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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 兄弟の会話

    - 兄さん、なんで僕らは今日四トン車に載せられてこんなところに来たのかな。大きな機械で吊り下げられて掘った穴に入れられてさ、挙句向きが悪いとかでぐるりと回されて目が回りそうだったよ。だけど今迄と土の味が違うよね。まぁ接地したら根っこの周りに沢山水を埋めてくれたから喉の渇きは取れたけどさ・・・。 - お前覚えとらんのか?数か月前に禿げたデブオヤジが来ただろ。敷地の中を歩き回って、これとこれがいい、って言ってたことを。 - なにそれ?僕は広いあの敷地が好きだったな。ナラ君、アオダモ君、ソヨゴ君、サラサドウダンちゃん、ヒメシャラちゃん、ソメイヨシノちゃん、沢山いたのにね。今朝突然のお別れだったよ。そ…

  • とうげみち

    峠の駅に降り立った。その峠の東側から流れ出る沢は東へ流れ南進して相模川となり相模湾に流れ出る。その峠の西側からはいくつもの流れをあわせて富士川になり駿河湾に注ぐ。甲州街道の最大の難所とよばれたその峠はそんな分水嶺でもあった。 峠には昔ながらの峠道だけではなくトンネルが幾つもある。今の甲州街道はトンネルで越えている。峠近くに旧道トンネル、その下に国道の走るトンネル、更に中央高速はもっと立派なトンネルで越えている。JRは別のトンネルで越えている。自分はそんな峠道を人力で、自転車で、オートバイで、自動車で、幾度となく超えていた。初めてその峠を越えたのは十八歳だった。神奈川県中部の街で学生生活を始めた…

  • 祈りと力

    聞く音楽の世界には子供の頃にクラシックで入った。演奏する音楽の世界には学生時代にロックから入った。 クラシックは器楽曲・交響曲がとっかかりだったが年齢とともにミサ曲・モテット・カンタータ・オラトリオ・レクイエムなどの宗教合唱曲を聞く事が増えた。そこには神への祈りや清やかな厳かさがあり魅了される。ロックは1960年代後半からの英国ロックに熱中していた。それがいつのまにかソウル・ブルースといった同時代のブラックミュージックを聞くようになった。よく考えれば、当時の英国ロックは白人によるブラックミュージックへの憧れが形になったものだった。自分がバンドで演奏するナンバーもロックからブラックへ、更にルーツ…

  • 特権

    色白で線が細い。咳き込むと体をくの字に曲げる。そんな人なら心の細やかさが尖り、人が感じない物を感じ取り、見えないものを見ることができるだろう。健康な人には縁のない世界を。 子供の頃からそんな姿に憧れていた。自分は咳が出ると止まらず気管が狭まり立っていられなかった。喘息と診断された。色白ではあったが肥満体だった。痩せていないから見られなかったのだろうか?特別な風景を。覚えている景色としたら病院の白い壁とネブライザーの水煙だけだった。 冒頭の人物にはモデルがある。明治から昭和戦後の作家、堀辰雄だった。「風立ちぬ・美しい村」を読んだ方も多いのではないだろうか。リリシズムというべきだろうか、清潔だった…

  • コンビニの割引券

    これよかったら使ってよ。 そう娘は何枚かの券をわたしてくれた。それはコンビニエンスストアで特定の商品を安く買える割引券だった。少しでも安いといいでしょ、と彼女は付け加えた。そこには主婦の顔が確かにあった。 父親の一回忌の為に住み慣れた街へ帰ってきた。東京23区を除くと日本で一番人口の多い街だ。引っ越した高原の家にその日のうちに帰るのには無理があり、娘の家に泊めてもらった。三年前に結婚し旦那と二人で買ったという家に一晩厄介になるのにはためらいがあった。嫌ならそうは言わないだろうと思い家内と犬とで言葉に甘えた。 旦那様が帰宅した。彼とは何度も酒を交わしていたのでその時間は楽しみでもあった。娘は彼の…

