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  • オヤジのあくび644

    佐藤智恵「ハーバードでいちばん人気の国・日本」を斜め読みする。 ボクは本書で金剛組という世界最古の会社を知った。578年に聖徳太子が招聘した宮大工が創業したと言う。何と1446年も続いている! 株価の激しい値動きを眺めていると、その時代時代でニーズや成功のあり方は変化するものと思いがちだが、どっこい飛鳥の世から続いている企業があったのだ。 日本を代表する経営者の名前が、ハーバードで議論の対象になっていることが紹介されているが、会社経営とは少し離れた印象があるアベノミクスの話が登場する。全く予想外の死を迎えた安倍晋三さんの経済政策が歴史に名を刻むことになるのかもしれない。 東日本大震災から13年…

  • オヤジのあくび643

    岡村道雄「縄文の列島文化」を読む 今も昔も日本独自の文化がある。何と三万年も前に日本独自の石器が使われていた。刃部を研磨した石器でナイフのように動物を狩る際に用いたらしい。 ところで私たちが資料で学んだ竪穴式住居のイメージは屋根が茅でふかれている。しかし、それは先入観であって本書を読むと縄文時代の住居の屋根は土でふかれていたらしい。それなら火災にも強いだろう。研究者は知っていても一般の人は誤解したままのことは他にもありそうだ。 遺跡というと、まずは建物群や土器に注目するが、本書はまず松島湾宮戸島の調査を元に、季節ごとにどのような食べ物をどのようにして食べていたのかを、詳しく解説している。今のよ…

  • オヤジのあくび642

    村井康彦「出雲と大和ー古代国家と原像をたずねて」を読む2 本書に吉備国の桃太郎伝説が登場する。桃太郎は大和朝廷から派遣された吉備津彦命のことであり、鬼は吉備国で鉄生産に従事していた百済の人々だというのだ。何とかして吉備国の経済力を弱めたい朝廷側は実力行使に出たのかもしれない。この本には他にも丹波・尾張など大和朝廷にとって目の上のたんこぶ的な豪族を如何にして支配下に収めていったのか、書かれている。 さて出雲国。出雲大社の他に熊野大社という大きなお宮があります。筆者はそれを伊勢神宮の下宮と内宮の関係に例えています。しかるべき内宮造営の前段階として、下宮の役割を果たす熊野大社が必要だったと。出雲大社…

  • オヤジのあくび641

    村井康彦「出雲と大和ー古代国家と原像をたずねて」を読む1 奈良盆地に三輪山という山があり、麓に大神神社がある。御神体が山そのものという古代の自然崇拝を受け継いでいる。ところが祀られている神様は大国主命なのです。なぜ出雲大社の神様が奈良盆地の真ん中に祀られているのか? どうやら日本の統一過程で、初めてまとまった国造りに成功したのは、大国主命らしいのです。大国主命とは、あの因幡の白兎に登場する意地悪なお兄さんたちと好対照のやさしい神様です。本書は、その後どのようにヤマト王権へ移譲されていくか? を推論している。 著者は出雲国の名残を磐座と四方突出墓を頼りに訪ねていく。(四方突出墓とは四隅がヒトデの…

  • オヤジのあくび640

    関裕二「縄文の新常識を知れば日本の謎が解ける」を読む 一般に社会で学ぶ対象を「人・もの・こと」と言うけれど、その中でも歴史は、文書・記録を元にした過去を学ぶことだから、縄文を始め文字を持たなかった文化は、その様子を手繰り寄せることが難しい。 しかし「日本人はいつ頃どこからやって来たのか」という問いについては、ヒトゲノムの解析がヒントを与えてくれている。答えになってないが「北、西、南・・いろいろなところからやって来て、長い期間を経て混じり合った」ということになるだろうか? 元々の文化に積み重なるように新しく移入された文化が取り入れられていく過程は、文字言語の輸入過程に似ている。元々土着の発音=や…

  • オヤジのあくび639

    椎名誠「漂流者は何を食べていたか」を読む この本のネタは、生きて戻った人による漂流記。残念だが帰還を果たせなかった漂流者のことはわからない。それを生きて戻れたのは知恵や技術があったからだと、またはクルーのチームワークがよかったからだと決めつけてはいけないと思う。理由の大半は、やはり幸運だったのだと思う。遭難の理由が不運であるとほぼ同じ割合で。 椎名誠の特徴は、実体験に基づいた文章がデフォルメを軽薄体などと揶揄されながらも、体験と文章のギャップが大きく、その面白さが共感を呼んできたことでしょう。この本においても、漂流記の抜書き的な部分より実体験を踏まえて書いている(本書で言うとアリューシャン列島…

  • オヤジのあくび638

    高野秀行「間違う力」を読む2 「ラクをするためには努力を惜しまない」で、早大探検部の幹事長になった話が出てくる。(早稲田ではサークルの部長やリーダーのことを幹事長とと呼ぶらしい。ただの幹事だっていいのに)。リーダーを経験することは、メリットがあると思われるが、著者は自分勝手ができることを挙げている。集団行動の目的地や日程・ベースなどを自分に合わせて組めるというのだ。 ふとボクがグリークラブの学生指揮者だった時のことを思い出した。同期のメンバーに比べて少しばかり鍵盤ハーモニカが弾けるというのが、就任理由だった。なった当初は部員がバート練習に勤しんでいる間、ひまを持て余していた。みんなが集まって、…

  • オヤジのあくび637

    高野秀行「間違う力」を読む1 ジョン万次郎と著者が違うのは、万次郎は漂流の末、アメリカの船に救助され、そこから運命を切り拓いていくのですが、著者は初めから人が訪れないような地域に自ら進んで出向いているのです。当然危険なわけですが、行ってみなければ実際のところどうなっているのかわからないわけで、著者の勇気にはある意味感心します。 もう一つ、気持ちが拡散し取り止めもなくなってしまう人にありがちなのでしょうか、自分自身の行動原理をお約束ごととして十ヶ条にまとめています。本書もその構成になっているのですが、それはマニュアル本のように読者を説得するというよりは、自分を納得させようとしているように感じます…

  • オヤジのあくび636

    永国淳哉編「ジョン万次郎」を読む2 万次郎が捕鯨船で世界中の海を巡っていた頃、アメリカ西海岸ではゴールドラッシュのブームに湧き立っていた。そして一攫千金を目論む男どもの中に何と万次郎も身を投じていたのである。そしてここで稼いだ金が日本に戻るための渡航資金となるのだ。万次郎はホノルルに渡り現地にいた仲間二人と合流すると「アドベンチャー」号で沖縄に向かう。(アドベンチャー号は小舟だから途中までは上海行きの大きな船の甲板に乗せてもらっていた)沖縄→薩摩→長崎というルートを経て、万次郎はようやく故郷土佐へと戻った。そこから先が目まぐるしい。土佐藩から武士の身分に取り立てられるかと思えば、次には幕府から…

  • オヤジのあくび635

    永国淳哉編「ジョン万次郎」を読む1 ジョン万次郎が日本に戻った幕末、彼のアメリカ体験談が、坂本龍馬を含む土佐の志士たちやその後の自由民権運動に影響を与えたという説がある。偶然にも漂流民の万次郎が到着したのがニューイングランドのフェアヘブンであり、現在に至るまで自由を標榜し続けているアメリカという国のもっともルーツである土地(メイフラワー号が到着したすぐ近く)であったことは、とてもラッキーであった。NHKの朝ドラ「らんまん」の中で牧野冨太郎がジョン万次郎と出会う場面が描かれていたが、明治という時代の幕開けの中で土佐がどんな熱気に満ちた地域であったかを伝えたいたと思う。 さて漂流の末。救助された四…

  • オヤジのあくび634

    パトリック・ハンフリーズ著、野間けい子訳「ボール・サイモン」を読む2 サイモン&ガーファンクルが有名になったのは「サウンドオブサイレンス」から。それまでポール・サイモンはどこで何をしていたのか?その疑問に本書は答えてくれる。イギリスでフォーククラブを巡っていたのでした。ボクが大好きな「早く家に帰りたい」を書いたのもこの頃の話。この時期の成果は「ポール・サイモン ソングブック」としてレコード化されている。 ファンは憧れる歌手や作曲家を偶像化する。けれどそれは人間性までも尊敬に値するかどうかは別物なのだ。ベートーヴェンやモーツァルトがそうだったように、若かりしポール・サイモンのエピソードにもかなり…

  • オヤジのあくび633

    パトリック・ハンフリーズ著、野間けい子訳「ボール・サイモン」を読む1 トム・グラフとジェリー・ランディス。コンビ名は二人合わせて「トムとジェリー」。ネコとネズミが駆け回るアニメーションではない。16歳のサイモンとガーファンクルが「Hey School girl」という曲を出した時のコンビ名なのだ。ちなみにビルボード最高位54位、売り上げは10万枚だったという。やがてコンビは学校に戻って行き、曲も忘れ去られていく。何よりもサイモン自身が当時の状況をほとんど語っていない。 サイモンのアルバムを聴いて、課題レポートのようだと評している人がいたけれど、サイモンのアルバムにはその都度彼が関心を抱いた音楽…

  • オヤジのあくび632

    萩本欽一「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。」を読む2 後期が始まって大学に戻った欽ちゃんは、要領よく立ち回っている学生に、平均点はズルい感じがすると言う。人生は怒られるか褒められるか、将来社会に出てから役立つ武器は、そのどちらかの体験からこそ得られる流ものなのだから・・と。0点を取るにはズルをしない素直さと開き直る度胸が必要だとも言う。 関根勤や小堺一機、見栄晴を例に、短所が長所に変わったときこそ、人が最も力を発揮するとも言っている。 ある日大学キャンパスで就職がきまらなくて浮かない顔をしている4年生と話す。どんな仕事でも自分が面白くしてしまえば、いずれはそれを好きになれる。そう考えるだけで…

