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メゾフォルテさん
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メゾフォルテからあなたへ
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http://blog.livedoor.jp/dorci/
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歴史にまつわる物語などで、あなたの心の扉をノックします。
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メゾフォルテさんの人気ランキング

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メゾフォルテさんのブログ記事

  • 太宰治を読む〔273〕

    なぜか方丈記が気になった。鴨長明「方丈記」が現代まで残っているのか・・・・・琵琶の名手であったという鴨長明のリズムのある文体で書かれていたとしても、あるいは災害への警告だとしても、そのほかの理由があったりしないだろうか。太宰治「右大臣実朝」に鴨長明が登

  • ムクゲ 2019年

    韓国の国花だというムクゲの花の写真は毎年アップしております。私の撮る花はみな何か言いたそうにしているんですけれど・・・・・底紅のムクゲの花は、ついつい小手指の戦いで亡くなった人たちを想像してしまいます。「戦いはやめてくれ」 「戦いで亡くなる苦し

  • 太宰治を読む〔272〕

    太宰治って、なんだかしらじらしい。私なんかにわかりそうもない。だけど、人のものを盗んできて自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。(太宰治「女生徒」から一部改変) 太宰治「女生徒」について こちら太宰治の作品の中で

  • 東條英機を知る

    東條英機は器でないといわれつつ戦争の指揮を任されたのは、結果がよく見える頭脳明晰な人たちはみな上手に逃げたから、ということがいえるかもしれません。東條英機について こちら東京裁判では、理路整然と日本の立場を述べたのだとか。女性問題については厳しかった

  • ヒトラーの絵

    主人が遺していた資料の中にヒトラーの描いた絵が掲載された本がありました。画家志望の時期があったようで多くの習作を残しています。この2枚の絵は、1910年から1912年の間に描かれたようです。良くも悪くも尖がったところのない、ごく普通の絵に感じられ

  • 太宰治を読む〔271〕

    脇道があるとついそちらを選んでしまうことがある。太宰治「天狗」を読むと誰でも脇道に入り込みたくなるのではないだろうか。→ こちらなぜ太宰治が「猿蓑」を持ち出したのかというと、師匠と弟子の関係に着目したように思える。松尾芭蕉が高齢になって、意地悪爺さん

  • 太宰治を読む〔270〕

    日本近代文学館「春の特別展 生誕110年太宰治創作の舞台裏」に出かけた。若いころの落書きが書かれたノートや原稿があれこれ展示されていて、その中で興味深く思われたのは、1935年(昭和10年)4月、太宰治が急性盲腸炎に腹膜炎を併発し手術を受けたのち、鎮痛

  • 生き延びるということ

    本棚の整理をしていて、何気なく手に取った本がまるで意思をもった生き物のような気がすることがあります。とくに主人が買いこんで読んでいない本が不満のオーラを発しているというか、主人の心残りが感じられるというか。さきほども、そういったことがありましたのでご報

  • 太宰治を読む〔269〕 三鷹・太宰治文学サロン

    太宰治は森鴎外の追っかけで三鷹に住んだのかもしれない。太宰治の追っかけとしては、三鷹にもっと出かけなければ、ということで太宰治文学サロンへ。公益財団法人 三鷹市芸術文化振興財団「太宰治文学サロン」は こちら1部屋に太宰治に関する情報がたくさんあっ

  • 続 寧日記〔148〕 鴎外の横顔〔21〕

    森鴎外の墓は向島・弘福寺から1927年(昭和2年)に三鷹・禅林寺に改葬されたとのこと。祖父である森白仙の墓と同じように、昭和2年と三鷹・禅林寺に意味があるのかもしれません。1927年(昭和2年)は芥川龍之介が亡くなった年であり、日本の岐路であったよう

  • 続 寧日記〔147〕 鴎外の横顔〔20〕

    森志げの作品に「お鯉さん」というものがあることを知って驚きました。だって、森鴎外が、心を奪われたのはエリスよりものちに桂太郎の愛妾となった、若かりし頃のお鯉さんじゃなかろうか、などと思っていたときでしたから。森志げは作家としてそれほど評価されなかった

  • 続 寧日記〔146〕 鴎外の横顔〔19〕つづき

    きょうの発見その2鴎外がほかの作家に比べて、鳥にこだわっているのはなぜ?と考えたら、飛行機だ!とひらめきましたそもそも「飛行機」とは森鴎外が訳語をつくったようです。→ こちら航空に関する年表については こちら日本における飛行機の初飛行については諸説

  • 続 寧日記〔148〕 鴎外の横顔〔19〕

    鴎外の関心というものはかなり広範囲に渡っていると思います。もしかしたら今の日本に役立つ何かが見つかるかもしれない・・・・・この点には、私のしつこさが役立つかもしれないと厚かましく追いかけております。先輩太宰治に申し訳なく思いつつ、「待つ」といって下さっ

  • 太宰治を読む〔268〕 お鯉〔2〕

    太宰治の宰の辛の字が私に訴えるように思えたりするのはなぜなのだろうか。太宰治にとって何が辛かったのか・・・・・ 太宰治が「井伏さんは悪人です」と書き遺したのは、結果的に恩人井伏鱒二を救うことになったかと思ったりしたのだけれど・・・・・

  • 太宰治を読む〔267〕 お鯉〔1〕

    新橋の芸妓お鯉とは、首相桂太郎の愛妾となって支えた女性である。長谷川時雨「一世お鯉」は こちら国立国会図書館デジタルコレクション   安藤照「お鯉物語」・「続 お鯉物語」は こちら戦前は名誉棄損・プライバシーなどに配慮が要らなかったためか大胆な内容