  • 答え探し

    高さにしてゆうに十五メートルは超えているミズナラの林だった。僕は夜のウッドデッキに出て風のままに揺れる暗い林のシルエットを見ている。夜も更けて上着がないといられないほどの冷気があたりをつつむ。我が家の裏手には沢がありそこにはミズナラの林が茂っている。僕はその沢と林が気に入りこの土地を選んだ。沢音は時に控えめに時に豊かに水の存在を教えてくれる。ミズナラは落葉広葉樹であり今こそが一番緑にあふれている。沢音を聞きながら夜の闇に揺れるシルエットとなったそれは僕は飽きさせない。 風は普通北から吹き下ろすか西から山裾に沿ってやってくる。しかし今夜はなぜか東から吹いていた。林は北風にはめげずに立ち向かうのに…

  • 恐れすぎなのか

    もう何十年も昔だろうか。共に山を歩いた事は無いがグループのメンバーとして知己のある二人の山仲間が越後の山で救助された。今でいうドクターヘリに乗ったと聞いた。その原因はスズメバチだった。スズメバチに二度刺されると初回時に刺された際にできた体内の抗体が過剰反応を起こしショック状態を起こす。アナフィラキシーショックで下手をすれば死に至る、そんな話を聞いている。彼らは初回だったのか。それが原因か、うち一人は登山から遠ざかってしまった。また、別の山仲間はエピペンという自分で注射するアドレナリン注射薬を携行していると聞いた。ハチに刺されたらこれで治療を受けるまでの間持ちこたえるという。 そんな話と前後した…

  • 横浜の味

    五十年近い年月を横浜市民として過ごした。当然ながらその地の食べ物に好きなものが多い。港があり西洋文化が入ってきた。華僑もまた住み着いた。洋食そして中華。横浜の食文化はその地を離れ山梨に住む今も懐かしく、時折接したくなる。決して遠い場所ではないので行けばよい話なのだが。 中華街ならあの店、洋食ならここ、ラーメンならこちら。そして駅弁ならこれ。スイーツはあれだろう…。何十年も同じ街で生きて来たらそんな好みが出来ても不思議ではない。中華街のあの通りの角地。唐辛子と山椒の香りに包まれるあの店だ。文豪の愛したシュウマイの店は?伊勢佐木町のあのシンプルなラーメンは支那そばとも言うべき奇をてらわずに今も昔の…

  • 話好き

    六年間欧州で生活をしている間に、出張や一時帰国で何度も帰国していた。飛行機を降りると同じ人種ばかりでさすが母国だといつも思っていた。しかし入国審査で最初の違和感があった。それは税関を過ぎて鉄道やバスの切符売り場で、構内のコンビニでさらに膨らんだ。誰も挨拶をしようとしないのだった。入国審査官には黙ってパスポート差し出すだけだ。口を開くのも無駄と言わんばかりに税関を抜け切符を買い求め商品を買う。 見知らぬ人とは会話をしない。挨拶もしない。いつかそんなスタイルに馴染めなくなっていた。外国かぶれだろうか?一言、こんにちはと何故言わないのだろう。コンビニレジで挨拶をしたら不思議な顔をされてしまった。 自…

  • Vin de Shih Tzu

    山梨県、今となっては自分が住む県。人にはそこは便利なの?とも聞かれるが、さて便利とは何だろう?いつもの通り広辞苑を開けてみる。都合の良い事、上手く役立つこと、そう岩波書店は書いている。都合が良いか悪いのか、役立つか役立たぬのか。それは個人の判断であり客観性が介在せぬ、主観の世界だと理解する。実際そこには都心に一本で出られる鉄道や高速道路がありスーパーマーケットもコンビニもある。とは言え列車は三十分から一時間に一本でありスーパーもコンビニも歩いて十五分はかかる。便利か否かはその個人の価値観だろう。 図書館があり様々な音楽会がある。深い森、水が美味しく空気は透明。モモやブドウはたわわに実り新鮮なも…

