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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 勘違いですか?

    庭の雑草抜きもさすがに疲れてきた。植栽をしたエリアに生えていたスギナはかなり抜いたのだがそうではない箇所は伸び放題だ。刈払い機を使い少しはさっぱりした。まだ、やらねばな・・。庭を眺めてひと息をつくのだった。 すると昨年に植えたハギとキキョウが咲いていることに気づいた。零下十度の冬を越えて健気に生きていたのだから嬉しい。 ハギ・オバナ・キキョウ・ナデシコ・オミナエシ・クズ・フジバカマ・・七と言う数字は縁起が良いのか日本には多くの「七」始まりがある。春の七草、秋の七草、七福神・・。いずれも韻を踏んでいるのだろうか、覚えるのは簡単だ。リズミカルに口にするともう忘れない。 そんな秋の七草が初夏に咲いて…

  • 甲斐からの山 守屋山

    ・守屋山 長野県伊那市・諏訪市 1651m 登山口の杖突峠が海抜1244メートル、山頂は1651メートルなのだから標高差にして400メートルだった。昔なら何も気にしない標高差なのだが今はどうだろう。ひと月ほど山のブランクが開いてしまった。まぁ恐る恐ると言ったところだっただろう。四年前に脳腫瘍で外科手術をしてからは体調が大きく変わってしまった。浮遊感、頭の痺れ、すぐに顔を出す疲労感。尖りやすい感情。悪い言葉ばかりだが、その中で何が出来るだろうかと考えている。やれる事をやるだけなのだった。 山に関して言えば恐怖感を覚えるようになった。一人きりの行程、長い距離と高低差。病気になる前までは何も怖れるこ…

  • 迷路

    新宿駅に行った。初めてこの駅に来たのは一体何歳の時か。小学校時代は横浜市民。中学高校時代は広島市民。そんな自分にとり新宿は全く無縁だった。渋谷の大学校に進学した。しかし渋谷から北にある新宿は基本的には無縁だった。中学高校の時に愛読していた作家・北杜夫のエッセイにこんなものがあった。小田急沿線に住む彼は新宿駅東口の紀伊国屋書店に行こうとしていた。しかし新宿駅東口の地下街があまりに複雑で、探す書店に行きあたらない。まるで未来都市に迷い込んだような思いだった、そんな経験を面白おかしく書いていた。新宿駅東口とは恐ろしい所なり。そう自分は思ったのだろう。 新宿には叔母が住んでいる。大学生になり信越線の特…

  • 弊害

    六月も間もなく終わる。昼間は流石に高原でも熱い。三十度を超える日もある。しかし日が沈むころになると風が心地よい。庭仕事をやるには早朝か夕暮れの一時間半程度となってしまった。今日は昼には夕立が来て少しだけ過し良かった。さすがに初夏。庭の雑草たちは意気盛んだ。憎きスギナもあるがそんな中に見たことのない雑草も混じる。ため息をついても仕方がない。手っ取り早く始末しようと刈払い機を出してきた。 2スト用の混合ガソリンを少し入れてスターターを引っ張る。さすがにこの季節はかかりが早い。ブンブンと唸り始める。肩にかけてアクセルレバーを握るならば自分はたちどころに破壊王となり雑草を片っ端から刈っていく。ただし雑…

  • 趣味は違えど

    ショップングモールにトヨタのディーラーが同居している。もともとその土地はトヨタの工場だったのだからトヨタ主導で出来上がったモールなのだろう。このディーラーの面白いところは名車と言われるトヨタの旧車が並んでいることだった。一時はここにトヨタ2000GTが展示されていた。禿げた、白髪のお父さん達が群がっていた、やはり自分の時代ではこの車は特別だった。日産のフェアレディZ432がライバルであったのかは分からないけれどどちらも子供心を大きく刺激した。スーパーカーブームはイギリスやイタリアのスポーツカーが中心だっだがこの二台はそんなブームの少し前の車だったように思う。 さて今日はあの2000GTでは無い…

