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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 二千円で悩まない

    宅急便が届いた。少し待ちかねていた。頼んだものにくらべて大きな箱。壊れ物ではないけれど慎重に扱った方が良いのは確かだった。 10ホールハモニカ。穴が十個の手のひらサイズのハモニカがある。ブルースハープとも呼ばれる。もともと一人での山歩きでテントを張り終えてからそのサイトで拭いたら気持ちよかろうと買った。フランクフルトの空港の土産物店だった。吹き方も知らぬが高くはないし土産のつもりで買ってみようと思ったのだろう。ホーナーというブランドはドイツの楽器メーカーでこの手の楽器では有名と知ったのは後だった。 実際にこれをテントの横で吹いたことは一度きりではなかったか。そこは尾瀬であり僕はザックを背負いテ…

  • 永久機関

    自分は全くの文系人間。ロジカルよりもエモーショナル。難解な方程式を解いて喜ぶよりも本を開き夢想の世界に遊び、話に涙するほうが好きだった。しかし電子工作には小学生から、アマチュア無線には中学生から興味を持った。確かに自然科学に神秘を感じていたのかもしれない。だからだろうか、夢中になってしまった。オランダの画家・エッシャーのだまし絵だ。誰もが知っているだろう、あの有名な「永遠に水が流れる水路」の絵を。ポンプで吸い上げない限り水は上には登らない。しかしその絵では水路の水が水車を通り上がっていき滝となりそれは下に落ちて水車を回し再び上がる。空間のどこかが歪んでいるのか目の錯覚を利用しているのか、それは…

  • 散歩の友

    仕事のない日はだらけてしまう。朝8時迄寝ることも多い。疲れがたまっているのかいくらでも寝られてしまう。毎晩21時には散歩して犬のフクちゃんは排泄をする。我慢は苦痛に思うが彼は翌朝やはり9時ごろまでは彼は排泄をしない。ドッグフードの朝食を終えると大人しくベッドの上で寝ているだけだ。しかしもう辛かろうと忖度して彼を散歩に連れ出す。季節が良くなったので自分達は近くの湧き水の湧く森や神社に行く。 五月のこの地はちょうど水田が綺麗だ。田植えが終わったばかりなのだから。時にはそんなあぜ道も散歩する。ここでおしっこをするわけにもいかないから排泄はあぜ道の前に済ませてもらうだろう。勿論彼に排泄の強要は出来ない…

  • 人違い

    図書館で楽しそうな本が借りられた。そしてCD欄には興味をそそるものがあった。ニコラス・アーノンクールそしてトン・コープマン。共にモーツァルトのシンフォニー。若き頃の作品は珍しい。そして後期三部作か。古楽器でのピリオド奏法の解釈のモーツァルトの演奏は聞いたことが無い。どんなに新鮮に思えるだろうか。もう一枚はマーラーの交響曲八番があった。マーラーの曲は神経質で情緒不安定に思え自分は苦手だった。一曲として好きな物がない。しかしこれは大合唱団がつくシンフォニーだ。合唱曲が好きなのだから一度は聞かねば。ゲオルグ・ショルティとシカゴ交響楽団が組んだ録音か。ならば問題ないだろう。 ドラッグストアに立ち寄った…

  • 図書の旅50 1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター

    ●1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター 五十嵐貴久 双葉社2007年 本を読んで泣く事など忘れていた。しかしやられた。涙が止まらなかった。 高校受験に失敗した中学浪人の息子をもつ主婦。男運がなく離婚を繰り返しマルチに引っかかり借金を抱える独身女。万引き常習犯の主婦。そして自称プロミュージシャンあがりという訳あり風の酒まみれの女。とある縁で四十歳を超えた彼女たちが集まる。そして素人おばさんバンドを結成し、息子が受験を目指す高校のチャリティコンサートでとうとうやってしまう。スモーク・オン・ザ・ウォーターを演奏するのだった。ライブが終わった。拍手の中に彼女たちが感じたものは何だったのだろう。閉…

  • 何でもできる記念日

    ゴーグルの向こうに壁が近づいてくる。自分は今迄この辺りで息が苦しくなり、また足がつって立ってしまったのだ。しかし今日は少しリラックスして体を動かしてきた。するとここまで来られた。壁が見えた時に考えた。あと三回息継ぎをすればよいだけだと。再び頭を沈めて手のひらを外に向けて、足の裏をやはり九十度立てて動かしてみた。あと二回だ。あと一回で解放される・・・。 必死だった。しかしここで足を着いたらすべてが水泡に帰する。どうなってもいいから掴むのだ。すると右手が確かに捉えた。タイルの壁面だった。 満願成就。思わず手を挙げた。やった!と。還暦過ぎのガッツポーズだった。そう、生まれて初めて平泳ぎで泳げた。25…

  • 友人の個展

    個展と言う言葉には憧れる。まずはこれが頭に浮かぶ。 ♪拝啓 いまはどんな絵 仕上げていますか 個展の案内が 嬉しかったの 美術学校の学生時代を振り返ったであろう松任谷由実はそう唄っていたっけ。青春の苦さを書いたであろうやや切ないメロディが浮かんでくる。そこは多分玉川上水だろう。個展の案内を出してきたのは昔の恋人か、片思いに終わった友人か。そんな想像も楽しい。 個展をやるからね、そう友人は葉書を手渡してくれたのだった。自分より一回り以上年上の彼はこの地に住む山の友達だった。もう十五年以上前に都会からこの地に移住してきた。なかなかの多趣味で、ご夫婦で生活を楽しまれている。そんなライフスタイルに自分…

  • 図書の旅49 光の台地

    ●光の台地 辻邦生 毎日新聞社 1996年 本について何かを語る時にはやはり自分の好きな作家が冒頭に来る。これだけは仕方がない。それだけ多くのことを、そして本と言う広い海を旅することを教えてくれたのだから。自分の好きな作家を挙げるならばやはり北杜夫になってしまう。彼のお陰で信州の松本という街に憧れ、自分の見知らぬ世界を旅することへの憧れを知った。彼の書いた「どくとるマンボウ航海記」「どくとるマンボウ青春記」を開くならある人物の名前が出てくる。旧制高校のバンカラで破天荒な寮で知り合い生涯の交流を持った。文中ではTという名前で出てくる。見聞を広めようと船医として水産庁の調査船に乗った旅を書いた航海…

  • 幸せのメカ

    そこは高速道路のインターを降りてすぐのコンビニだった。キャンディレッドの世田谷ナンバーの大きなバイクが停まっていた。お、素敵なメカだ。僕はオーナーと話したくて仕方なかったが彼は店の中だった。トイレを済ましコーヒーを買った。コンビニのコーヒーは最近とみに味が良い。自分のような味音痴には手軽でありがたい。「120円の贅沢」と称してよく利用する。これから横浜に向かうのだから二時間半のドライブか。贅沢をして美味い珈琲を頂こう。濃いめを選んでカップに入れた。 バイクのオーナーがヘルメットを被るところだった。僕は彼を見て考えた。話に応じるだろうかと。しかしこの言葉なら皆が喜んで応じるだろう、そんな魔法の挨…

  • チャットGPTに聞けば?

    都会の駅だった。僕はあとニ分後にやってくる快速南浦和行きを捕まえるべく階段を慌てて降りていた。転がり落ちぬようもちろんしっかり手すりをつかんで。階段で行き交ったお母さんに小学生が話していた。「そんなのチャットGPTを使えば?」と。 とうとう来たか、そう思った。人工知能と言っても自分はそれがなんだかわからないし動作原理もわからない。多分いや確実にそれを教わっても理解しない。ただ一度試してみた。何かの単語をベースに短文を書いてもらったのかもしれない。たちどころに何百の文字がモニターを流れた。なんだろうこれは。不気味になり画面を閉じた。 キーワードを入れれば相応の文章もイラストも描いてくれるらしい。…

  • 定期便

    何も新しい話でもないのだがここのところほぼ三日に一日はやってくる。あたかも離島にやってくる定期便の船や旅客機の様だ。 そこはパプアニューギニアのニューブリテン島。東の端にラバウルと言う街がある。西には大きなニューギニア島。その南にはポート・モレスビーという街がある。太平洋戦争中はそこには連合軍の基地があった。♪さらばラバウルよ、又来る日ぃまで…。そんなラバウル小唄で知られる日本海軍ラバウル航空隊の基地からではポートモレスビーは遠かった。そこでポートモレスビーの北に前進基地を日本軍は作る。ラエという小さな滑走路一本の基地だった。両者の間にはスタンレー山脈という4000m級の山脈があり陸路での攻撃…

  • 二つの春

    春、と題のついた曲は何だろう。小学生の時に覚えた曲がある。メンデルスゾーンの作った無言歌集にある優美なメロディだろう。確か下校時間にかかっていた。優しいのに憂鬱さがあり、脆い旋律にははかなさを感じる曲だ。バイオリンの独奏もあればピアノもあったかもしれない。ビバルディの「四季」にも春はある。しかしクラシック音楽の代名詞のようによく流れるこの曲は自分にはあまり心地よくない。大衆化されたものは好きではないという好くない自分の癖だろう。もう一曲浮かぶ。これが春と名がつく中で一番好きだ。シューマンの交響曲第一番「春」。これは四曲あるシューマンのシンフォニーで一番聞きやすいのではないだろうか。シューマンは…

  • 似非サイクリスト

    寒冷地にはサイクリストをまず見ないはずだ。なんといっても降雪の後が凍るから。しかし高校生とはある意味怖れ知らずでブロックタイヤのマウンテンバイクで通学している。それしか交通手段がないともいえるかもしれないが、それにしても転ばぬかはたで見て不安にもなる。加えて風だ。北から西から乾いた風が吹いてくる。そんな自分は冬の間はサイクリングを閉業していた。転倒も怖いがそもそも寒い。もう十歳、いや二十歳若ければそんな元気もあったかもしれない。 すっかり春景色になったのでリビングに置いてあるランドナーを外に出した。埃を払いチェーンに油をさした。やはり空気は抜けている。このランドナーを作ったのはもう二十年ほど前…

