全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
旧約時代の預言者たちを 特別な存在だと思いがちだが、 キリスト者は 皆が預言者であることを 知らない方も 多いのではなかろうか。 福音という救いのみことばを…
そもそも人間は 神の似姿として造られた存在。 神の聖性に憧れて当然なのです。 アダムとエバの背信によって 罪と死が入り込み、 神との関係が断絶し、 霊的に死…
キリスト者は忍耐が大切。 ですが聖書で言うところの 忍耐は世間一般で使われている 忍耐とは、少々、趣が違います。 聖書的な忍耐とは 信仰を基として前進し続け…
この世の誘惑に 膝を屈めて主を裏切るか、 この世の誘惑を振り払って 迫害されても みことばを生きるかの選択を キリスト者はすることになる。 主からいただいた…
私たちが願う前から 主は私たちの願いをご存知です。 私たちが主を信じて 祈り求めることを 主は首を長くして 待っておられます。 信じてお委ねする。 それだ…
怒り、憤り、立腹は 自分の感情を正常に コントロールすることが できなくなります。 聖書はそれらを悪への道だと 断定しています。 アンガーマネジメントを し…
少しでも他人より優位に立つことが 自分を守る術だと教えられ 親や教師たちの言うがままに 闇雲に勉強に打ち込んだものが 望み通りの安定した生活を得られずに 凶…
みことばの確信を心の支えとして 試練に立ち向かっていくことを 聖書で忍耐と表現しています。 救われたことを喜び、 みことばを隣人にお伝えするのは 素晴らしい…
みことばに従って生きると 世の常識に従って 生きる人との間に 少なからず軋轢が生じます。 ここで妥協をしてしまうと さらなる妥協を生んでしまいます。 あから…
後生の一大事が解決されていれば、 その事を案じて右往左往せずに 今生ではすべきことに没頭できる。 召天の約束があるから 今の事業が神への感謝となり 心がこも…
余計な講釈を垂れるより やって見せるのが一番。 困っている人には 具体的な助けを与えることが 大切です。 窮地を脱して一息つかないと 大切な福音も耳に入りま…
ソ連が崩壊した後、ジェフリー・サックスのアドバイスで急激な民営化に舵を切った。一握りの大富豪は生まれたが、ロシアは大不況。餓死・自死、若者のアル中が激増。ル…
御子イエスの命と引き換えに あなたを救ってくださった 天の御父は、 あなたを必ず護ってくださいます。 あなたを護るために 命を捨ててくださった御子イエスは …
主の啓示は 新旧約両聖書に記録されている。 キリスト者は新旧約両聖書を 朗読することで主と交わり、 その深い意味を 悟らせていただくことが出来る。 聖書を読…
天賦の知恵は この世の栄華のためや 私利私欲のために 用いるものではありません。 天賦の知恵がどのようなものかを 主イエスの弟のヤコブは ヤコブ書3章17節…
自由に聖書を読めることは 幸いなことです。 聖書を読むことで 神と会見することができ、 天賦の知恵をいただき、 その知恵の活かし方まで 教えていただけるので…
私たちは神から 様々な賜物をいただいています。 その賜物は一人ひとり違い、 一人として同じ賜物の人は違う 完全オーダーメイドの賜物です。 私たちはその賜物を…
聖書で言うところの 忍耐とは、 信仰を基として主と共に 前進し続けることを言う。 天に御国に約束通り 迎え入れていただくために 必要な事を敢えて言えば。 世…
パウロがテモテに宛てた手紙の中で 宣教活動は時を選ばず いつでも継続すべきことを テモテへの手紙第二の 4章2節で述べています。 その後半部分で 「寛容を尽…
自分の事は棚に上げて 人の落ち度を責める傾向が キリスト者にはあるようです。 罪の意識を芽生えさせようとして そうしているのかもしれませんが、 それは本当に…
私たちの方から 願掛けをしなくても 神が私たちに向かって 必ず護るから頼れと 語りかけてくださっています。 私たちはそのおことばに 素直にアーメンと 応じる…
信仰を賜ってキリスト者と していただいた者であれば、 心の中に聖霊様がお住まいです。 救われたキリスト者は 罪の赦しを得ているので 罪の奴隷になることはあり…
残念なことではありますが、 この世は平等ではありませんし、 これから先も平等になることは ないでしょう。 全ての者が寸分の狂いもなく 平等となるのは土台無理…
「愛し合う」という単語が 微妙な誤解を与えるようなので 言葉を変えてみるとよいだろう。 イエス様が私たちに 何をしてくださったかを 考えてみよう。 命を捨て…
自己中心的考え方、 自分は正しく 相手が間違っているとの 思考方式こそが罪を生み出し、 自他共に苦しめるのです。 自分の弱さ(罪)を知る者こそ キリスト者の…
神に信仰を賜って キリスト者として 新しい歩みを始めた私たち。 新生したキリスト者として 身に付けたい徳目を コロサイ書でパウロが述べている。 深い同情心、…
救いを得たキリスト者は 謙遜、柔和、寛容の徳を 身に付ける必要があるように思う。 特に柔和さが重要だ。 柔和とは聖書的には 自己主張をしないという意味。 自…