  • 幸せの団扇

    子どもの頃から犬が好きだった。好きで仕方なかった。当時は近所には柴犬しか居なかったけれども、見かけた犬にはいつも触ろうとしていた。しかし柴犬の多くは飼い主にのみ忠実で後は警戒範囲を超えると唸られてしまうのがオチだった。それでも好きなものは好き。いつか飼いたいと思っていた。 願い叶ってそんな犬を飼い始めたのは集合住宅から一軒家に移ってからだった。犬を飼うために引っ越したとも言えた。やや不細工な、鼻ぺちゃ犬がいつの間にか好きになっていた。人間でもそうだがいわゆる容姿端麗、眉目秀麗の類は長く共に時を過ごすのには不向きに自分は思う。なにしろ整いすぎているから。そんな中でシーズー犬を選んだのは友人の影響…

  • 天麩羅定食下さい

    江戸前と言えば寿司を思い浮かべる。ネタはまずは近海光り物だ。酢で締めたコハダやサバなどたまらなく美味しい。きりりと締めた手拭いを頭に巻いて手をパンとはたいてからお櫃に手を伸ばす。へいお待ちと皿に載せてくれることだろう。しかしもう一つあるのではないか。店の前を通ると漂ってくる。香ばしい。そしてお腹もぐうと鳴る。ガラリと格子戸を開けると香ばしそうな音とゴマ油の香りに溢れてくる。ネタは海老は外せぬが穴子、キス、小柱のかき揚げ、こんなところは欲しい。そう、そこは天麩羅屋だ。 どちらの店も白木造りのカウンターに小上がり。糊の効いた白衣。きりりとした親方の受け答え。江戸前寿司に江戸前天麩羅。違いと言えばカ…

  • 父の日プレゼント

    誰が作ったのだろう、母の日そして父の日。何故か分からないが自分自身はいずれの日もプレゼントを買ったことも無ければ渡したことも無い。感謝が無いわけではなかったが、学生を経て社会人になるまでは親が子の面倒をある程度見るのは務めだと思っていた。そして改めて感謝を口にするのも嫌だった。親子の関係、とくに母親との関係が素直ではないのは今も変わらない。古い価値観の押し付けあたりが嫌だったのだろう。反発心が今もある。対して昭和の会社員であった父親に対しては自分が家庭を持ってから純粋にこう思うようになった。すごいな、頑張って生きていたのだなと。 出来る限り自分の価値観を押し付けないようにしようとは思ったが実際…

  • ぶ厚い封筒

    バイクの音が聞えた。駐車場の砂利を踏む音が聞えた。いつもご苦労様です。そう言って手紙を受け取った。自分宛の封筒で、とても美しい女性の文字だった。住所の欄には郵便局の手で今自分が住む街のシールが貼られていた。送り主は自分の転居を知らないのだった。 三十五年間、自分は会社員として働いた。それだけ長く会社にいれば配属も変わる。幾人もの素敵な上司に恵まれた。それぞれの上司から社会人としての心得から仕事の進め方まで教わった。誰もが海外駐在や現地法人の責任者を務められていた。 その上司は田原さんと言った。彼は自らをスティーブと名乗っていた。名詞の裏面はスティーヴ・タハラと書いてあった。彼はニューヨーク州の…

  • 分岐

    あの時もし、という話はよくある。しかしそれは今更振り返っても仕方のない事だろう。こぼれた水は元に戻らぬから。これまで幾つの選択肢を設けたのだろう。些細な事もあれば大きなこともある。自分が主体的に何かを判断したのは就職先を決めた22歳からだろう。次は結婚だろうか。27歳だった。この人と共に暮らしたいと。さてそれらはどのような価値観で判断してきたのだろうか。結婚はこれ以上遅くなると彼女に悪いだろう、と思ったのか。五年ほど付き合っていたから。その後はどうか。今思うと結婚からあとはしっかりとした根拠も無かったかもしれない。子供が二人出来たのは神様の恵み。そして欧州で住んだのも会社勤めの結果だった。すべ…

