では為し得な…
私たちの発話や行動の 原材料は心の中にあります。 心の中に満ちているものが 言葉や行動となって 出てくるのです。 ところが自分の心の中に 何があるのかを 注…
イエスの十字架での 贖いによって罪の赦しを得て、 神との和解が成立した 私たちキリスト者には 霊的な自由が与えられています。 律法を守れたものだけが 救われ…
主のお導きを確信することが キリスト者にとって 極めて大切なことだと思います。 自力で何でもしているような 気色になるから疲れるのです。 主が共にいてくださ…
神の恵みに与って 私たちは、毎日、 無事に過ごしています。 神の恵みに感謝して 神をほめたたえるのは ある意味、当然ですよね。 祈りであれ、讃美の歌であれ、…
この世に生きている間は 五感を満足させるモノやコトを 追求しがちです。 しかし、天の御国では この世での肉の喜びではなく 霊的な喜びが求められます。 実は、…
愛の根底には主イエスにあっての 神との和解があります。 主イエスを犠牲にしてまで 私たちを救ってくださった 神の慈悲深さと 主イエスの代償の十字架が 本当に…
被造物の中で 一番賢いのはサタンです。 ですから、私たちがサタンと 差しで戦うと負け確定です。 しかし、私たちは 主が共にいてくださいます。 主と共に戦うな…
私たちを救うために 御子イエスを犠牲にされるほどに 私たちを 愛してくださっている神です。 その神は 時々おでましになるのでなく いつでも共にいてくださり …
自分がそれまで大切にしていたものが、 キリスト・イエスによって 与えられた救いの素晴らしさに 気付いた途端に 価値のないもののように思えてきます。 これは関…
自分の知恵を誇り始めると 新たな知恵を得ようとしなくなる。 そうすると劣化がスタートする。 自分の知恵は天賦のものと悟り、 感謝の心で学び続けよう。 そして…
どんなに怖いと思える事が あったとしても 必ず助けてくれると 両親を信頼していた子どもの頃を 思い出してみてください。 その信頼を礎として 誰でも多くのチャ…
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全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
みことばの力が 及ばない所はない。 心の中の悩み事も主はご存知です。 主の助けが必要な時は 聖書を開いて朗読しましょう。 みことばがあなたに気付きを与え、 …
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…
マタイの福音書の末尾に 大宣教命令と呼ばれている イエスの宣教に関する奨励が 記録されている。 キリスト者であれば 知らない人はいないだろうが、 その字面に…
主に誉れと栄光は 私たちキリスト者の 生き様を通して 神に帰されるものです。 イエスのおことば通り、 みことばを生きる事で 世の光・地の塩と 私たちがなる時…
私たちキリスト者は 福音を生活を通して 証することが 求められています。 イエスはそれを「世の光」、 「地の塩」たれと教えられた。 証し(マルテゥリア)は、…
神は完全なお方であるとか 全き方であると教会で聞く。 完全なお方や全き方 という言葉を聞くと 良い事や善のみで 構成されたお方のように 考えがちだが、 完全…
みことばを生きるキリスト者を 聖霊は支えてくださいます。 みことばを生きているのに 実を結ぶことがなければ、 みことばの権威が失墜するからです。 また、キリ…
私たちは霊的に 死んだ状態であったが、 そんな私たちを神は憐れんで 御子イエスの命と引き換えに 私たちの罪を贖ってくださった。 ここに神の愛があり、 救いは…
神はみことばですから、 みことばを恐れる者が 憐れみを受けられるのです。 みことばを恐れるとは みことばは必ず実現する事を 認める事です。 そう確信する者が…
俗な表現を使えば 「運が悪い」状態に 陥ることが 誰にでもあるでしょう。 ですが、そんな状態に 陥っている時には 共通点があります。 それは感謝の心が 失わ…
救い主イエスは みことばが受肉して 来られた方だった。 なのでイエスに従うとは みことばに従うという事。 イエスを愛するとは みことばを愛する事。 あなたは…
私たちの信仰は 十字架に基づいた ものでなければならないと 信仰の先輩方に よく言われていました。 その十字架とは 神との一対一の関係を 表わす縦軸と 同信…
生きていれば試練には 必ず直面します。 その事については 主も言及されました。 しかし主はそんな試練に遭った時、 恐れてはならないと教えられました。 理由は…
万物を創造された方こそ 私たちキリスト者が お仕えしている神です。 その神はみことばであると ヨハネの福音書の嚆矢にあります。 そのみことばは聖書に収められ…
主の御業を讃えるのは 大切な事だと思います。 歌うのが苦手であれば 詩篇を朗読するのもよいでしょう。 自分で詩を創作するのも 素晴らしい事だと思います。 で…
牧師は救い主ではない。 だから神との間の仲介者ではない。 では牧師とは何か? 救いのみことばを証しする者。 信仰は神が与えてくださり、 救いのみことばが 救…
新約聖書の中で一番古いものは テサロニケ人への手紙だと 伝えられています。 まだ比較的若い頃にパウロが書いた ものだということになります。 歳のせいもあって…
神のなさることは その時、その時に意味があり 美しいものなのでしょう。 しかし、私たちの心が曇ると その美しさを見る事が 出来なくなってしまうようです。 み…
決して渇くことのない水を あなたは飲みましたか? その水とは福音です。 決して渇くことがないと 主がお語りになったのですから 渇かないはずですよね。 なのに…
みことばに留まり続ける、 つまりみことばを生きる事が 恵みを受ける最良の方法です。 みことばを生きるならば、 聖霊様がお働きになって あなたを助けてください…
真理はみことばに 啓示されています。 救いのみことばである福音を 私たちに伝え、 その福音の神髄である 神の愛を顕すために 私たちの罪を贖うために 十字架で…