きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う
きょうの詩は雨上がりの空がみせる寝不足の空かな・・・その空の回復の遅さに重ねみるのは時雨れ模様に変わりそうな空晩秋の空晩秋の空ほど私を弄ぶものはない私に期待とワクワクを持たせその気にさせながら一気に奈落の底に沈めて嘲笑う時雨模様の空この季節の空は私の故郷の空を覆う時雨空の走りに似て私の思いをあの頃に回帰させ広がり覆う空に重ねてああ似ているな・・・時が停まる。雨上がりの空
きょうの詩は秋になると咲くヨメナ「いつもこの場所なら」思い訪ねればその場所から消え、思わぬ所で再会する花との想い。ある出会い秋になり、なかなか目にしないというか逢えないひとりかな彼女には逢えそうで逢えないそんなひとかな秋はいつもの場所に行けば会えるそれがいまではなかなか会えない中思わぬところで出会いああ・・・会えたとうれしさが恋心をそそり初恋の時のようにわが心がときめく。野花の想い
きょうの詩は晩秋のなかで最後の咲をみせる野花の想い晩秋の出会い花の少ない季節はいつかな・・・余りそんなことを考えないけれど、晩秋になるとつい考えてしまいまだ見ぬ秋彩を追うそのなかでまだ咲く野花を見てああ・・・まだ残っているひっそり身を隠すように咲く花に見とれうれしくなる秋の終わり少なくなる日和で最後の美を見せる野花から生きる大切さを知る。秋の最後の燈り
きょうの詩は十月にGreenの空に消されるように咲くアーコレード桜への想い10月の桜これ桜かな?初めて10月に出会ったときはそう思い秋に咲く桜の中では質素で春の華麗さはない中彼女の花の咲は疎らでその無垢なほほ笑みがgreenの空に一等星としてともるアーコレード桜。十月の桜
きょうの花は夏日が秋になっても続きいつもなら咲く時期に咲くはずの花の開花が遅れ、その咲を見たのが10月の初め、詩はその花の想い遅れてああ・・・よく寝た眠い目をこすりながら目を覚まし花を咲かせる野花この秋は熱くて・・とても目覚めることはできず目覚めの時をしたのが秋も半ば過ぎあちゃ・・・咲くのが遅れた花に見る戸惑いの花彩がいつもと変わらない深紅の曼珠沙華。遅れて咲く野花
きょうの詩はfrankにラフに使える「好き」という言葉、でもこの言葉はある意味で棘のある言葉、だからこそマナーとruleを知り愛し使いたい。好きこの言葉には深い意味はなくいつも何気なく使うがひとに対しては互いが信頼できる相手に対して会話になるが相手を間違えば誤解と心に傷を負う言葉好きでも私はこの言葉をこよなく愛したい。好きという言葉
きょうの詩は私が思うひとの愛についての疑問と思いひとの愛宗教が説く愛と慈悲に慈善を行う人たちが伝える愛と何が違うのかそれと…動物愛と男女の愛形のない愛などこれらの愛は何が違うのか私は問い病む現実と打算の間で生まれゆれる愛に。----人を知るツール
きょうの詩は秋の寒冷前線が齎す夏の温もりを消す晩秋の一コマをみる雨かな十月の雨南からの雨が北からの雨に変わり温もりを消す冷たい雨がやあ、待たせたね。冷雨が激しく扉をたたくように降ってくる。寒気の雨ああ…これで夏にようやくLullabyか。怒る雨に秋を見る。晩秋の雨
きょうの詩は咲が遅れていたその咲と香る匂いに誘われて咲を知る花への詩誘う花の匂い誘うというか誘惑するというか姿を見せぬまだ見ぬ人から放たれるいい匂いこの香りの人は誰・・・思い探せば愛くるしい笑みをこぼしながらほほ笑む口元から香る心を擽る芳醇(ほうじゅん)な香りが・・・ああ・・・この香りはあの人の匂いか空白の心に花が咲く秋。咲く金木犀