  • 先輩とフレッシャーズ

    四月は瞬く間に通り過ぎた。我が家に来るホトトギスは今よ盛りと良く啼いている。それはそうだろう、暦は五月になったのだから。それもすでに黄金連休も終わってしまった。会社によっては十日を越える休みがあったのかもしれない。だれもが皆会社生活に戻っているのだろうか。 フレッシャーズ向けのスーツを販売する量販店のTVコマーシャルもよく見かけていたが流石にこの季節は見る事もない。もし自分がまだ首都圏で生活しているのなら沢山の真新しいスーツ姿の若者を電車の中で見ることがあるだろう。自分の住んでいる高原ではスーツを着て仕事をする人もいない。県庁の街まで行けばそんなビジネスマン然とした若い男女を見ることが出来るの…

  • 月夜

    居酒屋などせわしい駅前にゴマンとあった。しかし勤めを終えて帰宅するのだからそこで足止めを食らうこともなかった。時には勤務先の駅の周りで呑んでもう出来上がっていることもあった。が駅前の呑み屋には何度か娘と二人で行ったことがある。こんなとこもあった。飲みに行こうよ、そう僕は娘を誘った。すると彼女も偶然!と言った。誘おうとしていたという。 高原の地に引っ越してきたのは五月だった。住み慣れた横浜を離れ新たに建てた家だ。転居は脳外科の病棟でひらめいた。脳腫瘍を取り朦朧としていた時に甲斐駒ケ岳を前にしたこの地が浮かんだ。頭のガンだ。余命がどれほどか。会社は早期退職をしていた。生活は何とかなるだろう。ならば…

  • 腕時計

    腕時計には思い出がある。高校生の時にデザインに憧れて親にねだったセイコーのデジタル。勤務二十五年の会社からの記念贈答品であるセイコー。死んだ叔父の葬儀返礼品のシチズン。ヨーロッパでの七年間の勤務を終え帰国の際に記念にとパリのラファイエットへ。そこで買った憧れのスイス時計は自動巻のティソ。出張帰りの香港で三度迷って買ったスケルトンの自動巻セイコー。父親の遺品のシチズン。海外出張用にと家内が買った世界時計機能の付いた電波時計のシチズン。そして登山用のカシオ。どれも現役で、腕に巻くとそれを手にした時の気持ちを思い出す。嬉しかったり哀しかったり。時を刻む道具だからさもありなんだろう。そんな腕時計もこれ…

  • 予定管理

    システム手帳というものが世に出たのは自分が新入社員の頃だったか。いやその前からあったかもしれない。銀座の伊東屋あたりで見かけたのかもしれない。 同期入社の理系の男だった。A5サイズの革製の手帳を彼は持っていた。会社員になると予定が増える。来客、出張。、そしてまたプライベートも約束を入れてしまう。仕事よりもプライベート。僕は彼女との約束をたくさん覚える必要があった。会社が支給してくれる文庫本サイズの手帳もあった。そこに予定を書いていたが何分こちらはガサツで走り書きばかり。ぱっと見て分かる予定表ではなかった。その点理系の彼はしっかりと丁寧に予定を書いていた。そのノートはリング式で好きなところに好き…

  • 三つの実力者

    社会科で習ったように思う。確か日本神話に書かれていたのだろうか。皇室に伝わる三つの宝物を三種の神器と言うと。鏡、まが玉、剣だ。日本三景を初めとして日本には「三つの何某」が多いがその謂れはこれか。戦後史ではこう習う。洗濯機、冷蔵庫、掃除機が家電製品での三種の神器であると。1960年代にこの三つの電化製品種類は世に出てそれは家庭の主婦の生活を大きく変えたという。WEBを見ればデジタル家電三種の神器というのもあるようだ。デジタルカメラ、DVDレコーダー、薄型テレビらしい。確かにそうだろう。いずれも2000年以降に出現し、アナログカメラ・ビデオテープ、ブラウン管テレビを放逐したから。デジタルの特徴はデ…

  • 肌身離さず

    今はそんな人は見ないだろう。首からお守りをぶら下げた姿など。映画・男はつらいよの寅さんくらいだろうか。が、これがロザリオとなると話は違うだろう。カトリック教徒ならば誰もが首から下げている。住んでいた横浜の街に数棟の大きな公団住宅があった。そこには中国人もインド系の方も居れば中東系やトルコ人もいらしたが特にフィリピンから来た女性が多く住んでいた。近くの公園で数組の親子が遊んでいた。タガログ語だろうか自分にはわからぬ言葉を喋るお母さんの首元に光るものがあった。それはロザリオだった。そうだった、フィリピンはクリスチャンの国だった。ああ、やはり十字架は肌身離せないのだな、とその時思ったのだった。 ミサ…

  • 遊びに来たよ

    仕事をしていた。お客様と一緒に工場見学のツアーだった。すると同僚が言うのだった。「お友達が来ているよ」と。誰だろうか?と頭を捻った。自分がこの職場で働いていることを知っている人は多くない。ましてやフットワークよくここに来るとは?横浜時代の自転車仲間か山仲間か。少なくともアウトドアの好きな彼らなら腰が軽いだろう。バンド仲間かもしれない。リードボーカルの彼女は旦那様と共に昨年も車に乗ってふらりとやって来たから。学生時代の友なら何人か候補がある。やはり昨年遊びに来てくれたから。地元の友人、予期せぬ家族もあるかもしれない。 Aさんですか? Bさんですか? 色々聴いてみたが彼もしっかりと名前を憶えていな…

  • 知らない街

    5月連休がやってきた。高速道路から国道、県道、市道そして脇道までも他県ナンバーで溢れるのだった。さすがに農道には来ないだろうが。 高原はこの何日か知らない街になった。ホームセンターには知人が働いているが前掛けをつけた彼女は汗をぬぐいながら言うのだった。「今日は本当に大変」と。地元民のためのスーパーもドラッグストアも、道の駅も、山の湧き水も他県ナンバーばかり。夕餉の食材を買おうと立ち寄ったら普段は見ない野菜セットや大きなパックの肉もある。そしてバーベキューグリル網や炭、長いトングまで。スーパーはこの一週間はアウトドア用具店に思える。そしてレジには長い列ができて店員さんもてんてこ舞い。連休後半の夜…

  • 甲斐からの山・山スキーの鍋倉山

    ・鍋倉山 長野県飯山市・新潟県妙高市 1289m わずか海抜にして1289メートルの山だ。関東甲州人にとりわかりやすく書けばそれは丹沢で言えば鍋割山と、奥多摩で言えば大岳山と、富士山エリアでいえば山中湖北岸の大平山と、道志・笹子エリアならば大月市北の扇山と、そんな山々と大して変わらぬ標高になってしまう。 そんな山々も冬は積雪を纏うが雪に埋もれることはない。唯一、2014年は例外だった。その2月14日辺りから南関東から甲信越では雪が降り続いた。記録的豪雪と言う事でその一週間後に試しにと山中湖北岸の大平山をスキーに滑り止めシールを付けて登った。一メートル近い積雪があり低い山ながら山スキーを楽しんだ…

  • カワイイ中年・福之記15

    ああ、自分も中年になったな。そう思ったのは四十歳の誕生日だった。少しばかり寂しくややショックでもあった。四十歳などすべてくたびれてしまい、腹が出て息が臭い。そんなただのオヤジだと思っていたのだ。口臭には気を使い仕事中はガムをかんだり息清涼剤カプセルを噛んだりとしていた。しかし腹が出ていることは防げなかった。なにせこの過剰な脂肪には小学生からの歴史があるのだから。 実際四十になって何が変わっただろうか?会社生活では役職が上がったことか。しかし組織と人様を管理し、組織目標を立てて遂行するには今思っても自分では役不足だった。色々悩んだ年代が四十代だった。「四十にして惑わず」とは孔子の言葉だったか。ま…

  • 残照に丹沢

    都心から西に向かう列車に乗った。都心から西に向かう列車とは私鉄以外は東海道線か東海道新幹線か中央線しかない。山梨に住む自分が乗るのは中央線だった。 西日が傾く。それを追うように西に向かう。しかしそれなりの速度で走っていても落ちる太陽に追いつくことは決して出来ない。少しづつ暗くなる。ビルばかりだと思っていた中央線沿いの車窓も気づけばそれは駅の周辺だけで駅間は思ったよりも建物の背が低い。それはそうだ。この辺りは武蔵野なのだから。国木田独歩が歩いたのもこのあたりか。太宰治が愛人とともに自らの終焉の地としてこの辺りを選んだのもたぶん昔ならばわかるように思う。のどかで美しく素朴な田園風景があったことだろ…

  • 憧れ

    車に乗るときはいつも音楽を聴く。クラシックの時も70年代迄のブラックミュージック・ソウルの時もある。今日はロックのフォルダをプレイした。するとあのがむしゃらで直線的で、しかしなぜかノレるスリーピースの音が聞こえてきたのだ。それはギター一本、ベース一本、ドラムス一セット。三人編成はバンドの最低ユニットだろう。歌はギタリストがぶっきらぼうに歌いベースはツボを押さえたハモリを聴かせる。 このバンドに夢中になったのは18歳だった。歯切れ良いリズムのおかげか歌い方なのか英語の歌詞が聞き取りやすい。ロンドンの交通の酷さを揶揄し、若者の考えを理解しない政府、核兵器やフォークランド紛争での厭世観、そんなマーガ…

