chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
  • オヤジのあくび527

    ジェームス・M・バーダマン、村田薫「ロックを生んだアメリカ南部」を読む1 本はエルヴィス・プレスリーの物語から始まる。サム・フィリップスのスタジオで「ザッツ・オールライト」を歌った時=初めてのレコーディングの様子がいきいきと語られる。そのすぐ後に、オーヴァトン・パーク・シェルという野外劇場でライブ演奏があった。エルヴィスは緊張のあまり震えていた足を音楽に乗せてさらに震わせて歌った。身体全体を使って歌う黒人音楽の影響だが、この下半身のセクシーな動きが多くのファンを熱狂させ ていくことになる。 アメリカ音楽のルーツであるブルースを、憂鬱な音楽と紹介するのは、あまりに短絡的で乱暴な話です。誰がどこで…

  • オヤジのあくび526

    中山千夏「蝶々にエノケン」を読む2 今、港南台アカペラシンガーズに元教え子が参加しているのだけど、小学校の頃合唱クラブ以外に演劇部クラブでも私が担当だったと言う。そうだったっけ? 今は遠ざかっているけれど演劇こそは、自己表現の最も有効な手段だと考えています。 さて本は「児童劇団ともだち」に入った頃の話に戻り、水谷八重子のセリフから「演技というものは、高い技巧を得れば、作品から独立して人心を掴み得る」を考え始め「ずば抜けた歌唱力が、曲の良し悪しに関わらず人心を掴むことがあり得る」と言う。その上で演技を際立たせるのが名作とは限らない、演技を作品の部品の位置にとどめてしまうより、むしろ俳優の個性やス…

  • オヤジのあくび525

    中山千夏「蝶々にエノケン」を読む1 回想録は子役時代からスタート。大きなリボンを付けて、目に留まるようにしているうちに映画の字幕に中山千夏の名前が出るようになったらしい。ストーリーの中では「その他大勢」だから、当時の中山千夏目当てに映画を観に来る人はいない。スターとエキストラの差なのだ。 ふと藤沢市の市民オペラに出ていた頃を思い出した。「カルメン」から「ファウスト」「フィガロの結婚」辺りまで参加していたのだけど、ソリストとボクのような合唱メンバーにはプロとアマチュアの差があった。でも内幕を覗いていた楽しさは忘れ難い。その体験に似ているかな? 菊田一夫から舞台で歌う場面をもらい、宇野誠一郎のトレ…

  • オヤジのあくび524

    佐藤優「君たちが忘れてはいけないこと」を読む 授業は、生徒たちから事前に質問を受けた論点を元に、あちらこちらに枝葉を広げながら、展開されていく。 共産主義は潜在力を使い果たして失敗したけれど、ファシズムには、まだポテンシャルが残されていると警戒心を込めて言う。挑発的立ち位置であるが、だからこそ民主主義の課題に対して著者の舌鋒鋭い言動から目を離せない人がいるのだろう。 One for all All for one. 日本語では「みんなは一人のために 一人はみんなのために」とか言っているけれど、このフレーズはファシズム下のイタリアで生まれた言葉だったんですね。ファシズム=ヒトラーで置き換えておし…

  • オヤジのあくび523

    小川和久「日米同盟のリアリズム」を読む2 北朝鮮に続き、中国の話題。最近の南シナ海への進出、日本にとっては尖閣諸島を含む東シナ海での動きは、頻繁にニュースで報じられている。筆者は人民解放軍が国の軍隊ではなく、共産党の軍であるところが中国独自のシビリアンコントロールであると言う。 中国は社会主義の理想とは、かなり遠い格差に悩まされている。当然共産党指導部への不満も燻り続けている。国内の不満を逸らす常套手段が国民の目を外国へと向けさせることなのだ。アメリカも一昔前まではジャパンパッシングで日本に意地悪をしていたではありませんか! とは言え中国軍が日米同盟と正面衝突をしたらドエライことになってしまう…

  • オヤジのあくび522

    小川和久「日米同盟のリアリズム」を読む1 私が住んでいる神奈川県には巨大な米軍基地が二つある。一つはマッカーサーが占領軍司令官として降り立った厚木基地、もう一つは小栗上野介以来、日本の海防の要とも言うべき横須賀であります。他にも鶴見に石油備蓄基地があるらしい。しかし、なぜこれだけの巨大な施設を日米が必要としているのか? あまり話題に上らない。戦略的な意味と効果について、私たちは恥ずかしくなるくらい無知なのです。 本書では、北朝鮮と中国の動きに日米同盟がどう対応しているか? について語っている。 北朝鮮がミサイル開発に邁進しているのは、実は総合的に見た軍事力のバランスが取れていないので、周辺国の…

  • オヤジのあくび521

    石破茂「国防」を読む 国民の命を守る。そのために心配し過ぎて心配し過ぎることはないと石破さんはおっしゃる。それが政治家の役割でもあると。 高校の頃、戦○チ(○にカタカナ一字を入れると差別的な響きを持った言葉になります)と呼ばれていた友人がいた。彼の愛読書は「丸」。誰よりも自衛隊の装備について詳しかった。石破茂氏がテレビに登場し始めた頃、似たような雰囲気をボクは感じた。 この本が出版されたのが2005年。北朝鮮によるミサイル発射、9.11テロに端を発するイラク戦争とサマワへの自衛隊派遣などが話題になっている。政治家が著した本にありがちなことだけど、大臣とかの立場にあった時には発信できなかったこと…

  • オヤジのあくび520

    佐高信「電力と国家」を読む 本書の冒頭、網野善彦さんの「領海の外は公海」という言葉が登場する。なるほどパブリックは国の官僚による統治機構の中にあるのではない。福沢諭吉や松永安左エ門、木川田一隆ら、官僚と闘い続けた人々の足跡が綴られる。 昭和10年代。日本が戦争にまみれていく時代、経済も自由主義経済から統制経済へと移行していく。松永安左衛門の官僚に抵抗し続けた足跡が、その頃の財界人を取り巻く状況を伝えてくれる。統制経済? と聞けば、いかにも全体主義的な響きを感じてしまうが、昭和10年代は財界の腐敗に対して、官僚が国家統制をもってコントロールしようと試みていた時代だったようです。モデルとして、ヒト…

  • オヤジのあくび519

    川口マーン恵美「ドイツの脱原発がよくわかる本」を読む 本書を読んで、ぼんやり思うのは、この先も電気に依存した今の生活を維持できるのだろうか? という漠然とした不安。 ドイツが凄い速さで脱原発へ舵を切って、電力供給でどのように供給源のバランスが崩れたのか。夜間や雨の日、風が吹かない日に弱い再生可能エネルギーをバックアップするために結局化石燃料に頼ってしまう、CO 2削減から遠のいてしまうジレンマなどが語られる。 不思議なのは、聡明なドイツ人がなぜこのように追い詰められることを見通せなかったのか? 論理的思考の達人に見えて、実は瞬間的に感情をコントロールされやすい傾向を持っている人が多いのかもしれ…

  • オヤジのあくび518

    春野草結「歩いて旅する 熊野古道・高野・吉野」を読む4 5時起きで、川原の露天風呂に入る。山に朝靄がかかり美しい。高野山へ向かう途中では、龍神のドライブインに立ち寄る。檜の香りが店全体をみたしていた。 さて、奥の院。大会社や歴史を彩った大名らの墓苑と化していることを入定された大師は、地下てどのように感じておられるのだろうか? 日頃は神や仏にすがりつく気持ちのあり方と距離を置こうとしている私だけれど、せっかくなので? 念持仏をいただいてきた。見えない誰かと共にいる、誰かがどこかで見守ってくれている、それが弘法大師さんだっていいじゃない! 宗教心とか信仰とか、その辺りから芽生えるのかもしれない。 …

  • オヤジのあくび517

    春野草結「歩いて旅する 熊野古道・高野・吉野」を読む3 那智勝浦に泊まり、二日目は熊野三山へ。世界遺産の熊野古道もおいしいところ取り的に大門坂を少し歩きます。ところが朝からの雨、苔むす道を転ばぬようにこわごわ歩いていては感慨が湧くゆとりかない。さらに467段の階段を登って那智大社へ。お隣りは青岸渡寺で三重塔と那智の滝を望める観光パンフレットでお馴染みの景色。雨で山に靄がかかった感じが今回ならではかな? ボクは職業柄以前は毎年のように華厳の滝を見て来たのだけれど、流量、速さ、幅など、やはり趣きが随分と違う。 那智大社に向かう参道に、石彫の職人山口さんの店があり、特許と裏に書いてある本当の重いと石…

  • オヤジのあくび516

    春野草結「歩いて旅する 熊野古道・高野・吉野」を読む2 実際に熊野古道を歩くハイカーが携行するために編まれた本なのですが、自分は観光バスで楽チンかましているツアー客でして、あっ、ここを歩くとこんな感じなのか! という読み方です。 最初はお伊勢さん。実は伊勢参りは初めてでした。聳える巨木に圧倒されつつ、いかにも神様たちが悠久の時を経て、あちこちに住まわれていそうな空間を体験してきました。ガイドさんがとてもゆったりした方で、せかせかした日常のリズムをシフトダウンして神宮の中を回ることができたこともよかった。伊勢神宮の中には、125柱の神様が祀られている。正殿の後に、荒祭宮にお参りしたのだけれど、天…