「きょうの花旅」きょう出会う花は金木犀、いつ咲くか・・と思いながら咲く場所を何度か巡るなかで逢えた金木犀の咲と香り、その放つ香りをシャワーで浴びる。きょうの花
きょうの詩は秋になると野でひっそり咲くノコンギクをみて思うこと野花見てわぁすてき・・・そう思う彼女ではないでも彼女もひとりの女性見た目は美しい女性(ひと)でないし顔は薄化粧で奇麗というよりかわいいかなそのひとは愛くるしい顔で草のなかに座りはにかむその顔は数人の童。野花ノコンギク
きょうの詩は私が思う恋は性と心の二つからと思う私恋に思う私が思う恋は性と心の二つの恋から成り性の恋は喜怒哀楽を生み心の恋は情熱を永遠に保つ二つの恋この恋を失くしても生は保てるが活力と覇気が薄れみずみずしさを失い私から四季が消え、冬が続いていく。私が思う恋
私は私で独りであるが、人は家族、友人、仲間など多くの人に愛され、支えられていて独りであってひとりでない私私はひとり私は私で独り生を受け旅立つときもひとり確かに私には愛する家族がいて多くの友人がいて多くの人たちに支えられいまの私が在るが私は独りでも・・・その私を少し愛し思い声をかけてくれるからいまの私は独りではなくひとり。私は独り
きょうの詩は、ようやく秋の訪れをみるなか、里山にその秋の走りを求めて歩く思いの詩里山に秋を求めまだ緑が濃いなひとりぼやきながら歩く雑木の森みる森の四方の空間は狭く圧迫感で息苦しく足掻くように息抜きの空間を探すでも遅い染まりが空間を狭め保つ濃い色合いを別れの化粧を始める気配はなくわかれはまだ先か求めが落葉となって散る秋。里山の秋
きょうの詩は私が友人、知人に対しその人のMemorialな日に作り書いて送る便りに対する思い便り私は否定派でも固守する方でもない。唯、便りは多様性があってもよいと思い、その人に合わせて考え、手法を変えて送る。それは面倒で合理的でないし、確かに機器で全てが完結できるのに。でも私は、あえてその人に合わせて、Memorialの日には自らの手で作り、送る。それもanalogで。letter
きょうの詩は、私が持つ性と心の恋に思う詩ある恋恋を人対人と定義するのではなく恋に多様性もありと思う人の求める恋にいつも喜怒哀楽を見てああ・・・切ないとか思い私はその一面を花に群れる蝶に重ね喜びの後に空いた穴を見てこれも人の恋思い恋には多様性があってもいい私は思う時には人から離れ四季の中に咲く野花を追い求めながら性を捨て、時には野花と戯れる。二つの恋
きょうの詩は私のいつもの朝の目覚めに思う目覚め眠る頃か・・・私の意識を奪い静める真夜中更けゆくなかで思う長いようで短い夜が私の心を夢で弄びこれは何・・・私に問い昏睡を邪魔する夢おい、起きろ朝の明かりが夢を消し覚醒を促し私の回帰が再び始まる朝。朝の目覚め
きょうの詩は秋になっても秋らしさはなく、夏を思わせる暑い日差しを避け逃避する想いの詩逃避いつもならホッとして浴びる日差しそれが秋のさなかになっても去らず夏の日差しを保ち私たちを痛める嫌な人まるで会いたくない人を避けるように木陰を求めホッとするこの感じは人目を避けての恋の逃避行か。----逃れ
きょうの詩は、私が思い描いていた思案が崩れ否定された季の異変に対する思い思案数枚めくれば彼岸で私が会いたいと思う人に逢える抱いていた思いを思い巡らしそろそろ逢いたい人に会えるかいつもの逢瀬の地に行くとそこにはいつもの彼女の姿はなく更地が広がりいつものほほ笑みはなく静寂な空間が彩を消している。思惑
