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  • オヤジのあくび474

    ゴードン・S.ウッド「アメリカ独立革命」を読む1 小学校4年の音楽の教科書に、チェロキー族の「朝の歌」が突然登場する。ネイティブ・アメリカンの一部族で白人の侵略に抵抗していた人々だが、当時の北アメリカの状況について教科書には何も説明がない。植民地時代のアメリカを知るきっかけになりそうなのに。まぁ、詳しいことは大きくなってから・・という得意の論法なのだろうか。 アメリカは自由を標榜する国である。さて建国当初において、どのような抑圧からの解放=すなわち自由を植民地であったアメリカの人々が願っていたのか? 本国であるブリテン帝国国王の親政に端を発した政府の迷走、官吏の思惑、植民地政府の意向が絡まり、…

  • オヤジのあくび473

    宇都宮芳明「ヤスパース」を読む2 人間を超えた超越者を想定して実存について語る哲学者を有神論的実存主義と呼び、キルケゴールや今回のヤスパースはこちらに篩い分けられる。反対に超越者などいないという立ち位置を無神論的実存主義と呼び、ニーチェ、ハイデガー、サルトルと続く。 ヤスパースは、神はどこまでも自由な実存に対してのみ存在するとした。自由は神から人間に委ねられているのである。もちろんここで言う神は教会で教義の対象としている神的なものとは違う。ヤスパースは子どもの頃から各種の権威に敏感で悉く反抗してきた人なのだ。 もう一つキルケゴールやニーチェとの違いは、理性による自覚。理性と実存の緊張関係に言及…

  • オヤジのあくび472

    宇都宮芳明「ヤスパース」を読む1 ヤスパースは、始め法学を学ぶが、医学に転じて「精神病理学総論」を著す。その後ハイデルベルグ大学で心理学の講義を担当することになる。このハイデルベルグでマックス・ウェーバーに出会う。そして彼を哲学者として評価したのだ。今日私たちはマックス・ウェーバーを社会学の開拓者とすることが多いが、彼がヤスパースを哲学者として捉えたのは新鮮だった。しかしこれは当時の「御本家」哲学者から反発を受けてしまう。やがてヤスパース本人も心理学から哲学の教授に転身する。 時代は、ワイマール共和国からナチスの台頭、そして第二次世界大戦に突入していく。ヤスパースは大学を追われ、出版物も制限さ…

  • オヤジのあくび471

    森分大輔「ハンナ・アーレント」2 革命という名の元に人類はいったいどれだけの血を流してきたことか! 貧窮を解消するというスローガンの元に暴力自体が目的化してしまった事例を私たちは歴史で学んでいる。貧窮ではなく自由の獲得という意味で、アーレントはアメリカ革命を評価している。自由の獲得によって自分がありのままに生き、自己不信から解放された状態になることこそが幸せだと捉えているのだ。その背景には豊穣な大地を前提にして深刻な貧窮状況がアメリカには無かったからという。メイフラワー誓約に書き込まれた人々の約束が、この新しい国づくりへの踏み台となったのだ。 自由という概念を、解放に軸足を置いたリバティーとそ…

  • オヤジのあくび470

    森分大輔「ハンナ・アーレント」1 「私たちの思考の主題は何でしょうか。経験、これだけです。」そして現実と向き合うことなく抽象的観念の世界に立てこもってしまう態度を「世界疎外」と呼び、批判した。 まず本書は、アーレントが哲学者ハイデガーの不倫相手であった頃、実存主義哲学を学んでいた時代からスタートする。また彼女がユダヤ人女性として、彼女が語る社会現象・社会病理の常に当事者であったことを「ラーエル・ファルンハーゲン」の著作を基に、その立ち位置を確認する。 そして、いよいよ全体主義に対する考察へ。その中でモッブの行動について触れているが、フラッシュモブなど明るい好感の持てる群衆行動として評価されてい…

  • オヤジのあくび469

    下重暁子「天邪鬼のすすめ」 天邪鬼という言葉は、NHK名古屋放送局で野際陽子さんと同僚だった時代、野際さんと同じことを真似しようと思っても仕方がないと感じたところで、初めて登場する。 二回目は、東京放送局の頃、海外に行きたかった場面。三回目は「私は人が仕事をしている時に遊び、人が遊んでいる時は仕事をする天邪鬼である」四回目「猫が呼んでも決してまっすぐに来ないように、途中で遊んでみたくなる。天邪鬼なのだ。」ボクが思うに下重さんは全然天邪鬼ではない。自分の心の内側と相談して、それに素直なだけだと感じてしまう。むしろ昔、例えば戦前の価値観と照らし合わせた場合に、80年前なら天邪鬼と呼ばれたかもしれな…

