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  • 東響名曲全集(2025年5月17日)

    日本各地のオケでこのスメタナの連作交響詩「我が祖国」を数多く手掛けている下野竜也の指揮である。読響、SKO、札幌、兵庫等。折しも彼の地では今年80周年を迎えた「プラハの春音楽祭」が開幕中の今日、今回は川崎でここを本拠地とする東響との共演となった。休憩なしの80分一本勝負のプログラムだ。流れ出たのは明朗闊達で極めて健康的な音楽である。チェコ音楽を得意とし読響ではドヴォルザークの交響曲チクルスもやっている。そんな下野だが殊更ボヘミヤ風を意識したところはなくごく自然にスコアを捉えて外連味なく音にしたと言った感じである。しかし意識的に堅固に隙なく組み立てるということはしないのでチョットした遊びが生じて楽しい瞬間が多々ある。そこが師匠格の高関健の作る音楽との違いであろう。オケは下野の解釈に対して共感に満ちた反応をし...東響名曲全集(2025年5月17日)

  • グリーンコンサート(2025年5月6日)

    「川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)2025」の一環で「東京交響楽団爽やかグリーンコンサート〜東欧ボヘミヤの風に乗って」と称された連休最終日のマチネーにやってきた。会場は新百合ヶ丘にある昭和音大のテアトロ・リージオ・ショウワ、指揮はキンボー・イシイで独奏がこの楽団の客演主席チェロ奏者の笹沼樹だ。そしてプログラムはオール・ドヴォルザークだ。まずはスラブ舞曲第1番ハ長調作品46-1で賑々しく開幕したが、イシイの音楽はとりわけボヘミア色を強調することのない明快で素直なもの。定期演奏会でないのでエキストラの多い東響の音はいつもとは異なり幾分硬質な響なので尚更クールさが強調されていたのかもしれない。続いて笹沼をソリストに迎えたチェロ協奏曲ロ短調作品104。笹沼は日本人としては長身で大柄だが出てくる音楽は繊...グリーンコンサート(2025年5月6日)

  • 日本フィル「オペラの旅」(4月27日)

    当団芸術顧問広上淳一が挑戦する演奏会形式オペラのシリーズ「オペラの旅で」第一弾だ。選ばれたのはジュゼッペ・ヴェルディ中期の傑作「仮面舞踏会」である。私には日本フィルという楽団は在京オケの中でもオペラ経験がかなり少ない楽団だという認識がある。だから日フィルとオペラをやることが「育ててくれた日本フィルへの恩返し」だというプログラムに記載されている芸術顧問の言葉にはある意味で大層合点がゆく。つまり小澤征爾が度々言っていたように「オペラとシンフォニーは車の両輪」だからどちらも欠けてはならないということだろう。しかし一方で広上は小澤と同様に決して劇場から出た指揮者ではなくコンクール優勝からシンフォニー畑を歩んできた経歴を持っている。実はそんな彼にどこまでオペラが出来るのだろうというのが正直な印象だった。(2024年...日本フィル「オペラの旅」(4月27日)

  • 藤原歌劇団「ロメオとジュリエット」(4月26日)

    今年創立100周年を迎えた藤原歌劇団のシーズン幕開けの演目はグノーの「ロメオとジュリエット」だ。よく出来た美しい曲なのだが、我が国では上演機会は決して多くなく新国の舞台にも未だかかったことがない。しかし当団は2003年にサバッティーニとボンファデッリを迎えたトゥールーズ・キャピトル歌劇場との共同制作のプロダクションを上演して話題となったことが記憶にある。今回は”TeatroOPERACollection”シリーズと銘打った新機軸で、舞台上にオケを上げたセミ・コンサート形式の上演である。この物価高のご時世経費削減の意味合いが強いであろうと想像するが、演奏会形式のオペラ公演は音楽に集中できて決して悪いものではないと思っている。今回はオケを舞台奥に配置し、前方を広くとってそこに極めて簡易な装置を置いた作り。それ...藤原歌劇団「ロメオとジュリエット」(4月26日)

  • 東京シティ・フィル第81回ティアラこうとう定期(4月12日)

    今年創立50年を迎えるシーズン開幕である。常任指揮者高関健の薫陶を得てこの10年に目覚ましいばかりの実力をつけ、今や東京のトップオケを凌ぐ演奏さえ披露してくれている東京シティ・フィル。嘗ての「東京で7番目のオーケストラ」のいささかひ弱な雰囲気は今や微塵もない。この調子で快進撃を続けて東京の音楽シーンを大いに活気づけてもらいたいものである。同時に今年はショスタコーヴィチの没後50年に当たるということで、本年度最初のティアラこうとう定期の曲目にはこの作曲家の最初と最後の交響曲が並んだ。第1番ヘ短調作品10は発表当時「モーツアルトの再来」と言われただけに既に十分完成された作品である。何より後年の特色である極めてシニカルで辛辣な音楽の影はなく、裏のない全く健康的でストレートな明快な音楽である。ショスタコとは本来こ...東京シティ・フィル第81回ティアラこうとう定期(4月12日)

  • 山下裕賀&小堀勇介&池内 響 with 矢野雄太 ~ Baccanale!! ~(4月6日)

    昨年1月の「脇園&小堀&園田」に続く「朝日ホールベルカント・シリーズ」の第二弾は、ソプラノ山下裕賀、テノール小堀勇介、バリトン池内響、ピアノ矢野雄太を迎えて、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」と「ラ・チェネレントラ」からの名場面集というベルカント・ファン垂涎のプログラムだ。二曲ともストーリーに沿って曲や場面を並べ必要に応じて説明のアナウンスが入る。装置こそないものの会場の浜離宮朝日ホールの舞台と客席(2階を含め)を存分につかったとても臨場感豊かな演奏会だった。こうした感想を持てたのも今回ここに集った4人の音楽家達が秀でた才能を持っていたからに他ならない。歌も演技も達者な歌役者が揃い、更に伴奏のピアノはまるでオーケストラのような表現力を示し、レチタティーボのアコンパニャートのセンスにも唸らされた。演出のク...山下裕賀&小堀勇介&池内響with矢野雄太~Baccanale!!~(4月6日)

  • 東響第729回定期(4月5日)

    2014年4月から11年の長きにわたって東京交響楽団の音楽監督をつとめたジョナサン・ノット。彼が音楽監督として最後のシーズン幕開けに選んだ曲は、今回が二度目となるブルックナーの交響曲第8番ハ短調WAB108である。就任2年目の2016年7月定期で取り上げた時には、実にスマートな力感に溢れた演奏で、所謂巨匠たちの堅固で厳かな演奏とは明らかに一線を隔したとびきりの新鮮さを感じたものだった。今回は初稿ノヴァーク版(1972)による演奏ということで、9年を経たノットの解釈と初稿使用という二つの「違い」を楽しみに桜満開のサントリーホールに足を運んだ。果たして演奏は前回とは全く趣を異にしたものだった。ノットといえばいつもは快速調なのだが開始からテンポが遅いことに驚いた。それはあたかも去る時間を慈しむようだった。初めは...東響第729回定期(4月5日)

  • 東響第99回川崎定期(3月31日)

    東響初登場の指揮者オスモ・ヴァンスカがどんな音楽を聞かせてくれるか楽しみに出かけた今シーズン最終の定期である。ニールセンの序曲「ヘリオス」OP.17、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調OP.37、そしてプロコフィエフの交響曲第5番変ロ長調Op.100というプログラム。不思議なプログラムではあるが、あえて言えばどの曲も肯定的な雰囲気に終わるということか。きな臭い今のご時世ではこれは大いに聴く者の心のなぐさみになる。まずは明快な音色にこの作曲家を強く感じるニールセンの序曲で気持ちよく始まった。この曲はデンマーク放送では新春を寿ぐ音楽だったそうだ。ヴァンスカの堅固で迷いのない音楽が心地よい。続いてピアノにイノン・バルナタンを招いたベートーヴェンのコンチェルト。これは正統的なベートーヴェンと明らかに異なる音...東響第99回川崎定期(3月31日)

  • コンサート・ホール・ソサエティのこと

    もう50年以上も前のことになるが、世界最大のレコードクラブと称する「コンサート・ホール・ソサエティ」という主にクラシック系のレコードクラブの広告を雑誌でよく見かけることがあった。当時30cmLPは一枚2,000円前後(今のCDとほぼ変わらない)だったが、この会社のLPは一枚1,350円だったので、貧乏学生にはとても魅力があった。会費はなく、毎月自宅に送られてくる「音楽通信」という小冊子に紹介されている「今月のレコード」が自動的に届くシステムである。その場合は梱包に同封されている振り込み用紙で期限までに支払いを済ますのである。もし記事を見て欲しくない場合は定められた期日までに同封の断り用のハガキで返信すればパスできる。小冊子には今月のレコード以外にも何枚か紹介されていて、それをオプションで注文することもでき...コンサート・ホール・ソサエティのこと

  • かなっくde古楽アンサンブル(3月22日)

    慶應義塾大学の学生団体「慶應バロックアンサンブル」のOB&OGで主に構成されているアンサンブル山手バロッコが、小林恵(ソプラノ)、池田英三子(トランペット)、小野萬里(ヴァイオリン)、坪田一子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)という3名の古楽器奏者をゲストに迎えて開催されたオール・バッハのマチネーである。開催場所は東神奈川駅に隣接した横浜市神奈川区民文化センターかなっくホール。このホールは単なる箱物に終わらず数々の企画を積極的に展開している。これはそんな主催公演の一つでこの日も満員の盛況だった。曲目はJ.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第6番変ロ長調BWV1051とカンタータ第209番BWV209「悲しみのいかなるかを知らず」よりシンフォニアとアリア「不安や怖れを乗り切った舟人は」、そして休憩を挟んでブランデンブ...かなっくde古楽アンサンブル(3月22日)

  • 神奈川県民ホールの休館によせて

    東京では音楽ホールの休館が相次ぐ。現在休館中の東京芸術劇場(2024.9.30~2025.08)に続いては紀尾井ホール(2025.8.1~2026.12.31)、東京オペラシティの2つのホール(2026.01~06)、サントリーホール(2027.1~秋)東京文化会館(2026.5~3年間)と続いて東京のコンサート事情はおおきくそれに影響されるだろう。しかしこれらは皆機能を新たにして再開するのだから、ある意味では、親しんだ意匠が変更さえたりして懐かしさは半減するかもしれないけれども大いに希望はある。なにせあの東京文化の狭い椅子ではオペラの長丁場はきつい。(キャパは若干減らしても前川國男氏の傑作の雰囲気をうまく残して居心地良くしてもらいたいものだ)しかし神奈川県民ホールの休館は先が見えない。この横浜は山下公園...神奈川県民ホールの休館によせて

  • 京都市響第698回定期(3月15日)

    常任指揮者沖澤のどかが振る今年度2回目の定期演奏会だ。昨秋には出産のため欠場だったが無事出産を終え復帰である。このプログラムを知った時からとても期待していたが果たして期待は裏切られることはなかったまずは藤倉大の「ダブル協奏曲ーヴァイオリンとフルートのための」ではバイオリンの金川真弓とフルートのクレア・チェイスが気持ち良い呼応を聴かせてとても大きな効果をあげた。名手に恵まれれば音楽的共感が得られる佳作だと言っていいだろう。そして待ちに待ったR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」は丁寧に扱いつつも強烈なドライブ感を感じさせる若々しく颯爽とした演奏で、京都市響が強靱に鳴りきった。プレトークで今回は練習に同会場が使えて音が変わったと言っていたが、たしかに一皮剥けた芯の強さが感じられたのである。巨匠の熟達した音楽も...京都市響第698回定期(3月15日)

  • 紀尾井ホール室内管第144回定期(3月14日)

    このオケの定期で初めての試みである演奏会形式のオペラに選ばれたのは、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」。指揮は首席指揮者のトレヴァー・ピノックだ。少し奥に下がったオケの前の空間とホール平土間通路を使った家田淳の演出は簡素ながら十分に立体的ドラマを表現した。何より気持ちよさそうに振るピノックの闊達な指揮がオケを沸き立たせ、そこに聴かれる多彩なオーケストレーションに天才の筆致を聞いた。この作品の特徴として重唱の美しさが挙げられることは多いがオケ伴も中々凄いことになっていて、単なる歌の伴奏にとどまらず歌以上にドラマを表現している箇所が沢山あったのだということに遅ればせながら気がつき、聴きながら嬉しくなってきた。(人生はやはり短いな)ピノックの絶大な力量に負うところが大きいと思う。配役には歌役者が揃った。フ...紀尾井ホール室内管第144回定期(3月14日)

