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歴史にまつわる物語などで、あなたの心の扉をノックします。
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メゾフォルテさんの新着記事

1件〜30件

  • お彼岸に

    9月22日の午後、墓参りに出かけました。30分ほどのところですが、久しぶりに歩くとけっこうたいへん。いつもよりは丁寧に、草をとり、そばの桜の小枝が落ちているのを拾い「お守りください」と強めに祈ったりして。電気工事や駐車場の警備の方たちを見かけました

  • 太宰治を読む〔332〕

    森鴎外「伊沢蘭軒」は新聞の読者に不評だったようである。たしかに「明暗」に比べて、長編でもあり退屈というか当惑というかそういった感想を持ってしまう。野上彌生子の「海神丸」を読んで、「伊沢蘭軒」の読み方に気づいた・・・つもりになった。この「伊沢蘭軒」は森

  • 太宰治を読む〔331〕

    夏目漱石が12月に亡くなった1916年(大正5年)はどのような年だったのか。3月に漱石の第五高等学校の教え子であり「早春賦」の作詞家である吉丸一昌が7月に漱石の東大英文科の後輩である上田敏が若くして急死している。吉丸一昌については、フンドーキン醤油株式

  • 太宰治を読む〔330〕

    野上彌生子の作品の中でも「海神丸」は、やはり目を引く。(ブログ本文では彌生子とし、引用で弥生子とあるものはそのままとしています)新潮日本文学アルバム「野上弥生子」 1986年には、「海神丸」掲載の「中央公論」大正11年9月号の目次(部分)がありさらに

  • アンダー コントロール

    前の記事の写真より日付が前後しますが8月31日は雨模様で下りの東北新幹線では、ほとんど写真が撮れませんでした。福島近くの写真です。濃霧が何かを訴えているような気がしました。アンダー コントロール  とは? 誰によって、どこによって、などと深読

  • 9月3日の空

    台風が近づいているので、雲がにぎやかだと思います。東北新幹線から撮影した雲です。まるで政治が雲を呼んでいるかのように感じたりするのですが・・・・2つのランキングに参加しております。(汗低迷気味ですのでよろしくお願いいたします。人気ブログランキ

  • 太宰治を読む〔329〕

    野上彌生子全集 別巻二妻と母と作家の統一に生きた人生 記述 竹西寛子 ・「あなたはリアリストとしての賢明さから、自分の特別条件のよい境遇の価値というものを十分理解していたと思われます。嘗て『青鞜社』の活動の旺んであった時代、伊藤野枝があなたのとなりに住

  • 太宰治を読む〔328〕

    田辺元の山荘の写真がある京都学派アーカイブは こちら北軽井沢の野上彌生子の山荘も田辺元の山荘も質素なものである。冬は北海道並みの厳しさであったとか。野上彌生子は疎開のときは冬も滞在していたようだが、夫豊一郎の病、1950年(昭和25年)の死去のあとは、

  • 太宰治を読む〔327〕

    野上彌生子と田辺元の「老いらくの恋」については、いかに厚かましい私でも付け焼刃程度ではわからないだろうからとパスを決め込んだのだけれど・・・・佐藤優『学生を戦地に送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』 新潮社 2017年帯には「お国のために死ね」と

  • 太宰治を読む〔326〕

    大分県先哲叢書普及版佐藤智美「野上弥生子 時代を見つめ書き続けた100年の生涯」ドメス出版 2013年より昭和十二年の元旦、「東京朝日新聞」の「新春の言葉」欄に弥生子は、「一つのねぎごと」(ねぎごと・・・ねがいごと)という文章を発表しました。「ある

  • しおり

    青森には、こぎん刺しのしおりの土産物があります。軽いのと値段も手ごろなので、重宝な土産として買い求めてきました。しおりの語源は枝折だとか。しおりに向く枝とは?むしろ語源が紙織とか詞織で、小さな布であったならよかったのになどとツッコミたくなります。

  • 太宰治を読む〔325〕 つづき

    ひょっとして、森鴎外はこの49番目の歌について「てんこ盛り」にしたんではあるまいか、などと猛暑の中、ひらめいた・・・・つもりになった。「なかなかに定政賢し」から、ほかにも賢しい定政はいるのではなかろうか。土岐定政については こちら明智定政から土岐定政

  • 太宰治を読む〔325〕

    森鴎外「奈良五十首」より49.なかなかに定政(さだまさ)賢(さか)しいにしへの奈良の都を紙の上に建つ50.現実の車たちまち我を率(ゐ)て夢の都をはためき出でぬとなっているので、49の歌は重要な意味を持っているようにも思える。この北浦定政については こ

  • 太宰治を読む〔324〕

    森鴎外「奈良五十首」より46.暁(さと)らじな汝(な)が偶像の平等(びょうどう)にささげむ牲(にえ)は自由なりとは牲(にえ)・・・神や朝廷に献上する、その土地の産物このころ、普選運動が盛り上がっていたとのこと。普選運動について こちら前出 鴎外「

  • 太宰治を読む〔323〕

    森鴎外「奈良五十首」より42.春日(かすが)なる武甕椎(たけみかづち)の御神(おんかみ)に飼はるる鹿も常の鹿なりタケミカヅチについては こちらこの歌では、武甕椎は鹿島神宮と春日大社の主祭神だけれども、鹿島神宮のほうが春日大社よりも早くできたのだ、と

