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2024/05/04

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  • 米国はどのようにして主権国家となり、国民国家を実現したのか。またその過程で世界の模範となった民主主義

    米国はどのようにして主権国家となり、国民国家を実現したのか。またその過程で世界の模範となった民主主義体制は、米国の「弱い者イジメ」=「帝国主義」とどのような関係にあったのだろうか。オバマもバイデンもトランプも、その「弱い者イジメ」の「政治」に終始している点では「同じ穴の狢」であるのは間違いないー私の語る「システム」論から、改めて〈米・中覇権連合〉の確固たる歩みを再考するとき(続・続・続)*gooブログの終了アナウンスに正直、何かが抜けた思い。と同時に、goo事務局のスタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいだ。私がここまで何とか生き延びられたのも、ブログ記事を書いてきたからに違いない。本当にありがたかった。(最初に一言)の前に、改めて確認しておきたいこと①日本のリーダーは、私の語る〈「システム」とその関係の...米国はどのようにして主権国家となり、国民国家を実現したのか。またその過程で世界の模範となった民主主義

  • 私の語る「システム」論から、改めて〈米・中覇権連合〉の確固たる歩みを再考するとき

    私の語る「システム」論から、改めて〈米・中覇権連合〉の確固たる歩みを再考するとき(最初に一言)久しぶりに記事を書き始めたところ。それもあり、今回記事は要点のみを書いておきたい。読者にはいま一度思い出してほしいのだが、私の語る「システム」を歴史の〈主人公〉として、その立場から世界の動きを見てほしいのだ。すなわち、日本人とか、日本国民とか、日本国家を、また自由民主主義や西側を中心として、そこから世界の歩み(歴史)を語るのは極力控えてほしいのである。もしそうした立場を保持できれば、これまで気がつかなかった様々な問題にも目が行くはずだ。①「トランプ関税」の発動によって、米・英・仏・独・日を始めとしたかつての西側先進諸国がウクライナを利用して推進した、いわゆる自由民主主義体制による「戦争犯罪」を、一瞬にして隠蔽・忘...私の語る「システム」論から、改めて〈米・中覇権連合〉の確固たる歩みを再考するとき

  • 私の語る「システム」論から、差別と排除の「親分ー子分」関係の支配する社会の不都合な真実について、改め

    私の語る「システム」論から、差別と排除の「親分ー子分」関係の支配する社会の不都合な真実について、改めて考えるとき(最初に一言)やはり、しばらくは拙著をまとめることに集中したい。私は器用ではないので、一つのことにしか向き合えない。また、ほとんどのことはブログ記事で述べてきた。それで、今回記事は、米国映画の『ビーキーパー』(「養蜂家」)をもとにして、今の国際関係とそれを傍観せざるを得ない私たちの生き方について、少しだけ述べておきたい。視覚障碍者の私にとって、映画を視聴することは数少ない楽しみの一つだ。勿論、昔のように画面ははっきりとしないし、途中で嫌になるのもしばしばだが、今回の映画は面白かった。とくに、「システム」は時として誤りを犯すので、どうしても「システム」の外側にいて「システム」内の秩序がおかしくなる...私の語る「システム」論から、差別と排除の「親分ー子分」関係の支配する社会の不都合な真実について、改め

  • 私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すとき

    私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すときー本当に「日本経済の復活」はあるのか。その際、復活した日本経済を担う主体は誰なのか。かつての「分厚い中間層」なのか。また、本当に中国は衰退するのか。もしそうだとすれば、次期覇権国となるのは一体どこなのか等々の問いかけを念頭においたとき(続)(最初に一言)の前に、私の語る「システム」と「米・中覇権連合」との関係について、読者にお伝えしておきたいこと私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉を示す1970年代以降から今日に続くモデルの{[B]→(×)[C]→×[A]}から押さえておきたい大切な要点は以下のとおりである。すなわち、B、Cグループを構成するグローバルサウスを始めとした諸国が、今後より一層「システム」の「高度...私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すとき

  • 私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すときー

    私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すときー本当に「日本経済の復活」はあるのか。その際、復活した日本経済を担う主体は誰なのか。かつての「分厚い中間層」なのか。また、本当に中国は衰退するのか。もしそうだとすれば、次期覇権国となるのは一体どこなのか等々の問いかけを念頭においたとき(最初に一言)の前に、読者にお伝えしておきたいこと*覇権国の興亡史を軸とする政治や経済や国際関係についての歴史の知見に依拠した投資は、おそらくそうしない場合よりは、投資行為に際してはるかに有利かつ有益な情報提供を投資家に与えるのは間違いない、と私も確信している。もし、少しでも利益を得ようと欲するのであれば、当然ながら過去から現在に至る上述した歴史を学ぶことは是非とも必要である。それを...私の語る「システム」論から、斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき』の「主張」を、改めて問い直すときー

  • カザフスタンのディマシュ・クダイベルゲンの歌を聞いて、元気が出てきた。

    記事タイトルにあるように、なんだか心がほぐれてきた。少し前に、もうこんな話をしていてもどうにもならないとの思いが、これまで以上に強くなり、もういいかなと、急に感じてしまい、前回記事となった次第。その間、気分転換のつもりで、以前に聞いていたビタスという歌手の歌を聴いていたときに、カザフスタンの歌手の声に出会ったのだ。何度と聴くうちに、はまってしまった。なんとも表現できないような感じで、聞き入っている。その内に、飽きるだろうが、それでもまた必ず聴くに違いない。少し元気が出たようで、まだ記事を書く気分に離れないものの、これまでの記事は読者にまた目を通してもらってもいいかなと思えるようになってきた。それで、記事を公開した次第。また、記事が書けるように、もっと元気になりたいものだ。そんなことより、まだこのカザフスタ...カザフスタンのディマシュ・クダイベルゲンの歌を聞いて、元気が出てきた。

  • しばらく休みます

    しばらく記事を書くのをやめて、心身のリフレッシュに努めます。記事はすべて下書きにしました。悪しからず。以前にも、書く気力がなくなり、やすみましたが、その時と何か似ています。また元気が出てくれば書きたいと思いますが、もう潮時かもしれません。しばらく休みます

  • 「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

    「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が浮上したのではあるまいか。その関連で言うならば、「東京裁判問題」も「ニュルンベルク裁判問題」も未だ終わってはいない。そのツケは~私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する(過去から現在に至る)歩みとしての「普遍主義」として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から現在)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係の「グローバル化」の中で引き起こされる、ありとあらゆる世界的紛争という「災厄」に、私たちは未だ巻き込まれていると...「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

  • 「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」

    「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が浮上したのではあるまいか。その関連で言うならば、「東京裁判問題」も「ニュルンベルク裁判問題」も未だ終わってはいない。そのツケは~私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する(過去から現在に至る)歩みとしての「普遍主義」として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から現在)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係の「グローバル化」の中で引き起こされる、ありとあらゆる世界的紛争という「災厄」に、私たちは未だ巻き込まれていると...「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」

  • 「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

    「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が浮上したのではあるまいか。その関連で言うならば、「東京裁判問題」も「ニュルンベルク裁判問題」も未だ終わってはいない。そのツケは~私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する(過去から現在に至る)歩みとしての「普遍主義」として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から現在)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係の「グローバル化」の中で引き起こされる、ありとあらゆる世界的紛争という「災厄」に、私たちは未だ巻き込まれていると...「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

  • 「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

    「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が浮上したのではあるまいか。その関連で言うならば、「東京裁判問題」も「ニュルンベルク裁判問題」も未だ終わってはいない。そのツケは~私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する(過去から現在に至る)歩みとしての「普遍主義」として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から現在)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係の「グローバル化」の中で引き起こされる、ありとあらゆる世界的紛争という「災厄」に、私たちは未だ巻き込まれていると...「ジャニー喜多川問題」は未だ終わってはいない。そのツケの一つとして、今回の「フジテレビ騒動問題」が

  • 〈「Gゼロ」時代がやって来た: 国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火) 15:04配信 『オル

    〈「Gゼロ」時代がやって来た:国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火)15:04配信『オルタナ』〉が私たちに問いかけるものとは~私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない「必要案件」について、あれこれと考えるとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて(続・続・続)*今回記事の前に少し話しておきたいこと私たちはみんな「卑怯者」!差別と排除の「親分ー子分...〈「Gゼロ」時代がやって来た:国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火)15:04配信『オル

  • 〈「Gゼロ」時代がやって来た: 国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火) 15:04配信 『オル

    〈「Gゼロ」時代がやって来た:国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火)15:04配信『オルタナ』〉が私たちに問いかけるものとは~私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない「必要案件」について、あれこれと考えるとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて(続・続)*最近の私は、記事を書き始めるのが今日から明日へと暦の移り変わる頃で、それから明け方近くまで...〈「Gゼロ」時代がやって来た:国際秩序の仕切り役不在、各国はどう乗り切るか1/21(火)15:04配信『オル

  • (追加・修正版)〈NHKBS1・映像の世紀バタフライエフェクト 戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢

    (追加・修正版)〈NHKBS1・映像の世紀バタフライエフェクト戦争のトラウマ兵士たちの消えない悪夢1/20(月午後10:00-午後10:44〉が私たちに問いかけるものとは~私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない「必要案件」について、あれこれと考えるとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて(続)(最初に一言)今しがた、今回の記事タイトルにある番組を視聴したところ。...(追加・修正版)〈NHKBS1・映像の世紀バタフライエフェクト戦争のトラウマ兵士たちの消えない悪夢

  • 私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない

    私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない「必要案件」について、あれこれと考えるとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて*地下深く根を張り実るや中華の木(前々回記事に、今年最初の俳句を記してみたのだが、今回記事では最初の川柳をつくってみた。)(最初に一言)そもそもが、この記事タイトルではマズイのだ。最低限の命と暮らしを守ることのできない多くの人間がこの日本に存在して...私の語る「システム」論から、「私とあなたの命と暮らしを安全に防衛するために、最低限これだけは譲れない

  • 私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルート

    私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルートの確保・保障は、国家・政府の重要な「義務」であることについて再考するとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて(続・続・続)(最初に一言)前回記事でも述べていたように、私はあくまでも国家とそれを前提とした国民の枠に縛られない〈個人〉を想定しながら、論を展開していくつもりだが、その際、従来の国家を前提とした国民そしてその枠の中の...私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルート

  • 私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルート

    私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルートの確保・保障は、国家・政府の重要な「義務」であることについて再考するとき~自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する現在進行中の歩みとしての「普遍主義」として描かれる{[B]→(×)[C]→×[A]}における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させる中で引き起こされる「災厄」に対する私たちの防衛策を求めて(続・続)*今日(2025、1、11)の早朝に、私の頭の中で何かが覚醒した感アリ。前回からの記事タイトルにある〈国家・政府の「義務」〉が当然の如く認められるように、「もっとお前は読者に語らねばならない、それこそお前の義...私の語る「システム」論から、有事の際の国民の命と暮らしを守る選択肢の一つとして、第三国への避難ルート

  • 私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

    私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する歩みとしての「普遍主義」は、それ自体が〈「システム」とその関係の歩み〉として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から今日に至る)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させることに他ならないということについて、改めて再考するとき(続・続・続・続)*先ずは1月1日の記事を訂正・修正したことと、3日の記事も訂正・修正したことを、ここでも読者に知らせておきたい。その理由は、記事タイトルにあるように、(イ)の図式で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉は、B、...私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

  • 私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

    私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する歩みとしての「普遍主義」は、それ自体が〈「システム」とその関係の歩み〉として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から今日に至る)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させることに他ならないということについて、改めて再考するとき(続・続・続)(最初に一言)昨日の早朝に記事投稿をしたのだが、同じく昨日の朝に、〈「第三次世界大戦」に備えよ、日本人が気付かない“今そこにある危機”を解説1/5(日)8:02配信(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長木俣正剛)ダイヤモン...私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

  • 私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

    私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する歩みとしての「普遍主義」は、それ自体が〈「システム」とその関係の歩み〉として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から今日に至る)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させることに他ならないということについて、改めて再考するとき(続・続)*2014年に拙著『21世紀の「日本」と日本人」と普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房)を上梓して以来、私はブログ記事において、拙著の...私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

  • 私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

    私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する歩みとしての「普遍主義」は、それ自体が〈「システム」とその関係の歩み〉として描かれる(ア){[A]→(×)[B]→×[C]}(1970年代まで)と(イ){[B]→(×)[C]→×[A]}(1970年代以降から今日に至る)における「経済発展(衣食足りての営為)」と「民主主義の発展(礼節を知るの営為)」の関係を「グローバル化」させることに他ならないということについて、改めて再考するとき(最初に一言)今回記事は、前回記事に続く内容となっている。記事タイトルにあるように、私たちが後生大事にいうところの「普遍的価値」を世界中に拡大する歩みとしての「普遍主義」は、実は(ア)と(イ)に見られる関係をグローバル化させること...私の語る「システム」論から、自由、民主主義、人権、法の支配等の「普遍的価値」を世界の隅々へと拡大する

  • 私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・

    私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・続・続)(最初に一言)中国は国の壁を厚くして「ナショナリズム」を志向しているとして、内外からのその「閉鎖性」に対してイチャモンをつけられているように思える。その逆に、日本は国の壁を薄くし、ついにはそれを自ら取っ払ってしまったかのように、無くしてしまい、これほどまでに「ナショナリズム」とはまさに対局の「グローバリズム」を推進しているはずなのだが、国内外からは、未だに内に閉じこもったタコつぼ型社会だとして、これまたイチャモンをつけられている。どうしてこのようになるのだろうか。今回記事では、その点をもう少し考えてみたい。このように両国ともに、その外見上に対するイチャモンをつけられてはいるのだが、前回記事でも述べて...私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・

  • 私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・

    私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・続)(最初に一言)今回記事は、次に紹介する二つのネット記事(ア)〈石破内閣が年末のどさくさで決めた「中国人介護難民を手厚く」「日本人は医療費をもっと払え」©アサ芸プラス〉と(イ)〈マスク氏対MAGA強硬派、看板の「移民」政策巡り亀裂、トランプ氏裁定の波紋とは?平和博桜美林大学教授ジャーナリスト12/30(月)6:30〉を介して見えてくる、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉としての{[B]→(×)[C]→×[A]}の〈構造的圧力〉の下で、日本も米国も、「グローバルに開かれた社会」の実現を目指す政治勢力が政治支配の実権を獲得しつつある流れを読み取れると同時に、彼らのようなグローバリストは、「システム」のそ...私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続・

  • 私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続)

    私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続)(最初に一言)前回記事を踏まえて言うとき、私たちの目指すべき「再生(復活)」と「成長」の〈主人公・主役〉となるのは、「日本」とか「日本人」ではない。もはや、それは夢物語であり、それで得をするのは既成の「政治」と私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉でしかないのだ。これからは、〈「百田村」に例えられる「百田ムラ〉を、そのモデルとした方がはるかにいいのだ。今回記事は、そのあたりに関して少し論及してみたい。これまで先進諸国に位置づけられてきた「日本」と「日本人」であったのに、それが「システム」の「高度化」の「段階」から「低度化」の「段階」へと配置転換されたからといって、今回記事のタイトルにあるような話をするのは...私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき

    私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき(最初に一言)ここ最近の記事を踏まえて、私がとくに感じる日本社会の問題とそれを紹介するメディア報道に顕著に見られる覇権システムにおける差別と排除の「親分ー子分」の「力」関係に対する過鈍感症を、改めて再考するとき今回記事の論の流れは以下のとおりである。最初に、閣議決定された「大きな政府」の「政治」路線を目指す過去最大規模となった「2025年度の国家予算案」を、私の語る「システム」論(2024、12、23)の記事のくだりの中に位置づけ直したときに思い浮かぶ「不都合な真実」らしき問題について、少し話をしてみたい。そして次に、それとの関連で、石破首相が思い出したかのように述べている「脱炭素化社会の実現」云々に向けての発言...私の語る「システム」論から、〈こちら側の私たち〉の命と暮らしを守るために、あれこれと考えるとき

  • 私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」

    私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」国際法に見習った「平時」とは異なる緊急非難事態時における憲法・刑法・民法等々の可及的速やかなる法改正の必要性を考えるとき(続)(最初に一言)最初に読者に私の真意を伝えておきたい。前回記事タイトルと(最初に一言)でも述べていたのだが、もう日本国家・政府と日本の政治指導関係者に、私の提言をまともに受けとめることはできない、と私はみている。つまり、これまた何度も論じてきたように、私の語る「システム」の「低度化」の段階の真っ只中に位置する「日本」の現状とこれから先の展望を鑑みれば、日本国家・政府にあれこれと希望・期待することはできないということなのだ。今回記事は、そうした点を踏まえながら、もう少し論を展開していきた...私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」

  • 私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」

    私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」国際法に見習った「平時」とは異なる緊急非難事態時における憲法・刑法・民法等々の可及的速やかなる法改正の必要性を考えるとき(最初に一言)今回のタイトルは、何か仰々しい印象を与えるかもしれないが、その最大の眼目は、もし読者の誰かの住んでいるところに、闇バイト強盗の実行犯が押し入ってきて、もみ合う中で相手を死傷させてしまった後の、〈強盗に入った者も悪いが、それを死傷させるのは過剰な正当防衛行為ではないのか〉云々の、〈本末転倒〉の裁判での成り行きを予め念頭に置くとき、私たちはどうしても抵抗できなくなり、やられ損になる可能性が大となる。それはおかしな話だが、どうして「既成の政治」は現状を何も変えられないのか、変えよう...私の語る「システム」論から、「闇バイト強盗」の非道な犯罪行為から〈命と暮らし〉を守るために、「戦時」

  • 私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

    私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、それでもって最新?のテクノロジーを基に研究開発された軍事兵器で武装したとしても、それはあくまでも「米・中覇権連合」を介して{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を防衛することを主眼とするものであり、決して〈こちら側の私たち〉を守るものではないことについて、改めて再考するとき(続・続・続)(最初に一言)前回記事の(最後に一言)において、私は何か「理想郷」探しならぬ「づくり」めいた話をしたが、これなど「大嘘」に属するといっても誤りではない。私はエラそうな物言いをするくせに、私自身は怠け者で野良であるのを十分知っているから、また正直なところ、人付き合いが苦手で、集団行動は不向...私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