  • オヤジのあくび515

    春野草結「歩いて旅する 熊野古道・高野・吉野」を読む1 断片的ではあるけれど神社については、人生その折々でそれなりの思い出を辿ることができる。 小さい頃の初詣は江ノ電に揺られて凄い人混みの中を鶴岡八幡宮にお参りに行って、破魔矢を戴いてきていた。父親は歴史が好きだった人だけど、やがて神社については歴史上の人物を祀っているところを好まず、もっぱらいつの誰のことやらわからない神様らしい神様? を好むようになっていった。 辻堂に住んでいたので元町にある神社の縁日には出かけていた。あの頃は縁日のパチンコが好きだった。調べてみると八幡神社の縁日だったみたいだ。 やがて就職して戸塚にいた頃は、お天王様と呼ば…

  • オヤジのあくび514

    漫画ワンピースが訴えかけるもの 唐突な言い方かもしれないが、ウクライナで起きていることと、ワンピースのテーマは被っている。この漫画は力による現状変更や制圧に対する抵抗を絶えず描き続けていたのだ。魚人への差別、天龍人という特権階級への憎悪、革命軍の存在、毒ガスという大量殺戮兵器の封印etc・・そして麦わらの海賊団は常に現状に苦しんでいる人々と共に戦ってきた。ほとんど単独で戦ってきたように見えて、父親が率いる革命軍やドレスローザでドフラミンゴに苦しめられていた人の中には思いを共にする人たちがいる。 そして、とうとうルフィのゴムゴムの実が、前章ワノ国編のカイドウとの戦いで覚醒した。ルフィの表情がまっ…

  • オヤジのあくび513

    時間軸に自由な音楽、空間を染める音楽2 集団で音楽を共有する時には、テンポや拍子間が必要になってくる。盆踊りの太鼓、宴会の手拍子だって同じ類いでしょう。でもより一斉に「せえーの!」が必要になってきたのはハーモニーの美しさに気づいてからだと思います。 ヨーロッパ音楽の変遷を辿っても、緩い感じのグレゴリオ聖歌はユニゾンでしたが、ルネサンスポリフォニーになると互いに聴き合いながらハーモニーを楽しみ始めます。パレストリーナとか本当に美しい! そしてシンフォニーへ。ジャーンと響くために指揮者が登場して、リードするようになりました。この響きに明治初期の音楽愛好者は一発KOだったのですね。 でも800年もの…

  • オヤジのあくび512

    時間軸に自由な音楽、空間を染める音楽1 衝動的に音を鳴らす。声を出す、叫ぶことが音楽の出発点だとすれば、そこに時間軸の制約はなかったはず。集団で音を共有しようとして初めてテンポやリズムを共通理解する必要に迫られたはずです。けれど音楽の一部は、現在でも個人レベルで発信されていて、例えば琵琶楽の間や余韻は、無拍の音楽ならではの表現だと思います。何だかわけがわからないのではなく、そこには独特の自由な音楽があり、結果としての間や余韻を聴き手の皆様と共に味わっていたのです。客席から掛け声が飛んでいた時代は、それはそれほど昔の話ではありません。歌舞伎でも一旦時間を止めて、決めポーズを取っているのは、現在ま…

  • オヤジのあくび511

    夢や憧れの変遷について 何に憧れて、冒険の海に漕ぎ出していくか? コロンブスやマゼランの時代と現在とではまるで違う。海という未知の世界は、宇宙や深海に置き換わっている。 これは冒険だけではない。今提供されるべき夢とは何なのか? 残念ながらかなり不透明感が漂っている気がする。そもそも45年前、私が大学4年生だった頃、憧れていた職業や仕事が現在も人々に夢を提供し続けているのだろうか? 僻みと受け取られそうだけれど、その頃安定とか高収入が約束されているはずだった未来は、大丈夫だったのだろうか? 夢とか憧れとか、それは必ずリスクが伴うチャレンジングな目標なのだ。リスク覚悟で未開拓な活動に挑戦する心構え…

  • オヤジのあくび510

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む3 小山内薫がベルリンにやってきて、山田耕筰に真の芸術家として歩み始めるきっかけとなる一言を告げる。作曲とか音楽者へのこだわりから解放された瞬間なのだ。それにしても人は人との出会いにより成長し、変化する。演劇の小山内、音楽の山田、日本の文化史に輝ける足跡を残した二人がベルリンでデカダンス芸術やニーチェについて語り合っていたのだ。 日本の音楽を開拓する屯田兵たることを使命と感じた山田耕筰は、ドイツのヴェーバーやロシアの グリンカのように歌劇の作曲によって道を拓く方針を固めた。そして完成したのが日本初の本格的な楽劇「堕ちたる天女」。同時期の作品として卒業制作…

  • オヤジのあくび509

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む2 音楽家には、とりわけ作曲家、指揮者、ピアニストには文章が達者な人が多い。作曲家や指揮者は自分自身でお客様へ音を発していない鬱憤がガス抜き的に文章に転化されるのだろうか? 山田耕筰も同様で、軽妙且つ抱腹絶倒な文で読者を喜ばせてくれる。 さて芸大時代。予科を首席で卒業した山田耕筰は、声楽科に入る。当時の芸大にまだ作曲科はなかったのだ。理由は教授がいなかったこと。副科はトランペットだったが、なかなか凄まじい音だったらしい。やむなくフルート経由でチェロに転じる。怪しげな西洋人の偽名を用いて、作曲を始めてアンサンブルするが、彼の曲に批判を加える人が周囲にいない…

  • オヤジのあくび508

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む1 コロナ禍で学校が休校だった頃、朝ドラで古関裕而を主人公にした「エール」が放映されていて、作曲界の重鎮として山田耕筰がでているわけですが、演じていたのが生前の志村けんさんでした。確かに頭髪が寂しい感じは共通でしたが、最後に演じていた役柄として記憶に残っています。頭髪と言えば、山田耕筰の作にタケカンムリが付いているのは、ケを生やしたい願望だったというエピソードが伝わっています。 瀧廉太郎、宮城道雄と並んで、音楽室に肖像画が掛けられている山田耕筰ですが、小学校の教科書に出てくるのは「赤とんぼ」「この道」「待ちぼうけ」「ペィチカ」あたり。いずれもイントネーシ…

  • オヤジのあくび507

    梨木香歩「ほんとうのリーダーのみつけかた」を読む 話は同調圧力の実験から始まる。おかしいと感じていることに同調してしまうことは、教室内の子どもたちにもある。おかしいと感じるけれど、みんなが黙っているからボクも黙っていよう。筆者が言うように「みんな違って、みんないい」というお決まりのスローガンが登場するのは、そこだと思うのですが、触らぬ神に祟りなし的に同調圧力に押し流されてしまう。 続いて、ドッグトレーナーの話。問題のある犬は、まず飼い主を指導して、犬自身にはリハビリに努めるという。そして飼い主に必要な資質は「毅然として穏やかであること」という。そのまま人間の親子関係や学校での教師と子どもたちの…

  • オヤジのあくび506

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む3 ・映画監督今村昌平さんの「楢山節考」の音楽作りの中で「五線が見える」と指摘された経験を話している。農家でわら打ち仕事をしながら歌う歌。五線が見えるとは、西洋音楽らしさが透けて見えて、農民の作業歌になっていないと言う意味らしい。五線に音符を書くことは作曲かもしれないが、それだけでは音楽を作ったことにはならないのだろう。 ・否応なしに聞こえてしまうBGMについて書いている稿がある。池辺さんが仰るようにBGMは辺りの音を支配し覆い尽くしてしまう。現在スマホ音楽をイヤホンで聴いている多くの人々はBGMに対して自分の好みの音楽を聴いているのだと、ささやかな抵抗を示しているの…

  • オヤジのあくび505

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む2 ・楽譜に書いてある音に忠実であれ! と生前おっしゃっていた朝比奈隆さんのエピソードが出てくる。しかし、朝比奈氏の指揮から著者はベートーヴェンの交響曲で楽譜の指定がないritardandoを見つけてしまう。そして語る。楽譜が音楽なのではなく、現実に音になった時にだけ音楽は在るのだと。 ・江戸時代津山藩に宇田川榕菴という洋学者がいた。珈琲や沢山の科学用語など現在につながる訳語を作った人だ。この人が西洋音楽を研究していた話が出てくる。シーボルトと会って音楽の話をしたらしい。海外の情報を得ることが困難な時代に素晴らしい好奇心だと感じます。 ・ビートルズについて書いている箇…

  • オヤジのあくび504

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む1 エッセイというのは、何か書きたいけれど、持久力がない人に向いた表現した方法だと思います。「オヤジのあくび」だってその時その時でそれなりに自分の本心や立ち位置を書いているつもりなのだけれど、長編小説のように延々と物語を綴る訳ではない。池辺さんも小さなエッセイの一つ一つが、かなり音楽界の課題を突いてきている気がします。野球に例えれば毎打席がホームランみたいな感じでしょうか? 読んでいておもしろいのは、氏の同業者である作曲家について書いているところ。例えば・・・ ・バッハが音楽の父として祭り上げられてしまう以前に、その時代の人としては、牢屋に入れられたり決闘したりしてい…

  • オヤジのあくび503

    繋げる、伝える5 読書の喜び 実はボクもスマホゲームはやりますし、まだ仕事もそれなりに続けていますので、日々読書三昧という生活ではありません。 しかもボクの読書傾向は偏っていて、図書分類で言う900番台は、随筆くらいにしか手が伸びず、ほとんどは800番台以前の本なのです。つまり文学のメインである小説をあまり読んでいないのです。 読書でなにを満たしたいのか? それは人それぞれでしょう。今のボクは興味をもったものについて、もう少し知りたいという気持ちが強いです。 それがオヤジのあくびに登場する本のジャンルが、よく言えば多種多様、まぁ支離滅裂である理由なのです。でもこれから学び始めて何かの専門を極め…

