思い通りに事が運ばなくなると お先真っ暗なんて言葉を 使ったりしますが、 そんな時、キリスト者は 神にお導きを求めます。 神に委ね切って、 自分は、とにかく…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
よくクリスチャンは お節介焼きだと言われます。 隣人に親切にするのは 良い事ですが、 親切心の押し売りはいただけません。 また、隣人に罪を認めさんがために …
第一コリント1章22節で パウロは次のように語っています。 「神はまた、 確認の印を私たちに押し、 保証として、御霊を 私たちの心に 与えてくださいました。…
毎日の生活もままならない 厳しい時代に私たちは生きています。 もはや我が国は先進国ではありません。 政治腐敗と民生の崩壊は連動すると 昔から言われております…
サタンの奴隷であった私たちは キリスト・イエスの贖いによって 罪の赦しを得て義と認められた。 キリストの代償の十字架を 自分の身代わりであったと信じる者は …
ヤコブの手紙3章17節で 主の弟であり初代エルサレム監督 であったヤコブが 天賦の知恵とはどのようなものかを 説明してくれています。 しかし、上からの…
神から賜わった信仰を土台に 自分の人生を築き上げることが キリスト者として 最高の生き方となります。 色んな事に気を取られがちですが、 ブレない信仰を維持す…
有難いことに 信仰というものは 私たちが持とうとして 努力するものではなく、 神が与えてくださるものです。 信仰は天賦のものなのです。 私たちは 賜わった信…
神が私たちの生活に どのように働きかけて 恵みを与え続けて くださっているのかを 知る事が出来たなら、 ただただ感嘆する事しか 私たちには出来ないでしょう。…
信仰生活は一人ではできません。 みことばを生きる時、 私たちは様々な試練に遭遇します。 そんな時、同信の兄弟姉妹がいれば 彼らから励ましを得て 試練に打ち勝…
キリスト者の歩みは 基本的に神のお導きによって キリストにより似た姿へと 造りかえられれていくもの。 なのにこの基本から 逸脱してしまうキリスト者も 中には…
キリスト者であれば 教会の兄弟姉妹を 実の兄弟姉妹の如く思い 彼らの幸せを神に祈る者で ありたいですね。 お互いに祝福し合う共同体として あなたの教会も成長…
今の時代は 悪が世を支配しているかのような 様相を呈していますが、 それが永久に続く事はありません。 悪人は悪人なりに自分らに都合のよい 世の中が続くように…
神の国は神の御心が 100%顕現したところです。 この世も神の国のように 神の御心が反映した世となるように 求めたいものです。 また、霊的な側面で見た時、 …
キリスト者の心の内には 聖霊がお住まいです。 聖霊は力と愛と慎みを 私たちに与えてくださいます。 決して私たちを臆病にさせたりは なさらないのです。 しかし…
詩篇29篇3節に 「主の声は、水の上にあり」と ありますが、 これは川や湖などの 陸上のことではなく、 雲の中の水の事を言っています。 その事を理解したうえ…
神の助けを求める時、 旧約聖書に度々登場する 神のご性質を語りつつ 祈り求めると 気持ちが入ります。 窮地に陥ると 祈りが言葉にならないことが あると思いま…
自己卑下も神に対する冒涜です。 神はあなたを選ばれたのです。 その神の選びを否定する行為が 正に自己卑下であるからです。 謙遜と自己卑下は似て非なるもの。…
私たちは何かをやろうとする時、 うまく行かない可能性については 誰から習わなくても 恐ろしいほど雄弁に論証します。 しかし、その逆に うまく行く可能性につい…
主に絶対的信頼を置いて 委ね切ることが出来れば 幸いです。 そのような信仰を持てますように 神に請い願いましょう。 私もあなたと共に祈ります。 主のご加護が…
苦楽を共にできる 友人がいることは幸いです。 そんな仲間が集っている所が 本来、教会です。 最近はそんな雰囲気では なくなってきているのかも しれません。 …
謙遜な姿勢は我が身を護る。 高慢は神からも人からも 嫌われる。 これは止めた方が良い。 主が仕える者となれと 教えられた背景には 私たちがすぐに高慢になる事…
心から信頼を寄せて 主の御名を呼んでごらんなさい。 主はあなたの願いに耳を傾け、 あなたの必要を 満たしてくださいます。 信じて主にすがるあなたを 主は必ず…