  • 私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

    私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、それでもって最新?のテクノロジーを基に研究開発された軍事兵器で武装したとしても、それはあくまでも「米・中覇権連合」を介して{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を防衛することを主眼とするものであり、決して〈こちら側の私たち〉を守るものではないことについて、改めて再考するとき(続・続)(最初に一言)今回記事では、先ず前回記事の最後のくだりを引用張り付けて、そこから論をさらに展開することにしたい。ーーー)引用貼り付け、開始)さらに、これこそ一番大事な問題であると私はみているのだが、覇権システムにおいて、今後ますます国際情勢が激変する中で、国力のない諸国の発言権は低下すると同...私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

  • 私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

    私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、それでもって最新?のテクノロジーを基に研究開発された軍事兵器で武装したとしても、それはあくまでも「米・中覇権連合」を介して{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を防衛することを主眼とするものであり、決して〈こちら側の私たち〉を守るものではないことについて、改めて再考するとき(続)(最初に一言)前回記事を書いているときに、気分転換を兼ねてテレビというかアマゾン提供の(WOWOW)の「オペレーション・Z」に偶然というか出会うべくして出あった。ほんの数日前には、同系列?番組「メガバンク最終章」を視聴したばかりである。本当に、神様は私を導いてくれていると思うのだ。以前も、NHK...私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り

  • 私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、

    私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、それでもって最新?のテクノロジーを基に研究開発された軍事兵器で武装したとしても、それはあくまでも「米・中覇権連合」を介して{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉を防衛することを主眼とするものであり、決して〈こちら側の私たち〉を守るものではないことについて、改めて再考するとき(最初に一言)前回記事において、私は日本の国家や政府による「日本」と「日本人」の防衛の必要性を説くかのような「愛国的精神」を鼓舞する話をしているように、額面通りに受け取られたら困るので、改めて誤解を避けるために、私の意図を今回記事のタイトルで読者に伝えた次第である。本当にどうしようもない話だが、私はそ...私の語る「システム」論から、「日本」と「日本人」の安全保障のために、どれほど巨額の防衛費増額を図り、

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米・中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(続・続・続・続・続)(最初に一言)またまたの記事で恐縮なのだが、読者はどう考えているのか。それが知りたい。次の記事〈「難民制度を悪用して在留」クルド人「出稼ぎ」報告書公表、浜田聡議員インタビュー母国に帰れば弾圧「擁護の論調を根本から覆す内容」2/18(水)17:00配信『夕刊フジ』〉は、埼玉県...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米・中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(続・続・続・続)(最初に一言)前回記事を書いた後、毎度のことだが虚しさに包まれたままである。しかも、そこに何とも言えぬような何かを今も引きずったままだ。と同時に、またまたはっきりとした感覚を思い出した次第。それは「国益」についての言及をしていた際に、迂闊にも私らしくない話をしていたことに気が付...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米・中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(続・続・続)(最初に一言)前回記事の最後でも述べていたように、「隅の方で、小さな声で」を自覚しながら、今回記事から改めて論じていくつもりだ。それにしても、(私の語る)「システム」論から日本の政治に関する議論を見渡すとき、私たちの社会には「よくもこんなアホみたいなことを真面目に言うよなあ」があま...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米・中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(続・続)(最初に一言)前回記事を投稿した後で、少し気になったというかかなり何か私の思いは被団協と彼らの共感者・支援者には伝わらないどころか門前払いされてしまうと思い、すぐまた(付記を書き加えて再投稿した次第。だが、それにもかかわらず、何かが私の中にくすぶり続けていた。それで今回記事は、それを意...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米・中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(続)(最初に一言)前回記事のタイトルにある「歴史の流れ」を踏まえてさらに言及しておきたいことがある。正直なところ、たとえ「仮説」だと断っているにせよ、こんかいきじでのわたしのはなしには自信がないのだ。と言うのも、菅見の限りでは、未だ私の仮説を実証的に補強してくれる研究がないのだ。それを断ったう...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

    私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ」を契機とするアフガニスタンのタリバン政権の崩壊、ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃と人質事件を契機とする伊イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃からレバノンのヒズボラ勢力の一掃そして今回のシリアのアサド体制崩壊へと至る一連の流れを、「米中覇権連合」の下での中国の「一帯一路」構想の実現の歩みと結び付けて捉え直すとき(最初に一言)今回記事では前回記事の(最後に一言)のくだりで言及していた話を元に、今回の記事タイトルにあるように、少し論を展開してみたい。イスラエルのパレスチナ侵攻からレバノン、そしてシリアにおける出来事は、私の語る「システム」における中国とイスラエルの関係構築が引き起こした動きとして捉えられる、...私の語る「システム」論から、湾岸戦争を契機とするイラクのサダム・フセイン体制の崩壊から、「9・11テロ

  • 私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

    私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る安全保障の実現は絶望的であることについて、改めて赤木智弘の「告発」を思い浮かべながら論じるとき(続・続)(最初に一言)前回記事での私の「システム」論に垣間見られる毛沢東や鄧小平をあたかも称賛?するかのように、また日本の戦前・戦中期の権威主義的な抑圧的政治手法を、中国の文化大革命期の毛沢東の政治手法同様に、高く評価?するかのように語っている私の論の内容に、おそらくご不満な読者が存在しているのではないか、と私はそうした態度に対して至極もっつともだとみているのだが、あくまでも「システム」の「側」から捉えた場合という「立場」を前提としていることを、ここでも再度、強調しておきたい。だが、そのような読者は、残念ながら年金を...私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

  • 私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

    私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る安全保障の実現は絶望的であることについて、改めて赤木智弘の「告発」を思い浮かべながら論じるとき(続)(最初に一言)前回記事で紹介した赤木氏の社会に対するある種の絶望的な「告発」を踏まえるとき、これまでの歴史の中に、赤木氏世代とも類似した感のある壮絶な人生を背負わざるを得なかった若者世代の存在に気が付くのではあるまいか。今回記事では、米国や中国日本の若者世代が「歴史」の特定の段階において引き受けざるを得なかった過酷な運命を想像しながら、どうして彼らはそうした人生を引き受けざるを得なかったのかに関して、考察することにしたい。さて、これらの問いかけに対して、読者はすぐ様それはまさに〈「「システム」とその関係の歩み〉(...私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

  • 私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

    私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る安全保障の実現は絶望的であることについて、改めて赤木智弘の「告発」を思い浮かべながら論じるとき(最初に一言)私の語る「システム」論から、「システム」の「自己完結運動」を鑑みるとき、かつての先進諸国グループにおいては、もはや分厚い中間層の復活や経済活力を取り戻すことは望めず、それゆえ私たちの将来受け取る年金受給額は減少することはあっても増額されることは見込めないと同時に、年金制度それ自体の存続も危ぶまれる事態も見込まれる、と私はみている。こうした点を踏まえながら、今回記事の話をを進めていきたい。*本論に入る前に、記事タイトルの意味することを、ここで補足しておきたい。私は確かに、「もはや私たち国民の命と暮らしを守る...私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

  • (追加・修正版)私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の

    (追加・修正版)私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る安全保障の実現は絶望的であることについて論じるとき(最初に一言)今回は前回記事の最後のくだりの続きから書き始めてみたい。そこで私が引用張り付けた「THEGOLDONLINE」の記事について、前回引用張り付けていなかったくだりに注目しながら論を展開していきたい。同記事によると、ーーー元サラリーマンの年金受給額…上位10%で月22万円以上昨今、「NISAだ!」「iDeCoだ!」と、やらなければ老後は生きてはいけないという勢いですが、老後の生活のベースになるのは、やはり公的年金。厚生労働省『令和5年国民生活基礎調査』によると、高齢者世帯のうち「所得の100%が公的年金」という世帯が41.7%、「所得の...(追加・修正版)私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の

  • 私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

    私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る安全保障の実現は絶望的であることについて論じるとき(最初に一言)今回は前回記事の最後のくだりの続きから書き始めてみたい。そこで私が引用張り付けた「THEGOLDONLINE」の記事について、前回引用張り付けていなかったくだりに注目しながら論を展開していきたい。同記事によると、ーーー元サラリーマンの年金受給額…上位10%で月22万円以上昨今、「NISAだ!」「iDeCoだ!」と、やらなければ老後は生きてはいけないという勢いですが、老後の生活のベースになるのは、やはり公的年金。厚生労働省『令和5年国民生活基礎調査』によると、高齢者世帯のうち「所得の100%が公的年金」という世帯が41.7%、「所得の80~100%」...私の語る「システム」論から、既成の与野党政治に頼ったとしても、もはや私たち国民の命と暮らしを守る