  • オヤジのあくび502

    繋げる、伝える4 薩摩琵琶 琵琶の音色に初めてふれたのは、40代前半、地域に琵琶を弾かれる方がいらっしゃると聞いて、学校の音楽室にお招きした時が初めてでした。その音色はずっと気持ちの中に残っていたのですが、自分から教わりに行く余裕を作り出せないでいました。59歳で正規職員を退職し非常勤講師に転じた頃、勤めていた学校の近くに板倉穣水先生という琵琶の先生がいらっしゃることを知りました。 弟子入りをなんとか認めていただき、先生がご逝去されるまでの6年間琵琶を教えていただきました。 今、日本の琵琶愛好者の数は、三味線やお箏、尺八に比べて、とても少ないのが現状です。何とか多くの人に琵琶の音色に触れていた…

  • オヤジのあくび501

    繋げる、伝える3 男声合唱 流石に女声合唱の経験はないのですが、一度だけモンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」で男声アルト=カウンターテナーを歌ったことがあります。あとは混声や男声。音域はトップからバリトンまでで歌ってきました、ベースだけはおそらく一生できません。声が出ないのです。混声は指揮者側に回ってきたことが多いので、実際に歌い手として楽しでいるのはほとんどが男声合唱です。 男声合唱は、学生合唱団をルーツに発展してきたので、コロナ禍で学生合唱団が厳しい状況にあるのは、どうしたらいいのでしょうか? 現在はお江戸コラリアーずのセカンドテナー。ハーモニーのど真ん中にいる感覚を楽しませていただいてい…

  • オヤジのあくび500

    繋げる、伝える2 アカペラハーモニーの魅力 オーケストラや吹奏楽のハーモニーは、多くの人々を魅了します。でももっと身近にハーモニーを体験できるグループがあってもいいでしょう。それはつまりみんなで歌うことです。ところが多くの人は学校を卒業すると合唱から遠ざかってしまいます。先生から無理矢理歌わされていたのでしょうか? 仲間の付き合いに過ぎなかったのでしょうか? 仕事が忙しくてそれどころではないからでしょうか? 学校というのは教師であるボクが言うのも変ですが、矢張り少なからず権威的指示的な存在なので、合唱は音楽科のカリキュラムに位置付けられているから教え教わることになるのです。小中学生のうちは自分…

  • オヤジのあくび499

    繋げる、力まず伝える1 音楽の楽しさ いくら教員不足だからと言って、何もこんなおじさんに教わらなくてもねぇ・・。私自身もそのような思いが頭をかすめることがあるのですが、開き直れば歳をとってきたということは、それだけいろいろな音楽を見境なく聴いてきたわけです。 昭和歌謡やグループサウンズ、BEATLESから令和の音楽シーンを彩る楽曲まで。クラシック系だって、武満徹、三善晃、高田三郎、中田喜直、山本直純をリアルタイムで知っているわけです。 音楽の授業って、何を繋げて伝えればいいのか? 音楽室に貼ったのは「美しい音、楽しい音楽、探しに行こう!」という言葉。けれど何を美しく、何を楽しいと感じるか、それ…

  • オヤジのあくび498

    改めて自由とは? 自由とは、全ての個人において保障されているので、自分だけ、あるいは誰か一人の自由だけが主張されることは、即矛盾を産んでしまう。 自由を考えるということは、全ての人が自由であるためには今何ができるのか? 考えることと同義であります。 国どうしや政治であれば、ある特定の国の主張する自由、ある政治家が独占している自由とやらが他国の人々や自国の人々の自由を奪うことは許されない。その手段として戦争を起こすなどもってのほか。 安心安全健康の保障を前提に、皆が自分らしさを発揮できる社会の実現は、おそらくは永遠の目標なのだ。そして平等とか平和とか環境保護、さらにはSDGsも、未来における自由…

  • オヤジのあくび497

    とにかく人が死ぬのはダメ。 日本は素手で闘う武道がある。柔道、合気道、空手然り。剣道は竹刀も使うが、真剣がある時代から変化したのだ。相手を死に至らしめない、大怪我をさせない思想が低層を流れている気がします。 水戸黄門では「ジジイ、やっちまえ!」とかかってくる相手に、助さんと格さんが峰打ちで応じている。本気でやりあえば多くの死者や怪我人が出てしまう。これが戦国時代から学んだ知恵なのではないだろうか? 鎌倉時代には、世界最大の帝国「元」が攻めてきた。防戦一方だったかもしれないが、結果的に元軍は引き上げていった。これでよかったのではなかろうか? 日露戦争もさらに何年か続いていたらどうなっていたことか…

  • オヤジのあくび496

    ぼくが出会った合唱指揮者② 福永陽一郎=陽ちゃん先生 福永陽一郎は、人から先生と呼ばれることを露骨に嫌った。事情を知らずに「先生」と呼べば「ボクは先生していません!」の一喝を喰らってしまう。しかしながら、死後三十年以上経ち、未だにその演奏が語り継がれ、編曲が全国津々浦々で歌われている音楽家が何人いるだろうか? 大学を出て2年目。後輩のF氏から「武部さん、藤沢でカルメンやるんですけど来ませんか?」と誘われたことが、陽ちゃんとの出会いだった。藤沢市民オペラには、カルメン、蝶々夫人、ウィリアム・テル、アイーダ、椿姫、ファウスト、フィガロの結婚まで合唱参加させていただきました。また市民オペラとの出会い…

  • オヤジのあくび495

    ぼくが出会った合唱指揮者① 山根一夫先生 我が師、山根先生について書く。おそらくは日本の合唱指揮者としてパイオニア的な存在であり、合唱指揮で何とか生活していけることを身をもって証明していた方でもある。 しかし、現在山根先生について語られることが少ない。それは先生の性癖によるものかもしれないが、自称最後の弟子である私としては、やはり寂しい。 今からおよそ45年前、学生指揮者なった私は、指揮法のスキルを高めることが至上命題だった。県連講習会で「硬いね」などと言われてもどうしたらいいか? さっぱりわからなかった私は、先生がお好きなお刺身とお酒を持って、京急富岡にある先生のアパートを訪ねたのだ。 教え…

  • オヤジのあくび494

    さだまさし「やばい老人になろう」を読む まっさんの言う「やばい老人」の条件は三つ、知識が豊富、どんな痛みも共有してくれる、何かひとつスゴイものを持っている・・だそうだ。 やばい老人のトップバッターとして、身内のお祖母さんと父親のハードロッカー的な生き方が語られる。金銭感覚はともかくとして二人の人生は、とにかくスケールの大きい。 続けて「精霊流し」をつくるきっかけとなったのが、盲目の邪馬台国学者、宮崎康平さん。「長崎を舞台にした精霊流しの歌を作りなさい」と、さだに一言。なぜ、さだまさしがいわゆるフォークと呼ばれるジャンルに居続けているのか? 少しわかったような気がしました。そして「防人の詩」など…

  • オヤジのあくび493

    松井孝典/南伸坊「科学的って何だ!」を読む2 後半は教育談義になってくる。カースト制を受け入れながら暮らしているインド人にとって、ヨガや瞑想は格差を受け入れる手段であるなどと、すごいことを言っている。 教育のあり方ほど話題になりやすく、しかもそれぞれが自分の経験に照らし合わせて一家言持っているテーマはなかなかない。本書でも格好の餌食になっている感じだ。未だに教育現場にいて思うのは、マクロな国家単位の議論よりも個々に必要としているのは、どうやって目の前の子どもの成長をサポートし、さらには彼らに自由な未来を保障したらよいのか? という話なのだ。もう少し言えば、それは教え方や内容よりも、どうやって子…

  • オヤジのあくび492

    松井孝典/南伸坊「科学的って何だ!」を読む1 本の始めの方で、血液型と性格の話が出てくる。松井先生は「わかる、わからない」と「納得する、納得しない」の境目が、日本語だと「わかる、わからない」で言い表せてしまうので、曖昧になるとおっしゃる。 この本が世に出たおよそ20年前、世の中はスピリチュアルブームで、占い師や何とかカウンセラーがテレビでもっともらしいことを話してウケていた。「今の科学ではわからない」というフレーズが流行った。その現象を科学と対比させてみようというのご南伸坊さん側の試み。松井先生は言う。科学者は「わかる」と「わからない」の境目を考え続けているので「ここまではわかっていて、ここか…

  • オヤジのあくび491

    理系科目とボク 勘で「多分そうだろうな」と感じて、わかってしまう学習と、自分の言葉で説明できないと先に進みにくくなってしまう学習があるとすれば、中学校の数学にはその境目が今もある。偉そうににそんなことを書くのは正規職員退職後、バイト的に県内大手学習塾の講師をしたことがあって、中3の数学を教えて「何だ! 45年前と変わらない問題じゃん!」と思ったからです。自分なりの言葉で二次関数の変域とか変量を教えたのですが、何とか理解してくれてホッとした体験があります。 そうは言っても、ボクの躓きは中一のKT先生の「負の数×負の数がなぜ正の数なのか?」よくわからなかったことから始まっていて、因数分解の頃は、半…