  • 漏水

    「影のない女」、そんなタイトルを目にした時に何を自分は思ったのだろうか。一体どんな女性だろうかと。きっと美しいのだろうと。美しすぎて光を集め、そこに影はないのだろう。しかしこうも解釈できる。まるでヴェールを被ったように彼女の存在は誰にも気づかれない。しかし一旦ヴェールを脱ぐととても美しい・・。人はこんなふうに二律背反した表現方法を目の前にすると、なぜか惹かれるのだ。 影を失くして行動する。となると潜水艦を思い出す。相手に気づかれることもなく密かに海の下を進む。武器は船を沈める魚雷、今なら加えて大陸間弾道ミサイル。影がないくせにハチの一刺しだ。視界の効かない海底をどうやって行先を見つけるのだろう…

  • 積る塵、生まれるノリ

    何事もそうだろう。若い頃は集中度が高い。勉強にせよ恋愛にせよ驚くべきパワーで燃焼する。燃焼、緊張、弛緩。そんなサイクルを人間は経る。 バンドの練習は月に1回。ひと月は短くもあるが随分と久しぶりに思えた。練習曲の数は十曲か。親しんできたソウルやロックのイディオムとは違う曲に今回は挑んでいる。新しいことは難しいが見知らぬ楽しみをくれる。今までバンドサウンドに加わったことのない楽器も入るし自分もまた新しい楽器にチャレンジする。 月に一度のスタジオでは前回の決め事も忘れてしまう。終わり方はこうしよう、などと話していたのだが、あれ?っとなる。しかしそれでもみんな無理やり合わせてしまうのでそこは共にプレイ…

  • 生みの苦しみ

    自分には姪っ子達がいる。姉の娘達だ。その姉は難病にかかり七年前に六十歳を待たずして他界した。今存命ならば自分の母親も今と違う老後を過ごしていたかもしれぬ。それはきっと母にとっては良い事だっただろう。そんな姉が初めの子を産んでからしばらくして彼女に聞いたことがある。それは丁度妻が妊娠した頃だった。「お産はつらいのか?」と。するとこう言うのだった。「痛いのよとても。大きな本当に大きなうんちが出る時みたいよ。」僕はため息をついた。 数日前に友人と会った。盛大な乾杯をして大きく笑った。そしてちょっと、いやかなり暴飲した。暴飲には暴食が伴う。つまりたくさん飲んでたくさん食べた。さすがに若い頃のような量で…

  • 甲斐からの山 町田八王子市境尾根・草戸山

    ・草戸山 東京都町田市・八王子市 364メートル 2025年4月26日 仲間との山登りで久しぶりに八王子に出かけた。もう引退された会社員時代の上司と、自分達と同じ会社の女性社員との、計四名。上司とは言えいまや上下もない。もちろん人生の先輩として敬意を払っている。何のわだかまりもなくこうして山歩きやその後の飲み会にもご一緒させていただけるのだからありがたい。昔の上司など会いたくなければ会わない。こうしてよく会っているのは彼と会っていて楽しいからだ。また現役の彼女たちの仕事の話も楽しい。 メンバーの中では自分が一番登山歴が長い。と言っても特に山に長けているわけでもなく体力があるわけでもない。むしろ…

  • ママのお弁当

    こんなセリフを今も覚えている。娘がよく言っていた。「ねぇママ、お願いだからさあ、ソース焼きそばをお弁当のおかずにいれるのはやめるか減らしてくれる?」と。 「なんでかなぁ?あれ入れるとお弁当箱のスペースが埋まるし、おなか持ちも良いでしょ」」と意に介さない。ママと呼ばれた小柄な小母さんは気配りはするがあまり細かいことは気にしない、しかもすぐに忘れる。なんでも笑って済ませてしまう。娘は続ける。「あれね、固まるの。お箸さすと団子みたいにボロっと取れるの」 女の子は仲間でお弁当を食べる。その際にポロリとセメントがはがれるように塊で中身が出るのは恥ずかしい。それにかぶりつくのは更に嫌だ、そう娘は心を明かし…

  • さくら吹雪

    「てめえたち言うことはそれだけか?ははぁよくぞそこまでしらを切りやがって。」ざっと着物の右肩を脱ぐとそこには見事な桜吹雪。「おいてめえらいい加減にしろ、みぃんなこの遠山桜がお見通しだぃ。」するとお白洲はざわめき反乱を試みるがすぐに差し押さえられる。北町奉行所は遠山の金さん。この啖呵は一世一代の名場面だ。 なぜ桜吹雪の絵柄を遠山金四郎は彫ったのだろう。牡丹でもよかろうに。 そう言えばこんな歌は誰もが歌った。貴様と俺とは同期の桜と。歌詞はこう続く。咲いた花なら散るのは覚悟 更にこう決める。見事散りましよ 国のため、と。最後のフレーズは今の時代ははて?となる。 双発爆撃機の腹に小さな飛行機がぶら下が…

  • 都会の苦しみ

    仲間との山登りで久しぶりに八王子に出かけた。会社員時代の上司、そして今も現役の女性陣で計四名だった。四人の中で自分が一番登山歴が長い。といってパーティのリーダーになるほどの才覚も体力もないがいつも何処の山に行くかを企画している。お約束の湯を味わいビールが美味しく飲めることが求められる最優先事項だった。 山は小さなものだが市境尾根を縦走してそれなりの満足顔があった。そして熱い風呂にビールも楽しんだ。 一年前の自分ならとことん付き合う。八王子から自宅までは一時間だったから。しかし自分は横浜から転居し今この駅から百三十キロ西の山梨県の高原に住んでいる。各駅停車で二時間半、特急で一時間半が必要だった。…

  • ボッチめし・一人酒・一人旅

    仕事のない雨の日は思うがままに寝てしまう。いつもは7時半には起きるのだが今日は九時だった。まるで荒井由実の「十二月の雨」の歌詞の通りだった。「♪雨音に気づいて 遅く起きた朝は 未だベッドの中で 半分眠りたい」と。山下達郎と大貫妙子がバックコーラスで参加しているあの歌は、冬の雨の景色に失恋したけれど立ち直ろうとす女性の心象風景がとけこむ様をとても詩的に描いている。こちらは疲れがとれずにただ眠いだけだが。 テレビをつけるとワイドショーで「一人時間の過ごし方」というテーマでの番組が流れていた。女性料理家が話をされていた。途中から見たので全ては分からないが「一人休日を楽しまれていますか?ごきげん」とい…

  • 昭南島

    自分達が結婚した年は湾岸戦争が勃発した。そんなこともありスイスに行こうと思っていた新婚旅行は取りやめた。しかし戦争を理由に戦火に包まれた中東の上空も飛ばないのに渡航を取りやめるとは全く今思えばナンセンスだった。その翌年に香港とシンガポールに旅行をした。どちらも出張で何度か行っていたので自分にとって不安のない街と言う事もあったのだろう。 太平洋戦争やヨーロッパでの戦闘などにフォーカスをあてたサンケイ出版が出していた第二次世界大戦ブックスシリーズを愛読していた自分にはシンガポールとは沼南島だった。戦時中にそう呼ばれていた。そこは開戦前までは英国の占領下にあったが開戦と共に帝国陸軍はマレー半島に上陸…

  • リハビリの一振り

    友人と芝刈りに出かけた。「どこ行ったの?日焼けしているね!」「ちょっと芝刈りへ」といった具合に芝刈りと言う言葉は使われる。道具には刃がついているわけではないので芝は刈れないけれど、地面とその上に生えている芝をこすってしまう事はある。上手い方なら芝と下土が綺麗に取れてターフを取ると言うが、そうはいかない。しかしそれがまあ芝刈りという隠語の謂れだろう。 雨で何度か予定変更がありようやくその日を迎えた。友人は足の関節の手術をしてからコロナもあり二年間ブランクが開いたという。そのせいか彼はとにかく今日の日を迎えたくして仕方なかったように思えた。 コース上にはミツバツツジが盛りで春の山の風景だった。朝の…

  • 或るセンサー

    夜道を歩いている。見知らぬ人の玄関の前を歩くと灯りがつく。悪意はありませんよ、いつもの道なのだけどとさりげなく通り過ぎるが、見張られているようで嫌だ。エレベーターが閉まりそうだ。慌てて駆け込むと扉は開く。ありがたい。スマートフォンやモバイルバッテリなどを充電中にオーバーヒートを起こすと発火せぬか?しかしなぜか火は出ずに機器の電源が落ちる。 動きを検知してスイッチが入る。電流値を検知してサーミスタが回路の抵抗値が増やす。さようにさまざまな種類のセンサー等があるおかげで家電製品も無事に動作し街の生活でも安全快適に過ごせるわけだ。電気用品安全法をクリアした製品はPSEマークを示すことが出来る。これな…

  • スギナ十字軍

    ドイツはバイエルン。ミュンヘン中央駅から北北東へ区間快速・レギオで一時間半だろうか。ある街がある。第二次世界大戦中そこにはドイツ空軍の主力戦闘機であるメッサーシュミットの工場があった。日本の群馬がそうであったように航空機の工場はまずは敵空軍の最初の攻撃対象になり徹底的に破壊される。この街にもまた米陸軍のB17が飛来してきた。 工場はもしかしたら市街地を離れていたのかもしれない。十四世紀からのステンドグラスも残る大聖堂もよくぞ戦火を逃れたものだ。アルトシュタットはまさに旧市街のそのままで時が止まった様だった。ドナウ川の流れる石造りの橋のたもとに同じく石造りの飲み屋がある。そこは小さな店でメニュー…

