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2024/05/04

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  • 私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

    私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき今回記事では、タイトルに示されるように、「政治」の話とは直接的には結び付かない話をしてみたい。とはいえ、その前に今日の未明に気がついた記事を紹介しておきたい。私の少し以前のブログ記事での円安問題とも関連した記事だが、その中に覇権国という用語があったので興味を抱くと同時に、やっと待っていましたとの思いで聞くことのできた内容であったので、その記事を以下に引用貼り付けておきたい。なお、記事の一部(一文)をカットしていることを断っておきたい。私のパソコンはPC-TALKERを使った音声入力のためなのか、私もよくわからないのだが、グラフや統計資料がコピーできないので、記事にあるグラフを読みたい方は直接この記事に目を通してほしい。ーーー引用貼り付け、始めza...私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

  • (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」の あまりにも野暮な

    (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか*前回記事(2024,5,12)の読者であれば、そこからさらに今回記事の「追記」のくだりをおそらく思い浮かべたのではあるまいか。既にこれまでのブログ記事でも述べていることではあるが、念のために前回記事の前に追記として述べておきたい。それを(追記・修正版)として、前回記事に置き換えておくことを、断っておきたい。なお、その他のくだりは前回記事と同じである。「追記」前回記事でデモ参加者の批判・非難の矛先は、本来ならば欧米発の普遍的価値と普遍主義に向...(追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な

  • 私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

    私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか今回記事も、またまたどうしようもない話をさせてもらうとすれば、記事タイトルにある世界中に拡散?しつつあるイスラエルに対する抗議デモ参加者のイスラエルのパレスチナに対する暴力行使は、私の語る「システム」論から見れば、彼らの批判の矛先は、いわゆる欧米発の普遍的価値と普遍主義に対しても向けられるべきである、と私はみるのだが、現実にはそうはならないようだ。そこにはデモ参加者の学生は帝国主義・植民地主義とデモクラシーの発展の関係を「水」と「油」のそれとして位置づけ理解...私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

  • 円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)

    円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)前回記事での②で述べておいたように、私たちが今確認しておかなければならないのは、ーーー通貨レートは、「システム」がつくり出す差別と排除の「カクサ」の関係を導くことに貢献するということであり、同時にその際、「システム」の差別と排除の関係それ自体が、「システム」の発展の高度化と低度化をつくり出すカクサの原動力であるということであった。またその際、「システム」を構成する下位システムの一つである覇権システムにおける力(暴力)と力(暴力)の差別と排除の格差の関係が、今日の円安問題に何よりも大きく与っている、と私はみている。それゆえ、円安問題は、B、C、Aから構成される1970年代以降に形成され発展の途上にある「システム」とその発展の...円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)

  • 〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の

    〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の「システム」と「システム人」そして「日本」と「日本人」を語るとき今回記事で私の強調したい点は、以下のとおりである。①円安問題で米ドルと日本円の通貨レートを介した資産の損得勘定に躍起となっている今の日本と日本人には、かつての日本経済の繁栄していた頃に、日本企業や日本人観光客の来襲?によって、自国経済の健全な発展を阻止・阻害されていた1970年代以前のいわゆるグローバルサウスを構成する諸国に暮らす多くの人々の飢餓や貧困状態など見えていなかったのではあるまいか。②そうした観点から外国為替市場における通貨レートの長期的な変遷を振り返るとき、「システム」を介した通貨レートの操作は、「カクサ」を構成する一つの重要な要因であるこ...〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の

  • 〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本

    〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本、あるいは日米関係は、「システム」を構成するB、C、AのAの下位要素でしかない。それらを歴史の主要なアクターとして捉える限り、私たちは歴史を見誤るだけとなる。ー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続・続)前回記事において指摘していた⑤⑥の内容を踏まえるとき、私たちの円安問題への対応・対抗における手段や処置は、たとえ仮にそれらが首尾よくいったとしても、「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係にはまったく何も影響を与えないということである。すなわち、日本経済の防衛や復活にも、米国経済の動向にも、ほとんど何も影響しないのだ。そ...〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本