  • 日々これ好日

    自分が移住した街にはアウトドア雑誌や山梨県の地元新聞社に稿をよせているライター氏が住まわれている。彼はバックパッカーとして日本中、いやアパラチアントレイルやオート・ルートをはじめとした海外のトレイルもバックバッキングで歩きそれを紀行として記事にされていた。その雑誌は自分が十代のころからの愛読書だった。 この街に引っ越して早い段階でライター氏が自分で建てたログハウスを訪れた。そこには旅人小屋と称し、彼と同様に徒歩や自転車などで旅をする人が安く泊まれる小屋もあった。又奥様がカフェを営まれている。僕はそこに彼が初めて出版した文庫本の第一版や幾つもの単行本を持って行った。サインをしていただいた。夢心地…

  • 定番は悪くない

    自分の楽器は癖もわかり愛着がある。しかしリハでスタジオまで持っていくのも重たく面倒だ。エフェクターを試したいときなど、ステージが近くなってきた時、そうなると自分の楽器を持っていく。もっとも自分の楽器とエフェクターで音を作っても本番のハコにより肝心のアンプも違うのであまり意味がないかもしれない。 暫くリハが続きそうだったので自分の楽器を持っていくのは止め、スタジオで借りている。エレクトリックベースは大きく分けて二種類。米国フェンダー社が1597年に世に出したプレシジョンベースと改良を施し1960年にロウンチしたジャズ・ベース。プレべとジャズべの二つだ。正確には1950年にもう少しシンプルなベース…

  • 御茶ノ水 譚

    香川の高松で生まれた自分は三歳になる前に親の転勤で横浜に引っ越した。鶴見という京浜工業地帯の街に父の会社の社宅がありそこに住み始めた。昭和四十年代の前半といえば海岸の工業地帯もフル稼働で、高台の社宅からは沿岸部の工場の煙や炎が見えた。そんな空を飛行船がゆっくり飛ぶ。川崎駅あたりのデパートのものかアド・バルーンも飛んでいた。懐かしいといえばシニアの独り言になるがそれは確かに昭和のよくある風景だった。 そんな場所に住んだからかすぐに自分は喘息に罹患した。発作が起きるとうつ伏せになり背中を丸めて呼吸した。ネブライザーもテオフィリン製剤も当時はなかったのだろうか。耐えるだけだった。自分の家を持とうとし…

  • 我が街の駅そば

    駅そば好きだ。駅そばとは駅のホームや構内にあるソバ屋。それについて文庫本も出ているほどにマニアも多いと推測する。今は昔となったがそれでも安い。早い。美味しい。昔の牛丼屋のようなキャッチフレーズだろう。 駅そばの最大の魅力は立って食べること。そこには常に急かされているという背景がある。乗り換えの五分間。入線までの七分間。勝負はそれだけしかない。店のおばさまは三十秒もあれば作ってしまう。茹でる。乗せる。汁をかける。具を乗せる。5つのアクションだ。こちらは七味だけかけて即座に頂く。これが美味い。言うまでもないが時間的制約が強いほどに、急かされればされるほどに、美味しさは増す。 昔ならばプラ容器に入れ…

  • 好いですねそれ

    小さなサイクリングをした。雨を承知で走ったのは前回の走行が自分にはやや不本意だったからだ。我が家から隣県の長野は近い。そんな長野県まで県をまたいで走ってみた。アカマツから草の原へと進む往復十六キロは良いルートだった。途中で何かのトラブルがあり走れなくなった時を考え輪行袋をも携行したがそれは不要だった。 地元の駅に戻ってきた。我が家はすぐそこだが駅前で一休みだった。前回のツーリングではギアの歯飛びがあった。車輪を嵌め直して挑んだショートランだったが結果は同じだった。八段カセットの特定のギアにチェーンが乗るとガタガタと飛ぶ。そこは常用のギアだった。歯飛びだな、と検分していた。 「好いですねそれ!ト…

  • くにさかい

    昔から長野が好きだった。信濃の国だった。山と高原に憧れを持つようになったのは何故だろう。生まれた讃岐の国で山と言えば讃岐富士と言われている飯野山だった。平野は狭く海岸沿いには塩田が、平地にはため池がそして思い出したように盛り土のような山が幾つもあるだけの平野だった。初めて長野の地を訪れたのは十八歳だっただろうか。オートバイツーリングだった。白樺湖から美ヶ原あたりまでの高原道路を走った。そこは草の原や高層湿原もありカーブするたびに高く屏風のようにアルプスの山々が見えた。別天地だった。以来信州に対する憧れが自分の中に根付いた。長野・信州・信濃。どれも同じ場所だがやはり信濃の国と言うと自分の感情は刺…