人が心に秘める恋、恋は人対人に拘らないで熱い想いを続けることで活性を維持し、人の生きる術のなかに恋心として息づく。四季の恋人の感情を昂らせ生きるつてとなる感情と情熱それは恋恋は人の活性をキープする言葉恋を失くしても命は維持できるが心の覇気と活性がうせ鮮度は落ち心に花咲くことなく枯れる恋の対象は何もすべて人に限らず生きる四季のなかにある。四季に恋をみる
きょうの詩は、私が思う出会いは生きるToulであり、ひとが求めてやまない性かも知れない。出会い人は出会いと別れを繰り返し今日を過ごし喜怒哀楽を楽しみ明日のページを無にして開いて再び一期一会の中に夢を求め追い楽しむ私の生求める出会いは花となって咲くか咲かずに終わるか人の出会いはしょせん悲しい性。私が思う出会い
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きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う
きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い
きょうの詩は私がよく歩く森のなかに立つ、一本の樹木がみせる一コマをみての思い一本の樹木人知れず立つ一本の樹木きょうも訪れの少ない境内に立つ樹木が得意げになるのが萌からの新緑、青葉からの黄葉彼女が描くプロセスとワンシーンはすてきでいつも切ない恋心をわくわくさせああ…この素顔から萌え広がり深く染まる大きな包容力で怒りを遮りホッとする木陰を一本で阻む包容力を森に立つ一本の樹木にみる。一本の樹木
きょうの詩は梅雨空の下で映える一葉の美しい桜を見ての思い梅雨の桜花を終えた樹木の葉が全体を覆い一葉の緑梅がみずみずしい桜その桜の樹の下に集う者はなく今日も寂しげで日差しが桜に声をかけ「呼ぼうか誰かを」誘うが・・・日差しはまだ…梅雨色で逃れてくる者はなく「先か…」私の梅雨化粧はみずみずしく美しいのに誰も私に振り向いてくれない。梅雨の桜
きょうの詩は6月の梅雨入りで降る雨にみる私の思い雨の6月梅雨入りか・・・この雨が森に潤いを齎し、うまい水が生まれその水で美味しい米が作られ、果実などが育まれ私もこの雨から心身に潤いを受ける6月の雨「いいね」そう言いたいけれど「おいおい少し降り過ぎじゃない」これは驕る私に対しての怒りであり、哀しみか降る雨に対し私は何も言えずああ・・・「きょうもよく降るな」で終わる水無月。6月の雨
きょうの詩は、いままで過ごしたなかで私にとり心残るひととなっているのが、ひとでなく里山で咲くささゆりに対する思い。心残るひと長く生きていると心に残る想い出が多く、心に残る人は多い。その中で一年に一度しか会えないひとが、里山でひっそりと咲くササユリ。花は野山で咲くのに七年以上を要し、会えるササユリが私の心残るひと。消えたら会えるのは七年先。でも会えるとは限らない想い出のひと。心残るひと
きょうの詩は何れ私にもくる、生あるものに必ず平等に来る永遠のわかれに思う会えないわかれひとのわかれにはいろいろなわかれがあるなかで一番悲しく寂しく後悔に抱かれるのが愛おしいひととのわかれ寂しく哀しく募る思いは感情を揺さぶり回帰するが唯唯想い出を拾いしのぶ生あるものすべてに訪れる永遠のわかれなまじ思考があるがゆえにやむ命のうせというわかれ。最後のわかれ
きょうの詩は終わった五月に対する私の思い終わった五月五月の中で私が求める花は新緑の中で燃えるヤマツツジツツジなら街でも見られるじゃないでも違うんだね私が求めるのは小さな赤い花その赤がいいそれが五月で叶わず閉じの末まで待って求めたのはサツキ叶わぬ思いをサツキに重ね、五月が終わるああ終わってしまったと六冊目を開く。五月の思い