  • (加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防

    (加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防衛といったナショナリズムを担い支えるとき、私たちが呑み込まれてしまったグローバリズムの正体は一体なんであるのかー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続)それでは前回記事の続きといこう。今回記事の要点を以下にまとめてみたい。なお、最初に断っておくが、前回記事と今回記事の要点について、記事でそれらのすべてを論及できないときは、読者の想像力をかきたてながら、要点のくだりを具体的な例に置き換えて考えていただければ幸いである。①前回記事において、ーーー「1対99」といった図式で語られる1%の米国社会を動かしていると言われてきた、いわゆる世...(加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防

  • 私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点

    私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき*これから数回にわたっておそらく書いていくであろう一連の記事の内容をここで要約すれば、以下のようになる。①「円安」問題は、世間で言われている日米の金利差とか米国社会のインフレの動向や労働市場における雇用情勢を踏まえたFRBによる金利操作に関わる云々の話ではないということである。ここで何より大切な視点は、「1対99」といった図式で語られる1%の米国社会を動かしていると言われてきた、いわゆる世界の超富裕層がいかなる金利や為替相場を望んでいるのかということをまずは押さえておかなければならないということである。もし彼らが、歴史のある段階においては、金利高とドル高が彼らの利益になると判断すれば、そうなる...私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点

  • 私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続・続)

    私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続・続)ー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか10ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう(最初に一言)前回記事の内容を踏まえるとき、たとえ消費税を廃止したとしても、かつての豊かさを取り戻すことはできないことは容易に推察できるのではなかろうか。またそんな豊かさに、郷愁めいたことを感じていたら、それもオメデタイ見方としか言いようがないのだ。早速、前回記事の続きを述べるとしたい。戦後日本は一貫して、米国の世界戦略に組み込まれてきたのは今さら言うまでもなかろう。問題となるのは、そうした米国の世界戦略を米国に取らせたというか米国にそ...私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続・続)

  • 私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)

    私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)ー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか9ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう*ずっと、私は以前の記事のというか、私のモデルで描く「システム」論で、繰り返し同じことを語っている。それは確かに違いないのだが、よくよく読んでみれば、そこに大きな違いもあることに気がつかれる読者がいるかもしれない。そんな読者に、死ぬ前に是非とも会いたいものである。、(最初に一言)「失われた30年」論などクソクラエではあるまいか。どうせ私の語る「システム」論で述べてきたように、「親分ー子分」関係に象徴される差別と排除の関係を前提として弱い者イジ...私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき

    私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るときー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか8ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう(最初に一言)前回記事の最後の方のくだりを以下に貼り付け引用することから、今回記事は始めてみよう。―ーー引用貼り付け、始めすなわち、戦争はまさに自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦であるという事実であり真実であるということだ。勝者は敗者を彼らの自由に扱うことができる。つまり勝者に従属させることができる。彼ら敗者を奴隷とすることもできる。勝者は彼らに都合のいいような「衣食足りて礼節を知る」営為の関係を敗者との間において創ると同時に、その営為の関係を...私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき

  • (補論・追加版) 大谷翔平選手に絡んだ例の事件を私の語る「システム」論から捉え直すとき

    *前回記事(2024,3,29)の(補論)を掲載した後で、その前の記事(2024,3,28)の後に追加して編集し直した方が、私の意をより適切に読者にお伝えできると考えて、今回記事の形にした次第。内容は同じであることを申し添えておきたい。(補論・追加版)大谷翔平選手に絡んだ例の事件を私の語る「システム」論から捉え直すときー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか7ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう今回記事は、やはり米大リーグをいま激震させている感のあるドジャースの大谷翔平選手に関係している?とされている違法?な多額送金の話題から始めなければならないだろう。勿論その際、私の語る「システム」論からそれを捉え直してみたいのだが、...(補論・追加版)大谷翔平選手に絡んだ例の事件を私の語る「システム」論から捉え直すとき

