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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 万引き

    何故そんな気持ちになったのか分からない。もう大学生活もひと月を残すだけになっていた。別れがたい仲間たちもみなそれぞれに就職が決まり新しい世界へ行くことが決まっていた。故郷に帰る友もいれば東京で働く事を選んだ友もいた。それぞれだった。 世田谷は下北沢が自分達の根城だった。友人のアパートがあり自分はずっと入り浸っていた。渋谷は学校のある街で、青山通りを渋谷駅に向かいセンター街の飲み屋に行くことが多かった。その日も渋谷で飲んで、下北沢まで戻ってまた飲んだ。そこで解散となったが三人残った。自分はもう一人の友とともに友人のアパートに行くことにしていた。狭い路地を三人で千鳥足だった。彼のアパートの手前にコ…

  • 目の毒

    都内の街角で見かけてしまった。思わず足を止めて見とれた。バイク乗りを辞めて15年以上経つ。しかし今でも密かに心の中におき火が残っている。それは時々燃える。 自分がバイクに熱心に乗っていたのは1980年代から2000年あたりまでだった。当時のバイクにはレーサーレプリカもあればDOHC四気筒のスポーツ車もあった。自分が選んだのは当初はSOHC二気筒という使いやすい商用車のエンジンを載せたアメリカンバイクだった。本当は一気筒エンジンのオフロードバイクに乗りたかったのだが、脚が短いので諦めてしまった。あまり好きでなかったバイクはやはり手放す。そしてとうとう200㏄のオフロード車に乗り換えた。赤のホンダ…

  • 変わりゆく街

    駅前に降りたのは四年振りだった。コロナになる前、ライブ直前のつめでこの街の音楽スタジオに頻繁に通っていた。ライブまで数週間に迫った頃、中国から端を発したウィルスは未曽有のものとなり、世の中は停止した。バンドのアンサンブルは完成していたがライブハウスはキャンセルした。そして堰を切ったように自分には激動が待っていた。早期退職、新たな職場、ガン罹患。再度退職。自分の全ては白紙になり癌治療でつるつる禿げげ頭になった。 久しぶりに降りた駅前には工事のシートが張られそこに重機が数台動いていた。どんなビルが建っていたのかも思い出せないのだが場所柄お洒落なカフェも入っていたのだろうか。路地裏に入り込みスタジオ…

  • 尾翼のマーク

    飛行機が好きだ。第二次世界大戦で使われた飛行機が特に好きだ。また小学生の頃はそんな好奇心を満たしてくれる書籍も多かった。日本海軍エース坂井三郎空戦記に始まり、本土防空戦、そしてバトル・オブ・ブリテンからドイツ本土防空戦、さらに数年前に友から借りたフィンランド空軍記まで。一体何冊の本を手にしたのだろう。そしてそんな軍用機のプラモデル作りは小学生から学生時代に熱中したがいまでも開封待ちのキットがある。 もちろん現代の軍用機も魅力ある。少し古いがベトナム戦争でのファントムとミグの空戦記録やヘリコプターを本格的に使ったヘリボーン作戦も胸が弾む。映画トップ・ガンマーヴェリックも手に汗握った。戦争というそ…

  • 好奇心と探究心

    玄関に停まっている車を見て色々な方が反応する。宅配便のドライバー氏。訪問診療の医師、様々だ。だれもが「いいですね」と言い、続いて「納期はどうでしたか?」と聞いてくる。車など多くの人にとっては移動手動に過ぎないがそこに様々な方向性を持つ趣味が加わると「好きな人にはたまらない」という車が出てくる。スポーティなクーペや豪華なミニバン、クラシックな車など嗜好は様々だ。 車の免許を持つ前から興味はブレずに変わらない。ウィリスジープ、初代ビッグホーン、ランクル40、ランクル70、ダイハツラガー、そして古いレンジローバー…。こう憧れた車を書き続けると自分の好きな車種が浮かび上がる。箱。頑丈。無骨。質素。泥。…

  • 借り物と自分の物

    世界最高峰のオーケストラがウィーン・フィルとベルリン・フィルであることは周目の意見が一致するところだろう。カラヤン、ベーム、バーンスタインからアバド、オザワ。そしてムーティ、メータ、今ではラトル、ティーレマンときら星のような指揮者が並ぶ。彼らのお陰で輝いたのか、あるいはオケがすごいのでマエストロたちが集まったのかはわからない。多分相互作用だろう。 自分の所有する録音はウィーン・フィルが多い。蒼古というべきか伝統的と言うべきか、あの響きを求めるとそうなってしまった。ムジークフェラインザールで響く彼らの音はさように魅力的だ。 トップオーケストラの団員の楽器はやはり数億円もするような高価なのだろう、…

  • 代名詞禁止法

    ねぇ、あれとって。そこにあるでしょ。これ見て、これ。あの事だけどさ・・。 そんな会話が続くと何故か苛立たしくなるのは脳腫瘍を摘出するための外科手術の影響でなにかの「緒」が切れたからなのだろうか?頭を開き病巣を取り出しホチキスで縫合してからは、まるで思考回路がショートしたかのように持ち前の短気さに拍車がかかった。とばっちりを受けたのは生活を共にする家内だった。 あれって何?これって?そこって何処?あの事って何の事? 少し考えれば、一握りの想像力を働かせれば済む話なのに頭には幾つもの?が湧く。実はあれこれそれが概ね分かっていることもあるが、最初からきちんと系統立てて話してほしいのでそう言ってしまう…

  • 桜の夜

    桜の花びらが舞っている。夜風が冷たい、それが花びらをこの時期まで枝にとどまらせたのだろう。やや強い風に枝からはらはらと離れて気まぐれな空気の中を泳いでいた。 三十三年前の今日。ちょうどこの時間帯に自分達は六本木のトラットリアに居た。気取らぬ店だった。学生時代の友人が二人で仕切ってくれた。男の友人はそれがプレッシャーだったのか、何度かトイレに行っていたという。女性の友人は笑顔でそつがなかった。それは自分達二人がごく近しい人たちだけを呼んだ小さなパーティだった。 どんな料理が出たのかも、立食だったのかも覚えていない。ただ女性の友人が伝手を使いその店を貸し切りにしてすべてをアレンジしてくれた事、そし…

  • 角刈り禁止

    千円を機械にいれるとカードが出てくる。それを手にして待合の長椅子に座る。先客三名か。今日は二人体制だな、少し待つな、と足を組んだ。見慣れた風景だが壁の但し書きに目が行った。 「当店では角刈りとそれに相当する髪型のカットは受け付けておりません」と。 なぜか笑ってしまった。金を払うのだから注文通りやってくれ、といった野暮な話ではない。角刈りと言う言葉を少し懐かしく思い出したからだった。 角刈りにサングラス。するとショットガンが欲しくなる。角刈りにドスとなると腹に白いサラシを巻いてほしい。渡哲也に菅原文太、高倉健。そんな往年のスターが思い出された。スクリーンから男気が匂い出てくる俳優さんだった。 頭…

  • フリーになって欲しいこと

    バリアフリーは随分と一般化してきた。自分がもし家を建てるのならバリアフリーにするだろう。つまらない事でも高齢者は足が引っかかる。カーペット一枚の有無が転倒リスクを左右する。ましてや部屋と部屋の間の扉周りの建具で段差があるとやはり危ない。それは高齢者が住む家なら誰もが直面する話だ。階段や玄関のステップは初めから段差ありきなので手摺がつく事もあるし歩く方も心して歩くだろう。そんなことで障害を避けるような工夫が家やショッピングセンター、駅などでは進んでいる。 もう一つ、進んで欲しいなと思う事がある。それはレストランやカフェ、宿泊施設などでの犬連れの話だ。宿泊施設など犬宿泊OKという宿が増えてきた。が…

  • 折れたうどん

    香川県生まれの自分がうどんに求めるものは二つ。強いコシの麺と金色に光るイリコ出汁だ。冷たく戴くときは余りこだわりが無い。物心ついたころには香川のうどんは暖かいものばかりだったから。 コシは大切に思う。関東のうどんを目にしたときに真っ黒い汁に驚き口にしたときの歯ごたえの無い麺にはさらに驚いた。その意味で数年前に知った武蔵野うどんは気に入った。見ようによっては赤みを帯びた麺は歯ごたえがあり小麦の香りも野趣あふれる。これは暖かい肉つけ汁で頂く。 自宅でうどんを作るとなるとイリコダシは粉末も手に入るが、あの麺は遠い世界だ。尤も、ものの本によると小麦粉と水と塩があれば、あとはこねて足踏みするとある。興味…

  • 雨のち晴れ、そして雨

    車で西に向かっていた。自分はその地にある建物に品物をいくつか届けようとしていた。しかし前日の天気予報では中部地方から東海地方にかけて雨予報で所により強い雨とあった。普段より時間がかかるなと覚悟して早めに家を出た。西には強い雨の予報があり、それは東へ移動してくる。その中を自分は東から西へ行こうとしている。 敢えて火中の栗を拾いに行くようなものだな、と考えながらハンドルを握っているとすぐに雨が降ってきた。気圧の谷へ向かっているのだからその通りだった。のどのような谷筋の道に入ると雨は激しくなり霧も多かった。霧の中に先行者のテールライトが滲んで危険だった。自分はフォグランプを点けた。誰もが慎重に走って…

  • 性に合わぬこと

    「三万すった」、そう友はタバコを手に諦め顔で戻ってきた。軍艦マーチが店外に流れだしていた。僕はその向かいのハンバーガー店で時間をつぶしていたのだろうか。彼に一度だけ付き合って店の中に入ったことがある。千円札を自販機に入れると手にした皿に数センチの銀玉が出てきた。ジャラジャラとそれを機械のトレイに流し入れた。手のひらでグリップを握りを右に回すと球が弾けだされてきた。ピンやチューリップの羽にあたりながらそれは下まで落ちて吸い込まれた。勇壮な音に反して玉は数十秒で無くなった。俺には無理だな、と思い店外に出た。 父親が世を去り半年以上経過した。様々な手続きがあった。父には僅かながらの残したものがあった…

