chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 茶話111 / ハナの季節

    「百姓が花粉症になるはずが無いやろ!」花粉症で鼻をズルズルさせている友人に豪語していた。だのに、三年前に花粉症になった。年末ころから、朝起きると鼻水がとまらない。目ヤニがたまる。ああ、また酒の飲みすぎか。耳掃除していて、プチッと傷つけた。すぐに治るだろうと安易に構えていたがじゅくじゅくしてくる。鼻水が止まらない、目ヤニがたまる、耳が痛い。一ヶ月ほど辛抱して、我慢できずに掛かりつけ医に行く。「それ、花粉症やろ!」「百姓が花粉症になるはずは無いやろ!」と思いつつ、寝る前にもらった薬を飲む。次の日、すべてが治っていた。以来、この季節になると花粉情報が気になる。今年は2月の中旬頃から。ところが、年末から鼻水が出る。目ヤニがたまる、耳がかゆい。おまけに「じ病」が痛い。へんな時に下痢になる。「花粉はまだ飛んでないやろ...茶話111/ハナの季節

  • 歴史37 / あとがき……

    春やんがよく言っていた。「歴史というのは年表を覚えるのと違う。年表の裏にあることを語る、喋らんとあかん!歴史みたいなもん語ってなんぼや!喋ったもの勝ちや!」学問としての歴史学は、古文書・記録・史書などの文献史料を読んで、一つの歴史像を構成することにある。春やんは、文献資料など関係なしに、一つの歴史像を構成してしまう。それが出来たのは、喜志村という舞台があったからだ。「ええか、歴史というのは、その当時の地理を頭に入れて考えんとあかん」喜志村という地理を舞台にして、楠正成を、吉田松陰を、関係する人々を動かす演出家、監督だったのだ。学校で習う日本史は政治史の色合いが濃い。そのため、庶民が出てくることは少ないし、文化や信仰は貴族や武士、僧侶のものだ。庶民の文化や信仰に光があてられたのは、1914年(大正3)に柳田...歴史37/あとがき……

  • 畑128 / 面白

    孫に会うために田舎から東京に出て来たお婆さん。土産を持って行ってやろうと、駅前のミスタードーナッツへ入った。ショーケースを指さしながら「これと、これと……」店員が「名前をお願いします」「はい、山田ヨネです!」「お婆さんの名前ではなく、ドーナッツの名前をお願いします」「ええっとー、オールドファッション……」「おいくつですか?」「はい、100歳です!」「おもしろい」を漢字で「面白い」と書くのは当て字だと思っていた。しかし、ちゃんとした意味のある漢字だった。日本神話の「天岩戸隠れ」で、天照大神を天岩戸から引っ張り出して、世界に再び明かりが戻った時、八百万の神々が喜びの声をあげて舞い踊る。あはれあなおもしろあなたのしあなさやけおけおけ漢字にして意味を補う。天晴れあな面白あな手伸しあな清け飫け飫け(天が晴れたああ皆...畑128/面白

  • 茶話110 / ああ……

    ワープロを使いだしたのは四十数年前の1980年頃。当時は5.25インチフロッピー(1.6MB)という直径13センチほどの丸い板に記憶させていた。それが、3.5インチフロッピーへ置き換わったころからワープロ専用機を使いだした。1995年にWindows95のパソコンが出てからはOfficeのワードになった。この四十数年間、自慢ではないが、ずうっと「かな入力」を使っている。ある調査では日本人の約90%がローマ字入力、かな入力はわずか約10%だという。なんとも嘆かわしいことだ。英語ならローマ字入力の方が速いのが当然だ。「goodmorning」はそのまんまローマ字で打てばいい。だから、日本人は、日本語の「おはよう」を、そのまんま平仮名4文字で打てばいいのだ。だのになぜ「ohayou」と6文字のローマ字にしてしま...茶話110/ああ……

  • 茶話109 / 漢字

    考物(こうぶつ=なぞなぞ)にこんなのがある。問:大酒飲みの息子を親父が呼んだ。【魚の種類を五つ答えよ】答えは「さけ、さめ、たら、こち、こい」となる。ああ、なるほどと感心しているうちに、五匹の魚を漢字で書けるかと、新たな疑問がおこる。日頃、ワープロで文章を打っていると漢字をどんどん忘れる。インターネットでイチゴについてを調べていると、こんなのに出くわした。「サクラと同様に、リンゴとレモンもバラ科だ」さて、カタカナを漢字で書けるか?サクラの旧字体を「二貝の女が木にかかる=櫻」と分解して覚えたのと同様にして、学生時代は覚えていた。しかし、今はそれすら忘れてしまった。学生時代に「俺は、ユウウツのウツを漢字で書けるんやぞ!」と自慢する奴がいた。誰彼構わずに、やたら自慢する本当に嫌な奴だった。そして、こうして覚えるの...茶話109/漢字