とにかく主を愛する事。 キリスト・イエスが あなたのためにしてくださった事を 忘れないでください。 そうすれば主の戒めは 負い難いものでなくなります。 …
キリスト・イエスは 私たちの罪の贖いとなるため 惨たらしい拷問を受け、 遂には十字架で血まみれになって 亡くなられました。 しかし、その凄惨極まるお姿は 私…
主が教えてくださった祈りを 「主の祈り」として キリスト者は祈ります。 祈りの中の祈り、 最も完全な祈りと言われています。 ですから内容を吟味して 祈りたい…
第一余波へ4章8節にある 使徒ヨハネの直球が好きです。 彼は「愛のない者に、 神はわかりません。 なぜなら神は愛だからです。」と 煩瑣な教義に拘泥する信徒を…
神から受けた恵みに対する 喜びは感謝の祈りとして 神の御前に表しましょう。 私たち日本人はシャイなので そういうのが苦手ではあるのですが、 喜びは喜びとし…
神を愛しているなら 神の似姿として造られた 隣人をも愛せよと キリスト・イエスは命じた。 その戒めを守っている キリスト者が今日 どれだけいるだろうか? 自…
不動の信仰に基づいて 揺らぐことのない心、 ぶれない行いを キープしたいものです。 そんな信仰を 得ることが出来るように 毎日、聖書の朗読に努め 神への信頼…
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思い通りに事が運ばなくなると お先真っ暗なんて言葉を 使ったりしますが、 そんな時、キリスト者は 神にお導きを求めます。 神に委ね切って、 自分は、とにかく…
信仰は神から賜ったのです。 私たちが信じたのではないのです。 信仰は神からの 最高のギフトだったのです。 信仰を賜ったわたしたちは この慈しみ深い神を証しし…
主は正義と公正を愛されます。 主の御心を汲んで 誰に対しても偏り見る事をせず、 相対するようにしたいものです。 そのような姿勢で生きておれば、 神の恵みが …
神はみことばで悪を炙り出し、 みことばで私たちを 保護してくださいます。 神のみことばは サタンの攻撃に対して 鋭い攻めと鉄壁の防御で 私たちを護ってくださ…
ヨハネの福音章1章1節に 「初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と あるように、神はみことばです。 また14節では …
イエス様も間違いなく尊いお方です。 ですが、イエス様も聖霊様も 御父と同じ神であって 位格が違うだけなのです。 ですが、イエス様は目に見え、 人々の生活の真…
「信仰が大事なのであって 行いは二の次だ」と意味不明な 言葉を発するキリスト者がいます。 牧会者の中にもいたりします。 ですが、これはナンセンスです。 「救…
自分は何をやってもダメだと 自分に嫌悪感を覚えている人が 意外とたくさんいるようです。 また、中には、 自己卑下と謙遜を混同して、 やたらめったら自分を貶め…
みことばを喜び、 みことばを生きる者を 神は祝福します。 なぜなら、 みことばを生きる者が 不幸になると、 神の力が疑われるからです。 みことばを通しての約…
アンガー・マネジメントは 本当に大切です。 というのは、怒っている時、 あなたの心の中も頭の中も 神は不在に なってしまっているからです。 怒りの矛先となっ…
自分の弱さ、罪深さを知る者が 御子イエスの十字架での贖いを 必要とする。 罪の代償が死であることを 知らなければ、 イエスの代償の死の有難さを 理解できない…
人が出来る事は 人がやればよい。 だが人に無理なことがある。 その無理な事を 無理なく解決してくださる方が 神なのです。 ひょっとしたら 私たちが神に対して…
神は私たちを いつも護ってくださいます。 神は私たちに いつも恵みをくださっています。 神は私たちが 試練に直面した時、 共に解決に向けて歩んでくださいます…
信仰が大切だというのはその通り。 だが、だからと言って 行いは必要ないというわけではない。 キリスト者の行いは 信仰を賜って救っていただいた事への 感謝の表…
しきりに見て関心を持った事を 人は実現しようとします。 多くの場合、それらは 無意識のうちにやっているので、 自分でも気付かないうちに 神が喜ばれない行為を…
神の恵みは私たちには 計り知れないものです。 そんな計り知れない恵みが 主を恐れ、主に拠り頼む者に 与えられるのです。 その恵みは夢物語ではありません。 あ…
