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  • 東響第95回川崎定期(4月21日)

    共にフィンランド出身の指揮者サカリ・オラモとソプラノのアヌ・コムシを迎えたお国物を中心としたコンサートである。エイノユハニ・ラウタヴァーラの「カントウス・アルクティクス」(鳥とオーケストラのための協奏曲)作品61である。自ら収録したフィンランド中部の湿地帯に生息する鳥たちの鳴き声をソリストとするユニークな「協奏曲」だ。2chで収録された鳥の声のテープ音がホール天井から舞台に降り注ぐ中、オケがそれに呼応する3つの楽章から成る佳作だ。幾種類かの鳥の声とオケが北国の自然風景を描き、最後はフィンランドの国鳥オオハクチョウの群れが春を告げる。まことにシーズン幕開けに相応しいスターターではないか。続いてはカイヤ・サーリアホの「サーリコスキ歌曲集」(管弦楽版)の日本初演だ。ペンッティ・サーリコスキの詩集から採られた人生...東響第95回川崎定期(4月21日)

  • 紀尾井ホール室内管第138回定期(4月20日)

    2021年11月定期以来二度目の登場となるピアニストのピョートル・アンデルシェフスキ迎えた2024/25年シーズン開幕公演である。最初は指揮者無しでグノーの小交響曲変ロ長調だ。名前は「交響曲」だが、木管7本のアンサンブルの滅多に演奏されないが曲。私も生で接するのは多分生涯二度目だと記憶するが、今回は紀尾井の名手達の卓越した表現力がグノーの魅力を十全に引き出した。フルート相澤政宏、オーボエ神農広樹・森枝繭子、ファゴット福士マリ子・水谷上総、クラリネット有馬理絵・亀井良信の面々。続いてアンデルシェフスキの弾き振りでモーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488。のっけから水際だった玉井菜採率いる弦の美しさに心を鷲掴みにされたが、肝心のピアノの方は余り印象に残らず。もちろん均整がとれた心地よく美しい響きなの...紀尾井ホール室内管第138回定期(4月20日)

  • 東京シティ・フィル第369回定期(4月19日)

    快進撃を続けるコンビ10年目に突入した常任指揮者高関健と東京シティ・フィル。2024/25年のシーズンは、華々しくR.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」より第一幕および第二幕より序奏とワルツ集で幕を開けた。これは作曲者自身が編曲したヴァージョンだそう。原曲を超えた想像力豊かな展開も聞き取れる興味深いピースではあったが、やはり日頃聞き慣れているロジンスキー編曲の「組曲」の方が本編のオペラを素直に感じることができて聞き心地はそちらの方がよろしい。二曲目は南紫音を迎えて大変珍しいシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番作品35。これは高音が続く超絶技巧の単一楽章の協奏曲風幻想曲といった趣だ。怪しげというか、耽美的というか、独特な音色と色彩感を持ったガラス細工のようなソロのフレーズを南は見事に弾き切った。大オーケスト...東京シティ・フィル第369回定期(4月19日)

  • バッハ・コレギウム・ジャパン第160回定期(3月29日)

    2024年の聖金曜日にタケミツ・メモリアルホールで開催されたBCJによるJ.S.バッハ作曲マタイ受難曲の演奏会である。指揮は主席指揮者の鈴木優人。エヴァンゲリストはベンヤミン・ブルンス、ソプラノはハナ・ブラシコヴァと松井亜季、アルトはアレクサンダー・チャンスと久保法之、テノールは櫻田亮、バスは加耒徹とマティアス・ヘルムという声楽陣だ。私はキリスト教者ではないけれど、やはりこの曲を聞くとなれば襟を正して聞かざるを得ない。前回は2015年のラ・フォル・ジュルネだったと思う。プログラムによるとその時が今回の指揮者鈴木優人のマタイ初振りだったということだ。まあそれはともかくとして、キリスト受難の3時間を超える大曲の中に身を置くことは決して楽なことではないので、これが生涯最後の生マタイになるのかなと思いつつ席につい...バッハ・コレギウム・ジャパン第160回定期(3月29日)

  • びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演(3月24日)

    今年度で開館25周年を迎えたびわ湖ホールの活動を支える専属の声楽アンサンブルの東京公演である。前日には本拠地であるびわ湖ホールでの初日公演があったので、この日が二日目ということになる。今回は初代音楽監督若杉弘氏へのオマージュということで「Theオペラ!」と題され、若杉が愛し「青少年オペラ劇場」として幾度も上演を重ねたブリテン作曲の歌劇「小さな煙突掃除屋さん」のセミ舞台上演がメインであった。この45分ほどの小オペラは、「オペラを作ろう」という3幕仕立ての舞台作品の一部で、最初の二つの幕では背景がドラマとして語られ、この作品はその第3幕という位置付けになる。そして今回それに先立って演奏されたのは、何と演奏時間90分を要するヴェルディ作曲の「レクイエム」なのだ。これは世界的にもほとんど顧みられることのないヴェル...びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演(3月24日)

  • 東京シティ・フィル第368回定期(3月8日)

    2023年度最後の定期は、常任指揮者高関健の指揮でシベリウスとマーラーの二曲。この二人は5歳違いのほぼ同年齢だが、その作風は雲泥の差だ。プレトークによると作曲についての考え方も全く相入れなかったらしい。最初に置かれたシベリウスの交響詩「タピオラ」作品112は彼の作曲キャリアの最後期の作品で、自然と対話するような内相的な作品だ。高関によると作曲技法も大変にシンプルだという。高関の緻密でありながら広い視野を感じさせる指揮と透明感のあるシティ・フィルの音色は、そうした作品の特色を神々しいまでに描き切った。休憩後はマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調。今回はハープ2台使用の他ダイナミックスやアーティキュレーションにいくつかの変更が施された国際マーラー協会の「ラインホルト・クビーク校訂2002年版」が使用された。演奏の方...東京シティ・フィル第368回定期(3月8日)

  • びわ湖ホール「ばらの騎士」(3月2日)

    新型コロナの影響で2018年以来途絶えていた「びわ湖ホール・プロデュースオペラ」の本格舞台上演が、新音楽監督阪哲朗の指揮の下で5年ぶりに復活を果たした。今回の演目はR.シュトラウスの「ばらの騎士」である。結論から言って、それはこの日本の地で、すべて日本人の手で作り上げられた舞台とは到底思えぬほどの驚異的な仕上がりだった。その一番の要因はもちろん歌手達の歌唱と演技の完成度なのだが、それを導き出したのはまったくむらの無い敵材適所の配役だったような気もする。元帥婦人の華やかさと威厳と哀愁を見事に表現した森谷真理、美声と軽妙な演技で独特の存在感を発揮したオックス男爵の妻屋秀和、ズボン役でありながら女性の変装をするという複雑な立ち位置を歌唱・演技の両面でピタリと決めたオクタビアンの八木寿子、出会いのときめき、そして...びわ湖ホール「ばらの騎士」(3月2日)

  • 小澤征爾さんの訃報に接して

    生の小澤を初めて聞いたのは、今は「LINECUBESHIBUYA」と呼ばれる「旧渋谷公会堂」だった。たぶん1970年代前半のことだったように覚えている。それは確か「東急ゴールデンコンサート」というラジオ番組の公開録音だったのではないだろうか。応募ハガキを出して当選して嬉々として会場へ向かったような気がする。他に何を演ったかは全く覚えていないのだけれど、チャイコフスキーの交響曲第4番が入っていたことだけは鮮烈に覚えている。しなやかで、勢いがあり、輝かしい、それまでに聞いたこともないような「めちゃくちゃかっこいい」音楽だった。その時の音楽の印象は、かろうじてパリ管を指揮した同曲の音盤(1970)で振り返ることができる。しかし私にとっての小澤の価値はここで終わっていて、その後どんどん純化されていく彼の音楽にはど...小澤征爾さんの訃報に接して

  • 東京シティ・フィル第367定期(2月2日)

    首席客演指揮者藤岡幸夫が振る2月定期だが、ロッシーニ、菅野、サン=サーンスという組み合わせの意味はよくわからない。まずはロッシーニの歌劇「ラ・チェネレントラ」序曲だが、まあ予想通りシンフォニックにオケを鳴らした演奏で「ロッシーニ感」はゼロ。それはそれで良いのだが、そのように演奏するとなると、スターターの役割としては曲が役不足かと感じた。二曲目は神尾真由子をソリストに迎えて今話題のTVドラマ「さよならマエストロ」のテーマ音楽作曲者としても知られる菅野祐悟のバイオリン協奏曲(世界初演)。これは作曲者が英国の詩人ジョン・キーツの書いたラブレターに触発されて神尾のために書いた30分を要する大曲だ。前半では恋人への想いの丈を、後半では憧憬の情のような感情を描いたようなわかり易い曲だ。神尾はほぼ弾ききりの熱演だったが...東京シティ・フィル第367定期(2月2日)

