人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
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人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
教会とはキリスト教の 礼拝堂の事ではありません。 同信の兄弟姉妹の集いを 教会と言うのです。 教会はイエスを頭とし、 神に召し出された 同信の兄弟姉妹が 肢…
信仰生活は やはり一人では難しいです。 その理由は、 私たちは人には厳しく 自分には甘いからです。 他人様がみことばから 少しでも逸脱した生活を しているの…
神が全き方であられるように 神の子と見做していただいた 私たちキリスト者も 全き存在となるように 努めなければなりません。 とは言え、特別な修行をしたり 何…
主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
やましい事を行なっていると それが露呈するのを恐れて 神から遠ざかろうとする。 神を知りたがらない者にも 様々なタイプはあろうが、 何でも自力でという人間も…
やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
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主に全幅の信頼を置いて 主の助けを待ち望む者を 神は捨て置かれません。 このブログを書いている 私自身も、そう確信して 険しい道を歩み続けています。 歩み続…
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やられたからと言って 相手に仕返しをしたら 相手と同じ人間に なってしまいます。 だからといって 相手から何をされても 耐え忍べと言っているのでは ありませ…
神から信仰を賜わって 罪の赦しを得て キリスト者としての歩みを 始めたばかりの頃は 救われたということ自体が あまりにも センセーショナルだったので とにか…
栄養過多は肥満や糖尿病の 原因となるように、 恵みも受けてばかりいると 恵みを当たり前と思うようになり、 結果的には害となってしまいます。 私たちは先に神か…
信仰生活は守備より攻撃を 選択した方が賢明です。 守備は相手に攻撃の機会を 先に与えてしまうことになります。 ですから攻撃の方がよいのです。 攻撃的信仰とは…
サタンが人間を支配する二大武器は 罪と死でした。 罪は私たちを神と断絶させます。 律法によって罪が確定し、 私たちをさらに罪深い者としてのです。 しかし、イ…
聖書的に死とは別離を意味します。 そのことをふまえて ヨハネの福音書11章25ー26節を読むと イエス様は二つの約束をされたことに 気付くと思います。 先ず…
神が万物を創造され、 今もトータルコーディネートして くださっている事を 忘れないようにしたいですね。 私たち人間は 神から被造物の管理を 委任されましたが…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…
イエス様はみことばが受肉して 私たちの許へと 来てくださった方です。 なのでパウロは イエス様のお語りになった福音が 万物を保っているとまで喝破しました。 …
イエス様は私たちのために いのちすら惜しまれませんでした。 イエス様はその姿勢を学ぶようにと 弟子たちに旧約の律法に代わる 新しい戒めを残されました。 その…
罪の赦しを得るためには 苦痛の果ての死です。 本来、この恐ろしい死を 私たちの全てが味合わなければ ならなかったのです。 しかし、いつくしみ深き神は その罪…
かつては罪の奴隷であった私たち。 今はイエス様を主と仰いで 生きるキリスト者となりました。 イエス様はご自身のいのちを 罪の代償として捨てることで 罪から神…
愛とは何かを 端的に表した個所として 第一ヨハネの3章16節を 挙げることが出来そうです。 アガペーの愛とは、 命懸けで兄弟姉妹に尽くす事。 私たちを救うた…
救いは彼岸のためのものでなく 此岸でこそ大切なもの。 なぜなら、救いは此岸での信仰により 決定するものだからです。 この世で救いを得て、 生きている間も神の…