  • 折れたトラスロッド

    自宅から車で五分。海抜千メートルの等高線のあたりにはペンション村もあれば鉄板焼き屋や和食屋も点在している。辺りはカラマツと広葉樹の森だ。そんなペンションの一軒に車を停めた。今日はそこでフルートにバックバンドがついてのジャズライブがある。ソロのフルート奏者ではなくプロのジャズフルート奏者のお弟子さんたちがプロのバンドをバックに師匠と共に演奏するという、なかなか面白い企画だった。知らなかったが自分が移住した高原の地で十年以上続いているという演奏会だった。 なぜそこに行ったのか?それは自分がベースギターの個人レッスンを受けた師匠がそこに参加されるという案内をSNSを通じてご本人から頂いたからだった。…

  • 全国銘菓

    旅行に行く。JRの駅・高速道路のSA/PA、そして道の駅に足が止まる。お菓子とお土産そしてJR駅売店にはビール。さすがに高速道路と道の駅にはビールはないが、代わりに目覚ましドリンクがあるだろう。そして一角に目が行く。銘菓コーナーだ。土地のお菓子。それはその土地の、その旅の記憶として残る。 さてどんな銘菓を僕は知っているだろう。今あったら買うだろう銘菓はなんだろう。 北から行こう。白い恋人、六花亭バターサンド、南部煎餅、カモメの玉子、ままどおる、萩の月、白松がもなか、ずんだ餅、東京ばな奈、ナボナ、鳩サブレ、ありあけのハーバー、こっこ、うなぎパイ、信玄餅、雷鳥の里、もみじ饅頭、ひよ子・・。せいぜい…

  • 東京に来たトレーシー

    まずは木戸銭だよ。千円な。まるで胴元のように彼は手を出すのだ。ハイハイと薄い財布から貴重な伊藤博文を一枚出した。バイトで稼いだ数枚の札から一枚なくなるのは残念だが魔物のような誘惑には勝てない。 彼の部屋は台所、風呂とトイレそして二部屋あっただろうか。それは学生アパートではなく古びた一軒家でトイレはポットン式だった。そこに大きなラックがあり当時最先端のレーザーディスク、そしてビデオデッキ、立派なオーディオがあったように思う。もしかしたらオープンデッキもあったかもしれない。オーディオ・ビデオの鑑賞室でもあった。 さて何を聞くのか。彼はビートルズのファンでありチェリーサンバーストのレスポールモデルを…

  • 城壁を登った日

    人間六十年生きても、どうしても肌があう人もいればそうでない人もいる。肌が合わぬ人は時に嫌な人に思える。はてこれまで何人距離を置きたい人、苦手な人がいただろうか。 子供の頃はスポーツマンが苦手だった。小太りの少年にとって一番苦手なのが運動だったからだ。中学から高校にかけてはスポーツマンに加えイケている不良が苦手に思えた。怖かったのだろうか。大学生になり、アイビーを着こなしサーフボードを手にする学生が周りに出てきた。何を話したらよいのかが分からなかった。 うらやましさの裏にあったの妬みだった。そんな心はどうせ自分なぞ何をやっても無駄だ、という諦めに至るのだった。 社会人では課なり部なりというような…

  • 馬の街

    馬が人間の日常生活に溶け込んでいる風景は非日常的だった。都会の馬もアンバランスではあるが素敵に思う。石畳そして舗装路の上を歩くのでカポカポとかなたから聞こえてくる。近づくとまずその大きさに驚く。馬の背中の高さは1.5メートルを切るという。そこに跨ると目線は2メートルを超え3メートル近くになるだろう。肩車をして歩いている子供よりも目線が高い。さぞや視界が良い事だろう。 マンハッタンでもロンドンでもパリでも馬に乗った警官を見ることが出来る。デュッセルドルフで住んでいた家の前の道はいつも馬が歩き、彼の「落し物」は道路のそこら中に落ちていた。草しか食べないので糞はあたかも肥料のように見え臭う事もなく不…

  • 巡る季節

    仕事から戻ってまずは風呂に入る。この地に越してきてから風呂の楽しみ方が変わった。それはこの高原に幾つもある温泉に通ってからだった。温泉の露天風呂は冬はぬるめになる。まずはサウナで汗と疲れを出し切ってから露天風呂に行く。硫黄泉が匂う湯だ。そこで時折寝入ってしまう。それほど温めで心地よい。すると北斗七星はさきほどと場所が変わっている。室内に戻り熱い湯につかる。そして体を洗ってからまた入る。硫黄泉の湯もあれば肌がトロトロになる湯もある。どこも自宅から車で15分以内。温泉は選び放題だった。 自宅の風呂もぬるめの設定にしてゆっくり入る。出る時に追い炊きをしてあたためる。どうもこのぬるめの湯でゆっくり、と…

  • サンダイなにがし

    身の回りのものから好きな物やベストと思うものを三つ選ぶ、これは日本人だけだろうか。 日本三景、三大庭園、三大名城、三大奇橋、三大夜景、三大名瀑、三大祭、三大朝市、三大厄除け大師・・・全部答えられるだろうか?そしてそれは正解なのだろうか。 日本三景と三大庭園はまず間違えないだろう。このあたりは小学科社会科の教科書にも載っているから。しかしその後はどうだろう。城はどうか。現存する天守閣が最初のハードルだろうがあとは大きくて立派なものが好きなのか小さくて趣のある城が好きなのか。ネットで調べると姫路、熊本そして名古屋と出てくる。前者二つは誰もが頷く。しかし戦災で失われたとは言え名古屋はコンクリート造り…

  • 雨に濡れる桜

    東京は港区の真ん中に小さな山がある。海抜は26メートル。三等三角点が山頂にあるのだからビルが建つ前は展望もいっぱしの山だったのだろう。今では長い石段で登れる。山頂には徳川家康が建立したという愛宕神社がありその隣にNHKの放送博物館がある。愛宕山と言う天然の山だった。 そのビルには地下鉄神谷町駅から歩いて行ったのだろうか。時間に遅れぬようにと焦り小走りで緩い坂を下っていた。左手に農林年金会館とも言われていたホテルがあった。そこへ向かう途中で桃色の花びらが風に舞っていた。それは愛宕山に咲く桜だった。ああ、綺麗だな。今日は風は強いけれど晴なのだ。そう思った。 奥さんになる女性と両方の家族、仲人夫妻は…

  • きょうだい

    そこはとある街の温水プールの更衣室だった。小学校3年くらいの兄弟がロッカーで口喧嘩をしていた。 それ僕の服だよ。違うよサイズ110って書いてあるよお兄ちゃんずるい 大きな目、細い腕、タラの芽のような陰茎。二人は一体いくつ離れてるのだろう。服の奪い合い。兄の服が弟は欲しかったのか、勝手に着て既成事実を作ろうとしたのか。二人いるのに一つのロッカーを共有している。服を間違っても仕方ない。何時からそれぞれのロッカーを使うのだろうか。 二人ともバスタオルの上にゴム紐が通りタオルの両端にはスナップボタンのついたものを持っている。ポケモンは今でも子供に人気なのか。鮮やかなガラのゴム付きバスタオルだった。二十…

  • 青い軽登山靴

    何故だろうかしっかりと箱に入れて置いてあった。横浜からこの高原への引っ越しの際に多くのものを捨てたが、これは残してあった。箱を開けると青い靴がでてきた。サイズは22.5。それは小さなナイロンの軽登山靴だった。 もう三十五年も昔だろうか。当時交際していた女性とお揃いの軽登山靴を買った。毎月買っていたアウトドア雑紙の記事に紹介されていた靴だった。何かとても履きやすそうに思えた。自分もまだ山を初めた頃で経験不足で単独ならまだしも女性と、ましてや交際相手と歩くのは不安があった。きっと本格的な装備を、とでも思ったのだろう。それを履いて相模湖ピクニックランドの向かい側にある山に登った。観覧車は未だなかった…

  • 何事も待つ

    自分が大学で入学した学部は経営学部だった。辛うじて合格したのだった。他の大学の商学部、そして自分の学校ならば経済学部を志望していたがどこにも縁が無かった。経済学部と経営学部の違いも分からない受験生だった。なんだか似通っているだろう、程度の認識だった。実際の所経営学部は、簿記もマクロ経済学も、組織論やマーケティング論というその後の会社生活では役に立ったであろう講座が沢山あった。あろう、と推量で書いたのは熱心に勉強しなかったからだ。経済の仕組みは未だに分かっていない。円高も円安もああそうか、困ったで終わらせていた。もう少し勉強しておけば経済の仕組みがわかるのだろう、と今は残念に思う。 米国大統領の…

  • 東西両横綱

    かたや、北のぉ湖 こなた、輪ぁ島 そんなふうに呼び出されていたように思う。ふてぶてしいほどにどっしりとしていた北の湖と闘志が体から溢れていた輪島関、そんな東西両横綱の立ち合いは子供心にも観ていて楽しかった。 巨人が九連覇を果たしたのはチーム力だろうがやはり長嶋と王という二人が切磋琢磨して球団の原動力になっていたからだろう。初めて後楽園球場に行ったのは小学校3年か4年かは定かでないが、二人を見たときはやはり興奮した。相手は伝統の一戦と言われた阪神だったか。球場は歓声で揺れた。そんなふうに業界が盛り上がるにはこのような例を挙げるまでもなく互いを刺激し合うニ者が居ることだろう。 朝の空気は未だ凛とし…

  • ツクシなのか・・

    テレビの画面をじっくり見てはブラウン管に穴が開く。そう思っていた。流石に今はブラウン管はなくなり液晶パネルとなったがこれにも穴が開くのだろうか。が、今はそれほど熱く見る事もない。 画面には三人のお姉さんがフリルで彩られた白いミニスカートとブーツ姿で踊っていた。弾けるようなポップさがあり、何故か恥ずかしくなりじっくりと見てはいけないように思った。しかし見た。熱い視線でブラウン管そのものが爆発しそうに思えた。そもそもそんな風にかじりつく姿を誰にも見られたくなかったのだ。 彼女たちは歌っていた。「つくしぃ の子が恥ずかしげに 顔を出します」と。この後に続く。「もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませ…