  • 信じる事に決めた・福之記13

    抗癌剤の治療が決まった時、自分は家内に犬用のバリカンを持ってきてもらった。病院の浴室で鏡を見ながら自分の頭を丸刈りにした。薬で毛が抜けるのなら自ら短くしようと。さっぱりした。が、毛根はなかなかしたたかで、意外にも抗癌剤に耐えた。しかしその後の脳への放射線治療は強力で、全ての髪の毛は無くなった。 その後多少は髪の毛は伸びたが、大砲の弾丸の様な髪形を維持している。寝ぐせもつかずドライヤーも不要。直射日光の暑さと冬の寒気は帽子で防ぐ。それ以外は全く気楽なのだった。自分で出来るだけバリカンを掛ければよい、と決めていたがどうしても後頭部はうまくいかない。ハゲのくせに生えているところはしっかり伸びる。一カ…

  • 雲間の菩薩 

    樹林帯を抜け出すと灌木帯だ。随分と手を焼かせてくれた。崩れやすい尾根道を注意して進む。足場の目安を立て露岩に手をかけて体を上げた。それ以上高い場所はここにはなかった。朝から曇っていたが薄くなった空気の狭間がゆっくりと解けた。いったん緩むと呆気なく、その網目からこぼれる光が足元に転がった小さな標識を浮かび上がらせた。かつては柱に括り付けられてたであろう木の札は風で飛ばされたのか、塗料も禿げそこに書かれた山の名前も明瞭ではなかった。しかしよく見るとそこには先輩のペンネームが記されていた。辛うじて判読できた。 縞田武弥はそれを見てああようやくここまで来ることが出来たか、とザックを下ろし呟いた。背中か…

  • 図書の旅39  約束の国への長い旅

    ●約束の国への長い旅 篠輝久著 リブリオ出版 1988年 一本のレールが続いていた。それは壁に向かっていた。壁にただ一つある門を抜けると広大な敷地だった。そこにはレンガで作ったマッチ箱のような建物がいくつも整然と並んでいる。その箱はすぐにも倒壊しそうに思えた。中に入ると陰鬱だった。この地は北緯50度はある。冬でもないのに凍てついた。 ユダヤ人を初めてそれと認識したのは三十歳代だった。マンハッタンの街頭だった。黒い帽子、黒いスーツに伸ばしたヒゲ。何から何まで黒尽くめでとても分かりやすい姿だった。自分はイスラエルとパレスチナの問題をしっかり理解していない。知っていることは戦後にユダヤ人が彼の地に建…

  • 栄光は君に輝く

    東北新幹線はなかなか列車種別が多く県庁所在地駅も通らないものもある。「はやぶさ」を選ぶと東京からは大宮だけに停まりその先は仙台までノンストップになる。栃木の県庁所在地・宇都宮も、福島の交通要所・郡山も、県庁所在地の福島にも停まらない。時速300キロを超えて走るのだから風景はたちどころに流れていく。東北新幹線は青森に向かって左側の窓際に座るのが好きだ。山の眺めを堪能できる。下り列車だと朝日を浴びて、上り列車だと残照を背に山が浮かび上がる。日光白根山・男体山・女峰山、福島に入っては安達太良山、盛岡を過ぎると岩手山と、既知未知の山々があっという間に右から左へ去っていく。福島駅を通過する手前で僕はいつ…

  • フキ三昧

    子供の頃、原っぱにたくさん咲いていた名も無い花を姉は無心に摘んでいた。それは小さな花束になり持ち帰ると母は「マーガレットね」と言うのだった。姉の嬉しそうな顔と花を摘む後ろ姿はよく覚えている。眼の前の路傍の草の前にしゃがんでプチプチと音を立てている妻の姿を見てそんなことを思い出した。 妻は目ざとくフキを見つける。流石にフキの芽はもう無くなり花も終わりかけている。大きすぎる花は天麩羅には不向きに思える。そこで今朝は芽や花ではなく茎を摘んだ。 すぐにそれは花束のようになった。茎を煮物にするのは美味しい。野生の茎はスーパーで見かけるような立派なものではなくその径は1センチに届かない。しかしそれでも十分…

  • 桜並木の見沼用水

    埼玉県の見沼公園あたりの風景を知ったのは誰かのブログだったろうか。いや、ランドナーというキーワードで検索したWEBサイトだったかもしれない。ランドナーとは今流行りのカーボンやアルミのロードバイクではなく、鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのついたクラシックなデザインの自転車を指す。早く走る為の自転車ではなくゆっくりと旅をする自転車だ。そんな自転車の愛好会の会合が見沼の公園で開催されていたことを思い出したのだった。見沼の地は埼玉県大宮市、いや、今はさいたま市は大宮の東側にあるという認識だった。 東大宮に住む知人の家に行く所用があり折角行くのだから自転車で行ってみようと思った。自分の街からは片道70…

  • 羽やすめ

    次回のバンドのリハーサルに向けてベースギターの練習をしていた。新しい曲の音をようやく拾えた。まずは曲を流して全体像を掴みたい。リズム楽器はノリが大切で音源を流しながら体で拍子をとって弾いていた。曲の途中で止めると体の中のグルーブ感が止まってしまうのでそれは嫌だった。 窓の外を見ながら弾いていると数軒隣の地デジアンテナに目が行った。アマチュア無線をやっているので人様のアンテナは気になる。目が留まったのはそこに二羽の鳥が止まっていたからだった。練習を止めたくは無いが、僕は鳥をじっくりと観察しようと思った。 四月になったのにここ数日雨が続いていた。つられて気温も寒かった。今朝早くにそれはようやく止ん…

  • 薄いコーヒー

    ♪冷えだした手のひらで包んでる紙コップはドーナツ屋の薄いコーヒー ほっと一息は良いものだった。僕には陶器のカップに入った目の前のそれは歌の様には薄くは感じられなかった。 駅前のドーナツ屋は店舗統廃合だろうか、一度廃業し違うテナントが入っていた。しかしいつの間にか同じ場所で少し大きな店舗として再開店していた。 妻と知り合うきっかけはそんなドーナツ屋だった。会社の近くの交差点で、とても一人では食べられないような長い箱に入ったドーナツの袋を下げている女性が目に止まった。同じ会社の同期入社だった。小柄な彼女には不似合いに大きなドーナツ袋。見られちゃったというような笑顔は、話しかけてみようという気持ちを…

  • 歯磨き・福之記12

    ドリフの「八時だよ全員集合」が大好きだった。番組の最後では出演者一同がステージに並び「いい湯だな」を歌うが、そこで一番人気のカトチャンがこう言う。「歯みがけよ」と。しかし歯磨きは好きではなかった。痛いし面倒くさかった。色気づき口臭が気になる頃、お好み焼きの青のりが気になる頃、それは高校か大学の頃だったが、丁寧な歯磨きはその頃にようやく定着した。今も面倒くさがり屋だが、歯間ブラシや糸ようじで歯の隙間を綺麗にし歯ぐきから出血すると嬉しくなる。ガン病棟ではしかし歯ぐきから血が出るほど力を入れて歯磨きせぬようにと言われた。抗癌剤で白血球が大幅に低下しており雑菌感染を懸念してだった。 親の入れ歯を見た時…

  • 捻じれたチェーン

    油まみれの指先を見て思い出した。香川で自転車屋をやっていた祖父の指だった。子供の頃毎夏遊びに行くといつも祖父はパンクを直しチェーンに油を指していた。その彼の指先は真っ黒で石鹸で洗ってもとれていない。もはや地肌の色と化していた。黒い手指に笑顔で遠来の孫を歓迎してくれていた。 ロードバイクのブレーキがキュウキュウと異音を立てていた。雨上がりだから気にしなかったが晴天でも鳴る。交換時期だった。ブレーキはゴム素材だから柔らかいとも思うが、そのまま使っていると金属のリムが壊れる事もある。それは避けたい。金属の船にゴムのシューが嵌っている古いタイプのブレーキパッドは今はネットでも入手が難しく一体成型品が多…

  • 親指サイズ

    娘から妻にラインが来た。「円形脱毛症になった」と。それなら自分もなった、直ぐに治るよ、と話したが「相変わらずね。あなた私の円形脱毛症を見つけて指摘したでしょ、結婚前の話よ」と妻は続けたのだった。 すっかりそんな出来事は忘れていた。まだ二十代前半だったのだからか、あるいは交際相手が無遠慮に指摘したからか、確かに彼女は傷ついたのかもしれなかった。 自分の円形脱毛症は明らかにストレス起因だった。三十代の頃、勤務していた会社の事業部はグループ会社との間で事業合併が行われ、外部からの社員が混ざるようになった。異文化交流とは日本人が昔から苦手としていた分野ではないか、まさにそれだった。上司はそんな外部から…

  • ザノースフェイスのマウンテンパーカー

    自分がアウトドア趣味に目覚めた1980年代とは少し混沌としていたな、と思う。国内外の文化が混じっていた。アウトドアのファッションとしての話だ。 ハイキングや山登りは昭和30年代から流行り始めたようで当時は英国スタイルなのかツイードのジャケットを着て登っていたようだ。だが1980年代の登山の格好はさすがにツイードジャケット姿は見なかった。がチェックのウールシャツに霜降りのニッカボッカは高尾駅や奥多摩駅、秦野駅・伊勢原駅あたりでよく見かけた。ザックは蟹の様な頭陀袋であるキスリングが辛うじて残っていたが直ぐにそれは消えて行った。 そんな時期にアメリカ文化が入って来たのだろう。フレームザック、バンダナ…