  • 私は一体どのような社会の実現を目指しているのか6

    私は一体どのような社会の実現を目指しているのか6ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう前回記事を書いてから、また気分は落ち込んでしまった。ロシアによる戦争とイスラエルによる「ホロコースト」を彷彿とさせる暴力行使を、誰も止められないという現実を前にして、これまで私たちが「常識」としてきた歴史教育の抜本的・根本的修正ないしは改変が求められているのではないか、と私は言わざるを得ない。それを一口で言うならば、ある特定の歴史の再認識や再解釈を前にしたとき、それらをこれまで「歴史修正主義」として批判する側に位置していた「あるべきとされる歴史像」の「修正」こそが先ずは必要だということに尽きる。私が何よりも危惧しているのは、たとえば私の語る「シス...私は一体どのような社会の実現を目指しているのか6

  • (追記・追加版) 私は一体どのような社会の実現を目指しているのか5

    私は一体どのような社会の実現を目指しているのか5ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろうたとえばカントの『永遠平和のために』を、あるいはトルストイの『戦争と平和』を、サルトルの「実存主義」やガンジーの「非暴力主義」に関する「ユーチューブ」での(解説・紹介)を念頭におきながら、パレスチナのガザ地区での筆舌に尽くしがたいと思われる凄惨な人殺し現場の前で、あるいは東京電力福島原発とそこでの処理済み原発汚染水の海洋放出の現場を目の当たりにしながら、あれこれと思案するとき、正直なところ、私には何も思い浮かぶことはないのだ。先の著作に関して詳しくいろいろと教えてくれるそれらの開設・紹介が悪いというのではない。むしろありがたいと感じているくらいだ...(追記・追加版)私は一体どのような社会の実現を目指しているのか5

  • 私は一体どのような社会の実現を目指しているのか4

    私は一体どのような社会の実現を目指しているのか4ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう「神は死んだ」とされてから久しい。だが、私からすれば、「人間も既に死んでいる」ように思われて仕方がない。人間が神を創ったとしても、だからと言って、その人間が何でもできるとなった瞬間に、絶対に譲り渡すことのできない何かを、人間は自ら葬り去ったのだ。その絶対に譲り渡すことのできないという生き方というのか、そこに込められた生きる姿勢とでもいうべきなのか、それを手放した瞬間に人間は人間ではなくなったのだ。もはや人間の尊厳がどうの、基本的人権がどうのと言ってもそれが先の人間の生きる姿勢を失ってしまった社会においては意味をなさないのである。こんな社会の中でい...私は一体どのような社会の実現を目指しているのか4

  • 私は一体どのような社会の実現を目指しているのか3

    私は一体どのような社会の実現を目指しているのか3ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう(最初に一言)前回記事の(最後に一言)にいま目を通したところ。情けない話だが、最近の私は思考の持続性というのか、前回記事での問いかけに対する悶々としたこだわりというのか執着というのか、ある種の粘着性を失いかけている。さすがにもう限界なのかもわからない感じ。そう、もうこの辺で「修業」は終わりにすべきではとの内なる声が聞こえてくるような感じ。それにしても最近のニュースには驚くばかり。小学生が100万近くの大金を別の小学生にだまし取られたとか、中学生の男女が美人局で大学生を死亡させたとか、もうこの世の終わりが何度も繰り返されて切りがないかのような話が続...私は一体どのような社会の実現を目指しているのか3

  • 私は一体どのような社会の実現を目指しているのか2

    私は一体どのような社会の実現を目指しているのか2ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう(最初に一言)の前に前回記事での私の物言いについて一言まあ、少々オーバーに言い過ぎたのかもしれない。私が勝手に作り上げていた理想像を相手に押し付けていた挙句に、騙されたとの物言いは、私自身が私を騙したというか、失望させたということであり、別に相手がどうのこうのということでもなかったのだ。私がこれまでできなかった社会変革?を目指す、そのささやかだとしても第一歩を踏み出しているかのように思って、それで期待し過ぎた感があったというただそれだけの誤解というか思い過ごしであったという話であったのだ。本当に、「しゃーないなあ」、とのそれだけのことだったという...私は一体どのような社会の実現を目指しているのか2

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