  • 藤原歌劇団「ファウスト」(1月28日)

    藤原歌劇団29年振りのグノーの「ファウスト」である。あらためて聞いてみると、長いけれども実によく出来たオペラなのだが、我が新国立劇場の舞台にかかったことはないのが不思議である。前回1995年はジュゼッペ・サバティーニ、ルジェロ・ライモンディ、渡辺洋子という実に豪華な主役陣だったのをプログラムを引っ張り出して思い出した。今回聞いた裏キャストは藤原の若手を揃えた布陣。まあ若手を聞きたくて選んだのだが、これが”予想外”の聞き応え充分な好演であった。何より全ての歌手の歌がとても充実していたのが良かった。最後までリリカルな声で歌い通したファウスト澤崎一了、悪魔というより少し人間寄りの存在感をよく示したメフィスト伊藤貴之、朗々としたノーブルな歌声が印象的だったヴァランタン井出壮志朗、純粋なマルトを聴かせた北薗彩佳、こ...藤原歌劇団「ファウスト」(1月28日)

  • 東京シティ・フィル第76回ティアラこうとう定期(1月27日)

    常任指揮者高関健が振る今シーズン最後のティアラこうとう定期は大入満員の大盛況。その理由は二曲目にあるのだが、プレトークで高関は他の曲にも力を入れているので楽しんでくださいとのこと。そしてスターターは滅多に実演では聞くチャンスはないモーツアルトの交響曲第32番ト長調K.213。ホルンが4本もあり、更にトランペットがあるのにティンパニのない古典派としてはとても不思議な編成。だから聞きなれない音がするのが楽しい。高関にしては随分大らかな、威勢の良いモーツアルトであった。そして二曲目はマウリシオ・ラウル・カーゲルのディンパニとオーケストラのための協奏曲だ。話題性はともかくとして、とんでもない結末以外の部分も中々良くできた曲で面白い曲である。そして何よりシティ・フィル首席ティンパニ奏者目等貴士の華麗なバチ捌きは実に...東京シティ・フィル第76回ティアラこうとう定期(1月27日)

  • KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2024(1月26日)

    ニューイヤー・コンサートと言えば毎年元旦に開催されるウイーン・フィルのものがつとに有名であるが、昨今は初登場や珍しい曲ばかりで組まれる傾向があるように思える。それはそれで良いのだが、どうも私には音楽的に物足りなさを感じるようになって来た。そこへゆくとこの紀尾井ホール室内管弦楽団とその名誉指揮者でウイーン・フィルのコンマスも務めるライナー・ホーネックの演るニューイヤー・コンサートは曲目がとりわけ変化に富んでいて飽きることがない。まず一部はモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」の序曲で始まり、ホーネックの弾き振りによるバイオリン協奏曲第5番イ長調K219が続いた。まあここまではある意味腕試し的な感じで、紀尾井のアンサンブル自体もちょっと荒いかなと感じられる所もあった。しかし協奏曲ではホーネックの軽やかさと機敏さ...KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2024(1月26日)

  • 京都市響第685回定期(1月20日)

    沖澤のどかを追いかけて本拠地京都にやって来た。京都のお洒落な街北山にある京都コンサートホールで開催された彼女が常任指揮者を務める京都市交響楽団の1月定期演奏会である。先日の東京シティ・フィルへの客演時と同様のフランス物を並べたプログラムだ。最初は滅多に生で演奏されることのないアルチュール・オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」である。どの楽章も消えるように終わりはするが、作曲当時の不健康な健康状態の悲壮感よりむしろオネゲルの精緻な筆致をよく表した演奏だった。そして迷いのない棒による推進力からは秘めた力さえ感じさせられた。二曲目はハープ独奏に吉野直子を迎えてフランスの女流作曲家ジェルメーヌ・タイユフェールのハープと管弦楽のための小協奏曲。美しい佳作ではあるが、いかんせん演奏のせいか、はたまた聞いた場所のせいか、...京都市響第685回定期(1月20日)

  • 東京シティ・フィル第366定期(1月13日)

    シティ・フィルは今回の指揮者沖澤のどかを2012年2月の時点で招聘していた。しかしコロナ禍の中で来日が不可能となり師の高関健が代演した経緯がある。だから今回はそのリヴェンジ公演とでもいえようか。しかし曲目はその時とはガラリと変わった。シューマンとラヴェルという対極のような組み合わせを解く鍵は第1曲目にあった。それはラヴェル編曲によるシューマンの「謝肉祭」である。ただし全22曲中出版されたのは4曲だけでそれ以外は紛失されたそう。だから今回は出版されている4曲だけが演奏された。聴く前から「前口上」のようなピアニスティック曲をラヴェルはどう料理するのだろうと興味津々で臨んだ。まあ違和感も多い敢闘賞と言ったところか。演奏の方もまあ腕試しという印象。続いてピアニスト黒木雪音が登場してシューマンのピアノ協奏曲イ短調。...東京シティ・フィル第366定期(1月13日)

  • 脇園彩&小堀勇介ニューイヤー・デュオリサイタル(1月9日)

    ここに登場するのは、今を時めくメゾ・ソプラノ脇園彩、そして日本を代表するロッシーニ・テナー小堀勇介。共にペーザロのロッシーニ・オペラ・アカデミーの出身だ。そして今回ピアノ伴奏を務める指揮者園田隆一もアカデミーの主だった”ロッシーニの神様”アルベルト・ゼッダに薫陶を受けたことがあるのだから、さしずめ毎夏イタリアのペーザロで開催されるロッシーニ・オペラ・アカデミーの同窓会のようなリサイタルだったと言ってよいだろう。だから彼らの奏でるベルカントが悪いわけがない。それにしてもロッシーニとドニゼッティの比較的地味なアリアとデュエットだけで構成されたこの様なコンサートをよく実現されたものだ。浜離宮朝日ホールに心から感謝したい。まず最初はロッシーニの歌劇「アルミーダ」からの”甘美な鎖よ”という小さな二重唱がスターターで...脇園彩&小堀勇介ニューイヤー・デュオリサイタル(1月9日)

  • NHKニューイヤーオペラコンサート(1月3日)

    この番組はもう何十年も前からか年初の楽しみとして毎年テレビで拝聴してきた。何年か前には試しにNHKホールに足を運んで生で体験したこともあったが、裏の仕切りが厄介で、やはり茶の間でお屠蘇気分で楽しむものだと実感した。昨今は一回ごとに趣向を凝らした舞台作りと演出で、ある意味楽しませてくれている。しかしとりわけ今年は「対の歌声、終わらない世界」と題されて、黒い衣装に身を包んだ磯野佑子アナウンサーが暗く変に勿体ぶった感じの語りで全体を進める不思議な展開だった。新年早々能登地方では地震が、羽田空港では飛行機のクラッシュがある波乱の幕開きへの配慮なのかどうかは不明だが、とても新たな年を寿ぐ雰囲気ではなかったし、その不気味というか、無用な厳しさが「オペラ」を視聴者から遠のかせるのではないかと心配になった。その昔は舞台に...NHKニューイヤーオペラコンサート(1月3日)

  • ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会(12月31日)

    今年で18回目を迎える大晦日昼1時から夜8時半までのマラソン演奏会である。隣の大ホールでは広上淳一指揮の交響曲全曲演奏が挙行されているのだから、この日は上野の東京文化会館はベートーヴェン・ファンで埋め尽くされるわけだ。演奏メンバーに一昨年から新たにクァルテット・インテグラが加わった。古典四重奏団は1986年、クァルテット・エクセルシオは1994年、インテグラが2015年の結成ということなので、日本を代表する重鎮、ベテラン、新進気鋭の常設アンサンブルがベートーヴェンの中期・後期の弦楽四重奏曲で技を競うのだから興味は尽きない。今年は作品59のラズモフスキーの3曲「エクセルシオ」が担当した。彗星の如く登場して話題になったこのアンサンブルもいつしかベテランの域に達し、しなやかさは何時もながらだが、ラズモの3番では...ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会(12月31日)

  • 東響第717回定期(12月16日)

    桂冠指揮者ユーベル・スダーンが久しぶりに登場し、ドイツの編曲物を集めた興味深いプログラムだ。まず最初はぐグスタフ・マーラーが編曲を施したシューマン作曲交響曲第1番変ロ長調作品38「春」である。稚拙と云われているシューマンのオーケストレーションの弱い部分に手を入れた基本的に原曲に忠実な編曲なのだが、この曲のトレードマークでもある春を告げるかのような冒頭のファンファーレは聞き慣れたメロディではない。なんでもこれがシューマンが最初に構想したメロディだそうだが、いささか違和感があると同時にそこに華やいだ春の喜びは感じられない。まあそれはともかく全体の印象としてマーラーの筆を尽くして手入れのために大層密度の濃い響きになっている。そしてそれをスダーンは輪をかけて緻密に、そして力感豊かに響かせるので、ロマンティックとい...東響第717回定期(12月16日)