  • 日本オペラ協会「静と義経」(3月9日)

    1993年に鎌倉芸術館の開館記念委託作品として制作初演された三木稔の作品で台本はなかにし礼。今回は新鋭生田みゆき演出によるニュープロダクションだ。(当初は三浦安浩がクレジットされていたが一身上の都合とやらで変更された)指揮は2019年3月に行われた本協会による再演でも指揮を執り、西洋物でも23年9月藤原歌劇団の「二人のフォスカリ」等で鮮やかな仕切りを見せている田中祐子。源義経と静の悲恋を描いたなかにし礼の脚本は流れが良く、さすがに歌詞もよく聞き取れて全くストレスがない。(今回は英語の字幕付き)三木の音楽は邦楽器や打楽器も多用したものだが、それらはオーケストラの中に自然に落とし込まれて違和感なく効果をあげ、華やかな群衆場面もアリアも盛り込まれた立派なグランドオペラ風作品に仕上がっている。当日の歌手陣は皆自然...日本オペラ協会「静と義経」(3月9日)

  • 東京シティ・フィル第377回定期(3月8日)

    思い返せば4年前の今頃はコロナ禍の中で多くの音楽会が中止されたり変更されたりしていた。そんな感染症の状況は未だ完全に払拭された訳ではないのだが、そんなことが遠い過去のことになり平常な生活が戻ってきているのが実に不思議だ。さてTCPの今年度最後の定期演奏会は、そんな折に大規模声楽曲を避けて曲目変更された2021年3月定期のリヴェンジ公演である。独唱陣は最初のアナウンスと変更なしという大きな拘りがこのオケらしい。(シティ・フィルは演奏会形式の「トスカ」の日程変更に際しても同様の拘りをみせた過去がある)指揮はもちろん常任指揮者の高関健である。何よりその拘りの独唱陣がとても良かった。ソプラノの中江早希の良く伸びるビブラートの少ない純粋な声はまさにレクイエムに相応しかった。メゾソプラノの加納悦子の深く掘り下げたドラ...東京シティ・フィル第377回定期(3月8日)

  • 新国「カルメン」(3月6日)

    2021年7月に初演されたアレックス・オリエのプロダクションが3年振りに再演された。指揮はコロナ禍で外人指揮者の欠場が相次いだ時期に日本に残留して強い助っ人として活躍したことが思い出されるガエターノ・スピノーザだ。実は本舞台初演後に行われた「高校生のための公演」で、指揮沼尻竜典、カルメン山下牧子、ドン・ホセ村上公太、エスカミーリオ須藤慎吾、ミカエラ石橋栄実という顔ぶれで観ていたプロダクションだ。しかし今回はコロナ禍で動きに制限の多かった初演時とは別の舞台と考えたほうが良いだろう。設定は現代日本で、カルメンは来日したロックバンドの人気歌手、エスカミーリオはその警護にあたる警察官の一人。そしてこのバンドは実は密輸もしているという話になる。決して読み替えではなく脚本の要点はきちんと踏襲した分かり易く退屈しないと...新国「カルメン」(3月6日)

  • びわ湖ホール「死の都」(3月1日)

    昨年の「ばらの騎士」に続くびわ湖ホール芸術監督阪哲朗プロデュース・オペラの第二弾はコルンゴルドの「死の都」である。とは言え今回のプロダクションは2014年3月8日に新国の初演に4日先立って日本初の舞台上演となった故栗山昌良によるプロダクションを今回岩田逹宗が再演出したものだ。初日の今日は何よりパウル役のびわ湖声楽アンサンブル出身の清水徹太郎が声、演技ともに大層充実した出来栄えを示し全体を強く牽引した。対する友人フランクの黒田祐貴は渋い歌と演技で大きな存在感を示した。マリー/マリエッタ役の森谷真里は幕を追う毎に迫力を増してゆき、終幕で自分の恵まれぬ人生を語る件(くだり)以降は正に鳥肌の立つ程の絶唱だった。侍女ブリギッタの八木寿子は深い美声と冷静沈着な役作りで脇を固めた。その他ユリエッテに船越亜弥、ルシエンヌ...びわ湖ホール「死の都」(3月1日)

  • 東京二期会「カルメン」(2月23日)

    国内オケから引くて数多(あまた)の沖澤のどかをピットに迎えたビゼー作曲の歌劇「カルメン」である。なので期待に胸を膨らませて臨んだのだが、二幕後半のセキディーリアまでは全くつまらなかった。その原因は明確で、レチタティーボ、あるいは台詞を全く取り去るという、まるでCDでハイライト盤を聞いているようなその構成にあった。ここまでの音楽ではそれらを取り去るとストーリーがほぼ消え去るのでオペラとして成立しないのである。正直こんな退屈なカルメンは初めてだった。しかしそれ以降は歌詞がストーリーを語る部分の出てくるのでようやくドラマが成立して少しはオペラらしくはなったのだが、歌唱が皆スケール感に乏しく、血湧き肉踊る「カルメン」にはなりようが無かった。そんな中ではミカエラを歌った宮地江奈の切々とした歌唱は印象に残った。カルメ...東京二期会「カルメン」(2月23日)

  • 東京シティ・フィル第367回定期(2月14日)

    首席客演指揮者藤岡幸夫の指揮する不思議な取り合わせの演奏会。一曲目はフラームスの交響曲第3番ヘ長調作品90。4曲ある彼の交響曲の中では私は最も苦手としてきた曲だ。全4楽章が全て弱音で終わるので若い頃からその盛り上がりに欠ける音楽が心を掴まなかったのかも知れない。藤岡はプレトークでいつ振っても幸せを感じると言っていたが、そういう聞き方をすると今回は急に親しみが湧いてとても興味深く聞くことができ,その魅力を発見できたのは大きな収穫だった。演奏の方は「言葉通り」ブラームス特有の渋さとか重厚感とかを全く感じさせないとても爽やかなものでシティフィルの弦が瑞々しく美しく響いた。二曲目は藤岡が強く望んだという伊福部昭の晩年の創作である交響頌偈「釈迦」。伊福部は若い頃から「釈迦」を題材とした作品を多く残したがこの曲はそう...東京シティ・フィル第367回定期(2月14日)

  • 藤原歌劇団「ファルスタッフ」(2月2日)

    今年創立90年を迎えた藤原歌劇団が年頭に放つ舞台はヴェルディ晩年の傑作「ファルスタッフ」のニュープロダクションだ。2015年1月のアルベルト・ゼッダ+粟國淳による名舞台以来10年ぶりの登場となる。”ニュープロダクション”を謳いながらも、実は昨年暮れに神戸文化ホール開館50周年記念として上演された同じく岩田達宗のプロダクションの舞台装置を流用し、照明と衣装はオリジナルという中々工夫された公演である。更に言えばその衣装に関しては我が国舞台衣装のレジェンド緒方規矩子氏がかつて「ウインザーの陽気な女房達」(たぶん藤沢市民オペラ)のために作ったものの再利用だという。(私の初めてのオペラ体験であった1969年の藤原「カルメン」の衣装も思い返せば緒方さんだったのだ!)これはある意味「使い回し」ではあるが、今回に関して言...藤原歌劇団「ファルスタッフ」(2月2日)

  • 東京シティ・フィル第375回定期(1月17日)

    今年で創立50周年を迎えたシティ・フィルの2025年最初の定期は、メインにグスタフ・マーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」を据えたプログラムだ。指揮はもちろん常任指揮者の高関健である。高関は2022年8月に開催された自身の「第50回サントリー音楽賞受賞記念コンサート」でも同団とこの曲を披露している。その時は1987年のサントリーホール開館時に国際作曲委嘱シリーズの一貫として委嘱されたルイジ・ノーノの曲を初演指揮者が再演するという意味を込めたスターターだったのだが、今回は新進気鋭の奥井紫麻をソリストに迎えたサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番ト短調作品22が一曲目というなんとも不思議な幕開きだった。プレトークで高関が語るところによると、この二曲の関連性を紐解くキーワードは「バロック」で、これは全くの彼の思いつ...東京シティ・フィル第375回定期(1月17日)

  • 都響第1040回定期(1月14日)

    都響とは初顔合わせになる80歳の老匠レナート・スラットキンを迎えた新春初の定期演奏会だ。一曲目は彼の奥方で作曲家のシンディ・マクティの「弦楽のためのアダージョ」。あの9.11をきかっけとして作られた曲だそうで、深い悲しみを音で表現するというよりも内省的な穏やかさが勝った美しい作品。メロディは常に下降して続くことなく途切れてゆく様が当時のアメリカ国民の心象を巧みに表しているように受け止めた。この方が悲劇を声高に語るよりもづっと説得力があるものだ。続いてはバイオリン独奏に金川真弓を迎えてウオルトンのバイオリン協奏曲である。滅多に聞かれることのない30分を要する大曲だ。ウオルトンというと個人的には大げさで賑々しい印象があったが、此の曲は深く内省的で情緒豊かな佳作だ。金川の独奏はじっくり深い叙情に根ざしていて曲想...都響第1040回定期(1月14日)

  • ウイーン・フィル・ニューイヤーコンサート

    毎年元旦の夜のお楽しみは、テレビの前に陣取ってウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートの生中継を観ることだ。此の時期にウイーンに居たことは幾度かあるのだけれど、ムジークフェラインの大ホールは私には高値の華なので、シュターツ・オパーかフォルクス・オパーの「こうもり」がいつもの私のお楽しみだ。2011年には市庁舎前の広場のライブ・ビューイングで、ウイーン児に混じってホット・ワイン片手に肩を揺すりながらウエザー=メストのを楽しんだ思い出がある。さて今年は1993年以来7度目の登場だというリッカルド・ムーティだった。若い頃はその元気がとても威圧的で楽しめなかったが、歳と共にそれも少しはこなれてきて楽しめる曲も混じるようになってきたなという印象を持っていた。そして今年はというと、どうも寄る年齢のせいか、もったいぶ...ウイーン・フィル・ニューイヤーコンサート

  • 新国「ウイリアム・テル」(11月26日)

    開館以来27年を経た新国立劇場だが、この間に本舞台で取り上げられたロッシーニは「セビリア」と「ラ・チェネレントラ」2演目のみという寂しい状態だった。しかし3演目目にまさかこの作曲家最後の大作「ウイリアム・テル」が選ばれるとはいったい誰が想像したことだろう。まさに大野和士オペラ芸術監督の快挙である。本格舞台初演は1983年の藤沢市民オペラによる邦語訳版だったが、今回は日本初演となる新制作フランス語版である。(2010年にアルベルト・ゼッタが東フィル定期でフランス語版を抜粋の演奏会形式で演ったことはあった。先般早逝された牧野正人さんがテルを朗々と歌っていたことを懐かしく思い出す。)今回は大野監督自ら指揮する東フィルがピットに入り、演出はヤニス・コッコスである。何よりもロッシーニの音楽が凄かった。感情の機微はあ...新国「ウイリアム・テル」(11月26日)

  • 東京シティ・フィル第79回ティアラ江東定期(11月23日)

    当団首席客演指揮者藤岡幸夫の指揮に上原彩子をソリスト迎え、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26とラフマニノフの交響曲第2番ホ短調作品27を組み合わせた熱いプログラムだ。プロコフィエフは7月に京都で同じく上原と沖澤のどかの指揮で聴いたばかりだが、上原のピアノは技巧的には一切不満はないのだが、京都の時に比較して音量が不足していささか勢いが無いように聴こえた。これは会場のせいか、あるいはオケの音とのバランスのせいなのかもしれない。一方小さな音の部分ではオケが音量を落とすので透明で繊細なピアニズムに新たな発見があった。抜群の疾走感と爽やかさに貫かれた快演といった印象。アンコールはしっとりと前奏曲op.32-5。まさに対照の妙を感じさせる心憎い選曲だ。休憩を挟んだラフマニノフはもう藤岡の独壇場だった。機...東京シティ・フィル第79回ティアラ江東定期(11月23日)

  • 藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」(11月22日)