  • 私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるもの

    私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるものの「正体」とは一体何なのか(続)(最初に一言)前回記事の続きを書いてみたい。その要旨は以下のとおり。①今回の斎藤現象は、石丸伸二現象と同じく、兵庫県や東京都だけではなく、日本全国においても、また世界の各国でも見られる出来事であるということ。②その際、それらに共通していると思われるのは、差別され排除されてきた者たちの、社会に対する怨念とそれに依拠した反乱・反旗に示される「憂さ晴らし」の側面が強いということ。③それゆえ、彼らの鬱屈した感情のはけ口を提供する媒介物が上手くセットされるならば、容易に社会に対する多大な破壊的影響を与えるデモンストレーションとなりえるということ。④そして、今後もこうした示威行動は頻発化...私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるもの

  • 私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるもの

    私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるものの「正体」とは一体何なのか(最初に一言)私の率直なる感想は、「石丸伸二現象」の再現であり、未だにその勢いは衰えず、といったところか。ネット・メディアの情報提供やSNSを介した情報の拡散の下で、これまで選挙に無関心だった者や社会の利権・利害関係者集団から相手にされていないと感じる老若男女による社会の既得権益に対する「痛烈なしっぺ返し!」である、と私はみている。もっとも、そんなカッコいい話に終わらない、何か不気味さを感じるのも確かだ。いずれにしても、今後の成り行きが重要なことは言うまでもないのだが。それにしても、私には不可解極まりない兵庫県知事選挙であった。その最たる原因は、あまりにも情報が少なすぎたということ...私の語る「システム」論から、今般の兵庫県知事選挙を振り返るときー斎藤氏再選を支持した「民意」なるもの

  • 私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

    私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、あれこれと思いを巡らすとき(続・続)(最初に一言)昨日(2024、11、14)の深夜から今日の早朝にかけて放映されていたNHK番組「映像の世紀バタフライエフェクト」に途中からではあったが視聴する機会を得た。(再放送されているシリーズ番組だ。)そのせいか未だに眠れないままだ。本当に変わらない私たちのありのままの姿がそこにあった。それを踏まえれば、「何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況」など、もうどうでもいい話だろう。とにかく、ここから明日というか今日また記事を書くことにしたい。少しの間、横になっていたのだが、また起きてきて記事の続きを書こうとしている。最近の私はまた睡眠薬を必要としている。まあ、...私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

  • 私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

    私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、あれこれと思いを巡らすとき(続)(最初に一言)今回記事は、前回記事の続きというか補足をしておきたい。私たち国民がどれほど欲深く、また愛すべきアホな存在かということについて述べてみたい。これまた、私の語る差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた「システム」を担い支えるシステム人の一人である私自身のことでもある。いつまでたってもオメデタイとしか言いようがないのだが。それにしても、自民党の裏金問題が出てきたおかげでもろにその恩恵を受けたのは立憲民主党であったが、結局はその問題の追及だけで議席を得たようなものだから、もう後は野となれ山となれといった感しかしない惨状。優しい自公政権が国民の目を配慮して、立憲にも協議の...私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

  • 私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

    私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、あれこれと思いを巡らすとき(最初に一言)前回記事は、正直なところ、大変にしんどい思いをしながら書いたのだが、おそらくは読者には伝わらない話であったのではあるまいか。これまでと同様に、どこまで行っても堂々巡りの話で、しかも結論は同じだから。それもあって、今回記事は衆院選挙から今日に至る出来事について、私なりにまとめてみたい。とにかくあっという間に時は過ぎていく。自公政権の支持率が上がった云々の記事が出ていた。それにしても国民民主の代表のスキャンダルを、11月11日の首相指名選挙の当日朝に見事にぶつけてきたのには驚いた次第。やはり凄いというしかあるまい。私の語る「システム」の維持と発展に奉仕する権力者集団に取っては、...私の語る「システム」論から、何が何だか分からなくなりつつあるここ最近の日本の政治状況について、

  • 私の語る「システム」論から、「システム」を主体的に維持し擁護する「権力者」とその取り巻きのお仲間連中

    私の語る「システム」論から、「システム」を主体的に維持し擁護する「権力者」とその取り巻きのお仲間連中の〈重大かつ深刻な犯罪〉がどうしてあたかも何も無かったかのように許されるのかという問題を、〈つばさの党・黒川敦彦被告「憲法違反」国を提訴「裏金事件は在宅起訴、私たちは6か月勾留」11/9(土)13:20配信『よろず~ニュース』〉と〈裁判官にとって「国民はただの記号にすぎない」…裁判所が「理念」を捨ててまで「正義を踏みにじるワケ」11/7(木)7:00配信『現代ビジネス』〉の二つの記事を参照しながら、あれこれと再考というか妄想するとき(最初に一言)イスラエルやロシア、アメリカ、イギリス、フランス等々の政治指導者の、通常の感覚であれば殺人事件の主犯となってもおかしくないような「犯罪」行為に対して、どうして私たち...私の語る「システム」論から、「システム」を主体的に維持し擁護する「権力者」とその取り巻きのお仲間連中

  • 私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

    私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続・続・続・続)(最初に一言)今回記事では、米国大統領選挙と日本の衆院選挙について、これまでの論の流れを踏まえて論及してみたい。先ずはネットの記事〈民主主義より“明日のおまんま”かハリス氏惨敗の決定的要因とは?米大統領選#専門家のまとめ飯塚真紀子在米ジャーナリスト11/8(金)9:11〉を見て強く思ったこと。「民主主義」と「おまんま」の関係を切り離すのではなく、両者を結び付けて論及しなければならないということだ。それゆえ、そのための分析視角と分析枠組みが必要となるのだが、残念なことに、これまでほとんどの専門家というか研究者はその作業を避けてきた。S・M・リプセットは「国が豊かになるにつれて、民主主義...私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

  • 私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

    私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続・続・続))(最初に一言)今回記事は前回記事を踏まえて、さらに論を展開したい。その際、特に私たちは差別と排除の関係を前提とする「システム」の中で生きていることから、差別され排除される者は当然の権利として、彼らの奪われた取り分を請求できるということを、その意味では「103万円の壁」を取り払って云々の話よりは、累進課税の強化によって富める者から貧しき者への富の再配分こそがなされるべきであるとの議論が盛り上がるのが望ましいという観点から拙論を述べていきたい。私のモデルで描く〈「システム」とその関係の歩み〉において、1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}の、また現在進行中の{[B]→(×)[...私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

  • 私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

    私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続・続))(最初に一言)昨日のニュース報道で、千葉でホテルの従業員の女性が両手を縛られ暴行されて殺害されたとのこと。なんとも痛ましい事件だ。だが、私たちの社会はこうした暴力行使に対して、あまりにも甘すぎるのではあるまいか。私は前回記事において、『護られなかった人々』に対する物心両面の支援が必要云々と書いていた。しかし、その際に私が述べていなかったことがある。正直なところ、こんな話はしたくはないのだけれども、やはり責任ある個人としての務めを果たすとすれば、誰も言いたくないようなことを語っておく必要があるはずだ。それゆえ、私は今回記事において、もしこうした殺人行為に手を貸した者がいれば、それが闇バイトで...私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

  • 私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

    私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続)*NHK地上波の夜7時のニュースで、自民党会派に属する国会議員数は197になったとの報道に接した。今回記事の最後の方のあるくだりで、私は自公連立与党がいつの間にか過半数の233議席を占めるかもしれないと書いていた。そこではあと18議席だとしていたが、今のニュース報道を受けて、後12議席に訂正しておきたい。維新の代表選の前後あたりにおいて、何かが起こるのかもしれない。(最初に一言)私たちが今抱えている日本の政治や経済そして社会の問題は確かに私の語る「システム」の枠の中で位置づけ理解される必要があるのだが、だからと言って何も私たちができないというわけではない。否それどころか、ひとたび「システム」の存...私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

  • 私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

    私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(最初に一言)前回記事の続きをあれこれと思案していたところに、先の衆議院議員総選挙があり、その結果にまたまた落ち込んでいたというか毎度のこととしばらく元気になるのを待っていたのだが、何にも変わらないので、無理して少し記事を書いてみようとしているところ。これまでの記事の流れを踏まえるとき、大切だと思うのは、私たちの社会のこれからに対して、私個人が引き受けるべき責任を感じながら、少しでも建設的な話を展開することだと、今さらながら痛感している次第だ。それにしても私は思うのだが、これほどまでに日本社会がダメになるとは。凄まじい限りである。10代や20代の若者が闇バイトで手っ取り早く金を稼ぐために、人殺しもお構...私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

  • 私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、堀 有伸氏に

    私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、堀有伸氏による〈日本社会の「最大のガン」の正体…私が「ポスト・モダン」だけを語る人たちが嫌いである理由10/22(火)6:45配信『現代ビジネス』〉の記事から再考するとき(最初に一言)前回記事の最後の(補論)で取り上げていた堀氏の見解に関して、今回記事ではもう少し接近して論を展開してみたい。堀氏も指摘していたように、私たちは原発や国防に関してあまり大きな関心を払わないできた。そこには、堀氏と異なり、日本国家や政府による国民を奏した問題にかかわらせないようなバリアが張り巡らされている、と私はみている。国家や政府の都合のいい情報しか提供されないのは、先の福島原発問題においても私は痛感した次第だ。当時の政権党は自民党ではなく民...私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、堀有伸氏に

