弁惑観心抄(日應上人)要文⑩第3章49節より

弁惑観心抄(日應上人)要文⑩第3章49節より

そもそも戒壇本尊所難の如きに至っては、軽率に論ずべからず。まず論拠あって、かつ宗・因・喩の規矩(きく)に合って難儀討論するにあらざれば、問答の定格にあらず。ただ乱駁の妄言なるのみ。 第2章では、本門本尊の人法一箇を否定する日守を破折しましたが、第3章では更に踏み込んで、弘安二年十月十二日御建立の『戒壇大御本尊』に対する日守の疑難・邪義を破折しています。この49節では、日守が戒壇大御本尊を偽物と誹謗することに対する反論する段で、上記の御文は具体的な破折の前の冒頭の部分です。日守は、戒壇大御本尊は一機一縁といい、彫刻(板曼荼羅)だから偽物だと様々に難癖をつけてきますが、日応上人は、まずは戒壇大御本…

2025/07/13 06:42