    藤原歌劇団創立90周年記念公演の一環で、ドニゼッティ後期の珍しいオペラ「ピーア・デ・トロメイ」が日生劇場で上演された。マルコ・ガンディーニによる新演出という触れ込みではあるが、母体となるプロダクションは2007年と2010年に昭和音大がテアトロ・リージオの舞台にかけている。装置的にはいかにも省エネの舞台なので二幕などは空間を持て余す感があったが、衣装の色調が良く演奏も充実しているとそれなりの効果はあるものだ。作品的にはナンバーの接続に多少のギクシャク感はあるのだが、時として中期のヴェルディを先取りしたようなドラマティックな音楽があることに驚いた。そしてカンマラーノの脚本に起因するストーリー展開の早さもあるので最後まで決して退屈することはなく、何故この演目が現在ほとんど劇場にかからないのか不思議なくらいだ。...藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」(11月22日)

  • 東響オペラシティシリーズ第142回(11月15日)

    音楽監督ジョナサン・ノットならではの、お馴染みリゲティを加えた何とも不思議なプログラムの演奏会だ。まずはこのホールの専属オルガニスト大木麻里の独奏によるリゲティの「ヴォルミーナ」。これがまるで大きな電気掃除機の中に頭を突っ込んでしまったのではないかと思われるような大音響で始まった。その後はオルガン的であったり、そうでなかったり。健康診断の聴音検査と思うような音も聞こえたり。比較的素朴で単純なトーンクラスターが定期的に変化してゆく。しかしどの音もどの響きもシンセサイザーのようでありながら決して無機質でなく、不思議と人間的な温もりを感じるところがオルガンを使った魅力だ。私は決して嫌ではなかった。どこまでが作曲者で、どこまでが演奏者で、どこまでが楽器なのかまったく区別はつかないが、とにかくハチャメチャでありなが...東響オペラシティシリーズ第142回(11月15日)

  • NISSAY OPERA 「連隊の娘」(11月10日)

    この秋は私にとってベルカントオペラ満載の嬉しいシーズン開幕だ。新国の「夢遊病の女」に続いて、今日は日生劇場のドニゼッティ「連隊の娘」である。今回の粟國淳演出、イタロ・グラッシ美術、武田久美子衣装のプロダクションは、まるでおもちゃ箱をヒックリ返して出てきた人形達によって繰り広げられるファンタジーのような思いっきりキュートでポップなもの。世界各所で戦火が勢いを増すこの時代、リアルな軍隊や制服を一切登場させないこのアイデアは観る者に優しく、同時にとても効果的だったと思う。これにより連隊の中で一人の娘が兵士達によって育てられるといういささか現実離れした筋書きもすんなりと受け入れられる夢の中の物語と化し、観衆はストーリーに内在するほのかなペーソスと喜びを素直に受け入れられたのではないだろうか。そうした一見ドニゼッテ...NISSAYOPERA「連隊の娘」(11月10日)

  • 八ヶ岳高原サロンコンサート(11月1日)

    スヴャトスラフ・リヒテルや武満徹が開設に多く関与した八ヶ岳高原音楽堂で開催された仲道郁代の「ショパンの時代に想いを馳せて」と題されたソロリサイタルにはるばる出かけた。曲目は「幻想即興曲作品66」「練習曲”革命”」「練習曲”別れの曲”」「バラード第1番」「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」までが前半、そして「練習曲”エオリアン・ハープ”」「前奏曲”雨だれ”」「バラード第3番」「夜想曲第20番」「ポロネーズ”英雄”」が後半。仲道は2007年にNHKの番組収録の折りにショパンが愛用したことで知られるプレイエル社製の楽器を偶然にも試奏する機会を得、一瞬にしてその響きに惚れ込み、以来プレイエルを使ったショパンの演奏法を追求し続けている。今回はその成果を楽器に相応しい小さな空間で披露する絶好のチャンスに...八ヶ岳高原サロンコンサート(11月1日)

  • びわ湖ホール声楽アンサンブル第15回東京公演(10月14日)

    このびわ湖ホール座付きのアンサンブルは決して合唱団ではない。彼らはオペラ歌手、ソリストであると同時に合唱にも対応できるように訓練されているメンバーであり、そうした意味では日本では他に類を見ない団体だと言って良いだろう。事実彼らは大きなびわ湖ホールの本舞台での脇役として名を連ねるのみならず、彼らを主体とするオペラ公演も年に数回は開催されている。そうしたメンバーが本拠地びわ湖ホールで自主リサイタルを開催し、それと同時に東京でも同じ演目でリサイタルを開催した。今回はそうした定期的な公演の15回目ということになる。「4人の作曲家たち〜フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランク」と題された今回のコンサートは、フランスを代表する4人の作曲家の合唱曲と歌曲を折り混ぜた滅多に聞くことにできないような興味深い内容であった...びわ湖ホール声楽アンサンブル第15回東京公演(10月14日)

  • 東響第97回川崎定期(10月13日)

    クシシュトフ・ウルバンスキを迎えてメインはショスタコヴィッチの交響曲第6番ロ短調。その前にデヤン・ラツィックのピアノ独奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調が置かれた全部で70分程度の比較的短いマチネだった。まずラフマニノフではラツィックの爽やかであると同時に繊細極まるピアニズムが聴く者を虜にした。一方でウルバンスキーは冒頭から怒涛のようなロマンティックな流れを作るものだから、1楽章ではどうもシックリといかない居心地の悪い時間が続いた。しかし1楽章の最後の弦の音を引き延ばして続いて演奏された2楽章になり独奏と木管を中心とするオケとの静謐な絡みが始まると雰囲気が一転した。ピアノとオケの距離がグット縮まり、そこで奏でられたえも言われぬ親密な音楽はこの日の白眉だったのではないか。フィナーレはオケとの息もピタ...東響第97回川崎定期(10月13日)

  • 新国「夢遊病の女」(10月9日)

    開場以来27年を経た新国立劇場の本舞台についにベッリーニが初登場した。これは驚くべきことで、日本のオペラ界がモーツアルトとヴェルディとワーグナー一辺倒でいかに「ベル・カント・オペラ」を軽視してきたかという証だと言って良いだろう。しかし一方で藤原歌劇団は1979年以来3回も「夢遊病」を上演し続け、その時々での最良の舞台を届けてくれているという事実もある。だからこれは、「日本のオペラ界」ではなく「新国立劇場」と言い直した方が良いかもしれない。しかし大野和士オペラ芸術監督の下でこうした日を迎えたからには、今後は毎シーズンに1演目くらいはベルカント物を組み入れてもらいたいと願うばかりである。(参考までにこれまで新国の本舞台にはドニゼッティは「愛の妙薬」(4シーズン)、「ルチア」(3シーズン)、「ドン・バスクアーレ...新国「夢遊病の女」(10月9日)

  • 東京シティ・フィル第373回定期(10月3日)

    常任指揮者高関健が振るスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲である。高関は2015年4月の楽団常任指揮者就任時のお披露目定期でもこの曲を取り上げ、それまでこの楽団からは聞いたこともないような密度の濃い音と音楽に大層驚いたことを鮮明に覚えている。その日のブログを私はこう結んでいる。「これまでも矢崎彦太郎のフランス音楽のシリーズや飯守泰次郎のワーグナーの演奏会形式の演奏などで数々の名演を残したこのオーケストラではあったが、今回の名演は明らかにそれらとは次元を異にした世界への飛躍を感じさせるものであった。この日オペラシティコンサートホールに溢れ出た音楽をいったい何と表現したら良いのだろうか。仮にこの演奏が「プラハの春音楽祭」のオープニングコンサートで鳴り渡ったとしても、おそらく大きな喝采を得ただろう。これからの高...東京シティ・フィル第373回定期(10月3日)

  • 東響オペラシティシーリーズ第141回(9月28日)

    ドイツを中心に活躍する台湾出身のTung-ChieChuangを指揮台に迎え、英国の若手ヴィオリストDimothyRidoutをフューチャーした初秋のマチネである。スターターはバッハの管弦楽組曲第3番より「アリア」だ。今回はグスタフ・マーラー編曲のヴァージョンで演奏された。なのでさぞや色んな音がするのだろうと耳を澄ましたが、ほぼ原曲に忠実で、イントネーションが多少ロマンティックになっているくらいの差異しか私には聞き取れなかた。小編成で弦はノンヴィブラート奏法。なのでその清澄な音色とマーラーが加えた若干のロマンティックな味わいのミックスが不思議な雰囲気を醸し出していた。続くウォルトンのヴィオラ協奏曲はティモシー・リダウトの独壇場だった。3楽章構成で、第2楽章は短いスケルツオではあるものの、両端楽章はオーケス...東響オペラシティシーリーズ第141回(9月28日)

  • 紀尾井ホール室内管第141回定期(9月21日)

    このところオペラ畑で大活躍のフランスの指揮者ピエール・デュムソーを迎えたロシア物をフランス物2曲で挟んだプログラムだ。1曲目は珍しいアルベール・ルーセルの交響的断章〈蜘蛛の饗宴〉作品17。あまり馴染みのない作曲家なので交響曲しか聞いた事がなかったが、これはその即物的な印象とは随分に違うとても色彩的な音楽だ。ここではまず細密画のようなオーケストレーションを明快に描き分けてゆくデュムソーの手腕が見事で、初っ端から紀尾井の瑞々しい弦と秀でた木管アンサンブルからフランスの香が漂った。夜の帷(とばり)が降りる昆虫達の行き交う庭にポツンと一人落とされたような幻想的な雰囲気が醸出され、筆致の描写性も十二分に引き出された名演だった。続いて昨年2月のショスタコのコンチェルトに続いて2度目の登場になるニコラ・アルトシュテット...紀尾井ホール室内管第141回定期(9月21日)

  • 東フィル第1004回オーチャード定期(9月15日)

    東フィルの定期演奏会には毎年名誉音楽監督チョン・ミョンフン指揮するオペラが組み込まれるのがこのところの定番となっている。今年はヴェルディの「マクベス」(1865年パリ改定版)である。「ファルスタッフ」、「オテロ」とここ二年程連続でヴェルディのシェークスピア物をやっていて今年がその最後の年ということになる。結果として一番若書きのこの作品が最後になったが、シェイクスピアを熱愛したヴェルディが満を辞して世に問うたこの力作の音楽史的意味は、「トリ」を努めても良い程に大きいであろう。声楽陣はマクベスにセバスティアン・カターナ、マクベス夫人にヴィットリア・イェオ、バンクオーにアルベルト・ベーゼンドルファー、カウダフにステファノ・セッコ、マルコムに小原啓楼、侍女に但馬由香、それに新国合唱団という十分な布陣。毎度のことだ...東フィル第1004回オーチャード定期(9月15日)

  • 東京シティ・フィル第372定期(9月6日)

    東京シティ・フィル秋のシーズンの開幕は、常任指揮者高関健の振るブルックナーの交響曲第8番ハ短調だ。このオケは2020年8月にこの組み合わせで第2稿ハース版を使用した立派な名演を残したばかりで、それはCDにも記録されている。しかし今回は生誕200周年ということで、最新の第1稿ホークショウ校訂譜を使用した演奏だ。この第1稿の特色は、指揮者レヴィに「演奏不能」と突き返され、弟子に促されて改定を施す際に切り捨てた部分を復活させたり、また改変したオーケストレーションを元に戻したりし、この曲が最初に生まれた無垢な形を復元したことにある。私は今回初めてこの初稿が実音となったのを聞いたわけだが、これまで長年聴き親しんできた第2稿が随分効果を狙い、メリハリたっぷりに、その意味では合理的(?)に書き換えられていて、実はその一...東京シティ・フィル第372定期(9月6日)

  • 第44回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル (8月28日〜30日)

    毎夏の恒例になった草津の音楽祭に今年もやってきた。ノロノロ台風10号の来襲で生憎の天気ではあったがその分涼しい草津は酷暑に疲れた体には大層楽であった。今年のテーマは”モーツアルト〜愛され続ける天才”だ。28日は”ショロモ・ミンツが奏くモーツアルトの協奏曲”と題されたコンサート。一曲目にモーツアルトのアダージョとフーガハ短調K.546、二曲目はこの一月に惜しくも逝去した前音楽監督の西村朗を引き継いで音楽顧問に就任した吉松隆の「鳥は静かに・・・」。それは朋友西村との死別に寄せる悲歌にも聞こえた。続いたバイオリン協奏曲第4番ニ長調K.218でのミンツの歩みは、通常の闊達なモーツアルトとは一味も二味も違うジックリと丁寧に噛んで含めるような独特なスタイル。そして打って変わってアンコールはH.W.エルンストの「無伴奏...第44回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル(8月28日〜30日)

  • ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2024(8月17日〜21日)

    昨年に続いて今年もアドリア海に面したイタリアのリゾート地Pesaroで毎年開催されているロッシーニ・オペラ・フェスティバルにやってきた。今年は滞在期間にオペラ5演目とリサイタル1つを楽しんだ。まず到着の翌日8月17日の午後は、昨年「パルミラのアウレリアーノ」で素晴らしい歌唱を披露したスペイン出身のメゾ・ソプラノSaraBlanchのリサイタルだった。曲目はロッシーニ、ベルリーニ、ドニゼッティの歌曲とオペラ・アリアで構成されていた。その自然体で流麗な歌唱は甘美な香りを会場一杯に漂わせ聴衆を魅了した。最後に置かれた「イタリアのトルコ人」からのフィオリッラのアリアは来年のこの役での登場を予想させるものだった。続いてこの夜は、後年の傑作「エルミオーネ」の新プロダクションだった。A.バルトリ(エルミオーネ)、V.ヤ...ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2024(8月17日〜21日)

  • 読響フェスタサマーミューザKAWASAKI 2024公演(7月31日)

    毎夏恒例フェスタサマーミューザKAWASAKI2024に、いまや引っ張りだこの沖澤のどかが登場、さらに共演が人気ピアニスト阪田知樹だというから会場は満員御礼だ。まずはR.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」作品20で颯爽と開始された。沖澤の振りには迷いやブレが一切なく、オケが確信を伴って響くのでそれが実に快い。そしてダイナミックも大きくとられ読響の機動力に富んだ馬力が物を言う快演であった。続いて阪田が真っ黒な僧服のような出立で登場した。それはまるでフランツ・リストが写真帳から出てきたよう。演奏の方も強靭なフォルテと羽毛のような繊細で軽やかなピアニッシモを駆使していとも楽々とこの難曲を弾き切り、リストもかくやと思わせた。チェロの遠藤真理のソロも聞き映えがした。割れんばかりの盛大な喝采にアンコールは自ら編曲し...読響フェスタサマーミューザKAWASAKI2024公演(7月31日)

  • 京都市響第691回定期(7月27日)

    直前に2029年迄の任期延長が報じられた常任指揮者沖澤のどかとチャイコフスキーコンクールの覇者上原彩子の二人が登場した真夏の定期だ。京都コンサートホールはほぼ満員の入りでこの二人の人気の程がうかがわれた。一曲目はプロコフィエフ作曲のピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26。上原はまるでアスレチック選手のような身体能力を存分に発揮して難所を鮮やかに弾き切った一方、プロコフィエフ独特の冷たく澄んだ叙情をも見事に表出させ、その技量の幅広さを存分聴かせてくれた。寸分の狂いもない沖澤の挑戦的な合わせも完璧で見事の一語に尽きる共演だった。盛大な拍手にアンコールはドビュッシーの「ゴリウオークのケークウオーク」。音色の対比が実にチャーミングで素敵だった。休憩を挟んでストラヴィンスキー作曲のバレエ組曲「ペトルーシュカ」(1947年...京都市響第691回定期(7月27日)

  • 東京二期会「蝶々夫人」(7月21日)

    この宮本亜門のプロダクションは、残されたピンカートンの息子が、父であるピンカートンの重篤な病床で、それまでの蝶々さんとの顛末を記した手紙を遺書として渡されるところから始まるのだが、そのプロダクションの2019年のワールド・プリミエが余りにも素晴らしかったので、その感動をもう一度という思いで出かけた。ドレスデン、サンフランシスコの舞台を経て、それなりに進化した舞台は納得できるものだった。しかし今回は歌手の力不足が目立った。東京文化会館の2階右で聞く限り、全員声量が全く不足しているのが極めて残念だった。(会場のPAシステムの故障か?)蝶々夫人の高橋絵里は演技はとても良いのだが、声は張り上げると聞こえるがそうでないと力が急に減衰するのでほとんと聞こえない。何より声に響きがないのが致命的だ。ピンカートンの古橋郷平...東京二期会「蝶々夫人」(7月21日)

  • 新国「トスカ」(7月19日)

    2000年9月21日のプリミエ公演以来、ほぼ四半世紀に渡って幾度となく新国の舞台にかかり続けているアントネッロ・マダウ=ディアツの名物舞台である。私自身、初演そして2002年5月のノーマ・ファンティーニの舞台以来3回目となる実に久方ぶりの参戦である。この日もほぼ満員の入りでオペラパレスは賑わっていた。細部まで写実的に確り作り込まれた華麗な舞台は、新国の舞台機構を存分に使った変化に富んだ舞台転換の動きも伴って、視覚的にはゼッフィレッリの「アイーダ」に決して負けないゴージャスなプロダクションなのではないか。だから歌手と指揮者に人を得れば、これぞオペラという大きな感動が約束されたようなものなのだが、今回はいささか不満の残る仕上がりであった。カヴァラドッシ役のテオドール・イリンカイの高音は他を圧する力強さを持って...新国「トスカ」(7月19日)

  • 東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)

    名誉客演指揮者の大友直人を迎えてバルトークとエルガーの不思議な組み合わせのマチネーだ。音楽的には何ら共通点はない二曲だが、今回はそれぞれがとても良い演奏だった。まずはバルトークのピアノ協奏曲第2番Sz.95だが、この演奏の成功は何よりもピアノ独奏のフセイン・セルメットの技量と音楽性に資するものだったと言って良いだろう。それは打楽器のような強靭な打鍵からからとろけるようなロマンティックな響まで、それはもうピアノを操ってあらゆることが可能だと思わせる程の見事さだった。東響もそれに呼応し濃厚にしてエネルギッシュな好演。とりわけティンパニとトランペットのアクセントに胸が高鳴った。割れるような盛大な拍手にアンコールはうって変わってショパンの練習曲作品25-7で、セルメットはバルトークとは正反対の静謐な世界をも見事に...東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)

  • 東京シティフィル第371回定期(6月29日)

    ウイーン古典派プログラムの模範のような選曲の定期を振るのは古楽界を代表する指揮者(チェロ奏者)鈴木雅美だ。オケはティンパニとトランペットにピリオドスタイルの楽器が用いられ、フルートは木製。弦のビブラートは抑制されてスッキリした響で統一されていて、全体に嘗て流行ったような変に刺激的な炸裂は控えた落ち着いた響だ。こういう穏当なスタイルでウイーン古典派を聞くと、一時は反動的なブームのように広がった”古楽スタイル”も落ち着くところに落ち着いたなという気がする。最初のモーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲は、まあスターターとしての腕試しのような感じ。整った響が心地よく、独立して演奏されるために尻切れトンボ的なオペラ版のコーダに加筆が施されていた。続いて小山実稚恵を迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作...東京シティフィル第371回定期(6月29日)

  • 都響第1002回定期(6月28日)

    2010-2017年のシーズンに首席客演指揮者を務めたヤクブ・フルシャが振る7年ぶりの演奏会である。チェコ音楽特集でスメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークという王道が並んだ。スメタナ生誕200年、ヤナーチェク生誕170年、ドヴォルザーク没後120年の記念イヤーにちなんだプログラムか。まずは日本では滅多に演奏されることがないスメタナの歌劇「リブシェ」序曲だ。その愛国的な内容ゆえに冒頭のファンファーレは国家式典でしばしば奏されることがある。コロナ前2019年5月の「プラハの春音楽祭」でフルシャ指揮バンベルク交響楽団の「我が祖国」を聴いた夢のような体験が脳裏に浮かんで思わず胸が熱くなった。なんとも深い思いが指揮ぶりから感じられ、それを都響が見事に音にしていた。続いてヤナーチェクの歌劇「利口な女狐の物語」大組曲だ...都響第1002回定期(6月28日)

  • アーリドラーテ歌劇団「シチリアの晩鐘」(6月22日)

    ヴェルディをひたすら愛する山島達夫氏により創設されたヴェルディ上演専門のアリドラーテ歌劇団によるヴェルディ作曲「シチリアの晩鐘」の”バレエ〈四季〉完全版を伴う東日本初演”である。全5幕の「グランドオペラ」で、当日の演奏時間は4時間半を超えた。配られたプログラムにはカラーイラスト付きの懇切丁寧な筋書きが添えられていて山島氏の「ヴィルディ愛」をひしひしと感じた。主要配役はエレナに石上朋美、モンフォルテに須藤慎吾、アッリーゴに村上敏明、プローチダにデニス・ビシュニャと、藤原歌劇団のベテラン勢で固められ、それに大規模な合唱とバレエが加わった。とにかく重鎮の須藤と村上が全体を牽引、とりわけ第三幕のモンフォルテが孤独を歌うアリア「腕には富を」とそれに続く二重唱は聞き物だった。石上も最初はビブラートの多様が気になったが...アーリドラーテ歌劇団「シチリアの晩鐘」(6月22日)

  • 紀尾井ホール室内管弦楽団第139回定期(6月21日)

    ウェーバー作曲の歌劇序曲と言えば、「魔弾の射手」だって「オベロン」だって、勿論今晩の一曲目の「オイリアンテ」だって、ドイツ臭に満ちていて、分厚く重厚でロマンティックでドイツ音楽好きには堪らないナンバーであると思うのがクラシック音楽界の”一般常識”ではないだろうか。しかしトレヴァー・ピノックの手にかかると、それがクリアーで風通しの良いメチャメチャ明るい音楽に変身するから不思議である。勿論キリリと仕上がるためには紀尾井の精緻なアンサンブルの力量が大きく貢献していよう。とにかく明快極まりないウェーバーで、ここまでやってくれれば文句の言いようがない。二曲目はラトヴィア生まれの新鋭クリスティーネ・バラナスを迎えてドヴォルジャークのバイオリン協奏曲イ短調作品53。ピノックもバラナスもとりわけボヘミヤ風を意識することな...紀尾井ホール室内管弦楽団第139回定期(6月21日)

  • 山響さくらんぼコンサート2024(6月20日)

    すっかりこの夏至の時期の初台恒例になった山形交響楽団の東京公演である。今年は常任指揮者阪哲朗の指揮だ。スターターは管楽器やティンパニも含めてピリオド様式によるモーツアルトの二曲。まずは歌劇「魔笛」序曲K.620、そしてミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ曲K.317。スッキリ爽やかに、音を大切に紡いだ純正な演奏が実に快く心に響いた。ミサ曲には老田裕子、在原泉、鏡貴之、井上雅人ら四人のソリストと山響アマデウスコアが加わった。阪がプログラムに寄せた「エッセイ」に書いているように、一晩のコンサートの真ん中に「ミサ曲」を埋め込んだプログラムは現代では珍しい。後半はこれも極めて珍しいベルリン・フィルの首席指揮者として知られるあのアルトウール・ニキシュ作曲の「ファンタジー」。これは当時大ヒットしたV.E.ネッスラー作曲の歌劇「ゼ...山響さくらんぼコンサート2024(6月20日)

  • 東響オペラシティシリーズ第139回(6月1日)

    沼尻竜典指揮によるポーランドの音楽を並べたマチネーだ。メインは懐かしいヘンリク・ミコワイ・グレツキの交響曲第3番作品36「悲歌のシンフォニー」である。それにエリック・ルーを迎えてフレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21。前者は30数年前に英国のヒットチャートを飾って大ブレークし、その音盤が大売れしたという極めて珍しい「現代音楽」だ。何と1994年に日本初演を担ったのは、今回の指揮者沼尻と彼が当時常任指揮者を務めていた新星日響だったということだ。(私は当時このオケの定期会員だったが、その初演は特別演奏会だったので聞いた記憶はない)今回配布されていたチラシを観て、「悲歌」で終わるのは何とも気が重いので、ショパンを後に演奏してほしいなと思っていたのだが、残念ながら当日の順番はショパンが先だった。...東響オペラシティシリーズ第139回(6月1日)

  • 二期会「デイダミーア」(5月25日)