  • 香しき煙

    赤提灯はただでさえ魅力的だ。仮にそれが何軒も並んでいたとする。ある一店でもし路端の窓からオヤジさんが焼き鳥を仰ぎその煙が通りに出ている、あるいはオニイサンがハッピーアワーです、どうですかぁと呼び込んでいる。さてどちらに行くだろうか。 ハッピーアワーもありがたい話だが、ここ数年、酒には急激に弱くなってしまった。安い事はありがたいが沢山飲めるという事への魅力は減ってしまった。しかし焼き鳥の匂いは吸引力がある。あれよあれよと暖簾をくぐるのだ。まずは中生で、そうねぇ、四、五本焼いてください。そんな適当な注文をするだろう。 出てきた焼き鳥は人によっては串を外すのはけしからんと言われる人もいれば積極的に外…

  • 悩める大福帳

    大福帳とは好い名前だな。かつて放映されていたドラマ、時は幕末。商家に嫁いだお嫁さんが大福帳を見せてもらうようにご主人に頼むシーンがあった。如何にも幸運をもたらしそうな大福帳という名前はそれで知った。今でなら家計簿だろうか。いやむしろ大福帳は金銭貸出台帳ともいうべきだろう。掛け売り明細。売掛金管理だろう。 自分は金銭に関してはルーズな方だった。もともと几帳面ではないが金銭に几帳面でないと困る。海外営業部に配属された新人にとり、当時行われていた銀行が発行する信用状・L/Cを使っての海外の会社との決済の仕組みは分からなかった。しかし必要な書類を纏め銀行に提出する社内部門に持っていけばあとは銀行間の話…

  • 沸点低下

    気温は海抜百メートル上がるごとに零点六度低下する。山ヤとしてはそれは山行時の服装を考える際に無意識に計算してしまう。 山でテントや避難小屋に泊まる場合には沸点が気になる。以前は白米を焚いていた。しかし海抜三千メートルの稜線で米を炊くのは難しい。水の沸騰は百度とは誰もが知る。しかしそれは海抜ゼロメートルの話。海抜三千メートルでは九十度とネットに出てきた。体感としてはもっと低い。その温度では煮炊きに掛かる時間は変わるだろう。 標高の高い所に住んでいるからか、自分は沸点が下がったことを意識している。いや、それは違う。昔から低かった。脳の手術をしてからはさらに制御が効かなくなった。七十度か八十度で沸騰…

  • 高原への道

    等高線で見ると緩やかに見える。下見でも車で何度か走ってみた。コースの半分は森の中で日差しも遮られるだろう、そう思った。 会社時代の先輩お二人が泊りがけで遊びに来てくださった。入社した部門の先輩と他の部門の先輩。ともに海外営業のお二人だった。先輩からは多くの仕事ぶりやビジネス英語を教えてもらった。しかし、むしろ仕事よりもアウトドアの遊びをともにしていた。マウンテンバイクで野山を走り河原にテントを張った。その後誰もが違う道をたどり音信も途切れたが、何故だろうまたこうして会うようになった。SNSで互いの生息を確認するのは難しくなかった。再びサイクリングを共にしてゴルフクラブを手にしてグリーンの上に立…

  • 闇夜のデッキ

    夕食後。ウィスキーを飲みたかった。今日一日は庭仕事だった。庭の防草シートを剥がして燃やすごみの袋に入れた。それは十五袋に及んだ。そして混合燃料を補給して狩り払い機のエンジンを入れた。心地よく歯が回り僕はまるで破壊王のように雑草を刈り払った。野生のアスパラガスやフキなども落としてしまったが、根を絶やしたわけではない。また来年会えるだろうと、思いさっぱりアクセルを握った。おかげでスギナに覆われていた我が家の庭の大半は綺麗になった。あとは仮払った雑草を草に入れて捨てるのだがそこまで気力が持たなかった。八ケ岳から吹き降ろす風に刈った雑草が吹き飛ばされぬように一箇所に纏めた。自然に腐りいなくなるだろう。…