  • オヤジのあくび490

    坂東三津五郎「踊りの愉しみ」を読む 踊りを観る前に、出→くどき→手踊り→段切れ という流れを知っていれば、もう少し今の踊りはどこの部分なのかな? という見方ができるでしょう。 琵琶歌だつて、前語り、本語り、吟変わり、崩れ、後語りの部分と地、中干、大干、切という唱法を予備知識として知っていれば、もっとわかりやすく聴けるかもしない。けれど、それらのことをなぜ知らないのか? 伝統芸能を学んでいる人が身近にいないからのような気がします。 大山の能舞台で「山帰り」を踊られたエピソードで、奉納で踊ることと、お客様に喜んでいただくために踊ることの違いを語っている。恥ずかしながら私も琵琶の奉納演奏の経験があり…

  • オヤジのあくび489

    宮尾慈良「世界の民族舞踊」を読む 私が小学生の頃「ワルツは三拍子」と教わった記憶があります。間違えてはいないのですが、ひっくり返して「三拍子はワルツ」ではありません。音楽の鑑賞曲には「メヌエット」が登場するのですが、三拍子にはメヌエットやマズルカ、ポロネーズなどいろいろある。個人的には日本の公立学校だったら、日本人が伝統的に感じてきたリズムを音楽の授業でもっと体験したらいいと思うのだけど・・・。 本書の表紙には「これだけは知っておきたい世界の民族舞踊」とあるが、紹介されている50の舞踊のうち、名前だけでも聞いたたことがあるのは、上にも書いたヨーロッパの3つの踊り、日本の伝統芸能がいくつか、それ…

  • オヤジのあくび488

    紙屋高雪「どこまでやるか、町内会」を読む 自治会は、ゴミ、防犯防災、イベント、調査など、実に多くの活動を行政の下請け的に担っている。しかも無報酬。 本書の前半は、自治会・町内会の活動が「本当に法律の裏付けがある義務なのか?」を検証しています。すると厳密には義務などほとんどない事が明らかになるのです。また現在継続している活動=例えば見守のような互助や防災訓練が実際の災害時にどう機能したのか? 町内会として役立った実例が少ないことを語ります。 また、なぜ町内会で関わろうとしないのか? 子どもの貧困対策=子ども食堂や無料塾について、町内会が及び腰である実態を書いています。 ここまでを読めば、なんだよ…

  • オヤジのあくび487

    白石仁章「戦争と諜報外交」を読む4 最終章は、杉原千畝。この素晴らしい外交官については、何千人ものユダヤ人を救ったエピソードを中心に据えて多くの書が出ている。 おえコラの練習は早稲田の東京コンサーツという会場を使うことがある。この辺りの建物を早稲田奉仕園と呼んでいて、若き日の苦学生杉原千畝はここで生活していたという。彼が外務省留学生試験に合格して学んだのはロシア語であった。 千畝がハルビン総領事館に勤務している時に、満州事変が起き、満州国外交部に転じる。ここで千畝は北満鉄道の買収という大仕事をやってのけた。ロシア革命を心よく思わない白系ロシア人が彼に協力した。そしてソ連側から申し出た価格の5分…

  • オヤジのあくび486

    白石仁章「戦争と諜報外交」を読む3 どういう場面に居合わせたか? 外交官としての運命や評価に大きく関わる。そして最終的な判断は、本国にいる外務大臣を始めとする政府の意向なのだ。ここに外交官としての葛藤があり、本意ではない行動を強いられることもあるだろう。三人目の来栖三郎もその一人であります。 本書には頻繁にインテリジェンスという言葉が現れる。これは知性ではなくて諜報の意味で使われているのです。諜報という言葉自体が何となく密かに策を巡らす的な意味に捉えられがちだけれど、これこそなくてはならない情報収集そのものということが本書を読むとよくわかる。 来栖はベルギー大使からドイツ大使へと転じており、悪…

  • オヤジのあくび485

    白石仁章「戦争と諜報外交」を読む2 続けて本書には杉村陽太郎が登場する。国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造はお札の肖像画にもなり有名だが、その後任者が杉村なのだ。サイレントパートナーと揶揄されながら、常任理事国になった日本。杉村は事務次長としてヨーロッパや南アメリカで起こっている紛争の調停にあたる。首尾よく汚名返上とはならない。関東軍による満州侵略が表面化し、日本政府はそれを押しとどめることができなかったのだ。やがてリットン調査団が派遣され、報告書が出される。おおむね日本は報告書に否定的な立場をとるが、杉村は日本に有利な点もあるとして、100%否定を避けようとしているのだ。ただし支持でもなく当…

  • オヤジのあくび484

    白石仁章「戦争と諜報外交」を読む1 日本が世界に伍して、大国としてのパフォーマンスを求められた場面として、本書では第一次世界大戦後のヴェルサイユ会議に「五大国」の一つとして列席した場面を挙げている。アメリカやイギリスがいくつものホテルを借り切って数百人規模のスタッフで対応しているのひ比して、日本はそこまでの準備や情報収集ができず、サイレントパートナーと揶揄されたのだ。日本にとって苦い大国デビューでありました。その結果できたのが、外務省革新綱領。情報部が新設されることになる。その部長であり、その後日米関係が日増しに険悪になっていく時期に駐米大使を務めていた外交官が、本書に登場する一人目の外交官斎…

  • オヤジのあくび483

    藪中三十二「世界に負けない日本」を読む2 外交のニュースは日々流れているけれど、どこを強調するか? によって受け止め方がだいぶ変わってくる。例えば尖閣諸島の近くを中国の船が航行したことは、よくニュースになるが、その向こうの海で行われている油田開発は今どうなっているのか? 筆者は2008年5月の胡錦濤主席との合意を基に話をしているが、現状油田開発の実態は中国側のみが把握しており、日本側は何もわからない。 北方領土も竹島にも感じるが、現状が実効支配だからと言って、占有した国の領有権を認めていたら、世界は強いもの勝ち、軍隊を動かしたもの勝ちになってしまう。時間をかけてでも主張し続けていかなければなら…

  • オヤジのあくび482

    藪中三十二「世界に負けない日本」を読む1 始めに英語力の話が登場する。「中学3年生の英語の教科書を丸暗記していればそれでいい」らしい。ではその後も続く高校でのいわゆる受験英語や大学での英語は何だったのだろう? ところで藪中さんは日本の大学を卒業していない。大阪大学の3年(3回)生で外交官試験に受かったので、中退しているのだ。だから藪中さんの最終学歴はアメリカ留学時のコーネル大学なのだ。この留学中の苦労が藪中さんの英語力の裏付けとなっているらしい。 筆者はグローバル社会で必要な資質として、第一にロジックを持つことを挙げる。具体例としては北朝鮮を巡る六カ国協議の冒頭で拉致問題についての発言例が出て…

  • オヤジのあくび481

    佐藤和孝「戦場でメシを食う」を読む3 無政府主義者=アナーキストとは所詮現在の体制を批判して新しい秩序を求めているだけなのかなぁと感じた。本書のアルバニアの章を読んでそう感じたのだ。独裁社会主義国のアルバニアは長い間鎖国していた。だから海の対岸にあるイタリアのpizzaやバナナの味をこの国の人たちは知らなかった。その後開国して民主主義資本主義の時代が来ると思いきや、何とねずみ講が原因で統治機構が崩壊し、無政府状態に陥ってしまったのだ。 続いてチェチェンへ。羊肉のシシカバブやキャビアの話が登場して、ロシア連邦との戦いが小休止を迎えていた時期の食事情を書いている。 そしてインドネシアのアチェ。私た…

  • オヤジのあくび480

    佐藤和孝「戦場でメシを食う」を読む2 話題はサラエボに移動する。以前緒方貞子さん関連の本を読んだ時に凄まじい内戦の様子が記されていたことを思い出した。サラエボは1984年冬季オリンピックの開催地だが、それから10年も経たないうちに内戦によって街が廃墟のようになってしまった。 ボクはチトー元帥の独自路線を思い浮かべていた。ソ連からは相手にされず、労働者による自主管理という独自の社会主義政策を推進したと言う。そしてチトーが生きていた頃はユーゴスラビアと言う多民族国家が地図上にあった。それぞれの民族に対して妥協や調停を重ねた危なっかしいバランスの上に国が成立していたのだろう。チトーというカリスマの死…

  • オヤジのあくび479

    佐藤和孝「戦場でメシを食う」を読む1 タイトルの付け方は「?」な感じを抱かせる。けれどどんな状況下でも、人は食べ物のことを考え続けている。むしろ極限まで追い込まれているからこそメシのことが最重要なのだろう。テレビにもよく登場した筆者だけど、テレビからは香りや食感は伝えにくい。だからこそ文字に書かれて本書ができたらしい。 まずは、冒頭のエピソード。1982年ソ連が侵攻していた当時のアフガニスタンに、筆者は反政府ゲリラ勢力の一員として入国し、バーミヤンまで行っている。雪中、富士山くらいの峠を越えひたすら歩くのだ。ダリ語という現地語や凍りついたナンを主食とする様子が語られているが、筆者は帰路やはり徒…

  • オヤジのあくび478

    鳥居徳敏「ガウディ」を読む このちくまプリマー新書はシリーズものになっていて「よみがえる天才6」としてガウディが取り上げられている。誰もが真似したくてもできない資質才能とそれが発揮された表現を以て、天才と呼ばれるのだろう。ガウディの平曲面やパラボラを多用したり、洞窟内の曲線の美しさを再創造したりする建築を見るにつけ、その他のあらゆる建築家と隔絶した存在であることがわかる。 本書の前半は、彼が育ったカタルーニャの風土、銅製品を作っていた父母の影響、大学では他科目に比べて、幾何学の成績が極めて優秀であったことなどが語られる。ガウディは「建築は講義から学ぶのではなく作品から学ぶもの」と言っている。そ…