  • 青森の夏

    少しあがぬげだ写真ば撮るきなったっきゃ、雲が目立ってまってめぐせっきゃ。なしてこの雲が入ったんだが・・・・ ぼやっとしてればまいね、っていうんだべがの。NO to 5Gランキングにご協力ください。人気ブログランキングへにほんブログ村</a

  • 二コラ・テスラと森鴎外

    また、寄り道の寄り道をお許しください。(汗だく二コラ・テスラは天才電子技術者と知られ、また人工地震の発明者といわれています。1856年生まれであるとか。森鴎外よりも6歳年上ということになるでしょうか。画像はWikipediaより二コラ・テスラについての20

  • 太宰治を読む〔322〕

    39.白毫(びゃくごう)の寺かがやかし癡人(しれびと)の買いていにける塔の礎(いしずえ)白毫寺 とは こちらかがやかしは、古語辞典によると 恥ずかしい、きまりが悪い という意味がある。癡人とは森鴎外にしては最大級の怒りの表現とも感じられる。藤田平太

  • 太宰治を読む〔321〕

    鴎外の奈良五十首から続けて38.大安寺今めく堂を見に来(こ)しは餓鬼のしりへにぬかづく恋か今めく堂というのは、鴎外が訪れたときに大安寺が再建されたばかりであったからとのこと。また、万葉集608に笠女郎の大伴家持に贈った歌の1つに   相思はぬ人を思

  • 「沈黙の塔」異聞

    あちこちに書いておりますが、15年も前に地震や何か災害が起こりそうなときにネットの掲示板に書き込むことを勧められて・・・・今ごろになって、これは私はパブロフの犬になっているんじゃないかと気がつきました。(泣 ・・・いている場合じゃないですよね)気を

  • 太宰治を読む〔320〕

    森鴎外「奈良五十首」に戻りたい。前出 鷗外「奈良五十首」を読む から・(27)首から(32)首までの六首には、「興福寺慈恩会」という詞書が付されている。「慈恩会」はジオンネと読むのが正しい。・慈恩会とは、法相宗の祖師である慈恩大師の徳をたたえるために、

  • 青い鳥体験を つづき

    武蔵国分寺跡で撮ってきた写真を見ながら、あれこれ調べてみました。藤原鎌足・不比等と天智天皇や天武天皇から聖武天皇まで、どのようなことが起こったのか、さまざまな説があるようです。たとえば渡来人の中には、日本へ里帰りしてきた人たちもいるのかもしれません。

  • 太宰治を読む〔189〕 つづきのつづき

    以前の記事につなげます。ネットオークションはあまり縁がないものと思っていたのにカタログのような本を見つけて入札して、送ってもらうことができた。「太宰治伝 やま源 津嶋家旧蔵写真凾解体」 月の輪書林古書目録十六とある。見返しに〇ここに、古書目録「太

  • 青い鳥体験を

    当分、奈良も滋賀・土山も行きたいのに行けないので昨日、2か月に1度の定期の通院のあとに、東京・国分寺に出かけてみました。大学は西武国分寺線の鷹の台が最寄り駅であったので、国分寺駅は大学受験以来、多く乗り降りしていた駅でした。当時は窓口で切符を買うんです

  • 太宰治を読む〔318〕

    「奈良五十首」より20.蒙古王来(き)ぬとは聞けど冠(かがふり)のふさはしからむ顔は見ざりき前出「鴎外奈良五十首を読む」によれば蒙古王とは 佐々木安五郎という人物とか。森鴎外の「日記」の1921年(大正10年)11月13日の条に佐々木安五郎、柳宗悦

  • 太宰治を読む〔318〕

    「奈良50首」より35.なつかしき十輪院は青き鳥子等のたづぬる老人(おいびと)の庭高齢になってみると、忘れていて突然湧き上がってくるようななつかしさがあったりする。十輪院で森鴎外は多くの湧き上がる思いがあった、ということだろうか。十輪院については

  • 太宰治を読む〔317〕

    前出の「奈良五十首」より16.はやぶさの目して胡粉(ごふん)の註を読む大矢透が芒(すすき)なす髪大矢透(おおや・とおる)についてはWikipediaから こちら (大矢博士自傳へのリンクがあります)正倉院の聖語蔵で大矢透なる人物が仮名の研究のため、経巻から訓

  • 百花繚乱

    百花繚乱とは、いろいろな花が咲き乱れること、だそうです。百花撩乱とも書くようなんですが、糸へんと手へんでは同じに見えない気もします。尞は、かがり火の意味で火の粉がもつれ乱れるようにまつわりつく意味を表す、とのこと繚 まとう/めぐる/しばる/道理などに

  • 太宰治を読む〔316〕

    森鴎外「奈良五十首」より15.恋を知る没日(いりひ)国の主(ぬし)の世に写(うつ)しつる経(きょう)今も残れり平山城児著「鴎外奈良五十首を読む」によれば正倉院にある聖語蔵には写経・版経と少数の雑書を加えて、すべて七八三点、四九六〇巻を蔵しているとのこ

  • 太宰治を読む〔315〕 つづき

    洛陽郊外の龍門山奉先寺にある廬舎那仏の容貌のモデルは武則天であるという。写真はWikipediaより武則天は伝えられるほどに悪女だったのだろうか?重用したという宰相狄仁傑(てき・じんけつ)については こちら適材適所を心掛けた女帝だったように感じられる。光明

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