  • 茶話108 / 爪

    もう三週間ほど、畑作業は冬休み状態。土をいじっていると、手袋をしていても爪の中に土が入る。タワシや歯ブラシでゴシゴシするが、今はその必要がない。一年で最も爪が綺麗な時期だ。そのせいか、あるいは歳のせいか、爪がよく伸びる。一般的には、一日で約0.1mm、一ヵ月で約3.0~4.0mmほど成長するらしいが、その倍以上の速さで伸びているように感じる>「苦髪楽爪(くがみらくづめ)」という言葉がある。苦労しているときには頭髪がよく伸び、楽をしているときには爪がよく伸びるという意味。やはり、楽をしているから爪が速く伸びるのか・・・、いや、それにしても髪が伸びない。逆の「苦爪楽髪(くづめらくがみ)」という言葉もある。苦労が多い時は爪がよく伸び、楽な時は髪の毛がよく伸びるという意味。しかし、これもあてはまらない。つまりは、...茶話108/爪

  • 俄35 / 聖なる俄

    「俄」は、地域共同体のメンバーが他のメンバーを相手に、地域共同体の皆に演じる祝福芸である。俄の面白さは〈素人性〉と〈方言性〉という〈土着性〉にある。A:おい、八兵衛!B:なんじゃい?A:われとこの嫁はんのお六さん、このごろ太ったんとちゃうか!B:ええ?さよか?A:ええもんばっかし食わしてたらあかんで!B:ええもんみたい食わしとるかい!A:せやけど、腹がえらい膨れてきよったと、ここらのもんが言うとるで!B:ちゃうがな、子ぉーでけたんや。A:ええ、どこでこーろげたんや?B:転ろげたんやなしに、子が出来よったんやがな。A:ええ、八とお六がエエことしてお三(産)かいな!B:ややこしものの言いよさらすな!A:ややこしいけど、ややこ欲しいやろ!B:またニワカ(駄洒落)かい!A:ええもん食わしたり。B:われ、先っきええ...俄35/聖なる俄

  • 俄34 / 大楠公

    楠木正成が、多くの人々に親しまれるようになったのは、江戸時代初期、南北朝の争乱を描いた『太平記』の注釈書『太平記評判秘伝理尽紗』が成立してからだ。大名・武士・儒学者にとって正成は、理想の政治家・指導者、兵学者だった。やがて、この『太平記評判秘伝理尽砂』を台本にした「太平記読み」が民衆にも広まり、17世紀後半には講談に発展する。民衆にとっての正成は、天皇に尽くす忠臣ではなく、権力に対して反逆し、強きをくじき弱気を助ける正義の味方だった。反体制のシンボルとして、由比正雪や大石内蔵助は楠木正成の生まれ変わりとして歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなった。この楠公像が一転したのは、『大日本史』を編集した徳川光圀が、1692年、湊川に「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立してからだ。その後、水戸藩士の会沢正志斎が『新論』を著し、万世一系...俄34/大楠公

  • 俄33 / 神社合祀

    明治時代の下水分社(美具久留御魂神社)氏子町関連の年表である。明治元年(1868)神仏分離令廃仏毀釈明治5年(1872)富田林尋常小学校(興正寺別院)明治6年(1873)新堂尋常小学校・富田林に芝居小屋明治8年(1875)喜志尋常小学校開校(明尊寺」明治22年(1889)河南橋架設美原太子線開通明治22年町村制の施行=富田林村・新堂村・喜志村(単独村制)明治27年(1894)日清戦争明治31年(1898)河陽鉄道開通道明寺-富田林、国道170号線・楠公道路開通・高野鉄道堺東-長野間開通明治35年(1902)河南鉄道長野線開業明治37年(1904)日露戦争明治39年(1906)神社合祀下水分は40年合祀鉄道と道路の開通は富田林を大きく変えていく。駅前が繁華街になり、新しい道路にそって家が建っていった。上の地...俄33/神社合祀