  • 私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、とくに国家の

    私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、とくに国家の「暴力装置」、また「シビリアン・コントロール」の話との関連・関係から、考えるとき(続)(最初に一言)前回記事に続き、私たちがどのような立場で「暴力」と向き合い、それをコントロールできるのか否かについて、ここからまずは述べていきたい。M・ヴェーバーは、国家の条件として、暴力を独占できる主体として理解していた。その関連から、国家とその軍隊は「暴力装置」として位置づけ理解できる、と私も当然の如くみているのだが、かなり以前?の国会中継において、確か民主党政権下で官房長官を務めていた仙谷由人氏が、自民党?の議員の質問に答えて、自衛隊は暴力装置云々と述べたところ、それは何事か云々の議論というかちょっとした騒動となって世間...私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、とくに国家の

  • 私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について考えるとき

    私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について考えるとき(最初に一言)私はこれまで何度も私の語る「システム」論から、どうすれば覇権システムと「システム」の桎梏から私を解放できるのかに関して、その〈可能性〉と〈方向性〉についてあれこれと論及してきたのだが、今回記事は、これまでの論とはまったく逆の観点から、話を展開してみたい。私は俗にいう「清濁を併せ持つ」という文言が好きである。世の中というものは、所詮どんなに力んでみたところで、結局は落ち着くところに落ち着くのが常である。人間の良い行いとされるものも、悪い行いとされるものも、タイム・スパンの取り方によって何もなかったようになってしまう。つまりは時の流れの中で、何事もなかったようになる。私はそんな流れというか私自身の寿命の...私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について考えるとき

  • 私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続・続

    私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続・続)(最初に一言)今回記事もまた、前回記事の続きを述べることにしたい。特に、私たちの社会では、民主主義と帝国主義とは、「水」と「油」の関係ではなく、「水と油」として共存しながらどちらがどちらかであることを識別できないほどに「癒着・融合」しているとの私の仮説をさらに掘り下げていきたい。すぐ上でも述べているように、民主主義と帝国主義とが癒着・融合しているとすれば、それも私たちの日常生活でのことだとすれば、私たちは本当に困ってしまうに違いない。たとえて言えば、市民の暮らしや治安を守るとされていた「十手持ち」が、同時にまた博打や恐喝等々の犯罪に手を貸す「やくざの親分」という関係が、私たちの身の回りで公然とまかり通って...私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続・続

  • 私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続)

    私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続)(最初に一言)今回記事では、前回記事の話をさらに掘り下げてみたい。特に、日本に原爆を投下した米国は大米国帝国であり、その米国は当時は大英帝国との覇権連合の下に合った云々のくだりに目を向けたい。「日本は唯一の被爆国」との話はすぐ上で述べたように、前覇権国の英国から次の覇権国である米国へ覇権のバトンが手渡される、まさにそうした覇権国の興亡史の中の第2次世界大戦であり、大東亜戦争であり、太平洋戦争であり、アジア太平洋戦争であり、そして私たちのよく使う意味でのあの戦争であり、またその戦争と関連した原爆投下という出来事であったことを踏まえるとき、覇権国を頂点としてつくり出されてきたた「親分ー子分」関係に象徴される暴力行...私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき

    私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき(最初に一言)ノーベル平和賞を日本の被団協が受賞したとのこと。それに関する報道において、メディアは日本を「唯一の被爆(曝)国」として紹介するのが常なのだが、そうした物言いの背後にあると思われることを、今回記事では考えてみたい。既に以前のブログ記事でも論述していることを、読者にはお断りしておきたい。ただし、当時の私とは少し違う内容となっているはずだ。率直に言うと、この「被爆国」という表現には、何か「被害者」としての存在が示されているように思われる。また「被爆国」であり、「被曝国」と記されてはいないことにも注意が必要であろう。それを踏まえて論を展開すると、原爆が投下された当時の日本は、「大日本帝国」として位置づけ理解さ...私の語る「システム」論から、改めて「日本は〈唯一の被爆国〉であるとの文言の意味を問い直すとき

  • 私の語る「システム」論から、改めて「新自由主義」を巡る議論を再考するとき

    私の語る「システム」論から、改めて「新自由主義」を巡る議論を再考するとき(最初に一言)今回記事では、前回記事の流れを受けて、「新自由主義」が登場するに至った背景とその政治路線を導くに与った1970年代以降から今日に続く{[B]→(×)[C]→×「A」}の図式で描かれる「システム」のAにおける「低度化」とそれに呼応する「システム」のB、Cにおける「高度化」のそれぞれの「段階」の関係について考察してみたい。先ずは、話の前段として、新自由主義を誕生させた背景は、1970年代に至るまでの〈「システム」とその関係の歩み〉を銘記しておかなければならない。すなわち、{[A]→(×)[B]→×[C]}の図式で描かれる「共時態型モデル」と、〈「システム」の「高度化」の「段階」〉の図式で描かれる「通時型モデルである。それは、...私の語る「システム」論から、改めて「新自由主義」を巡る議論を再考するとき

  • 私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」に

    私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」にその端を発すると同時に、今般の「育成就労制度」の導入の下で生み出される在日外国人生活者と、今後さらに急増するであろう国内の生活困窮者・難民者間のトラブルとその解決・解消に対して、私たちは果たしてマトモに向き合うことができるのだろうか?(続)(最初に一言)の前に、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉のモデルで描く〈共時態型モデル〉と〈通時型モデル〉の二つの関係をここに示しながら、私たちが議論している格差問題を改めて考察してみたい。特に、新自由主義を格差の原因とみる見方は、私からすれば「木を見て森を見ない」議論であることを、強調しておきたい。と同時に、前回記事も含めた「移民・難民の受け入れ問題」は私たちが格差社...私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」に

  • 私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」に

    私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」にその端を発すると同時に、今般の「育成就労制度」の導入の下で生み出される在日外国人生活者と、今後さらに急増するであろう国内の生活困窮者・難民者間のトラブルとその解決・解消に対して、私たちは果たしてマトモに向き合うことができるのだろうか?(最初に一言)前回記事では、戦争・紛争を契機とする特にウクライナからの難民・移民問題に関して論じたが、日本と日本人にとっての移民・難民問題はそれだけではない。むしろ日本国内から派生する問題の方が、私たちには深刻活根深い問題となる、と私はみている。今日、2024年9月30日の夜7時からの地上波放送の「ニュース」の時間帯での、前日に起きた埼玉県川口市の早朝時の交差点での出会いがしらの車...私の語る「システム」論から、改めて日本における移民・難民問題を考えるときーーー「技能実習制度」に

  • 私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を「あちら側の彼ら」の

    私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を「あちら側の彼ら」の提供する報道番組の一つである「報道ステーション」(2014年9,24)で取り上げていたドイツ地方議会選挙における移民・難民の受け入れ反対を主張する、極右政党と目されている「ドイツのための選択肢(afd)の躍進を批判的観点から報道する姿勢を、こちら側の私たちの立場から反批判するとき*今回記事の最後の)(付言)において、布施祐仁著『従属の代償日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集した〈吉田茂が米国と交わした「約束」の正体に驚愕!強硬姿勢崩さぬ米軍に最後は…9/26(木)6:50配信『現代ビジネス』〉を紹介すると同時に、同記事の内容を踏まえて、矢部宏治氏による「日米合同委員会」と「米国」との各々の役割分担とを切り離...私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を「あちら側の彼ら」の

  • 私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を 勢古 浩爾氏の〈人

    私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を勢古浩爾氏の〈人類は隣人の騒音トラブルひとつ解決できない――事態は深刻、軽視されてはならない9/18(水)11:51配信『JBpress』〉を読みながら再考するとき(最初に一言)読者に先ず確認してほしいのは私たちの社会にはそもそも「公的空間」など存在していないということを。すなわち、すべては「私的空間」における「私」を基本単位とする諸個人間、諸集団間、諸共同体間を介在した錯綜した人間関係における私的活動であるということに目を向けてほしいのだ。それは民族(エスニック・グループ)や国家や国民、あるいはナショナリズム、自由主義、民主主義、全体主義にも該当する、と私はみている。こうした観点からイスラエルによるパレスチナへの果てしない理...私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を勢古浩爾氏の〈人

  • 私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を宮川裕章氏の〈米国

    私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を宮川裕章氏の〈米国はなぜ強いのかイタリアで世界の「覇権」を考える9/21(土)9:30配信『毎日新聞』〉と勢古浩爾氏の〈人類は隣人の騒音トラブルひとつ解決できない――事態は深刻、軽視されてはならない9/18(水)11:51配信『JBpress』〉と『共同通信』〈技能実習生の転職、要件明確に失踪者は過去最多、対策強化へ9/16(月)16:00配信〉の記事を読みながら再考するとき(族)(最初に一言)何とかして、またまた入り込んでしまった心の闇というか病みから抜け出そうと、自分が勝手に突き進んだ流れを巻き戻そうとするのだが、心が動かないのだ。それでもその間にいろいろな記事に目を通す中で、なんだかブログ記事を書いてみたくなった次第。タ...私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を宮川裕章氏の〈米国

