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2022/02/27

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  • 1600年前からの交際

    春は卒業・入学・就職で、若者が送迎されるシーズン。長い祝辞を聴くのが苦手な若者がほとんどだろう。大勢の若者の前で祝辞を述べることは、大人には欣快この上ないことのようだ。だが日本の若者は、大人たちの祝辞の常套語「前途洋々」の美辞麗句に踊らされてはいけない。日本の大人は、このような白々しい無責任な言葉で、若者たちを未来に送り出す悪弊をキッパリ断つべきである。人の前途は、紆余曲折があるのが普通であろうし、将来は未知で予測不可能である。この世は誰もが、前途洋々で人生を渡れるほど甘くはない。社会生活は対人関係で成り立っているから、利害の衝突・感情の行き違い・讒言・誤解・曲解・妬み・嫉みなど、凡ゆる曲事に満ちている。だが、この世には捨てる神もいれば拾う神もいてくれる。若者は未知を虞れることはない。前途洋々と持ち上げら...1600年前からの交際

  • 笑顔

    中学に入る前後のことだったと記憶しているが、舊くから家族同様に親しくしていた年配の婦人から「アンタは笑顔が好いから、いつも笑顔でいなさい」と言われた。その後肉親に死なれたり、失恋したりする度に笑顔は減って、高校を卒業する頃には、柔らかみのない顔になっていた。その頃の写真を見ると笑顔が少ない。笑顔が多少元に戻ったのは、成人し、恋人を得てからのように思う。幸せは外に顕れる。人は境遇によって、心の相も顔の相も変わる。孤独や寂しさは、笑顔にも翳を射しかける。妻も私も、互いに相手の笑顔にあった翳を感じとったから、放っておけず夫婦になったのだろう。それからン10年、孫たちには、笑顔が溢れている。自分は昔人に褒められた笑顔に戻れるのだろうか?どうも老人の笑顔というものは、想像してもピンとこない。顔は心を映す鏡だ。中学生...笑顔

  • 春は枯草にも顕れる

    川の土堤の枯草の色が、ほんの僅か赤みを帯びている。よくよく注意していないと変化に気づかない。節分を過ぎる頃から、雨が降る度にほんのり赤みがさしてくるのである。早春の先駆けを、林床の草花や木々の芽吹きに見るのでなく、枯草の赤らみに認めるようになったのは、ここ数年のことである。まさか土に還るほかない枯草に、春の先駆けを見出そうとは、思ってもみなかった。車での遠出も山歩きもできなくなって初めて知ったことである。オオイヌノフグリ・タンポポ・ホトケノザなどの草花より早く、枯草に春をキャッチできるようになったのは、高齢になったからだろう。枯草の間に緑が目立つようになると春は盛り、桜に目を奪われ、花々に浮かれている間に、枯草は消える。春は枯草にも顕れる

  • 誠意と誠心

    誠意は態度で示すほかに伝えようがない。言葉は誠意を伝える力が弱い。熱弁になる程,誠意は遠ざかるもののようだ。人の誠心は必ず外に顕れるものであり、誠意を疑われることがあっても、誠心さえ失わなければ、いつか誠意は伝わるだろう。言葉で誠意を示そうとしても、却って逆効果を招くものである。私は友誼の絆は互いの誠意に拠るものと理解しているので、誠意を欠いた友誼というものは信じない。互いの間に誠意が失われたら、友誼は終了する。生身の人間だから、外見も中身も経年変化するのは避けられない。誠意を失わないようにするには、できるだけ不動の誠心を保たなければならない。誠心を保っている人は、知己・友人に限らず、凡ゆる人に誠意で接する人であろう。誠意と誠心

  • 南京虫

    トコジラミという害虫が国内で増えているらしい。戦前まで南京虫の名で日本人に汎く知られていた吸血昆虫だ。南京豆(ピーナッツ)・南京錠・南京玉すだれ(芸能)・南京ハゼ(街路樹)など、南京の名が付く日本語はよく耳にする。戦前の婦人用時計は、その大きさと形が似ているので、南京虫と呼ばれた。敗戦後、占領軍が濫用したDDTのお陰?で、この悪名高い虫は姿を消したと思っていたら、国策のインバウンド・アウトバウンドの隆盛に伴い、近年国内に持ち込まれ、国内で増殖しているらしい。交通機関、宿泊施設で被害が相次ぎ、今年は昨年の3倍の勢いとか。南京虫の名では外交的に差し障りがあるのでトコジラミの名が使われるようになったのだろうが、どう名称を変えようとも私には、聞くだに悍しい凶悪な吸血南京虫だ。私が山歩きをしていた50代の頃、当時中...南京虫