  • 俄32 / 瞼の母

    「歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ」で使われた俄です。[番場の忠太郎・小浜(母)・お登世(妹)](下手から忠太郎が登場)忠太郎母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東と訊いたけど、今日は西だと風便り。縞の合羽が涙に濡れて、母は俺らをどうして捨てた。恨む心と恋しい想い。宿無し鴉の見る夢は、覚めて悲しい幕切れさ。生れ故郷も遥かに遠い、母恋い番場のこの俺さ。もしやもしやと逢う度毎に、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋、人に知られた水熊よ。ご免めんなすって、おかみさん。(上手から小浜が登場)小浜中へ入って、用があるんならさっさと言っておくれ。わたしゃ忙しいんだから。忠太郎ご免こうむります。(敷居を越えて下手に坐り、しばらく何も言えずにいる)小浜何とか云わないのかい。用があって来たんだろう。忠太郎おかみ...俄32/瞼の母

  • 歴史36/祭りじゃ俄じゃ 補筆

    以下の文章とスケッチは、川面出身の鶴島輝雄さん(故人)がかかれたものである。戦争が終わって軍国色が一掃されると、それまで自粛を強制されていた盆踊りや祭りが爆発的な勢いで復活した。この絵は昭和二十二年頃(一九四七)の、秋祭りにおけるだんじりの宮入りを示している。この当時、二〇台に近いだんじりが繰り出した。青年団が祭りを取り仕切り、九月中旬から〈にわか〉の練習に励んで、十月十八日の本祭りの日、神社の境内で〈にわか〉を奉納した。だんじりの周りには〈にわか〉を見る人で溢れていた。昭和十年刊の喜志尋常高等小学校〔現代の中学1・2年〕『学びの栞』の中に次の記事がある(国立国会図書館デジタルより)。(十月)十七日神嘗祭(かんなめさい)この日初穂を皇太神宮にお供へになり、勅使が立たれます。宮中でも、賢所でおごそかな祭典を...歴史36/祭りじゃ俄じゃ補筆

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑨

    ※連載ものです。①から順にお読みください。大歓声、大爆笑の中で、ハプニングがおこった。娘のお登勢(ミッツォはん)が母親の小浜(彦やん)に、なぜ兄を引き止めなかったのかと言い諭す場面だ。台本では「それでもあなたは母ですか」という一言なのだが、ここが見せ場だとミッツォはんもセリフを増やしていた。「それでもあなたは母ですか。子を持つ親というものは、そんな邪険なものでない。母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを一人で返す親はない。たった一人の兄さんとともに涙を流したい」冬の場面設定に加えて、生娘なので付け下げを隙間なく着こんでいる。きりりとした顔で母を見つめて「それでもあなたは母ですか」まではよかった。ところが、西日がまともにあたって暑い。たらりと汗が流れる。「子を持つ親というものは・・・」...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ⑨

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑧

    ※連載ものです。①から順にお読みください。南河内に心地よい秋風が吹きだした。稲穂がそよいで金色に揺れる中を、十年ぶりに太鼓の音が響く。今の地車囃子には小太鼓と摺鉦(すりがね)が入るが、昔は大太鼓だけだった。揃いの法被も無く、各自が自由の服装でよかった。当時の秋祭りは曜日に関係なく10月16日(宵宮・試験曳)、17日(本宮・渡御)、18日(後宴祭・地車宮入り)の三日間と決まっていた。天候にも恵まれ、宮さん(美具久留御魂神社)の境内は、富田林中の人々が集まったのではないかと思うほど、秋祭りを心待ちにしていた人々でうまった。楠公崇拝の神社で戦中の風が残っているのか紋付袴の人もいる。女性はモンペ姿ではなく、着物を着た中にスカート姿が目立つ。終戦まで宮さんは高等小学校だったので、下拝殿の前は運動場として整地されてい...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ⑧

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ➆

    ※連載ものです。①から順にお読みください。徳ちゃんが一週間かけて読んだ台本を皆が書き写し、それを照らし合わせて一つの台本が完成した。コピーなんぞは無かった時代。完成した台本を順ぐりに一人ずつ書き写す。一回りした頃には、誰もがすべてのセリフを覚えていた。田んぼの真ん中で「母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東、今日は西、尋ね尋ねてやって来た・・・」と一人芝居をやっている。見回すとあっちでもこっちでもやっているものだから、負けてはならぬと余計に練習に熱が入る。いよいよ配役を決めることになった。希望など採るまでもなく、全員が主人公の番場の忠太郎だった。我々子どものヒーローがウルトラマンなら、春やんたちのヒーローは、番場の忠太郎であり中乗り新三だった。祭事で内輪もめはよくないというので、徳ちゃんに決め...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ➆