  • 腹帯

    友人の娘さんが妊娠されたという。結婚後三年目と言う話だった。その娘さんは母である友には妊娠三カ月でそれを告げたそうだがしばらくは口外しないようにと言われたという。安定期に入り旦那さんからそれを夫の実家に伝えたそうだ。 腹帯などは今も使うのかなぁと水を向けると彼女は続けた。「早速来たらしいのよ、娘の旦那の実家から腹帯が。今時はそんな時代でもないのにねぇ」と。想像がついた。その話を妻にしたら、私ももらったでしょ腹帯、お義母さんから、と言われた。今なら怒ってそれを母につき返していただろうが、あの頃は疑問に思わなかった。古い価値観に凝り固まっている母だからわかる。当たり前のことをしたのだろうと。 今も…

  • 何かが起こる予感

    強い風の吹く日だった。木造三階建ての家は揺れる。風は立ち向かうものではなく受け流すものだと知った。梁がたわんで家全体で受け流していると思うと家の揺れは気にならない。頼むぜ頑張れと応援する。これでまともに耐えたらどこかで崩れるだろう。思えばそれが最後の冬の抵抗だったのだろうか、翌日全てが去り溢れる日差しと15度以上の気温が待っていた。暦はまだ辛うじて三月だったがそれもあと数日だ。 朝7時に目が覚めた。日差しを見て心がうきうきしたのは何故だろう。犬を連れて直ぐに外に出た。風はすっかりなりを潜め空気には角が無かった。何か奇跡が起きそうで、今日は良い日に違いない、そう思った。朝食後に家の窓をすべて開け…

  • 豊かに響く平均律

    ダニエル・バレンボイムの録音に初めて触れたのは指揮者としてではなくピアニストとしてだった。ただそれが何だったかはあまり覚えていない。ベートヴェンのピアノソナタだっただろうか。当時のLPレコードは手放してしまったし、あの頃はバックハウスやケンプなどのいわゆる大巨匠の演奏が好きだった。バレンボイムはリアルタイムだったが世代が少し新しく長老好きな自分の中ではなかなかお鉢が回らなかったのだろう。彼はその後シカゴ交響楽団の常任指揮者を長く務め、ベルリン・フィルからは名誉指揮者を称号されている。が自分にとっては指揮者の立ち位置としても同様で、自分が引き寄せられたのは2009年、彼が初登場したウィーン・フィ…

  • 終わりと始まり

    暖かくなったのか寒いままなのか、よくわからないまま数週間が過ぎている。日中の陽射しは陽だまりを作るがそれはすぐに北風に蹴散らされてしまう。ただ、確実に春が近づく風景は、確かに在る。梅の花はもう散ってしまい樹は肌寒そうに思える。桜の蕾は少しづつ膨らんでくる。足元にフキノトウをみつけ天婦羅にしたのは数週間前だった。摘み残した花は大きくなり食べられそうになかった。かわりに蕗の茎をもいで、油揚げと共に煮物にした。苦みに満ちた食卓は春だった。 雨の降る一日があった。その中で雨に滲む目に鮮やかな色合いが在った。女子学生の袴姿だった。ビニル傘をさして歩きづらそうに歩いている。そんな時期なのか、と思った。三年…

  • 天婦羅せいろ、大盛で

    一人住まいの母を蕎麦屋に連れて行ったのは母が蕎麦を食べたがっているからだった。父も母も四国は讃岐の人間だ。讃岐はうどん。自分も香川生まれで、物心ついたころからうどんを食べていた。我が家は当時転勤で横浜に住んでいたが母と自分達姉弟は夏休みの度に一月間、讃岐に里帰りをしていた。岡山の宇野から自分の生誕地高松までは国鉄の連絡船が運行していた。そこの甲板で食べるうどんが香川からの歓迎の使者だった。 母の範疇では麺類と言えばうどん、そして支那ソバしかなかった。祖母の家の裏手には屋台に毛が生えたような支那ソバ屋の店があった。うどんを食べてから支那ソバを食べる。いずれも横浜よりもずっと美味しかった。自分の味…

  • オープンマイク

    オープンマイクと言う言葉を知ったのはバンド仲間からだった。ネットにはこう書かれている。「店のマイクを飛び入りの客に開放する」と。カフェやライブハウスで行われるのだろう、ステージ飛び入りで歌う。バンドメイトの彼女は自分たちがやっている音楽とは別に80年代からの良質なJ-POPがお好きなようだった。今ではシティポップと呼ばれて海外にも人気のジャンルだろう。彼女の家に遊びに行くととても嬉しそうに聴いていた。音楽とはかくも人を幸せにするのか、と思うのだった。 飛び込みは度胸がいるな、と思う。伴奏者がいるのかいないのかも分からない。彼女はキーボード奏者でもあるのでピアノの弾き語りなのだろうと思う。見に行…

  • 上州三峰山

    関越自動車道を北に向かう。ゲレンデスキーに熱中していた頃は毎冬の話だった。しかしテレマークスキーでのバックカントリーの楽しさを知ってからはスキー場は無縁になった。いつか関越道は登山やスキー登山のための道路だった。 高崎より北に向かうならその行先は尾瀬、上越国境、越後の山になる。赤城山、皇海山、武尊山、日光白根山、至仏山、苗場山、巻機山、越後駒ケ岳、谷川岳、平ケ岳と錚々たる日本百名山が目の前に聳える。またスキーに滑り止めのシールを張り踵の上がる装備で登山をする。そんな山スキーのルートも多い。その多くは容易な山ではない。ハンドルを握り北へ向かうといつも気になる山があった。それは高崎の北、沼田市にあ…

  • 日陰の文化・亡き人宛の手紙

    実家には老いた母が一人で住んでいる。介護保険の点数を使い切るように様々なサービスを入れている。ヘルパー、デイサービス、介護器具・・。ありがたい世の中で一週間絶えることなく人が出入りしてくれる。そのサービスまで持ってくるのは大変だった。いつも初めに拒否がある。宅配弁当も嫌がった。しかし「お父さんが建てた家で過ごしたい」というのだから仕方なかった。母あての郵便物は全て自分の家に来るように手を打った。 実家のポストを開けて気づいた。なぜか郵便物があり「親展」とあった。それは父宛だった。彼が勤務していた電機メーカーからはしばしOB会の連絡が着ていたので逝去の旨は伝えていたのだが、誰だろう。 封筒の出し…

  • ゼロポイントのアルパインジャケット

    もともとはコアな登山用品ブランドだったものが今ではすっかり街着のブランドになってしまったものがある。直ぐに浮かぶのはノース・フェイス、パタゴニア、そして国産ブランドならモンベルだろうか。いずれも街着としてのブランドステイタスを自分は知らない。多くの方が着ているから人気なのだろう。 出会いは自分がアウトドアに目覚めた1980年代後半だった。モンベルは国産品であり細かいところまで気を使った製品作りだった。そんなモンベル製品の初めはテント、そしてゴアテックスのレインウェア上下だった。テントはバイクでのキャンプツーリングの為に買った。一方のレインウェアは山に行く予定が決まり慌てて登山道具店に駆け込んだ…

  • 9ボルトが欲しい

    おお、なんと13.8ボルトか。良かった、このまま使つていたら壊れたな。煙の一つも出たかもな。ホッとした。 ギター用のコンパクトエフェクターは9ボルトの乾電池で動く。外部からの直流アダプタも同じ電圧だ。乾電池が切れたので手持ちの他のマルチエフェクタ用のDCアダプタを使おうとした。極性と電圧を確認しようとテスターで計測した。ジャックとプラグの芯線がプラスで外皮がマイナスと言う常識はなぜかエフェクタでは通じない。どのメーカーのエフェクタも逆だった。シャシー側がプラスになるのだから怖くないのだろうか?楽器用の回路はまた違うのだろうか?と言っても仕方ない。気づかずにつなぐと保護回路が働きヒューズが飛ぶだ…

  • IDカード・福之記11

    運転免許書、社員証、学生証、そしてマイナンバーカード・・。誰しもが自分の写真が写ったカードを持っているだろう。 犬の写真が入ったカードなど想像もしなかったが、それなら名前をもう少し丁寧に書けばよかった、と思うのだった。保護犬が家にやってきて四か月経った。まだ飼い主の事を信用していないのか、嫌がることがある。留守番、歯磨きだった。留守番はそれが分離不安だと知っても、そこまで吠えなくてもいいだろうに、と思う。帰宅を待ちわびすぎてドアの扉に飛びつくのだからそれは彼の爪によりたくさんの傷が付いてしまった。もう死んでしまった先住犬は子犬から飼ったので乳歯から永久歯への生え変わり時期を共にした。生え変わる…

  • ランステの会員証

    「ステージでへたりたくないのよ、だから走っとかないと。ミックだって今もステージ狭しと踊りながら走り回るでしょ。彼八十歳なのに」 二人とも少し息が上がっていた。酒が入った上に乗り換え駅の階段をダッシュしたのだ。休日前夜の都心の駅でやってきた電車に飛び乗れた。いやぁ、今日のリハは疲れたけど楽しかったね。二時間では足りないね、そんな話からの会話だった。 初めて彼女を観た時自分はプロの歌い手さんなのかと思った。華があった。存在感と言い換えても良い。声量・熱量だろう。スパンコールのついた衣装がスポットライトに煌めいた。ダイアナ・ロスにみえた。ブラックミュージックを演奏する友人のバンドのライブを見に行った…

