思い通りに事が運ばなくなると お先真っ暗なんて言葉を 使ったりしますが、 そんな時、キリスト者は 神にお導きを求めます。 神に委ね切って、 自分は、とにかく…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
イエスによる贖いを得たことで 私たちは罪の赦しと共に 義と認めていただけます。 義とは神との関係が正常な状態。 つまり神との和解の成立を 意味します。 です…
罪の代償は死です。 罪の赦しなくば神との和解は 成立し得ません。 完全なお方である神は 罪人である私たちとは 交わることが おできにならないのです。 それ…
信仰は天賦のものです。 神から与えられた信仰だから 信仰による歩みを 保障されるのも神なのです。 神が太鼓判を 押してくださったのですから 安心して天賦の夢…
主は自らお選びになった 私たちキリスト者一人ひとりに 歩ませようとの計画をお持ちです。 そしてその計画を知り、 その計画の実現のために生きる時、 私たちキリ…
主に全面的な信頼を寄せられるかが カギとなります。 多くの場合、主との関係が 信頼でなく信用になってしまうからです。 漢字を見ればわかるのですが、 信頼は信…
私たちは神に選ばれて 救いへと導いていただき、 今、キリスト者として サタンが不法占拠しているこの世で 人々を救いへと導く神の道具として 神に用いていただい…
みことばを生きる事が 最大の防御です。 みことばを生きるためには 自分の弱さ(罪)を しっかりと認める事が必要です。 神の導きなくば 自分の利益ばかりを慮り…
ヒッポのアウグスティヌスは 歴史の中での神の存在を 「神は永遠なる現在」という 秀逸な言葉で表現しました。 神は歴史の主人であるので 時の流れに支配されて …
神の御心が啓示された 聖書のみことばを生きるのが 私たちキリスト者なのですから、 みことばを朗読して 神の御心を知って その御心に適った生活を送るのが 順…
みことばを生き切る。 これがキリスト者の 人生の目標です。 今週もみことばを 誠心誠意生きる私たちで ありましょう。 みことばを生きる あなたの上に 神のご…
今の時代を見てみるがよい。 なぜここまで腐ったのか? 民主主義社会は 法の下での権利が保障されているが、 それは国の主権者である国民が 主権者としての意識を…
多くのキリスト者が 勘違いしていることがある。 昔から困った時の神頼み という言葉があるが、 このことば通り、 神のみことばを生きてこそ キリスト者であるの…
いつ主が再臨されても 喜んでお迎えできるように キリスト者は生きていたいですね。 主がお越しになった時に 「少々、お待ちください」と 言い訳せずにおれるよう…
信仰は神から賜わったもの。 私たちが神を信じたのではなく、 神が信じることが出来るように 導かれたのです。 神が主権的にその事をなされたので、 最後まで責任…
学ぶの語源が「真似ぶ」であると 聞いたことがあるかもしれません。 何事も模倣からはじまります。 これは信仰生活も例外ではありません。 信仰の先輩方の生き方に…
妻は夫に従うように との部分ばかりが強調されているが、 夫は妻を命懸けで守れと 聖書は教えていいる。 イエスが教会へと呼び集められた 私たちキリスト者を救う…
主の力を信じられないから 浮足立ってこの世の方法で 問題を解決しようとしてしまう。 焦るな! 主に委ねよ! みことばと向き合え! そうすれば今すべきことが分…
同信の先輩方に倣って 私たちも忍耐でもって みことばを生きましょう。 聖書において忍耐は 試練に喜んで立ち向かうという ニュアンスで使われています。 勝利さ…
神の御心に適ったものを イエスの御名で求めれば その望みは成就するとの 約束がある。 知らぬキリスト者はいない。 だが、適ったらラッキー という程度に思って…
イエスの命と引き換えに 神に買い取られたのが キリスト者となった私たち。 その有難さを忘れてはいけない。 それを忘れるから肉が働く。 神の目にあなたは 御子…
キリスト者がお互いに 憐れみと平安と愛で 満ち溢れるようにと 祈り合えるようになれば、 教会の成長は 難しくはないだろう。 自分の事ばかりでなく 同信の兄弟…
イエスはみことばが 受肉されたお方。 なので私たちキリスト者は みことばという木に つながる枝ということだ。 みことばにつながっておれば 多くの実を結ぶで…
人である以上 キリスト者であっても 心の片隅で見返りを 求めてしまいます。 それは致し方ない事です。 それはそれで認めることが 必要です。 そのような弱さを…