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑥

    ※連載ものです。①から順にお読みください。徳ちゃんのオッチャンから台本を見せてもらったが、達筆すぎて読めない。それで、徳ちゃんに読んでもらったのを皆で紙に書き写すことになった。晩飯を食べて会所に集まる。本来ならば縄を編んだりして夜なべの作業をしなければならないのだが、「俄の稽古に行ってくるわ」と言うと、親たちも快く許してくれた。この時点では、まだ配役は決まっていない。祭の花形である奉納俄がしたくて、我こそが主人公の番場の忠太郎だと意気込んでいる者が十人ほど集まった。一杯機嫌の徳ちゃんがやって来て講義を始めた。「ええか、忠太郎が別れた母親に会いに来る、料亭水熊の場や!」昔は、誰もが映画や浪曲で見たり聞いたりしていたから、あらすじどころか結末までわかっていた。「口に出して覚えながら書きや。母の面影瞼の裏にや」...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ⑥

  • 歴史36戦後 / 祭りじゃ俄じゃ⑤

    ※連載ものです。①から順にお読みください。川面に新しい地車がやって来た昭和22年という年は、5月3日に日本国憲法が施行された年だ。5月20日の第1特別国会で、吉田茂内閣が総辞職して、23日に社会党の片山哲が内閣総理大臣になった。農村の川面は、前の年から実施された農地改革で、大地主の農地の大半が政府に買収され、それが安い価格で小作に売却され、悲喜こもごもながらも、民主主義、平等、自由が感じられるた。物資はまだまだ不足していたが、出生267万8792人,出生率3.43,昭和最高のベビー・ブームとなった。新しい日本の歯車が回り出した年だった。春やんたちの円陣は俄の話になっていた。相も変わらず、学芸会のセリフ回しで、まどろっこしいのでまとめて記す。昔は「祭=地車=俄」で、喜志の宮さん(美具久留御魂神社)で地車の上...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ⑤

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ④

    ※連載ものです。①から順にお読みください。三十代半ばくらいのミッツォはん(満男さん)が、「新しい地車(だんじり)を買うたんは何時でしたかいな?」と皆に尋ねた。会所の南側の地車小屋にある地車のことで、我々が物心着いた頃にはもう曳いていなかった。それからは放ったらかしで、入口に閂(かんぬき=鍵)があるのだが、周りの壁のあちこちに穴が空いていて出入り自由で、我々の秘密基地になっていた。四十歳くらいのトタさん(藤太郎さん)が「覚えてないんかいな!おまえが初めて俄したときやないかい!終戦の20年やがな!」と言った。同じ四十歳くらいのノブさん(伸雄さん)が「ちゃうちゃう、終戦の年に祭する余裕みたいあるかい!次の年の昭和21年やがな!」と言う。四十代半ばくらいの彦やん(彦一さん)が「あんだら、次の年も引き上げ(本土帰還...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ④

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ③

    ※連載ものです。①から順にお読みください。春やんが立ち上がり、大きな紙袋を持って我々の円陣に来て、紙袋の中身をドカっとぶっちゃけた。畳の上に色とりどりのお菓子が広がった。「さあ、好きな物を食べ。そや、辛いお菓子は残しといてや。後でオッチャンらの酒のアテにするさかい!」消防団の屯所の清掃整備当番の帰りで、そのお下がりのお菓子だという。春やんたちは、竹寿司の握りをアテに酒を飲んでいる。我々も説教されずにすんだという安堵感で、お菓子をほおばった。「ところで、最前におまえらが科学特捜隊やら宇宙警備隊やら言うてたけど、何のこっちゃ?」と春やんが訊いてきた。「悪い怪獣から世界を守る地球防衛隊や!」「わしがいた特設警備工兵隊みたいなもんやなあ」「オッチャン、そら何やねん?」「悪い奴から日本を守る本土防衛隊や!」春やんは...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ③

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ➁

    ※連載ものです。①から順にお読みください。小学校の高学年ともなると、少し大人になるのか、体温調節機能が少しずつなくなって寒い。そこで、金剛山が白くなるような日は、町内の集会所で遊ぼうということになる。集会所といっても、木造平屋・瓦ぶきの建物で、暖房も無いから気温は外とさほど変わらない。ただ、雨風はしのげるので寒い日の格好の遊び場になっていた。当時は、どこの家も戸の鍵を締めなかったから、会所も鍵がかかってなくて出入りは自由にできた。20畳ほどの広間があるだけで、これといった遊び道具は無かったが、何十枚とある座布団をビー玉に見立てて陣取りしたり、瓦に見立てて瓦当てしたり、座布団で三角ベースをつくってピンポン玉を打って野球をしたり、無いなら無いなりに遊びを考えた。一通りで遊んで、最後は必ず座布団投げになった。一...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ➁

