三河・長篠城から岡崎城へ鳥居強右衛門勝商が救援を求めて往復した道 その5 桜井寺街道

三河・長篠城から岡崎城へ鳥居強右衛門勝商が救援を求めて往復した道 その5 桜井寺街道

天正三年五月武田勝頼の大軍に包囲された長篠城の籠城将兵400人は次第に追い詰められ、鳥居強右衛門が単身夜陰に紛れて長篠城を脱出し、岡崎城の信長・家康に救援を訴え取って返したと伝わります。この決死の脱出行と味方に朗報を届けて死に至るいきさつが戦国の世で敵の将兵にも武士の鑑として賞賛され、強衛門の磔の図が武田の武将の背旗に描かれ今に伝わりました。当ブログでは強右衛門が駆け抜けた道をその1その2その3その4とたどってきましたが、今回はその5として、桜井寺街道の道を地図でたどります。今回の参考資料は(1)「生平のむかし」城殿輝雄町1984(2)「奥平氏と額田」額田町教育委員会2005(3)2万分の1国土地図明治23年ごろ測図下図などです。※その1→こちらその2→こちらその3→こちらその4→こちら『落合左平次道次背...三河・長篠城から岡崎城へ鳥居強右衛門勝商が救援を求めて往復した道その5桜井寺街道

2025/01/20 11:25