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2024/05/04

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  • 私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は

    私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなかろう!(最初に一言)今回記事も、前回の内容に関して、あれやこれやと補足しながら書き進めていきたい。今回記事での私の強調点は以下のとおりである。すなわち、日本と日本人は、世界に向かって覇権システムとそれを維持し発展させることに貢献してきた日米関係の、さらには「システム」の抱え続けてきた問題点というか宿痾を告発することが重要だということである。それこそが、あの戦争における広島・長崎への二度にわたる核攻撃の悲劇を体験した日本に生きる者の定めである、と私は思うのだ。すなわち、覇権システムとその親分である米国との関係における子分としての...私の語る「システム」論から、来たる東京都知事選挙をあれこれ想像するとき(続・続)ー「日本」と「日本人」は

  • 「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなか

    「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなかろう!―私の語る「システム」論から「中国〈脅威〉論」を再考するとき(続)(最初に一言)今回記事は、前回記事の続きとして位置している。以下に紹介する「阿修羅」の二つの記事とコラボさせながら書いていきたい。それでは、先ずその二つの記事をここに引用貼り付けておく。なお、コメント欄やその他の一部をカットしているので、全文に目を通したい読者は記事に直接あたってほしい。(一つ目の記事)―ーー引用貼り付け、始め★阿修羅♪>経世済民136>393.html▲コメTop▼コメBtm次へ前へ★阿修羅♪米投資家ジム・ロジャーズが警鐘40代以上は「日本以外に引っ越しなさい」の意味日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ)http://w...「日本」と「日本人」は今もなお「自滅」へと誘う道を歩み続けている。これこそ〈脅威〉以外の何物でもなか

  • 「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になること

    「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続・続)(最初に一言)何を書いても言っても、「独り言」の域を出ないので、ブログ記事の投稿も意味はないと思いつつも、それでもまた今日のNHKの朝の番組での「中国脅威」云々の発言に接した?ので、やはり独り言でも述べておきたいとの思いが強くこれから書いてみたい。私の記憶違いであれば、申し訳ないのだが、今日の午前中のNHKの番組で確か前駐米大使の杉山氏が、「中国脅威」を注視すべき云々の発言をしていたように、私には聞き取れた「公共」放送のNHKで、国民の税金が投入されているテレビ局の、NHKが出演要請を依頼したであろう政治番組での話なのだ。しかも、そうした一方に偏した発言に対して、「公平・公正」...「中国〈脅威〉論」の危うさー私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になること

  • 私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)

    私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)(最初に一言)前回記事での「過敏症」云々の物言いは、私自身が今の日本社会に対して抱いている違和感を、少し皮肉を込めて述べてみたいとの思いから出てきたものである。今の日本は、「過鈍感症」の人々で満ち満ちた、それこそそれゆえにとても幸せな人間集団から構成された社会なのだろう。もっとも、こんな過鈍感症の人間集団に対しては、何を言っても意味はないから、どうにもならないことを知りつつも、過敏症の私には、これまた何を言われても効き目はないから、オアイコというかいい勝負であるに違いない。そんな目糞鼻糞を笑う次元の関係を断ったうえで、今回もほんの少しばかり前回記事の続きを書いてみたい。昨日と今日の朝のニュースで、自民党の裏金...私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(続)

  • 私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき

    私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき(最初に一言)以下に箇条書きの形で述べてみたい。①以前のブログ記事でも述べていたのだが、クマ問題への対応はクマの出没と人的被害に直面する県や県警を始めとする地方公共機関等では到底処理・解決できる問題ではない。国家レベルで緊急に対応を試みなければならない問題である。アフリカの野生動物を保護するゾーンに類似したクマ生息地域の構築が急がれる。そのための私的所有権・財産権に関する法改正やそれと連動した中央・地方に属した諸機関組織の再編成と、その下での人間と野生動物の棲み分けを可能とする生存空間の創造づくりに取り組む必要がある。そのような流れに従いながら、先述したゾーンの中にクマを囲い込み、人間社会との境界を作ることでしか、...私の語る「システム」論から、「過敏症」を自認する私の気になることをあれこれと思い浮かべるとき

  • 私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

    私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき今回記事では、タイトルに示されるように、「政治」の話とは直接的には結び付かない話をしてみたい。とはいえ、その前に今日の未明に気がついた記事を紹介しておきたい。私の少し以前のブログ記事での円安問題とも関連した記事だが、その中に覇権国という用語があったので興味を抱くと同時に、やっと待っていましたとの思いで聞くことのできた内容であったので、その記事を以下に引用貼り付けておきたい。なお、記事の一部(一文)をカットしていることを断っておきたい。私のパソコンはPC-TALKERを使った音声入力のためなのか、私もよくわからないのだが、グラフや統計資料がコピーできないので、記事にあるグラフを読みたい方は直接この記事に目を通してほしい。ーーー引用貼り付け、始めza...私の語る「システム」論から、いろいろな人生を思い浮かべるとき