きょうの詩は好きになってわかれたあの人の想い出を、季節の花に重ね想う私の思い。嫌な人人は出会いと別れを繰り返し私は何も分かっていないと悩む人との別れ今、別れの思いを花に変え私の好きな人を花に重ね思い出を追うように季節ごとに咲く花を求めるが季節ごとに咲く花は私の浮つく心を見抜き弄び見抜き季節ごとに一コマ…で私の思い出を詰め勝利を満面の笑みで弾けさせる嫌な人。嫌なひと
きょうの詩は6月が旬の紫陽花を宴に例え書いた花に対する思い。6月の宴素焼きの器で甘露の雨水を受けほろ酔いし少し飲み過ぎたかな・・・ほんのり顔を赤らめ酔った姿が美しい器の数々そろそろ紫陽花の季節かな・・・その個性その表情は多種多様で雨後の度毎に酔いを深めきょうはこの器で明日はこの器でと杯を変え宴の場を盛り上げる多彩な器の宴が愛おしい。咲を宴として
きょうの詩は降る雨に、ひとの感情を重ね想う雨の降り雨に思うああ・・・今日も雨か降る雨に今では人と同じような感情を見て雨は時には怒りを見せて降るがその源は人間にあるのか考えさせられる雨はすべての生をつかさどる命の源本来それぞれに対し愛しみを込められながら降っていた雨を人々がその環境を変えたことで今では感情をあらわにして雨を見て思う「おまえ今日は随分機嫌が悪そう」と思う雨。降る雨に思う
きょうの詩は私の恋についての思い恋に思う私恋それは私がひとが持つ性恋なくともひとは生きられるが恋は情熱情熱は生きるための活力でを失えば覇気が消えひとは人間を失う唯何となく煩わしいことも捨て生きるそれもありかでもひとは恋を追い求めないと容を失うそうひとの恋は人対人でなく人対四季の自然な恋もいい。私が思う恋
きょうの詩は、私が生を受け過ごすなかで生じる悩みを、解消する気分転換に思うに思う私の気分転換ひとは生を受けるとその時点から悩みを負う。それは成長に従って悩みの対象は広がり、「私は悩みなどない」そう思うひとは少なく、大抵のひとが悩みを抱え込む。それは思考と言葉を持つひとの宿命で、それがゆえにひとの心は荒み、Stressを抱え込み、「いまを変えよう」思うなか、私は悩みを解消するため、野山を歩くことで悩みを吐き出し、空にするResetが私の気分転換。私のReset
きょうの詩は、街の公園で咲く小さな花群をみて想う私のバラへの思い初夏に咲くバラ私がよく気分転換に訪れる街中の公園のバラ小さな囲みの中で群れ咲くバラを見て初夏か・・・知り花色はイレブンくらいであるがそのひとりには育ての愛が込められて彩の個性は少ないが花の色と数は多様で咲きに私たちの子育てをみて楽しくうれしくなる街で咲くバラたち。初夏に咲くバラ
きょうの詩は、私がよく使う二つの言葉に対する私が思うこと。二つの言葉私たちが使う一対一で「好き」「愛している」使う二つの言葉はいまは日常会話となって二人の関係を深めるが本来は「好き」と「愛している」とは対象が違い「好き」「愛している」は一対一の限定に対し「愛」はすべてのものが対象に対し「好き」「愛している」は最愛の人に使い「愛」は生あるものに対して使う思いやりや慈悲の心。二つの言葉に思う
きょうの詩は私が思う愛についての思い愛に思う愛は生あるものが持つCoreとなる心ひとは彼らと違い言葉と判断で自らの愛を温かい包容力で優しく包み和ませるのがひとの愛愛は利を求めずすべてのものに対し相手を労り傷ついた心を癒やし優しくあやすように温もりを伝えて元気にする人の愛愛は温もりで思いやりであり生きる喜びの道となるのがひとの愛。ひとの愛に思う