  • やる事カレンダー

    移住したこの地で季節と共に日々をすごしていると一年のこの時期にはこれをやる、と言ったことが少しづつ見えてきたように思う。農家には作付けのカレンダーでもあるのだろう。やることが多そうだ。それほどでもないが我が家も少しはやることがある。少し整理してみた。それはこの一年の振り返りでもあった。一体何をやってきたのか。何をこれからやるのだろうか。 春。小さな畑に鍬を入れる。春に埋める野菜の種なりポッドなりを買ってきて植える。マルチと呼ばれるシートは畝の上にかぶせる黒であり白いビニールカバーだが野菜の良好な成長の為には必要と知った。キュウリやトマトは蔓で成長するので這わせるネットなり支柱なりが必要となる。…

  • オイルランタン

    これまでいったい幾つの山小屋のお世話になったのだろう。泊りの縦走はテントだ、というこだわりがあったせいか自分は山小屋に泊まったことは数えるほどだった。山頂や名もなき鞍部で時には沢沿いで、そして小屋のテント場でテントを張るか、あるいはうす暗い避難小屋の板敷にマットを敷きシュラフを広げるかのいずれかだった。灯りは頭に付けたヘッドランプだった。 北アルプスにせよ南アルプスにせよ奥多摩にせよ丹沢にせよ、山小屋には発電機が置いてあり夜20時の消灯まで蛍光灯がつくのだった。ランプの山小屋はもう自分が山を歩き始めたころはよほどの奥地にしか残っていなかったのだろう。 秩父、そして奥秩父はどうだろうか。当時、清…

  • 風景点描 里山歩き

    自分が転居した家にこんな表札を立てている。Maison de foret と。 「森の家」と言う意味だった。「山の家」か「森の家」か迷ったが森の家のほうが良い印象に思えた。次に Waldhutte にするかと悩んだ。フランス語かドイツ語かという選択肢だ。ドイツの森と言えばシュバルツバルト・黒い森に代表される針葉樹だろうか。フランクフルトからバーゼルに向かう列車の窓で遠目に流れゆく森は漆黒だった。霧でも漂えばもうそこはブルックナーの音楽世界に思えた。フランスの森は優しく明るい印象だ。印象派作曲家の一人、モーリス・ラヴェルの家が記念館として残されているパリ郊外のモン・フォール・ラ・モリ。静かな村は…

  • 世界を支配する者

    雨の一日だった。山の一日は晴耕雨読。文字通り昨日は庭仕事をして今日は本を読んでいた。そんな日も悪くない。昼食は食材の在庫減らしだった。食べ終わる頃に電話が鳴った。誰だろうか。画面に出たのは見慣れぬ携帯電話番号だが自分は大丈夫だろう。電話をとるとそれは自動音声だった。「こちらはライフサポートセンターです・・」そこで切った。自分の人生は自分でサポートするよ、と腹立たしい。 例えば用事があり電話をする。その先は銀行であり証券会社であり保険会社だ。すると自動音声が出てきて確実にたらいまわしになる。更にチャット画面に誘導されることもある。まるで蜘蛛の巣に絡まったかのようにがんじがらめだ。何とかして人が出…

  • 三分間待つのだぞ

    庭の木も草花もゆっくりと成長している。落葉樹たちは冬になるとしっかり葉を落として寒々としている。しかし五月の声を聴くころにはいつしか新緑が顔を出す。が、好きで植えたブナもコナラも、その背丈も幹の太さも大きくならない。コデマリとヤマツツジは成長が早いのかそれでも少し背が伸びた。バイカウツギは白い花を咲かせている。友人から頂いたノリウツギは大きくなった。本当にあんなふうに咲くのかなと半ば冗談で植えたソメイヨシノはどうなるだろう。野草たちはどうだろう。トリカブトが大きく伸びた。花菖蒲は葉先が膨らみ始めたが・・。シランは赤い花が出てきた。しかしヤナギランは何の兆候もない。思うようには育たないね・・、そ…