  • 東京シティ・フィル第365回定期(11月30日)

    そもそも2020年3月の第332回定期に予定されていたこのプッチーニの歌劇「トスカ」(演奏会形式)だが、コロナ禍で演奏会自体が中止に追い込まれ、一旦は同一キャストでその年の8月への延期が発表された。しかしその時点でもまだ情勢が合唱付きのオペラを公演できるまでに至らず、ついに三年越しで実現にこぎつけた、いわば「リヴェンジ公演」である。しかも今回もオリジナル・キャストとは、常任指揮者高関健とシティ・フィルの並々ならぬ執念を感じさせる。そんな曰くを知ってか知らずか、会場はこのオケの定期としては珍しくほぼ満員となった。さて演奏の方は満を持しただけあって輝きに満ちた極めて充実したオケの響で開始された。このあたりは数多のイタリア・オペラの中でもとりわけシンフォニックな「トスカ」を演目に選んだ理由でもあろうし、そうした...東京シティ・フィル第365回定期(11月30日)

  • 新国「シモン・ボッカネグラ」(11月26日)

    開館以来26年にして、このヴェルディの名作「シモン・ボッカネグラ」が初めて新国立劇場の舞台にかかった。1976年NHKイタリア・オペラによるピエロ・カプッチルリの伝説的「シモン」の洗礼を受けた身としては、期待に胸踊らせて会場に向かった。今回はフィンランド国立歌劇場とテアトロ・レアルとの共同制作によるピエール・オーディのプロダクションである。シモンを歌ったのは先シーズンのリゴレットで喝采を浴びたロベルト・フロンターリ。今回も公私両面において悲哀に満ちたこの役を見事に歌い演じた。宿敵のフィエスコはリッカルド・ザネッラート。第三幕の和解の場面の二重唱には胸が熱くなった。アメーリアのイリーナ・ルングはイタリア組に囲まれて歌唱スタイル的には不利な場面もありながら、一幕一場の父と娘の二重唱では感動を誘った。まあここは...新国「シモン・ボッカネグラ」(11月26日)

  • 紀尾井室内管弦楽団第137回定期(11月17日)

    コロナ禍で一旦中止になったオッタービオ・ダントーネと紀尾井のアンサンブルの共演が実現した。勿論夫君でコントラルトのデルフィーヌ・ガルーを伴ってのことである。まずはヘンデルの歌劇「アルチーナ」序曲、サラバンド、ガヴォットⅡ、それにアリア「復習したいのです」で始まり、歌劇「ジュリーオ・チェザーレ」よりアリア「花吹く心地よい草原で」、歌劇「リナルド」よりアリア「風よ、暴風よ、貸したまえ」と続いた。さぞかし尖った演奏なのだろうと思っていたが、紀尾井のアンサンブルが穏やかに受け止めてか、とても居心地の良い古楽の響きに驚いた。細かなパッセージでも一糸乱れぬ弦にニュアンス豊かな木管は紀尾井の強みだ。一方ガルーの歌唱は声量こそあまりないが、自在に喉を駆使して見事なアジリタを聞かせた。響きが今ひとつ抜けきらない感もあったが...紀尾井室内管弦楽団第137回定期(11月17日)

  • 東京シティ・フィルの2024年度プログラム

    在京のどのプロオケより遅く東京シティ・フィルの来年度プログラムが発表された。このオケの場合、タケミツメモリアルホールで開催される定期が9回とティアラこうとうで開催される定期が4回なので、年間たった13回しか定期演奏会がない。しかし毎年決して集客目的の名曲の羅列に終わらず、多彩な曲目で組み立てられており、年季の入ったファンには大いに魅力的である。このあたり首席指揮者高関健の選定眼を強く感じさせる。更に指揮者にもソリストにも「外人」の名前はほぼ見当たらず、日本人を並べるのは逆に「壮観」でさえある。このあたりは、財政上の都合が大きく影響しているとは思うが、人選に間違えがあった試しはない。さて次年度を見渡してまず気づいたのは、二曲の大曲が最近10年来の定期で二度目の登場だということだ。10月のスメタナ作曲連作交響...東京シティ・フィルの2024年度プログラム

  • NissayOpera「マクベス」(11月12日)

    何とこの日生劇場にヴェルディのオペラがかかるのは1970年のベルリン・ドイツ・オペラの「ファルスタッフ」以来53年振りだというから驚きだ。どうして「オペラ劇場」として誕生した日生はそんなにヴェルディを遠ざけていたのだろう。まあそれはともかくとして、このヴェルディ初期の名作は何と言ってもマクベス夫人に人を得ないと形にならない。そうした意味で、今回二日目に夫人を歌った岡田昌子は歌唱的にも演劇的にも十二分に説得力のある出来だったと言って良いだろう。前半で気弱な夫マクベスを鼓舞する場面の強烈な歌でも決して汚く響くことはなくニュアンスも十分、そして後半の狂乱的な場面での虚な歌、そして演技も見事に決まった。一方マクベス役の大沼透も独立したアリアは一曲しかないものの、苦悩の王をよく描いた。バンクオー役の妻屋秀和もいつも...NissayOpera「マクベス」(11月12日)

  • 東響第716回定期(11月11日)

    音楽監督ジョナサン・ノットとドイツの正統派ピアニスト、ゲルハルト・オピッツとの共演によるベートーヴェン・プログラムだ。この二人の共演は一昨年12月のブラームスの2番以来となる。ノットにしてはリゲティがない素直なプログラムで、いささか拍子抜けの感もある。一曲目はピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19。何の衒いもなく弾き進むオピッツのピアノではあるが、その音色は極めて美しくとりわけ二楽章終盤のピアニッシモの美しさには耳をそばだてた。そこから終楽章へ入ってゆく微妙な間合いが私的にはこの演奏のハイライトだった。しかしやはり何となく物足りない印象を残したのは曲のせいか、はたまた演奏のせいか。続く交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」は快速調で始まったが決してセッカチな感じがなかったのは、抑揚のタップリとある歌い回しのせいで...東響第716回定期(11月11日)

  • 東響第135回オペラシティーシリーズ(10月21日)

    音楽監督ジョナサン・ノットの指揮するブルックナーの交響曲第1番ハ短調を中心とするマチネーだ。日頃選曲の妙を楽しませてくれるノットだが、今回も今年生誕100年を迎えたリゲティの「ハンガリアン・ロック」(オルガン独奏版)とベリオの「声(フォーク・ソングII)」との興味深い組み合わせだ。会場のタケミツメモリアル・ホールに入り舞台上に目をやると、そこには日頃のオケ配置と全く違う光景があった。更に正面オルガン側にも、2階バルコニー席のいくつかにも譜面台が置かれているではないか。何か面白い事が起こる予兆を感じた。一曲目はオルガン独奏と書かれているのにオケの団員達も入場し席に着く。この時点で最初の二曲はアタッカで演奏されるのだなと予想した。ノットと共にオルガン席にモンドリアン風(コンポジション)のポップな出立の大木麻理...東響第135回オペラシティーシリーズ(10月21日)

  • 東響第93回川崎定期(10月14日)

    音楽監督ジョナサン・ノットが登場して、自らドビュッシーのオペラから編曲した交響的組曲「ペレアスとメリザンド」とヤナーチェックの「グレゴル・ミサ」を並べたプログラム。一曲目はこのオペラのペレアス、メリザンド、ゴローの3人の登場場面に焦点を絞った15曲で構成された40分を超える大組曲だ。聞く前は曲柄もあるのでさぞ冗長になるのではと懸念されたが、幸いなことにそれは全くの杞憂だった。それは選曲の妙、演奏の妙だ。曖昧模糊とした基調にドラマチックな場面も適宜織り交ぜながら極めて柔軟に作曲者の持つ独特な色合いを描いたノットも素晴らしいし、東響の惚れ惚れするような木管群(竹山・荒木・吉野)のニュアンスと鮮やかな弦にも感心した。続いてのヤナーチェックはノットの気迫に貫かれた演奏だったと言って良いだろう。とは言いつつ決して固...東響第93回川崎定期(10月14日)

  • 東京二期会「ドン・カルロ」(10月13日)