  • 猥雑の極み

    昨年11月18日に行われた自民党青年局近畿ブロック会議の後の懇親会、余興で目を覆いたくなる醜態が演じられていたことが、英国のBBCからXを通じて世界中に拡散されてしまった。洵に議員にあるまじき猥雑の極みである。青年局の名が泣くだろう。自民党は落ちるところまで落ちたということか?破廉恥な画像映像がBBCから拡散されたことで、多くの日本人は初めてこれを知った。日本のマスコミは、この画像を入手していながら国民に報道せず、伏せていたということだろう。事実確認に慎重だったでは通らない。購読者や視聴者への許し難い背信行為である。日本のマスコミが、政権党に対して批判力を失っているのは、周知の事実だが・・・日本の政治風土を歪めている旗頭のひとつが、政権におもねて日本国民に正確な内外の情報を伝えようとしないマスコミであるこ...猥雑の極み

  • 万葉の森公園8カタクリ

    今春初めての万葉の森公園。まだ風は強く冷たい。先ず「伎倍の茶屋」で地場(三方原)産の作物を買い、甘酒で体を温めてから、植物を見て周る。今どきお汁粉や甘酒、昔ながらの甘味を出してくれる店は珍しい。まだ樹木の梢に芽が出ていない。暖地でも空っ風の吹く遠州は春が遅い。カタクリオキナグサスモモボケミツマタいつも思うのだが、ミツマタは仄暗い場所に密生して生えているものの方が、断然花の見映えが好い。ミツマタは和紙の原料で、自生の群落はほとんどなく、群生を見るのは栽培地。栽培者は繊維が細く柔らかい樹皮を求め湿潤で陽の翳る谷地を選ぶ。やや日陰の谷間が、栽培者には好適地なのである。その様な場所で見るミツマタの花々は、暗がりに浮かぶ無数のクリーム色の泡の様に見える。その幻想的な光景は、一度見たら忘れられない。植物自体は、陽当た...万葉の森公園8カタクリ

  • 知的生産力

    学力は知的生産力とは相関しない。それは最高学府を出ても、知的生産物を産む人が少ないことでわかる。ここで知的生産物と謂うのは、引用を伴わない当人のみの創作による著作物である。その人の全知能から生まれたものである。従って、学術論文はそれがどんなに有用有益であっても除外される。このことによって私たちは、知的生産力は学識の埒外にあるものであることを理解する。学ぶ能力は非生産的なものである。ここを勘違いすると、学んだだけで事足れりになってしまう。自ら何も生産しない人生を歩んでしまう。学歴主義が問題なことは、学歴が目的化することである。しからば,知的生産力は何をもって上げることが出来るかというと、それに適う答えは無い。敢えて言うなら,生産する意欲ということになるだろう。中国由来の学力神話に毒された儒教三国の親たちは、...知的生産力

  • 深坂越えご案内

    目下視聴率で苦戦が続いているNHK大河ドラマ「光る君へ」の次回(17日)は、紫式部の父藤原為時が、越前国の国司の守に任官し、国府の武生へ赴任するとか。紫式部は国の長官に成った父に随伴して長徳2年(996年)に越前国に赴いている。その2年後の長徳4年(998年)、父の赴任時には通らなかった深坂越え(塩津山)の難所を経て、紫式部はひとり京に帰る。越前敦賀から近江塩津へ、国守の娘だから、従者たちを連れての旅だったろう。かつて山友と、近江塩津から越前敦賀へ、往昔の面影を今に遺す深坂古道(深坂古道-道々の枝折)を歩いたことがあった。道脇に清冽な水が音を立てて流れている長閑な道だった。近江の歴史探索に熱心な頃だったが、真夏の暑さには閉口した。ちょうどこれからの季節、紫式部一行の辿った行路、福井県敦賀のJR新疋田駅から...深坂越えご案内

  • 折り合いをつける

    「折り合いをつける」ことは、社会生活を円滑に進捗させる上で極めて重要である。この世は折り合いの「つけっこ」で成り立っている。折り合いのつけ方の上手・下手は、世渡りの巧拙を決めることになる。トラブルの種を蒔かないためには「折り合いの宜しき」が肝要である。「長いものに巻かれる」のは、折り合いをつけるひとつの便法だが、そればかりでは人生が面白くないだろう。ゆるく巻かれるのと堅く巻かれるのとでは、大きな違いがある。ゆるく巻かれて生涯を終えることができるなら、結構安全で安定した生き方であろうが、堅く巻かれてしまうのは息がつまり、わが身を損なう素になるだろう。長いものに巻かれない、自由で自立した生き方を望む人は多いが、これは誰にでもできるものではない。安全性・安定性を担保するものがない生き方は、タイトロープを渡るに近...折り合いをつける

  • ソバーキュリズム(Sobercurism)からの帰還

    私のオッチョコチョイ・新しがり屋は老いても熄まず、家族の迷惑の種になっている。「ソバーキュリアスSoberCurious」という考え方に興味を抱き、酒好きの私にも、素面(しらふ)の夕べと酔わない生活が可能なものかどうか、早速実体験に取り掛かったのは昨年の7月だった。1年半のソバキュリアン生活を実践した後の今年の2月、飲酒を再開した。ソバーキュリアス教を宗旨替えしたのである。意外なことに、お酒を已めるのは、想像していたよりも簡単だった。常習飲酒といわれる晩酌の習慣を断つのは、何の支障も無かった。飲酒習慣が惰性で成り立っていることを確かめさせてくれたことは、Sobercurismの提唱者に深く感謝している。生活の中から酒を取り除くことは、それまで想っていたより簡単だった。酔わない生活というものは、私に多くの好...ソバーキュリズム(Sobercurism)からの帰還