  • 歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ①

    夜中に寒さで目が覚めた。トイレへ行って、コーヒーでも飲むかと、台所の椅子に座ってポットのスイッチをいれる。ぶるっと寒気がして「おおさぶ~」と思わずつぶやく。それが懐かしい節になっていたので、ふと思い出した。♪おおさむこさむ~山から小僧が飛んでてきた♪同じフレーズを何度か繰り返すが、次が出てこない。「次の文句(歌詞)は、なんあったかいな?」と独りツッコミ。その「なんあった」で思い出した。♪なんといって飛んできた~なんといって飛んできた~寒いといって飛んできた~おおさむこさむ~山から小僧が飛んできた♪寒い冬の戸外で遊んで、みんなで家に帰るときのテーマソングだった。永遠に続くのだが、各自の家に来るごとに、一人減り、二人減りして、ようやく終わる。ポットのお湯がシュンシュンと湧きだす。昔、火鉢の五徳にかけられた鍋の...歴史36戦後/祭りじゃ俄じゃ①

  • 茶話107/ 時

    前の記事で明治5年12月3日(=明治6年1月1日)の御改暦について書いた。旧暦から新暦に暦が改められるのだが、同時にもう一つ、時間についても不定時法を廃止して定時法が採用されている。採用以前は、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜とし、それぞれを6等分して十二の刻(とき)に区切っていた。真夜中の0時を九つとし、ほぼ二時間おきに八つ、七つ・・・四つ、次の12時から再び九つ、八つ・・・。そして、夜明けと日暮れの「六つ」を「明け六つ」「暮れ六つ」と呼んでいた。この数字の数だけ寺の鐘が鳴って時刻が知らされる。近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』のお初・徳兵衛の道行の場。この世のなごり夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、ひと脚あしずつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ぞうれば暁の...茶話107/時

  • 畑127 / 暦

    正月なのだが、太陽暦(新暦)の正月は違和感がある。初春のお慶びを申し上げますと言っても真冬。元旦にお出でになる歳神様もさぞ寒かろう。梅の花が咲いて松竹梅がそろう太陰暦(旧暦)の正月がやはりぴったりする。少し春めいて歳神様もうきうきとして福徳を運んで来やすいに違いない。今年の旧暦の元日(一月一日)は、二月十日(月の満ち欠けの新月)。中国をはじめアジアの多くの国は春節を祝って祝日にしている。日本はアジア圏で、旧正月を祝わない数少ない国の一つだ。祝うとすれば中華街か、我が家くらい。かといって大々的にするのは小恥ずかしいので、餅をついて雑煮を食べるだけ。幸か不幸か気温がよくなかったのか、畑の雑煮大根と金時人参の出来が良くなかった。旧正月にはちょうどいい大きさになっているだろう。明治5年は12月2日の翌日が明治6年...畑127/暦

  • 茶話106 / 愚弛ら

    冬の畑は平らかで一面を見渡すことができる。夏の畑のナスやトマト、キュウリのような背の高いものがない。みんな地に這いつくばるようにして、じっと寒さに耐えて春を待っている。荒涼として殺風景だが、なぜかん平穏で心が安らぐ。虚心坦懐(きょしんたんかい)。「心を虚(むな)しうして坦懐なり」とでも訓読するのだろうか。「虚」は〈空っぽ〉、平坦の「坦」は〈平らか〉、「懐」は〈思い・心〉の意。心にわだかまりがなく落ち着いた平穏な心。心にわだかまりがないのだから、理にかなわない無理なことはしない。他から見れば愚弛ら(ぐうたら)かもしれないが、無理をしないのだから楽だ。「江戸いろはかるた」の「ら」の札は「楽あれば苦あり」。「上方」では「楽して楽知しらず」。どちらも「楽ばかり求めるといずれ苦労をする」「苦労しないと、将来、楽な生...茶話106/愚弛ら

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、八十八さんをフォローしませんか?

ハンドル名
八十八さん
ブログタイトル
河内国喜志村覚え書き
フォロー
河内国喜志村覚え書き

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用