  • オヤジのあくび631

    萩本欽一「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。」を読む1 ボケないために大学進学を決めた欽ちゃん。老人と言われるより、年寄りでいたいと言う。年が寄って来るなら避けようもあると言うことらしい。元々幕府幹部に若年寄がいたように行政の重役の意味もあるしね。 さて授業。欽ちゃんはコメディアンだから笑いが取れると確信して失敗を演技する。だから自分が失敗しているのかどうかがよくわからない状態がとても不安だと言う。それが授業中の英語の指名読みだったのですね。失敗したくないから予習する。時には復習する。学校教育では「教室は失敗する所だ!」などと体裁のいいことを掲げながら、実は個々人の失敗回避の本能を利用して来た…

  • オヤジのあくび630

    ちばてつやが語る「ちばてつや」を読む2 この本は年代別にちばさんが作品にまつわる思い出を振り返っていく形で構成されている。私にとって初期の貸本漫画時代や週刊誌に漫画を連載し始めた当時の漫画は、タイトルでしか知らない作品も多く、とても興味をもって読み進めることができた。 ところで不思議な話だが、来るべき大作を準備していたかのような作品がある。ベートーヴェンが第九交響曲を完成させる前に「合唱幻想曲」を書いているような例は、ちばさんにもある。「あしたのジョー」の前に「魚屋のチャンピオン」というボクシング漫画があるのだ。さらに「ハリスの旋風」に出てくる拳闘部。すでにイメージができていたのだろう。原作者…

  • オヤジのあくび629

    ちばてつやが語る「ちばてつや」を読む1 ちばさんは高校3年生で貸本漫画家としてデビューしている。いろいろなアルバイトを始めてみたもののどれも上手くいかない。そんなちばさんが訪ねたのが、貸本漫画の日昭館書店。社長さんの名前は石橋国松。のちに一文字変えて「ハリスの旋風」主人公の名前になる。 ちばてつやさんに限らず、若い頃少女漫画を描いていた作家は多い。「ユカを呼ぶ海」という作品で、お転婆で男の子なんかに負けない少女を登場させる。今となっては当たり前だが、それまでは主人公=薄幸のちょっと病気がちな女の子が定番だったので、これは大きな改革であった(編集者はハラハラしていただろうけど) また少女漫画と言…

  • オヤジのあくび628

    谷川俊太郎「風穴をあける」を読む2 谷川さんが初めて読んだ本は野上弥生子さんの「小さき生きもの」だったと言う。「・・この本を幼い私が好きだったかというとそんなことはなくて、退屈で退屈で死にそうだったのを覚えている。それなのに捨てなかったのはどうしてだろうか。理由はただひとつ、読んだ本がその人間の人生の一部になってしまうからである。」 本書前半の読む・書くに続く、後半のテーマは人。そのトップバッターに写真家荒木経惟さんが登場する。彼の写真が無意識に依拠していて、言葉を介在させない表現であることを書いている。おそらくは無意義から発する表現を大切にしてきた詩人との共通項を感じたのであろう。 また大岡…

  • オヤジのあくび627

    谷川俊太郎「風穴をあける」を読む1 この後エッセイ集は、ワープロが世に出回り始めた1985年当時の文章から始まる。氏曰く「ワープロで詩を書くことは、ちょっと試みただけであきらめた。詩には散文にもまして意識下のうねりのようなものが必要だからだ。」 また別の箇所で「詩の場合には意識してさまざまな文体で書き分けることを試みているけれど、そういうやり方で散文を書くことは不可能だ。散文は書き分けることができない。散文はただひとりの自分という個にその根をおろしていて、書き分けようとすれば個は分裂してしまう。書いたものに生身の人間として責任を負わなければならないのが散文というものだろうと私は考えているが、そ…

  • オヤジのあくび626

    やなせたかし他「みんなの夢まもるため」を読む2 やなせたかしさんに「ノスタル爺さん」という歌がある。その一節から 人生は 短い 昨日の少年少女も 明日は 爺さん婆さん またたく間に 過ぎてゆく それなら 楽しく生きよう すべての人に やさしくして やがて煙になって 消えていくのさ 何とこの歌の作曲者および歌手は、やなせたかしさんご自身なのです。CD発売当時オン年84歳! 本人曰くオイドル(老いたアイドル)だそうです。素晴らしい。 これだけ精力的に仕事をされているのだから、さぞや健康と思いきや、ご本人は「ぼくの体は病気の詰め合わせセット」と言う。ちなみにご趣味は新宿のデパ地下巡りだそうな。 それ…

  • オヤジのあくび625

    やなせたかし他「みんなの夢まもるため」を読む1 なんのために 生まれて・・という歌詞の背景には、やなせさんの辛い戦争体験があるようだ。やなせさん自身も招集されて中国戦線を転々とするが、弟さんは特攻隊員だったという。アンパンマンは助けたい人のために自分の顔の一部であるアンパンを差し出す。人のためなら自己犠牲も厭わない。それがやなせさんにとっての正義なのだ。それはただ悪人をやっつけるだけの正義ではない。 ところで、やなせたかしさんの作詞で子どもの頃から口ずさんでいた曲が「手のひらを太陽に」。今でも小学生に人気の曲です。作曲家いずみたくとは、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で出会うのですね。や…

  • オヤジのあくび624

    竹内道敬「日本音楽のなぜ?」を読む2 第十章は「なぜ語尾を震わせるのか」。オペラ歌手のビブラートではなく、邦楽発声でフレーズの最後を震わせて歌う話です。日本語なのに何をのんびり間延びした歌い方をしているのか? ボクも筆者と同じく日本には残響を利用できる演奏環境がなかったためだと考えます。石造りの聖堂の中で得られるエコーが、日本の寺院にはなかったのです。そこで語尾を震わせて「擬似エコー」を楽しんだのでしょう。また筆者が言うように同じ一門のおさらい会であれば「互いにうたっている内容はわかっているので、演者は自分の声を自己陶酔的に味わってよかった」のかもしれません。 声。日本音楽はあくまでも声による…

  • オヤジのあくび623

    竹内道敬「日本音楽のなぜ?」を読む1 「第三章 なぜノリが悪いのか」の中で拍子感について書かれています。昔、小泉文夫先生が農耕民族と騎馬民族のリズムが違うことを指摘されていたことが思い出されますが、音楽の中からほとんど感じられないのが三拍子。例えば琵琶の語りは無拍ですが、弾法にはリズムがあります。私が教えていただいた弾法の中で、崩れ3・崩れ4・春風の中には明らかに三拍子の部分が含まれていて、音楽に変化をつける働きをしています。弾法は一つの曲の中で全く同じ音型のものを二度弾くことはありません。常に聴き手を飽きさせない工夫をしてきたのですね。 続いて作曲や稽古について話が出てきますが、そもそもある…

  • オヤジのあくび622

    蛭子能収「ひとりぼっちを笑うな」を読む2 本は何でも正直に口に出してしまう蛭子さんが、苦手だと言う食レポの話に続く。そっと一人にしておいてよ! の蛭子さんも自身の漫画を褒められると当たり前だが嬉しいらしい。漫画は読んだ感想が「面白いか、つまらない」に分けやすいのでコメントを伝えやすいのだろう。 ボクが琵琶演奏者が集う会の後に感じることは、とにかくコメントが少ない。どうやら他の師匠のお弟子さんに何かアドバイスめいたことを告げるのが御法度のようだ。批評批判がないところには進歩なしと考えると厳しい。お客様も初めて聴く方は、鑑賞の視点なんてあまりないわけで、せめて聴き方をレクチャーする人がいてもいいん…

  • オヤジのあくび621

    蛭子能収「ひとりぼっちを笑うな」を読む1 この本は蛭子さんが67歳の時に書かれた本で、私も今67歳。振り返ればそれなりの足跡は見える年頃です。 第一章は「群れずに生きる」。蛭子さんが、他人とどのように距離を取っているかを語っている。旅番組で他のメンバーが旅先の名物に舌鼓を打っている時に、傍らに少し離れたところで一人でカレーライスやトンカツを食べている蛭子さんがいる。「ボクのことは構わずに放っておいてね。」というスタンスなのだ。人と同じ時間同じ場所で同じことをすることが、元々得意ではないのかもしれない。かと言って群れる人を否定しているわけではなく、自分は今はこうしたいだけ・・と。 第二章は「自己…

  • オヤジのあくび620

    大野一雄「舞踏譜」を読む 何だかよくわからないから読み始めたのに、読むほどに余計わからなくなってしまうようだ。例えれば音楽を言葉で言い換えることが結局は不可能なように、舞踏も言葉に置き換えることが困難なようだ。生命、宇宙、胎児、様々な言葉で「感じていたい根幹」を書いている。しかし、日常が具体表現の世界に浸かっている身としては、なかなか理解が進まない。 思うに、この書は大野一雄氏の舞踏表現に接した方に対して「いったい、あの動きは何をイメージして表現していたのか?」を本人が語ったものなのだ。だから実際に舞台を鑑賞する方が先立たないと解説だけ読んでも分かりにくい。 一般に演劇なら脚本を、音楽なら楽譜…