キリスト・イエスのように 命を捨てる覚悟で 隣人に仕える事を愛という。 その愛でもって 互いに仕え合えと イエスは教えられた。 その教え(福音)通りに 私た…
言葉はもういい。 生き様で みことばの素晴らしさを 証ししていこう。 我が国の福音宣教は 元来、そうであったはず。 教勢と信徒数が伸びない事に 頭を抱えた一…
神を愛するキリスト者は 神の似姿として造られた 隣人をも愛するのが筋だ。 だが、昔から変わらないのは 神への愛は語りながらも 隣人は目に入らない。 しかし、…
キリスト者は イエスの命と引き換えに 神に買い取られた存在です。 罪の代償は死であったので、 イエスがその代償を 償ってくださったのです。 罪が赦された今、…
三位一体の位格の一つである 聖霊が篤信のキリスト者の 心の内にお住まいである事は 本当に有難い事であります。 これこそ正に、インマヌエル、 神が共におられる…
神の御心を無視して 自分勝手な生き方をして 自他ともに苦しめてきた 自らの罪に気付かせていただき、 その罪を赦していただいたのが 私たちキリスト者で あった…
神を知っている者は 神のご性質に倣って 愛し合うようになる。 その愛とは、 キリスト・イエスに見られる 無私の愛だ。 あなたは如何であろうか? キリスト教と…
福音宣教と聞くと ことばで伝えるというイメージが 強くなるが、 福音を生きるキリスト者の 生き様を目撃した者が、 その素晴さに感銘を受けて 原因を聞いてくる…
「ブログリーダー」を活用して、metanoia75さんをフォローしませんか?
思い通りに事が運ばなくなると お先真っ暗なんて言葉を 使ったりしますが、 そんな時、キリスト者は 神にお導きを求めます。 神に委ね切って、 自分は、とにかく…
我が国も言霊(ことだま)といって 発話に注意する文化がありますね。 言葉には創造性があるので 不必要な言葉は慎むべきです。 神はことばでもって 万物を創造さ…
先の展開が分っていれば しんどそうなことでも 耐えることが出来るでしょう。 私たちキリスト者は 必ず勝利が約束されています。 その勝利を信じて前進し続ければ…
信仰は神から賜ったのです。 私たちが信じたのではないのです。 信仰は神からの 最高のギフトだったのです。 信仰を賜ったわたしたちは この慈しみ深い神を証しし…
主は正義と公正を愛されます。 主の御心を汲んで 誰に対しても偏り見る事をせず、 相対するようにしたいものです。 そのような姿勢で生きておれば、 神の恵みが …
神はみことばで悪を炙り出し、 みことばで私たちを 保護してくださいます。 神のみことばは サタンの攻撃に対して 鋭い攻めと鉄壁の防御で 私たちを護ってくださ…
ヨハネの福音章1章1節に 「初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と あるように、神はみことばです。 また14節では …
イエス様も間違いなく尊いお方です。 ですが、イエス様も聖霊様も 御父と同じ神であって 位格が違うだけなのです。 ですが、イエス様は目に見え、 人々の生活の真…
「信仰が大事なのであって 行いは二の次だ」と意味不明な 言葉を発するキリスト者がいます。 牧会者の中にもいたりします。 ですが、これはナンセンスです。 「救…
自分は何をやってもダメだと 自分に嫌悪感を覚えている人が 意外とたくさんいるようです。 また、中には、 自己卑下と謙遜を混同して、 やたらめったら自分を貶め…
みことばを喜び、 みことばを生きる者を 神は祝福します。 なぜなら、 みことばを生きる者が 不幸になると、 神の力が疑われるからです。 みことばを通しての約…
アンガー・マネジメントは 本当に大切です。 というのは、怒っている時、 あなたの心の中も頭の中も 神は不在に なってしまっているからです。 怒りの矛先となっ…
自分の弱さ、罪深さを知る者が 御子イエスの十字架での贖いを 必要とする。 罪の代償が死であることを 知らなければ、 イエスの代償の死の有難さを 理解できない…
人が出来る事は 人がやればよい。 だが人に無理なことがある。 その無理な事を 無理なく解決してくださる方が 神なのです。 ひょっとしたら 私たちが神に対して…
神は私たちを いつも護ってくださいます。 神は私たちに いつも恵みをくださっています。 神は私たちが 試練に直面した時、 共に解決に向けて歩んでくださいます…
信仰が大切だというのはその通り。 だが、だからと言って 行いは必要ないというわけではない。 キリスト者の行いは 信仰を賜って救っていただいた事への 感謝の表…