  • 森のナポリタン

    ナポリタンを食べたい。そう思う事が多い。たまたまだろうがSNSでナポリタンがらみの投稿をよく見る。あのケチャプの濃厚な味が欲しくなる。もっともきちんとしたナポリタンを余り食べたことがない。自分が子供の頃に母の作ったスパゲティ料理はそれに近かったのかもしれないが母とて何処かで食べたわけもないだろう。パスタのケッチャプ炒めに近かった。大学の食堂のメニューにもありそうだが、こちらはミートソースだけだった。ほぼ唯一の体験は四十歳を過ぎてから、横浜の野毛にある老舗の洋食屋で食べた。これは実に美味しくフライモノやオムライスとのセットが今でもお気に入りだ。この店しか知らないが確かにそのスパゲティはお釣りが出…

  • 嬉しい副作用

    何時からだろうか、「お薬手帳」という冊子が登場しそこに自分が処方された薬が時系列で記録されるようになったのは。それまでは医師の診察を受けてから病院で薬を貰っていた。ところがやがて病院は処方箋だけの発行と変わり、薬は処方薬局で貰うようになった。そんな医薬分業は1990年代に一般化したという。 2000年代に転勤したヨーロッパでもすでに医薬分業が行われていた。薬は薬局で。ドイツではアポテーケが、フランスではファーマシーがそれだった。どちらも看板のマークは統一化されていて赤のAマーク看板、緑の赤十字看板を探せばよかった。日本の処方薬局には統一されたマークが無く、インバウンドの方には解りずらそうに思う…

  • 学友

    学生時代の仲間二人が我が家に遊びに来た。年賀状のやり取りだけとなった関係から久しぶりに会おうと切り出したのは僕だった。そしてこの数年の間に何度か会ってきた。 S君は今や行税書士事務所を四軒経営している男だった。学生時代からすでにサラリーマンではなく公認会計士を目指していた。それが行政書士に落ち着いたとしても、満願成就だな、と思った。定年など存在しない。働ける限り働けるのだから。あまりメジャーではないこの職業を日向のものにしたいという彼の思いはすでに都内と横浜市に支店を多く構えている時点で達成していると思った。 もう一人のM君は学校卒業後に就職した会社がいくつも分社化した影響もあり、今は当時とは…

  • 苦労とご褒美

    ああ、極楽だぁ。 頭にタオルを載せたオトウサンが唸った。彼は八十歳を超えているだろうか。するとたまたま鉢合わせただけと思われる男も頷く。まったくですねぇと。その男は還暦を越えているだろう。禿げ頭でお腹が出た初老の男だった。天空は蒼く渡る風は心地よい。湯は硫黄の匂いが漂うが熱くはなく、肌がすべすべするように思える。 男は考える。こんな時に確かに自分も「極楽」と口にするだろう。勿論その前に「ウーッ」や「アーッ」と唸ってからだ。一体なぜ、唸った上に極楽というのだろうか?そもそも極楽とは、なんだ。極めて楽しい?楽しさの極み?何げなく使ってはいるが。男は不明があると広辞苑を開く。デジタル社会を生きるアナ…

  • 寝言

    暑いさなか、犬は板敷きに横になっている。気持ちが良いのだろう、寝ている。しかし時々何か唸る。寝言だろうか。犬語は理解できないが何と言っているのか気にはなる。 家内も時々寝言を言う。急に唸ったり、ああ、と声を出すこともある。明瞭な言葉をしゃべることもある。そんな時申し訳ないが起こしていまう。おい、どうした?悪い夢か?と。大抵の返事は、どうしたの、夢?どんな話かなあ、とひどくのんびりしたものだった。夢の中身を問いただしたくなるのは何故だろう。一時自分は寝床にノートを置いていた。夢を見ると大抵尿意で目が覚めるがそんな時どんな夢だったのかを書くようにしていた。しかし寝ぼけ眼なので字は支離滅裂で後から見…

