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2006/04/22

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  • 再びのルーベンス 連理の枝 その7

    ミシェル・カルモナ著 辻谷泰志訳「マリ・ド・メディシス 母と息子の骨肉の争い」国書刊行会 2020年を購入した。900ページ近くの分厚い本である。著者略歴によると ミシェル・カルモナ(Michel Carmona)1940年、エジプトのカイロ生まれ。のちにフランス

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その6 つづき

    黒衣のカトリーヌ・ド・メディチの肖像画を描いた画家はフランソワ・クル-エであるという。フランス・ヴァロア朝の宮廷画家として父子ともに高名のようだが、詳細はよくわからない。フランソワ・クルーエについて この画家による国王フランソワ1世の肖像画は

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その6

    1600年にルーベンスはイタリアへ。イタリア・マントヴァの宮廷でヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ(1562-1612)と妃エレオノーラ・デ・メディチ(1566-1611)に認められたことで、ルーベンスの歩む道が大きく開けたとのこと。ゴンザーガ家については こちらメディ

  • ルーベンスの描いた聖フランシスコ・ザビエルから

    ルーベンスが聖フランシスコ・ザビエルを描いていたとは。聖フラシスコ・ザビエルとは Wikipediaから こちらこの絵の中に中国人らしき人たちはいても、日本人らしき人たちは見当たらない。ザビエルは日本を評価していたということなのに。写真のない時代に、日本な

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その5

    私の両親や22歳年上の主人の世代は、兄弟が多く、また親類も多かったりしたので、今の若い世代よりは、良くも悪くも子どものときから人間観察の機会が多かったことは確かである。兄弟でも能力の違い、あるいは容姿の違いがあって、子どもながらに神様は不公平だと思った

  • 再びのルーベンス 連理の枝 その4

    1571年に投獄されたヤン・ルーベンスは2年後に釈放され、1574年に兄フィリップ・ルーベンス、1577年に画家ピーテル・パウル・ルーベンスがジーゲンで生まれた。1578年に一家はケルンへと移り、1587年にヤン・ルーベンスが亡くなり、ドイツ・ケルンの

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