しきりに見て関心を持った事を 人は実現しようとします。 多くの場合、それらは 無意識のうちにやっているので、 自分でも気付かないうちに 神が喜ばれない行為を…
神の恵みは私たちには 計り知れないものです。 そんな計り知れない恵みが 主を恐れ、主に拠り頼む者に 与えられるのです。 その恵みは夢物語ではありません。 あ…
キリスト者も 未信者と同じように この世の栄華や成功を 得ることを願い、 あたかも神を利用しているのかのような 祈りをしてしまっているかもしれません。 神に…
最初であり最後である主が あなたと共にいてくださいます。 飢え渇いたあなたの心は みことばによって 潤されるでしょう。 命を生かす みことばの水を飲んでます…
今の時代を見てみるがよい。 なぜここまで腐ったのか? 民主主義社会は 法の下での権利が保障されているが、 それは国の主権者である国民が 主権者としての意識を…
多くのキリスト者が 勘違いしていることがある。 昔から困った時の神頼み という言葉があるが、 このことば通り、 神のみことばを生きてこそ キリスト者であるの…
いつ主が再臨されても 喜んでお迎えできるように キリスト者は生きていたいですね。 主がお越しになった時に 「少々、お待ちください」と 言い訳せずにおれるよう…
信仰は神から賜わったもの。 私たちが神を信じたのではなく、 神が信じることが出来るように 導かれたのです。 神が主権的にその事をなされたので、 最後まで責任…
学ぶの語源が「真似ぶ」であると 聞いたことがあるかもしれません。 何事も模倣からはじまります。 これは信仰生活も例外ではありません。 信仰の先輩方の生き方に…
妻は夫に従うように との部分ばかりが強調されているが、 夫は妻を命懸けで守れと 聖書は教えていいる。 イエスが教会へと呼び集められた 私たちキリスト者を救う…
主の力を信じられないから 浮足立ってこの世の方法で 問題を解決しようとしてしまう。 焦るな! 主に委ねよ! みことばと向き合え! そうすれば今すべきことが分…
同信の先輩方に倣って 私たちも忍耐でもって みことばを生きましょう。 聖書において忍耐は 試練に喜んで立ち向かうという ニュアンスで使われています。 勝利さ…
神の御心に適ったものを イエスの御名で求めれば その望みは成就するとの 約束がある。 知らぬキリスト者はいない。 だが、適ったらラッキー という程度に思って…
イエスの命と引き換えに 神に買い取られたのが キリスト者となった私たち。 その有難さを忘れてはいけない。 それを忘れるから肉が働く。 神の目にあなたは 御子…
キリスト者がお互いに 憐れみと平安と愛で 満ち溢れるようにと 祈り合えるようになれば、 教会の成長は 難しくはないだろう。 自分の事ばかりでなく 同信の兄弟…
イエスはみことばが 受肉されたお方。 なので私たちキリスト者は みことばという木に つながる枝ということだ。 みことばにつながっておれば 多くの実を結ぶで…
人である以上 キリスト者であっても 心の片隅で見返りを 求めてしまいます。 それは致し方ない事です。 それはそれで認めることが 必要です。 そのような弱さを…
キリスト・イエスのように 命を捨てる覚悟で 隣人に仕える事を愛という。 その愛でもって 互いに仕え合えと イエスは教えられた。 その教え(福音)通りに 私た…
言葉はもういい。 生き様で みことばの素晴らしさを 証ししていこう。 我が国の福音宣教は 元来、そうであったはず。 教勢と信徒数が伸びない事に 頭を抱えた一…
神を愛するキリスト者は 神の似姿として造られた 隣人をも愛するのが筋だ。 だが、昔から変わらないのは 神への愛は語りながらも 隣人は目に入らない。 しかし、…
キリスト者は イエスの命と引き換えに 神に買い取られた存在です。 罪の代償は死であったので、 イエスがその代償を 償ってくださったのです。 罪が赦された今、…
三位一体の位格の一つである 聖霊が篤信のキリスト者の 心の内にお住まいである事は 本当に有難い事であります。 これこそ正に、インマヌエル、 神が共におられる…
神の御心を無視して 自分勝手な生き方をして 自他ともに苦しめてきた 自らの罪に気付かせていただき、 その罪を赦していただいたのが 私たちキリスト者で あった…
神を知っている者は 神のご性質に倣って 愛し合うようになる。 その愛とは、 キリスト・イエスに見られる 無私の愛だ。 あなたは如何であろうか? キリスト教と…