キリスト者も 未信者と同じように この世の栄華や成功を 得ることを願い、 あたかも神を利用しているのかのような 祈りをしてしまっているかもしれません。 神に…
最初であり最後である主が あなたと共にいてくださいます。 飢え渇いたあなたの心は みことばによって 潤されるでしょう。 命を生かす みことばの水を飲んでます…
自ら積極的に 神から遠ざかろうとしない限り、 神は私たちを 神の御心に適った生き方を 選択できるように導かれます。 それほどに慈愛に満ちたお方なのです。 そ…
イエスは想像を絶するような 侮辱、冒涜、拷問の末に、 皆に捨てられて ぼろ雑巾のように 人々にも、弟子たちにも、 最後は御父からも捨てられました。 なぜ、こ…
学ぶの語源が「真似ぶ」であると 聞いたことがあるかもしれません。 何事も模倣からはじまります。 これは信仰生活も例外ではありません。 信仰の先輩方の生き方に…
妻は夫に従うように との部分ばかりが強調されているが、 夫は妻を命懸けで守れと 聖書は教えていいる。 イエスが教会へと呼び集められた 私たちキリスト者を救う…
主の力を信じられないから 浮足立ってこの世の方法で 問題を解決しようとしてしまう。 焦るな! 主に委ねよ! みことばと向き合え! そうすれば今すべきことが分…
同信の先輩方に倣って 私たちも忍耐でもって みことばを生きましょう。 聖書において忍耐は 試練に喜んで立ち向かうという ニュアンスで使われています。 勝利さ…
神の御心に適ったものを イエスの御名で求めれば その望みは成就するとの 約束がある。 知らぬキリスト者はいない。 だが、適ったらラッキー という程度に思って…
イエスの命と引き換えに 神に買い取られたのが キリスト者となった私たち。 その有難さを忘れてはいけない。 それを忘れるから肉が働く。 神の目にあなたは 御子…
キリスト者がお互いに 憐れみと平安と愛で 満ち溢れるようにと 祈り合えるようになれば、 教会の成長は 難しくはないだろう。 自分の事ばかりでなく 同信の兄弟…
イエスはみことばが 受肉されたお方。 なので私たちキリスト者は みことばという木に つながる枝ということだ。 みことばにつながっておれば 多くの実を結ぶで…
人である以上 キリスト者であっても 心の片隅で見返りを 求めてしまいます。 それは致し方ない事です。 それはそれで認めることが 必要です。 そのような弱さを…
キリスト・イエスのように 命を捨てる覚悟で 隣人に仕える事を愛という。 その愛でもって 互いに仕え合えと イエスは教えられた。 その教え(福音)通りに 私た…
言葉はもういい。 生き様で みことばの素晴らしさを 証ししていこう。 我が国の福音宣教は 元来、そうであったはず。 教勢と信徒数が伸びない事に 頭を抱えた一…
神を愛するキリスト者は 神の似姿として造られた 隣人をも愛するのが筋だ。 だが、昔から変わらないのは 神への愛は語りながらも 隣人は目に入らない。 しかし、…
キリスト者は イエスの命と引き換えに 神に買い取られた存在です。 罪の代償は死であったので、 イエスがその代償を 償ってくださったのです。 罪が赦された今、…
三位一体の位格の一つである 聖霊が篤信のキリスト者の 心の内にお住まいである事は 本当に有難い事であります。 これこそ正に、インマヌエル、 神が共におられる…
神の御心を無視して 自分勝手な生き方をして 自他ともに苦しめてきた 自らの罪に気付かせていただき、 その罪を赦していただいたのが 私たちキリスト者で あった…
神を知っている者は 神のご性質に倣って 愛し合うようになる。 その愛とは、 キリスト・イエスに見られる 無私の愛だ。 あなたは如何であろうか? キリスト教と…
福音宣教と聞くと ことばで伝えるというイメージが 強くなるが、 福音を生きるキリスト者の 生き様を目撃した者が、 その素晴さに感銘を受けて 原因を聞いてくる…
みことばを生きておれば みことば通りに生きる自分を みことばの約束通りに 護ってほしいと 神に祈ることが出来る。 神の御力はみことばを生きる者に 働くわけだ…
鹿は喉が渇くと 舌が貼りついて 呼吸困難になるとか。 鹿にとって 喉を潤すことは 死活問題なのです。 それと同じように 私たちも主のみことばで 心が渇いたま…
バプテスマの預言者は 旧約時代を締めくくる 最後の預言者だと言われています。 預言は予言と違って 神のみことばは成就する事を 証しする事を言います。 旧約は…