  • オヤジのあくび619

    森直実「大道芸人」を読む 凡人の予想をはるかに上回る凄い芸人、野毛大道芸で活躍したパフォーマーが次から次へと登場する。しかも彼らの紹介文を執筆しているのは、名のある作家たちなのだ。一人ひとりの列伝の中に命を張った芸に賭ける生き様が見て取れる。綱渡りをしながらの火吹きなど、一歩間違えば即救急車なのだ。 どんな芸人さんが出ているかって? 三味線の伊藤多喜雄さん。中学生に「南中ソーラン」の歌手と言えば、どこでも通じる人だ。帽子芸の早野凡平さん。秒刻みで仕切られているテレビより大道芸の空気感ががお好きらしい。「落ちぶれて大道芸に出ている」と呟いていた観客がいたそうだが、それは違うだろう。大道芸のライブ…

  • オヤジのあくび618

    畑中圭一「紙芝居の歴史を生きる人たち」を読む2 画家の佐藤正士良氏の聞き書きでは、氏が戦前東宝映画で働いていた話が出てきて、遠近法やモンタージュなど映画から影響を受けた技法が紙芝居の絵にも活かされていると語る。話の中には武部本一郎の名前も出てきて、錚々たるメンバーが紙芝居に関わっていた時代があったことがわかる。映画になぞらえるなら、演者は一人で演出と俳優をこなしているわけで、こんなに演じる甲斐があり、独自の劇空間をアドリブも含めて創造できる表現が今や風前の灯なのは実にもったいない。 しかしながら、仕事として生活を支えるとなると様々な課題がありそう。子どもが学校から帰ってくるのが、午後3時。その…

  • オヤジのあくび617

    畑中圭一「紙芝居の歴史を生きる人たち」を読む1 ボクは20代の頃、児童演劇評論家 富田博之氏のところで児童劇用の脚本を勉強していた時代があるのですが、その頃紙芝居について富田氏が「戦争中の活動について、戦後きちんとした総括がなされていない」と発言されていたことを覚えています。 まず紙芝居と一口に言っても、色々ござんす。この本で取り上げているのは、路上や広場で子どもたちに水飴を売りながら演じた街頭紙芝居。もはや朧げな記憶しかないけれど、ボクより少し上の世代であれば覚えていらっしゃる方もいるでしょう。 紙芝居用のケースに入れて子どもたちの目を集中させて演じる紙芝居の前は、立ち絵。今のペープサート劇…

  • オヤジのあくび616

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む3 朝ドラのタイトルにもなっている「ブギウギ」のリズムは、戦中上海に渡っていた服部良一が李香蘭のステージですでに使っていた。まるで戦後の音楽を預言するかのように。 そして笠置シヅ子がステージ狭しと踊り歌った「東京ブギウギ」。ボクはいわゆる「鉄」なのだけど、最近の電車は音が静かで揺れが少ないことに感心しています。特に車内で合唱団の楽譜を見たい時は、モーター音がないサハに乗る。東京ブギウギの楽想が思いついたのは、中央線の電車内で吊り革につかまっていた時だそうだ。車輪が線路の継ぎ目で奏でるリズムが名曲に変化していくのだから、いやはや大したものであります。ちなみに作詞者…

  • オヤジのあくび615

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む2 戦前の良一作品を代表する曲が、昭和12年淡谷のり子による「別れのブルース」。低いGから歌い出すため、本来コロラトゥーラソプラノの淡谷のりこは一晩中タバコを吹かして低く魂がこもった声が出るしたという。ボクサーの減量を思わせるような凄まじいエピソードです。 本書は副題が「日本のジャズ&ポップス史」とされていて、服部良一さんの人生を追いかけた文章の中に往年の名プレーヤーが登場する。その一人がトランペッターの南里文夫さん。横浜元町商店街から代官坂を上がると南里文夫さんが活躍していたダンスホール「クリフサイド」がそびえている。ボクはこの坂の先にある元街小学校に勤めてい…

  • オヤジのあくび614

    菊池清麿「評伝 服部良一」を読む1 朝ドラで「梅丸少女歌劇団」が華麗なダンスを披露していたように、大阪は今も昔とエンターテイメントの街だと思います。日本初のジャズバンドは、井田一郎さんによるラフィングスターズで、大阪・神戸にジャズの音色が響きます。服部良一さんの音楽人生の振り出しは、大正後期に活動していた出雲屋少年音楽隊。ここでサクソフォンファミリーのリーダーとして活躍します。やがてロシアから招かれたメッテルに大阪フィルで出会う。管楽器の技量を見込まれてクラシックのオーケストラでも演奏していたのだ。メッテルにはリムスキー・コルサコフの音楽理論を学ぶ。好対照に見えるけど、同門に指揮者の朝比奈隆さ…

  • オヤジのあくび613

    石濱匡雄「インド音楽とカレーで過ごす日々」2 カレー好きの方には、当たり前のことなのでしょうが、インドのカレーと言っても地方毎に味の特徴が違う。コルカタはアッサム茶やダージリン茶の本場だから、チャイを飲みながら人と語らう場面がたくさん登場する。本書にはシタールと同じくらい飲食の話が出てくる。 石濱さんはシタールを学ぶためにコルカタに留学していたはずだが、寝ても覚めても音楽一辺倒でないところが、生き方としてとても素敵だ。もちろん楽器練習に膨大な時間は必要なのだけど、興味関心が幅広い方向に散らばっているのだ。 留学当時の体験として、インドとパキスタンが一触即発の有事になった時のことを語っている。核…

  • オヤジのあくび612

    石濱匡雄「インド音楽とカレーで過ごす日々」1 楽器や音楽との出会い方は、人さまざまでしょう。ボクは琵琶という今の日本ではマイナーな楽器に関わっているので、なぜ琵琶をやっているのか? 尋ねられることがあります。石濱少年の場合は、中学の頃からギターを始めたものの、母親から「お師匠さん」に付いて教わりなさいとの一言。楽器教室を探しているうちに見つけたのが「シタール教室を始めます」のチラシ。ギターとシタールはだいぶ違う気がしますが、石濱少年のシタール教室通いが始まります。 一応小学校で音楽を教えていた経験があるので思うのですが、楽器や音楽は理屈で教えようとするからつまらなくなるのです。理屈? の代表選…

  • オヤジのあくび611

    柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか」を読む タイトル通り、噺の覚え方・練り上げ方が書かれています。花緑さんのスタートはノートへの丸写し。18歳の頃志ん朝師匠に教わった「愛宕山」は語り口をそのままノートに写して読んでいたといいます。20歳になり小三治師匠に「船徳」を教わるのですが「俺は噺に小三治という装飾を施している」と言われます。自分なりに咀嚼して自分なりの演出をしてこそ、本当にその噺を身につけたことになる。 もともと噺は面白く作られている。古典落語であれば何百年も同じ噺が演じられ、今に残されてきたのですから。クラシック音楽やボクが教わった琵琶歌にも似たようなことは当てはまると思います。ウ…

  • オヤジのあくび610

    米山文明「声の呼吸法」を読む 以前米山先生の「声と日本人」を読んで、オヤジのあくびに投稿した気がします。(何だか記憶がごちゃごちゃしていますが・・)あとがきでは、その延長線上に本書を書きましたとおっしゃる。より実践的な方向に進展させて・・とのこと。ところが序章では、ヤツメウナギやピラルクが登場して、まず脊椎動物の呼吸の進化について、続いてヒトの話になっても胎児から新生児の呼吸に紙面を割いている。ちょっとまどろっこしい語り口な気がするのですが、呼吸や声に関する諸器官は、元々は何であったのか? 生まれてからどのように動き始めるのか? まずそのことを知っておくべきでしょう! という米山先生独特の論法…

  • オヤジのあくび609

    茂木健一郎・羽生善治「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本を読む。 脳はその人がチャレンジできるギリギリのものに挑戦している時が、楽しいのです。 確かにボクのことで言えば、仕事を辞めてボーッと毎日を過ごしていると、つまらなくなってしまい、また何か始めてしまう。妻曰く「泳いでいないと死んでしまうマグロ状態」だそうだ。少し似ているのかも? 新たなチャレンジが脳を刺激すると言っても、不安が踏み出そうとしたはじめの一歩を足止めさせます。その時に不安を乗り越えるユーモアが人を後押しすると言います。テレビではお笑い芸人が大活躍中ですね。昔だって日本人はとんち話や古典落語に接してきたのですから、ユーモアと無縁…

  • オヤジのあくび608

    なだいなだ「とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう」を読む くねくね道のように、長い時間かけて移動していた距離が、飛行機や新幹線の利用によりすごく短縮されている。調べ物だってだいたいのことでよければ、パソコンやスマホでわかってしまう。ではその余っているはずの時間を何に使っているのか? 人生そのものも寿命が延びて、その分を何に活かしているのか? なださんの問いに自分自身の答えが用意できているのか? こういう問題提起の仕方がボクは若い頃から好きだった。 直接なださんの講演を拝聴したのは、2003年1月奈良で開かれた日教組の全国教研基調講演。この集会が開かれると市内に黒塗りの車が増え自治体か…

  • オヤジのあくび607

    有田秀穂「脳からストレスを消す技術」を読む 涙の数だけ強くなれるよ〜🎵という歌があった。この本の中身を言い当てているような歌詞なのです。 筆者によると二大ストレスとは、まず「依存症」=快楽が途切れることから抜け出せない状態。アルコールで考えれば分かりやすいですね。もう一つは「逆恨み」。これは良かれとして行った行為が正しく評価されない。相手から想定していた反応が返ってこない状態だと言います。 人をストレスから解き放つのは、涙と坐禅だと筆者は言う。坐禅については、6年間も自分を追い込み(修行).ストレスには勝てないことを悟ったお釈迦様の話が出てくる。確かにお釈迦様は坐禅を組んでいらっしゃる。結果腹…

