日蓮大聖人檀那略伝①・四条金吾殿(上)
富士宗門史として今回から日蓮大聖人御在世の信徒の略伝をかいていきたいと思います。独断と偏見でトップバターは四条金吾です。四条金吾の正式名は【四条中務三郎左衛門尉頼基】といいます。四条は性、三郎は通称、頼基は名で中務は父・頼員の官名(中務少丞)で、左衛門尉は頼基の官職位です。この左衛門尉を唐名で金吾校尉と呼ぶことから四条金吾と通称さていました。金吾の家系は現在も続いていて四条家に残る家系図によると四条家は藤原鎌足の後裔で父・頼員は承久の乱の後に北條一門の名越遠江守朝時その嫡子越後守光時に仕え頼員は建長五年に他界しています。金吾は寛喜二年(1230)に生まれ、正安三年(1300)年に没しており、妻…
2023/07/07 21:15