40年勤めた会社を定年退職。「毎日が日曜日」な日々を送るようになった。ちょっと待てよ!自由な時間が一人占めできるではないか。コロナと共生しながら、孫の世話、旅行もしたいし音楽や読書もしたい・・・・。そんな他愛のない日々を綴れたら・・・・・。
最近、耳が遠くなってきた。妻からは「大声で話さないといけなくなったじゃない。耳鼻科行ってきなさいよ。」と頻繁に攻撃されるようになった。もうリタイアしているので仕事に差し支える心配はないのだが「そのままにしておくと早くボケるわよ。」と追い討ちをかける。昨日
今朝も寒かった。早朝、連日の娘の送り迎えはつらいが娘の体調を思うといたしかたないか。いつものトーストとコーヒーで1日のスタートだ。今朝は昨夜、妻が作ったリンゴ・パイ用で残った甘酸っぱいリンゴをトーストにトッピングして食べた。ブラック・コーヒーの苦みと甘酸
午後、富士山などを眺めながら愛犬との思い出のコースを散歩(26)
今日も寒い日だ。午前中の気温は零度以下を示して車のフロントガラスには空気中の水蒸気が凍結して花びら模様を作っていた。朝7時過ぎに娘を職場まで送るため車を出したが、車内を温めるのに手間取り出発予定を10分程オーバーした。今朝もいつものようにトーストとコーヒ
テレビをつけるとどの局も「今日から明日にかけて10年に1度の冷え込みなので不要不急の外出は控えてください」と連呼していた。おなじみの「不要不急」はこのところめっきり鳴りを潜めたコロナ禍の専売特許であったが、冷禍で復活したことになる。年金生活者にとっては不
毎朝、トーストとコーヒーで朝食をすますのが日課になっている。外出して喫茶店やカフェに行くことも考えたのだけれど、「4%の物価高になっている」との報道とスーパーでの買い物時にもそれを実感する日々が続いているので自然に自炊をすることになった。食パンはパスコ製
朝食は妻が作ったトーストに軍配、張り合うつもりはないけれど(23)
子供は独立し夫婦2人の年金生活。夫の私は家に居るので妻にとってはストレスの種になり、イライラが高じてちょっとしたことでもケンカの種になりかねない。私は主に2Fで暮らすようにしてすみ分けしたつもりだが、新聞を読んだり音楽を聴いたりなどして好き勝手に気まま暮ら
久々の外食ランチは中華、足を延ばして甲斐善光寺も訪問(22)
久々に外食ランチに行った。1月いっぱいで期限が切れる2割引きのお食事券が残っていたため、消化の意味もあったし、家に閉じこもりがちな80才代後半の義母を連れ出す意味もあった。行った先は人気の中華料理店「桃」。前菜、副菜、メイン、デザート、コーヒーこれでもか
タマネギを使ったピザ風トーストと本格コーヒー、剪定した枝を袋に詰める(21)
朝食はパスコ製の食パン「超熟」にスライスしたタマネギとチーズを乗せオーブンで焼き上げる。ケチャップを線状に乗せピザ風トーストの出来上がり。コーヒー豆を手動のグラインダーで粉にしてお湯で抽出し、お気に入りのカップに注ぐ。感動的な朝食だ。今日は日中の気温が1
2023年正月の初詣に行っていないことに気づいた。2年前からコロナ禍の影響で、各神社は元日に詣で客が集中しないように中止や分散での参拝を呼び掛けている。地元の代表的な神社などは「今年は1月中に参拝にいらしてくださいね」などと呼びかけていた。コロナで初詣の
2023年正月も3が日が過ぎると一斉に仕事モード。我が年金生活者にとっては普段の生活になるということか。でも身の周りの片づけいわゆる断捨離は徐々に進めて行かなければと思っている。ただ両親とも鬼籍に入ったので親の介護という仕事はない。いつもの朝は8時少し前
2023年正月はいつものように近くに住んでいる家族が集まった。夫婦で年末から買い集めていた食材を元に、女房は腕によりをかけてお節料理を作った。私といえば買った食材の運搬と支出金額の管理そして「しめ飾り」を付けたり、家の内外を掃除したりの雑用係である。例年
「毎日が日曜日」といっても自宅の仕事は何かとあるもの。その中でも隣家との境に植えている山茶花の剪定は老体の身にはやっかいだ。冬場、ほとんどの植物は葉っぱを落として殺風景になるが、山茶花を植えることでそれが幾分和らぐので良いかなと思って植えたのだ。しかし年
笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」に行ったー年金生活者の夢(16)
山梨・笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」で過ごした夢のような1日が終わりを迎えた。朝食は昨夜夕食を食べたと同じ場所で、これも手の込んだ食事に時間を掛けたのだった。チェックアウトは12時なのでぎりぎりまで余韻に浸っていた。1日間の夢のような竜宮城でのおもてなしが
笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」に行ったー夕食は別格の味そして美しい
山梨・笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」で過ごす夜は手間ひまかけた美味しい日本料理と地下1000メートル以上の地下からくみ上げる温泉でハッピーにさせてもらった。ひょっとして、この世におさらばするまで体験できないのではないかと思う。そんな非現実的な場所と食事から
笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」に行ったー宿は別邸「璃寛」(14)
娘が招待してくれた笛吹川沿いの温泉旅館「坐忘」は、かつて庄屋をしていた家屋をリニューアルして建てられた趣がある旅館だ。地元の食材をふんだんに使い、手の込んだ日本料理や甲州ワインでもてなしてくれた。さらに温泉かけ流しの大浴場、各部屋にはこれも温泉かけ流しの
