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根来戦記の世界 https://negorosenki.hatenablog.com/

 戦国期の根来衆、そして京都についてのブログ。かなり角度の入った分野の日本史ブログですが、楽しんでいただければ幸甚です。

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2022/07/22

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  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その㉔ 日蓮最大の危機・竜ノ口法難と、遂にやってきた元寇

    大国・元の脅しに対して、徹底して無視を決め込んだ鎌倉幕府。しかし幕府も、必ずしも無策でいたわけではない。この時点で幕府がとった対策は「そうだ!寺社に祈祷してもらおう」というものであった・・・これを読んで、思わず脱力してしまった人もいるかと思うが、当時の人たちは大真面目だった。それだけ祈祷には力がある、と信じられていたのだ。 取り急ぎ幕府は「異国降伏」の祈祷を、建長寺・寿福寺(臨済宗)、極楽寺・多宝寺(律宗)、大仏殿・長楽寺(念仏宗系)、浄光明寺(四宗兼学だが、メインは律宗)の有力寺院らに依頼したのだが、これがまた日蓮にとっては耐え難いことであったのだ。 日蓮にしてみれば、この世にはびこる「邪宗…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その㉓ 社会事業にまい進する忍性 亡国の危機に焦る日蓮

    日蓮は焦っていた。 なにしろ同じ鎌倉にいる、新義律宗を率いる忍性の勢いには凄まじいものがあったのだ。彼が成し遂げたこと――鎌倉幕府のトップである、北条得宗家に戒律を授け、仏の教えの上での師となる――は、実のところ日蓮がしたくて堪らなかったことなのである。(なお、新義律宗の大ボス・叡尊は北条実時・時頼両名に授戒する目的を果たした後、鎌倉における布教は忍性に任せ、すぐに奈良に帰っている) ここに至って、忍性を最大のライバルと認定した日蓮とその弟子は、このようなロジックで彼を攻撃している――「生身の仏のごとく崇められている忍性であるが、彼は財を蓄え、貸金業を営んでいる。教えと行いが乖離しているではな…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その㉒ 法難に逢う日蓮、躍進する忍性

    浄土宗に深く帰依していた、その地の地頭・東条景信は、念仏宗を非難中傷する日蓮に対し、激しい敵意を抱く。景信による襲撃の恐れもあり、日蓮は故郷を離れ、一路鎌倉へと向かうのであった――というのが、現在の日蓮宗に伝わる公式ストーリーである。 しかし実際のところは信仰の問題というよりは、清澄寺と東条氏との間で領家の権益をめぐってのトラブルがあった、というのが真相のようだ。裁判の結果、東条氏が全面敗訴したのだが、この際に清澄寺の僧として精力的に弁護活動に動いたのが日蓮であり、これが理由で景信から憎まれたようである。 だがこうしたトラブルがなくても、いずれにせよ何処かの時点で日蓮は鎌倉へ向かっていただろう…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その㉑ もうひとつの鎌倉仏教 「真言律宗(新義律宗)」叡尊と忍性(下)

    ※注意※ この記事は前回UPしたものと、内容的には同じになります。記事内容に不足があったので加筆修正しましたが、散漫かつ冗長になってしまったので、9月17日に更に大幅に手を入れ再編集し、(上)(下)に分割しました。情報量も増え、読みやすくなっていると思います。 さて、叡尊が復興させた「通受」とは、どういうものであろうか。 戒律には多くのルールがあるのだが、大別すると3つに分けられる。「摂善法戒(善いことを成すための戒)」「摂衆生戒(衆生救済を目指す戒・要するに人々を救う戒)」「摂律儀戒(悪をとどめる戒)」の3種類である。 この3種の戒を受けることを、「通受」と呼ぶのである。戒を受けるということ…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑳ もうひとつの鎌倉仏教「真言律宗(新義律宗)」

    日蓮に関しては数多くの著作が出ている。何冊か読んでみたが、最も客観性があって面白いと思った本が、日本中世史・仏教史学者である松尾剛次氏の著した「日蓮・戦う仏教者の実像」である。以降の記事の内容の多くは、この本に書かれた内容を参考にしていることを明記しておく。 さて1252年、日蓮は遊学先より安房国・東条にある清澄寺に帰還する。この地において、遂に立教開宗を宣言するのである。 実のところ、前記事で述べた彼の教義の多くは、時の経過によって幾分か変遷している。例えば「お題目を唱え、即身成仏を目指し、この世を正していく」という部分に関しても、この時点ではまだそこまではっきりとした形になっていなかったよ…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑲ 戦う男・日蓮 その目的は「世界を正す」こと

    さて鎌倉仏教のトリを飾るのは、日蓮宗である。おなじみ日蓮が開いた宗派であるが、開祖の名がそのまま宗派になっているのは、この日蓮宗だけである。そういうことからも分かるように、日蓮は強烈な個性を持っていた男なのである。 日蓮の名言、というか迷言として「真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむげん)、律国賊(りつこくぞく)」というものがある。他宗をここまであからさまに攻撃した開祖は今までになく、その攻撃的姿勢は日蓮宗そのものにも受け継がれた。「炎上上等」なのである。故に日蓮宗は、時の政権によく弾圧されている。 この記事では日蓮が、如何にしてこうした過激な思想を持つに至…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑱ 「お葬式」を発明した曹洞宗

    鎌倉仏教を奉じる教団の傾向として、旧仏教ほど「寄進された荘園」というものを持っていない、ということがある(一部例外はある)。彼らは中世に入って出現した新興勢力であったから、残されたパイであるところの「余った土地」が少なかったわけである。(故に武士階級から支持されたともいえる。一部の宗派を除いて、土地の取り合いで武士たちと競合することはなかったわけだ)。ではどうやって教団を維持していくかというと、主に在家信者による「銭や物の寄付」に頼ることになるのである。 どこも宗祖が存命の頃は、その個人的な人間関係や、カリスマ性によって集まってくる寄進でやっていける。しかし2代目以降となると、そうはいかなくな…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑰ 日本人好みの倫理観「自己に厳しく、ストイック」を日本に定着させた道元

    前回の記事で、禅宗の教えの根本は「人は本来仏であり、生きることは悟りに向かって進んでいくことでもある」と紹介した。とてもポジティブな考え方なのであるが、これもまたどこかで似たような思想を聞いたことがないだろうか? そう、またもおなじみ「本覚思想」である。この本覚思想、以前の記事で法然の「専修念仏」を曲解した考え方との類似性を指摘したことがある。スタート地点は違えど、共に「修業は不要だから、怠けてもいい」という着地点に至ってしまった考え方である。堕落に通じるロジックとして悪用されてしまったわけであるが、禅宗のこの考え方もまた例外ではなかった。人は易きに流れがちな生き物なのである。 どんな思想から…

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