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メゾフォルテ
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2006/04/22

メゾフォルテさんの人気ランキング

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INポイント 8 8 8 0 8 8 9 49/週
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教育ブログ 82位 82位 79位 77位 73位 70位 65位 10,906サイト
教育論・教育問題 11位 11位 11位 11位 10位 10位 11位 707サイト
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今日 04/18 04/17 04/16 04/15 04/14 04/13 全参加数
総合ランキング(OUT) 26,342位 26,850位 26,838位 25,425位 25,282位 25,288位 25,329位 1,034,197サイト
INポイント 8 8 8 0 8 8 9 49/週
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教育ブログ 101位 102位 106位 105位 99位 100位 97位 10,906サイト
教育論・教育問題 9位 9位 10位 10位 10位 10位 9位 707サイト
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総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,197サイト
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  • 太宰治を読む〔388〕

    太宰治を読む〔388〕

    次のような論文をみつけた。資料紹介 太宰治「作家生活に対する構へ、覚悟。」・ほか―― 太宰治と保田与重郎をめぐって ―― 山内祥史」によると「新潮」昭和11年の「新年特大号」(第33年第1号、昭和11年1月1日発行)に作家としての心構へ・覚悟(回

  • 新潟・長岡 煎りあられ

    新潟・長岡 煎りあられ

    新潟・長岡の岩塚製菓の「鬼ひび 梅昆布味」がおいしかったです。袋には米技心 新潟長岡銘米菓 東京・恵比寿 賛否両論 笠原将弘監修米(原材料)技(製法)にこだわり心を込めてつくりましたこだわり日本のお米を100%使用した心地よい歯ごたえの煎りあ

  • 道路と土手と塀 岸田劉生

    道路と土手と塀 岸田劉生

    「騎龍観音」の近くで見かけました。「麗子像」で知られる岸田劉生(1891‐1929)のこの作品は不思議なひきつける力を持っているようです。二本の電柱の影のせいでしょうか。それともエネルギーを秘めたような道路のせいでしょうか。1915年の作品だとのことで

  • 騎龍観音 原田直次郎

    騎龍観音 原田直次郎

    国立近代美術館で森鴎外の友人である原田直次郎(1863‐1899)の「騎龍観音」に出会いました。早逝した画家の作品だと思うからか、迫力といったものを感じました。撮影が許可されている美術展はありがたいですね。父原田一道、甥の原田熊雄など、原田直次郎の周辺に

  • 太宰治を読む〔387〕 走れメロス

    太宰治を読む〔387〕 走れメロス

    ルーベンスと太宰治は永遠に残る作品を作り出した、という点では一致しているように思われる。ルーベンスにとってはカラヴァッジオ、太宰治にとっては芥川龍之介という才能あふれるしかも早逝した牽引役がいたという点でも共通点がある。太宰治は画家志望の兄がいて、少年

  • 太宰治を読む〔386〕 走れメロス

    太宰治を読む〔386〕 走れメロス

    太宰治は「フランダースの犬」を読んで、周辺に聖書に詳しい人間がいたのでルーベンスについて踏み込んで考えることが可能だったのかもしれない。「走れメロス」の末尾に(古伝説と、シルレルの詩から。)とあるのがシラクス(シラクサ)についての入り口とも考えられる。

  • 太宰治を読む〔385〕 走れメロス

    太宰治を読む〔385〕 走れメロス

    教科書にも取り上げられたりする「走れメロス」なのだがなんだか違和感みたいなものというか、何を埋め込んでいるのかがよくわからないと思っていた。プラトンの年表を眺めていたときに、「シラクサ」という地名が出てきて「走れメロス」の舞台がシラクスであった、こと

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その18

    再びのルーベンス 連理の枝 その18

    1600年前後は、日本で大地震が続いたようである。ヨーロッパでも異常気象が続き、また感染症が津波のように襲っていたかもしれない。マリー・ド・メディシスが愚かな浪費家であった、というのは違うのではないだろうか。国難のときに君主はどのようにするべきか、を

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その17

    再びのルーベンス 連理の枝 その17

    世界史で、ルネッサンス → 宗教改革 → 対抗宗教改革(反宗教改革)という流れでの17世紀の30年戦争だと思っていたのだけれど・・・・そう単純なものではなかったらしい。ルネッサンスは細々と持ちこたえて、少なからずの人たちの凍てつく心を温めていた、とい