  • 娘の自転車

    いいの、人の話は聞きたくないの。自分で決めるし人からああだこうだとウンチク聞きたくないの。・・私は一人の時間が欲しいから自転車を買ったの。 くそ、なんで混んでるのかな、渋滞の一番先まで行ってその原因を起こしている「ヤツ」を割り出して謝らした上に排除したい。 僕は余りにおかしくて笑ってしまうのだが同時に申し訳ないと謝りたいのだった。こんな暴言を吐く人とは友達にはなりたくない。しかし認めなくてはいけない。全ては自分から出てきたもの、身から出た錆だと。 最初の言葉は長女から、後ろの言葉は次女から口に出たもの。内容は都度変わるが彼女たちの口から似たような言葉をよく聞く。それは全く僕そのものだった。すま…

  • 山の湯

    登山の楽しみの一つは、山麓の湯だろう。三十年以上昔の政府の肝いり政策・ふるさと創生事業で支給された支援金を元で多くの温泉施設が至る所にできた。下山して緊張が解ける。そこに暖かい湯がある。いつか山が目的なのか湯が目的なのかわからなくなる。有名な温泉地ばかりではなく名もない古くからの温泉地や湯治場もあれは、それこそふるさと創出事業であたりをボーリングして出来た日帰り湯まで、温泉はその気になればすぐに見つかる。 いったいこれ迄幾つの温泉に入ったのか、あいにくと数えていない。登山の回数とそれはほぼ同じだろう。数百カ所だろうか。どの湯も素晴らしいのだが、やはりひなびた共同湯がありがたい。更衣室の篭など数…

  • 僕の椅子

    腰かけると少し音が鳴るのは油が切れているからだろう。もともと余りに大きくて決して気にはいってはいなかったのだ。今の家に引っ越すときに自分の部屋らしい一角を居間の角に設けた。狭い敷地に容積率ぎりぎりまで無理やり立てた三階建てだったが、寝室に加え子供たちにそれぞれ部屋があり、広いリビングがあった。そこに本棚と他の家具で小さなスペースを作ったがそれが自分の部屋ならぬ個人スペースだった。 子供は段ボールでもあればそれを立てて小さな部屋を作る。その上を毛布などで覆い自分の空間を作る。それが楽しい。僕のスペースもそれだった。リビングの隙間に本棚で造り上げた無理やりの空間。そこにはタワー型PCと二台のモニタ…

  • グルーヴィな日々

    グルーブという単語を知ったのは何時だろう。間違いなくそれはアース・ウィンドアンドファイヤ(EW&F)の1981年のナンバー「Let's Groove」だったろう。リアルタイムだった。敢えて邦題にするならば「グルーブしようぜ」になるだろうか。レッド・ツェッペリンとローリング・ストーンズしか聞いていなかった大学生にその音はとても新鮮だった。シンセサイザーベースにボコーダーを被せたリフに艶っぽいボーカルとコーラス、煌びやかなホーン。思えば自分の聞いていたロックサウンドの奥底にそれは根付いていたのだが、そこで自分は初めて直接ブラックミュージックに触れたのだろう。 ではグルーブとは何か?そんな事を聴くよ…

  • 遅咲きのスイセン

    師走から年が明けた睦月あたり、千葉は内房に足を運べば一足早い春に会える。それはスイセンのお花畑だ。スイセンは日本の在来種ではないという。球根を誰かが植えたものが、あるいはそれが野生化したのかかは分からない。 内房には「スイセンロード」と呼ばれる長閑な里道がある。神奈川県の三浦半島の先端からフェリーに乗って東京湾を横断すればそこは近い。車を停めてから細い道を里山に向かっていくとそれは見事なスイセンが随所に咲いているのだった。路傍のスイセンも見事だが正月の花として出荷するために植えている農家さんもあるようだ。スイセンの道をのんびり歩きながら目を西に向けるとイワシ色に輝く冬の東京湾が見える。海岸に戻…

  • 陽だまりとからっ風

    とある群馬県の古刹だった。古刹の裏手には湿地と澄んだ沼があった。数年前に来た時には気づかなかったが砂利敷の駐車場の隣にアスファルトの大きな駐車場があった。それほど有名とも思えぬこの場所にはやや不釣り合いな大きさだった。しかしその一角に真新しいレストランがあった。若い女性がにこやかに笑いながら店先で客引きをしている。普段ならスルーするのだがあまりに素敵な笑顔だったので帰路立ち寄ってみた。ちょっとした甘みや軽食、手作りのお弁当を売っていた。そこはキッチンカーも備えていて、日や時間によっては何処かに売りに行くのかもしれなかった。 三十代だろうか、若い夫婦が切り盛りをしていた。オリジナルデザインの今川…

  • 遊びもほどほどに

    ロックを聴き始めたころはギターの音色は歪んだものと思っていた。そんな音ばかり聞いていた。しかし今では切れ味の良いリズムギターが耳に心地よいのだから音楽的嗜好は変わるものだと思う。それらの音を出すコンパクトエフェクターはギタリストにとっては必須のアイテムだろう。ファズ、オーヴァードライブ、ディストーションなどのひずみ系からディレイ、リバーブなどの空間系、コーラス、フランジャー、フェイザーなどのうねり系など、手に乗る小さな塊は夢の箱か。個人的なギターサウンドの好みはテレキャスターで鳴らすJCになるがツインリバーブも良い音だと思う。では果たしてギターとアンプの間にどんなエフェクターがあるのか、自分は…

  • ソラナックスとゾルビデム

    今までに数えた羊は何匹だろう。その数は数えていないがそんな民間伝承のお世話になったことはある。しかしあまり効果もなく、かえって開き直ってガバっと布団を剥いで起きてしまうことのほうが多かった。すると明日のことが気になり目がますます冴える。仕方なく布団に入りなおす。いつしか寝ている。高校生の頃からそうだった。「寝不足恐怖症」と勝手に呼んでいた。 六年間を超えるヨーロッパ生活の最後の一年は単身だった。なぜか分からぬがその一年は寝付けないことが多かった。海外生活の疲れの蓄積なのか一人住まいのせいか、わからない。会社の人に聞いてとある薬を薬局で買った。医師にかかっていないのだから今思えばどんな薬だったの…

  • やはりそうなりますか

    学生時代の友とは面白い。わずか四年とは言え同じ時間を共有した。当時の彼等の物の言い方も考え方も表情も声もすべて頭に入っているのだから、当時とはシームレスに会話が進むのだった。 あの頃は楽しかったわね。還暦を超えるなんて思ってなかったなぁ、そんな昔話が切り出しになるが、年齢相応に話題が変わっていく。病気自慢に始まる。そして将来の不安へ。もし一人になったとき、何かがあったら誰に発見されるのだろう。溶けていたら嫌だね。溶けるって?人間死んだら腐敗するでしょ、溶けるのよ。やだねと。 認知症になったらどうする?介護保険の枠ですむのかな?汚物を壁に塗りたくりたくないね。何があっても良いように認知症もカバー…

  • つがい

    ♪しょ、しょ、しょじょじ、しょじょ寺の庭は・・・ さて皆出て来い来い来い、となるのだろうか。てっきりこの唱歌はこのお寺が場所なのか、とずっと思っていたがどうやそれは違うようだった。千葉の木更津らしい。しかし童謡の場所を探し当てて何の得があろう。なにごとも現実解に結び付けるほどつまらない事は無い。想像の世界で遊ぶことは楽しい。 実際にニ十体以上の狸の置物が参道に並ぶこの寺にいると、彼らはやはり月夜に誘われて出てきたと思う。そこは確かに月がいかにも綺麗な場所に思えるのだから。 歌はともかくも、どうやらこちらはこの寺の話らしい。 和尚さんは居眠り中。すると彼が何処かで手に入れた茶釜から手足首が出た。…

  • 雪の残滓

    白一色の無機質な壁、重く響く画像診断機の音。雪が降り続くとすべての風景は白に閉ざされる。美しいものも汚れたものも覆われて、区別がつかなくなる。白とは不思議な色だ、と滉一は思った。 自分の病で来たのではないにも関わらず、白い部屋は何故か心を落ち着けてくれる。眼の前の壁が縦に伸び他に広がった。それはなぜか滉一を包みこんでしまう。彼はいつか白い壁に溶け込んでいた。そこに安堵があった。 CT室.、MRI室、血管造影室、放射線治療室。どれほどの「室」に通ったのだろう。脳腫瘍の術後様子を見る。血管にカテーテルを入れる。放射線を頭に当てる。それは彼が癌と戦った記憶だった。 九十になる母親を車椅子に乗せ、かか…

  • こだわる人

    何事も自分の好きなことに熱中している人は傍から見ていて面白い。と言うよりも、良くもそこまで掘り下げるなと関心してしまう。手始めに彼にそれを質問した時、あまりのその世界の奥深さと彼のこだわりに畏れ入ってしまった。 彼は嬉しそうだった。念願の物を手に入れたという。それはとあるロックバンドのLPレコードだった。そのレコード盤は自分も高校生の時に持っていた。しかしレコード盤は家でしか聞けない。当時はカセットテープをポータブルで再生するウォークマンが世に出たころで自分もそんな夢の道具に夢中だった。通学の際にはヘッドフォンを耳にしていつもそれを聞いていた。LPレコードはそれをカセットテープに録音する際に一…

  • 迷走

    ここの所苦戦している。堅苦しく窮屈なのは何事も思った通り事が進まないからだった。鶏が先か卵が先か、ブログに挙げる原稿の話もうまくいかない。ネタが溢れている訳もない。それは部屋の中で座っていると浮かぶという質のものではない。妻と話をする中で、朝晩の散歩の中で、しがないパートの職場にて、時を忘れて趣味を楽しむ時に、友と笑う中で。そんな時にふとある思いが芽吹くのだった。それを頭の中で彩色していく。ネタが浮かばないのは家に籠りきりなのか、それとも感性の枯渇か。ブログは自分にとっては筆慣らしであり、本当にやりたいことは別にあるがこの調子ならそれなど遥かに遠い世界に思える。 自分の頭は以前より物事を深くロ…