  • 私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を再考するとき

    私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を再考するとき(最初に一言)前回記事での)最後に一言)において指摘したように、私たち日本と日本人の「生き残り」をかけた安全保障問題を難民と移民の受け入れ問題と重ねながら、論を展開していきたい。今回記事では行論の都合上、遠藤誉氏の〈自民党総裁候補者に問う「日本の官公庁のデータは中国人が作成している実態」をご存じか?(9/15(日)14:02)〉を紹介する。前回記事の(最後に一言)において私が指摘したことは、おそらく正鵠を射ているのではあるまいか。今のというか、これまでもほとんどそうであったように、日本と日本人を率いてきた歴代の政権担当者とそれを補佐する国会議員と官僚は、日米関係の一方の当事者である覇権国の親分の米国の意のままに行動...私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を再考するとき

  • (訂正・修正版)私の語る「システム」論から、〈哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエルの倫理資本主義論を聴いて

    (訂正・修正版)私の語る「システム」論から、〈哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエルの倫理資本主義論を聴いて考えたこと9/13(金)11:32配信『AERA』〉と〈75歳以上の医療費「3割負担」拡大、60代後半の就業率「57%」目標に…高齢社会対策大綱を閣議決定『読売新聞』〉の二つの記事を再考するとき*記事を投稿した後に頭の中で内容についていつものように見直していた。その際、〈「さすが」左翼的経済政策ーーー「歯止めをかける」ーーー〉云々のくだりを踏まえた次の段落の話で、読者に誤解を与えかねない論の流れがあったので、改めて(訂正・修正)した記事を投稿したことを読者に断っておきたい。(最初に一言)前回記事の続きをと思っていたのだが、今回記事ではどうしてもタイトルで紹介した記事を再考することが大切だと考えて...(訂正・修正版)私の語る「システム」論から、〈哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエルの倫理資本主義論を聴いて

  • 私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

    私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、改めて読者と再考するとき(続・続)(最初に一言)の前に誤解を恐れないで言うならば、私は差別や排除の関係それ自体がなくなったり、なくせるものだとは考えてはいない。それゆえ、差別はいけないとかやめましょう云々を繰り返す人たちに対して、私はどうしてそんな嘘をつくのか・つけるのか、と腹立ちしか覚えないのである。私がこの記事で繰り返し読者に伝えたいと話しているのは、差別と排除の関係の中で、どうすれば少しでもましな生き方ができるかを、私と一緒に考えてほしいという、ただその一点なのだ。この物言いでさえ、嘘っぱちであるのを私も認めざるを得ないにしても、そうなのだ。私から見ると、世の中は欺瞞だらけであり、それを前提としながら生き...私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

  • 私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

    私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、改めて読者と再考するとき(続)(最初に一言)昨日の記事に続いて、今日もまた少しだけ話を続けてみたい。というのも、前回記事で紹介した布施祐仁氏による〈「米国に見捨てられる…」安倍・岸田の恐怖が生んだ「戦慄すべき」日本の末路「もはや米国のミサイル基地」〉(9/10(火)6:49配信『現代ビジネス』)で描かれている日本の残酷すぎる現状・現実の根底に横たわっている、それこそ日本と日本人が真正面から向き合うべき問題を、ずっと以前から告発し続けてきた矢部宏治氏による〈ぜったいに「米軍」にさからえない「日本の悲劇」…「戦後日本」に残された米軍の「リモコン装置」9/11(水)6:35配信『現代ビジネス』)の記事が「YahooJ...私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

  • 私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

    私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、改めて読者と再考するとき(最初に一言)最近の私は絶不調だ。その理由は簡単。自民党と立憲民主党のリーダー選出を巡る「あちら側の彼ら」の提供する情報があまりにもお粗末すぎるからだ。何度も言うように、その理由も簡単。「システム」に都合のいいように情報は創造され操作されるから。それを踏まえてもなお、私の身体から気力が失われていくのがよくわかる。たとえ、「こちら側の私たち」に私は属しているのだと思い込ませたとしてもである。そんな中、今日の「ヤフージャパン」のトビックス一覧の中で是非とも読者に紹介しておきたい記事があったので、今回はそれについて述べておきたい。その記事とは、布施祐仁氏による〈「米国に見捨てられる…」安倍・岸...私の語る「システム」論から、日本の置かれた現状・現実を的確に描写していると思われる貴重な記事を、

  • (訂正・修正版)私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の垂れ流す「尖閣諸島は日本固有の領土」云々

    (訂正・修正版)私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の垂れ流す「尖閣諸島は日本固有の領土」云々の発言を再考するとき(最初に一言)タイトルにある「日本」はそれでは「どこの国の〈固有の〉領土」なのかという観点から、先ずは再考してみよう。またまた面白くもない話になるのは避けられないことを、最初に断っておきたい。「こちら側の私たち」に属しているオニクタラムがとやかく言うことでもあるまいが、pせおせっかいながらの一言となった次第。もし、その日本という「公的空間」が、明治維新以来、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉の下で、{[A]→(×)[B]→×[C]}のBに組み込まれて、Aのトップに位置した当時の覇権国であった英国との「親分ー子分」の差別と排除の関係に組み込まれて、英国の支配・指導の下に主権国家と...(訂正・修正版)私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の垂れ流す「尖閣諸島は日本固有の領土」云々

  • 私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の支配する世界(社会)の強靭さについて、しみじみと

    私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の支配する世界(社会)の強靭さについて、しみじみと嘆息するとき(最初に一言)前回記事において、私のこれまで抱き続けてきた思いをほとんど?開陳したのだが、何度も言うように、頭の中で描いた世界がそのまま現実化することはないから、またあちら側の彼らの支配する世界の中でこれからもずっと生き続けることを踏まえれば、私の淡い希望を述べたに過ぎない。今回記事は、その続きを論じてみたい。「こちら側の私たち」という「意識」を少しだけ持つことによって、私は本来ならばこちら側に所属していたはずであろう多くの人間が、残念なことにあちら側で生きていることのアホらしさを、今更ながら痛感できる?云々に関する記事を前回は語っていた。その意味では、共産主義者は元より、自由民主主義者も、そうした...私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の支配する世界(社会)の強靭さについて、しみじみと

  • 私の語る「システム」論から、今一度なぜ戦争は繰り返されるのか、広島・長崎の原爆の日・戦没者慰霊の日

    私の語る「システム」論から、今一度なぜ戦争は繰り返されるのか、広島・長崎の原爆の日・戦没者慰霊の日の式典における「二度とこのような悲惨な戦争は繰り返しません」との誓いを、どうして私たちは裏切り続けるのか、について再考するとき本論に入る前に一言ここしばらくの間、頭の中で書いていたくだりから、話しておきたい。私たちは「なぜ人を殺してはいけないのか」とよく問うのだが、どういうわけなのかその前に当然問うべき問題であるはずの「どうしてかくも私たちは殺し合いを空きもしないで繰り返すのか」との問いには答えがらないのだ。それをすれば、当然ながら戦争での人殺しを考えるはずなのだが、ここでもそれにこたえる前に、二度と戦争は人殺しはしませんとの念仏めいた誓いを立てるのだから、私たちの思考の在り方はどこかずれているとしか私には思...私の語る「システム」論から、今一度なぜ戦争は繰り返されるのか、広島・長崎の原爆の日・戦没者慰霊の日

  • 私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(続)

    私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(続)(最初に一言)前回記事において、---私たちの社会は差別と排除の人間関係を前提とするものであり、そのような社会の中で生きているのは問題がある云々といくら叫んだところで、私たちの生存それ自体がそうした差別と排除の人間関係を前提として成り立っていることを承知していることから、なかなかそれは一筋縄ではいかないことになる。ーーーと私は述べていた。今回記事はこのくだりを論の起点として以下に話をしていきたい。*なお、引用貼り付けに際して、前回記事のくだりを一部削除したことを断っておきたい。そこで私が読者に伝えたかった差別と排除の人間関係を、明治維新当時の日本を取り巻く国際社会の文脈の下に言い換えて論じていたのが、福沢諭吉の『文明...私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき

    私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(最初に一言)今回の話も、おそらくは大半の日本人には「どうでもいい」ような話として済まされるように私には思われるのだが、斎藤氏が問いかけた問題を、私の語る「システム」論から掘り下げて考えてみたい。「こちら側の私たち」にとっては、斎藤氏の「反五輪でボイコット」の主張は、至極当然の物言いとして位置づけ理解されるということを、最初に述べておきたい。その際付言すれば、だからといって五輪を見ることもしないのかどうかは、こちら側の私たち各人の判断に委ねるしかあるまい。私が今回記事で問題としたいのは、斎藤氏が指摘する以外に、五輪に反対する理由はないのかという点に関してである。私はもう少し広い文脈の下で反対の立場を表明しておきたい。それで...私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき