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その16

    再びのルーベンス 連理の枝 その16

    ルーベンスが弟子アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画を描いている。画像はWikipedia英語版より1627年から28年ごろの作品だそうで、アンソニー・ヴァン・ダイクによる自画像での美少年をみていたりすると、20代なのに衰えを感じて、ルーベンスの容赦のない筆はな

  • ルーベンス「三美神」

    ルーベンス「三美神」

    ルーベンス「三美神」は気になる絵の1枚である。ルーベンスは、どこかでは自分の外交での仕事を誇示したいとの思いがあったのではないか。この「三美神」の1人はマリー・ド・メディシスだとして、あとの2人は?イサベラ・クララ・エウへニア(1566-1633) 父

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その15

    再びのルーベンス 連理の枝 その15

    1631年に、マリー・ド・メディシスはフランスからスペイン領ネーデルランドへ向かい、7年ほどを過ごす。その後、オランダを経てロンドンに3年近く滞在する。1640年5月にルーベンスが他界。1641年10月にドイツ・ケルンに到着。1642年7月にマリー・

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その14

    再びのルーベンス 連理の枝 その14

    前出「マリ・ド・メディシス 母と息子の骨肉の争い」より・ある日、アンリ4世はマリ・ド・メディシスにこう言ったらしい。「私の生命が尽きるときは、あなたの苦しみの始まりとなろう。私がいささか厳しく息子を鞭打ったことを、あなたは嘆いたことがあったが、いつの日

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その13 つづき

    再びのルーベンス 連理の枝 その13 つづき

    アントウェルペンの聖母大聖堂に掲げられたルーベンスによる「聖母被昇天」は、「マリ―・ド・メディシスの生涯」を完成してすぐの作品で、こちらもほとんど自らで完成させたものとのこと。また、1611年のあたりに描かれたという「キリスト昇架」「キリスト降架」のう

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その13

    再びのルーベンス 連理の枝 その13

    マリー・ド・メディシスの肖像画とルーベンスの自画像をあれこれ比べると(画像はともにWikipediaより)この2枚がもっとも輝きをもって感じられるこの2枚の絵は、ちょうどルーベンスによる「マリ―・ド・メディシスの生涯」の制作時期と重なる。この2枚の絵も2人

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その12

    再びのルーベンス 連理の枝 その12

    ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュは1615年に結婚し、1638年にようやく長男、のちのルイ14世が誕生した。このルイ14世の父親について、リシュリューまたはマザランといった説がささやかれてきたとか。アンヌ・ドートリッシュは100人ほどのスペイン出身者に

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その11

    再びのルーベンス 連理の枝 その11

    ルーベンス「マリー・ド・メディシスの生涯」の連作はマリー・ド・メディシスの壮大な構想から生まれたものであったらしい。マリー・ド・メディシスは永遠に残るものとはどういうものか、を考え、成功したといえるのではないだろうか。太宰治の目指したことでもあったよう

  • ケルン大聖堂

    ケルン大聖堂

    Raimond Spekking / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons)なぜマリー・ド・メディシスは、最期の地をドイツ・ケルンにしたのか。窮迫していたとはいえ、パリでもロンドンでもどうにかなったかもしれないのに。ケルンは、ルーベンスが少年時代を過ごしたところである

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その10

    再びのルーベンス 連理の枝 その10

    フランス王妃マリー・ド・メディシスは27歳で結婚するまで、哲学や芸術などいわば皇帝学を学んだのではないだろうか。家臣団を率いて、フランスでカトリーヌ・ド・メディシスの後継を務めるとすれば王妃というよりも女帝としての覚悟が必要だったはずである。拙著「夏の

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その9

    再びのルーベンス 連理の枝 その9

    アンリ4世の初めの妃は、カトリーヌ・ド・メディシスの末娘であるマルグリット・ド・ブルボンであり、子どもがなかったために別れたとのこと。小説にも登場する美貌の持ち主であったとか。Wikipedia英語版より結婚式のすぐあとに、サン・バルテルミの虐殺が起こったのだ

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