    東京二期会が9年振りでヴェルディの「ドン・カルロ」を舞台にかけた。この作品の上演で常に問題となる版は、前回同様イタリア語五幕版ではあるが、今回はそれに加えてパリ初演時にすでにカットされていたいくつかの曲やバレエ曲、更にはシュトットガルトでのこのプロダクションの初演時に挿入されたゲルハルト・ヴィンクラーの現代曲をも加えたオリジナル版が使用された。演出はロッテ・デ・ベア、ピットは一昨年の「ファルスタッフ」で好評だった俊英レオナルド・シーニと東京フィルが受け持った。この日の主な配役は、フィリッポ2世にジョン・ハオ、ドン・カルロに樋口達哉、ロドリーゴに小林啓倫、エリザベッタ竹多倫子、エボリ公女清水華澄、宗教裁判長に狩野賢一といったところ。まずは今回の上演で特徴的だったのはその演出とクリストフ・ヘッツアーの舞台だろ...東京二期会「ドン・カルロ」(10月13日)

  • 東響第192回名曲全集(10月7日)

    来年4月から京都市響の常任指揮者に選任された沖澤のどかが東響に初登場した。プログラムはオール・ストラヴィンスキーの凝ったもので、「カメレオン作曲家」とさえ言われるこの作曲家の多様な音楽を見事に描き分けて聞かせた。まずは擬古典スタイルのバレエ音楽「プルチネッラ」組曲。決して騒ぎ立てないしっとりとした古典的な音感の中にこの作曲家らしいスパイスを散りばめた実に爽やかな快演がのっけから聴衆の心をグット捕らえた。ここで舞台の入れ替えがあり、次は新古典的なスタイルの「詩篇交響曲」だ。緻密な棒ながら、素っ気なく聞こえることは決してなく、全曲を貫く豊かな呼吸が快い感動を誘った。終楽章、”アレルーヤー”と静かに謳われた瞬間には鳥肌が立った。これは稀有な名演だったと言って良いだろう。休憩を挟んで最後は初期の民族的な色彩感に満...東響第192回名曲全集(10月7日)

  • 東京シティ・フィル第364回定期(10月4日)

    去る8月に急逝した桂冠名誉指揮者飯守泰次郎が指揮する予定であった演奏会であるが、常任指揮者高関健が代わって指揮台に登ることになった。曲目はワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、そしてブルックナーの交響曲第9番ニ短調という、故人を偲ぶには誠に相応しいラインナップに変更された。高関はプレトークで、故マエストロを慕い追従するというのではなく、その基礎の上に新たな自分たちの音楽を築いてゆきたいと語ったが、その心意気を切々と感じさせる当夜の演奏であった。明晰な音感で開始された「オランダ人」序曲は最後まで透明感に満ちた音色で奏された。それは嘗て話題になったこともあるブーレーズ+ニューヨークフィルの音盤を思い起こさせた。そこに流れたのは飯守独特の溜めのある流れから生ま...東京シティ・フィル第364回定期(10月4日)

  • 紀尾井ホール室内管第136回定期(9月22日)

    秋のシーズン幕開けは首席指揮者トレヴァー・ピノックを迎えたオール・メンデルスゾーンのプログラムだ。この作曲家は総数750もの作品を生み出したそうだが、そのうち宗教曲が90作品にも及ぶという。しかしそんな宗教曲を我々がコンサートで聞ける機会は意外と少ないのではないだろうか。そした意味で今回はとても貴重な機会だった。どれも主を賛美する内容で統一されており、私自身はキリスト教者ではないのだが、とても満たされた豊かな心持ちになって帰途についた。前半はオラトリオ「聖パウロ」の序曲、それに続いて独唱つきの合唱曲詩篇第42番《鹿が谷の水を慕うがごとく》だった。ピノックの指揮は明快にして良く歌い豊かな感情を紡ぎ出す。ソプラノのラウリーナ・ベンジューネイテの美しくリリカルな歌声が心に染みる。そして新国立劇場合唱団の清澄さと...紀尾井ホール室内管第136回定期(9月22日)

  • 藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(9月10日)

    ヴェルディ初期(6番目)の「二人のフォスカリ」が藤原の舞台にかかった。ほぼ舞台に乗る機会の無い作品で、今回は東京オペラプロデュースによる2001年の日本初演に次ぐニ度目の公演である。私は映像で観たことがあるのみで本舞台は初めてだ。今回は裏キャスト(二日目)に出かけた。結論から言うと、この作品の持つ魅力を余すところなく表現した文句の無い仕上がりだったと思う。史実に基づく救いようのないストーリーだが、メロディーに満ち、以降のヴェルディの萌芽をも多く聞き取ることのできるこの作品はまさに若書きの「佳作」と言うに相応しい。しかし正直言って、この作品でここまで楽しめるとは思わなかった。成功の要因の一つ目は歌手達だ。裏キャストなので若手中心に組まれていたが、まずはタイトルロールのフランチェスコ・フォスカリを演じ歌った押...藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(9月10日)

  • 東京シティ・フィル第74回ティアラこうとう定期(9月9日)

    「かてぃん」こと角野隼斗が登場するということで、発売後間もなく全席売り切れになったプレミアム演奏会だ。だから会場に着くと、いつもは地元ファンが集まるのんびりした雰囲気の土曜午後のティアラこうとうが、殺気だった異様な雰囲気に満ちていたのには驚いた。指揮は、「モーツアルトが向いている」と角野に選曲アドヴァイスをしたという首席客演指揮者の藤岡幸夫だ。一曲目はヴェルディ作曲歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲。藤岡は来年の定期でも一曲目にロッシーニの歌劇「ラ・チェレントラ」序曲を据えているので、なにかイタリア歌劇に思うところがあるのだろうかと勘繰ったのだが、特別なことはない演奏。快速調でおもいっきり鳴らしたヴェルディで、私にはどこかオペラの世界とはかけ離れて聞こえた。そして期待の角野が登場してモーツアルトのピアノ協...東京シティ・フィル第74回ティアラこうとう定期(9月9日)

  • 東京シティ・フィル第363回定期(9月1日)

    東京シティ・フィルのオータム・シーズン開幕は、常任指揮者の高関健によるジェルジ・リゲティ生誕100年に寄せたハンガリー・プログラム。まずはこの8月15日に突然逝去されたこの楽団の桂冠名誉指揮者飯守泰次郎氏を悼んで、故マエストロが敬愛しそのスペシャリストと讃えられたワーグナーから、楽劇「ローエングリン」第一幕への前奏曲が奏された。指揮台で振るのは高関さんなのだが、脳裏には飯守さんのあの決して器用ではない指揮振りと、ワーグナーのイディオムを各所に感じさせた響が蘇っていた。そして一曲目はリゲティの「ルーマニア協奏曲」だ。民族的な曲想を一杯にあしらった佳作で、どこかメインのオケ・コンと似た響も聞き取れる。こんな判りやすく親しみやすい曲がリゲティにあるなんて知らなかった。二曲目はこの楽団の客演コンサートマスターであ...東京シティ・フィル第363回定期(9月1日)

  • 飯守泰次郎さんのこと

    東京シティ・フィルが来る9月1日に開催する第363回定期演奏会の冒頭に、去る8月15日に逝去された当団桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎さんを偲んでワーグナー作曲楽劇「ローエングリーン」第1幕への前奏曲を追悼演奏することが発表された。私は定期会員なので襟を正して聞かせていただく。きっと様々なの想い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、涙なしには聞けないことになるだろう。1997年11月に東京に待望のオペラハウスが落成し、その柿落としの一つに選ばれたのもこの楽劇「ローエングリーン」だった。その時の指揮を受け持ったのは、後にこの劇場のオペラ芸術監督になる先輩格の若杉弘さんだった。もちろん私も客席の一人だったわけだが、終演後興奮さめやらず人の波に任せて初台の駅に向かっていると、第一幕への前奏曲を口ずさむ歌声が後ろから聞こえ...飯守泰次郎さんのこと

  • 第43回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル (8月26日〜30日)

    毎年恒例になっている晩夏の草津にやってきた。もちろんフェスティバルの一環として草津音楽の森コンサートホールで開催されるコンサートを聴くためである。今年はその終盤の4つの音楽会とアカデミーの優秀な生徒達によるスチューデント・コンサートを楽しく聴いた。まず26日はドヴォルジャークの弦楽六重奏イ長調、スラブ舞曲作品46-1&8と作品72-2(作曲者による四手連弾版)、ブラームスの弦楽六重奏曲第一番というプログラムだ。ここではショロモ・ミンツ(初参加)、高木和弘、般若佳子、吉田有希子、タマーシュ・ヴァルガ、大友肇らの名手によるブラームスの集中力の高い緊密なアンサンブルの演奏がとても素晴らしかった。ブルーノ・カニーノと岡田博美による迫力満点の連弾が二つの弦楽六重奏曲の間にアクセントを添えた。27日は「室内楽の神髄」...第43回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル(8月26日〜30日)

  • ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2023(8月13日〜16日)