  • オヤジのあくび477

    小松茂美「利休の死」を読む 利休は正親町天皇から64歳の時に贈られた名前で、19歳からそれまでは宗易を名乗っていた。便宜上本稿では利休で通します。ちなみに筆者は古筆学を職とされていた方なので、本書は利休の手紙など実際の文献をもとに語られている。 橋立と橋雲という利休愛用の壺を巡るいざこざを、手紙や記録を元に明らかにしていく。これを秀吉が所望し利休が一蹴したことが、後々秀吉から疎まれる原因となっていくのだが。すごいのは利休の茶室に招かれていた客人の名前! 大名オールスターズとでも言うべき人々が利休の茶に招かれているのである。 話は奥州の伊達政宗が、小田原参陣の際千利休に会おうとしたが、生憎利休は…

  • オヤジのあくび476

    ゴードン・S.ウッド「アメリカ独立革命」を読む3 「人は生まれながらにして平等」「ある人々と別の人々との違いは能力を向上させる機会の違いにのみ由来する」つまるところ教育と修養によって人の違いが生まれるという議論は、教育の機会均等をどう担保したらよいのか? という現在の課題にまで通じている。けれど貴族、王党の横行が大手を振って罷り通っていた18世紀後半、多くの人の心を、とりわけ新世界新天地であったアメリカ人の心を捉えたのは間違いないだろう。 さて独立を勝ち取り、王制その他の身分制度から解放された新しい国は、代わって権力を手にした州(各邦)議会の横暴に頭を悩ませる。現在に至るパターンだけど各階層集…

  • オヤジのあくび475

    ゴードン・S.ウッド「アメリカ独立革命」を読む2 ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカは、アメリカ諸邦連合と訳すべきなのかもしれないが、日本にいるとホワイトハウスの動きばかりが報道されるので、中央集権的に見えてしまう。EU的な主権国家の結びつきの方が建国当時の実態に近いようだ。さらにアパラチア山脈より西、ミシシッピー川より東の広大な土地は、北西部条例によって東部十三邦の植民地とはならず、新しい邦として対等な仲間とされることになったのだ。これが従来の植民地主義・帝国主義と大いに異なるところだろう。 そろそろ独立戦争について触れよう。当時世界最強の軍隊を保持していたのは、グレートブリテン帝国であ…

  • オヤジのあくび474

    ゴードン・S.ウッド「アメリカ独立革命」を読む1 小学校4年の音楽の教科書に、チェロキー族の「朝の歌」が突然登場する。ネイティブ・アメリカンの一部族で白人の侵略に抵抗していた人々だが、当時の北アメリカの状況について教科書には何も説明がない。植民地時代のアメリカを知るきっかけになりそうなのに。まぁ、詳しいことは大きくなってから・・という得意の論法なのだろうか。 アメリカは自由を標榜する国である。さて建国当初において、どのような抑圧からの解放=すなわち自由を植民地であったアメリカの人々が願っていたのか? 本国であるブリテン帝国国王の親政に端を発した政府の迷走、官吏の思惑、植民地政府の意向が絡まり、…

  • オヤジのあくび473

    宇都宮芳明「ヤスパース」を読む2 人間を超えた超越者を想定して実存について語る哲学者を有神論的実存主義と呼び、キルケゴールや今回のヤスパースはこちらに篩い分けられる。反対に超越者などいないという立ち位置を無神論的実存主義と呼び、ニーチェ、ハイデガー、サルトルと続く。 ヤスパースは、神はどこまでも自由な実存に対してのみ存在するとした。自由は神から人間に委ねられているのである。もちろんここで言う神は教会で教義の対象としている神的なものとは違う。ヤスパースは子どもの頃から各種の権威に敏感で悉く反抗してきた人なのだ。 もう一つキルケゴールやニーチェとの違いは、理性による自覚。理性と実存の緊張関係に言及…

  • オヤジのあくび472

    宇都宮芳明「ヤスパース」を読む1 ヤスパースは、始め法学を学ぶが、医学に転じて「精神病理学総論」を著す。その後ハイデルベルグ大学で心理学の講義を担当することになる。このハイデルベルグでマックス・ウェーバーに出会う。そして彼を哲学者として評価したのだ。今日私たちはマックス・ウェーバーを社会学の開拓者とすることが多いが、彼がヤスパースを哲学者として捉えたのは新鮮だった。しかしこれは当時の「御本家」哲学者から反発を受けてしまう。やがてヤスパース本人も心理学から哲学の教授に転身する。 時代は、ワイマール共和国からナチスの台頭、そして第二次世界大戦に突入していく。ヤスパースは大学を追われ、出版物も制限さ…

  • オヤジのあくび471

    森分大輔「ハンナ・アーレント」2 革命という名の元に人類はいったいどれだけの血を流してきたことか! 貧窮を解消するというスローガンの元に暴力自体が目的化してしまった事例を私たちは歴史で学んでいる。貧窮ではなく自由の獲得という意味で、アーレントはアメリカ革命を評価している。自由の獲得によって自分がありのままに生き、自己不信から解放された状態になることこそが幸せだと捉えているのだ。その背景には豊穣な大地を前提にして深刻な貧窮状況がアメリカには無かったからという。メイフラワー誓約に書き込まれた人々の約束が、この新しい国づくりへの踏み台となったのだ。 自由という概念を、解放に軸足を置いたリバティーとそ…

  • オヤジのあくび470

    森分大輔「ハンナ・アーレント」1 「私たちの思考の主題は何でしょうか。経験、これだけです。」そして現実と向き合うことなく抽象的観念の世界に立てこもってしまう態度を「世界疎外」と呼び、批判した。 まず本書は、アーレントが哲学者ハイデガーの不倫相手であった頃、実存主義哲学を学んでいた時代からスタートする。また彼女がユダヤ人女性として、彼女が語る社会現象・社会病理の常に当事者であったことを「ラーエル・ファルンハーゲン」の著作を基に、その立ち位置を確認する。 そして、いよいよ全体主義に対する考察へ。その中でモッブの行動について触れているが、フラッシュモブなど明るい好感の持てる群衆行動として評価されてい…

  • オヤジのあくび469

    下重暁子「天邪鬼のすすめ」 天邪鬼という言葉は、NHK名古屋放送局で野際陽子さんと同僚だった時代、野際さんと同じことを真似しようと思っても仕方がないと感じたところで、初めて登場する。 二回目は、東京放送局の頃、海外に行きたかった場面。三回目は「私は人が仕事をしている時に遊び、人が遊んでいる時は仕事をする天邪鬼である」四回目「猫が呼んでも決してまっすぐに来ないように、途中で遊んでみたくなる。天邪鬼なのだ。」ボクが思うに下重さんは全然天邪鬼ではない。自分の心の内側と相談して、それに素直なだけだと感じてしまう。むしろ昔、例えば戦前の価値観と照らし合わせた場合に、80年前なら天邪鬼と呼ばれたかもしれな…

  • ワンピースのオヤジキャラたち2

    「そんなに怖いか、新時代が」シャンクス自身も十分にオヤジなのだが、一体何を予感予想しているのだろうか? そろそろ引き際を考えておいたほうがよさそうな我が身を重ねて、次の展開が待ち遠しい。 ワンピースには、既得権益を持っているオヤジたちが、それなりの存在感を放っている。まずは世界政府の重鎮である五老星。いかにもタチが悪そうな天竜人。中にはドフラミンゴのような生き方を選ぶ場合もあるだろうが、基本的には地位をかさに威張り散らしているイメージだ。 続いて各国の王様・リーダーたち。アラバスタのコブラ。空島スカイピアのガン・フォール(王というより神)。リュウグウ王国のネプチューン。女ヶ島のボア・ハンコック…

  • オヤジのあくび468

    京浜急行から緩急の切り替えを学ぶ 今は通勤に京浜急行を使っている。東京へ男声合唱団の練習に行く時も京浜急行にできる限り乗っている。何が好きなのか? と問われれば、あの加速感と車窓のミスマッチなのだ。 後続車に追い付かれないように、逃げ切る急加速はなかなか他の鉄道では味わえない。また速度を上げた後、新幹線などでは車窓に田園風景が広がるのだけれど、京急は民家の軒下ギリギリを凄いスピードで走り抜ける。駅を通過する際も減速なんて眼中にないのだろう。黄色い線の内側に下がっていなければ、京急は本当に危ないのだ。 ほとんど暴走族紛いだが、この緩急の切り替えからボクは元気をもらっている。今日も行くぜ! 老体?…

  • ワンピースのオヤジキャラたち

    ルフィを中心とするストーリーの核をなすキャラは若者だが、その周辺に目を離せないオヤジキャラがいる。海軍の英雄でありながら出世を拒み、どこまで強いのかわからないガーブ中将。その息子でルフィの父親であるドラゴン。そもそも海軍幹部の子が革命軍の司令官であり、犯罪者として指名手配中である設定がおもしろい。 続いてルフィの師匠であるレイリー。ロジャー海賊団の副船長で、当時は下っ端だったシャンクスやバギーを鍛えていた。これまたどこまで強いのかわからない。またパートナーらしいシャッキーも凄い経歴の持ち主の気配がする。 そしてドラゴンとほとんど同世代と思われるのが、Dr.ベガパンク。ずっとベールに包まれてきた…