    歌手陣にもオーケストラにもとびきりの若手を集める「二期会ニューウェーブ・オペラ劇場」、今回は4度目となる鈴木秀美+ニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウとの共演でヘンデルの最後のオペラ「デイダミーア」だ。演出・振付はこのプロジェクトではお馴染みの舞踏家中村蓉が担当した。彼女は2015年の「ジューリオ・チェザーレ」で演出家菅尾友の下で振り付けを担当し、2021年の「セルセ」では演出家としてデビューし、その大胆な演出が鮮烈な印象を与えて今回に至ったという訳だ。とにかく研修所を出て3年以内の歌手達が抜擢され、ピットもピリオド筋の学生達が中心なのでとても生きの良い音楽と舞台が展開された。中村の演出は舞踏家だけあって歌手陣にもお構なしにダンサー並の動きを要求するので、大御所にはとても務まらないであろう。...二期会「デイダミーア」(5月25日)

  • 新国「椿姫」(5月22日)

    2015年プリミエで今年が5回目になるヴェンサン・プサールのプロダクションである。そして今回のプリマは2022年の代演で絶賛を浴びた中村恵理の再登場だ。プサールの演出は、鏡を多用した現代的な抽象舞台ではあるが、冒頭に主人公のモデルとなった実在の娼婦マリー・デュプレシの墓碑を見せたり、途中で本人らしき肖像を背後に映し出したりして、原作者デュマ・フィスが描いた「道をはずした女」の悲劇にリアリティを与え、舞台に歴史的社会性を付与することに成功していたように思う。主演中村の声質は時と共にが強靭になり更に深みを増してきたので、まさに今ヴィオレッタを歌うには最適だった。加えて表現力も益々豊かになってきたので、一幕では高い部分がいささか曇り気味ではあったけれど、二幕以降は幕を追うごとに歌の切れ味も深みもドンドン増しドラ...新国「椿姫」(5月22日)

  • 東響オペラシティシリーズ第138回(5月17日)

    音楽監督ジョナサン・ノットが指揮する二つのヴィオラ協奏曲を重ねた極めて珍しいプログラムだ。まずは当団主席ヴィオリストの青木篤子をソリストに迎えてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」作品16だ。颯爽たるノットの指揮に触発された東響がまるでフランスのオケのように鮮やかに鳴り切った。泡立つリズム、鮮やかな色彩、しなやかなメロディ線、一発触発の切れ、それらが一体となった眩いばかりの音楽に聴衆は釘付けになり、終了後は大きな拍手と歓声がタケミツ・メモリアルホールに響いた。青木も精一杯のニュアンスで見事に弾き切った。それを支えるノットはバランスに苦慮したが、やはり何と言ってもベルリオーズの絢爛たるオーケストレーションの下ではソロが隠れがちになってしまうのは致し方なかろう。青木の美点はむしろオケの独奏楽器との掛け合...東響オペラシティシリーズ第138回(5月17日)

  • 東響第720回定期(5月12日)

    今回の指揮者ジョナサン・ノットはこれまでも幾度か武満徹作品をプログラムに含めたことがあった。音楽監督就任の2014年にマーラー9番と「セレモニアル」を、2016年にドビュッシーの「海」+ブラームスの1番と「弦楽のためのレクイエム」を組み合わせた。他にもあるかも知れないが記憶にあるのはこれだけだ。どちらの演奏も私としては曲想との親和性を感じて興味深く聴いた記憶がある。今回一曲目の武満徹作曲「鳥は星形の庭に降りる」も、しなやかなで繊細な進行と透明な音感が曲想に合致していてとても心地よく聴いた。二曲目はソプラノの高橋絵里を加えてベルクの演奏会用アリア「ぶどう酒」。こちらはボードレイルの詩のドイツ語訳三篇に曲をつけたものだが、どうも多彩なテクストの内容に比較して曲調が変化乏しくノッペリと出来ていてあまり面白く聴け...東響第720回定期(5月12日)

  • ウイーン・フォルクスオパー「ウインザーの陽気な女房達」(5月5日)

    ウイーンの「フォルクスオパー」というと”オペレッタ”と連鎖的に思ってしまうが、それは日本固有のイメージであってどちらかと言うとウイーンという街に於いてはシュターツオパーに続く2番目の常設小屋という位置付だ。あくまでもセカンド・ラベルなのだから、こちらには世界的な超一流のキャストが揃うこともないし観客にVIPが混じることも決してない。しかしだからと言って出し物が面白くないことは決してないし、むしろ小回りが利いて興味深い良い舞台ができることもあるだろう。思い返せば最初にウイーンでオペラを観たのはこの劇場の「ウイーン気質」だった。1972年のことである。パブリックスペースが狭くって、ろくなロビーもなくて休憩時間には皆外に出てミモザなんかを飲むのだが、観客が皆寛いでいる独特な雰囲気が私は大好きだ。そんな魅力一杯の...ウイーン・フォルクスオパー「ウインザーの陽気な女房達」(5月5日)

  • ウイーン・フォルクスオパー「サウンド・オブ・ミュージック」(5月4日)

    ウイーンのフォルクスオパーのレパートリの中には、オペレッタのみならずミュージカルも多く含まれている。そこで兼ねてより、この劇場でオーストリアを舞台とした「サウンド・オブ・ミュージック」を観てみたいと思っていたのだが、今回のウイーン滞在中に運良く巡り会うことが出来たので、これ幸いと出かけた。演目のせいか、レイバー・デイという休日のせいもあってか、劇場は家族連れで一杯だった。そもそもこの演目は、リチャード・ロジャース&オスカー・ハマーシュタインというミュージカル界の大御所二人が作り、1959に初演されたブロードウエイミュージカルなのだが、それを基にして1965年に制作されたジュリー・アンドリュース主演の映画の方が数段有名になっている。このミュージカルのフォルクスオパー初演は2005年で、今回観た舞台はその再演...ウイーン・フォルクスオパー「サウンド・オブ・ミュージック」(5月4日)

  • ウイーン国立歌劇場「ローエングリン」(5月2日)

    5月の連休に14年振りで新緑のウイーンを訪れ、国立歌劇場でクリスティアン・ティーレマンの振るワーグナー作曲の歌劇「ローエングリン」のプレミア公演二日目を観た。私自身この劇場を訪れるのは今回が1980年12月以来8度目となるが、ルティーン公演の中にはかなり手抜きの舞台もあることを知っている。しかし今回は2022年ザルツブルク復活祭で初演されたJossiWielerとSergioMorabitoによるプロダクションのウイーン引っ越公演だけあって、指揮者を始めキャスティングにはかなり力が入っていたと思われる。それゆえに演奏の方は音楽的にはかなりの水準だったと言って良いだろう。取り分けティーレマン指揮するオケの雄弁さには流石ウイーンと思わせるところが随所に聞かれた。タイトル・ロールのDavidButtPhilip...ウイーン国立歌劇場「ローエングリン」(5月2日)

  • びわ湖の春音楽祭2024(4月27日・28日)

    コロナの為に中止あるいは規模を縮小していたこの音楽祭が久方ぶりに賑々しく本格開催された。今年のテーマは「〜夢と憧れ〜」だ。「ラ・フォル・ジュルネ」とほぼ同形式の音楽祭だが、こちらは会期も二日、会場も「びわ湖ホール」一箇所(3つのホールとメイン・ロビー)とぐっと小規模ではある。しかし内容はなかなか濃い。そしてなによりびわ湖に面したホールの立地が素晴らしく、とりわけ天気に恵まれた時の爽快感は有楽町の比ではない。今年は1日目こそ曇天だったが二日目は晴天に恵まれて心地良い音楽祭になった。今回は2日に渡り7つの公演に参加した。まずは27日のオープニングコンサートでは、このホールの音楽監督阪哲朗とカウンターテナー藤木大地そしてソプラノ小林沙羅+京都市交響楽団が集う華やかな舞台で幕開けを飾った。ウイーンのフォルクス・オ...びわ湖の春音楽祭2024(4月27日・28日)

  • 東響第95回川崎定期(4月21日)

    共にフィンランド出身の指揮者サカリ・オラモとソプラノのアヌ・コムシを迎えたお国物を中心としたコンサートである。エイノユハニ・ラウタヴァーラの「カントウス・アルクティクス」(鳥とオーケストラのための協奏曲)作品61である。自ら収録したフィンランド中部の湿地帯に生息する鳥たちの鳴き声をソリストとするユニークな「協奏曲」だ。2chで収録された鳥の声のテープ音がホール天井から舞台に降り注ぐ中、オケがそれに呼応する3つの楽章から成る佳作だ。幾種類かの鳥の声とオケが北国の自然風景を描き、最後はフィンランドの国鳥オオハクチョウの群れが春を告げる。まことにシーズン幕開けに相応しいスターターではないか。続いてはカイヤ・サーリアホの「サーリコスキ歌曲集」(管弦楽版)の日本初演だ。ペンッティ・サーリコスキの詩集から採られた人生...東響第95回川崎定期(4月21日)

  • 紀尾井ホール室内管第138回定期(4月20日)

    2021年11月定期以来二度目の登場となるピアニストのピョートル・アンデルシェフスキ迎えた2024/25年シーズン開幕公演である。最初は指揮者無しでグノーの小交響曲変ロ長調だ。名前は「交響曲」だが、木管7本のアンサンブルの滅多に演奏されないが曲。私も生で接するのは多分生涯二度目だと記憶するが、今回は紀尾井の名手達の卓越した表現力がグノーの魅力を十全に引き出した。フルート相澤政宏、オーボエ神農広樹・森枝繭子、ファゴット福士マリ子・水谷上総、クラリネット有馬理絵・亀井良信の面々。続いてアンデルシェフスキの弾き振りでモーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488。のっけから水際だった玉井菜採率いる弦の美しさに心を鷲掴みにされたが、肝心のピアノの方は余り印象に残らず。もちろん均整がとれた心地よく美しい響きなの...紀尾井ホール室内管第138回定期(4月20日)

  • 東京シティ・フィル第369回定期(4月19日)

    快進撃を続けるコンビ10年目に突入した常任指揮者高関健と東京シティ・フィル。2024/25年のシーズンは、華々しくR.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」より第一幕および第二幕より序奏とワルツ集で幕を開けた。これは作曲者自身が編曲したヴァージョンだそう。原曲を超えた想像力豊かな展開も聞き取れる興味深いピースではあったが、やはり日頃聞き慣れているロジンスキー編曲の「組曲」の方が本編のオペラを素直に感じることができて聞き心地はそちらの方がよろしい。二曲目は南紫音を迎えて大変珍しいシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番作品35。これは高音が続く超絶技巧の単一楽章の協奏曲風幻想曲といった趣だ。怪しげというか、耽美的というか、独特な音色と色彩感を持ったガラス細工のようなソロのフレーズを南は見事に弾き切った。大オーケスト...東京シティ・フィル第369回定期(4月19日)

  • バッハ・コレギウム・ジャパン第160回定期(3月29日)

    2024年の聖金曜日にタケミツ・メモリアルホールで開催されたBCJによるJ.S.バッハ作曲マタイ受難曲の演奏会である。指揮は主席指揮者の鈴木優人。エヴァンゲリストはベンヤミン・ブルンス、ソプラノはハナ・ブラシコヴァと松井亜季、アルトはアレクサンダー・チャンスと久保法之、テノールは櫻田亮、バスは加耒徹とマティアス・ヘルムという声楽陣だ。私はキリスト教者ではないけれど、やはりこの曲を聞くとなれば襟を正して聞かざるを得ない。前回は2015年のラ・フォル・ジュルネだったと思う。プログラムによるとその時が今回の指揮者鈴木優人のマタイ初振りだったということだ。まあそれはともかくとして、キリスト受難の3時間を超える大曲の中に身を置くことは決して楽なことではないので、これが生涯最後の生マタイになるのかなと思いつつ席につい...バッハ・コレギウム・ジャパン第160回定期(3月29日)

  • びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演(3月24日)

    今年度で開館25周年を迎えたびわ湖ホールの活動を支える専属の声楽アンサンブルの東京公演である。前日には本拠地であるびわ湖ホールでの初日公演があったので、この日が二日目ということになる。今回は初代音楽監督若杉弘氏へのオマージュということで「Theオペラ!」と題され、若杉が愛し「青少年オペラ劇場」として幾度も上演を重ねたブリテン作曲の歌劇「小さな煙突掃除屋さん」のセミ舞台上演がメインであった。この45分ほどの小オペラは、「オペラを作ろう」という3幕仕立ての舞台作品の一部で、最初の二つの幕では背景がドラマとして語られ、この作品はその第3幕という位置付けになる。そして今回それに先立って演奏されたのは、何と演奏時間90分を要するヴェルディ作曲の「レクイエム」なのだ。これは世界的にもほとんど顧みられることのないヴェル...びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演(3月24日)