    パンデミックによる中断を経て、4年振りにアドリア海に面したリゾート地ペーザロを訪れた。目的は勿論ここで毎年開催されるロッシーニ音楽祭である。今年はその中の6公演を聴いた。昨年末の地震で伝統あるテアトロ・ロッシーニが修復中となり今年は代わりに定員500人程度のテアトロ・スプリメンターレという映画館が小会場に当てられた。大会場はいつものようにヴィトリフリゴ・アレーナだ。アレーナは元来バスケット・ボール用の体育館だそうだが、このオペラ祭のためにその年の演目に応じて仕切りを作って仮設の劇場にする。今年はキャパ1200名程度の中劇場が出来上がった。座席こそ粗末だが、音響は適度な残響があって中々良い。さて最初に見た演目は13日の「ブルグントのアデライデ」(1817)だ。これはArnaudBernardによる新プロダク...ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2023(8月13日〜16日)

  • 夏の休日、愉悦とロマンの夕べ(8月5日)

    毎夏恒例のサマーミューザの出張公演が酷暑の中、新百合ヶ丘にあるテアトロ・リージオ・ショウワで開催された。登場したのは広上淳一指揮の東京交響楽団だ。選曲はオケの演奏会では誠に珍しいドリーブのバレエ組曲「コッペリア」、そしラフマニノフの交響曲第2番ホ短調。これらはタイトルである”愉悦とロマン”を見事に実感させる感じさせるような暑さを吹き飛ばす楽しい夕べだった。まずコッペリア組曲は「マカリスター版」ということで、バレエ全曲の中から「導入とワルツ」、「前奏曲とマズルカ」、「バラードとスラヴの主題による変奏曲」、「人形のワルツとチャルダッシュ」の4曲が演奏されたが、それぞれの曲の持つリズムや雰囲気を独特の動きでピタリと振り分けるのまさに広上の天性だ。時節がら首席欠員のパートも多いと見受けられる東響だったが、小林壱成...夏の休日、愉悦とロマンの夕べ(8月5日)

  • 東フィル第156回オペラシティ定期(7月27日)

    今回の東フィル定期は演奏会形式のヴェルディ作曲「オテロ」である。東京フィルハーモニー交響楽団は直近では2017年にバッティストー二の指揮で同じく演奏会形式でこの演目を上演している。一方指揮のチョン・ミョンフンは2013年にこの演目を提げてフェニーチェ歌劇場と来日した。そしてその時のタイトルロールも今回と同じくグレゴリー・クンデだった。そんなわけで今回の演奏者にとっては手慣れた「オテロ」ではあるのだが、その演奏はそんなルティーンワークとは程遠い、魂のほとばしりさえ感じるさせる稀に見る秀でた出来だった。オテロを歌ったグレゴリー・クンデはロッシーニ・テナーからキャリアを始めてこの役にまでたどり着いたいうキャリアを持っている名歌手で、ロッシーニの権威であるゼッダ指揮する「オテロ」の録音もある変わり種のベテランだ。...東フィル第156回オペラシティ定期(7月27日)

  • フェスタサマーミューザ川崎2023(7月22日)

    毎夏恒例になった日本のオケの夏祭りだ。今年のオープニングはチャイコフスキーの交響曲二曲!それも何と3番と4番でジョナサン・ノット+東響だというのだから猛者のコンサートゴアーにとってさえも聴き物だ。東響にはお祭りとあって日頃見慣れない顔もちらほら散見されたが、なにせチャイコなのでニキティンのリードは心強い気がした。滅多に実演で聴く機会のない3番は五楽章構成の曲で、そのせいかどうかバレエ組曲でも聴いているような感じもした。演奏の方はノット臭を排した至って普通の仕上がり。そして4番のほうも取り立てて騒ぎ立てない、泣かない、所謂「ロシア色」を排したごく普通の演奏で、私のようなノット・ファンには独特の煽りさえも最小なので些か物足りなくも感じられた。言い方を変えればそれはスタイリッシュなチャイコフスキーだったとも言え...フェスタサマーミューザ川崎2023(7月22日)

  • 東響第92回川崎定期(7月15日)

    音楽監督ジョナサン・ノットと独奏に神尾真由子を迎えた重厚なプログラムだ。一曲目はエルガーのバイオリン協奏曲ロ短調作品61。この一年の間にこの決してポピュラーでない協奏曲を聞いたのはこれが何と三度目になる。昨年9月に竹澤恭子+高関健で、今年5月に三浦文彰+沖澤さやかで、そして今回だ。これは決して追っかけて聞いて回っている訳ではない偶然な巡り会いなのだ。更に偶然にも今年5月初旬の英国旅行に際して訪れた街がGreatMalvern。エルガーはこの隣町の生まれで、この街をとりまくMalvernHillsはエルガー最愛の風景だったのだ。そんな訳で帰国後はエルガーに只ならぬ想いを深めているので、実に楽しみにして当日を迎えた。神尾は真っ向から曲に対峙して、超絶技巧を駆使し、肢体を一杯にくねらせて常に情熱的に音を紡いでゆ...東響第92回川崎定期(7月15日)

  • 紀尾井ホール室内管第135回定期(7月14日)

    2020年に共演予定があったが、新型コロナ禍のために来演が延期されて今回になった待望の公演である。指揮のリチャード・ドネッティは、オーストラリア室内管弦楽団(ACO)をもう30年以上も率いて挑戦的な音楽を作り続けているバイオリニスト/指揮者である。その意気込みは現代曲2曲とウイーン古典派の大交響曲2曲を組み合わせた今回の選曲にもうかがうことができるだろう。まずは映画音楽の分野で多く作品を生み出しているポーランドの現代作曲家ヴォイチェフ・キラル(1932-2013)の「オラヴァ」だ。名称はポーランドの地方名で、この地方の民族音楽に由来すると言うことだが、ヴァイオリンが繰り返す音形が少しづつ変容しながら様々な形で広がったり纏ったりする10分余の佳作である。リズムに乱れが生じた瞬間もあったが、トネッティの自由奔...紀尾井ホール室内管第135回定期(7月14日)

  • 東京シティ・フィル第362回定期(7月7日)

    定期へは7年ぶりの登場になる重鎮秋山和慶を迎えてのロシア音楽プログラムだ。とは言いながら名曲揃いのそれではなく、当夜の選曲はシティ・フィルらしく実に凝ったものだった。まずスターターはリャードフ作曲の交響詩「キキモーラ」作品63。精細なオーケストレーションを秋山が見事に捌いた。82歳を超えて振りこそ往時よりだいぶ小さくなっているが、正確極まりない精緻な棒が威力を発揮した。続いて周防亮介をソロに迎えてプロコフィエフのバイオリン協奏曲第2番ト長調作品63。1678年製のアマティを駆使して構えの大きい図太さと繊細さを使い分けた見事なソロだ。約30分間ほぼ弾きっぱなしなのだが、決してフォルムが崩れることがないのは見事の一語に尽きる。それに寸分の狂いもなくピタリと付ける秋山率いるオケも超絶的な凄さだった。ソロ・アンコ...東京シティ・フィル第362回定期(7月7日)

  • 日本オペラ協会「夕鶴」(7月1日)

    団伊玖磨作曲の普及の名作「夕鶴」の日本オペラ協会による5年振りの公演初日である。総論からいうと、歌手・演出・ピットが三位一体となって実に完成度の高い感動的な舞台を作り上げたと言って良いだろう。つうの佐藤美枝子、与ひょうの藤田卓也、運ずの江原啓之、惣どの下瀬太郎の歌手陣はすべて役柄をしっかりとらえた最良の歌唱と演技だった。とりわけ役になり切った佐藤は全体をリードした。与ひょうを金の世界に引っ張り込まないでと「お願いします」を繰り返し嘆願するつうの姿にはその場の演出ともども涙を禁じえなかった。岩田達宗の演出は、つうの織る「千羽織り」の反物は、つうと与ひょうの間に生まれるべき「子」であるという解釈の下で、現代社会の危うさに鋭い警鐘を鳴らした。これまでイタリアオペラで数々の名演を残している柴田真郁のピットは、時に...日本オペラ協会「夕鶴」(7月1日)

  • バーミンガム市響(6月29日)

    2016年にもこのオケを引き連れて来演している山田和樹だが、今回は首席指揮者/アーティスティック・アドヴァイザーとしての”凱旋公演”である。バーミンガムと言えばロンドンに次ぐ英国第2の都市なのだから、なかなか凄いポジションであることは確かだ。前任者にはラトルやネルソンズの名前がところを見ると巨匠への登竜門かもしれない。さて、この日の曲目はピアノにチョ・ソンジンを迎えたショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21と、山田が熱望したというエルガーの交響曲第1番変イ長調作品55だ。まずショパンだが、2015年ショパン国際コンクール覇者のチョのピアノは繊細を極めたまったく外連味のない率直な表現でとても好感の持てるものだった。それは巷で言われる「ショパン弾き」とは一線を隔する音楽だ。ただこの日のピアノ(スタインウエイ...バーミンガム市響(6月29日)