  • オヤジのあくび467

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む3 本書の副題は「近代と格闘した思想家」。あとがきでも触れているが、著者は丁寧にウェーバーの時代に生きていた思想家との接点や没後の解釈や読まれ方を分析している。思想履歴が長大であるが故に、その一部だけが引用されることはあるし、原語が英訳された時の意味の広がりやさらに和訳された時の理解について、事細かく解説している。ボクの勝手な理解だけど、ウェーバーを読む背景には、日本人の「ヨーロッパ近代」に対するコンプレックスが横たわっていたのではなかろうか? 大塚久雄、丸山眞男を始めとする読み手の手ほどきを受けることで、ヨーロッパ近代って何なのか? 理解が進んだのは間違…

  • オヤジのあくび466

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む2 ウェーバーは「魔法が解ける」という言葉をよく使った。今まで分からなかった現象を数式や一定の法則で解けるようになったことは、社会の近代化を大きく後押しし続けている。ところがウェーバーの思考は、宗教へと向かう。魔法が解けたあと、生きる意味を求めた人々は再魔術化を呼び込むのだ。 ここで本書では、ようやくウェーバーの音楽への関心にふれる。ボクが学生時代に「何じゃこりゃ?」的に落ちこぼれた部分であります。この西洋の機能和声を支えてきたのは、転調自在の平均律だけど、世界各地の音律は5度の重なりから、また4度の中の音の位置で決定して生まれているのだけど、問題なのはピ…

  • オヤジのあくび465

    野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む1 今マックス・ウェーバーと言えば、社会学という学問と印象が重なるけど、元々ハイデルベルグ大学で彼が学んでいたのは、法学なのです。そもそも社会学という学問が広く認知される以前でもあったのですが・・・。彼の文章表現に穴がなく、まるで公文書や法律の条文のような硬さを感じてしまうのは、私がこの手の文体が苦手だからなのでしょうか? さて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」筆者は、彼の出自について母方がユグノー=フランスに於けるカルヴァン派であったことを始めの方で紹介している。禁欲的なプロテスタントだからこそ資本主義社会で成功を遂げるという公式は、真面目で…

  • オヤジのあくび464

    宮本亜門「アライブALIVE」を読む 本書は、冒頭から衝撃的であります。自作のミュージカルを引っ提げたアメリカ公演の直前に世界貿易センターのテロ事件が起こったのです。 この本は自伝ですから幼少期からの足跡を辿る訳です。演劇に開眼する前の宮本少年の特徴は二つ。母親が元松竹歌劇団のダンサーで幼い時から沢山の芝居や踊りを見てきたこと。もう一つは友だちができないで、登校拒否=引きこもりを経験していることです。 人を変えるのは、結局は人との出会いなのですから、宮本少年も精神科のお医者さんとの出会いで学校に復帰して、恩師岡田先生との出会いから演劇の世界にのめり込んでいく。 読んでいて感じるのは、感情の振幅…

  • オヤジのあくび463

    姜尚中「在日」を読む 在日韓国朝鮮人に対する指紋押捺が問題視された1980年代の始め、私が受け持った学級にも通名で暮らす子どもがおり、卒業証書を本名で書くかどうかについて、家庭訪問していたことを思い出す。またその頃在日の人々が多く暮らす街で仕事をしていた親父が「三国人」という言葉を使うのを聞いて、その差別的な響きにとても嫌な気分でいたことも思い出す。日本政府が解決済みとしている事案について国際法的にはそうであっても、韓国内の怒りが収まらないのは、その時代の状況を理解しようとしているのか、学ぼうとしているのか、という姿勢が問われているのだ。その上で未来志向の日韓関係が生まれるのだ。きっと。 昭和…

  • オヤジのあくび462

    鴻上尚史「演劇入門」を読む3 演劇入門というタイトルなのに、全体の3/5辺りまで演技指導に関する話が出てこない。そして「演技においては、話すよりも身体を動かすよりも、心を動かす方が難しい」と言う。リアル、嘘、嘘くさい(何とかのふりをしている)の三つに演技を分類すると、それは演劇ではなくて「演劇に似た何か」になってしまうと。心が動いている演技は、先が予想できない。その上で「予想を裏切り期待に応える」ことが基本だと。 もう少し進むと「演技はあなたが一番隠したいと思っている恥ずかしい部分や見せたくない部分を見せること」と続きます。無防備な心のまま向き合う。それが演技の時の心の状態であると。だから俳優…

  • オヤジのあくび461

    鴻上尚史「演劇入門」を読む2 インタラクティブ。双方向性という意味の言葉が頻繁に文中に現れる。私は今小学校で音楽を教えているのですが、担当している学年は3〜6の4学年9クラスです。同じ教材でもクラスによって反応は微妙に違います。今日はあまりのってこないなぁと感じた時が勝負だと思っています。演劇やお笑いもそうでしょう。だから面白いのです。 ちなみに著者は演出家ですが、ダメ出しという言葉を嫌っています。英語ではnoteと言うそうです。いいことも悪いことも演出家が記録したことを言いますよ! なのですね。 演者や教師が息を吸うと観客や生徒も息を吸う。呼吸が生表現生鑑賞では共有できるのですね。演劇も音楽…

  • オヤジのあくび460

    鴻上尚史「演劇入門」を読む1 勤務校で、若い頃演劇クラブの指導をしていたことがあります。初任校では私が脚色したミュージカルを集会で発表するなど、まったくヤリヤリでした。子どもたちに声をかけていたのは、とにかく動くことです。首から上だけの演技なら朗読でいいじゃん! 的な思いでした。 演劇に限らずボクは「生」の表現が大好きで実際に長い間続けてきました。仕事の教員は「生の授業」合唱は「生のハーモニー」琵琶は「生の音色と語り」です。それはオンラインには代えられないリアルなのです。文中で鴻上さんは「つまらない演劇は、つまらない映画より何倍もつまらないインパクトがある。本当に面白い演劇を見たら、そのインパ…

  • オヤジのあくび459

    山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む2 北京東文学社で海雲は日本語教師となる。中国人に日本語を教えるだけでなく、自らも中国語や中国文化を学んだらしい。やがて北京で土倉五郎に会う。吉野杉を元手に日本の山林王と言われた資産家の息子だ。日華洋行という会社の経営に関わる海雲は軍馬の商いに手を染める。そして着目したのがモンゴルなのだ。 モンゴルと言えば、世界帝国の一翼を担って日本にも攻め寄せてきた元が連想されるが、やがて明によって元は滅ぼされてしまう。けれど元の中核をであった近衛兵の末裔は、強かに草原地帯で生き残り、次なる清王朝と結びつく。海雲が近づいた人々はそういう人たちであった。仏教徒とい…

  • オヤジのあくび458

    山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む1 万里の長城の居庸関を抜けて、モンゴル高原に向かった青年三島海雲。彼は遊牧民の乳製品からヒントを得てカルピスを生み出した。著者も時代は違うが、モンゴルでの草原生活を体験しているようだ。 本書は伝記であるから少年時代の教育歴が語られる。お寺の子でもある海雲は西本願寺文学寮で学僧としての日々を送る。のちに東京に移転して仏教大学になる。そこに反省会というサークルがあった。そこの機関誌が発展して、中央公論になるのですね。海雲は文学寮で恩師となる杉村楚人冠と逢う。朝日新聞の名物記者でもあった人だ。楚人冠のとの関係は生涯続く。 文学寮を出て、山口県にある開導…

  • オヤジのあくび457

    佐々木幹郎「東北を聴く」を読む2 89年前の昭和8年も、三陸海岸を津波が襲っている。その時初代高橋竹山は三陸に来ていて、九死に一生を得た話が出てくる。もし津波に飲まれていたら、私たちは高橋竹山の三味線にふれる機会を永久に失うところだった。川崎ヨシさんという方が海近くの旅館にいた竹山を含む盲目の芸人四人を高台まで押し上げたのだそうだ。時間は真夜中の三時、真っ暗闇の中の避難であった。本書ではヨシさんの妹さんやご遺族の方を訪ね、話を伺うと共に南部の牛方節(牛追い唄)他を演奏している。故人高橋竹山になり代わって所縁の人に披露する芸、本書の後半に出てくる松島桂島の海岸で漁師の方と共に唄う芸、これらに著者…

  • オヤジのあくび456

    佐々木幹郎「東北を聴く」を読む1 津軽三味線の二代目高橋竹山さんと東日本大震災の被災地を門付けして回る旅の様子が描かれる。津波で潰れた家の下から、老人が歌う「八戸小唄」が聴こえてきたという。阪神淡路大震災の時も辛い状況で「赤とんぼ」を歌っていたエピソードが報道されたけれど。ギリギリの状態で歌うとは・・歌には気持ちを落ち着かせる何かの力があるのだろうか? 「八戸小唄」はザザザンーで始まる多田武彦による男声合唱編曲が好きだった。さかえ男声でソロをやらせていただいたことがあって、メチャクチャ高い音に苦労した覚えがある。あの頃はスカスカなファルセットにならない裏声とかカウンターテナーでモンテヴェルディ…

  • オヤジのあくび455

    坂本龍一「音楽は自由にする」を読む2 本はYMOから戦場のメリークリスマス、ラストエンペラーへと続く。苦労話としてはラストエンペラーでのベルトリッチ監督との作業がおもしろい。そして自分か経験してこなかった音楽を求められた時に、坂本龍一は摩訶不思議な能力を発揮するようだ。 レコードを作る以上、坂本龍一といえども売れて、新しいファン層を広げるミッションを背負っているのだけど、ポップスとして作ったのにセールスは伸びず「エナジーフロー」のようにまるで予期しない曲が売れることに戸惑う気持ちが書かれている。降って湧いたように、気がついたら目の前にある感じ。その曲が好きなのかどうかは自分でもよくわからない。…