  • オヤジのあくび606

    宮本延春「オール1のおちこぼれ、教師になる」を読む オール1。相対評価だった時代の5・4・3・2・1は、全体の数%の子に1が自動的に付けられる仕組みになっていて、人の可能性を引き出す方法とは言えなかった。ボクも相対評価の時代に仕方なく数人の子に1を付けたことがあったし、自分が生徒の時に1を付けられたこともあった。 筆者は執筆現在高校教師をしているが、「信頼」を前提にしたタブー破りの「特別扱いの補習」。いいじゃないですか! 極論を言えば、全ての生徒が特別扱いされるべきだと思うのです。 ところで、学力不振で九九や分数がわかっていなかった筆者が、勉強に目覚めて、なぜ高校教師になったのか? それは彼女…

  • オヤジのあくび605

    「君たちはどう生きるか」を観て 戦争の最中、入院していた母親を亡くしてしまう主人公。燃える街の映像は高畑監督の「火垂るの墓」を思い出す。宮崎監督は、おばあちゃんキャラがお好きなようで、今回もすごい声優陣が屋敷で働くおばあちゃんたちの声をアテている。ストーリー終盤の重要人物大叔父の衣装には、王蟲の目のようなデザインが施されている。 さて、そんな中で出演時間が長いのは、菅田将暉が好演しているアオサギ。千と千尋のカオナシのような存在で、真人を異世界に誘なう。ボク的には異世界の海で真人を助けてくれる人が、建物の入り口付近で別れたキリコおばあちゃんと同一人物であることが、最初わからなかった。今回はトトロ…

  • オヤジのあくび604

    鎌田實「○に近い△を生きる」〜「正論」や「正解」にだまされるな を読む この本の冒頭はかなり衝撃的で、18歳の著者が大学進学を巡って父親の首を絞める場面から始まる。別に殺人は至らず、進学は親の支援なしではあるが果たされて、著者は自由を獲得したと書いている。 第一章では、様々な別解的な生き方が紹介されるが、一番頁数を割いているのが、ベースキャンプだと言う結婚(=パートナーとの生活)について。武田鉄矢さんの奥様が「私はあなたのおしめを洗うために結婚した」と言えば、鉄矢さんは「世界中で俺だけが、お前が一番美しかった20歳のころを覚えている」と答える。何だか微笑ましい。 続いて石井光太さんとの対談の中…

  • オヤジのあくび603

    千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」を読む 本書のはじめに「来たるべきバカとは、新たな意味でのノリを獲得する段階である」と書いています。道具的な言語使用から玩具的な言語使用へ。漫才のツッコミとボケがアイロニーとユーモアに対応していることを例に引きながら、浮いた語りの分析が勉強の本質につながると言う。そしてコードの転覆を図る。 ぼくなりにこんなことかな? と考えてみた。例えばテレビから食レポが流れてくると「美味しい!」が決まり文句=コードになる。しかし、学校教育の現場を離れたので書いてしまうが、給食はおいしい日もあれば、・・・な日もある。何校が転勤するとわかるが学校差もある。材料とレシ…

  • オヤジのあくび602

    布施克彦・大賀敏子「なぜ世界の隅々で日本人がこんなに感謝されているのか」を読む 本書に初めに登場する国は、マーシャル諸島。アメリカによる核実験の影響を受け、日本の第五福竜丸が被爆したことで知られる。最近では温暖化による海面上昇の影響が深刻だ。そこで金物屋を営む、元日本人で現マーシャル人から話が始まる。 タイトルから想像できるが、本書にはG7に代表される先進国は登場しない。最近あるニュースで知ったのだけど、G7合計のGDPより非G7である国々の上位7ヵ国のGDPの方が大きいという。世界はGDPを中心に動いていると勘違いしてはいけないのだ。 南アフリカで現地の識字率を上げるために活躍しているハスヌ…

  • オヤジのあくび601

    隈研吾「なぜぼくが新国立競技場をつくるのか」を読む 隈さんは、ボクより二歳年上で東京オリンピックを二回経験している。だから丹下健三さんの設計による代々木の第一第二体育館のデザインから強い衝撃を受けた世代なのだ。 新国立競技場を始めとして、隈さんが手がけた建築物には木材がたくさん使われている。隈さんは木の面白さはどこでも手に入る小さくて安い材料をベースにしてどんなものでも作ってしまう「平凡さ」「民主性」にこそあると言う。対極にあるコンクリートは、どんな巨大なものでも自由に作れる「偉大なる特注」で限界をわきまえない無知が宿ってしまうと述べます。 コロンビア大学留学時代、徹底的なディベートで鍛えるロ…

  • オヤジのあくび600

    養老孟司・久石譲「耳で考えるー脳は名曲を欲する」を読む 環境と音楽について語り合っている箇所があり、日本で組み立てたパイプオルガンの調整が大変な話が出てくる。西洋音楽の響きは、乾ききった石造ホールで育まれたものだ。アカペラだって合唱だって、残響が巨大空間に響く環境で生まれた。翻って木造寺院から生まれた日本の声楽=声明は、残響を前提としていない。むしろ母音の語尾を引き延ばすことで、残響がない環境を補っているかのようだ。 話題はどんどんジャンプして、情報化と情報処理の違いについて養老さんが言及する。作曲家久石譲さんがやっていること、音楽をつくって人に伝え演奏できるようにすることは情報化で、発信され…

  • オヤジのあくび599

    立川志の輔・玄侑宗久「風流らくご問答」を読む 落語と琵琶は昔寄席に掛かっていた芸能として共通点があります。一席がおよそ15分であること。この15分がビミョーでして、長すぎてひたすら我慢を強いられる時間になるか? 耐えられずに席を立ってしまうか? あっという間に過ぎ去るか? それが芸の質なのでしょう。 お坊さんが講話の中に、笑いを巧みに取り入れているエピソードが出てくる。中身が退屈ならせめてどこかに笑いを誘う場面がないと聞き手は寝てしまうだけだろう。 我が身に引き寄せて考えてみれば、琵琶はもとよりコーラスの練習にも当てはまるような気がしますね。 「あくび指南」に話題が及ぶ。対談の片割れ宗久さんに…

  • オヤジのあくび598

    「思い出のアルバム草軽電鉄」を読む 草軽電鉄。現在草軽交通としてバス事業を展開している会社の前身です。軽井沢〜草津温泉間を結んでいた高原列車があったのです。55kmの距離を3時間かけて走っていたといいますから、吹き抜ける風を身体に浴びながらのんびりと観光を楽しんでいたお客さんも多かったのでしょう。今は草津温泉バスターミナル近くに駅跡の碑、北軽井沢駅の駅舎、そしてカブトムシと言われた電気機関車が展示されています。走っていた頃は映画のロケ地に使われたり、岸田衿子さんの詩にも登場したりします。 ところが国鉄が吾妻線長野原まで旅客輸送を始めるとお客さんは国鉄に流れていきます。さらに台風の影響による橋梁…

  • オヤジのあくび597

    植西聰「折れない心をつくるたった一つの習慣」 「それができていれば、初めからこの本読んでいないよ」と感じさせるようなアドバイスがこの本にも多く出てきます。でも、本というメディアは200ページ以上あるので、手を替え品を替え、いろいろな角度や場面を畳み掛けてくるわけです。その中に試してみようかな? と感じたことが一つでも見つかれば大正解じゃないですか! 怒りの感情との向き合い方に、映像が映し出されたスクリーンをイメージする方法が出てきます。その映像をモノクロに変えて、小さくしていくと良いと書かれています。怒りをパワーに変えて人生逆噴射的に生きている人もいると思いますが、怒りという感情に長い時間支配…

  • オヤジのあくび596

    坂口恭平「自分の薬をつくる」を読む この本は、さまざまな悩みを抱えた患者さんを診察するような形で進行する。もちろんその全てが演技であり、周りからも丸見えなのだ。 何人目かに、1ヶ月に一度死にたくなる患者さんが来て、生歌をつくることを薦める場面がある。トンネルの中で自分の内側を見つめている自分を「つくる」ことでアウトプットしてみよう促すのだ。 ミュージシャンとしてアルバムをつくってみたい人に「企画書」を書いてみるという提案がなされる。突然ボク自身の話になるけど、港南台アカペラシンガーズでは、今までメンバーにいろいろな提案を受け入れていただき、それなりの活動を展開してきたが、企画書を書いたことはな…

  • オヤジのあくび595

    名作を読む96 ケストナー「飛ぶ教室」 描写や話の展開が楽しいわけは、作者自身が登場人物といっしょになって、自ら創る物語世界を面白がっているからだという気がする。前書きとあとがきに作者が登場する仕掛けも物語の一部に入りたい願望のような気がします。 自分が何者であるか? という説明が未だ十分にできない、不規則で枠をはみ出してしまう衝動が抑えられない、大きな不安と葛藤の渦中にいる、そんな時代が自分にもあったことを懐かしみながら読みました。 タイトルは寄宿学校の仲間がクリスマスに演じる劇の題名。個性的な5人の仲間が引き起こす事件を中心に、彼らを見守る舎監先生、彼らが大好きな禁煙先生の人柄にふれながら…

  • オヤジのあくび594

    武田友紀「『繊細さん』の本」を読む 早速28ページの診断テストをやってみると、案の定ボクは当てはまらないが、いっしょにテストをした妻はHSP傾向のようだ。 この種類の本によく出てくる魔法の言葉が登場する。考え過ぎやベストを求めて身動きが取れなくなっている人への言葉は「とりあえず」。拙速は巧遅にまさるではありませんが、とりあえず何か動いてみるでいいじゃないですか。長いスパンで捉えれば、人生とりあえず生きているのかもしれないのですから。 繊細さんの悩みのキモに、人間関係がありそうです。相手が感じてくれないこと、気づいてくれないことに繊細さんは悩みます。でもボク自身「非繊細さん」なので、繊細さんの感…