  • 東響第91回川崎定期(6月25日)

    2020年に来日を予定をしながらコロナ禍で共演を果たせなかった俊英ミケーレ・マリオッティがついにやってきた。そしてピアノに萩原麻未を迎えたウイーン古典派・ロマン派の演奏会だ。スターターはモーツアルトの21番の協奏曲ハ長調K467。出だしからオーケストラはとても丁寧な音楽を作る。日頃日本のオケでは滅多に聞けないような弱音の緊張感と美しさが印象的だ。その深い音楽に乗せて萩原のソロは時には繊細、時には大胆なほどに力強く幅広いレンジの音を作ってゆく。だからロココの微笑み以上に奥行きの深い立派なハ短調協奏曲に仕上がったが。アンコールはBachの平均律かと思ったら、グノーの「アベ・マリア」がしっとりと奏でられ静謐空気を会場にもたらしてくれた。そしてメインはシューベルトの交響曲第8番ハ長調D944。ここでもマリオッティ...東響第91回川崎定期(6月25日)

  • 山形交響楽団さくらんぼコンサート2023(6月22日)

    2003年から毎年この時期に東京で開催される恒例の「さくらんぼコンサート」、今回は今年ミュージック・パートナーに就任したチェコの名ホルン奏者にして指揮者のラデク・バボラークを迎えた彼のお国物を中心としたプログラムだ。まずはスメタナの交響詩「ブラニーク」。全6曲の連作交響詩「我が祖国」の終曲であるが、各曲の性格からして二曲ひと組と考えられる構成からこの一曲だけを抜き出すのは珍しい試みなのではないか。コンバス最大4本の小編成のオケを目一杯鳴らした演奏で、弦の厚みがない分金管や木管アンサンブルが強調され、強弱を丁寧につけた弦の表現と相まって、戦乱の後の勝利の凱歌という重厚さよりも、どちらかと言うと爽やかな気分が溢れる仕上がりとなった。とりわけ舞曲調の部分のドライブは本場感に溢れるものだった。続いては有名なモーツ...山形交響楽団さくらんぼコンサート2023(6月22日)

  • 東京シティ・フィル第361定期(6月9日)

    吉松隆の伝導師を自認する首席客演指揮者の藤岡幸夫が振る予定だった演奏会。しかし肺炎のため入院治療が必要ということで、急遽曲目変更なしで二人の代演者による公演となった。前半は常任指揮者の高関健が引き受けて、まずはシベリウスの「悲しきワルツ」作品44。これは弦のピアニッシモの美しさが秀でた佳演で、丁寧な高関の棒が作品の「影」を薄やかに映し出した。二曲目は俊英務川彗悟を迎えてグリークのピアノ協奏曲イ短調作品16。切れ味と恰幅の良さを同時に持った務川のピアニズムは「響」の美しさを際立たせ、決して暑苦しくないロマンティシズムがグリークの北欧調とベストマッチした。高関のサポートも万全で、とりわけ木管や見事なホルンとの絡みは印象的だった。盛大な拍手に、あたかも弾き足りないといった風情でソロ・アンコールはビゼー作曲=ホロ...東京シティ・フィル第361定期(6月9日)

  • 都響第976回定期(5月29日)

    尾高忠明が珍しく都響に登場して、得意とするラフマニノフとエルガーを並べた演奏会だ。最初はラフマニノフの絵画的練習曲より第2曲《海とかもめ》作品39-2。今回はピアノ独奏曲をレスピーギが編曲したバージョンだ。静かな中にわずかな感情の昂りもある佳作で、レスピーギの手にかかると洗練された淡い色彩が美しい曲になった。続いてピアノ独奏にアンナ・ヴィニツカヤを迎えて「パガニーニの主題による狂詩曲」作品43。完璧なテクニックの美音で、いとも楽しげにこの難曲をサラリ弾く。オケも完璧に付くのでなんとも気持ちよさそうである。濃厚なロマンよりも爽やかな初夏の風を感じさせるような音楽だった。ソロアンコールは絵画的練習曲集Op.33より第2番ハ長調。そしてトリは気力十分で臨んだエルガーの交響曲第2番変ホ長調作品63だ。尾高は登場の...都響第976回定期(5月29日)

  • NISSAY OPERA「メデア」(5月28日)

    日生劇場開場60周年記念公演の一環としてケルビーニの「メデア」が日本初演された。今回はその二日目を聞いた。指揮の園田隆一は極めて高いテンションで新日本フィルを駆り立て、一刻たりとも弛緩のない流れで全体を劇的にリードした。その流れに乗って出ずっぱりのコルギスの女王メデア役中村真紀は絶唱。押し出しの強い歌はとりわけ後半に力を発揮した。フォルテでも決して汚くならないのは美点なのだが、多用する軽い高音のピアニッシモにはとても違和感があった。それに対する前夫の武将ジャンゾーネ役城宏憲の歌唱はクセはないのだが、メデアとの対比ではいささか軽くバランスを欠いた。この役にはメディアに対するだけの強靭な声が欲しい。その婚約者コリント王女グラウチェ役の横前奈緒の歌唱は素直で美しく磨かれた美声が心に響いた。その父クレオンテを歌っ...NISSAYOPERA「メデア」(5月28日)

  • 東響第710定期(5月20日)

    音楽監督ジョナサン・ノットのマーラー交響曲シリーズ、今回は6番イ短調「悲劇的」である。前座として小埜寺美樹のピアノ独奏によるリゲティの「ムジカ・リチェルカーレ第2番」。これは三つの音だけで構成されているピアノ独奏のための小品であるが、今回はマーラーと休みなしで続けて演奏されたので、「前座」というよりも「導入」という意味があったのだろう。まず指揮者が指揮台に立つと舞台照明が落とされ、右奥にあるピアノにスポットライトが当たり独奏が始まる、そして4分程のそれが終わると全体照明に変わってマーラーの弦の刻みが始まるという次第である。この一連の音場設計に音楽的意味を感じ取れたかどうかは個人的には微妙なところだが、決して不自然とは感じなかった。しかしさりとて特段の意味が発見できたかというと、そういうわけでもないというの...東響第710定期(5月20日)

  • 東響コンサートオペラ「エレクトラ」(5月14日)

    昨年の「サロメ」に続くジョナサン・ノットと東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの演奏会形式オペラ第二弾である。その二日目にあたるサントリー・ホールでの公演を聴いた。外題役エレクトラにクリスティーン・ガーキ、その母クリテムネストラにハンナ・シュヴァルツ、弟オレストにジェームス・アトキンソン、妹クリソテミスにシネイド・キャンベル=ウオレス、母親の不倫相手エギストにフランク・ファン・アーケン、更に実力派日本人勢と二期会合唱団で脇を固めた超華版キャストだ。そしていつものように演出監修には歌手としての名演が懐かしいサー・トーマス・アレンがクレジットされていた。舞台は通常のオーケストラ配置の前に椅子二つがあるだけで、あとは歌手達の演技に任された。演奏の方はとにかく東響音楽監督ノットの極めてテンション高いドライブ...東響コンサートオペラ「エレクトラ」(5月14日)

  • 読響第257回土曜マチネーシリーズ(5月13日)

    この4月から京都市響の常任指揮者に就任した沖澤のどかが、一昨年の10月山田和樹代演に引続いて再度読響に登場した。1曲目はソリストに三浦文彰を迎え、エルガーのバイオリン協奏曲ロ短調作品61という大作だ。エルガーにしては明るめの音色で明快なメリハリで音を紡いでゆく沖澤に対して、三浦のストラディバリの音色は豊かで美しく技巧も申し分ないものの、今ひとつ曲に入り込めずに感情が音楽にのりきれていないように聞こえた。それゆえタダでさえ長い曲が更に冗長に感じられる結果になった。休憩を挟んでワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とR.シュトラウスの「死と変容」作品24。この二つの曲が間を置かずに続けて演奏され、あたかも「死と変容」が「愛の死」と入れ替わったような具合だった。連結部分は調性的にも音色的にも不自然さを感...読響第257回土曜マチネーシリーズ(5月13日)

  • 東京シティ・フィル第360回定期(5月10日)

    2023年度幕開きのシティ・フィル定期は何とも渋い選曲だ。しかもいづれも祈るように終わる共通点を持つ曲である。そこに込められたメッセージは誠に時節を反映した”平安の希求”ともいうべきものだろう。一曲目はブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム作品20。1970年の大阪万博記念演奏会で、来日直前に急逝したバルビローリの代役を務めたプリッチャード+フィルハーモニア管で聴いて以来、いったい幾度この曲を聴いてきたことだろう。その中で今回の高関建の作る音楽ほどこの曲に「動と静」のめりはりを与えた説得力のある演奏をこれまで聴いたことがない。さらに精緻に研ぎ澄まされたシティ・フィルの演奏が曲の神髄を見事に描き出した。続いては俊英山根一仁の独奏を加えてベルクのバイオリン協奏曲。山根の技巧と繊細な音色がガラス細工のように透明...東京シティ・フィル第360回定期(5月10日)