  • 泪の量

    一日に一体どれだけの涙が出るのだろう。人間の体の半分以上は水分という。体はある意味貯水池なのかとも思える。そこから出ていく水分と言えば、排泄物、汗、そして泪だろう。すると体重六十キロならば三十リットルの水分を放出できるのか。そんは話は医学的には成立しまい。まず脱水症状がおき生命にかかわるだろう。しかし涙ならいくら出てもたかが知れているのではないか。小さな目玉から溢れるだけだから。 我ながらよく泣くようになったな、と思うのは老境に入ってからだった。正確には会社を早期退職しガンに罹患してからだった。子供から青年を経て成人へ。親に育てられ何処かで独立して家庭人へ。いくつものステージが人間にはある。そ…

  • 迷ったうえで・真空管自作アンプ2

    数か月前に造り上げた真空管アンプ。実は一度しか火を入れていない。卓上で聴く分にはこれも手作りのデジタルアンプと自分で組んだスピーカーユニットで満足のいく音が出ているからだった。1970年代までのブラックミュージックにロックは音が大きいほど心地よいが我が部屋では難しい。控えめな音量で充分だ。実際バンドの練習のためにそれらを小さな音で手短に流すことも多い。が、ピアノ、チェンバロ、オルガン、オーケストラ、合唱が無理ない音量で豊かに聞こえればまずは良いのだった。 良いオーディオとは何だろう。それは選びに選んだ高級なアンプやスピーカー、そして電柱から特別に供給する安定した良質な電源。それをアンプに伝える…

  • オンライン診療

    ここ数日悪寒が取れなかった。職場からの帰りで寒風を浴びたら体の芯から胴震いだった。温かい風呂に無理やり入ったが風呂から出るとまたもや歯が鳴った。 案の定夜半には発熱だった。布団にくるまり蓑虫のように寝るだけだったが寒気が取れない。頓服としてもらっている解熱剤をのむと一時的に熱は冷めるがイタチごっこに近かった。発汗してそれで寒くなるのだった。 仕事、母の通院付き添いなど予定していた行事はすべてキャンセルした。病院にかかりたいと思っがコロナ以降、今は発熱外来という診療科が出き、多くは予約制だった。体調も悪いのにスマホ相手にそんなことはできなかった。簡単そうな治療としてオンライン治療が目についた。成…

  • VY FBな日

    ・・・- -・-- ・・-・ -・・・ 僕はそんな符号を口に出していた。 ・をト、-をツーで読み替えるとトトトツー、ツートツーツー、トトツート、ツートトトになる。何じゃこれはと思うがこれにはある規則性がある。しかし理解するためには覚えなくてはいけない。が、その気になればだれでも覚えられる。そして一度覚えると忘れない。最初の文字はアルファベットのV。次はY。そしてF、Bとなる。VYFBだ。 三日間風呂に入っていなかったのは怠けていたからでもなく体調が悪かったからだ。ずっと熱が続き、解熱剤を飲んでは効能が切れまた飲む、そんなイタチごっこだった。自分でも呆れるほどにひたすら寝た。三日目の午後にようや…

  • 図書の旅38 海と毒薬 遠藤周作

    ●海と毒薬 遠藤周作 角川文庫 昭和35年 コロナが世の中を変えてから発熱程度で気軽に通院する事が出来なくなった。発熱外来と言う予約制の診療科が出来た。病院に来る人の多くは発熱だろうから発熱外来とは何だろう、と思うのだった。昨年末に軽い誤嚥を起こしてから咳が止まらなくなり熱もあった。そこで久しぶりの医院に訪れた。そこは小さな内科医院で家庭的なオペレーションだったのであまり口うるさくないのだろう、と想像した。 社会人になった年に両親は同じ区内だがすこし西側に引っ越した。そこが自分の実家となった。そこに住むようになってから最初にやったのが病院探しだった。もともと喘息持ちだったがやや治まっていた。し…

  • 邪心の入る余地はない

    関東には三大厄除け大師がある。何処だろうと調べるが川崎のお大師様と足立区の西新井大師はよく出てくるがもう一つとなると香取市の観福寺と書かれているサイトもある。すべてが真言宗だ。栃木の佐野厄除大師を挙げているものもある。調べると天台宗だった。実家の宗派は日蓮宗だが自分は宗派にこだわりが無い。万物に神在り、全く日本人だ。 夫婦の年齢は二つ違い。すると二人共に厄年を迎える。前厄と後厄だった。厄除け祈願していかほどの効果があるかは知らぬが、やっておいて損はないだろう。手始めに川崎のお大師様に行った。ここは毎年の初詣では明治神宮、成田山新勝寺と並び人出トップスリー。行列が嫌いなので正月に行くことはない。…

  • 商売上手

    昔から米は十キロの袋だった。いつしかそれは五キロになり今では二キロを買っている。家族も減りそこまでご飯を食べるわけもなく、麺類やパンも食べる。それに二人の食卓なのだからなかなか減らない。二キロはシルバーエイジには適当なサイズだった。 お米二キロの袋はブランドに拘らなければスーパーで千円程度で手に入る。しかしブランドは異なるかもしれぬがそれが1300円で売られるとしたらずいぶんと良い商売をしているなと思う訳だ。 関東も関西もそうだろうが電鉄会社がスーパーマーケットを経営する事例は多い。自分は関東の城南地区しか知らぬが、北から京王ストア、オダキューOX、東急ストア、京急ストア、相鉄ローゼンとなるだ…

  • スージー好きが興ずると

    これ何だかわかる?と友人は嬉しそうに黒いポリカのパーツを見せるのだ。ああ、そう来たか!と思う。 乗り心地の良い車ではない。小回りも苦手だ。車に快適さを求めるのなら選ぶまい。しかし三代にわたり三台乗り続けている。自分でも不思議だが好きだから仕方がない。175/70/R16・・。小さなボディにはいささか不釣り合いな大きいタイヤ。一体その実力を発揮するような場所に年に何度行くのか?確かに街乗りではオーバースペックかもしれない。しかし今の型になって燃費は大幅に改善された。以前の型はオートマでリッター辺り街乗り9キロ台だった。先日は少し遠乗りもあったにせよ満タン法でリッター13キロだったので全くありがた…

  • 右か左か

    下山路だった。目指した山頂は先程まで足元にあった。都心を遠望できる冬枯れの低山だった。登山はピークを踏むばかりでなく無事に下山することで完結する。山頂を踏むと誰もが安心し何かを成し遂げた気がするのだろうか、道間違い、滑落、疲労による行動不能、多くの山の事故は下山時に起きるという。 尾根を下っていた。ある地点で踏み跡は南と東に分岐していた。南の道は山肌をやや強引に降りてすぐに里に降りるものだった。東の道は尾根を忠実にトレースする距離のある道だった。分岐で迷った。どちらに行くのか。何時もなら里にすぐに下りられる道を選ぶ。目標を果たした以上早く安全を確保したいからだ。しかし今日は雑木林の中、山道を長…

  • 風に揺れる耳

    それは決してそよ風ではなかった。高速道路を走るトラックの荷台だった。幌はかかっているが捲れた布から大きな塊が見えた。番号札のついた耳が風に揺れていた。黒い肌の中に埋まったような真っ黒な瞳が少し動いた。高原のそよ風なら気持ちよかろう。しかしそこは幹線の高速道路だった。トラックは力強いトルクで登り坂の自分の車を追い越していった。僕はなぜかクルーズ・コントロールのスイッチを切った。トラックは直ぐに前方に遠ざかって行った。 もう十年も前だろうか、僕は友とともにクロスカントリースキーを履いて山道を登山していた。そこは冬季閉鎖された林道で真冬にスキーを履いて歩く者など皆無だった。仮に居るとしたら酔狂ものだ…

  • 空想の庭

    もし自分の家に広い土地があったら、どんな庭にしたいのだろう? 林の中に棲んでみたいという思いが芽生えたのはやはりアウトドア誌のお陰だろう。そんな雑誌を楽しむようになったのは社会人になってすぐだった。しかし生活の拠点は会社と家のある首都圏に限られた。せいぜいオフロードバイクにキャンプ用具を満載し林道を走り山奥でテントを張り焚火をする程度だった。それしか都会生活者にはありえなかった。アウトドア趣味の究極は登山だろうか。直ぐにその世界に行きついた。 いつもアウトドア雑誌が手元にあった。色々な野遊びを提案してくれていた。その中にはログハウスの広告もある。すっきりとした雑木林の中に木の家が建っている。何…

  • パタカラ体操

    職場の二階は高齢者デイサービス施設だがそこに「パタカラ体操」と書かれたポスターがある。職員の手作りだがお爺さんとお婆さんが並んで大きく口を開けてパ・タ・カ・ラと言っている絵が描かれている。なかなかに可愛い昭和のご老人のイラストだった。入れ歯が外れぬか心配だった。 さて一体何の体操なのかは自分で口を大きく開いてパ・タ・カ・ラと動かすとすぐにわかる。腹筋トレーニング?ちょっと違う。顎が外れるまでの勢いで口を開けると何故か目もその都度見開かれるのだから人間の顔をというのは不思議に連係プレーが出来ているな、と妙に感心するのだった。 だんだんと、いや毎日自分は感じている。それは9.8メートル/秒二乗の速…

  • 余り物は何でも使え

    名古屋という街には余り直接的な縁がない。横浜の小学校を卒業した春に父は広島に転勤となった。そこへ向かう途中に何故か名古屋で一泊した。お城は立派だがコンクリート製だった。むしろその堀の中に敷かれていたレールに目が行った。名鉄瀬戸線。電車好き少年はそれにひどく感動した。テレビ塔を見てホテルに泊まった。翌朝そのロビーには当時南海ホークスの監督をしていた野村選手が居た。被っていた巨人の野球帽を取るべきか悩んだがそのつば裏に苦笑しながらもサインをして頂いた。 名古屋は自分が産まれる一年前まで両親が住んでいた街だった。伊勢湾台風がきて鉄筋アパートの鉄の扉がたわんだと母は言っていたが余程凄まじかったのだろう…