  • 東京シティ・フィル第368回定期(3月8日)

    2023年度最後の定期は、常任指揮者高関健の指揮でシベリウスとマーラーの二曲。この二人は5歳違いのほぼ同年齢だが、その作風は雲泥の差だ。プレトークによると作曲についての考え方も全く相入れなかったらしい。最初に置かれたシベリウスの交響詩「タピオラ」作品112は彼の作曲キャリアの最後期の作品で、自然と対話するような内相的な作品だ。高関によると作曲技法も大変にシンプルだという。高関の緻密でありながら広い視野を感じさせる指揮と透明感のあるシティ・フィルの音色は、そうした作品の特色を神々しいまでに描き切った。休憩後はマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調。今回はハープ2台使用の他ダイナミックスやアーティキュレーションにいくつかの変更が施された国際マーラー協会の「ラインホルト・クビーク校訂2002年版」が使用された。演奏の方...東京シティ・フィル第368回定期(3月8日)

  • びわ湖ホール「ばらの騎士」(3月2日)

    新型コロナの影響で2018年以来途絶えていた「びわ湖ホール・プロデュースオペラ」の本格舞台上演が、新音楽監督阪哲朗の指揮の下で5年ぶりに復活を果たした。今回の演目はR.シュトラウスの「ばらの騎士」である。結論から言って、それはこの日本の地で、すべて日本人の手で作り上げられた舞台とは到底思えぬほどの驚異的な仕上がりだった。その一番の要因はもちろん歌手達の歌唱と演技の完成度なのだが、それを導き出したのはまったくむらの無い敵材適所の配役だったような気もする。元帥婦人の華やかさと威厳と哀愁を見事に表現した森谷真理、美声と軽妙な演技で独特の存在感を発揮したオックス男爵の妻屋秀和、ズボン役でありながら女性の変装をするという複雑な立ち位置を歌唱・演技の両面でピタリと決めたオクタビアンの八木寿子、出会いのときめき、そして...びわ湖ホール「ばらの騎士」(3月2日)

  • 小澤征爾さんの訃報に接して

    生の小澤を初めて聞いたのは、今は「LINECUBESHIBUYA」と呼ばれる「旧渋谷公会堂」だった。たぶん1970年代前半のことだったように覚えている。それは確か「東急ゴールデンコンサート」というラジオ番組の公開録音だったのではないだろうか。応募ハガキを出して当選して嬉々として会場へ向かったような気がする。他に何を演ったかは全く覚えていないのだけれど、チャイコフスキーの交響曲第4番が入っていたことだけは鮮烈に覚えている。しなやかで、勢いがあり、輝かしい、それまでに聞いたこともないような「めちゃくちゃかっこいい」音楽だった。その時の音楽の印象は、かろうじてパリ管を指揮した同曲の音盤(1970)で振り返ることができる。しかし私にとっての小澤の価値はここで終わっていて、その後どんどん純化されていく彼の音楽にはど...小澤征爾さんの訃報に接して

  • 東京シティ・フィル第367定期(2月2日)

    首席客演指揮者藤岡幸夫が振る2月定期だが、ロッシーニ、菅野、サン=サーンスという組み合わせの意味はよくわからない。まずはロッシーニの歌劇「ラ・チェネレントラ」序曲だが、まあ予想通りシンフォニックにオケを鳴らした演奏で「ロッシーニ感」はゼロ。それはそれで良いのだが、そのように演奏するとなると、スターターの役割としては曲が役不足かと感じた。二曲目は神尾真由子をソリストに迎えて今話題のTVドラマ「さよならマエストロ」のテーマ音楽作曲者としても知られる菅野祐悟のバイオリン協奏曲(世界初演)。これは作曲者が英国の詩人ジョン・キーツの書いたラブレターに触発されて神尾のために書いた30分を要する大曲だ。前半では恋人への想いの丈を、後半では憧憬の情のような感情を描いたようなわかり易い曲だ。神尾はほぼ弾ききりの熱演だったが...東京シティ・フィル第367定期(2月2日)

  • 藤原歌劇団「ファウスト」(1月28日)

    藤原歌劇団29年振りのグノーの「ファウスト」である。あらためて聞いてみると、長いけれども実によく出来たオペラなのだが、我が新国立劇場の舞台にかかったことはないのが不思議である。前回1995年はジュゼッペ・サバティーニ、ルジェロ・ライモンディ、渡辺洋子という実に豪華な主役陣だったのをプログラムを引っ張り出して思い出した。今回聞いた裏キャストは藤原の若手を揃えた布陣。まあ若手を聞きたくて選んだのだが、これが”予想外”の聞き応え充分な好演であった。何より全ての歌手の歌がとても充実していたのが良かった。最後までリリカルな声で歌い通したファウスト澤崎一了、悪魔というより少し人間寄りの存在感をよく示したメフィスト伊藤貴之、朗々としたノーブルな歌声が印象的だったヴァランタン井出壮志朗、純粋なマルトを聴かせた北薗彩佳、こ...藤原歌劇団「ファウスト」(1月28日)

  • 東京シティ・フィル第76回ティアラこうとう定期(1月27日)

    常任指揮者高関健が振る今シーズン最後のティアラこうとう定期は大入満員の大盛況。その理由は二曲目にあるのだが、プレトークで高関は他の曲にも力を入れているので楽しんでくださいとのこと。そしてスターターは滅多に実演では聞くチャンスはないモーツアルトの交響曲第32番ト長調K.213。ホルンが4本もあり、更にトランペットがあるのにティンパニのない古典派としてはとても不思議な編成。だから聞きなれない音がするのが楽しい。高関にしては随分大らかな、威勢の良いモーツアルトであった。そして二曲目はマウリシオ・ラウル・カーゲルのディンパニとオーケストラのための協奏曲だ。話題性はともかくとして、とんでもない結末以外の部分も中々良くできた曲で面白い曲である。そして何よりシティ・フィル首席ティンパニ奏者目等貴士の華麗なバチ捌きは実に...東京シティ・フィル第76回ティアラこうとう定期(1月27日)

  • KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2024(1月26日)

    ニューイヤー・コンサートと言えば毎年元旦に開催されるウイーン・フィルのものがつとに有名であるが、昨今は初登場や珍しい曲ばかりで組まれる傾向があるように思える。それはそれで良いのだが、どうも私には音楽的に物足りなさを感じるようになって来た。そこへゆくとこの紀尾井ホール室内管弦楽団とその名誉指揮者でウイーン・フィルのコンマスも務めるライナー・ホーネックの演るニューイヤー・コンサートは曲目がとりわけ変化に富んでいて飽きることがない。まず一部はモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」の序曲で始まり、ホーネックの弾き振りによるバイオリン協奏曲第5番イ長調K219が続いた。まあここまではある意味腕試し的な感じで、紀尾井のアンサンブル自体もちょっと荒いかなと感じられる所もあった。しかし協奏曲ではホーネックの軽やかさと機敏さ...KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2024(1月26日)

  • 京都市響第685回定期(1月20日)

    沖澤のどかを追いかけて本拠地京都にやって来た。京都のお洒落な街北山にある京都コンサートホールで開催された彼女が常任指揮者を務める京都市交響楽団の1月定期演奏会である。先日の東京シティ・フィルへの客演時と同様のフランス物を並べたプログラムだ。最初は滅多に生で演奏されることのないアルチュール・オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」である。どの楽章も消えるように終わりはするが、作曲当時の不健康な健康状態の悲壮感よりむしろオネゲルの精緻な筆致をよく表した演奏だった。そして迷いのない棒による推進力からは秘めた力さえ感じさせられた。二曲目はハープ独奏に吉野直子を迎えてフランスの女流作曲家ジェルメーヌ・タイユフェールのハープと管弦楽のための小協奏曲。美しい佳作ではあるが、いかんせん演奏のせいか、はたまた聞いた場所のせいか、...京都市響第685回定期(1月20日)

  • 東京シティ・フィル第366定期(1月13日)

    シティ・フィルは今回の指揮者沖澤のどかを2012年2月の時点で招聘していた。しかしコロナ禍の中で来日が不可能となり師の高関健が代演した経緯がある。だから今回はそのリヴェンジ公演とでもいえようか。しかし曲目はその時とはガラリと変わった。シューマンとラヴェルという対極のような組み合わせを解く鍵は第1曲目にあった。それはラヴェル編曲によるシューマンの「謝肉祭」である。ただし全22曲中出版されたのは4曲だけでそれ以外は紛失されたそう。だから今回は出版されている4曲だけが演奏された。聴く前から「前口上」のようなピアニスティック曲をラヴェルはどう料理するのだろうと興味津々で臨んだ。まあ違和感も多い敢闘賞と言ったところか。演奏の方もまあ腕試しという印象。続いてピアニスト黒木雪音が登場してシューマンのピアノ協奏曲イ短調。...東京シティ・フィル第366定期(1月13日)

  • 脇園彩&小堀勇介ニューイヤー・デュオリサイタル(1月9日)

    ここに登場するのは、今を時めくメゾ・ソプラノ脇園彩、そして日本を代表するロッシーニ・テナー小堀勇介。共にペーザロのロッシーニ・オペラ・アカデミーの出身だ。そして今回ピアノ伴奏を務める指揮者園田隆一もアカデミーの主だった”ロッシーニの神様”アルベルト・ゼッダに薫陶を受けたことがあるのだから、さしずめ毎夏イタリアのペーザロで開催されるロッシーニ・オペラ・アカデミーの同窓会のようなリサイタルだったと言ってよいだろう。だから彼らの奏でるベルカントが悪いわけがない。それにしてもロッシーニとドニゼッティの比較的地味なアリアとデュエットだけで構成されたこの様なコンサートをよく実現されたものだ。浜離宮朝日ホールに心から感謝したい。まず最初はロッシーニの歌劇「アルミーダ」からの”甘美な鎖よ”という小さな二重唱がスターターで...脇園彩&小堀勇介ニューイヤー・デュオリサイタル(1月9日)

  • NHKニューイヤーオペラコンサート(1月3日)

    この番組はもう何十年も前からか年初の楽しみとして毎年テレビで拝聴してきた。何年か前には試しにNHKホールに足を運んで生で体験したこともあったが、裏の仕切りが厄介で、やはり茶の間でお屠蘇気分で楽しむものだと実感した。昨今は一回ごとに趣向を凝らした舞台作りと演出で、ある意味楽しませてくれている。しかしとりわけ今年は「対の歌声、終わらない世界」と題されて、黒い衣装に身を包んだ磯野佑子アナウンサーが暗く変に勿体ぶった感じの語りで全体を進める不思議な展開だった。新年早々能登地方では地震が、羽田空港では飛行機のクラッシュがある波乱の幕開きへの配慮なのかどうかは不明だが、とても新たな年を寿ぐ雰囲気ではなかったし、その不気味というか、無用な厳しさが「オペラ」を視聴者から遠のかせるのではないかと心配になった。その昔は舞台に...NHKニューイヤーオペラコンサート(1月3日)

  • ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会(12月31日)

    今年で18回目を迎える大晦日昼1時から夜8時半までのマラソン演奏会である。隣の大ホールでは広上淳一指揮の交響曲全曲演奏が挙行されているのだから、この日は上野の東京文化会館はベートーヴェン・ファンで埋め尽くされるわけだ。演奏メンバーに一昨年から新たにクァルテット・インテグラが加わった。古典四重奏団は1986年、クァルテット・エクセルシオは1994年、インテグラが2015年の結成ということなので、日本を代表する重鎮、ベテラン、新進気鋭の常設アンサンブルがベートーヴェンの中期・後期の弦楽四重奏曲で技を競うのだから興味は尽きない。今年は作品59のラズモフスキーの3曲「エクセルシオ」が担当した。彗星の如く登場して話題になったこのアンサンブルもいつしかベテランの域に達し、しなやかさは何時もながらだが、ラズモの3番では...ベートーヴェン弦楽四重奏曲【8曲】演奏会(12月31日)

  • 東響第717回定期(12月16日)