  • バーミンガム市響定期(5月3日)

    日本のゴールデンウイークに、ロンドンに次ぐ英国第二の都市バーミンガムを訪れたので、何かイベントは無いかなと前日に探していたら偶然に見つけたコンサートである。早速にウェブチケットを押さえて馳せ参じた。何とこの4月から首席指揮者兼芸術顧問となった山田和樹の指揮、そしてソロはベルリン・フィルのコンマス樫本大進である。まさに奇遇な出会いと言って良いだろう。街の中心、立派な公共図書館に隣接するシンフォニー・ホールという会場で開催された水曜日のマチネーである。曲目はブラームスのバイオリン協奏曲とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェーラザード」という面白い組み合わせだ。(ブラームスは6月末の来日公演にも持って来ることになっているようだ)樫本のソロは滑らかで恰幅の良い音楽で、ことさら重厚を狙うわけでもなく、中庸に構えた...バーミンガム市響定期(5月3日)

  • 藤原歌劇団「劇場のわがままな歌手たち」(4月22日)

    藤原歌劇団の2023年シーズン幕開けはドニゼッティの佳作「LeConvenienzeedinconvenienzeteatrali」である。プログラム上では「劇場のわがままな歌手たち」と意訳されているが、嘗て東京のオペラシーンの一翼を担っていた東京オペラ・プロデュースが「ビバ・ラ・マンマ」というタイトルでしばしば舞台にかけていたことが懐かしく思い出される作品だ。今回はリコルディのクリティカル・エディションを基本としつつ若干に加筆を施したオリジナル版での公演で、松本重孝による新プロダクションである。劇場の舞台裏のゴタゴタを面白おかしく描いた小喜劇だが、総監督の折江忠道がプログラムで述べている通り、そこには感動的な筋も無いし、唸らせる歌もないので、歌手たちは裸の「孤軍奮闘」で勝負しなければならない誠に難しい作...藤原歌劇団「劇場のわがままな歌手たち」(4月22日)

  • 紀尾井ホール室内管弦楽団第134回定期(4月21日)

    2023年度の期首を飾ったのは、首席指揮者トレヴァー・ピノックを迎えたウイーン古典派の夕べである。まずはシューベルトのイタリア風序曲ニ長調D.590だ。聞いていてどこか聞き覚えがあるようなフレーズだなと思っていたら、「ロザムンデ序曲」の下敷きとなった曲だそうである。明るく屈託のない曲調はスターターにピッタリだった。続いてはモーツアルトの交響曲第35番ニ長調K.385《ハフナー》。ほぼビブラートのないフラットな弦の響きでスッキリとまとめ上げられた演奏だったが、その弦のアンサンブルに紀尾井にしては珍しく少しく力みが感じられる仕上がりで洗練を欠き、ホーネックだったらこんなじゃなかったなと思わせるところもあった。しかしティンパニとトランペットが殊更強奏されるようなことはなかったので、古楽系演奏の初期にありがちだっ...紀尾井ホール室内管弦楽団第134回定期(4月21日)

  • 東響第709回定期(4月15日)

    クシシュトフ・ウルバンスキを指揮に迎えた2023年度定期幕開けは、まず3つの組曲の全20曲から自らストーリー展開に即して12曲を抜粋したプロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」(ウルバンスキー版)。1曲目からコンマス小林壱成率いる東響が実に繊細かつ瑞々しく鳴るのに驚いた。全体を通して、どんなフォルテでも決して煩くならない実に美しくスタイリッシュな仕上がりは見事という他に言葉が見つからない。休憩を挟んではギヨーム・コネッソン(1970-)のHeiterkeit(合唱とオーケストラのためのカンタータ)の日本初演。ウルバンスキーが音楽監督を務めたミネアポリス交響楽団からの委嘱作品で、第九の前座として作曲されたので楽器編成が同じだという現代曲としては変わり者ではあるが、ヘルダーリンの4つの詩をもとに作ら...東響第709回定期(4月15日)

  • 東京シティ・フィル特別演奏会(4月7日)

    桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎が指揮するブルックナーの交響曲第8番ハ短調だ。この組み合わせで2015年の5月の定期に取り上げられた記録があるが、その時は弦の薄さや木管のアンサンブルに問題があり、悪くはなかったが手放しで誉められなかった演奏だったような印象がある。今回は、以来常任指揮者高関健の薫陶を得てめきめきと実力を身につけているシティ・フィルがどんな演奏をするか楽しみで出かけた。83歳になって足元が覚束ないマエストロではあるが、その音楽は至って若々しい。(昨年のシューマンチクルスの時の音楽より若々しい印象)老け込んだり、滋味を湛えたりということはなく、楽章間もほとんど間を置くことなく驚くほどの推進力で逞しく前へ進む音楽なのである。8年前に比較して格段に合奏力が向上したシティ・フィルは、コンマス戸澤哲夫のリー...東京シティ・フィル特別演奏会(4月7日)

  • 東京・春・音楽祭2023「仮面舞踏会」(3月30日)

    今年82歳を迎える巨匠リッカルド・ムーティが指揮する演奏会形式によるヴェルディの「仮面舞踏会」である。これは昨今教育活動に積極的なムーティが先導する「イタリア・オペラ・アカデミー」の活動の一環で、東京では2019年の「リゴレット」、21年の「マクベス」に続いて3回目となる企画である。オーケストラはこの為に腕利きを集めた特別編成の「東京春祭オーケストラ」、合唱は「東京オペラシンガーズ」が担当だ。今回特筆するべきは、やはりムーティの指揮するオーケストラであった。長くオペラを聞いてきたが、実演、音盤をとり混ぜて、これ程までに説得力のあるヴェルディのオケ伴を聞いたことはこれまでに無かったと言っても良いだろう。もちろんオケがピットから出て舞台上で演奏したので細部まで良く聞き取れたということもあるのだろうが、決してそ...東京・春・音楽祭2023「仮面舞踏会」(3月30日)

  • 東京シティ・フィル第359回定期(3月18日)

    このところ年度最終の定期に大曲を並べているシティ・フィル、今年も昨年に続いってショスタコヴィッチで交響曲第7番である。その前に置かれたのは、新進気鋭の佐藤晴真をソリストに迎えて、とても珍しいカバレフスキーのチェロ協奏曲第一番ト長調。佐藤のチェロは惚れ惚れするような美音で、滑らかな弓捌きが実に鮮やか。ロシア民謡をフューチャーした曲の楽しさを十二分に引き出した佳演だったと思う。アンコールのバッハの無伴奏も実に素直な美しい演奏だった。これからの活躍を期待したい。メインの交響曲はナチス・ドイツのレニングラード侵攻中に作曲が開始され、国威発揚的な扱いを受けた曲であることが有名だが、今回の高関の演奏はそんなことを脇に置いた理性的なコントロール下の純音楽的な解釈だったと言ったら良いだろうか。そこには力づくの咆吼も涙の感...東京シティ・フィル第359回定期(3月18日)

  • びわ湖ホール「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(3月2日)

    15年の任期をを全うし、今期でびわ湖ホール芸術監督を勇退する沼尻竜典の最後の舞台である。演目はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。沼尻はこの間「プロデュース・オペラ」シリーズと「オペラ・セレクション」シリーズで、自ら指揮して31のプロダクションを舞台にかけてきたが、その中でもとりわけのハイライトは、バイロイト音楽祭で上演されているワーグナーの10作品を全て舞台化したということなのではなかろうか。途中新型コロナ禍により舞台芸術が全般的に危機に瀕したが、今は亡きミヒャエル・ハンペによる「指輪」の最終演目「神々の黄昏」では、無観客ストリーミング配信という画期的な手法に直前で切り替え、サイクルを辛うじて完結さるという離業を演じた。そしてその後はセミステージ演奏会形式への切替によって、今回の最終...びわ湖ホール「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(3月2日)

  • 新国「ファルスタッフ」(2月18日)