  • お花見弁当

    桜に対する受け取り方は人によって異なるだろう。桜がそこらじゅうで咲いている場所ならば意外と人は不感症かもしれない。近所の人は余り桜の開花に関心を持っていないように思う。しかし都会の人は違う。東京タワーのお膝下、芝公園に会社があった時は夕方になるとそわそわし始めて、誰かが場所取りに行った。コンビニの缶ビールに屋台のタコ焼きあたりだったか。会社はその後目黒川の流れる街に移転した。ここの桜並木は圧巻だった。水質改善が進んだとはいえ今もお世辞にも綺麗と思えぬ少し臭う川沿いには提灯が並び出店も出ていた。驚いたことに桜の川を遊覧船が走っているのだった。肌寒くなるころに最寄りの浜松町駅へ、あるいは目黒駅へ、…

  • 酒飲みに来よし

    移住した高原の地は敷地の東側には沢が流れてあたりはコナラなどの広葉樹が林を作っている。川向うにはブナやアカマツの林もある。そんな木々と目の前に大きな南アルプスの眺望に惹かれた。しかし同時に新宿駅からの特急列車が停まる駅まで歩いて七・八分でいける距離だった。それはつまり林の中とも街の中とも言えた。市街地と言っても横浜とは違う。ポツンポツンと家があるだけで夜18時には人影が無くなり20時には漆黒となる。冬の夜空では北斗七星とオリオン座が向かい合って世間話をしている様を楽しんで見上げている。 家の玄関を降りて三十メートルも進んだだろうか。一軒の屋敷がある。そこでお年を召した男性がゆっくりとゴルフクラ…

  • 甲斐駒とBWV542

    車の中はオーディオ・ルーム。流石に純正スピーカーは社外品に交換した。足元の安いフルレンジスピーカーに加えダッシュボードにはゆで卵を半分程度にカットした大きさのツィーターを両面テープで貼っている。これ一つでハイハットは冴えるしピアノやチェンバロも華麗に響く、安い割には気に入っているシステムだ。 何を聴くかはその日の気分次第。ロックやソウルは高速道路。霧の夕暮れの一人のドライブにはユーミンも選ぶ。普段はクラシックが多い。オーケストラ、宗教声楽、器楽か。バッハは時と場所を選ばない。そして春はモーツァルト、シューマン。夕暮れ時のブラームスも良い。気楽に流すにはウィンナ・ワルツ。しかしそんな仕分けも意味…

  • 町の肉屋さん

    東京の中で若者に人気の街と言えば何処だろう。つい最近までは中央線沿いの吉祥寺がナンバーワンだった。ファッショナブルな若者が行き交う街だ。駅の南側にはそこでボートに乗った男女は必ず別れるというジンクスが言われる井ノ頭公園がある。なんでも弁財天様の嫉妬に会うらしい。そんな公園の北側も老舗の焼き鳥屋は外せないが駅の北側に行けば戦後のバラックの印象を残すハモニカ横丁がある。狭くて個性のある飲み屋が居並んでいる。左党ならば時の流れるのを忘れるだろう。 そんな横町を抜けるとアーケードの商店街に出る。ここも人が多いが、ひときわ人で群れ溢れお買い物の自転車も通れぬ一角がある。行列が幾重にも折りたたまれてるのだ…

  • 還暦のモデル

    一日に五百人から千人はお客様がやってくる。自分の職場はこのあたりではなかなか人気のある施設だろう。決して観光を目的とした施設ではなく工場の一部をツアーとしてお客様に見てもらっているだけなのだが。 深い森の敷地内にはなかなか目を引くモニュメントもある。だれもがそれを背景にポーズを取って写真に納まっている。制服制帽の自分は時々そんな人たちに話しかける。「お写真を撮りましょうか」と。それも大切な仕事だ。これまで何度スマートフォンのシャッターを押しただろう? 西洋人の男女二人だった。男性はニコンのフルサイズデジタル一眼を肩にかけている。レンズは何だろう。随分な大玉だな。20-70ミリズーム、Fは固定値…

  • 名店・味作

    広島の高校を卒業し東京の大学校に進学した。しかしその年からキャンパスは渋谷ではなく神奈川県中部の町・厚木に移設された。基礎課程の二年間が厚木、教養課程の二年間が渋谷だった。入学手続きと同時に学生課には厚木周辺の貸しアパートの情報が置いてあった。なぜ座間と言う街を選んだのかは定かではない。強いて言えば八部屋の二階建てアパートに共同風呂と洗濯機があるから、と書かれていたからだろう。本厚木駅は小田急線の駅だがさすがにそこより西には住みたくなかったのか。横浜で六年間を過ごしていたのだから東の海老名には土地勘があった。座間はその隣り町だった。 相模川の作った河岸段丘の中ほどに町は位置していた。小田急線の…

  • 分水嶺

    病院に行く。ガンのフォローアップは毎月だったが今は3ヶ月おきとなった。採血して腫瘍マーカーを調べる。年に1回はMRIを受ける。癌細胞よどうか再発しないでくれ、そう願いながら検査台に乗る。 病院の待合室には多くの人がいる。高血圧なのか高脂血症なのか糖尿病なのか。腎臓の病か消化器なのか。はたまた心臓がよくないのか、脳神経の病なのか。様々な病があるのだ。ぱっと見はどこが悪いのかわからない方もいる。ここで何かが見つかればこの建物の二階から上に行くのだ。かつて自分が居た七階の部屋からは丹沢と富士が見えて少し心が落ち着いた。しかしそこはガン病棟だった。病に負けて部屋から去る人も多かった。病に勝つか負けるか…

  • 霧の中

    自分の職場は谷から百メートルほど南に登ったアカマツの林の中にある。その谷を刻む川は急流をなし甲府盆地で一服をしてから再び山を刻み駿河湾に流れ出す。富士川と呼ばれている。そして我が家は職場の向かい側の高原にある。その間には高度差にして200メートルはある岩の台地がある。高原はその台地の上だ。多くの登山者が愛する八ケ岳は火山であり、爆発をして溶岩の影響を受けてその台地がある。かつては向かい合う富士山と背の高さ比べをして勝ってしまった。怒った富士山が八ケ岳を蹴飛ばしてしまい、山は八つに分かれ八ケ岳になった。それが火山の噴火だったのかは分からないが、山の本を読むならばどこかでそんな言い伝えを見るだろう…

  • 偏愛者

    こだわりの多い人がいる。多くの場合そんな人はどこかネジが外れており家庭生活を含めて「一般的な」社会生活には馴染めないかもしれない。でもそれでも構わないのだ。自分のこだわりが邪魔されずに実現できればそれで構わないのだから。趣味の世界でそれはあるだろう。何かの趣味に深くはまる。するとこだわりが生じる。こだわるからはまるのかもしれない。しかし彼らにしてみれば「拘る」ことへの幸せがあり、それが無い人は寂しい事だろうとどこかで気の毒に思うかもしれない。いや、こだわりが強いとそれ以外への世界に興味を感じないのかもしれない。 自分がここまで書くのはやはり自分もこだわりが多いからだ。しかしともにこだわる相手を…

  • おじいちゃん

    自分の祖父は香川県は金毘羅さん参りで栄えた港町で自転車屋を営んでいた。広島県の福山や宮崎アニメ「崖の上のポニョ」の舞台として描かれた鞆の浦から、小さなフェリーが瀬戸内海を渡っているのだった。そんな潮の香のする田舎町だった。小学生時代は毎夏ひと月ほどそこへ行った。母と東京に住む叔母の里帰りにそれぞれの一家が帯同したのでちょっとした民族移動だった。横浜から新幹線で岡山に出て宇野へ。国鉄の連絡線で高松の港へ。そして海沿いに塩田と山側に讃岐富士を見ながらディーゼル列車に揺られた。中学高校と自分は広島に住んで居たので広島市の宇品港から松山に渡ったこともあったが、多くは福山か鞆の浦経由だった。 屋根の低い…

  • 甲斐からの山・根子岳山スキー

    ・根子岳 2128m 長野県上田市・須坂市 山スキーとはスキーの裏にシールと呼ばれる滑り止めシートを貼り踵の上がるスキー締め具を用いてスキーを履いたまま山頂まで登り、そこでシールを剥がして滑降するという、登山の一形態だ。いろいろと近年物騒な話題を振りまくバックカントリースキーと近いが、大きな違いは山スキーヤーは自らが登山家だと思っている点だろう。地図の読み方、ビーコンとゾンデ、スコップ。そんな雪崩対策。山スキーヤーとして万全を期して山に入るので、オフゲレンデの粉雪を楽しもうとして行動不能に陥る良く報道されるバックカントリースキーと間違えられたくないと思う。自分はそんな山スキーに魅了されて三十年…

  • ハマっ子の味

    横浜には結局自分は何年間住んだだろう。3歳から12歳までの10年間、21歳から60歳までの40年間。ただし40歳の後半から五十歳の前半までの七年間は海外に転勤していた。そうはいっても50年は横浜に住んでいた。すると好きな風景と言うものが出てくる。横浜に住んでいたと言っても大半は京浜工業地帯の街で、工場の煙が見える高台に、そして六年間は横浜の西北部、そちらは産廃物処理場だらけのまったくの田園地帯だった。いわゆるヨコハマらしい風景と言うのは学生時代、そして社会人になってからの家内とのデートコースとして知った。 自分が挙げる横浜の好きな光景とは、横浜駅西口の繁華街と東口の港を見る風景、そして桜木町か…