  • オヤジのあくび593

    村上和雄・.棚次正和「人は何のために祈るのか」 祈りは病気を癒し、心身の健康を保つ大きな力を秘めている。少しでもよりよく生きようとする遺伝子の働き、それが祈りであると筆者は言います。 祈り。宗教に近く科学から遠い行為だと多くの人は感じるでしょう。でも筆者は言います。「祈りの効果と宗教とは関係がない」と。つまりどの宗教であるかは関係ないと言うのです。また科学者アインシュタインの言葉を引用しています。「神秘的な感性こそが、人間が体験できるもっともうつくしく、もっとも深遠な感情だ。すべての真の科学の源はそこにある」 祈りにはふた通りあって、一つは「自分の思いを叶えてもらいたい祈り」、もう一つは「心を…

  • オヤジのあくび592

    養老静江「ひとりでは生きられない」を読む 著者は明治生まれ。横浜平沼高校がまだ神奈川県立第一高女だったり、東京女子医大が女子医専であったりした時代の学生生活を語っている。その後、帝大病院(今の東大病院)に小児科医として勤めるが、筆者は横浜本牧の友人宅で関東大震災を経験している。デマによる朝鮮人殺しや焼け野原になった横浜の様子を綴っている。 筆者のモットーは「好きなことをするー生きて行くとはそういうことだ」。事実よく言えば自由奔放、角度を変えれば「ただのわがまま」としか思えないような履歴を重ねていきます。しかし、女性の生き方や権利について偏見が蔓延していた時代に大したものだという気もします。 続…

  • オヤジのあくび591

    西郷孝彦「校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール」を読む たったひとつの校長ルールとは「子どもたちが幸せな3年間を送ること」 心に壁を造って拒否しない。一人ひとりに安心できる居場所を提供する。何よりも教師であることをかさにした上から目線の管理的な指導を排する。本書には兎角偏見まみれになりがちな教育現場への処方箋が書かれています。 教壇を去った私ですが、子どもたちへの声かけは野球のバッティングに似ていると思っています。3割打てれば一流打者ですが、裏を返せば10打席のうち7打席は凡退しているのです。子どもたちの心に響く言葉を探す作業も似ています。なかなか本人の琴線に触れる声掛けは難しい。唯一…

  • オヤジのあくび590

    梓澤要「方丈の孤月」を読む 前半は、煩わしいとさえ感じる中世貴族社会の人間模様の中で、若い鴨長明が要領よく立ち回れない様子が描かれている。由緒ある下鴨神社の御曹司としてのブライドや両親を亡くした哀しみが、主人公のコンプレックスの背景にあるのかもしれない。 「方丈記」の作者という私たちが知っている長明像を超えて、歌人、琵琶奏者としても活躍した様子を語っていく。この小説の中では和歌や琵琶を通して自分を認めさせたい長明の自我を描いている。ところが屈折した心情から湧き出る衝動が長明を突き動かし、結果的に天涯孤独の身となっていく。 もう一つ伝説として広まっているのが「平家物語」の作者は「実は鴨長明ではな…

  • オヤジのあくび 589

    ピーノ・アプリーレ「愚か者ほど出世する」 本書は動物行動学者のローレンツ教授にインタビューした経験から始まる。「人間の知恵は必要があれば、いつでも解決の出口を見つけ出す。しかし、ひとたび解決法を見つけてしまうともう知能を使う必要はなくなる。ただまねだけしていればいいわけだ。反復は創意工夫とは違う。そこで知的資質は衰えてしまう。刺激がなくなるからだ。」さて、生成AIという解決法を手にした私たちはこの先どのように知能を使いこなせばよいのだろうか? 大げさに言うなら本書の問題提起は「人類はこの先も知的な進化を継続できる」「人類はとうの昔に知的な進化を止めて、この先はますます愚かになっていく」のどちら…

  • オヤジのあくび588

    山崎慶子「グランマの本棚から」を読む 読み聞かせの予定表が送られてきて、第一回目は2年生。「そうか、低学年なら絵がある本がいいかなぁ。紙芝居にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。」などと、例によって取らぬ狸の皮算用を始めてしまう。 読書について、自分自身が子ども〜学校教員時代を通して一貫して上手くできないジレンマを抱えていたのが、読書感想文という代物。屁理屈少年のボクは感想らしい感想を書けなかったし、教員になってからも夏休みの宿題とかに平気な顔して出しておきながら、満足な事前指導事後指導が出来なかった。教え子の皆様ごめんなさい。そもそも指定図書の感想文を「やらせ」ていること自体が未だにどこ…

  • オヤジのあくび587

    中島義道「カイン」を読む タイトルの「カイン」は、旧約聖書で弟アベルを殺した兄であります。主によって殺されぬ「しるし」が付けられたカインは、苦しみ悩み続ける日々を送る。本書では青年Tに寄り添いながら、彼が立ち向かい排除していくべき相手は何なのか? を説いていく。 60代も半ばを過ぎてから、この本を読んでいる。もしボクが青年期にこの本と出会っていたらどうだったのか? そんなifが頭を掠めます。 親を捨てて期待に背くことを語るのは、著者の半生を重ねているのだろう。額面通りに受け止めると逃げ場のない袋小路へ追い込まれることになるが、それこそがおそらくは本書のねらいと思われる。 結局、この本は、世間様…

  • オヤジのあくび586

    野口五郎「芸能人はなぜ老けない」を読む 本書の最初に役職と威厳の話が出てくる。威厳を保とうとすることは自ら進んで老けようとすることだと、野口五郎さんは言うのだ。エンターテイナーに役職はないし威厳も必要ない。なるほど郷ひろみさんの若々しさには驚かされるばかりだけど、納得できるなぁ。現在の自分の姿がどう見えているのか? 定期的に写真を撮ってもらうことを勧めています。その話に篠山紀信さんとの撮影エピソードが出てきて、シャッターを切るタイミングが予測できないとか、撮影場所が墓地や精神病院の裏庭だったとか語られています。自分の知らない自分が自然に出たと野口さんは語っています。 精神年齢を一定の年齢で止め…

  • オヤジのあくび585

    伊東乾「笑う脳の秘密!」を読む 初めに音楽の話が出て、呼吸をしていない表現=うたっていない音の課題を指摘している。テンパる→呼吸が浅くなる→表現が不自由になっていく感覚は、ボクも日頃合唱や琵琶歌で音を出しているので身につまされてしまう、 自分の話。「最近若い頃に比べて暗譜が苦手になってきたなぁ」と感じるようになった。耳の暗譜、手(身体)の暗譜、目の暗譜を筆者は説いている。そして目の記憶はイメージの記憶だと言う。自分が通った道の風景を細かく思い出せるように記憶をトレーニングできるのだ。耳の暗譜・手の暗譜については動物的な快感と結びつく。音楽担当の教師をしていた頃「この曲の好きなところはどこ?」と…

  • オヤジのあくび584

    相田一人「父 相田みつを」を読む。 頸椎症のせいか? 肩や首周りが痛い。本の初めに筆者が「姿勢をよくしろ!」と父から言われた話が出てくるが、身に染みてその通りだと思う。姿勢の話に限らず、相田みつをさんが書かれることはいちいちごもっともであります。けれどそれらの言葉がどのような状況から発せられたのか? その一端がいっしょに生活していた息子から語られる。 相田みつをは、書家・詩人として認められている人であります。(名刺に書家と印刷したことはない)定職に就かず、ろうけつ染めで生計を維持していて五十代前半まで極めて貧しい生活を送っていたことがわかります。8畳間借りの生活でありながら、別の場所に25畳の…

  • オヤジのあくび583

    伊藤悟「ひょっこりひょうたん島 熱中ノート」を読む 著者は「ひょっこりひょうたん島」を記録し尽くした少年です。ひょうたん島の放送回数は1224回。今ならスマホで動画撮影すれば済むようなことを、ひたすらセリフや字幕、背景、人形の動きをノートに書き写していたというから驚く。やがてテープレコーダー(オープンリール)を買ってもらえたので、ノートには絵だけを描くように変わった。 すごく行動的な少年であり、何と手紙を書いて、川崎市にあるひとみ座の稽古場、さらにはNHKのスタジオを訪問する。 ご存知の方も多いでしょうが、1990年ひょうたん島のリメイク再放映計画が立ち上がる。筆者のノートが重要な資料になった…

  • オヤジのあくび582

    桑田佳祐「ポップス歌手の耐えられない軽さ」を読む 桑田佳祐さんは茅ヶ崎で育ち、ボクは隣町の辻堂で育った。時代も重なっているので取り上げている音楽体験や、地域の雰囲気をボクも味わっている。だからこそかなり共感して読み進めることができる。 この本は週刊文春に連載されたエッセイが収録されているのですが、コロナ禍でライブコンサートを始めとする音楽活動が制限され、自宅に籠る日々に書かれています。コンサートで発散しているエネルギーがこの文章に投影されているかは、よくわからないのですが・・・。 読んでいて嬉しいのは、桑田佳祐と同世代の感覚。山下達郎が「ゆらぎ」を気にしていたり、桑田佳祐のマイクが1947製の…