  • 続 寧日記〔145〕 鴎外の横顔〔18〕

    松本清張「対談 昭和史発掘」 文春新書 2009年は帯に「清張昭和史」の決定版とあるだけあって、興味深い内容が盛りだくさんです。目次は第一部 対談 昭和史発掘 戦前篇 不安な序章――昭和恐慌 城山三郎/松本清張 戦中篇 吹き荒れる軍部ファシズム 五

  • 続 寧日記〔144〕 鴎外の横顔〔17〕

    なぜ私の頭の中で森鴎外と十和田湖の乙女の像が結びつくのか、自分でもよくわかりません。十和田市による Towada and Beyond は こちら この中での乙女の像はおそらく佐藤春夫の目というものを想像してしまうからなのでしょう。佐藤春夫は、森鴎外と太宰治の2人に

  • 婆的ニュース解説 2019年5月

    トランプ大統領の訪日最終日、海上自衛隊の護衛艦「かが」とアメリカ海軍の強襲揚陸艦「ワスプ」を訪れたとのこと。かつてミッドウェー海戦で沈没した日本軍の空母「加賀」について記事にしたことがあったので、日本の自虐的なごますりか?と思ったのだけれど・・・・・以

  • みちくさで

    太宰治を読むシリーズをまとめようと思っているのに、ついつい道草をしてしまっております。森鴎外の方が長生きをして多くの作品を残したため、道草とはたいへん失礼なことかもしれませんが・・・・・以前から気になっていることがありまして、grass の意味は、フェイバ

  • 石見人 森 林太郎

    ここのところ、森鴎外に心を奪われているのですがそういうときに急に視界が開けるような思いがするときがあります。なぜ森鴎外は、遺言で「石見人森 林太郎トシテ死セント欲ス」としたのでしょうか。最期に石見にこだわったのはなぜか・・・・・鴎外は文久2年生まれ

  • 続 寧日記〔143〕 鴎外の横顔〔16〕

    森鴎外「うたかたの記」は1890年(明治23年)8月に発表されたとのこと。「うたかたの記」より・時は耶蘇歴千八百八十六年六月十三日の夕(ゆうべ)の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺れて殂(そ)せられしに、年老いたる侍医グツデンこれを救うはむと

  • 祝 トランプ大統領ご夫妻来日

    トランプ大統領ご夫妻の来日を心から歓迎申し上げます。こちらの写真は、青森の陸奥湾と八甲田山です。東北の地方都市である青森は四季がはっきりしていて、冬は雪が多い土地柄のため若い人たちの仕事があまりありません。仕事があれば、というため息交じりの会話

  • 太宰治を読む〔266〕

    菊池義孝「太宰治と罪の問題」 審美社 1964年(昭和39年)より・私たちは、森鴎外について話し合っていた。話がその「金貨」という作品に触れたとき、あの人(=太宰治)はこういう作品を見ても鴎外という人が「正しい愛情」というものをちゃんと心得ていた人だと

  • 続 寧日記〔142〕 鴎外の横顔〔15〕

    森鴎外「椋鳥通信(上)」(全3冊)池内紀編注 岩波文庫 2014年では森鴎外の情報収集を垣間見ることができます。私などはお手上げな内容ですけれど、池内紀氏の解説とコラムで少しは理解できるというか・・・・・1909年から1913年まで、激動の20世紀初頭

  • 続 寧日記〔141〕 鴎外の横顔〔14〕

    続 寧日記〔139〕に続けて文武天皇については こちら文武天皇期の元号である大宝、慶雲は大きな花火のように感じたりします。大宝元年に大宝律令が完成して、国の形が整ったということでしょうか。ただし、「旧唐書」に「日本伝」と「倭国伝」が並立している、との

  • 続 寧日記〔140〕 鴎外の横顔〔13〕

    森鴎外は負けん気がかなり強かったとか。それだけに、当時の日本とヨーロッパの差に唇を噛む思いだったのではないでしょうか。鴎外がミミズクの絵を描いた素焼きの皿が残されています。1913年(大正2年)1月と記されています。写真は文京区立鴎外記念館HPより

  • 続 寧日記〔139〕 鴎外の横顔〔12〕

    松本清張「両像・森鴎外」によると、森鴎外が祖父白仙の墓のある滋賀・土山常明寺を訪れたのは、1900年(明治33年)3月2日であるとのこと。このとき、森鴎外は九州小倉の第12師団軍医部長であり、その公用出張での上京の途中に立ち寄ったということのようです。

  • 続 寧日記〔138〕 鴎外の横顔〔11〕 

    森潤三郎「鴎外 森林太郎」表紙には家紋があったという以前の記事は こちらその家紋は菊の葉がデザインされているものでした。ただし、この家紋は維新後に替わったものであるようです。菊の葉というと皇室周辺を想像してしまうのですが、実際、菊葉文化協会という団体

  • 続 寧日記〔136〕 鴎外と清張

    松本清張は、晩年に「両像・森鴎外」「削除の復元」を未完のままにしていました。。松本清張全集(1996年)66巻の最後に「削除の復元」があります。「削除の復元」から(登場人物の発言として)・「わたしは鴎外が好きなほうだ。軍務のかたわらあれだけの量の創

  • 続 寧日記〔137〕 鴎外の横顔〔10〕

    森鴎外「沈黙の塔」について以前の記事は こちら別の視点から考えてみることが必要だと気がついたところです。森鴎外は、軍医や作家よりも外交の仕事をしたかったのではないでしょうか。明治時代の日本とイランの関係について外務省のHPに興味深い記事がありました。→