  • 一日千秋

    今立て込んでいるのです。仕様が決まってから見積書をお送りします。すぐにご確認頂いてから取り掛かりますが、仕上がりは2027年になりますね。 二年か!随分と長いリードタイムだな、と思いながら目の前で受話器を握るご主人の電話を聞いていた。その店を訪れたのはこれで三度目だった。前回の二回の訪問は五年前だっただろう。 ツナギの作業着を着たご主人の顔、それに工具とパーツが雑然と並ぶ広くはない彼の作業場は何となく覚えていた。丸ノコ、ジグソー、サンダー、グラインダー、そんな木工用電動工具に加えてハンダゴテからエアコンプレッサーまでが置いてある。壁にかかった色褪せたミントグリーンのフェンダームスタングも健在だ…

  • ダブルスコア

    139と言うと一体何のスコアだろうか。139点も点を稼げるスポーツは?バスケットボールが近いかもしれないがそんなに多く点が取れるのだろうか。数字が多いほうが良いとするならばきっと139点は歓迎されるのだろう。ボーリングもそうだった。あれはパーフェクトなら300点だったか。 ところで数字が大きいほど悪いというスポーツもある。えーそんな点数なの?と半ばあきれて半ば笑われる。点をはじき出した人も肩をすぼめる。一体どんなスポーツ競技なのだろう? その日に初めて会った二人と組んだ。予め自分はとんでもなく下手くそです、と布石は沢山打ってあったので驚かれることはないだろうと。カートに乗り込んでインコースの1…

  • センチメンタル

    人は誰しもか悲しい気持ちになることがあるだろう。いわゆるセンチメンタルな気分と言うやつだ。自分はなぜだかそんな状態に陥っている自分が好きなのだった。 何かの曲を聞いては少しばかり感傷的になってくる。するともう少しその気持ちを先に進めたくなる。、そのためには精神状態がそうなるような音楽を聴いたり文章を読んだりする。高まった感受性を倍増させたいのだった。 音楽にそれを求めるのならどうだろう。いくつかのクラシック音楽がまず該当する。ブラームスにもモーツァルトにも、時にバッハでも味わえる。ポップスならばユーミンとして知られる荒井由実・松任谷由実だろうか。クラシック音楽には旋律と構成美から何かを感じ取り…

  • 白目は嬉しく可愛い

    白目をむくという表現はあまり好ましい印象はない。驚いたり恐怖を感じたりするときに使われるだろうから。しかし犬と生活をしていると目にするだろう。例えば彼は床に伏せている。何かの拍子で顔を上げずに見上げるならば黒目の裾に白目が見える。この表情がなんとも可愛い。そのまま自分も伏せて彼を抱きしめてしまう。 我が家の犬は眼球が突出している。短刎種と言われる、いわゆる「鼻ペチャ犬」は鼻はぺちゃんこだがそれを補うがごとく目が多きい。シーズー、パグ、フレンチブルドック、ボストンテリア・・・。目が大きい分だけそんな犬の白目は良く見ることが出来て、それを見たらその場ですべて降伏となってしまう。ゲホゲホと息を立てる…

  • 二膳の塗り箸

    大内塗と言う塗りものを知ったのは友人のお陰だった。両親は香川県生まれ、また自分も香川で生まれ、幼稚園からは横浜市民。そして広島市で中学高校と言う多感な時期を過ごした自分は「貴方のアイデンティティは?」と聞かれると、迷わずにこう答えるだろう。「瀬戸内海人です」と。横浜には五十年は住んでいたので時に「ハマっ子です」と答える。それも嘘ではない。実際自分の言葉は、色々な方言が混ぜ合わさっているから。 そんな自分の大学時代の友人の一人は山口県人だった。何かあるごとに「長州は維新のお国柄じゃ」というのが彼の口癖だった。そんな奴は大学のクラス分けであいうえお順に並んで自分の目の前に立っていたのだった。それに…

  • 瀟洒なる春

    山の作家・深田久弥の短編「瀟洒なる自然」を読もうと思い文庫を手に取った。春夏秋冬の四篇からなり、それぞれにその季節の山の思い出や随想が書かれている。瀟洒なる自然とはどんな自然だろうか。瀟洒とはあまり使わない日本語だが自分ならこんな風に使うだろう。「最近渋谷にも瀟洒なビルが増えたな」と。しかしきちんと説明せよと言われるとやや自信も無い。そこでまた広辞苑のお世話になる。1267ページにこう書かれている。「すっきりして垢抜けした様、俗を離れてあっさりしている様」と。 瀟洒という単語を自然と四季に使うとはなんだろう。自然が垢抜けしている、俗世間を離れてあっさりしている、か。確かに自然とは人間の些細な営…

  • 白い薬

    美川憲一の歌に「三面記事の女」という歌がある。1974年の歌なので古い曲となってしまった。自分はまだ小学生だったのにけだるそうな歌声とその歌詞を覚えている。 ♪ ああ、私は三面記事の女 貴方の心を見失い 白い薬を飲みました♪ ああ、私は三面記事の女 近づくサイレン聞きながら 貴方の名前を呼びました 白い薬とは何だろうか。まさかロキソニンでもカロナールでもないだろう。自分の好きなミュージシャンは多くが薬物で世を去ってしまった。ジョン・ボーナム、ブライアン・ジョーンズ、キース・ムーン、ジョン・エントウィッスル、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン・・。彼らはヘロインやコカインあ…

  • 水栓と虹

    二日前に降った雪も消えた。僅かに白いものが庭や路肩に残すのみとなった。太陽の力とはすごいもので日陰の部分の雪が残るのだが消えるのも時間の問題だろう。 今日は外気温14度と言う。高度差と百メートルあたりの気温の変化の公式で計算するならば海抜ほぼゼロメートルの首都圏は19度を超えている事だろう。長そでシャツ一枚でアウターが不要の季節に思う。 庭に四セット造って置いた薪ラック。仕入れた比率通りに針葉樹1:広葉樹2の比率で薪を燃やしていたが、ともに半分以上は無くなってしまった。替わりに我が家にはずっと暖があった。冬空に切れそうな雪を纏った甲斐駒ケ岳、氷点下の外気、そんな中家の中は薪ストーブの炎が揺れ室…

  • 深い深い雪の中で

    朝目覚めると再び外が白かった。一昨日積った雪は昨日には溶けた。そこに又積もる。葉の未だ生えぬブナにもコナラの枝にもしっかり雪が載っていた。供に若い木なのだからこの程度の雪では枝が曲がることもましてや折れる事もない。しかしナンテンの樹は雪の重みに耐えきれず何本かが枝が折れ掛かっているのだった。折れ曲がった枝はすっかり雪の中に埋まってしまった。綺麗でいて寂しい風景だった。 そんな犠牲者がいるにも関わらずに雪は構わず降り続く。枝と雪の境目は分明でなくなりあたかも枝が雪に溶けているようにも思うのだった。全く無慈悲な雪を見ながら僕は記憶の底をさぐる。こんな風景をどこかで見たな。いや読んだのだった。頭の中…

  • 窮屈な楽しさ

    ゴルフといえばお洒落でやや高慢なスポーツマンが、お金を持っていそうな腹の出たオジサンが頭に浮かんでいた。若い頃から腹は出ているものの自分には全く縁があるとも思わなかった。さらに言えば山歩きが好きな自分にとってゴルフ場はいまいましかった。豊かな緑を切り倒してコースにしているのだから。 しかし会社員を、そして長く営業部門に居ると否応でも避けられなくなってくる。海外営業の自分には無縁だと思っていたがすぐに国内も守備範囲となった。また海外顧客とも上司は積極的にゴルフに出かけては関係ずくりをしていた。上司の口癖は「出世したければゴルフは避けられぬ」だった。 しかたないな、と諦めた。安くはない出費だったが…

  • フライヤーづくり

    ちんどん屋という方々を見なくなって久しい。幼い頃自分は競輪場のある工業都市に住んでいた。駅に出るとちんちんドンドンと鐘と太鼓を鳴らしながら、ラッパが、今思えばサックスかクラリネットだろうか、物悲しい旋律が流れる。新装大開店や大売り出しの紙を首からぶら下げた彼らの顔は旅芸人のように白塗りで、着物の裾がほどけぬようにとしゃなりしゃなりと道を歩くのだった。 その地域の商店や催し物の宣伝をするのが目的なのだから物悲しい曲では人は目を貸さないし誰も寄っていかない。楽しい曲だったのに違いない。しかし幼心にはなぜか淋しく思えたのだった。白塗りの顔が妙に奇妙に見えたのか、そこに浮き草を感じとったのか、子供の感…

  • 上手の手から水が

    隠し事をしながら間違えずにしっかりと確実に進めなければいけない事項がある。会社生活では人事考課・人事委員会というものがある。部門長は部下の人事考課をしなくてはいけない。そして委員会にかけて昇進対象か昇給対象かを個々に決めていく。良い評定が三期連続しなければ昇進はしない。なかなかにシビアでもあった。そして部下に結果をフィードバックする。これはあまり好きな仕事ではなかったが仕方がない。粛々と進めるのみだった。しかし同時にまた自分も事業部長に査定されていた。さらに部下からの評価もあった。こちらは身に染みた。 名人でも失敗する、というのがこの言葉の意味とすれば、名人ではないにせよ何事も「上手の手から水…

  • 素敵で迷惑な魔法

    ここ八ヶ岳南麓は降雪はあってもさして積もらず、風の冷たさと気温の低さに耐えれば済む、そんな経験則をこのこ十二月から四ケカ月の間に得ていた。 朝六時半に火を入れた薪ストーブは薪を足すこともなく十時までは暖かい。昼は余熱にエアコンで暮らす。夕方から再び薪ストーブの世話になる。薪は針葉樹と広葉樹をそろえたので共に燃やす。火付の良い針葉樹、長持ちする広葉樹。不慣れだった火付けも今はあまり苦にならなくなった。 火を見ながら暮らすのは全く飽きないのだった。本当は何も手を加える必要もないのだが時折鉄ばさみで薪を動かしてやったりすると火が喜ぶようにも思う。20時頃には広葉樹の薪を足す。日付が変わる頃にそれは消…