    桂冠指揮者ユーベル・スダーンが久しぶりに登場し、ドイツの編曲物を集めた興味深いプログラムだ。まず最初はぐグスタフ・マーラーが編曲を施したシューマン作曲交響曲第1番変ロ長調作品38「春」である。稚拙と云われているシューマンのオーケストレーションの弱い部分に手を入れた基本的に原曲に忠実な編曲なのだが、この曲のトレードマークでもある春を告げるかのような冒頭のファンファーレは聞き慣れたメロディではない。なんでもこれがシューマンが最初に構想したメロディだそうだが、いささか違和感があると同時にそこに華やいだ春の喜びは感じられない。まあそれはともかく全体の印象としてマーラーの筆を尽くして手入れのために大層密度の濃い響きになっている。そしてそれをスダーンは輪をかけて緻密に、そして力感豊かに響かせるので、ロマンティックとい...東響第717回定期(12月16日)

  • 東京シティ・フィル第365回定期(11月30日)

    そもそも2020年3月の第332回定期に予定されていたこのプッチーニの歌劇「トスカ」(演奏会形式)だが、コロナ禍で演奏会自体が中止に追い込まれ、一旦は同一キャストでその年の8月への延期が発表された。しかしその時点でもまだ情勢が合唱付きのオペラを公演できるまでに至らず、ついに三年越しで実現にこぎつけた、いわば「リヴェンジ公演」である。しかも今回もオリジナル・キャストとは、常任指揮者高関健とシティ・フィルの並々ならぬ執念を感じさせる。そんな曰くを知ってか知らずか、会場はこのオケの定期としては珍しくほぼ満員となった。さて演奏の方は満を持しただけあって輝きに満ちた極めて充実したオケの響で開始された。このあたりは数多のイタリア・オペラの中でもとりわけシンフォニックな「トスカ」を演目に選んだ理由でもあろうし、そうした...東京シティ・フィル第365回定期(11月30日)

  • 新国「シモン・ボッカネグラ」(11月26日)

    開館以来26年にして、このヴェルディの名作「シモン・ボッカネグラ」が初めて新国立劇場の舞台にかかった。1976年NHKイタリア・オペラによるピエロ・カプッチルリの伝説的「シモン」の洗礼を受けた身としては、期待に胸踊らせて会場に向かった。今回はフィンランド国立歌劇場とテアトロ・レアルとの共同制作によるピエール・オーディのプロダクションである。シモンを歌ったのは先シーズンのリゴレットで喝采を浴びたロベルト・フロンターリ。今回も公私両面において悲哀に満ちたこの役を見事に歌い演じた。宿敵のフィエスコはリッカルド・ザネッラート。第三幕の和解の場面の二重唱には胸が熱くなった。アメーリアのイリーナ・ルングはイタリア組に囲まれて歌唱スタイル的には不利な場面もありながら、一幕一場の父と娘の二重唱では感動を誘った。まあここは...新国「シモン・ボッカネグラ」(11月26日)

  • 紀尾井室内管弦楽団第137回定期(11月17日)

    コロナ禍で一旦中止になったオッタービオ・ダントーネと紀尾井のアンサンブルの共演が実現した。勿論夫君でコントラルトのデルフィーヌ・ガルーを伴ってのことである。まずはヘンデルの歌劇「アルチーナ」序曲、サラバンド、ガヴォットⅡ、それにアリア「復習したいのです」で始まり、歌劇「ジュリーオ・チェザーレ」よりアリア「花吹く心地よい草原で」、歌劇「リナルド」よりアリア「風よ、暴風よ、貸したまえ」と続いた。さぞかし尖った演奏なのだろうと思っていたが、紀尾井のアンサンブルが穏やかに受け止めてか、とても居心地の良い古楽の響きに驚いた。細かなパッセージでも一糸乱れぬ弦にニュアンス豊かな木管は紀尾井の強みだ。一方ガルーの歌唱は声量こそあまりないが、自在に喉を駆使して見事なアジリタを聞かせた。響きが今ひとつ抜けきらない感もあったが...紀尾井室内管弦楽団第137回定期(11月17日)

  • 東京シティ・フィルの2024年度プログラム

    在京のどのプロオケより遅く東京シティ・フィルの来年度プログラムが発表された。このオケの場合、タケミツメモリアルホールで開催される定期が9回とティアラこうとうで開催される定期が4回なので、年間たった13回しか定期演奏会がない。しかし毎年決して集客目的の名曲の羅列に終わらず、多彩な曲目で組み立てられており、年季の入ったファンには大いに魅力的である。このあたり首席指揮者高関健の選定眼を強く感じさせる。更に指揮者にもソリストにも「外人」の名前はほぼ見当たらず、日本人を並べるのは逆に「壮観」でさえある。このあたりは、財政上の都合が大きく影響しているとは思うが、人選に間違えがあった試しはない。さて次年度を見渡してまず気づいたのは、二曲の大曲が最近10年来の定期で二度目の登場だということだ。10月のスメタナ作曲連作交響...東京シティ・フィルの2024年度プログラム

  • NissayOpera「マクベス」(11月12日)

    何とこの日生劇場にヴェルディのオペラがかかるのは1970年のベルリン・ドイツ・オペラの「ファルスタッフ」以来53年振りだというから驚きだ。どうして「オペラ劇場」として誕生した日生はそんなにヴェルディを遠ざけていたのだろう。まあそれはともかくとして、このヴェルディ初期の名作は何と言ってもマクベス夫人に人を得ないと形にならない。そうした意味で、今回二日目に夫人を歌った岡田昌子は歌唱的にも演劇的にも十二分に説得力のある出来だったと言って良いだろう。前半で気弱な夫マクベスを鼓舞する場面の強烈な歌でも決して汚く響くことはなくニュアンスも十分、そして後半の狂乱的な場面での虚な歌、そして演技も見事に決まった。一方マクベス役の大沼透も独立したアリアは一曲しかないものの、苦悩の王をよく描いた。バンクオー役の妻屋秀和もいつも...NissayOpera「マクベス」(11月12日)

  • 東響第716回定期(11月11日)

    音楽監督ジョナサン・ノットとドイツの正統派ピアニスト、ゲルハルト・オピッツとの共演によるベートーヴェン・プログラムだ。この二人の共演は一昨年12月のブラームスの2番以来となる。ノットにしてはリゲティがない素直なプログラムで、いささか拍子抜けの感もある。一曲目はピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19。何の衒いもなく弾き進むオピッツのピアノではあるが、その音色は極めて美しくとりわけ二楽章終盤のピアニッシモの美しさには耳をそばだてた。そこから終楽章へ入ってゆく微妙な間合いが私的にはこの演奏のハイライトだった。しかしやはり何となく物足りない印象を残したのは曲のせいか、はたまた演奏のせいか。続く交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」は快速調で始まったが決してセッカチな感じがなかったのは、抑揚のタップリとある歌い回しのせいで...東響第716回定期(11月11日)

  • 東響第135回オペラシティーシリーズ(10月21日)

    音楽監督ジョナサン・ノットの指揮するブルックナーの交響曲第1番ハ短調を中心とするマチネーだ。日頃選曲の妙を楽しませてくれるノットだが、今回も今年生誕100年を迎えたリゲティの「ハンガリアン・ロック」(オルガン独奏版)とベリオの「声(フォーク・ソングII)」との興味深い組み合わせだ。会場のタケミツメモリアル・ホールに入り舞台上に目をやると、そこには日頃のオケ配置と全く違う光景があった。更に正面オルガン側にも、2階バルコニー席のいくつかにも譜面台が置かれているではないか。何か面白い事が起こる予兆を感じた。一曲目はオルガン独奏と書かれているのにオケの団員達も入場し席に着く。この時点で最初の二曲はアタッカで演奏されるのだなと予想した。ノットと共にオルガン席にモンドリアン風(コンポジション)のポップな出立の大木麻理...東響第135回オペラシティーシリーズ(10月21日)

  • 東響第93回川崎定期(10月14日)

    音楽監督ジョナサン・ノットが登場して、自らドビュッシーのオペラから編曲した交響的組曲「ペレアスとメリザンド」とヤナーチェックの「グレゴル・ミサ」を並べたプログラム。一曲目はこのオペラのペレアス、メリザンド、ゴローの3人の登場場面に焦点を絞った15曲で構成された40分を超える大組曲だ。聞く前は曲柄もあるのでさぞ冗長になるのではと懸念されたが、幸いなことにそれは全くの杞憂だった。それは選曲の妙、演奏の妙だ。曖昧模糊とした基調にドラマチックな場面も適宜織り交ぜながら極めて柔軟に作曲者の持つ独特な色合いを描いたノットも素晴らしいし、東響の惚れ惚れするような木管群(竹山・荒木・吉野)のニュアンスと鮮やかな弦にも感心した。続いてのヤナーチェックはノットの気迫に貫かれた演奏だったと言って良いだろう。とは言いつつ決して固...東響第93回川崎定期(10月14日)

  • 東京二期会「ドン・カルロ」(10月13日)

    東京二期会が9年振りでヴェルディの「ドン・カルロ」を舞台にかけた。この作品の上演で常に問題となる版は、前回同様イタリア語五幕版ではあるが、今回はそれに加えてパリ初演時にすでにカットされていたいくつかの曲やバレエ曲、更にはシュトットガルトでのこのプロダクションの初演時に挿入されたゲルハルト・ヴィンクラーの現代曲をも加えたオリジナル版が使用された。演出はロッテ・デ・ベア、ピットは一昨年の「ファルスタッフ」で好評だった俊英レオナルド・シーニと東京フィルが受け持った。この日の主な配役は、フィリッポ2世にジョン・ハオ、ドン・カルロに樋口達哉、ロドリーゴに小林啓倫、エリザベッタ竹多倫子、エボリ公女清水華澄、宗教裁判長に狩野賢一といったところ。まずは今回の上演で特徴的だったのはその演出とクリストフ・ヘッツアーの舞台だろ...東京二期会「ドン・カルロ」(10月13日)

  • 東響第192回名曲全集(10月7日)

    来年4月から京都市響の常任指揮者に選任された沖澤のどかが東響に初登場した。プログラムはオール・ストラヴィンスキーの凝ったもので、「カメレオン作曲家」とさえ言われるこの作曲家の多様な音楽を見事に描き分けて聞かせた。まずは擬古典スタイルのバレエ音楽「プルチネッラ」組曲。決して騒ぎ立てないしっとりとした古典的な音感の中にこの作曲家らしいスパイスを散りばめた実に爽やかな快演がのっけから聴衆の心をグット捕らえた。ここで舞台の入れ替えがあり、次は新古典的なスタイルの「詩篇交響曲」だ。緻密な棒ながら、素っ気なく聞こえることは決してなく、全曲を貫く豊かな呼吸が快い感動を誘った。終楽章、”アレルーヤー”と静かに謳われた瞬間には鳥肌が立った。これは稀有な名演だったと言って良いだろう。休憩を挟んで最後は初期の民族的な色彩感に満...東響第192回名曲全集(10月7日)

  • 東京シティ・フィル第364回定期(10月4日)

    去る8月に急逝した桂冠名誉指揮者飯守泰次郎が指揮する予定であった演奏会であるが、常任指揮者高関健が代わって指揮台に登ることになった。曲目はワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、そしてブルックナーの交響曲第9番ニ短調という、故人を偲ぶには誠に相応しいラインナップに変更された。高関はプレトークで、故マエストロを慕い追従するというのではなく、その基礎の上に新たな自分たちの音楽を築いてゆきたいと語ったが、その心意気を切々と感じさせる当夜の演奏であった。明晰な音感で開始された「オランダ人」序曲は最後まで透明感に満ちた音色で奏された。それは嘗て話題になったこともあるブーレーズ+ニューヨークフィルの音盤を思い起こさせた。そこに流れたのは飯守独特の溜めのある流れから生ま...東京シティ・フィル第364回定期(10月4日)

  • 紀尾井ホール室内管第136回定期(9月22日)

    秋のシーズン幕開けは首席指揮者トレヴァー・ピノックを迎えたオール・メンデルスゾーンのプログラムだ。この作曲家は総数750もの作品を生み出したそうだが、そのうち宗教曲が90作品にも及ぶという。しかしそんな宗教曲を我々がコンサートで聞ける機会は意外と少ないのではないだろうか。そした意味で今回はとても貴重な機会だった。どれも主を賛美する内容で統一されており、私自身はキリスト教者ではないのだが、とても満たされた豊かな心持ちになって帰途についた。前半はオラトリオ「聖パウロ」の序曲、それに続いて独唱つきの合唱曲詩篇第42番《鹿が谷の水を慕うがごとく》だった。ピノックの指揮は明快にして良く歌い豊かな感情を紡ぎ出す。ソプラノのラウリーナ・ベンジューネイテの美しくリリカルな歌声が心に染みる。そして新国立劇場合唱団の清澄さと...紀尾井ホール室内管第136回定期(9月22日)

