全国的にも珍しい!?関鶴羽の手掛けた石碑が至近に存在。その2碑の関係性を探る。 〜藤八新田の天神社
年末も差し迫りました。 ブログを始めて早一年ほど。3日坊主の私がここまで続けられるとは驚きです。 普段、何気なく過ごしている日常から「石碑」というものをカッティングしようとすると思った以上に多いのに驚きます。 明治時代を中心に数多く立碑された石碑。時代の流れとともにどんどん姿は消しているものの、土地の有力者や有名な書家が書いた石碑は今なおあり続け、その歴史を証明してくれています。 さてさて、最初に書いた記事は…。 sekihijunyu.hatenablog.com でした。この「中山吉長」という人物、約40年もの間、村長を務めた人物であったようです。 その方が書いた石碑がありました。 碑額は…
御朱印の有名な神社で、漢字の字源を考え、合祀された神社を想う。〜九重神社
こんにちは、今回は九重神社に参拝してきました。 元々は氷川社であったものの、明治時代に周辺の八社を合祀したことで、九重神社に名称が変わったという由緒があります。 kokonoejinja.or.jp ご利益がなかなか強そうな感じですね。 さて、その入り口に社号の碑がありました。 「村社九重神社 後藤朝太郎謹書」と書いてあります。 この後藤朝太郎は当時、中国通として知られた人物で中国に関する様々な著書を残しています。 ※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレクションより) 写真が残っていました。写真があると親近感が湧いてきますね。 ※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレ…
こんにちは。久しぶりになってしまいました。 年末に向けて残業が増えている今日この頃です。 安行に小さな神社がありました。 氷川神社といえば埼玉県内に無数に存在する神社さん。その一つ。 昔は古い杉があったようで、現在の社殿は枯死した木の売却代金を当てて改築したそうです。 本殿内は見ることができなった記憶がありますが、座像が安置されており、神仏習合の名残を残す神社です。 手水舎となる水盆に文字「奉献」が刻まれています。 sekihijunyu.hatenablog.com sekihijunyu.hatenablog.com 上記の記事で登場していますが、筆者は龍澤さん、石工は青木宗羲さん。 こち…
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