  • カンフル剤

    鍵のかかる野菜倉庫に誤って人が閉じ込められた。船の食糧庫は密閉性が高い。窒息直前の所を三等航海士が救い出し彼はドクターを呼ぶ。「ドクター、カンファー!」と。 息絶えようとする人に向い若い研修医はそれでも試みる。カンフル注射を、と。しかし主治医は制止する。もう無駄であると。 いずれも小説の風景だ。船医として乗り込んだ水産庁の調査船での海外見聞録を描いた北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」。後者は渡辺淳一の医療小説「死化粧」。二人とも医師であり作家だった。 カンファーないしカンフル剤を打つ。止まりかけた心臓が復活するのだろうか。これがカンフルですというアンプルは見たこともないが、強心剤なのだろう。 …

  • 開局申請

    工事現場などで交通整理の警備員がやり取りをしている。スマホではない。「上、止めておいて」「オッケー、通していいよ」それだけの会話。電話をかけるパネル操作はおぼつかない。ボタン一つでもっと簡易にやり取りができるツール。ハンディトランシーバーだ。免許不要な無線機は出力も小さいのでせいぜい数百メートルが通信範囲だろう。 こちらは違う。無線時の出力はけた違いだ。数キロは確実に電波は飛ぶし見通しのきく高台や山頂に立つならば百キロもそれ以上も通信範囲は広がるのだ。それはアマチュア無線機と呼ばれる。国家試験に合格して書類申請をして初めてアマチュア無線局のコールサインが総務省総合通信局から発給される。そして初…

  • 貴方は誰ぁれ?

    山田洋二監督・映画「男はつらいよ」が大好きだ。実質的な作品は全48作。全作を何度も見ている。毎年の盆と暮れに放映された国民的な映画だった。そんな作品を初めは十時間を超える飛行機の機内ビデオで見た。そしてその後はありがたいことにBSテレ東でほぼ毎半期ごとに幾度も再放送してくれている。それに加えてガンで入院中に本作の好きな作品はすべてDVDで揃えてしまった。24枚ある。毎日病床で見ていた。全作ほぼ暗記してしまった。 夕食と共に酒を飲みながら見るこの映画ほど自分を幸せにしてくれるものはない。故・渥美清演ずる主人公の寅さんとは知らぬ人が見れば全く粗野で暴力的な男であり何の共感も抱かぬだろう。が映像を通…

  • ATMにて

    親の銀行預金通帳を預かっている。母はだんだんと記憶力も認知力も衰えてきている。これまでも何度も紛失してはいつも狼狽していたのだから。ここにあるよと言って収納しても次に行った時はない。そして大騒ぎをしている。自分で置く場所を変えたのだ。それを忘れている。こうして通帳を預かるようになった。 しかし自分とて何かを取りに行こうとして何しに来たのかを忘れてしまう。だんだんとその頻度が増してきた。人の事は言えない。母は時折こう言う。自分のお金なのだから手元に置いておきたいと。しかし危なくてそれは出来ない。せいぜい通帳の残高を確認してもらう程度だ。すると酷く安堵した表情を見せる。そして再び自分が保管をしてい…

  • アゲアゲで

    習慣としてNHKの朝ドラを毎日見ている。画面には現在時刻が表示されるのだから、あ、朝飯食べ終えよう、歯を磨こうと追い立てられる。結果的にここ数年はどの作品も見てきた。半年タームの番組ではあるが中では自分も途中離脱するものもある。「反省会」という言葉も見ることもあるが、それで脚本家から演者も評されるのだからつまらない話だ。 現在放映中の番組は「ギャル」がキーワードと言う事だった。最近の朝ドラは現代劇が多い。ギャルと言う言葉は平成の半ばから出てきたように思う。主人公たちはそれぞれに化粧をして可愛い服を着て繁華街を闊歩して皆でプリクラを撮る。その際に「アゲアゲー」と言を手を前に出して笑うのだった。 …

  • 今夜はおでん、ちくわぶ入りで。

    おでんのネタで何が好きかと言われたら困る。オデン汁を吸い込んだ具材はどれもそれなりにおいしくて、具材の良さがおでん汁に溶け出して開くのだから。大根と玉子は必須だが自分はちくわぶが好きだ。ゴニョゴニョとした食感はただの小麦粉の固まりだが。家庭によってはウインナーソーセージを入れる事もある。学生仲間達との安アパートでのおでん鍋でそれを知った。これもパリっと齧ると中からおでん汁が出てくるのだからなかなか美味しい。 銭湯に行った。都会の銭湯はさすがに利用者も多い。年齢別人口分布そのままに、老いも若きも入ってくる。湯船につかりながら自分は見るともなく拝見する。皆さまの持ち物を。幼児のそれは木の芽の如し。…

  • 自由な冬

    自宅の玄関の扉を開けるとそこは雪一面。クロスカントリーの板を履いてふかふかの雪を踏み出そう。ウロコ板は軽快に動き自分は自宅から真っすぐブナの森に向かう。そこには狐の足跡がありうやがてシラカバからカラマツの森になる。雪が再び振りだして手を伸ばせば結晶が手にとれる。雪はなんとそんな結晶体の塊だったのだ。 もういいかと板を返して再び歩いていく。先ほどのシュプールはもう新しい雪に消えてしまった。気まぐれで歩いたので戻れるのかと不安にもなる。森を抜けると我が家が見えた。ストーブの煙突からは薪を焼く煙が漂っている。玄関を開けて暖かい珈琲を飲む。 そんな夢を持っていた。おおむね叶い、残りは少し違う。ガンにか…

  • お先にどうぞ

    ヨコハマから山梨に引っ越して驚いたことがある。その思いはまた隣県の諏訪で強くなった。車のマナーだ。 自分も決して人に言えない運転マナーの持ち主だ。まず気が短い。瞬間湯沸かし器なのだから、かっとなるとクラクションは鳴らすしパッシングはするしアクセルはベタ踏みだ。すぐに愚に気づき何とか収めてきた。がこれらの地は根本的な違いがあるのだろうか。まるでそれが県人としてのDNAであるかのごときだった。埼玉県から越してきた移住組の先輩である友人も言うのだった。運転は荒いね、と。 まず右折しようとしても譲ってくれない。そして路側帯から道路に出ようとしても譲ってくれない。また対向車も減速せずに右折を試みる。そし…

  • ケットラが一番です

    職場は海抜700メートルの原生林の中に在る。ここ数日の積雪は日あたりも悪い場所には雪を残しそれが氷結している。この辺りを走る車は慣れたものでスタックする事もなく走っている。同僚が乗ってきた車がいつもとは違うのだった。彼は確かハイブリッドの車だったはずだったが今日は軽トラックだった。 「雪道だからね、こいつが一番だよ。この辺りの人は誰も二台は持っているよ。乗用車と「ケットラ」。」…そう言われるのだった。ははあ軽トラックの事をケットラと言うのか。 軽トラックほど日本の農作業に向いている車はないだろう。小さなタイヤだが横から見るとわかる。わが愛車ジムニーと同様に鉄梯子であるラダーフレームの上にエンジ…

  • 憧れの君

    好きな異性の容姿というものがあるだろう。学生の頃、だれもが女性アイドルのポスターを部屋の壁に貼っていた。あいつは松田聖子だった。二枚張ってあった。あの男は川島なお美だった。隣に斉藤慶子もいただろう。粋がっていたアイツは薬師丸ひろ子だった。高校の頃の自分の部屋には二枚張ってあった。河合奈保子と柏原芳恵。壁と天井に。目覚めても机に向かっても目にするのた。当時のアイドルは誰もが清純派だったのだが、華奢な女性から豊かな女性迄とそれぞれにファンがいたのだった。自分の好みが後者なのは言うまでも無かったのだろう。好みがあるとは女性とて同じだろう。学生時代の友人には妹さんがいたが、田原俊彦のファンクラブに入っ…

  • 木曽路

    「木曽路はすべて山の中である・・。」 何という魅力的な一文だろうか。これに匹敵する小説の冒頭の文章はこれしか知らない。「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」いずれもここからどのような話が進むのだろうか。そんな読者の想像力をかきたてる一文だった。 前者は島崎藤村の「夜明け前」、後者は川端康成の「雪国」…。こうして種明かしをしていくとだんだんとつまらなくなっていく。場所など架空で読者の想像の裡に広がるべきだろう。前者は高校生の頃に読んだはずだがうろ覚えだ。後者は大学生になってから読んだ。記憶が正しければ前者は明治政府に世が変わりその流れについていけない人の悲劇を描いていたように思う。うろ覚え…

  • ひな祭り

    スーパーに行った。ひな祭りの音楽が流れていて彩鮮やかなちらし寿司が並んでいた。バレンタインデーのチョコレート、その一月後のお返し、フードロス問題が話題となった節分の恵方巻など、季節に応じたマーケティング努力の賜物と言える食べ物が多い。ひな祭りのそれはちらし寿司なのだろうか。これをこの日に食べるとは一体いつからだろう。 娘たちが生まれた時から作って来たよ。そう家内は言うのだった。そう言えばそう思うし確かにそれを楽しみにしていたことも思い出した。木のおひつで混ぜ合わせていたな。そして娘たちは楽しく食べていた。 我が家にも雛人形が居た。やはり家内もそれを玄関に飾っていた。顔立ちが古い、よくいえば雅な…