  • (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」の あまりにも野暮な

    (追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか*前回記事(2024,5,12)の読者であれば、そこからさらに今回記事の「追記」のくだりをおそらく思い浮かべたのではあるまいか。既にこれまでのブログ記事でも述べていることではあるが、念のために前回記事の前に追記として述べておきたい。それを(追記・修正版)として、前回記事に置き換えておくことを、断っておきたい。なお、その他のくだりは前回記事と同じである。「追記」前回記事でデモ参加者の批判・非難の矛先は、本来ならば欧米発の普遍的価値と普遍主義に向...(追記・修正版)私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な

  • 私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

    私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき―イスラエルのパレスチナに対する無慈悲な暴力行使と一体的関係にある欧米諸国の憲法理念も、本来ならばデモ参加者の学生の批判・非難の対象となるべきではないのか今回記事も、またまたどうしようもない話をさせてもらうとすれば、記事タイトルにある世界中に拡散?しつつあるイスラエルに対する抗議デモ参加者のイスラエルのパレスチナに対する暴力行使は、私の語る「システム」論から見れば、彼らの批判の矛先は、いわゆる欧米発の普遍的価値と普遍主義に対しても向けられるべきである、と私はみるのだが、現実にはそうはならないようだ。そこにはデモ参加者の学生は帝国主義・植民地主義とデモクラシーの発展の関係を「水」と「油」のそれとして位置づけ理解...私の語る「システム」論から、毎度「それを言ったらおしまいだよ」のあまりにも野暮な拙論を展開するとき

  • 円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)

    円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)前回記事での②で述べておいたように、私たちが今確認しておかなければならないのは、ーーー通貨レートは、「システム」がつくり出す差別と排除の「カクサ」の関係を導くことに貢献するということであり、同時にその際、「システム」の差別と排除の関係それ自体が、「システム」の発展の高度化と低度化をつくり出すカクサの原動力であるということであった。またその際、「システム」を構成する下位システムの一つである覇権システムにおける力(暴力)と力(暴力)の差別と排除の格差の関係が、今日の円安問題に何よりも大きく与っている、と私はみている。それゆえ、円安問題は、B、C、Aから構成される1970年代以降に形成され発展の途上にある「システム」とその発展の...円安基調を導く根本的要因としての「システム」に見る差別と排除の〈カクサ〉の関係(結)

  • 〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の

    〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の「システム」と「システム人」そして「日本」と「日本人」を語るとき今回記事で私の強調したい点は、以下のとおりである。①円安問題で米ドルと日本円の通貨レートを介した資産の損得勘定に躍起となっている今の日本と日本人には、かつての日本経済の繁栄していた頃に、日本企業や日本人観光客の来襲?によって、自国経済の健全な発展を阻止・阻害されていた1970年代以前のいわゆるグローバルサウスを構成する諸国に暮らす多くの人々の飢餓や貧困状態など見えていなかったのではあるまいか。②そうした観点から外国為替市場における通貨レートの長期的な変遷を振り返るとき、「システム」を介した通貨レートの操作は、「カクサ」を構成する一つの重要な要因であるこ...〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、<私の語る>「システム」と略す)から、「開国」前後の

  • 〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本

    〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本、あるいは日米関係は、「システム」を構成するB、C、AのAの下位要素でしかない。それらを歴史の主要なアクターとして捉える限り、私たちは歴史を見誤るだけとなる。ー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続・続)前回記事において指摘していた⑤⑥の内容を踏まえるとき、私たちの円安問題への対応・対抗における手段や処置は、たとえ仮にそれらが首尾よくいったとしても、「システム」とその構成要素であるB、C、Aの関係にはまったく何も影響を与えないということである。すなわち、日本経済の防衛や復活にも、米国経済の動向にも、ほとんど何も影響しないのだ。そ...〈「システム」とその関係の歩み〉を話の基本軸として位置づけ理解する必要性についてーそもそも米国や日本

  • (加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防

    (加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防衛といったナショナリズムを担い支えるとき、私たちが呑み込まれてしまったグローバリズムの正体は一体なんであるのかー私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき(続)それでは前回記事の続きといこう。今回記事の要点を以下にまとめてみたい。なお、最初に断っておくが、前回記事と今回記事の要点について、記事でそれらのすべてを論及できないときは、読者の想像力をかきたてながら、要点のくだりを具体的な例に置き換えて考えていただければ幸いである。①前回記事において、ーーー「1対99」といった図式で語られる1%の米国社会を動かしていると言われてきた、いわゆる世...(加筆・修正版)円安問題への対応・対抗の動きから、いつしか「「日本国家・日本国民」を主体とする経済防

  • 私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点

    私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点から再考するとき*これから数回にわたっておそらく書いていくであろう一連の記事の内容をここで要約すれば、以下のようになる。①「円安」問題は、世間で言われている日米の金利差とか米国社会のインフレの動向や労働市場における雇用情勢を踏まえたFRBによる金利操作に関わる云々の話ではないということである。ここで何より大切な視点は、「1対99」といった図式で語られる1%の米国社会を動かしていると言われてきた、いわゆる世界の超富裕層がいかなる金利や為替相場を望んでいるのかということをまずは押さえておかなければならないということである。もし彼らが、歴史のある段階においては、金利高とドル高が彼らの利益になると判断すれば、そうなる...私の語る「システム」論から、ここ最近の注目すべき「円安」問題について、「歴史叙述の神話」という観点

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