  • オヤジのあくび454

    坂本龍一「音楽は自由にする」を読む1 本当はひねくれているわけではないのに、文章を書くとひねくれた文になってしまう。坂本龍一氏の場合はどうなのだろう? 子どもの頃、ドビュッシーに感激する場面が描かれているが、率直に美しいものを感じ取る感性がなければ、きっと音楽家などにはならなかっただろうと思う。 学生の頃、銀巴里でシャンソンを伴奏する仕事をしていたことを書いている。ボク的にはポピュラー音楽は、一度味を知ってしまったら、離れないお菓子のようなものだから、坂本氏は頭から出ていかなくて困ったと書いている。どこかで聴いたことがある音の影響下から抜けられないのは、作曲家のジレンマだろうが、この頃から独自…

  • オヤジのあくび453

    ニャロメの「おもしろ生命科学教室」を読む この本は昭和60年が初版の角川文庫でありまして、今から37年前の本です。このシリーズは、数学教室と宇宙論を持っていて、その頃教えていた小学校高学年の「子どもたちに科学に興味を持ってもらえたらいいな」と言う思いが高じたのだろう。その後ドラえもんも学習シリーズを始めて、そちらのシリーズは大手学習塾も監修していたせいか、よく読まれて今に至っている。けれど読者を小学生と限定しないで、興味の赴くままに科学の世界を紹介している点では、赤塚不二夫のこのシリーズに軍配が上がると思う。 私が生命科学と聞いて思い出すのは、高校時代の生物の井上先生。先生は教科書に頼らない授…

  • オヤジのあくび452

    失われた30年ではなくて脱成長の30年なのかも? バブル崩壊後、小さな波はいくつか訪れたが、日本が再び目覚ましい経済成長に転じることはなかった。たしかに昭和元禄といわれた高度経済成長期の好景気は見る影もない。 お叱りを受けそうではあるけれど、この失われた30年こそは、存外未来を先取りした時期ではなかったのだろうか? これでよかったのだとまでは言い切れないが、少なくとも仕方がなかったのだ。郊外にマイホームを建て、住宅ローン返済にあくせく働く必然性が、今の若者にはない。場所を選ばなければ家は余っているからである。地下資源がない国で、おまけに食糧自給率も低い国なので、海外と競争しながら貿易で稼がなけ…

  • オヤジのあくび451

    小林秀雄 考えるヒントより「平家物語」を読む。 「琵琶を弾いています」と言うと、小泉八雲の耳なし芳一や平家物語を連想される方が多い。平曲を奏でる盲目琵琶法師の伝統が途絶えてしまった現代でも、琵琶曲の中に平家物語に題材を求めた曲は多い。 小林秀雄は瀬戸内海に浮かぶ大三島大山祇神社の甲冑を見て、一騎討ちに必要な機能を備え、それが故の鎧の複雑な構造に感嘆する。そして平家物語も複雑な物語であると言う。元来が琵琶法師、検校から座頭に至るまで、口承で語り奏でてこられた物語を今は先ず文字で接するのだから、その落差は大きい。けれど文字にならなかったことにより、心理描写の迷路へと向かわず、朗々とした我が国の口承…

  • オヤジのあくび450

    米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論3 いろいろな声の出し方のうち、始めに教え始めていいのは、地声(表声)と裏声の違いだと思います。ここで言う裏声とは抜いたファルセットではなく頭声的な響きを伴った声のことで、有名な弓場メソッドでは「アーホー」と切り替えを練習するステップが出てきます。ある程度この違いがわかれば、楽になる歌える高音域が広がり響きが出てきていろいろな曲を楽しめるようになります。男子の場合、変声期を迎えると地声のコントロールが難しいので、無理は禁物ですが地声以外の声の出し方を知っていることが有効な場合があります。 ここで強調したいのは、元々の地声を否定しない…

  • オヤジのあくび449

    米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論2 小学生期の音楽、主に歌の話をします。ここ30年間くらい低学年に最も人気のある曲は、となりのトトロの「さんぽ」でしょう。たしかに子どもたちに好かれる要素が揃っている曲です。けれど音域を見てみましょう。低いドからオクターブを超えて高いミまで、低学年にその音域を歌うのは困難でして、当然音程は不正確になります。「子どもたちが楽しく歌っているならそれでいいじゃないのさ」という考えもあるでしょう。けれどそれは発声教育ではないと思うのです。 低学年は自分の声で音楽を楽しむ第一歩だからこそ、無理のない音域で美しい日本語が発声できることを体験させ…

  • オヤジのあくび448

    米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論1 日本語について一貫した発声教育がなされていない。例えば小学校に限ってみても、多くの子どもたちが、国語の授業の音読と音楽の合唱、運動会での応援団は明らかに声を切り替えている。それはTPOに応じた発声の応用と言えるかもしれないが、ベースとなる呼吸や声帯の使い方については、何も教えてもらえない。だいたいが教えている先生からして、発声について教わっていないし、当然メンテナンスもできていない。だから掠れた声やしゃがれ声の先生が多いのだ。 これは政治家の諸先生も同様。 姿勢や呼吸が基本のキであることは言うまでもないが、力んで詰めた発声に気づ…

  • オヤジのあくび447

    福元一義「手塚先生、締め切り過ぎてます! 」を読む 手塚治虫さんの一生で最も大きな事件は、やはり虫プロの倒産でしょう。でも絶壁から谷底に突き落とされたような境遇で、不死鳥のように「ブラックジャック」や「三つ目がとおる」が始まるのが、一漫画ファンとして不思議だったのですが、倒産直前に少年チャンピオンから続いて少年マガジンから連載の依頼があり、そこに筆者も立ち会っていたそうです。依頼の順番が変わっていれば「ブラックジャック」がマガジンに連載されていたかもしれないのです。漫画で血を描くことは斬り合いのシーンなど多いのでしょうが、ブラックジャックでは手術シーンでした。そして血はマジックで色を付けたと本…

  • オヤジのあくび446

    コロナ・ブックス編集部「諸星大二郎の世界」を読む 本書は学者や評論家によりそれぞれの視点から、諸星大二郎の世界を語った文と諸星自身の漫画から構成されている。 水木しげるの妖怪世界でも、つげ義春「ねじ式」のシュールな夢幻の世界でも楳図かずおワールドでもない画風。人類が辿ってきた神話や伝説を下敷きにして、摩訶不思議な世界を構築している諸星大二郎。きっと手塚治虫も宮崎駿も庵野秀明も、大いに刺激を受けたに違いない。高橋留美子に至っては、うる星やつらの主人公の名前にしてしまった。 諸星作品をクトゥルー神話の影響から語ろうとする評論家がいるようだ。説明が付かない=得体の知れない代物に対して、必死で解説する…

  • オヤジのあくび445

    柳原良平「柳原良平のわが人生」を読む2 前回は肝心の本の中身にふれていませんでした。幼少期や寿屋=サントリーで開高健や山口瞳とタッグを組んで大活躍した時代は飛ばして、著者が横浜に移り住んだ昭和39年から。 前回、著者の家の前を通勤していた話をしたけれど、山手の中腹に位置しているお宅から港は見えない。正確に言えば購入当時は見えていたのである。その後レイトンハウス以外目立った高層ビルがなかった山下町に次々と高層ビルが立ち並び、湊を見下ろす視界はますます閉ざされてしまった。 マリンタワーにあった横浜海洋科学博物館が存続の危機に陥った時、著者は「横浜市民と港を結びつける会」を結成して、運動を展開した。…

  • オヤジのあくび444

    柳原良平「柳原良平のわが人生」を読む1 横浜に長いこと住んでいるので、大桟橋に停泊中の客船はずいぶん眺めてきました。知人のヨットや釣り船で湾内を巡ったこともあります。夜のノースドックの灯りが綺麗だったことを覚えています。 私の親父も若い頃海に憧れていたようで造船会社で働いていましたし、弟は船舶海洋工学科の出身です。さらに前の曽祖父は、長岡市寺泊から船で交易を試みていたらしい。妻の叔父さんは、船長さんで折に触れて航海の話を聞かせてくれました。それぞれに海洋へのロマンを感じます。 著者は曽祖父に西村捨三がいる。大阪築港の任に当たった方であります。 読んでいるうちに港の近くの学校に勤めていた頃のこと…

  • オヤジのあくび443

    横山泰行「のび太という生き方」を読む ドラえもんがポケットから出してくる「ひみつの道具」、一時はのび太の悩みが解決したように見えますが、結局はうまくいきません。そりゃ、そんな便利なアイテムに頼ってばかりじゃいけないよね。人生そんなに甘くないでしょ。ボクは今までそんな読み方をしてきました。 けれど、著者によると大切な場面はその後なのですね。結局は自力で自分で始めないと解決できないことに気がついたのび太の姿が、著者によればドラえもんの真のテーマなわけです。今さらそんなこと言われなくてもわかっとるわい! って感じありですね。 要するにこの本は、のび太の名前を借りた生き方啓発本の匂いがするのです。余計…

  • オヤジのあくび442

    工藤美代子「サザエさんと長谷川町子」を読む3 漫画のアイディアを練るとき、町子はスルメとか昆布を口にしており、胃痙攣を起こすことがあったという。ストレス過剰なのだ。だからおとなしい外面とは真反対で同居する家族にあたることもあったらしい。 力道山が亡くなった日に、町子は家出して厚生年金会館にいた。ヒーロー急死のニュースを見て「人生は短い」と感じたらしい。その後昭和42年町子は胃がんの手術を受ける。本人には胃がんであることは最後まで知らされなかった。知らされなかったことで町子の活躍時期を長引かせた気がする。 国民的な漫画「サザエさん」の著作権侵害の訴訟は、私もよく覚えています。バス会社がサザエさん…