  • お母さんの店

    焦げ茶色のやたらによく震える電車を降りると駅前から砂利道だった。ダンプカーの上げる砂埃を払いながら歩くと道沿いにぽつんと小さな建物があった。店舗と民家が同じ建物なのだろうか、そこからは昼ご飯の匂いが漂っていた。ガラガラとガラス扉を開けると明るい声をあげるお母さんと幼稚園生と思える男の子が居た。僕は一片の紙切れを取り出した。 紙切れを見ながらお母さんは鼻歌を歌うように店から小さな部品を取り出してはプラスチックの皿に載せていく。どれもが床に落としたら見つけられなくなるような手のひらの部品だった。抵抗、コンデンサ、トランジスタ、ラグ板、トランス等だった。 「サンスイのトランスST32は品切れだからこ…

  • バゲット一本

    どの国にも美味しいパンがある。日本なら食パンだろうか。イギリスのパンから来たようだが日本の食パンは柔らかさを追求しているようだ。実際テレビのコマーシャルも生の食パンが如何にふわりと千切れるかを見せるシーンが多い。似た形でもこれをイギリスで食べると食感はポソポソとしている。ソフトな食感は日本人の好みなのだろう。 ドイツで自分が好きだったのはブレートヘェン(Brötchen)と呼ばれる手のひらに乗る丸パンだった。外側はこんがり焼けて中身は多少柔らかい。会社の食堂では牛肉の赤ワイン煮・グラーシュズッペが安く食べられたが、それにピタリとあう。残り汁を一かけらのパンで拭うように食べるともう一杯欲しくなる…

  • 俊英の筆

    自宅で新聞を取らなくなって久しい。時事ニュースはネットが早い。経済記事は日経電子サイトがあった。こちらは有料だったがいつでも気軽に読めた。それもあり新聞を止めた。朝4時半にポストに投函される音で目覚める事もあったがそれもなくなった。 日経電子サイトもしかし、会社を辞めると真っ先に解約した。もう自分に不要だった。地元社会の福祉施設である今の職場に来てからは紙の新聞に再び触れる事が出来た。来館者の為に新聞を取っているのだった。全国紙ではなく地方紙、それにスポーツ新聞だった。 スポーツ新聞はさておいて地方紙は地元についての記載が多い。全国紙より役に立つ情報があるように思えた。社説なりコラムは新聞によ…

  • 我慢比べ

    初めて飲んだ酒はビールだったか。いやもしかしたらお正月のお屠蘇だっただろう。たしかに子供でも一口程度は唇を濡らしたかもしれない。 大っぴらに飲みだしたのは大学生になってからだ。当時は十八歳であれお構い無し、そんな時代だった。一人住まいを始めたので立ちどころに自分の部屋は法律家を目指していた隣室の男やクラスの仲間たち、むさくるしい男どもで賑わった。毎晩そこで酒盛りだった。騒々しかったのか隣家にすむ大家が時々苦情を言いに来た。 正直ビールは苦いだけだった。T焼酎の純、S社の樹氷。部屋にはこの安い焼酎とウオッカのガラス瓶がゴロゴロしていた。ポテトチップスを手に、これらをコーラで割って飲むと手っ取り早…

  • 北へ向かう鳥

    春めいた一日だった。朝の散歩は犬の排泄も兼ねるので欠かせない。風も柔らかい。有意義な日にしようと思う。 朝食を食べながら考えた。県の西部へ梅を見に行こうかと。小田原の近郊は曽我の地に梅林がある。数年前、もしかしたら自分がまだ会社員の頃だったのか、見に行った。死んでしまった初代の犬がまだ元気で、彼は梅林の中を楽しそうに歩いていた。彼はもう居ないが二代目犬にも楽しんでもらおうと思った。 しかし何故か体が言う事を聞かなく力が出なかった。少し遅れて出るか、そう思い横になったらもう昼が近かった。悪い悪いと謝ると、家人は市内の庭園でもいいよ、という。あそこなら三十分で行ける。しかし昼食を摂ると再び眠くなっ…

  • 犬の会話・福之記10

    散歩に行く。いつも同じルートだと認知力が落ちるのでたまには違うところへと行く。とはいえ近所の住宅地などたかが知れているので車で少し走ってから馴染の薄い場所を歩く。すると新しい発見もある。 それは我が家の犬も同じこと。知らない土地は地面を頻繁に嗅ぎ回る。刺激が多いのだろう。犬にも認知症はあるが刺激を絶やさないことはそれの防止になると思う。 お互い認知症は嫌だよな、そう話しながら彼と散歩をしている。 彼には友人がいる。イヌの付き合いなど深くはないが互いに鼻を匂い性器を嗅ぐ。これが挨拶のようだ。こうして嗅ぎあう友は何匹だろう。仲良しは我が家と同様に二代目犬のコーギーだろう。その飼い主さんは初代コーギ…

  • 餃子の憂鬱

    この文のタイトルに憂鬱という言葉を選んだ。美味しいものを食べるのに憂鬱などおよそ相応しくない単語なのに。 人類滅亡の日が明日とする。すると今夜が最後の食事。そこで何を食べるのだろう。くだらないが本当にそうなら頭を悩ます。ラーメンを別格とすると、自分はトンカツ、ハンバーグ、餃子を選ぶ。トンカツはロースで。ヒレカツは上品すぎる。ハンバーグはつなぎの入らぬもので目玉焼きを添えて欲しい。餃子はそれが日本式と知りながらもやはり焼餃子といきたい。 どれも子供が好きなものばかりで還暦回っても味覚は子供のままだった。共通するのは全てが脂っぽい事。その結果が現在の自分の体型のなのだから、我が年齢も考えて嗜好を変…

  • 貧乏性

    ウーロン茶やジャスミン茶。中国のお茶はどれも健康に良いように思える。脂っこい料理が多いがそれを洗い流す、とも聞いたことがある。たしかに炒め物や揚げ物とともにそれらを飲むと食道から胃のあたりがスッキリする。しかし腹が出て、体重計の針は右に振れるのだからどの程度の効果かはわからない。 台湾に旅行に行った。食事はやはり夜市などの屋台が手軽に旨かった。しかしきちんとしたレストランもやはり美味しい。よく蒸したお茶を出してくれる。ウーロンもジャスミンもあった。爽やかさと風味だろうか、体に嬉しい飲み物だった。 お土産にと街なかのスーパーで缶入りの茶葉を買った。烏龍と茉莉花だった。烏龍は二種類あった。一つは高…

  • 整理整頓

    誰しも何に付け得手不得手がある。身の回りの整理などは最たるものだろう。その人の机の上を見ればほぼどんな人かがわかる。現役時代の自分の会社の机の上には書類が軽く20センチは溜まっていた。それが一箇所ではなく机の左右に在り辛うじてPCと外付けモニターがその塔の倒壊を防止していた。しかしそんな人に話を聞けばこういうのだった。「何処に何の書類があるかは分かっている。だから崩さない」と。 それが本当なら凄い頭脳の持ち主になる。いやそうではないことは自分が証明している。今も机の上は本や文具の箱、聞きかけのCDなどで山積みだ。しかもいつも探し物だ。砂の中の針だった。 一方綺麗さっぱりに整理されている人もいる…

  • 面取り

    木材は工作の前に角を面取りするように。そう技術家庭の時間に教わった。角材から木柱を作る場合でなくとも、木肌が手に接する箇所は角をやすりで綺麗に落とすように、そんな内容だったと思う。 心地よく晴れた休日だった。朝の散歩では北からの風は強かった。しかし少し経つと太陽が温かみを運んでくるように思えた。文句のつけようのない天気が予想された。これは家に閉じこもる季節ではなくなったか。そこで妻に提案した。お弁当でも作ってピクニックにでも行くか、と。風が強ければ逃れる事が出来るように、テントを張ろうと。 緩やかな丘陵の続く芝生の公園がある。園外の消防署に英語の標識があるのはその先に米軍関係者の居住区があるか…

  • メビウスの輪

    不審なメールを妻が受け取った。契約している電力会社を名乗っていた。曰く、先月分の電気代が未払いで停止しますと。かなり一方的な文面だった。電気代は口座自動引き落としにしていたが使用量に無関心になってしまっていたので数か月前に支払い方法を振り込みに変えた。請求書はがきを送ってもらいその場でスマホをかざすのは楽だった。払い残しなどあるわけもない。これはフィッシングの類だろうと察した。 そこで電力会社カスタマーセンターに電話した。父の死後彼が契約していたクレジットカード、インフラ、口座、証券すべて停止ないし名義変更する必要があった。この半年で一体何回そんな電話をしたのかも分からない。何処に電話してもま…

  • 不安定な均衡・台湾的風景

    台湾旅行で自分たちが選んだのは空港からホテルまでガイドさんが随伴してくれるものだった。昔なら迷いなく航空券だけを買いあとは自力だった。それが旅行だった。アメリカやヨーロッパでよく見る風景・・揃いのバッチを胸に観光バスから降りてきて旗を持ったガイドの後ろを歩く日本人の団体。彼らは空港で初めて出会い、決められたレストランで決められた料理を食べる。・・何が楽しいのかわからなかった。しかし今回は違った。退職旅行券を会社からもらったが旅行代理店の商品にのみ有効だった。旅行代理店には航空券だけの商品は無かった。最もフリープランに近いものを選んだらガイドさんの送迎がついた。 ガイドさんは達者な日本語を話した…