  • オヤジのあくび581

    安部龍太郎「海の十字架」を読む2 足利将軍による治世を終わらせたのは織田信長であるが、信長が上洛する前の洛中の支配者は三好長慶であり松永弾正であった。「蛍と水草」はその内部抗争を描いている。 三好兄弟が次から次へと銃撃され、全て松永弾正の思うがままになっていく様子に救いはない。作者は三好長慶と冬康が交わした連歌にわずかな一滴の潤いを求めたのだろうか? 続く話は、大浦為信(津軽為信)、弘前藩の初代藩主。まだ津軽藩の一家臣に過ぎなかった為信が、畿内の信長の活躍に触発され津軽の信長を目指す話。彼の活躍以降、現在の青森県は南部藩の支配下である東部と弘前藩の西部に分かれてしまった。その蟠り(わだかまり)…

  • オヤジのあくび580

    安部龍太郎「海の十字架」を読む1 書名にもなっている大村純忠の物語は、ポルトガルの交易とセットになったイエズス会の布教を、いかに自身に有利な方向に利用するか? 戦国時代ならではの駆け引き劇が読者を楽しませる。少々怪しげなバルトロメオが、ストーリーの仕掛け人として立ち回る。 結果として、なぜ長崎が国際港として開かれたのかを語る、さらりとした下げもよかった。 続いて世界遺産宗像大社の大宮司であった宗像家本家最後の当主である宗像氏貞の話。大内、大友、毛利のせめぎ合いの中で生き抜く術を探る様子が描かれている。 「海の桶狭間」は船乗り視点の桶狭間戦記。 今川義元の進撃とリンクして、織田信長を討とうとした…

  • オヤジのあくび579

    安倍龍太郎、門井慶喜、畠中恵「歴史・時代小説教室」を読む 畠中さんは、作家自身が小説を書くために踏んでいるステップを惜しみなく公開している。それはほぼ一般化されたスキルなんだろうけれど、もちろん畠中さん独自の留意点も話されていて、何か書いてみたい作家志望者には参考になるに違いない。 読んでいるうちに、歴史ものや時代ものではないけれど、ボクが今まで出会ってきた人について何か書けないものか? 長い散文を書く集中力がないくせに、ちょっと思ってしまった。 続いて門井慶喜さんが登場する。彼の本はボクも少し読んでいてネタバレ的に楽しませていただきました。銀閣の東求堂同仁斎に「何も感動しなかった」平凡さを感…

  • オヤジのあくび578

    木村治美「六十代からのエッセイ教室」を読む 冒頭で日記とエッセイの違いについて、ふれている。エッセイは自分を客観視して、書かれている自分と書いている自分との間に距離を取るというのだ。だからこそ読み返しが可能であるし、読者を獲得できる。ボク自身のブログを読み返しても、この客観視が意外と難しいことがわかる。 セレンディピティの話が出てくる「求めよ、さらば巡りあわん」。ノーベル賞の田中耕一さんや「武士の家計簿」を見つけた磯田道史さんの例が出てくる。日頃から何かしらの問題意識を持っていてこそ求めていたものに出会えるという話なのです。 全ての刺激を受け止めるほど、ポクのセンサーは全方向に働かないし、入力…

  • オヤジのあくび577

    池田憲章・伊藤秀明「NHK連続人形劇のすべて」を読む やっぱり「ひょうたん島」の話から。「チロリン村」から続けて音楽を担当したのは宇野誠一郎さん。「真面目なものを真面目に」がチロリン村なら「真面目なものを不真面目に」がひょうたん島の精神だと話される。脚本担当の井上ひさしさんの影響も大きいようだ。 声優さんたちが直接歌を歌うミュージカルだからこそ心の躍動や衰退の波を表現できるのだとおっしゃる。例えばサンデー先生の「勉強なさい」の「い」は「イヤな」「やりたくない」の「い」なのだと伝えていたそうだ。また主題歌を歌った前川さんは当時中学1年だった! 子供向け番組の主題歌でソロで歌ったのは前例がなかった…

  • オヤジのあくび576

    田中健次「図解 日本音楽史」を読む 自分が親しんでいる琵琶でさえ知らなかったことが多い。本書によれば、雅楽の楽琵琶はペルシャ起源で7〜8世紀にシルクロード〜中国経由で日本に伝えられた一方で、盲僧琵琶ルートは、インド起源で6世紀に三国時代の中国経由で九州に伝えられたという。何と、雅楽の琵琶より早く伝わったのだ。 また琵琶と言えば「平家物語」というイメージが先行しているけれど、では源平の戦いのまえに活躍した琵琶法師たちは何を語っていたのか? 蝉丸、源博雅、藤原師長など名手たちは、中国の皇帝や英雄たちの物語を語っていたらしい。また「法師」を名乗っていても寺の僧ではなく、求めに応じて琵琶を奏し報酬を得…

  • オヤジのあくび575

    増本喜久子「雅楽」を読む 雅楽と言えば、現代のテンポ・リズム感から遥かに遅い、まったりとした音楽という印象を持たれている方もいるだろう。けれど日々の言葉を発する速さや生活リズムそのものが、元々古代日本では非常にゆっくりしていたわけで、当時の時間の流れを再現していると理解したい。 テンポをリードしているのは鞨鼓(横向きに置かれた小太鼓)。打楽器は他に鉦鼓、太鼓があるが、微妙に変化するテンポは鞨鼓が調整しているらしい。 主旋律を担うのは篳篥と笛。原則同じ音を奏しているかのようで微妙に違うのが面白い。特に興味が湧くのは篳篥でして、他を圧倒する音量なのだ。木管合奏でもオーボエの音が際立つが、同じダブル…

  • オヤジのあくび574

    菅野恵理子「MIT音楽の授業」を読む 音楽学科の開講科目は「文化・歴史」「作曲・理論」「音楽テクノロジー」「演奏演技(パフォーマンス)」の領域に分かれている。目を引くのは「文化・歴史」の領域に「ビートルズ」「ワールドミュージック入門」「アフリカの音楽」などの授業があること。伝統的な西洋中心の音楽史にとらわれていないのだ。 「ワールドミュージック」の授業では、パーソナル・ミュージック・エスノグラフィー」を書く課題からスタートする。自分の立ち位置や歴史を知るのだ。同じ課題を日本の学生に課すとしたら、地域特性がどのくらい反映されるだろう? 伝統邦楽まで深入りしなくていいが、昭和歌謡が過去の文化となっ…

  • オヤジのあくび573

    長友佑都「日本男児」を読む 熱い! 長友選手のエネルギーの源が、中学校時代のサッカー部顧問井上先生との出会いに見つけられる。ガキ大将だった小学校から両親の離婚という家庭環境の変化、そして地元有名チームのセレクション落ち、入った中学のサッカー部では練習よりもゲームセンター通い。そこから現在の長友選手を想像することは難しい。けれど熱い選手を育てたさらに熱い先生がいたのだ。とりわけ中学校当時はスタミナがなかった長友佑都が駅伝大会出場をきっかけに持久力を身につけていく過程は、指導者冥利に尽きる。現在も最前線からバックまですごい速さで往復している長友選手のスタミナは、この頃から育ってきたのだ。 サイドバ…

  • オヤジのあくび572

    33代 木村庄之助「力士の世界」を読む 幕内、十両など番付の話からスタート! 実際の取組表には、十枚目と書いてあり十両は強い力士に渡された給金が由来なのですね。幕内も、屋外興業であった大相撲で幕を張った休憩所に入ることを許されたからとか。 土俵に上がると蹲踞の姿勢。両手を横に上げます。これは相手への敬意と何も武器を持っていないという意味だそうです。相撲はお互いの身体がぶつかり合うまでは礼なのですね。 相撲中継の中で、一門が話題になることがある。稀勢の里が二所ノ関親方になり一門を率いているのはわかるが、実際に土俵に力士が上がる場合、所属している部屋は紹介されるが一門についてはアナウンスがない。解…

  • オヤジのあくび571

    門井慶喜「徳川家康の江戸プロジェクト」を読む 大河ドラマ「どうする家康」で描かれている通り、家康公の一生はギリギリの判断を迫られる場面の連続であった。江戸に本拠地を定めたのもその一つだろう。秀吉から関八州に国替えを命じられた家康は、なぜ江戸を選んだのだろう? この地域は湿地帯が続き、およそ大都市建設には不向きだったのに・・。そしてまず手を付けなければならなかったのは、水路のコントロールでした。 渡良瀬川と聞くと現在は群馬県を流れている川というイメージですが、その当時は今の江戸川の水路を下り、東京湾まで流れていたのですね。さらに利根川は、今は千葉県銚子市が河口ですが、何とやはり東京湾に注いでいた…

  • オヤジのあくび570

    二宮敦人「最後の秘境 東京藝大」を読む 学生としてではなくて、小泉文夫記念資料室の見学者として音校キャンパスに入ったことがあります。練習室が並んでいたことや入口まで迎えに来ていただかないと入れなかったことを覚えています。しかしこのセキュリティーの高さは道を挟んだ美校とはだいぶ違うらしい。本書は目を丸くするような美校生のエピソードと「さすがやなぁ」とひれ伏すしかない音校生のストイックな生き様が満載なのです。 藝大に対する作者の関心の起点は他でもない作者の奥様なのです。この作品が描かれた当時奥様は藝大の彫刻科に在学中。自宅アパートに鎮座する木彫の亀の話や顔面に半紙を貼り付ける型取りなど、一般的な市…