きょうの詩は初夏の街で咲いて散った、花の終りを旅たちに変え思う私の思い散りという旅立ち私の思う散りというツツジの旅立ちその旅立ちは恋して楽しい逢瀬を数日過ごし別れを予感しああ旅立ちか・・・知り涙し散るツツジの容のうせ笑顔が消え生みとなった木の葉が化粧し美しい顔で「またね」と告げる花の旅立ち。ツツジの散り
きょうの詩はミモザに付けられた花言葉を重ねて思う私の思いアカシアの思い私は一つの恋で終わるのではなくひとりに恋しながらもうひとりとの恋を楽しむ私その花の思いなど知る由もなく魅力的な花と繊細な一面に鮮やかな黄花ポンポンのような花を着物の胸元から軽く垂れる様子ははかなく心の満たされない私の思いはあなたにひそかに求める私。花言葉に思う
きょうの詩は私がもち思う「好き」という言葉に対する私の思いSUKI好きという思いは人が持つ性であり感情感情は人が生きるためのツールで人を対の形に作る反が歪みを生み思いを暴走させ制御を失う一面も持つ好きという人の思い思いはその人が持つ個体差で違いそれはその人の魅力であり美しさ好きは人のコアとなる心で好感に変換され互いが惹かれ求め合う性を生む。「好き」その言葉に思う
きょうの詩は、雨雲が去ってもなかなか夏空に回復しない空に対する私の思い----雨後の空雨を降らせた雲がLullabyと去っていくなかで駄々をこねる薄雲を叱るように早く…と追いやる日差しに対し抵抗する雨後の空空に青空を一気に広げて回復する元気はなく空で迷走し夏空になり切れない雨後の空。雨後の空
花の戸惑い町の至る所で夏の花が咲いて私は見ごろと微笑む花たち香りは薄く夏の花たちが鮮やかな花彩でみせてそのなかのひとりをみて咲くのが早くない思う花に重ねる夏の戸惑い。夏花に思う
夏の花私が好きなアジサイのアナベル花の色は白とピンクいつもみるのは白でピンクはいまだに会えない愛しいひとそのひとは感情をたかぶらせることなく何人にも染まらないむくでその白亜の美しさが薄汚れた私の心を雨と共に洗い流す。紫陽花のアナベル
わたし私は愛する二人から生を受けいまを生きているふたりの愛で私という形を作り多くの関わりあう人たちから愛を受けて糧となる彼等の恵みで生を育みいまの私があるそのいまがあるのは彼等のおかげでその感謝でいまが在りありがとうで私は明日を生きる。私が在るのは
ある想いきょう思う想いは人でなく夏のアジサイそのひとは日本の花でなく西洋アジサイのアナベル色は白とピンク一目でいいそう思いながらいまだに会えないピンクのアナベル一度でいい想いつつ過ぎる夏の想い。一目
森の樹森のなかに立つ一本のケヤキ見た目はでかくでかい割には格好のいいひとりでこれがケヤキかそう思い新緑のケヤキにみとれる夏の青その深緑のテラスに集うものはなく辺り一面を夏の寂が漂う。夏のケヤキ
初夏の桜の堤で花の消えた初夏の桜並木には訪れる人は少なく長い沈黙の時が流れる静寂の一時その樹木の下で座り耳を澄まして命の声を拾うが邪念で固まる私には何も聞こえない。桜の樹の下で
一枚のArt森のなかの小路に立ってゆっくり空をみながら窓の下に広がる森の表情を追いArtに見立て一枚・・区切りBestな一枚を選ぶなかで出会うBestな一枚は私の失せた恋心に再び火を付ける。森は一枚のArt
初夏の花走り梅雨が森に潤いをもたらし雨後の日差しがつぼみに話しかけ優しい新緑の広がりが百合を抱きしめ温める初夏その暖かさのなかで花は恋心をふくらませ淡いpinkの姿態を少しうつむきかげんに咲かせるその姿は控えめで愛くるしく優しい微笑みで私の想いをもてあそぶ。初夏のササユリ