  • 毘沙門と言う場所

    なぁ、ガソリンもつかな。せめて十リットルでも入れてくればよかったな。 辺りはただ闇。そして海から霧が寄せていた。黄色いハロゲンランプ二灯ではいかにも役不足で、自分はただ友のハンドルさばきを見つめていた。十九歳の彼は免許を取ったばかりで今回が初めてのドライブだった。一つ年上と言う事が少しだけ頼もしくおもえた。真っ暗な闇の中に浮かび上がる路面を前にハンドルにしがみついて運転しているのだから。 道は海沿いのはずだがいつのまにかだろうか、入り江の様だった。霧が来たのはそんな時だった。心細いが彼を信じた。すると彼は言う。ガソリンがもう無いと。 僕達は神奈川県中央部の座間と言う街に住んでいた。戸外についた…

  • 赤ちりめんの人

    無信心の自分には聖書は関係ないだろうなと思っていた。しかし世界中のベストセラーなのだからどんなものかと興味はあった。進んだ大学ではその教えを学ぶのは必修課程だったがあまり真面目に勉強しなかった。旧約聖書も新約聖書も分厚すぎる。癌で入院していた時にその教えを知りたくなった。なにかにすがりたいと。そこでミステリー作家の書いた解説本を読んだ。なかなか面白い。そして新約聖書のダイジェスト版を手に入れた。そんな本を今もたまに手に取る。還暦を超えるといろいろ思うこともある。本に何か救われまいかと活路をそこに求めることもあるのだろう。 湧き水の出る園地を散歩していた。豊かな広葉樹に包まれていつも冷やりとして…

  • 面影

    顔を洗っていて気がついた。眉毛が伸び放題だった。眉毛がぼうぼうだとみすぼらしい。床屋と言われるところに通わなくなって二十年は経つか。都会の駅なら何処にでもある千円札一枚で手軽にできるカットハウス。いつも人気で順番待ちだ。カットする絶対数が多いので職人さんの腕は良い。そこばかりになった。 カットハウスは理容師の免許は要らないのだろう、眉毛をと言ったら断られた。髪の毛だけが彼らの範疇のようだった。眉毛は時折気になり自分で切っていた。パチパチと眉毛を切りながら似たような風景を思い出した。 それは父の眉毛だった。老人介護施設に入居してからは顔のメンテはされないようで父は入れ歯以外はあまり手が入っていな…

  • 贅沢な自分たち

    三ヶ月ぶりに東北自動車道を走っていた。この道は何度走ったことか数えられない。宇都宮あたりまでは日帰りの山歩きで、そして残雪の頃はテレマークスキーを載せて福島や山形まで走った。 埼玉県・群馬県が拮抗するあたりを道は走る。道が利根川を長い鉄橋で渡るとやがて栃木県に入る。目の前に三毳山が見えてくる。万葉集にも詠われたその山はカタクリが咲くので何度か見に行った。冬ならばこのあたりから見事に冠雪した日光の山並みが続く。 三毳山のある街あたりに用事があり通い慣れた東北道にいた。用事はすぐに済んだ。時間もあるし折角ここに来たのだから。この季節は綺麗だろうからまた行こうか?と、声をかけた。そこは隣町にあるフラ…

  • 可愛いオジサンたち

    音楽スタジオは別世界だ。重い扉を開けると満ち溢れている。今日の部屋は地下二階か。階段を降りて急ぎ足。廊下を進むと音が漏れてくる。ドン・タン・ド・ド・タン、そんなヘビメタ風のリズムと歪みきったギターサウンドが漏れてくる。その手の音楽は通っていない自分だがそれでも思わずニヤリとする。扉のガラス窓越しに見える若者に感謝する。ありがとう!頑張れよ、と。そう、シーケンサーとシンセサイザー。打ち込み音楽が今の音楽の主流だ。そんな中で若い世代がまだアナログな音楽をやっているというのはまさに福音だ。あれが楽しいのだ。指定された部屋の防音扉を開ける。一足先に来ていたメンバーが音を出している。ああ遅刻をした。あわ…