  • オヤジのあくび441

    工藤美代子「サザエさんと長谷川町子」を読む2 この本には町子の母親と姉妹が絶えず登場する。凄いのは母親の行動力で、思い立ったら即行動! とてもエネルギッシュな人として描かれている。また当時一家は若草物語のようだと言われたらしい。女性四人の家族が力を合わせて生き抜いていく様子が喩えられたのだろう。 ところで女性漫画家という存在は、日本は元より海外でもほとんどいなかったらしい。若くて独り身の町子に下世話な興味から「結婚はしないのか?」という質問がずいぶん浴びせられたらしい。今ならモロにセクハラだけど、女性漫画家として唯一の存在であった町子をどう評価していいものかわからなかったのだろう。 今で言えば…

  • オヤジのあくび440

    工藤美代子「サザエさんと長谷川町子」を読む1 サザエさんの連載当時、頑固な親父のこだわりで我が家は一貫して朝日新聞をとっていた。おふくろはスクラップが好きで、サザエさんはスクラップブックで何度も読み返すことができた。漫画では番外編的に作者が登場して、海外旅行のエピソードなどを紹介していた。 山脇女学校を卒業して「のらくろ」の連載で超有名な田河水泡に弟子入り、才能を見出されその後は順風満帆・・に見えるが、家庭内の事情など、そううまく運んだわけではないのは、ドラマ「マー姉ちゃん」でも描かれていた通り。 ちなみに師匠田河水泡の本名は高見澤。「たがわすいほう」と誰もが読んでいるが、元々は「たかみずあわ…

  • オヤジのあくび439

    中坊公平「金ではなく鉄として」 肩書きは必要な時があるかもしれないけれど、大して当てになるものでもない。中坊さんの肩書きは、京大卒の弁護士でして、この肩書きに恐れを成していては中坊さんの人柄にせまることはできない。ボクくらいのオヤジになると聞いてもいないのに自分の学歴を自己紹介がてら話す人がいるが、その肩書きを隠れ蓑にしようということなのか? あまり好感が湧かない。 運動も勉強も出来が悪い子どもが、農作業を手伝ううちに身体が丈夫になり、抜け道的な理数系科目を受けなくていい方法で京大に入る。三回目の司法試験に受かると、今度は放蕩三昧の日々と来る。 ところでボクには弁護士をしている叔父さんがいるの…

  • オヤジのあくび438

    柄谷行人「倫理21」を読む3 話は責任論に移り、ナチス、日本の戦争責任がどのように問われたのかを辿っていきます。天皇の戦争責任〜非転向の共産党員へと。その中で棄権にも政治的な責任があり、吉本隆明の「無知にも責任がある」が、刺激的です。 戦争責任は国際法の観点からのみ生じる。これが筆者の立ち位置です。戦時中の日本軍による虐殺、米軍の原爆投下etc 責任が公共的合意とやらで曖昧になってしまうことに厳しい目を向けています。 あとがきのフロイトの言葉「知性が欲動生活に比べて無力だ」ということをいかに強調しようと・・知性の弱さは一種独特なものなのだ。知性の声は聞き入れられるまではつぶやきを止めない。しか…

  • オヤジのあくび437

    柄谷行人「倫理21」を読む2 括弧に入れておく話が出てくる。それは認識の脇に置いておいて的な意味と捉えておこう。以下引用→(われわれは自由を括弧に入れたときに自由を見出し、自然必然性を括弧に入れたときに自由を見出す。人が何かをやってしまったら、それがどんなに不可避なものであろうと倫理的に責任があるのは「自由であれ」という当為があるためです。彼に事実上自由がなかったにもかかわらず、自由であったかのように見なさなければならない・・行為者がかかる行為の結果の系列をまったく新たに、みずから始めるかのように見なしてよい)裁判で懸命に弁護に努めている方々には、厳しいかもしれないが、あくまでもこれはカントの…

  • オヤジのあくび436

    柄谷行人「倫理21」を読む1 責任とは何か、倫理とは何か、そこが本書の出発点です。 はじめに、本書における言葉の定義づけについて。人は結局は群れる動物なのだから共同体的な規範をどこかで必要としているはずと考える北野武の立ち位置とは別に、幸せであることが倫理として大切と捉える功利主義的な立ち位置があることを紹介した上で、カントが「自由であれ」という命令に従うことを自由と考えていたことを紹介しています。 本居宣長は、元々日本に道徳などないし、その必要もないと言ったそうです。その代わり世間様という得体の知れない規制が人々を拘束している。 責任を問うことと原因を認識することは別物であると筆者は強調する…

  • オヤジのあくび435

    北野武「新しい道徳」を読む2 話題は、インターネットによる世界支配、清く貧しく美しくに戻れない人々、和を持って尊しとなす、モーゼの十戒へとジャンプを繰り返していく。そして、過酷な氷河期の環境を集団として生き残るために道徳の卵のようなものが生まれたという考えは理解できる。けれど飽食の現代社会でそれは当てはまらない。今後の気候変動で似たような状況になるかもしれないけれど。宗教・国際関係など、その時代の状況によって道徳は変化してきた。そりゃそうだ、元々道徳は生き抜くための知恵なのだから。戦時中鬼畜米英などと罵っていた国との戦後の関係を振り返れば、すぐにわかる。 本書は、結局押しつけられた道徳より自分…

  • オヤジのあくび434

    北野武「新しい道徳」を読む1 最初にツッコミを入れるのは、道徳の教科書。小学校1年生に「自分を見つめさせて」どうするの? と。そりゃそうだよなぁ。昔は「何言ってんだか」という白けた目で授業を受けていた子どもがクラスに3〜4人はいて、そんな子の視線をそれなりに気にしながら授業していたんだけど、今は一見従順で素直そうに見える子の方がよっぽどわからない。耐えながらつまらない気持ちやおかしいと感じるセンサーを塞いでいるようにさえ感じるわけです。 続いて道徳教材に動物が登場する例を踏まえて、動物世界に道徳はない、人間だからこそ道徳が必要なのだ。その意味を先生方は教えられるのか? と問う。 「行列に並んで…

  • オヤジのあくび433

    斎藤文彦「忘れじの外国人レスラー伝」を読む2 私は大学を出てから学校の先生になり、まだ学校現場にしぶとく居座り続けているわけだが、一昔前までは、休み時間の教室はそこいらじゅうでプロレスごっこをしていた。ところが最近はあまり見かけない。なぜだろう? やめなさいと言われても言うことを聞かないのが、子どもの特権? なのに変に従順だ。その分抑圧された心に闇が広がっている気がする。 プロレスごっこは、あくまでも遊びであるので、相手に怪我をさせないことが暗黙の了解だった。エビ固めや足4の字固めなどが定番だったろうか? ド派手な投げ技や打撃技は危ないのでやらない。ただの悪ふざけだが、こんな体験を通して、どこ…

  • オヤジのあくび432

    斎藤文彦「忘れじの外国人レスラー伝」を読む1 まだ若い頃プロレス好きの同僚と一緒に新日本プロレスを何度か観に行った。場外乱闘になってビックバンベイダーが近寄ってきた時は、正直怖くて、友人を押し倒して逃げてしまった。ごめんなさい。 有名なプロレスラーには、日本のファンが名付けた愛称がある。本書に登場するレスラーなら「神様」「白覆面の魔王」「大巨人」「人間風車」「爆弾小僧」プロレスファンなら誰のことか、すぐ思いつくだろう。彼らは日本のプロレスファンを愛し、何度も何度も日本に足を運んだ。ビル・ロビンソンのように高円寺に長期滞在して、ジムのコーチを続けるという人もいたりして。 リング上のファイトがギミ…

  • オヤジのあくび431

    堀内隆行「ネルソン・マンデラ」を読む2 本書には、もう一人の主人公がいる。マンデラの妻ウィニーその人であります。結婚した相手がネルソン・マンデラであったことは、彼女の人生を大きく変えてしまいます。そもそも結婚後、マンデラは地下活動に入り公の場に現れず、しかもその後は終身刑で刑務所へ。何という運命でしょう! しかし、彼女はまるでエネルギー逆噴射の如く、反アパルトヘイトの運動に参加していくのです。元々は政治に対して、関心がなかった彼女は、やがてドムパス(=指紋を押した身分証明書)の抗議行動で初めて逮捕され、その二十年後「黒人親の会」を組織する。彼女は黒人居住区へ流刑となるが、そこに託児所や診療所を…

  • オヤジのあくび430

    堀内隆行「ネルソン・マンデラ」を読む1 本書のキーワードは和解。 マンデラは、ガンディーの影響を受けた非暴力主義というイメージで捉えられている時があるけれど、本書ではマンデラの非暴力主義はあくまでも戦術の一環に過ぎなかったとしている。クリスチャンとしての信仰も共産主義に接近した立ち位置と矛盾しており、さまざまな葛藤を抱えていた人物であることを解き明かしている。だからこそ実際にMK(民族の槍)で武装闘争を開始するはるか前からM計画というプランが存在したのだ。(Mはマンデラの頭文字)爆弾を用いるテロは、死刑にあたる。法廷での演説によって終身刑に減刑されたが、その後彼はロベン島での長い服役の時代に入…

ブログリーダー」を活用して、ほいほいさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ほいほいさん
ブログタイトル
ほいほいの気ままに音楽エッセイ
フォロー
ほいほいの気ままに音楽エッセイ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用