  • 春の魔笛

    急速に春めいてきた。家の扉を開けたら空気が丸いのだった。雪を纏った甲斐駒は相変わらず剛毅として暖かい空気を寄せ付けないように気張っている。しかしそんな努力の甲斐もなく少しづつ空気の柔らかさに稜線が溶けていくのだった。こんな朝に車に乗る。車中で一体何を聴こうかと考える。しかし迷う必要もない。春の訪れにはモーツァルトが素敵に思う。なんといってもわくわくさせてくれるからだ。 交響曲かな、ピアノ協奏曲か・・。大ミサにしてもレクイエムにしても宗教曲は春の朝は遠慮願おう。選んだフォルダはオペラの序曲集だった。オトマール・スイトナーがシュターツカペレ・ベルリンとともに録音した一枚を良く聞いている。フィガロの…

  • 甘党なんです

    コラッと叫んでしまった。ついでにポカンと殴ってしまう。すると彼は尻尾を巻いて隅に行くのだった。 またやられた。前は「信州安倍川餅」だった。そしてその前は「西新井大師の栗もなか」だった。口の周りにきな粉がついていた。そしてもなかのかけらが散っていた。すべては車の中の出来事だった。お土産で買ったものを持ち歩かずに車の中に置いておくと十分も経つとやられてしまうのだから困りものだった。 どうやってプラスチックのケースを箱を開けるのだろう。彼には二本の前脚と口しかない。足の爪も刃も形だけで猫のように鋭いわけでもないのに。ケースの壊れ方を見れば前脚で押さえつけ首の角度を何度も替えて全く切れ味の悪そうな犬歯…

  • カタルシス

    大学へ向かうバスの中だった。何の因果か入学が決まった大学の場所はその年から基礎課程の二年間は神奈川県厚木市に出来た新しいキャンバスとなっていた。東京は青山通りにあったキャンバスは三・四年生の専門課程からだった。初めからそこに通いたかったのだが仕方がない。厚木といえばマッカーサー将軍がタラップを降りたあの旧海軍航空隊・現米軍基地の街かと思っていたが違った。基地は大和市と綾瀬市にあり、厚木市は相模川を挟んでそれらの街の西側にあった。しかも市の大半は丹沢とその前衛の山に覆われている場所だった。実際真新しいキャンパスからは丹沢の、とりわけ大山が大きく見えた。そんな場所にあったので小田急線・本厚木駅から…

  • 天気予報

    朝目覚めると何をするか?まずは枕元で充電していたスマホを手に取るだろう。未だインターネットも無かった頃は目覚めるとすぐに新聞を取りに玄関へ行った。第一面の右下あたりに確か小さく天気図が載っており各地の天気予報がある。前線の有無を見て東京の予報を探す。今日は雨かとがっかりする。次にスポーツ面を見る。昨夜の巨人はどうだったのだろうかと。お、桑田が完封か。勝ったな!そして三面記事へ。殺人事件、ビル火災、嫌な世の中だ、と。 そんな新聞を取らなくなって久しい。手のひらの端末があれば欲しい情報は直ぐに手に入るのだから。しかし何かが足りない。天気図だった。 山の一夜を思い出していた。テントの中で目覚めたなら…

  • 甲斐からの山・スノーシューの入笠山

    ・入笠山 1955m 長野県富士見町、伊那市 我が家の目の前には南アルプス北端の尾根が東西に伸びている。真正面には「鉄驪ノ峰・碧芙蓉」と漢詩にも詠まれた海抜2966メートルのくろがねが屹立している。甲斐駒ケ岳だ。その左手は鳳凰三山が高さを競う。そんな尾根の東端を辿れば、稜線が日本のヘソともいえる諏訪湖に落ちる手前に入笠山がある。1995メートルの山だ。 入笠山は山頂近くまでスキー場のゴンドラが伸びる。その終着駅からスキーやスノーボードに戯れるざわめきを離れて西に向かうと手頃なバックカントリーエリアになる。といっても今は木がうるさくなってしまいスキーには不向きだろう。入笠山にはもう二十年も前にス…

  • 卒業証書

    帰宅したら緩衝材に包まれた正方形の封筒が届いていた。何だろうと手に取り裏面を見て驚いた。と同時にとても嬉しかった。授業料という謝礼の代わりに一回当たり時間の許す限り、そして何度も教えていただいた。言ってみれば先生と生徒という関係だったのだ。学びたいから教わる。求められたから自分の知ることや技を教える。代金を支払い受け取る。これ以上も無いドライな関係でもあるが、そこは血の通った人間同士の話なのだからどうしてもウェットになるのだろう。 教え子と名乗るには出来が悪すぎるのだが、いま「それは誰に習ったの?独学?」と聞かれるならば胸を張って答えるだろう。「ヨシ先生に教わりました。先生の弟子なんです。一番…

  • 革靴の試練

    晴天の朝だった。気温は氷点下で北西からの風もあったがこの季節は仕方がない。今日を有意義にしよう。近くの山で軽い雪山登山をしよう、そう考えて準備を始めた。 するとスマホにメッセージが届いた。「細板と革靴でこれからゲレンデに行きませんか?」と。おお、スキーの誘いか。スノーハイキングは何時でもできるな。参加の意を伝えた。二つ返事だった。 そんな友人は我が家から車でニ十分程度の場所に住んでいる。彼とは上信越国境のとある山頂で全くの偶然に出会った。そこは「山スキー」と呼ばれるスキー登山をする者にとっては有名な山だった。ブナの森が続きその中を滑り止めを板の裏に貼って踵の上がるスキー板で登る。山頂に着いたら…

  • 勇気百倍

    勇気百倍、そう言って飛んでくる。顔が濡れると力がなくなる。と「新しい顔よー」といいながらなぜか此方から焼きたての顔が飛んできて入れ替わる。すると悪の計らいごとをする悪いやつはパンチを受けて飛んでいく。バイバイキーンと言いながら彼方に消えていく。 初めての子供は生まれてからしばらくの間、彼が好きだった。彼女はそのグッズを見ると喜んだのだからすぐにそのキャラクターグッズで我が家は埋まった。彼女が初めて覚えた日本語はそのキャラクターの名前の冒頭、ひらがな4文字だった。そのアニメはなかなか面白く自分もすぐに虜になった。あげく大きな声で歌い踊るのだった。ちょっとした子供の集いがある。誰もが大騒ぎだがこの…

  • 従業員募集

    そこはとあるパン屋だった。ここ八ケ岳山麓はパン屋が多い。ガイド本も出ているほどの激戦区ともいえるだろう。ブランジェリーを目指したものから一般的なベーカリーまで。天然酵母にこだわる店、動物性材料を使わない店。多くの店は森の中にひっそりとたたずんでいて知らないと通り過ぎるだろう。それらを探訪するのも楽しいものだ。 そんな中、県道沿いの店に立ち寄った。二度目の訪問だった。バゲットを探していたのだがそれ以外のパンにも目移りした。入り口に「パート・アルバイト従業員募集」との張り紙があった。奥から出てきた店主は「いらっしゃいませ」と低い声で言うのだった。 会計を済ませて聞いてみた。あの、扉の従業員募集です…

  • 冬晴れ

    昼食を家内と食べていた。その日は会社の創業記念日で午前中で仕事は終わりだった。たまには昼飯でもと家内と出かけた場所は横浜の中華街だった。食べかけの頃に電話が鳴った。「家内が亡くなりました」と。 それは義兄からだった。その前年の夏過ぎに、姉が不治の病にかかっていると知った。癌が治療可能な病となった今、不治の病とは何だろう。 その数か月前に近所のスーパーで姉を見かけた。姉夫婦は偶然だったろうか自分と同じ町に住んでいた。姉は買い物かごを下げた自分を見てはそのまま目の前を素通りしていった。しかし笑顔だった。そして数分後に目の前をまた通りすぎた。今度は自分を認識したようだったがそのまままた去って行った。…

  • 二十年以上前の靴

    まだまだ綺麗な靴だった。防水ワックスをしっかりと塗り込んだ。靴先のコバが長くて出っ歯なのには理由がある。その裏面は三つのピン穴が開いている。そこに三つのピンをうまくはめ込み上から金属のブレードで抑え込むのだった。それはテレマークスキーの締め具だった。スプリング式のシリンダーのついたワイヤーを引っ張り上げることで靴の踵を押さえ込むこともできるが、つま先の三つのピン穴に板の出っ張りをはめて靴の母指球までを押さえ込むことも出来る。前者の方が板と靴の一体感は高まるが後者は歩行感覚が軽い。 テレマークスキーセットを初めて買ったのは2003年だった。なぜそんな事がわかるかと言えばその板に販売店のシールが貼…

  • ドキドキそしてワクワク

    いや、それちょっと違うんじゃないかな。そう言われるのではないかと不安もあった。全くの自己流だからそれも仕方ないなと。しかしまあやってみよう。手のひらに乗る小さなケースをギターケースのポケットにしのばせた。スタジオで隠れるようにポケットを開けた。プラスチックのケースに大切に包まれている。ケースの中から出てきたのは穴が10個のハーモニカ。小学生が手にする上下二段のものではない。俗に言うブルースハープだった。 バンドの課題曲の一つにカントリー色豊かな曲がある。ザ・ローリング・ストーンズはロンドンの下町で生まれた。追体験でしかないが1960年代はブルースやリズムアンドブルースの影響を受けたバンドがロン…

  • 遠い二十五メートル

    初めて泳げたのは小学校何年生だったか。ただ仰向けに浮かんで足を動かしたら動いたのだった。「泳げる」のうちにも入らないだろう。子供のころから喘息があり水から上がるとなぜか発作が出るのだった。そんなこともあり体育の授業の水泳の時間はいつもお休みだった。泳げないまま大人になってしまった。 25メートルプールでしっかり泳ぐ、そんな事を再開したのは50年振り以上だが全く泳げなかった。しかし三度、四度と足を運ぶと少しだけ上達したように思う。しかし全くの無手勝流なのだから25メートルのうち何度も足をついた。浮きロープで区切られた隣のレーンのご夫婦は上手かった。奥様は平泳ぎで、旦那様はクロールだった。もう一つ…

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