  • 皮膚の病

    人間の手の指は五本だから付け根の合間、つまり股は四カ所。手足を数えると十六カ所になる。左右の腕の付け根も股だろうし左右の足の付け根もまた股だろう。すると人間には十九カ所の付け根がある。男性は更にふぐりがあるのでその左右を二つとカウントすべきだろう。どの股も全く不遇な場所でありいつも汗ばんでいる。 そんな足の指の股が痒いのは仕方ない。革靴にナイロンの靴下。朝七時半から夜九時まで狭い靴の中で我慢している指の股。そこに菌が繁殖しても不思議ではない。高校生の時、かゆみに耐えかねて皮膚科に行った。ピンセットでふにゃふにゃになった皮膚の一部を剥がしてプレパラートに載せる。対眼レンズを覗き込んだ医師はこう言…

  • 風景点描 旧街道

    旧街道を歩く事は楽しい。如何にも歩きやすそうなところを辿っている。しかし勿論ある時は谷あいから九十九折れで峠道にも至る。そして峠の前と後には狭い地形をうまく使って宿場町がある。そんな場所が今でもあるのならある程度観光地化されていることは覚悟しなければいけない。それでもそこを歩くのは楽しい。古い街並みを利用したカフェや土産物屋もある。フィルムカメラに白黒フィルムを入れて歩いてみる。切り取りたいと思う風景があるがさて一発のシャッターで上手くいくのだろうか。 目をつむる。旅人だ。編笠を頭に乗せて足元は脚絆を締めている。どおれ、一服。ここは信濃路、おやきでも頂くか。いや疲れたから今日はここに泊まるか。…

  • 森の雑貨店

    雑貨と呼ばれる物を知ったのは何時だろうか。道具とは必ず何らかの役割を持っているのだが雑貨と言われてしまうとなんだろう。無くてもならないもの。裏を返せばあれば楽しいもの、日々の暮らしに潤いを与えてくれるものになるのだろうか。学生時代の友人は雑貨が好きでよく東急ハンズや下北沢に出かけた。彼女にしてみれば見ているだけで楽しいアイテムが勢ぞろいだったのだろう。僕は彼女と一緒にいたかっただけなので興味もない雑貨屋にもついていったのだった。そんな雑貨にはいつか苦手意識も持ってしまった。 自分が住む八ヶ岳南麓の高原。その地の最大の住人は樹木になるだろう。カラマツ、アカマツ、シラカバ、ブナ、ナラ。それに他の広…

  • ポートフォリオ

    営業畑やマーケティング畑に配属される。だんだんと経験を重ねる。すると時がたてば様々な経営手法を学ぶことになる。自社の、そして自社製品の置かれた環境を分析し視覚的にわかりやすい方法で示す手法がとられる。それを知ってこそ次の手が打てるという事だろう。 例えば自分の会社なり部門について考える。自らの強みは何か。弱みは何処か。成長に向けてどんな機会があるのか。脅威はなんだろう。四つの頭文字をとってSWOT分析になる。これを四つの四角形に並べてみる。田んぼの「田」のような形になる。するとどうすればよいのかを考える礎になる。もう少し目線を変える。縦軸に市場成長率、横軸に市場占有率を伸ばす。四つの事業分野な…

  • お見合い写真

    姉はお見合いで結婚した。弟の自分から見て彼女はあまり美しいとは思えなかった。細い目に重たそうな瞼。髪の毛は細くてかつ芯もない。がこれについては僕は謝らなくてはいけない。子供の頃ケンカをして僕は熱いお湯を姉の頭にに掛けてしまったのだから。それを機にか彼女の髪の毛はか細くなってしまった。しかし姉はそんなこともなにも言わず何とかパッチリした目にしようと瞼に糊のような何かを塗っていた。更には大胆にも当時流行った聖子ちゃんカットを試みていた。どうにも似合わなかった。許してほしいと心のなかでつぶやいた。 そんな姉だが見合い写真の出来は良かったのか、何度かの見合いの後に結婚が決まった。細い目が無理やり二重に…