松本清張原作「点と線」の舞台・福岡へー博多グルメを堪能して帰路につく(13)
松本清張原作「点と線」の舞台の一つ博多近郊の香椎から博多に戻り、土産物を買って遅い昼めしを取った。そして15時2分、新幹線と在来線を使って帰路についた。土産は博多とその周辺でしか買えない限定品を中心に購入し昼めしは博多名物「もつ焼き」にした。帰りのルート
旅行4日目の午前、松本清張原作「点と線」の重要な舞台の一つ、心中(実は殺人)事件が起こった場所、香椎の浜へ行ってみた。博多からJR鹿児島本線上りで4つ目の駅「香椎」で降りた。そこから作品中のお時と安田、佐山と亮子がそれぞれカップルとして歩いたルートを巡った
松本清張原作「点と線」の舞台・福岡へー博多の夜は更けて(11)
旅行3日目は広島→小倉→博多と移動して忙しかった。夕方、博多に着いてホテルから近くの地下鉄駅を目指して歩いていた。すると小奇麗な割烹料理屋があり店先に出ていたメニューの内容から、「うん、良さそうだ」と判断して入った。店はカウンター席が7つ程と小部屋が3部
松本清張原作「点と線」の舞台・福岡へー小倉で清張記念館へ行く(10)
小倉では保存され一般公開されている森鴎外の住居や旦過市場を訪ねた後、小倉城に隣接する「松本清張記念館」を訪ねた。ここは一度は行きたくてたまらない場所だったのだ。この記念館は清張さんが東京・杉並で暮らした仕事部屋と書庫をごっそり移築して開館したものだ。特に
松本清張原作「点と線」の舞台・福岡へーその前に小倉に寄る(9)
旅行3日目は広島からまず小倉に移動。小倉は45年ぶりになる。でも住んだことはなく旅行で来た。ほとんど記憶にない。それだけ新鮮だった。小倉は清張さんが長く暮らした街ということで良く知られている。清張さんが作家として認められ暮らした東京・杉並の自宅の仕事部屋
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩を後にしてやってきた広島でブラブラ(8)
広島は学生時代に過ごした思い出の街。路面電車で市内中心部の本通りまで移動し、アーケードをブラブラ。郷土料理と地酒で懐かしの街を想う。もう50年近くなるだろうか。高校卒業後初めて一人暮らしをした街が広島だった。約80年前に人類で初めて原子爆弾が落とされた街
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩を後にして木次線・芸備線経由で広島へ(7)
亀嵩から木次線で備後落合へ、さらに芸備線で三次そして広島へ向かった。木次線の終点・備後落合から芸備線に乗り換え、三次経由で広島へ向かった。全線が単線のディーゼルカーであった。前半は山間部を走り木の枝や笹が窓に当たってガサガサと濁音が聞こえていたが、後半は
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へー亀嵩から木次線で備後落合へ向かう(6)
木次線は撮り鉄の宝庫亀嵩から木次線で備後落合までは単線1両編成のディーゼルカーでのんびり向かった。途中3段スイッチバックやループ式の道路「奥出雲おろちループ」が見えたりして車窓風景を楽しんだ。山奥の路線なのに車内はリュックサックを背負った、私を含めたオヤ
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へー亀嵩駅「扇屋」で”そばランチ”(5)
そば屋に変身した亀嵩駅でランチ亀嵩駅の駅舎はそば屋「扇屋」と名前を変え営業していた。無人駅だが扇屋の店主が駅長を兼ねているとか。亀嵩駅舎内の扇屋そば│石臼挽きの国産そば粉を使った手打ちそば (kamedakesoba.jp)駅舎がそば屋になったユニークな駅(映画撮影当時は
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へー湯野神社の側に「砂の器」記念碑が・・・(4)
「湯野神社」の大鳥居の側に『砂の器』の記念碑が堂々と居座っていた。「砂の器」の舞台を強力にアピールするためのモニュメントは、地元有志らにより地元で採れた天然石を加工して造られた。 建立から約40年が経っても訪れる人々をそっと歓迎しているようです。記念碑の
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へー湯野神社で緒形拳登場シーンを思い出す(3)
「砂の器」ゆかりの旅2日目は旅館近くを散策湯野神社に行ってみたここは映画「砂の器」で、主人公・本浦秀夫(和賀英良)と父・本浦千代吉の親子が乞食同然に軒下に居たところを、亀嵩駐在所の緒形拳さん演じる警官・三木謙一が発見するシーンが撮られました。 亀嵩温泉か
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へー旅館展示「砂の器」関連資料にうっとり(2)
「砂の器」にまつわる旅行の2日目の朝は朝食から始まりました。 朝食は地元特産の米「仁多米」や山菜などが程よく味付けされ美味しかった!朝食後に旅館のロビーに展示されている「砂の器」映画化48年と松本清張没後30年に絡んだ展示資料を見ました。展示期間は当初
松本清張原作「砂の器」の舞台・亀嵩へーJR東日本「ジパング倶楽部」はいいよな(1)」
約40年勤めた会社をリタイアして早2年。思い起こせばコロナ禍真っ最中だったな。それ以来旅行と言えば、近隣の東京や埼玉といった関東近辺をウロウロしていた。しかも宿泊日数はほとんどが1、2日だった。 今年の秋ごろからGOTOの再開が始まり旅行気分に拍車がか
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