  • 私の語る「システム」論から、〈田原総一朗氏 支持率でハリス副大統領がトランプ氏をリードに「世界の平和

    私の語る「システム」論から、〈田原総一朗氏支持率でハリス副大統領がトランプ氏をリードに「世界の平和はアメリカが守るんだ、というプライド」7/24(水)19:46配信東スポWEB〉を再考するとき(最初に一言)の前に*本論に入る前に気になっていたこ戸を先ずは述べておきたい。それはいつもその時は思っているのに、ついつい忘れてしまっている大事なことなのだ。昨日?の金曜日?の早朝のNhKの大雨情報で思い出したので、それについて述べてみたい。「できるだけ命の助かるように行動してください。」云々のメッセージが緊急被害時に流されるのだが、これを聞くたびに、私は何かズレているというか、おかしいのでは?と感じてしまうのだ。と言うのも、私たちの命と暮らしを守るどころか奪い尽くそうとしてきた政治とそれが体現する社会であるにもかか...私の語る「システム」論から、〈田原総一朗氏支持率でハリス副大統領がトランプ氏をリードに「世界の平和

  • 私の語る「システム」論から、〈「オバマ政権の大失政」が生み出したトランプ現象 告発された「金融業界

    私の語る「システム」論から、〈「オバマ政権の大失政」が生み出したトランプ現象告発された「金融業界癒着」「中間層救済放棄」〉(7/16(火)8:21配信東洋経済オンライン)と〈ウクライナで発生した戦争犯罪は許さないが、ガザで続いている戦争犯罪には沈黙を貫く…欧米諸国の態度が「偽善的な二重基準」だといえるワケ〉(7/17(水)7:04配信現代ビジネス)の二つの論説を導きの糸として、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき(続)*今回記事における一番の問題とは、これまで何度も論述してきたおなじみのそれである。以下に要約してみたい。19世紀の時代はいわゆる「自由主義の時代」として語られてきたのだが、その時期のイギリスは大英帝国を建設すると同時にパックス・ブリタニカとして世界に君臨していたのである...私の語る「システム」論から、〈「オバマ政権の大失政」が生み出したトランプ現象告発された「金融業界

  • 私の語る「システム」論から、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき

    私の語る「システム」論から、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき(最初に一言)今の「システム」における「こちら側」の「私たち」と「あちら側」の「彼ら」を含めたAに位置したかつての先進諸国とその一員であった日本における人間関係を踏まえるとき、Aの社会において、{[B]→(×)[C]→×[A]}で示される私の語る「システム」の人間関係(そこには諸個人間、諸集団間、諸共同体〈国家〉間の相互に織り成された人間関係を含む)が、〈共時態的一体関係〉として抜き難く存在していることを、議論の前提として銘記しておく必要がある。早速すぐ上での私の物言いを、もう少し具体的に語ってみよう。たとえば、米国からの日本に対する政治・経済・社会・教育等に関する変革を求める要望書が幾度か提出されてきたのは記憶に新しい...私の語る「システム」論から、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき

  • 私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのか

    私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのかについて考えるとき(続・続)(最初に一言)行論の都合上、「オワコン」の意味について、念のためにネットから引用貼り付けておきたい。ーーー「オワコン」とは、「終わったコンテンツ」の省略形として使われるネットスラングです。流行が過ぎた、または過ぎそうで、多くの人の興味を引きつけられなくなってしまったコンテンツや、時代にそぐわないもののことを指します。また、うまくいかない絶望的な状況を指すこともあります。2022/12/02ーーー都知事選挙も終わり、明日で1週間となるのだが、毎度のこととはいえ、この虚脱感というかなんともやりきれない思いでしんどさが倍増の日々を送っている。まあ、いつものことだから、何をいまさらなのだが、そ...私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのか

  • 「システム」の下での「親分ー子分」関係は、明治維新前夜の頃の「親分ー子分」関係とはその意味するところ

    「システム」の下での「親分ー子分」関係は、明治維新前夜の頃の「親分ー子分」関係とはその意味するところを異にする。その意味で維新前と以後の時代は「断絶」した側面を示しているのだが、それにもかかわらず、維新以降の時代になっても、それ以前の古き「親分ー子分」関係は「接ぎ木」されるかのようにしぶとく残存する。その意味では「連続」した側面を示している。このような「断絶」と「連続」の繋がりをどのように位置づけ理解すればいいのだろうか。ー私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのかについて考えるとき(続)*前回記事の補足今回記事の長いタイトルが示しているように、前回記事での明治維新前後を境としたそれ以前の「親分ー子分」関係と、いわゆる「近代」以降のそれを、別の観点から見...「システム」の下での「親分ー子分」関係は、明治維新前夜の頃の「親分ー子分」関係とはその意味するところ

  • 私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのか

    私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのかについて考えるとき*(前回記事の補足)私たちが「国」を守るというとき、その国とは何某かの「人間関係」を意味しているというかそれを組み込んでいるのだ。私の語る「システム」も、そうした人間関係から構成されているということである。何度も言及してきたように、それは自己決定権の獲得とその実現を巡る差別と排除の(格差の)関係を基本的単位としている。それゆえ、国を守るとは、先ずは何某かの差別と排除の人間関係を守るということなのだ。もしこうした仕組みを私たちが知るならば、少なくとも嬉々として国を守ろうとするナショナリスト等にはなりたいとは思わないはずだろう。なぜなら、あまりにも格好の悪いものだからだ。前回記事で、明治維新前後でも...私の語る「システム」論から、「システム」は今夏の都知事選において、いったい誰を「選択」するのか

  • そもそも、私たちにここが「日本」であるとか、あなたは「日本人」であるとかの「枠」に私たちを閉じ込め

    そもそも、私たちにここが「日本」であるとか、あなたは「日本人」であるとかの「枠」に私たちを閉じ込めているというか縛り付けているのは、いったい何なのだろうか。もしそれは日本だとか日本人であるというのであれば、それこそ「トートロジー」であり、何も設問に答えられるものではあるまい。その答えとなるのは、言うまでもなく、私の語る「システム」(〈「システム」とその関係の歩み〉)に他ならない。それゆえ、どうしても「システム」について知ることが不可欠となる。ー私の語る「システム」論から、{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルで描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉の中で生きている「意味」を再考するとき(続・続・続・続・続・続・続・続)(最初に一言)今回記事のタイトルも少し長くなったのだが、その意味するところは、日本...そもそも、私たちにここが「日本」であるとか、あなたは「日本人」であるとかの「枠」に私たちを閉じ込め

  • たとえ人口減少によって日本国家が消滅したとしても、「システム」にはなんの問題にもならないのだ。

    たとえ人口減少によって日本国家が消滅したとしても、「システム」にはなんの問題にもならないのだ。「システム」から日本の少子化問題や日本国家の存亡を捉え直すならば、もはや「産めや殖やせよ」的〈政治〉は時代錯誤もいいところなのだー私の語る「システム」論から、{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルで描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉の中で生きている「意味」を再考するとき(続・続・続・続・続・続・続)*誤解のないように最初に強調しておきたいのは、「自滅」だろうが、「消滅」だろうが、それはそれでどうしようもないことであるし、従容として受け入れることである、と私はみている。騒ぎ立てる問題でもないし、ましてや国政や地方自治体の選挙を利用して、公(私)的権力の名の下に、「適齢期」の女性や男性に少子化問題を引き受け...たとえ人口減少によって日本国家が消滅したとしても、「システム」にはなんの問題にもならないのだ。

  • 都知事選挙の主要候補者の公約から垣間見られる虚偽と矛盾と欺瞞に満ちた私たちの生き方ー「主権・国民・

    都知事選挙の主要候補者の公約から垣間見られる虚偽と矛盾と欺瞞に満ちた私たちの生き方ー「主権・国民・国家」とその背後に控える私的な利権・利害関係はどのように結びついているのかー私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続・続・続・続・続・続)(最初に一言)の前に、前回記事の続き私たちはそれぞれの主権国家の中で国民として生きているのだが、その国家を巨大な私的利権・利害関係集団とそのネットワークが支配しているとすれば、その空間における「私」と「公」の関係はどのように捉え直す必要があるのだろうか。前回記事でも指摘していたように...都知事選挙の主要候補者の公約から垣間見られる虚偽と矛盾と欺瞞に満ちた私たちの生き方ー「主権・国民・

  • 「主権・国民・国家」とその背後に控える私的な利権・利害関係はどのように結びついているのかー私の語る

    「主権・国民・国家」とその背後に控える私的な利権・利害関係はどのように結びついているのかー私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続・続・続・続・続)(最初に一言)今回記事では、前回記事で論述できなかった重要な論点について補足しておきたい。その前に、前回記事に関するごくごく簡単な補足説明をしておきたい。私の素朴な思いというか疑問を前回記事で述べていたのだが、それは日本の国家・政府の後押し?を受けた日本の大手銀行や大企業を介した中国への日本国土(領土)内にある動産・不動産の売り渡し感の強い活発な経済・交易活動は野放しで...「主権・国民・国家」とその背後に控える私的な利権・利害関係はどのように結びついているのかー私の語る

  • 「沖縄が危ない!」とのこと。それならば「東京は危ない!」を通り越して「日本はもうとっくに終わって

    「沖縄が危ない!」とのこと。それならば「東京は危ない!」を通り越して「日本はもうとっくに終わっている!」のではあるまいかー私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続・続・続・続)(最初に一言)それにしても次から次へと「中国脅威」論を煽る?ネタは尽きない。今回は仲新城誠(なかしんじょう・まこと)氏による〈「沖縄が危ない!」本島よりも「リアルな国防最前線」八重山諸島、首長らの切実な声…かき消すメディア、悪と「戦う覚悟」なしに生命や財産を守れるのか〉(2024.6/810:00)と〈「沖縄が危ない!」沖縄・玉城知事〝独自の...「沖縄が危ない!」とのこと。それならば「東京は危ない!」を通り越して「日本はもうとっくに終わって