  • 藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(9月10日)

    ヴェルディ初期(6番目)の「二人のフォスカリ」が藤原の舞台にかかった。ほぼ舞台に乗る機会の無い作品で、今回は東京オペラプロデュースによる2001年の日本初演に次ぐニ度目の公演である。私は映像で観たことがあるのみで本舞台は初めてだ。今回は裏キャスト(二日目)に出かけた。結論から言うと、この作品の持つ魅力を余すところなく表現した文句の無い仕上がりだったと思う。史実に基づく救いようのないストーリーだが、メロディーに満ち、以降のヴェルディの萌芽をも多く聞き取ることのできるこの作品はまさに若書きの「佳作」と言うに相応しい。しかし正直言って、この作品でここまで楽しめるとは思わなかった。成功の要因の一つ目は歌手達だ。裏キャストなので若手中心に組まれていたが、まずはタイトルロールのフランチェスコ・フォスカリを演じ歌った押...藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(9月10日)

  • 東京シティ・フィル第74回ティアラこうとう定期(9月9日)

    「かてぃん」こと角野隼斗が登場するということで、発売後間もなく全席売り切れになったプレミアム演奏会だ。だから会場に着くと、いつもは地元ファンが集まるのんびりした雰囲気の土曜午後のティアラこうとうが、殺気だった異様な雰囲気に満ちていたのには驚いた。指揮は、「モーツアルトが向いている」と角野に選曲アドヴァイスをしたという首席客演指揮者の藤岡幸夫だ。一曲目はヴェルディ作曲歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲。藤岡は来年の定期でも一曲目にロッシーニの歌劇「ラ・チェレントラ」序曲を据えているので、なにかイタリア歌劇に思うところがあるのだろうかと勘繰ったのだが、特別なことはない演奏。快速調でおもいっきり鳴らしたヴェルディで、私にはどこかオペラの世界とはかけ離れて聞こえた。そして期待の角野が登場してモーツアルトのピアノ協...東京シティ・フィル第74回ティアラこうとう定期(9月9日)

  • 東京シティ・フィル第363回定期(9月1日)

    東京シティ・フィルのオータム・シーズン開幕は、常任指揮者の高関健によるジェルジ・リゲティ生誕100年に寄せたハンガリー・プログラム。まずはこの8月15日に突然逝去されたこの楽団の桂冠名誉指揮者飯守泰次郎氏を悼んで、故マエストロが敬愛しそのスペシャリストと讃えられたワーグナーから、楽劇「ローエングリン」第一幕への前奏曲が奏された。指揮台で振るのは高関さんなのだが、脳裏には飯守さんのあの決して器用ではない指揮振りと、ワーグナーのイディオムを各所に感じさせた響が蘇っていた。そして一曲目はリゲティの「ルーマニア協奏曲」だ。民族的な曲想を一杯にあしらった佳作で、どこかメインのオケ・コンと似た響も聞き取れる。こんな判りやすく親しみやすい曲がリゲティにあるなんて知らなかった。二曲目はこの楽団の客演コンサートマスターであ...東京シティ・フィル第363回定期(9月1日)

  • 飯守泰次郎さんのこと

    東京シティ・フィルが来る9月1日に開催する第363回定期演奏会の冒頭に、去る8月15日に逝去された当団桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎さんを偲んでワーグナー作曲楽劇「ローエングリーン」第1幕への前奏曲を追悼演奏することが発表された。私は定期会員なので襟を正して聞かせていただく。きっと様々なの想い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、涙なしには聞けないことになるだろう。1997年11月に東京に待望のオペラハウスが落成し、その柿落としの一つに選ばれたのもこの楽劇「ローエングリーン」だった。その時の指揮を受け持ったのは、後にこの劇場のオペラ芸術監督になる先輩格の若杉弘さんだった。もちろん私も客席の一人だったわけだが、終演後興奮さめやらず人の波に任せて初台の駅に向かっていると、第一幕への前奏曲を口ずさむ歌声が後ろから聞こえ...飯守泰次郎さんのこと

  • 第43回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル (8月26日〜30日)

    毎年恒例になっている晩夏の草津にやってきた。もちろんフェスティバルの一環として草津音楽の森コンサートホールで開催されるコンサートを聴くためである。今年はその終盤の4つの音楽会とアカデミーの優秀な生徒達によるスチューデント・コンサートを楽しく聴いた。まず26日はドヴォルジャークの弦楽六重奏イ長調、スラブ舞曲作品46-1&8と作品72-2(作曲者による四手連弾版)、ブラームスの弦楽六重奏曲第一番というプログラムだ。ここではショロモ・ミンツ(初参加)、高木和弘、般若佳子、吉田有希子、タマーシュ・ヴァルガ、大友肇らの名手によるブラームスの集中力の高い緊密なアンサンブルの演奏がとても素晴らしかった。ブルーノ・カニーノと岡田博美による迫力満点の連弾が二つの弦楽六重奏曲の間にアクセントを添えた。27日は「室内楽の神髄」...第43回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル(8月26日〜30日)

  • ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2023(8月13日〜16日)

    パンデミックによる中断を経て、4年振りにアドリア海に面したリゾート地ペーザロを訪れた。目的は勿論ここで毎年開催されるロッシーニ音楽祭である。今年はその中の6公演を聴いた。昨年末の地震で伝統あるテアトロ・ロッシーニが修復中となり今年は代わりに定員500人程度のテアトロ・スプリメンターレという映画館が小会場に当てられた。大会場はいつものようにヴィトリフリゴ・アレーナだ。アレーナは元来バスケット・ボール用の体育館だそうだが、このオペラ祭のためにその年の演目に応じて仕切りを作って仮設の劇場にする。今年はキャパ1200名程度の中劇場が出来上がった。座席こそ粗末だが、音響は適度な残響があって中々良い。さて最初に見た演目は13日の「ブルグントのアデライデ」(1817)だ。これはArnaudBernardによる新プロダク...ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2023(8月13日〜16日)

  • 夏の休日、愉悦とロマンの夕べ(8月5日)

    毎夏恒例のサマーミューザの出張公演が酷暑の中、新百合ヶ丘にあるテアトロ・リージオ・ショウワで開催された。登場したのは広上淳一指揮の東京交響楽団だ。選曲はオケの演奏会では誠に珍しいドリーブのバレエ組曲「コッペリア」、そしラフマニノフの交響曲第2番ホ短調。これらはタイトルである”愉悦とロマン”を見事に実感させる感じさせるような暑さを吹き飛ばす楽しい夕べだった。まずコッペリア組曲は「マカリスター版」ということで、バレエ全曲の中から「導入とワルツ」、「前奏曲とマズルカ」、「バラードとスラヴの主題による変奏曲」、「人形のワルツとチャルダッシュ」の4曲が演奏されたが、それぞれの曲の持つリズムや雰囲気を独特の動きでピタリと振り分けるのまさに広上の天性だ。時節がら首席欠員のパートも多いと見受けられる東響だったが、小林壱成...夏の休日、愉悦とロマンの夕べ(8月5日)

  • 東フィル第156回オペラシティ定期(7月27日)

    今回の東フィル定期は演奏会形式のヴェルディ作曲「オテロ」である。東京フィルハーモニー交響楽団は直近では2017年にバッティストー二の指揮で同じく演奏会形式でこの演目を上演している。一方指揮のチョン・ミョンフンは2013年にこの演目を提げてフェニーチェ歌劇場と来日した。そしてその時のタイトルロールも今回と同じくグレゴリー・クンデだった。そんなわけで今回の演奏者にとっては手慣れた「オテロ」ではあるのだが、その演奏はそんなルティーンワークとは程遠い、魂のほとばしりさえ感じるさせる稀に見る秀でた出来だった。オテロを歌ったグレゴリー・クンデはロッシーニ・テナーからキャリアを始めてこの役にまでたどり着いたいうキャリアを持っている名歌手で、ロッシーニの権威であるゼッダ指揮する「オテロ」の録音もある変わり種のベテランだ。...東フィル第156回オペラシティ定期(7月27日)

  • フェスタサマーミューザ川崎2023(7月22日)

    毎夏恒例になった日本のオケの夏祭りだ。今年のオープニングはチャイコフスキーの交響曲二曲!それも何と3番と4番でジョナサン・ノット+東響だというのだから猛者のコンサートゴアーにとってさえも聴き物だ。東響にはお祭りとあって日頃見慣れない顔もちらほら散見されたが、なにせチャイコなのでニキティンのリードは心強い気がした。滅多に実演で聴く機会のない3番は五楽章構成の曲で、そのせいかどうかバレエ組曲でも聴いているような感じもした。演奏の方はノット臭を排した至って普通の仕上がり。そして4番のほうも取り立てて騒ぎ立てない、泣かない、所謂「ロシア色」を排したごく普通の演奏で、私のようなノット・ファンには独特の煽りさえも最小なので些か物足りなくも感じられた。言い方を変えればそれはスタイリッシュなチャイコフスキーだったとも言え...フェスタサマーミューザ川崎2023(7月22日)

  • 東響第92回川崎定期(7月15日)

    音楽監督ジョナサン・ノットと独奏に神尾真由子を迎えた重厚なプログラムだ。一曲目はエルガーのバイオリン協奏曲ロ短調作品61。この一年の間にこの決してポピュラーでない協奏曲を聞いたのはこれが何と三度目になる。昨年9月に竹澤恭子+高関健で、今年5月に三浦文彰+沖澤さやかで、そして今回だ。これは決して追っかけて聞いて回っている訳ではない偶然な巡り会いなのだ。更に偶然にも今年5月初旬の英国旅行に際して訪れた街がGreatMalvern。エルガーはこの隣町の生まれで、この街をとりまくMalvernHillsはエルガー最愛の風景だったのだ。そんな訳で帰国後はエルガーに只ならぬ想いを深めているので、実に楽しみにして当日を迎えた。神尾は真っ向から曲に対峙して、超絶技巧を駆使し、肢体を一杯にくねらせて常に情熱的に音を紡いでゆ...東響第92回川崎定期(7月15日)

  • 紀尾井ホール室内管第135回定期(7月14日)

    2020年に共演予定があったが、新型コロナ禍のために来演が延期されて今回になった待望の公演である。指揮のリチャード・ドネッティは、オーストラリア室内管弦楽団(ACO)をもう30年以上も率いて挑戦的な音楽を作り続けているバイオリニスト/指揮者である。その意気込みは現代曲2曲とウイーン古典派の大交響曲2曲を組み合わせた今回の選曲にもうかがうことができるだろう。まずは映画音楽の分野で多く作品を生み出しているポーランドの現代作曲家ヴォイチェフ・キラル(1932-2013)の「オラヴァ」だ。名称はポーランドの地方名で、この地方の民族音楽に由来すると言うことだが、ヴァイオリンが繰り返す音形が少しづつ変容しながら様々な形で広がったり纏ったりする10分余の佳作である。リズムに乱れが生じた瞬間もあったが、トネッティの自由奔...紀尾井ホール室内管第135回定期(7月14日)

  • 東京シティ・フィル第362回定期(7月7日)

    定期へは7年ぶりの登場になる重鎮秋山和慶を迎えてのロシア音楽プログラムだ。とは言いながら名曲揃いのそれではなく、当夜の選曲はシティ・フィルらしく実に凝ったものだった。まずスターターはリャードフ作曲の交響詩「キキモーラ」作品63。精細なオーケストレーションを秋山が見事に捌いた。82歳を超えて振りこそ往時よりだいぶ小さくなっているが、正確極まりない精緻な棒が威力を発揮した。続いて周防亮介をソロに迎えてプロコフィエフのバイオリン協奏曲第2番ト長調作品63。1678年製のアマティを駆使して構えの大きい図太さと繊細さを使い分けた見事なソロだ。約30分間ほぼ弾きっぱなしなのだが、決してフォルムが崩れることがないのは見事の一語に尽きる。それに寸分の狂いもなくピタリと付ける秋山率いるオケも超絶的な凄さだった。ソロ・アンコ...東京シティ・フィル第362回定期(7月7日)

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