  • オヤジのあくび569

    青木栄一「文部科学省」を読む2 文科省と教育現場のギクシャクぶりは、日教組vs文部省+中教審の時代、ゆとり教育から学力向上への大転換期、肝心の制度や予算が中央集権なので今後もずっと続くのだろう。 さて教員の待遇について。40年以上放置されてきた給特法がようやく議論され始めたようだが、その40年間、時には月に100時間を超える勤務をずっと続けていた私などには、もはや何の見返りもない。私は思う。まず長時間労働の根元を断つことが先であろうと。しっかり授業の準備をして、授業を行い、子どもたちへのみとりと評価がしっかりできれば、それで十分だとしなければならない。 まず勇気を持って、子どもたちに直接還元さ…

  • オヤジのあくび568

    青木栄一「文部科学省」を読む1 学校にいただくご相談で、埒が開かないと「教育委員会に電話する!」と曰う方がいらっしゃる。けれど「文科省に電話する!」という電話を受けた経験はない。この一種ヒエラルキーのような仕組みは何なのだ? もう一つ疑問に感じているのは、大学の教育学部。いわゆる旧帝大の教育学部には現場教員を養成するシステムがない。私は横国大の教育学部に通っていたのだけど、旧帝大ではないので現場教員を養成するミッションが機能していた。この分け方は何なのだ? 旧帝大の教育学部は、どのような人材を輩出してきたのか? 教員人材が不足している現在このような在り方でよいのか? ちなみに教官という言葉は、…

  • オヤジのあくび567

    W•T•へーガン「アメリカ・インディアン史」を読む2 ハリウッドで製作された映画は、インディアンへの偏見に満ちていて、振り返ると無邪気で考えのない子どもたちに「インディアン=怖い人」という先入観を植え付けていた。ボク自身だってそうだ。マーロン・ブランドがアカデミー賞授賞式でインディアンへの差別に抵抗してオスカーを受けたらなかった話が有名だけど、アメリカの有名人たち建国ワシントンや奴隷解放のリンカーンたちがインディアンに対して、取った行動は極めて侵略的である。奴隷・黒人に対する差別には向き合うことができていても、インディアンへの対応は、ずっと見て見ぬふりが続いてきたのだ。 アパッチ族、ジェロニモ…

  • オヤジのあくび566

    W•T•へーガン「アメリカ・インディアン史」を読む1 本書では、アラスカ州のエスキモーやハワイ州の先住民は含んでいない。それでも600を優に越える部族が暮らしていたのだ。一つの政治理念の元に統一されていたわけではない。それぞれの部族ごとの暮らし方や考え方は違っていたのだ。 コロンブスがアメリカを発見? する以前=ヨーロッパ人移住以前の歴史が残念ながらわからない。縄文人が一万年以上の歴史を有しながら、文字を持たずその詳細が謎に包まれていることに似ている。ただイロコイ連邦については、14世紀から成立していたとのこと。いずれ別書で調べてみたい。 北アメリカにやってきたのは、スペイン、イギリス、フラン…

  • オヤジのあくび565

    若林忠宏「入門 世界の民族楽器」を読む3 世界史の学習法は人それぞれだろうが、勉強の入口は世界地図を頭に思い描きながら、その地域の統治機構がどのように移行していったのかを辿る方法だろう。だから○○朝ペルシアだとか△△王国など覚えるところから始まる。 ところが本書は、その時代にその地域で演奏されていた楽器にスポットを当てているので、その時代の支配者だけでなく、階級、宗教、民族など音楽のバックボーンになっている状況まで語っている。 また私が3月までやっていた仕事の話。「音楽室は時々祝祭空間になるべき」とかなり本気で考えていたのですが、現状それなりにお祭り騒ぎになるのは4年生の「おどれサンバ」や3年…

  • オヤジのあくび564

    若林忠宏「入門 世界の民族楽器」を読む2 音楽の歴史というと、音楽の父母であるらしいバッハ・ヘンデルあたり、1700年代の後期バロックから連なる西ヨーロッパの大作曲家の作品群を連想してしまう。また知識の範囲が特定地域と特定時代に偏ってしまっている。それはやはり鍵盤楽器という一度に最大10の音を自在に奏でることができる最強の楽器が西欧で発達したからであろう。 本書の魅力は、抜け落ちてしまっている音楽史をより広い時代と地域についてフォローしてくれることです。 小学校4年の音楽の教科書に登場して、港南台アカペラシンガーズでも歌っているチェロキー族の「朝の歌」という曲があります。ところが歌詞の意訳は出…

  • オヤジのあくび563

    若林忠宏「入門 世界の民族楽器」を読む1 本書は「入門」というタイトルが付けられているが、その網羅する範囲は極めて広く且つかなり深い。およそ世界中で演奏されている楽器を全て紹介しようと試みているかのようです。 この手の図書に出くわした時、私の取る読書行動はつまみ食い方式。箱に雑多に詰め込まれたお菓子を、それぞれ少しだけかじってみて美味しいお菓子だけを堪能する。 まずは、弦楽器の話。ドローンと言えば、空中に浮かんで地上に居ては不可能な撮影を助けてくれる機械というイメージですが、元々は雄蜂の羽音を表す単語で音楽では基調持続のことを言います。弦楽器は、爪弾いたり弓で擦ったりして美しい旋律を奏でていま…

  • オヤジのあくび562

    田中優子「江戸の音」を読む 広辞苑によると音楽は「音による芸術」。ここからはボクの理解だけど、音楽のうち西洋の片隅で進化発展した表現は、理路整然とリズム・メロディー・ハーモニーを奏で、世界中を圧倒的している。ベリーによる開国以降の日本も圧倒された国の一つで、近代学校システムを作る際に大慌てで「音楽科教育」を始めたのは、ご承知の通り。 本書のタイトル「江戸の音」は、未だ西洋音楽的な進化を経験していない日本の音に言及しようという意気込みなのだ。 まず生活の中の音。爪弾く、口ずさむ、遠音を美しいと感じる感性は、芸術として一段高いところへ音楽をまつりあげてしまった古典派以降の西洋音楽とは違う。すぐそば…

  • オヤジのあくび561

    田勢康弘「島倉千代子という人生」を読む2 島倉千代子は色紙に「まず 動け」と書く。およそ流行歌手らしくない。けれど芸能界の荒波を乗り越えてきた芯の強さが感じられる。 天才少女歌手美空ひばりに憧れて(歌手になってからも島倉はずっと「ひばり先輩」を慕い続けている)、北品川の橋で物真似を歌っていた女の子は、やがてひばりに代わって紅白のトリを務める歌手になる。 追随不可能な資質と能力で、流行歌手として歌えるジャンルをレパートリーにした美空ひばり。声域の広さ=低音域の豊かさ、ファルセットへの切り替えの上手さ、こぶしを始めとする優れた歌唱技術、全てに卓越していたひばり。比べて島倉は、高音域こそ独特のクリス…

  • オヤジのあくび560

    田勢康弘「島倉千代子という人生」を読む1 昭和29年コロムビア歌謡コンクールでの優勝をきっかけに歌手デビューしている。そのコンクールで歌った曲が「涙のグラス」。鳴海日出夫という男性歌手の歌であった。東京地区予選で優勝した時、作曲家万城目正は「太鼓の破れたような声で、なかなか味がある」と評した。とても褒め言葉には思えないが、元々声帯が小さくクリスタルな音質の島倉が男性歌手の低い音を歌おうとして結果そのような印象の声になったのだろう。 代表曲として、多くの人が思い浮かべるのは「からたち日記」でしょう。実は作曲米田信一として売り出されたこの曲には、当初短調と長調の二曲がありまして、本人が長調の方を歌…

  • オヤジのあくび559

    古賀慎一郎「ちあきなおみ 沈黙の理由」を読む2 本書は、夫でありマネージャーであり社長である郷さんの闘病と癌の進行を、付き人目線で綴っている。夫婦の近くに見舞いに訪れる宍戸錠が登場する。郷さんの実兄なのだ。邪推に過ぎないが、夫婦二人の強過ぎる絆の行く末を予想し、その未来を不安に感じていたのは宍戸錠ではないだろうか? 郷さんの死後現在に至るまで、ちあきなおみは人前で歌っていない。美空ひばり自身が後継を託したという名歌手が自分の歌声を封印しているのだ。もちろん周囲から復帰を望む声は強くマネージャーとして、その要望に対応し続けた履歴が本書に綴られている。 本書は、著者がちあきなおみとの出会いを通して…

  • オヤジのあくび558

    古賀慎一郎「ちあきなおみ 沈黙の理由」を読む1 筆者は8年間ちあきなおみの付き人をしていた人。ちあきなおみのパートナーである郷さんとの思い出や仕事上の失敗談を語っている。 ちあきなおみが「朝日のあたる家」をマイクなしで歌う場面が出てくる。YouTube動画でさえ、凄い表現力が伝わってくるのだけど、至近距離で生声で聴いたらどんなに心を揺さぶられることだろう! この曲は定番アニマルズの演奏が印象に残っていたのだけれど、ボクの曲のイメージはガラッと変わってしまった。日本人歌手では内田裕也を始めとする歌手の持ちネタだったけれど、どうしてもロックの叫びにしてしまう。ちあきなおみは、それを一人の女性の生き…

  • オヤジのあくび557

    高齢者の経験や知恵を、どのように伝え引き継げるか? 中国語で教師は老師。日本語の先生は、いろいろな立場の人に使われているけれど、老師は学校の先生だけ。まだ教員になりたての頃は、60歳以降のことなんて考えられなかったが、実際に66才の今年の3月まで小学校で、音楽を教えていました。年齢だけは字面通りの老師だったわけであります。 日本は現在かなり深刻な教員不足に陥っているから、体力さえ維持できていれば、高齢者教員が活躍できる場所はあると思う。 さて、私なりに培ってきた経験とか、知恵を子どもたちにどう引き継いでいけばよいのだろうか? いやそんな狭い個人的なことではなく、高齢者の皆さんは若者に何を語り、…