  • 私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」

    私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続・続・続)(最初に一言)それでは早速、前回記事の続きといこう。正直、昨日の記事投稿とそれに至るまでの二・三日間の悶々とした時間はきつかった。会田氏の論説からいろいろと考えることが多くあり、そこからまた私の「システム」論を念頭に都知事選での問題を介した日本政治の在り様をあれこれと愚考していたことから、それは相当に神経の参ることであった。だが、それ以上に有意義な思索のひと時でもあった。それにしても、私たちは相当に困難な時代の中で、先の見通しもつかないままに、それこそ暗中模索といっ...私の語る「システム」論から、「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」

  • 私の語る「システム」論から、[論説]〈現実味を増すトランプの再選...「現代の平民」が見ている、

    私の語る「システム」論から、[論説]〈現実味を増すトランプの再選...「現代の平民」が見ている、カリフォルニアの「テック貴族」が支配する「封建制」とは?〉を捉え直すときー「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続・続)(最初に一言)の前の、少し長い前置き*私の語る「システム」論とコラボさせる形で今回記事で紹介する会田弘継氏の論説を読み直した際に、私の感じたことをここに先ず簡単にまとめておくと、以下のようになる。フランス革命を「反乱」か「革命」かといった観点から見直した際の私の応答は、いわゆる「第三身分」を担い手とした「市民」革命では決してなかっ...私の語る「システム」論から、[論説]〈現実味を増すトランプの再選...「現代の平民」が見ている、

  • 「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する

    「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する-私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(続)*前回記事での私の伝えたかったことと、ごく簡単な要約少々ジレッタイ、歯がゆい思い。政治資金規制法案に対していろいろと反対なり文句をつけている人たちは、その理由として、そもそもの問題は裏金を着服して猫糞する形で脱税している現実があるにもかかわらず、それをすり替えてしまっている云々と頭を働かせるのに、どうしてなのか。都知事選での小池現都知事の立候補宣言?に対して、立憲の蓮舫氏が対立候補者として名乗りを上げた時には、先の裏金問題の追及者の立場にあった人たちは、いとも簡単にあっさりとゴーサインを出して、ヨイシ...「〈開かずの間〉としての政治領域」の黙認によって、「日本」と「日本人」の自滅へと至る歩みは加速する

  • 私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考える

    私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考えるとき(最初に一言)今回も前回記事の続きとして、あれこれと論じていきたい。今日の朝の民放番組(2024、6,1)で田崎史郎氏が都知事選挙に関して他の出演者とともに議論していた。番組の進行役は白鳥浩?法政大教授であった。まあ、率直に言えば、小池氏を翼賛するヤラセ番組であったように、私の過敏症を自覚してもなお、「おい、そこまでやるんかい」と感嘆してしまうほどに、自公政権を後押しするのが見え見えの嫌らし過ぎる番組たったように、改めて思った次第。土曜の朝からこんな小池ヨイショ報道では、もう日本と日本人の自滅への歩みは加速するばかりではあるまいか。そこでの私の感じたことは、メディアを利用しての国民や都民をある方向へと誘導...私の語る「システム」論から、都知事選関連報道を介して垣間見られる「自滅」へと至る身近な問題を考える

  • 私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は

    私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなかろう!(最初に一言)今回記事も、前回の内容に関して、あれやこれやと補足しながら書き進めていきたい。今回記事での私の強調点は以下のとおりである。すなわち、日本と日本人は、世界に向かって覇権システムとそれを維持し発展させることに貢献してきた日米関係の、さらには「システム」の抱え続けてきた問題点というか宿痾を告発することが重要だということである。それこそが、あの戦争における広島・長崎への二度にわたる核攻撃の悲劇を体験した日本に生きる者の定めである、と私は思うのだ。すなわち、覇権システムとその親分である米国との関係における子分としての...私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は

  • 「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなか

    「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなかろう!―私の語る「システム」論から「中国〈脅威〉論」を再考するとき(続)(最初に一言)今回記事は、前回記事の続きとして位置している。以下に紹介する「阿修羅」の二つの記事とコラボさせながら書いていきたい。それでは、先ずその二つの記事をここに引用貼り付けておく。なお、コメント欄やその他の一部をカットしているので、全文に目を通したい読者は記事に直接あたってほしい。(一つ目の記事)―ーー引用貼り付け、始め★阿修羅♪>経世済民136>393.html▲コメTop▼コメBtm次へ前へ★阿修羅♪米投資家ジム・ロジャーズが警鐘40代以上は「日本以外に引っ越しなさい」の意味日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ)http://w...「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなか

  • 「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になること

    「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続・続)(最初に一言)何を書いても言っても、「独り言」の域を出ないので、ブログ記事の投稿も意味はないと思いつつも、それでもまた今日のNHKの朝の番組での「中国脅威」云々の発言に接した?ので、やはり独り言でも述べておきたいとの思いが強くこれから書いてみたい。私の記憶違いであれば、申し訳ないのだが、今日の午前中のNHKの番組で確か前駐米大使の杉山氏が、「中国脅威」を注視すべき云々の発言をしていたように、私には聞き取れた「公共」放送のNHKで、国民の税金が投入されているテレビ局の、NHKが出演要請を依頼したであろう政治番組での話なのだ。しかも、そうした一方に偏した発言に対して、「公平・公正」...「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になること

  • 私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)

    私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)(最初に一言)前回記事での「過敏症」云々の物言いは、私自身が今の日本社会に対して抱いている違和感を、少し皮肉を込めて述べてみたいとの思いから出てきたものである。今の日本は、「過鈍感症」の人々で満ち満ちた、それこそそれゆえにとても幸せな人間集団から構成された社会なのだろう。もっとも、こんな過鈍感症の人間集団に対しては、何を言っても意味はないから、どうにもならないことを知りつつも、過敏症の私には、これまた何を言われても効き目はないから、オアイコというかいい勝負であるに違いない。そんな目糞鼻糞を笑う次元の関係を断ったうえで、今回もほんの少しばかり前回記事の続きを書いてみたい。昨日と今日の朝のニュースで、自民党の裏金...私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき

    私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(最初に一言)以下に箇条書きの形で述べてみたい。①以前のブログ記事でも述べていたのだが、クマ問題への対応はクマの出没と人的被害に直面する県や県警を始めとする地方公共機関等では到底処理・解決できる問題ではない。国家レベルで緊急に対応を試みなければならない問題である。アフリカの野生動物を保護するゾーンに類似したクマ生息地域の構築が急がれる。そのための私的所有権・財産権に関する法改正やそれと連動した中央・地方に属した諸機関組織の再編成と、その下での人間と野生動物の棲み分けを可能とする生存空間の創造づくりに取り組む必要がある。そのような流れに従いながら、先述したゾーンの中にクマを囲い込み、人間社会との境界を作ることでしか、...私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき

  • 私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

    私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき今回記事では、タイトルに示されるように、「政治」の話とは直接的には結び付かない話をしてみたい。とはいえ、その前に今日の未明に気がついた記事を紹介しておきたい。私の少し以前のブログ記事での円安問題とも関連した記事だが、その中に覇権国という用語があったので興味を抱くと同時に、やっと待っていましたとの思いで聞くことのできた内容であったので、その記事を以下に引用貼り付けておきたい。なお、記事の一部(一文)をカットしていることを断っておきたい。私のパソコンはPC-TALKERを使った音声入力のためなのか、私もよくわからないのだが、グラフや統計資料がコピーできないので、記事にあるグラフを読みたい方は直接この記事に目を通してほしい。ーーー引用貼り付け、始めza...私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

  • (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」の あまりにも野暮な

    (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか*前回記事(2024,5,12)の読者であれば、そこからさらに今回記事の「追記」のくだりをおそらく思い浮かべたのではあるまいか。既にこれまでのブログ記事でも述べていることではあるが、念のために前回記事の前に追記として述べておきたい。それを(追記・修正版)として、前回記事に置き換えておくことを、断っておきたい。なお、その他のくだりは前回記事と同じである。「追記」前回記事でデモ参加者の批判・非難の矛先は、本来ならば欧米発の普遍的価値と普遍主義に向...(追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な

  • 私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

    私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか今回記事も、またまたどうしようもない話をさせてもらうとすれば、記事タイトルにある世界中に拡散?しつつあるイスラエルに対する抗議デモ参加者のイスラエルのパレスチナに対する暴力行使は、私の語る「システム」論から見れば、彼らの批判の矛先は、いわゆる欧米発の普遍的価値と普遍主義に対しても向けられるべきである、と私はみるのだが、現実にはそうはならないようだ。そこにはデモ参加者の学生は帝国主義・植民地主義とデモクラシーの発展の関係を「水」と「油」のそれとして位置づけ理解...私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

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日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。
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