私の想いで人は月日を重ねながら成長して一期一会を重ねながら想いでをつづり一冊の本になりその本は校正なしの一冊で時にははがし破いて修正を重ねるごとで私の一冊となり初めはつまらない一冊が年月を重ねるごとに私の想い出になる。想い出
いま思うのはいま私が思うのは籠のなかに閉じこもり失せた旅への想いああ・・・知らない街を歩いてみたい思う気持ちと裏腹に行動に移れない私いま消えた想いと情熱を思い「さあ行こう」その一歩が出ない私を窓から流れ込む初夏の風が「さあまずは街を一緒に歩こう」風が私の耳元で誘う。燻る情熱
紫陽花の社交場初夏の街の至る所で紫陽花が一人二人と微笑むなかでまだあどけない子もいれば薄化粧のおしゃま少女もいるまだまだ化粧の美しいひとは少ないが色とりどりのドレスを花がまとい日を追うごとに華やいでいく紫陽花たちの雨後の社交場。夏花の宴
私が思う恋恋か・・・関係ないないな恋を男と女の性として捉えるから相手を失うと終わる私達も動物と同じ本能をもっているがそれをControlする術を持つ出会いイコール恋でなく互いは惹かあうことで恋が生まれるそれはあくまで自然体から。思う恋
私の換気人はソフトとハードで構成されいまを生きているそのソフトは意外とトラブルという弱点を持っているがソフトは更新と交換ができず維持のメンテナンスが生じる怠ればショートし壊れる人のソフトそれを維持するため私は換気とリセットで更新を繰り返す。私の気分転換
想い出の人誰もが忘れられない思い出の人を心のなかに残しているそれは生涯表に出ない私の心のCoreに閉じ込められて私はいまを生きているそれがいま朽ちるなかで時折うずいてああ・・・切ない思い浮かべるあの人との時間それは私が心に閉じ込め消したふたりの想い出の一時。心に残る人
好きと恋私達が使う好きと恋の言葉好きだからといって恋にはならないひとが求める恋はひとの性で好きとは心の部分この二つは混同され錯覚し狂いを生む言葉いま恋し好きになり恋の形を作り二つが私のCoreを生す。二つの言葉
五月の椛色々な場所で初夏の美をみせる椛がちやほやされるのが秋でその私が春の萌えから初夏に移るといまの私は蚊帳の外ああ・・・何で生える所は違っても私も同じ椛そう思うと哀しいいま菜種梅雨と初夏の心地よい風で春を洗い彩化粧で潤う私も見てと椛が誘う。初夏の椛
消える私公園のなかで際立つ一本がみせる香りの存在感樹木の花は個性と色と香りで存在感を示すが足を止め仰ぐものはないいま彼女の満面な笑顔から香りがこぼれるその香りを拾い見上げるものはなく笑顔も消え渇いた涙が樹の下に散らばる。フサアカシアの散り
風に乗って堤で咲き終えたタンポポが花びらを綿毛に変え新たなる出会いを求めて風を待つ私吹く風は気まぐれでいつ来るかわからないあなたを待ち続ける風が来れば風に必死にしがみついて飛び降りた地で私の生が再び始まる。ある花の旅たち
初夏色染まり散り色あせぬ花びらに別れた女性(ひと)の想いでをかさねる色とりどりのバラ咲く色とりどりの園は多くのひとに愛されるが私もそのひと(女性)りなのに愛されずひとり寂しく散る花もあるその花はどこで咲いても恋化粧は美しく魅惑の微笑みで私を誘う。初夏のバラ
湿り風風が北から南風になって思うのは梅雨の走り雨の季節か・・・曇る空に梅雨の表情こそないが吹く風に感じる重い湿りああ・・・この風は嫌な露を知らせるあの風のさわりその風にみるのはいまでは忘れ会いたくないひとり。南の風