  • 楽しみは向こうから

    気温が低いのは承知の上で移住した。県庁所在地の街は海抜二百五十メートル。そして高原の我が家は海抜九百メートル。標高差にして六百五十メートル違えば計算ではいつも四度低いという事になる。実際には県庁所在地は盆地でありフェーン現象が起き北関東の街と同様に気温が上がる。一方こちらは八ケ岳からそして甲州信州を分かつ喉のような地形の諏訪の峠から、つまりは北からそして西からいつも風が吹いている。そのせいで実際の体感温度はもっと差があるかもしれない。しかし五月も終わりごろから十月の末ごろまでは高原らしく心地よく快適な気温となる。この季節のウッドデッキとビール・ワインは最高の組み合わせとなる。 森を行けば風が心…

  • 十把ひとからげ

    高速道路インターチェンジの近くのコンビニに立ち寄る。手軽で美味しい120円の珈琲が目当てだ。背の高い若い男性がいた。「旅を楽しんでいますか?」そう声をかけた。一目で見て旅人と分かるのは彼が西洋人だったからだ。 癖のある英語だった。フランス訛り、イタリア訛り、スペイン訛り。その辺りだろう。フランス人とイタリア人は仕事での付き合いが深かった。しかしどうも違う。似てはいるけれど何処かが違う。スペインだろうかとあたりをつけた。Rの発音がフランス語とイタリア語では違う。フランス語は首を絞めて痰を鳴らすような感じでありイタリア語は巻き舌感が強い。そしてどちらも日本人の多くは発音不可能に近い。イタリアは毎月…

  • 関西のお父さん

    撮影したフィルムはレバーで巻き上げてパトローネに収める。以前ならばフィルム現像機を抱えた写真ラボなど街には幾つもあった。DPE屋と呼ばれていた。週末の山で写真を撮影し駅前の出勤時にDPE屋にフィルムを出していた。ネガならその日に、リバーサルは数日後に出来上がり帰宅が楽しみだった。 そんな街のDPE屋はどんどん減ってしまった。デジタルカメラが出始めた頃はその画質の低さにこれはメモ用だなと思った。何といっても二十五万画素しかなかったから。ただしPCとの親和性は高かった。カメラからスマートメディアかコンパクトフラッシュだったかを取り出しPCに繋ぐだけだったから。これで印画紙に焼いた写真がいつか不要に…

  • 白黒の風景 港町

    いつしかシャッターは重みが無くなった。薄っぺらな板となり画面を触るだけとなった。確かな物が欲しくなる。古い一眼レフを引っ張り出す。白黒フィルムを入れる。自然にも人にも息遣いがある。光の中に浮かぶストーリーを撮ってみたいと思う。これを撮ろう。画角はどうする?絞りは開放か絞り込むか。撮れる枚数は限られる。一構図で一枚のみと決めた。失敗は次につなげればよい。重いシャッターにミラーが動き幕が走るその振動は、形のある喜びをくれるように思う。 港町には独特の風情がある。住んでいた街には埠頭があった。自分の娘と同じ歳の高層ビルはこの港のランドマーク。幾何学的な風景、古い洋食屋。ひどく人間臭い路地裏が混ざる。…

  • 餃子雑感

    好きな食べ物を三つ挙げようぜ。挙げてどうなるのか?ただで食べさせてくれるのか?馬鹿馬鹿しい問いだがそんな話題は小学生には欠かせまい。好きな食べ物で済むのならばまだ微笑ましい。次に話題は好きな女の子の子になるだろうから。未だにこんな文を書きだしに使う以上やはり好きな食べ物について言及したいのだろう。好きな女性はどうだろう、素敵に思う女性を挙げるならノート何枚も必要になってしまう。還暦を越えても男とはそんな生き物だ。 話を戻そう。食べ物か。なんというか、ラーメンを別格とするとそれはここ数十年変わりそうにない。餃子、ローストンカツ、そしてハンバーグだろう。簡単に言えば味覚は子供に近いのだ。ハンバーグ…

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