  • ワンピースのオヤジキャラたち2

    「そんなに怖いか、新時代が」シャンクス自身も十分にオヤジなのだが、一体何を予感予想しているのだろうか? そろそろ引き際を考えておいたほうがよさそうな我が身を重ねて、次の展開が待ち遠しい。 ワンピースには、既得権益を持っているオヤジたちが、それなりの存在感を放っている。まずは世界政府の重鎮である五老星。いかにもタチが悪そうな天竜人。中にはドフラミンゴのような生き方を選ぶ場合もあるだろうが、基本的には地位をかさに威張り散らしているイメージだ。 続いて各国の王様・リーダーたち。アラバスタのコブラ。空島スカイピアのガン・フォール(王というより神)。リュウグウ王国のネプチューン。女ヶ島のボア・ハンコック…

  • オヤジのあくび468

    京浜急行から緩急の切り替えを学ぶ 今は通勤に京浜急行を使っている。東京へ男声合唱団の練習に行く時も京浜急行にできる限り乗っている。何が好きなのか? と問われれば、あの加速感と車窓のミスマッチなのだ。 後続車に追い付かれないように、逃げ切る急加速はなかなか他の鉄道では味わえない。また速度を上げた後、新幹線などでは車窓に田園風景が広がるのだけれど、京急は民家の軒下ギリギリを凄いスピードで走り抜ける。駅を通過する際も減速なんて眼中にないのだろう。黄色い線の内側に下がっていなければ、京急は本当に危ないのだ。 ほとんど暴走族紛いだが、この緩急の切り替えからボクは元気をもらっている。今日も行くぜ! 老体?…

  • ワンピースのオヤジキャラたち

    ルフィを中心とするストーリーの核をなすキャラは若者だが、その周辺に目を離せないオヤジキャラがいる。海軍の英雄でありながら出世を拒み、どこまで強いのかわからないガーブ中将。その息子でルフィの父親であるドラゴン。そもそも海軍幹部の子が革命軍の司令官であり、犯罪者として指名手配中である設定がおもしろい。 続いてルフィの師匠であるレイリー。ロジャー海賊団の副船長で、当時は下っ端だったシャンクスやバギーを鍛えていた。これまたどこまで強いのかわからない。またパートナーらしいシャッキーも凄い経歴の持ち主の気配がする。 そしてドラゴンとほとんど同世代と思われるのが、Dr.ベガパンク。ずっとベールに包まれてきた…

  • オヤジのあくび467

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む3 本書の副題は「近代と格闘した思想家」。あとがきでも触れているが、著者は丁寧にウェーバーの時代に生きていた思想家との接点や没後の解釈や読まれ方を分析している。思想履歴が長大であるが故に、その一部だけが引用されることはあるし、原語が英訳された時の意味の広がりやさらに和訳された時の理解について、事細かく解説している。ボクの勝手な理解だけど、ウェーバーを読む背景には、日本人の「ヨーロッパ近代」に対するコンプレックスが横たわっていたのではなかろうか? 大塚久雄、丸山眞男を始めとする読み手の手ほどきを受けることで、ヨーロッパ近代って何なのか? 理解が進んだのは間違…

  • オヤジのあくび466

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む2 ウェーバーは「魔法が解ける」という言葉をよく使った。今まで分からなかった現象を数式や一定の法則で解けるようになったことは、社会の近代化を大きく後押しし続けている。ところがウェーバーの思考は、宗教へと向かう。魔法が解けたあと、生きる意味を求めた人々は再魔術化を呼び込むのだ。 ここで本書では、ようやくウェーバーの音楽への関心にふれる。ボクが学生時代に「何じゃこりゃ?」的に落ちこぼれた部分であります。この西洋の機能和声を支えてきたのは、転調自在の平均律だけど、世界各地の音律は5度の重なりから、また4度の中の音の位置で決定して生まれているのだけど、問題なのはピ…