  • 待ちわびたよ

    忠犬ハチ公を知ったのは幼稚園の時だっただろうか。渋谷という街に銅像があるという。そしてハチ公にまつわる話を聞いた時に、自分の犬に対する思慕は高まった。以来、ずっと犬が好きだ。当時東京都大田区に住んでいた叔母の家に何故泊まりに行ったのかは覚えていないのだが、叔母に頼んで渋谷のハチ公を見に行った。アオガエルの様な電車が記憶にあるのでそれは東急池上線だったかもしれない。五反田で乗り換えた。銅像は思ったよりも小さかったが、これがあの犬か、と嬉しかった。渋谷にキャンパスのある大学に進んだ。ハチ公は飲み会の集合場所となり馴染となった。七年間亡くなった飼い主の帰宅をこの駅で待ち続けたという。なんともいじらし…

  • 裏返し

    週に三、四回程度、日が落ちる時間帯に一時間程度ノルディックウォークをしている。高原の空気が冷えてきて歩いていても心地よい。ポールを突いて後ろに突き出すように動かす。時折ポールはグレーチングの穴にはまってしまい動きが止まる。カーボンのポールが折れてしまったら困る。グレーチングが続く路肩を外しやや車道寄りに歩くようにした。 平地や下り坂では前を見て歩くが登り坂では足元を見る。前方に何かがあった。石ではない。近づくと渦巻の殻だった。カタツムリだろうか。 なぜ路肩の雑草から五十センチ以上横に出て車道に居るのかが分からない。近づくとぬけ殻ではなかった。ナメクジの様な本体が殻から出ていた。アスファルトはま…

  • ハローワーク

    昔は「職安」と言われていた。今ではハローワーク。名前が変われば印象も変わる。その建物には以前ほどの悲壮感を感じない。就職した会社で会社人生活を全うする人は今はいかほどの割合だろうか。終身雇用という仕組みは消えた。しかし自分が社会人になった頃は社会は未だそんな神話を信じていた。 都市銀行や証券会社などで不良債権や不正会計などで消えていくものもあったが経営陣は泣く泣く謝っていた。従業員には罪はないと。しかしそこから数十年、今では人員整理や希望退職という名称はよく聞くようになった。会社は存続・発展のためにある。その為にはかなり大ナタを振るわなくてはいけないこともある。バブルの崩壊、リーマンショック、…

  • 夜の散歩道

    一日を病院の待合室で過ごした。とても混んでいた。二科を受診しようとしたのだから時間がかかっても仕方がなかった。朝十時前に家を出て診察を終えたら十四時だった。外に出てホームセンターで培養土を買った。庭木を少しづつ植えようと考えていた。 帰宅したら疲れてしまった。遅い昼食を食べると眠くなる。今、自分は自らの体に正直にありたいと思っている。眠いのならばそうするだけだ。体が休みを欲しているのだ。しかしその眠気が体の疲れからなのか脳の活動低下によるものかは自分では判断が付きかねた。 ガン病棟で自分には夢が出来た。それはこの高原に住み新しい生活を始める事だった。抗癌剤も放射線治療も、その先にはストレスのな…

  • 口の匂いを嗅ぐ医師・福之記14

    あんたの口はひどく臭いぜ 映画「ダーティハリー」でクリント・イーストウッド演ずるハリー・キャラハン刑事は身勝手な上司にこう言いのける。 余りに強烈なセリフなので子供ながらに覚えてしまった。権力を笠に着て無理な捜査を強いる上司に対しての言葉は、ある意味相手の人格の全否定に思えた。口臭とはかくも大切なのか。そうその時思った。 口腔状態は良好でも胃などの消化器官の具合が悪ければ口は臭う。またタバコやコーヒーの常習者も独特の、避けられぬ不快な口臭がある。タバコは一切口にしたこともないがコーヒーは飲む自分とて、匂いはあるのか。そもそも歯磨きも乱雑だから気づかぬものでも自分も人を不快にさせていたかもしれぬ…

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