    これは新国立劇場が誇る名プロダクションの一つだと思う。私の記録が正しければ、2004年のプリミエ以来今回で5回目の登場ということになろう。長寿の原因は故ジョナサン・ミラーのオランダ絵画風の美しい舞台だろう。更に遠近法の見事さや回舞台を用いた「見せる舞台転換」の楽しさなど、その他の見どころも多い。そして今回は主役に人を得た。ニコライ・アライモはまさに適役と言っていいのではないか。容貌はもちろん、セリフ回しも、動きもまさに我々イメージにあるフォルスタッフなのだ。そして歌唱も朗々と響く美声で実に見事に決まる。女声陣はアリーチェのロベルタ・マンテーニャ、クイックリー夫人のマリアンナ・ピッツオラート、ページ夫人メグの脇園彩、ナンネッタの三宅理恵とイタリア系を多く揃えたが、中では三宅の澄んだリリカルな歌唱が印象的だっ...新国「ファルスタッフ」(2月18日)

  • 東京シティ・フィル第358回定期(2月17日)

    四年ぶりに川瀬賢太郎が登場して「怒りの日」で繋ぐプログラム。ソリストにN響のゲスト・コンマスも務める郷古廉を迎えた若き才能の眩しいコンサートだ。一曲目はイギリスの現代作曲家ジェームス・マクミランのバイオリン協奏曲だ。2009年に作られた所謂現代音楽にしては、自己満足的でなく聴衆を普通に楽しませてくれる音楽だ。ラベルのピアノ・コンチェルトを思わせる鞭の音ではじまったのにはいささか驚いたが、全体は決して聴きやすい音楽の垂れ流しではなく、「怒りの日」の引用があったり人の声が使われたりで創意に満ち、聞くものの感性を次から次へと刺激してくれる。華麗なテクニックとストラディバリの滑らかな音色に支えられたしなやかな郷古のソロはこの名曲を引き立てた。アンコールはイザイのバイオリン・ソナタ2番の2楽章。最後にしめやかに「怒...東京シティ・フィル第358回定期(2月17日)

  • 紀尾井ホール室内管弦楽団(2月10日)

    注目の指揮者マクシム・パスカルが紀尾井に登場した。そしてソリストは鬼才ニコラ・アルシュテットだ。まず最初はフォーレの組曲「マスクとベルガマスク」+「パヴァーヌ」。初っ端からフランス的な音色に耳をそばだてた。何とも表現し難いが、透明で軽やかでいつもの重厚な紀尾井の音とは明らかに違う。木管が浮き出てそのニュアンス豊かな表現が心に染みる。2曲目はアルシュテットの独奏でショスタコヴィッチのチェロ協奏曲第1番変ホ長調。ソロは恐ろしく雄弁で技巧的にも完璧。そしてショスタコの機知に富みつつ深刻な内容をも含んだ音楽を実に見事に表現した。第二楽章と三楽章の祈りにも似た内相的な表現、そしてフィナーレの快速な超絶技巧。作曲家の持つ多面的でカメレオン的な要素を包み隠さず引き出した名演だった。それにピタリと追従したパスカルの指揮に...紀尾井ホール室内管弦楽団(2月10日)

  • 東京シティ・フィル第72回ティアラこうとう定期(2月4日)

    第90回日本音楽コンクール・ピアノ部門で2位に入賞した佐川和冴を迎えた定期だ。そのコンクールの折に、佐川の音楽性に惚れ込んだ指揮者とシティ・フィルのリクエストによって実現した演奏会だということ。最初はバルトークの弦楽のためのディベルティメント。どんな難曲でも現在の高関+シティ・フィルならば極めて高水準に演奏できることを示した典型的な演奏だ。完璧なアンサンブル。そして充実した弦の響き、とりわけ久しぶりで姿を見るチェロの長明首席を含む低弦の充実には目を見張った。ニ曲目はモーツアルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調。佐川の独奏は極めて雄弁で、最初から装飾音が散りばめられる。ベートーヴェンを思わせる太い響きなのだが、一方で細部は驚くほど小気味良く指が回る。ちょっとランランを思わせるステージ・マナーで聴衆を惹きつける外...東京シティ・フィル第72回ティアラこうとう定期(2月4日)

  • 藤原歌劇団「トスカ」(1月29日)

    2023年藤原歌劇団新年幕開きは、久しぶりでプッチーニの「トスカ」である。今回は松本重孝による新プロダクションだ。簡素ながら効果的に装置を使いまわした美しい舞台で、一幕のアントニア・デラ・ヴァッレ教会の祭壇が客席側という設定が面白かった。二日目の歌手達は皆とても達者で、とりわけ東原貞彦のアンジェロッティと泉良平の堂守の大きな存在感がストーリーをより立体的にしていた。注目の佐田山千恵は表情豊かな美声で無事藤原デビューを飾ったと言っていいだろう。ただ声量がむらがありオケに負けがちなのが気になった。また肝心の「歌に生き恋に生き」の最後では息が続かずに、指揮の鈴木がうまく取りなす場面があったのは残念だった。一方カヴェラドッシの藤田拓也は絶好調で、ジャコミーニを思わせるロブストな美声で雄々しく歌い上げた。須藤慎吾の...藤原歌劇団「トスカ」(1月29日)

  • 東京シティ・フィル定期(1月28日)

    常任指揮者高関健指揮する東京シティ・フィル2023年の幕開きは、実演で聞くことがかなり珍しいベートーヴェンの「献堂式」序曲。この曲、最晩年の作品だがどうもインスピレーションに欠けていてる。大フーガを思わせる展開もどこか中途半端に終わっていて聞き映えがしない。続いて2021年国際ショパンコンクールで4位に入賞した小林愛美を迎えて、同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37。進化したエラール・ピアノの機能性に多くの影響を受けたと言われるダイナミックなソロ部分と、それを支える充実したオーケストレーションが特色とされる曲だ。しかしこの日の小林の方向性は、そうした力感よりもむしろ細部の沈鬱な表現に向いており、どこか釈然としないものが感じられた。一方オーケストラはスコアを反映して実に表情豊かに立派に鳴り渡...東京シティ・フィル定期(1月28日)

  • KOC名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2023(1月21日)

    2021年の年頭に企画されていながら、新型コロナによってホーネックの来日が果たせずに開催できなかった紀尾井ホール室内管弦楽団ニューイヤー・コンサートのリヴェンジである。指揮とバイオリンはこの楽団の名誉指揮者ライナー・ホーネックである。前半はモーツアルトの二曲をヨハン・シュトラウスの先輩格ヨーゼフ・ライナーの作品がアーチで結ぶ組み立て。歌劇《魔笛》K.620より序曲、ワルツ《モーツァルト党》op.196、そしてヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K.207だ。幕開きに胸をときめかせる序曲と、聞き知ったメロディが散りばめられたワルツ、そして軽やかで気品に満ちたホーネックの独奏は後半への最良のアペリティフだった。そして後半はおなじみシュトラウス兄弟のワルツとポルカ。もうこれらは言うことなし。まるで元旦のムジークフェ...KOC名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2023(1月21日)

  • ベルカント・オペラ・フェスティバル2023「オテッロ」(1月20日)

    藤原歌劇団が2019年以降毎年ヴァッレ・ヴィットリア音楽祭と共催する「ベルカント・オペラ・ファスティバル・イン・ジャパン」の一環の公演である。会場はロッシーニに最適規模のテアトロ・リージオ・ショウワ。そして今回の演目は、ロッシーニを舞台にかけ続けている藤原も初めて手がける「オテッロ」で、確か2008年のROF日本公演時にグスタフ・クーンの指揮で一度だけ観たことがある。観てみると中々よくできた作品なのだが何故あまり舞台にかからないかというと、それはやはり傑出した4人のテノールが必要だということに尽きよう。とりわけオテロとその恋敵ロドリーゴにそれぞれ個性の異なった歌手を充てるとなると敷居は高くなる。しかし今回の公演はこのフェスティバルの芸術監督であるカルメン・サントーロ女史の見事な人選でピタリと的を得た配役だ...ベルカント・オペラ・フェスティバル2023「オテッロ」(1月20日)

  • オペラ・ストウーディオ・オペラ「パリのジャンニ」(1月14日)

    藤原歌劇団が2019年から開催しているBOF(ベルカント・オペラ・フェスティバル)に付随したカルメン・サントーロ女史のマスタークラス2022の生徒(若手歌手達)によるドニゼッティのオペラ試演会が稲城iプラザ・ホールで開催された。なんと太っ腹にも無料である。14人の歌手達が登場して佳作「パリのジャンニ」を簡易な舞台に乗せた。皆衣装はつけているものの装置は極めて簡素。出演者の歌や演技にはまだまだこなれない所はあるものの、全員の熱演によって楽しい舞台になった。歌手達の中では主役のジャンニを前半と後半で交代に歌ったテノールの原優一と荏原孝弥はそれぞれ個性豊かな歌を聞かせ、ジャンニの側近オリビエロ役の依光ひなのは深い歌声と演技力で存在感を発揮し、後半でプリンチペッサを歌った米田七海は安定した美しい歌唱を聴かせたのが...オペラ・ストウーディオ・オペラ「パリのジャンニ」(1月14日)

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