  • イヌリンピック・福之記9

    子供のころから運動音痴だった。小学生なら誰しもが夢中になったのは草野球だった。空き地があればどこでもできた。だれもが王・長嶋になりたがった。自分は柴田が好きだった。王と長嶋は輝きすぎていたが柴田・高田・末次辺りは地味にかっこよかった。しかし実際に草野球では三振王だった。また相手に球を投げられないのだから仕方が無かった。投げたボールは構えたグローブとは30度以上離れた方向へ飛んで行った。 徒競走も見事に遅かった。加えて小学校三年あたりから加わった漢字二文字が拍車をかけた。肥満。インスタントラーメンの味に魅了され学校から帰ってくるとまずそれをつくって食べていた。するとほどなく半ズボンがきつくなった…

  • 簡潔に追悼

    小澤征爾氏が逝去された。八十八歳。今晩のニュースを見ていて知った。食事時、思わず箸が止まった。 娘からすぐにラインが来た。「パリで観た時凄かったね、残念」とあった。当時小学生だったのだが彼女はよく覚えていたのだろう。シャンゼリゼ劇場の最上階のボックス席から見た。直前でチケットが取れた時は信じられなかった。演目はベルリオーズの幻想交響曲、そしてラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。二曲のフランス物だった。フランス国立管弦楽団から豊かな音色と迫力に満ちた音を導き出していた。オーラに満ち溢れエネルギッシュな指揮姿は2007年10月4日だった。 小澤征爾は長くボストン交響楽団の音楽監督を務めていた。こ…

  • 妻のプレイリスト

    すまないけどこの曲をスマホに入れてくれない? そう言って紙切れに書いた曲の一覧が手渡された。どれもが自ら好んで聞く曲ではないので手持ちのCDも無かった。結婚した頃妻が買ったCDを引っ張り出した。自分はCDの入れ替わりが激しいので昔の盤で残っているものはよほど気に入ったものだけだった。残りは全てPCに入っている。流石に妻の持ち物は捨てるわけにはいかない。ケースの埃を払って取り込んだ。 多くは1980年代の日本のポップスだった。今ではシティポップと言われなんと海外にも注目を浴びていると聞く。アレンジが画一化されて、どれもオーバープロダクションに思うのはそれが当時流行っていた音作りだからだろう。が演…

  • 私の子供達

    「きちんと読んで頂きありがとうございました。コメントが沁みました。この作品はある実在の川を軸に過ぎた時間を積み重ねるような思いで書いたのです。」 そう言いながら途中で感極まって泣いてしまった。自分の書いたものを初対面の方々にしっかり読んでいただき、生の声として感想を頂くという経験は初めてだった。自分が執筆しとある文芸賞に応募し最終的に落選した原稿は「桜咲く川」という題の3200字程度の掌編だった。少しでも、ごく僅か、一ミリでも、自分の文章が人の心を動かしたという事にいいようもない嬉しさと経験したことのない感動が湧いたのだった。 読んでいただいた十名がそれぞれの率直な感想を率直に述べられた。 -…

  • 小さな共同体

    寒気到来、平野部でも降雪予想、要警戒。そんなテレビ放送が続いていた。警戒心よりも「そうか来るか」と妙にときめくのは雪に縁遠い瀬戸内海の生まれだからかもしれない。確かにその夕方から雪は強くなった。坂の多い街だ。バスは運行できなくなり誰もが諦めて車道をおそるおそる歩いていた。 84豪雪と言われていた。1984年。この年は日本海側ばかりではなく日本中が記録的な降雪を記録した。実際その年の冬、自分は富山市に居た。東京で大学生活を送っていたが当時両親は父親の転勤で富山市に居てそこが帰省先だった。常願寺川のほとりの住宅地に家はあった。その土手に上がり北アルプスを見るのが自分の楽しみだった。しかし冬は、まし…

  • 隠れ家にて

    そこは隠れ家のような店だった。赤坂から乃木坂に抜ける緩い上り坂から少し奥まった場所だった。 木の扉の上部にだけ細長いガラス窓が在った。この中を覗くのは勇気が必要だった。扉を開けるとマスターが店の準備をしていた。彼に会うのはもう四十年ぶりに近かった。 コートを掛けて挨拶をした。彼は店の名前が書かれたポロシャツを着ていた。面影は残っていた。すぐに時が埋まった。暫く彼と話をした。約束時間だった。次々と懐かしい面々がやってきた。大学時代のクラスメイト六名。自分は彼らとこの数年にわたり何度か会っていたが六名の中にはやはり四十年に近い再会もあった。 髪の毛が減る、白髪になる、体が一回り大きくなる。あるいは…

  • 曇りのち晴れ

    今の世の中、買い物に現金を使う人の割合はどの程度だろう。少なくとも駅で切符を買う人は新幹線などを除くとほぼゼロだろう。非接触IC技術が開発されてからはICカード一枚で事足りる世の中になった。バスも然りだろう。 いつもの駅とは違う私鉄に乗ろうとしたのは乗り換え無しで東京都東北部まで一気に行けるからだった。その駅へのバスの本数は多くはない。曇った冬の空の下を走り、逃したくないバスになんとか間に合った。 財布の小銭入れが重かったので使おうと思った。ICカードの残高も定かではなかった。息をきらしながら硬貨を入れた。すると賃金箱はエラー音を発して異種コインが投入されました、と表示が出た。 新五百円玉だっ…

  • 白の上塗り

    とある木工品を作っている。サンドペーパーで木肌を整え木工ボンドを使った。塗装する必要があった。色はトリコロールとした。フランスに住んでいた頃、パリの空の下で何気なく揺れている国旗には嫌みが無くて好ましかった。特に青空を背景にすると良く映えた。七月十四日の革命記念日は概ね快晴でシャンゼリゼ通りは三色旗で埋まる。爽やかな気分もした。異国人でありながらも感じた。国旗のあり方に嫌みが無くまた国旗自身も素敵だ、と。 誰もが自分が中心で、好きなようにそれぞれが振舞う。男女の挨拶は頬を合わせキスをする。それが自由・平等・友愛かどうかは分からないがその三つの言葉がフランス共和国の標題だった。国旗の三色、青白赤…

  • 困ったことに

    週に一度の銭湯巡り。贅沢日と呼んでいる。行き先のレパートリーも増えてきた。黒い湯の温泉、炭酸泉、ジェットバス、露天風呂。毎週違う湯に行く。何処も二人で千円。今どき風呂のない家はないだろう。しかしいつも人が多い。つくづく日本人は風呂好きなのだと思う。 今日は山登りをした。下山地に温泉はなく、帰宅して今日を贅沢日に充当しようと考えた。山歩きのあとの広い湯は最高だ。銭湯へは車で行く必要もあり下山後の缶ビールも控えた。銭湯から帰宅後の缶ビール。それが今日のクライマックスへの道だった。 娘婿はある服飾メーカーに務めている。試作品か販促物なのか、下着を沢山頂いた。ありがたい話だった。黒や紺色のボクサーパン…

  • 風のいたずら

    夜道を自転車で走っていた。仕事帰りだった。この時間は住宅地のバス停で降りた客が散っていくと路地を歩く人など誰もいなくなる。風の吹く夜だった。いや、木々は揺れるのだが風はもっと高い空に吹いていたようだ。その余韻が舞い降りて下界の木立を騒がせていたのだろう。 向かい風を僕は感じた。すると南から吹いていることになる。尤も自転車も南へ向けて走っているのだから南風なのか自転車が空気を破る抵抗が風と感じられたのかも判別しかねた。そんな程度の風だった。 前方に灰色のコートを着た男性が歩いていた。街頭に浮かぶ彼の影を見て辛うじて灰色なのだろうと判った。余裕をもって彼の横を通り過ぎた。その時だった・・・。 パタ…

  • 教えと祈り

    歌と楽器。どちらが先に生まれたのだろう。現代のデジタル知恵袋であるネットの知恵を借りると旧石器時代から打楽器が見られたとあり笛も同様のようだ。鍵盤楽器も紀元前、弦楽器は中世とある。 誰しも嬉しい時、悲しい時に歌が寄り添うだろう。歓びは歌になり歎きも然り。歓びを鼓舞するために打楽器が生まれたのも想像は容易であり、歓喜や哀悼の旋律を歌うために笛ができたのも必定だろう。 世の宗教でもっとも古いものは何だろう。イエス・キリストとは別に異教徒の存在が既にあったことは新訳聖書に書いてある。ユダヤ教だろうか。仏教はそれ以前か?イスラム教は?それら経典を伴う宗教として纏まったものでなくとも原始人は太陽と火、こ…

  • 罪作りな器たち

    中華鍋の把手にはタオルでも巻き付けられている。そこを握り鍋を揺らす。もう一つの手は玉杓子を踊らせる。この時の音を形容するならカラコンカラコンとなる。米は宙を舞い鍋に着地する。ウルトラCだろう。オヤジの鍋杓子使いは神業か。最後に中華鍋をもう一度煽って玉杓子ですくい皿に裏返し。器にこんもりと盛り上がったさまは前方後円墳の後塚を思わせる。 無駄のない動きはいつも見惚れる。大鍋で麺を茹でながら同時に丼にかえしを入れてスープを注ぐ。マルチタスクだ。平ザルを器用に使い大鍋の麺は掬い上げられる。ここからもまた神業だ。魔法の腕さばきは平ザルの上の麺を踊らせ、それは一つの美しい形に纏まりスープの中に流し込まれる…

  • 二つの鍵・台湾的風景

    そのお寺は広くはないが多くの市民で溢れている。ホテルから地図を片手に適当に散歩する。とある路地に迷い込んだ。幅2メートルか。長さは数百メートルありそうだ。ビルの狭間の通りはウナギの寝床だった。一間取り二メートル程度の店舗だ。そこにはさばいたばかりの鶏や取れたての魚、魚肉団子、野菜、安い衣料、色々ならんでいた。現地人の台所だった。大型スーパーもコンビニエンスストアもあるのにやはり庶民はこんな通りが好きなのだろう。上野のアメ横をずっと凝縮して長く伸ばした、そんな雰囲気だった。そこに買い物客は絶えない。旺盛な食への力は生きる力だと思った。 通りを抜けたら目指す寺は近かった。龍山寺はタイペイ市内で最も…