  • オヤジのあくび465

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む1 今マックス・ウェーバーと言えば、社会学という学問と印象が重なるけど、元々ハイデルベルグ大学で彼が学んでいたのは、法学なのです。そもそも社会学という学問が広く認知される以前でもあったのですが・・・。彼の文章表現に穴がなく、まるで公文書や法律の条文のような硬さを感じてしまうのは、私がこの手の文体が苦手だからなのでしょうか? さて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」筆者は、彼の出自について母方がユグノー=フランスに於けるカルヴァン派であったことを始めの方で紹介している。禁欲的なプロテスタントだからこそ資本主義社会で成功を遂げるという公式は、真面目で…

  • オヤジのあくび464

    宮本亜門「アライブALIVE」を読む 本書は、冒頭から衝撃的であります。自作のミュージカルを引っ提げたアメリカ公演の直前に世界貿易センターのテロ事件が起こったのです。 この本は自伝ですから幼少期からの足跡を辿る訳です。演劇に開眼する前の宮本少年の特徴は二つ。母親が元松竹歌劇団のダンサーで幼い時から沢山の芝居や踊りを見てきたこと。もう一つは友だちができないで、登校拒否=引きこもりを経験していることです。 人を変えるのは、結局は人との出会いなのですから、宮本少年も精神科のお医者さんとの出会いで学校に復帰して、恩師岡田先生との出会いから演劇の世界にのめり込んでいく。 読んでいて感じるのは、感情の振幅…

  • オヤジのあくび463

    姜尚中「在日」を読む 在日韓国朝鮮人に対する指紋押捺が問題視された1980年代の始め、私が受け持った学級にも通名で暮らす子どもがおり、卒業証書を本名で書くかどうかについて、家庭訪問していたことを思い出す。またその頃在日の人々が多く暮らす街で仕事をしていた親父が「三国人」という言葉を使うのを聞いて、その差別的な響きにとても嫌な気分でいたことも思い出す。日本政府が解決済みとしている事案について国際法的にはそうであっても、韓国内の怒りが収まらないのは、その時代の状況を理解しようとしているのか、学ぼうとしているのか、という姿勢が問われているのだ。その上で未来志向の日韓関係が生まれるのだ。きっと。 昭和…

  • オヤジのあくび462

    鴻上尚史「演劇入門」を読む3 演劇入門というタイトルなのに、全体の3/5辺りまで演技指導に関する話が出てこない。そして「演技においては、話すよりも身体を動かすよりも、心を動かす方が難しい」と言う。リアル、嘘、嘘くさい(何とかのふりをしている)の三つに演技を分類すると、それは演劇ではなくて「演劇に似た何か」になってしまうと。心が動いている演技は、先が予想できない。その上で「予想を裏切り期待に応える」ことが基本だと。 もう少し進むと「演技はあなたが一番隠したいと思っている恥ずかしい部分や見せたくない部分を見せること」と続きます。無防備な心のまま向き合う。それが演技の時の心の状態であると。だから俳優…

  • オヤジのあくび461

    鴻上尚史「演劇入門」を読む2 インタラクティブ。双方向性という意味の言葉が頻繁に文中に現れる。私は今小学校で音楽を教えているのですが、担当している学年は3〜6の4学年9クラスです。同じ教材でもクラスによって反応は微妙に違います。今日はあまりのってこないなぁと感じた時が勝負だと思っています。演劇やお笑いもそうでしょう。だから面白いのです。 ちなみに著者は演出家ですが、ダメ出しという言葉を嫌っています。英語ではnoteと言うそうです。いいことも悪いことも演出家が記録したことを言いますよ! なのですね。 演者や教師が息を吸うと観客や生徒も息を吸う。呼吸が生表現生鑑賞では共有できるのですね。演劇も音楽…

  • オヤジのあくび460

    鴻上尚史「演劇入門」を読む1 勤務校で、若い頃演劇クラブの指導をしていたことがあります。初任校では私が脚色したミュージカルを集会で発表するなど、まったくヤリヤリでした。子どもたちに声をかけていたのは、とにかく動くことです。首から上だけの演技なら朗読でいいじゃん! 的な思いでした。 演劇に限らずボクは「生」の表現が大好きで実際に長い間続けてきました。仕事の教員は「生の授業」合唱は「生のハーモニー」琵琶は「生の音色と語り」です。それはオンラインには代えられないリアルなのです。文中で鴻上さんは「つまらない演劇は、つまらない映画より何倍もつまらないインパクトがある。本当に面白い演劇を見たら、そのインパ…

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