  • オヤジのあくび556

    ヨハン・ガルトゥング「日本人のための平和論」を読む2 領土をめぐる緊張関係について、日本周辺で言えば、尖閣諸島や北方四島の問題について共同所有や共同管理という方法を、著者は提案する。国家同士が領土を巡って対立し戦争が起きているが、それ以前に国境を開き互いの人々が交流するという方法があるではないか! というのだ。 私はパシュトゥーン人やデュアランドラインについて、この本で知った。パキスタンとアフガニスタンの国境を越えて生活している国家を持たない民族の話だ。主権国家以外に地域共同体がある程度の独立性を保って存在している例が他に幾つもあることを示して、国と国の間の壁を高くするだけでは、一向に解決しな…

  • オヤジのあくび555

    ヨハン・ガルトゥング「日本人のための平和論」を読む1 不可逆=元に戻せない判断や行動から作者は語り始める。戦争は多くの命を奪い、その命は二度と戻ってこない。アメリカと一体化することこそが日本を守る唯一の方法であると多くの日本人が、少なくとも政権を預かる為政者が信じこんでいる。作者はそれに代わる代替案を本書で語っている。そもそも「積極的平和」という概念を提唱した人は著者だったのだ。それを我が国のA首相が歪んだ用法で語っていることにも思うところがあるようだ。 米軍基地の撤退を要求せよ! とか、沖縄(琉球)を東北アジア共同体の中心に! という主張は、「結局はアメリカのいうことを聞いているのが一番安全…

  • オヤジのあくび554

    鎌倉武士は将軍から賜った土地を守るために一所懸命戦ったという。権利者の系譜はそれほど重要でなかったので、北条政子の泣き顔に騙され、上皇軍に刃向かってしまった。日本史上宮家が率いる軍と一般ピープルが戦い、しかも勝ってしまうという前例のないことをやってしまった。それはまだ織田信長が、傭兵=足軽をフル活用した集団戦法を始める前の話。武士としてのプライドはひとえに、おらが家族と土地を守ることで保たれていたのだろう。 さて、ボクは武士ではないし誰かから土地を賜ったわけでもない。翻ってボクの一所とは何だろう? 仕事? 家族? 仲間? 趣味道楽⁇ 言えることは大袈裟なことではなくて、自分の力で守れる範囲は限…

  • オヤジのあくび553

    小林よしのり「新戦争論」を読む。 アフォリズム。警句を並べ立てて読者を煽り立てるのは著者の得意技だ。目立ってしまうが故に、対立する人々に事欠かずネトウヨを始め、氏の意見から派生する様々な動きとの軋轢を体験的に描いている。けれども戦争の反対は話し合い、平和の反対は無秩序・混乱であると書いてあると「それはそうですね」と思わず頷きたくなってしまう。 氏の発言にふれた方ならご存知でしょうが、彼はアメリカ合衆国が嫌いなのだ。保守を自称する人々は多いが、親米派が多数を占める中で独特です。イラク戦争の失敗を例に、アメリカ合衆国、当時イラクに大量破壊兵器があるという偽りの情報を元に戦争を始めたネオコンを弾劾す…

  • オヤジのあくび552

    加藤周一「梁塵秘抄」を読む2 源平の時代を取り上げたドラマには、必ず権謀術数に長けた後白河法皇が登場する。日本の経済や統治機構をどのように変えたいとか、清盛や頼朝のような政治信念はない。権力維持のための院宣乱発、だから歴史を変えた人としては評価の対象外なのだ。けれども日本芸能史を辿ると梁塵秘抄の編者としてその存在は燦然と輝いている。 ここからはボクの邪推に過ぎないのですが、今様で歌われている言葉は貴族社会ではタブーになっていたNGワードがたくさん含まれていた。だから後白河法皇は他の貴族から変わり者の物好きと言うか、ほとんど疎まれていた一因になっているのではなかろうか? 例えば男女の性愛に関する…

  • オヤジのあくび551

    加藤周一「梁塵秘抄」を読む1 大河ドラマなどで平安期の歌舞の場面が出てくると、踊っているのは白拍子である。加藤さんは、今様を歌っていた人々として他に傀儡子(くぐつ)がいたと言う。人形遣いの人々のことであろう。梁塵秘抄は彼らの歌謡だったのだ。だから宮廷内で生み出された文化ではない。 紫式部に代表される平安文学は、想像の世界を遊泳していた。そこで描かれる世界はあくまでも紫式部の脳裏から生まれたイメージの産物であり、当時の庶民の生活とはほとんど関係がない。ところが梁塵秘抄は、貴族社会=宮廷から遠いところで生活している人の歌なのだ。クラシック音楽とポピュラー音楽の落差に近いかもしれない。 実は図書館内…

  • オヤジのあくび550

    諏訪正樹「身体が生み出すクリエイティブ」を読む2 「身体で触れるように世界に接する」ことで、手持ちの知識やスキーマと呼ぶ行為パターンから抜けることが可能だと著者はいう。体感を言葉に置き換えておくことの意義を語る。体験が経験になる、現象学的には「現出が現出者に変わる」過程で元々皮膚なり私たちの五感が感じていたはずのものに、繊細かつ研ぎ澄まされた言葉で近づけるのではないか? と説くのだ。 著者の仮説を裏付ける研究者として神経生物学者のダマシオが紹介される。彼によれば「我々の推論や意思決定を陰で支えているのは、感情や情動を司る中枢機構」なのだ。そしてそれは進化的に古い脳の部位である。その前後で著者は…

  • オヤジのあくび549

    諏訪正樹「身体が生み出すクリエイティブ」を読む1 漫才のボケを例にして、普通は想定しないものごとにパッと「跳ぶ」。目のつけどころが良くて新しい視点をもたらすことは、クリエイティブであることの必要条件だと言う。しかし「跳ぶ」ことはあくまでも結果に過ぎず「体感に耳を澄まし、それに向き合って、身体の発露として、臨機応変に対応すること」が重要であるとも言う。 しかしながら、柔軟性とか臨機応変というのは、言うは易く行うは難しの代表選手で、たまたま発揮できた類のものであり、人に教えることはなかなか困難なのだ。そこで身体知という言葉が出てくる。直接対面しての会話は、身体のリアクションを通して言葉以外の+α部…

  • オヤジのあくび548

    小西正一「小鳥はなぜ歌うのか」を読む2 「どこでどう鳴くか?」は、周波数との関わりで説明してくれる。一般に森の中の小鳥は低周波で鳴く。高周波の声は樹々の枝に遮られて届かないからだそうだ。それよりも大切なのは、自分達を捕食するタカやフクロウからどう身を守るか? またそれをどう知らせるか? タカの可聴範囲を超えた周波数で鳴けば、仲間に知らせることができて、自分の位置もわからない。フクロウに対しても特定しづらい鳴き声を工夫していると言う。 「習わないとダメなのか?」と言う疑問については、若鳥を防音壁で囲われた部屋で育てる実験を紹介している。人間か言語を獲得する過程と同じように若鳥は師匠である成鳥から…

  • オヤジのあくび547

    小西正一「小鳥はなぜ歌うのか」を読む1 普通、動物が声を発する時、それを鳴くとか吠えるとか言う。けれど小鳥の鳴き声は「歌う」なのだ。中世のヨーロッパ人は小鳥に鳴き声をフラジオレットで学習させようと企んだ。小動物とのコミュニケーションとして微笑ましい。 なぜ? どうして? と問い始め答えを探すことで、人類は科学を発達させてきたのだ。「小鳥がなぜ歌うのか」「そんなの歌いたいからに決まってるじゃん!」と曰う御仁は、この本を手にすることがないかもしれない。 洋の東西を問わず演奏者・作曲家にとって、最大の課題は、聴き手が飽きたり寝てしまったりすることをどう防ぐか? です。小鳥の世界にも似たような工夫はあ…

  • オヤジのあくび546

    近藤勝重「昭和歌謡は終わらない」を読む3 美空ひばり、俳優畑から石原裕次郎に高倉健、ちあきなおみ、北島三郎・・と昭和歌謡史を彩る歌手の思い出を語っていく。紹介される歌は、すぐに口ずさむことができるし、声や歌い回しも思い出せる。これが昭和歌謡だったんだなぁ。 本書は、百恵→聖子→明菜と続き、それぞれがどんな歌詞を歌っていたのか? とりわけ売野雅勇が歌詞を書き、中森明菜が歌った「少女A」に突っ込みを入れている。 さらに著者曰く「気障」なジュリー。化身という言葉が文中に出てくるけれど、まさに昭和という時代の歌の化身なのかもしれない。本書から離れるけれど、ザ・タイガースに曲を提供していたのが、すぎやま…

  • オヤジのあくび545

    近藤勝重「昭和歌謡は終わらない」を読む2 コロナ禍以来、電車やバスの窓が少し開いている。けれど元々は下から上に大きく開いて、旅行中は車内から駅弁を買っていたものだ。駅のプラットホームは今も昔もわかれの場だけれど、汽車なら間に合うのに電車は無情に走り去ってしまう。伊勢正三の「なごり雪」をはじめ、多くの曲が汽車と書いているのは別れの時間の感じ方が、汽車と電車で変わってしまったからだろう。 昭和の話題で避けて通れないのが、安保闘争・学生運動。西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、加藤登紀子「一人寝の子守唄」かぐや姫「神田川」、荒井由実「いちご白書をもう一度」をネタに、ラブ&ピースと題した章であの時代…

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