  • 憂いもなく

    新年を迎えて早くも一月が経とうとしている。月日の経過の速さと年齢を重ねる事にはある種の相関関係があると思っている。それは直線で表現できるものではなく何らかの偏向が働く。十歳の時、二十歳の時、五十歳、そして今。感じる一日の速さは高齢になるほど加速度的に早くなる。全くここへきて一日がこれほど短いものか、勘弁してほしいと感じている。 この一月が特に短く思えたのには正月に痛ましい天災や事故が続いたからだろう。罹災された方には早く正常に戻って欲しいが、これでお正月気分は消え飛んだ。何か物足りないなと思っていたのは毎年楽しみにしているお約束を逃したからだった。 正月元旦。GMTプラス一時間はウィーンの地。…

  • 危ない所だった

    中古品を買い取り販売する店は言ってみれば中古再販店だろう。元は古本屋だったが古着やハードウェア一式を扱うようになっている。不景気も手伝ってか規模の大きな店から小さいものまで何種類もあり、売る方も買う方も人が絶えない。自分も不用品や本を買い取ってもらう事もあり時々出かける。そしてまた中古品の棚を見るのも楽しい。何年使ったものかわからぬが大抵のハードウェアは大きく値が下がっている。デジタル家電は最たるものだろうか。あれほど出費して買ったデジタル一眼もレンズも買い取られたときは冗談だろ?と思う値段だったが、また、売られている品も安いのだ。新品を買う事が馬鹿らしくも思える。 そんな中値段がさほど下がっ…

  • 夜市・台湾的風景

    街なかのマクドナルドに入った。眼の前の通りには二階建ての路面電車が走り的士と書かれた赤いタクシーが忙しそうだ。歩く人並みは東京よりも密度が多くざわめく。昨夜に到着した初めての外国、香港の風景だった。朝食にでもと入ったマクドナルドの店員はなにが腹立たしいのかひどく無愛想で怒ったように大声で注文を聞いてくる。僕はなぜ怒られるのかと心が縮んだ。街中の裏路地では屋台が出て誰もがそこに座り粥や麺を食べていた。口角泡を飛ばすように話している。朝から喧嘩なのだろうか。 仕事で中国に行く機会が増えてから判った。彼らは怒っているわけでは無く言葉の持つ発音方法がそう聞こえさせるのだ。大学の第二外国語は中国語を選ん…

  • お好きですな・・

    とある高原の道の駅だった。週末は観光バスも入り近所の高級リゾート施設から流れてくるお客様でここは何時も満車だ。しかも敷地内には日帰り温泉もあれば東京の老舗本格広東料理店もあるのだから人気のほどが知れる。 空気が肌を刺すのはそこが海抜千メートルの等高線にほぼ乗っているからだった。標高が百メートル上がれば気温は0.6度下がることは山屋なら誰もが知っている。それをベースに登山の服や装備を選ぶからだ。つまりそこは東京よりも気温がいつも六度低いことを意味していた。夏は気持ちの良い場所だが冬はどうだろう。確かにそこはとある三千メートル級山岳への夏山登山駐車場まで車で数十分ではあるが冬は雪に閉ざされる。海抜…

  • 鼻ぺちゃ天国・福之記9

    港の見える市営公園だった。そこはクジラの背の様な丘の上を園地にしたものでドッグランやバーベキュー施設もある。一月の港を吹く風は冷たい。戸外で遊ぶにはまだ早いのかもしれない。しかし犬連れの散歩者が多かった。多くの犬種に会える。秋田犬やサモエド、レトリーバなどの大型犬は存在感がある。彼らは一見近寄りがたいがとても大人しいのだった。 公園の犬はやはり小型犬が多い。ダントツ人気はトイプードル。そしてチワワ、ポメラニアンあたりが三役だろう。パピヨン、マルチーズ、ミニチュアダックス、ビションフリーゼも見る。中型だとシバやビーグルか。こんなに犬種がするする出てくるのは犬が好きだからだ。この一派を忘れてはいけ…

  • なぜか心沸き立つ

    港にあるアウドドアショップに来た。一通り揃ってしまいもうアウドドア用品など今更買うものは無いのに、なぜかこの店は胸が弾む。もう四十年近く前にその商品を買ったブランドだが今では人気店で日本中全国展開だろう。今日では街着として人気のブランドに思える。しかし創業者はアパレルに無縁なアウトドアマンでありアウトドアに適した商品は何かを考え世に出してきた。実際のアウトドアマンならわかる痒い所に手が届く的な商品が多く、どれもが単なる街着以上だ。自分の初めてのテントもゴアテックスの雨具も、そして自分が持っているアウドドア用品の三割はこのブランドのものだろう。 今日の店は横浜港の山下埠頭そばにあった。ビルの中に…

  • 紙の上の箱庭

    つい最近まで登山と言えば何時も二種類の地図を持参していた。登山ガイド地図と地形図だった。 登山ガイド地図はルートと所要時間などの情報が記されたものだ。自分達のヤマ屋世代では「エアリア」とだけ呼ばれる地図だ。ユポ紙で出来たそれは耐水性と耐久性を兼ねていた。正式には「昭文社発行・山と高原地図(エアリアマップ)」と言うべきだろうが誰もが単に手短に「エアリア」とだけ呼んでいた。今多分その四文字は通じないだろう。最近の同地図には「エアリアマップ」と書かれていないのだ。先日キャンピング用品に軸足を置いたアウトドア店に行った。そこで「エアリアは何処に置いていますか?」と聞いたら若い店員さんはキョトンとした。…

  • 富士山ここにあり

    僕がこの地を知ったのは昭和40年代初めだろう。父親がこのあたりに家を建てようと土地を探していた。埃だらけの道をバスに揺られて走ったことを覚えている。 次にこの場所を意識したのは中学生か高校生だった。色気だって来る年齢だからそんな小説に惹かれたのだろう。青森は津軽の産んだ作家と言えば太宰治になるが、なぜか石坂洋次郎はそうは出てこない。「青い山脈」「陽の当たる坂道」あたりはそれなりに流行ったのではないだろうか。いずれも映画になったくらいだから。しかし最近は余りその名も見ない。 心配ご無用。自分の書棚には彼の著作は数作ある。特に好きなのは「陽の当たる坂道」だろうか。映画では石原裕次郎がナイーブでぶっ…

  • 僕のセーター・福之記8

    生まれた時から服なんか着たことは無かったよ。生まれたての記憶はないけどママが僕をたくさん舐めてくれたよ。それで目が覚めたのかもしれないんだ。 僕は生まれてからすぐにママと離れてしまって、何故だろう、檻の中にずっといたんだ。時々お爺さんがやってきて「食べろ」と言ってボウルに無造作にカラカラと茶色い物を入れたよ。余り美味しくはないけどとりあえずお腹は一杯になるという訳さ。 一体どのくらいの間に檻の中にいたのかな。ママは何処に行ったのかな。時々外に出されると、そこにはボクと同じような顔をしたお友達がいくつも居たんだ。なんだかお尻から良い匂いがしてね、ボクは思わずお友達の尻尾の上にのしかかってしまった…

  • 手作りの音

    音楽が好きならば多少はオーディオに金をかけるだろう。最近では昔ながらのレコード盤が人気と言う事で新譜をレコードで出すアーティストも出てきている。かさばる、扱うのが面倒だ、そんな理由でCDが世に出た1980年代半ばから自分はレコードを手放しCDに買い替えてきた。その十年後にはウィンドウズが世の中に普及し音楽はデジタルデータとしてPCに取り込めるようになった。すると今度は手元に置いておきたいCD以外はPCに取り込んだらCDを手放した。今思うと慌てずに手放さなくとも残しておいても良かったと思う版も多かった。しかし全ての棚がCDで埋まってしまったのでそれも仕方なかった。今はサブスクの時代で必要な時にネ…

  • 歪み

    車を売るなら〇ッグモーター、あの印象的なコマーシャルもすっかりテレビから消えてしまった。今の自家用車は二年半前にそこで買ったものだった。十年以上年乗っていたジムニーを手放したのは脳の手術をしてから衝突安全防止機能の付いた車が必要に思えたからだ。ジムニーは自分のライフスタイルにピタリと合った素晴らしい車だが古い車にその機能は求めようもなかった。妻も運転するので運転しやすい車を探した。軽自動車ジムニーでの生活を通じて普通乗用車の必要など一切感じなかった。むしろコンパクトさと税金など所有コストの安さに惹かれていた。軽の乗用車タイプで四駆を探すが苦労した。ジムニーや軽バン、軽トラ以外には軽の四駆は余り…

  • 不思議な匂い

    甘い香りがして昼寝から覚めた。それは懐かしくもあり何故みか酸っぱさもこみ上げる匂いだった。 甘酸っぱいといえば初恋だろうが記憶の中でのそれは石鹸の匂いだった。中学二年年だったろう。素敵な女子がいた。何度か文通をしたかもしれなかった。彼女に近づくと何故かとても良い香りがし心臓は早鐘を打った。石鹸の香りだと思った。 目を覚ましてくれた甘い香りは錯覚ではなかった。キッチンで妻がジャムを煮詰めていたのだった。そういえば柚子をご近所さんから譲っていただいた。ジャムを作ろうと話をしていたのだった。絞るところまでは手伝ったが握力不足なのか手がつってしまい早々に出番を失い引っ込んだ。なんだ、レモンスクイーザー…

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