主イエスは いつも私たちと共にいてくださる インマヌエルなるお方です。 そして私たちが彼と共に 歩み続けることを本当に 喜んでくださいます。 その喜びようは…
私たちは切なる思いで 主に祈り求めているのだろうか? 主の助けを待ち望んでいるのだろうか? 祈りはしても 心の奥底では聴いてくれはしまいと シニカルな態度を…
以前とある雑誌に 日本の経済が30年近く 伸び悩んだ原因の一つが 日本人の成功者に対する 妬みや足の引っ張り合いであるとの 見解が掲載され、 その論を巡って…
教会における秩序は とても大切です。 同信の兄弟姉妹との関係も とても大切ですね。 みことばを より深く理解できるように 導いてくれる牧会者を 敬う事も大切…
神の御心に適った生き方こそ 自らを守り、家庭を守り、 街を護り、国を護る 最も最適な方法なのです。 神の御心に沿った生活は 利己的にならず 利他を心がけるの…
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全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
みことばの力が 及ばない所はない。 心の中の悩み事も主はご存知です。 主の助けが必要な時は 聖書を開いて朗読しましょう。 みことばがあなたに気付きを与え、 …
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…
マタイの福音書の末尾に 大宣教命令と呼ばれている イエスの宣教に関する奨励が 記録されている。 キリスト者であれば 知らない人はいないだろうが、 その字面に…
主に誉れと栄光は 私たちキリスト者の 生き様を通して 神に帰されるものです。 イエスのおことば通り、 みことばを生きる事で 世の光・地の塩と 私たちがなる時…
私たちキリスト者は 福音を生活を通して 証することが 求められています。 イエスはそれを「世の光」、 「地の塩」たれと教えられた。 証し(マルテゥリア)は、…
神は完全なお方であるとか 全き方であると教会で聞く。 完全なお方や全き方 という言葉を聞くと 良い事や善のみで 構成されたお方のように 考えがちだが、 完全…
みことばを生きるキリスト者を 聖霊は支えてくださいます。 みことばを生きているのに 実を結ぶことがなければ、 みことばの権威が失墜するからです。 また、キリ…
私たちは霊的に 死んだ状態であったが、 そんな私たちを神は憐れんで 御子イエスの命と引き換えに 私たちの罪を贖ってくださった。 ここに神の愛があり、 救いは…
神はみことばですから、 みことばを恐れる者が 憐れみを受けられるのです。 みことばを恐れるとは みことばは必ず実現する事を 認める事です。 そう確信する者が…
俗な表現を使えば 「運が悪い」状態に 陥ることが 誰にでもあるでしょう。 ですが、そんな状態に 陥っている時には 共通点があります。 それは感謝の心が 失わ…
救い主イエスは みことばが受肉して 来られた方だった。 なのでイエスに従うとは みことばに従うという事。 イエスを愛するとは みことばを愛する事。 あなたは…
私たちの信仰は 十字架に基づいた ものでなければならないと 信仰の先輩方に よく言われていました。 その十字架とは 神との一対一の関係を 表わす縦軸と 同信…
生きていれば試練には 必ず直面します。 その事については 主も言及されました。 しかし主はそんな試練に遭った時、 恐れてはならないと教えられました。 理由は…
万物を創造された方こそ 私たちキリスト者が お仕えしている神です。 その神はみことばであると ヨハネの福音書の嚆矢にあります。 そのみことばは聖書に収められ…
主の御業を讃えるのは 大切な事だと思います。 歌うのが苦手であれば 詩篇を朗読するのもよいでしょう。 自分で詩を創作するのも 素晴らしい事だと思います。 で…
牧師は救い主ではない。 だから神との間の仲介者ではない。 では牧師とは何か? 救いのみことばを証しする者。 信仰は神が与えてくださり、 救いのみことばが 救…
新約聖書の中で一番古いものは テサロニケ人への手紙だと 伝えられています。 まだ比較的若い頃にパウロが書いた ものだということになります。 歳のせいもあって…
神のなさることは その時、その時に意味があり 美しいものなのでしょう。 しかし、私たちの心が曇ると その美しさを見る事が 出来なくなってしまうようです。 み…
決して渇くことのない水を あなたは飲みましたか? その水とは福音です。 決して渇くことがないと 主がお語りになったのですから 渇かないはずですよね。 なのに…
みことばに留まり続ける、 つまりみことばを生きる事が 恵みを受ける最良の方法です。 みことばを生きるならば、 聖霊様がお働きになって あなたを助けてください…
真理はみことばに 啓示されています。 救いのみことばである福音を 私たちに伝え、 その福音の神髄である 神の愛を顕すために 私たちの罪を贖うために 十字架で…