  • コーヒーの花

    室内で栽培しているコーヒーの木に花が咲いた。白く清楚でかぐわしい香りが漂う。育てて10年にはなるだろうか。高さは約150cm、一時は水遣りを怠って枯れかけたこともある。コーヒーの木を眺めながら、朝飲む一杯のコーヒー、これが老爺には何よりの活力の素になっている。もうひとつ今盛り花はムラサキサギゴケ。この齢になるまで、迂闊にもその存在を知らなかった。この仲間にはサギゴケというものもあって、花色の変化が多く、草もの盆栽に仕立てる人もいるようだ。コーヒーの花

  • 日欧城郭比較論

    私は小学校の4年生ぐらいからお城が好きだった。小学校は浜松城の二の丸に在り、生徒たちは隣接する本丸の丘一帯を「お天守」と呼んでいたが、其処には天守台の石垣はあるものの、天守閣は無かった。もともと浜松城には、築城当時から天守閣がなかったらしい。後に要所に石垣を築いたのは、秀吉時代の城主、堀尾吉晴らしい。家康が築城した当時は、急迫する甲斐武田勢への防備に追われ、自然地形を生かした急拵えの野戦陣地に近い城だったのだろう。その後幾つかのお城を訪ねたが、学童の狭い体験の中で最も強い印象を受けたのは、近江の彦根城だった。石垣と水堀、天守閣と櫓や門が整備された、初めて見る典型的な城郭だった。中学生になったら、西欧のシロに関心が移った。キッカケはフランス映画の時代劇で、多分そのシロはオープンセットだったと思う。中学1年生...日欧城郭比較論

  • Decade

    昔通っていた寿司店の親方が健在だった頃、修業した年限を尋ねたことがあった。10年との回答だった。技能と知識で生きる職人が一人前になるには、一般的に10年はかかるのが普通だろう。職人の世界ばかりでなく、商人も同じである。商品の知識・値踏み・仕入れ・販売のコツなど取引に明るくなるまでには、そのくらいの年月を必要とする。会社員でも、職場の実務に精通しヴェテランに成るには、10年前後の時を必要とするものかと思う。人が技能に習熟し知識を蓄えるには、標準的に10年の時限を必要とするのは、今も昔も変わらないだろう。実務は反復で習熟するものである。反復繰り返しの回数が習熟点に達するには、どうしても10年の歳月を必要とするように出来ているに違いない。万物は秒・分・時間で動いているが、人間の認識や技能の習熟には、寡なくとも1...Decade

  • 好奇欲

    こどもの頃から、興味のないことに時間を奪われることが嫌いだった。その上従順でないから、習うということに適さない。興味のあることにだけ集中力を発揮する不埒で我儘なこどもだった。学校の授業でも、興味のない教科はうわの空で聴き流し、別の興味のあることばかり考えていたように憶えている。先生からは、問題のある生徒に見えていたことだろう。こどもに通例のワンパクなところはなく、妙に大人しいので扱い難い。昔の言葉でいうなら「タチの悪いガキ」だった。こどもは好奇心の塊と言う。親御さんたちは、成長に伴って発展するわが子の好奇心を知識欲と理解して歓迎する。油断してはいけない。買いかぶりというべきものである。好奇心は、自然に好いものや良いことに向かうとは限らない。芳しくないことへの好奇心は、厳しく排除すべきである。この好奇心とい...好奇欲

  • アウトドア社員

    私は若い頃、出張とか研修とかで生活圏の外に出ると、妙に嬉しくなる軽薄きわまりない気質だった。仕事や学習は好い加減早めに切り上げ、現地の風光や味覚などを行楽気分で楽しむ、不届千万な社員。人が行きたがらない出張は自から志願しても行ったものである。担当者が行きたくない先だから、事が不首尾に終わっても5分の出来にはなる。上手く行ったらご褒美ものである。成るようになれで事に当たった。私にとって出張に絡めた観光とグルメは、ご褒美の先取りである。その頃のこと、会社の取引先に発注ミスがあり、先方の資材の担当者から、明日にもラインが止まるとの切迫した連絡が入った。運送業者を介して製品を送っていては間に合わない。当日フル稼働で作った製品を、誰かが深夜に運んで、先方の朝1番の検収に間に合わせることになった。取引先は長野県岡谷市...アウトドア社員

  • 資本主義の本質

    資本主義とは、ストレートな表現が許されるなら、欲望主義の語が正鵠を射ていると思う。欲望主義という言葉ではあまりに露骨すぎるので、経済学は資本主義(capitalism)という穏当な言葉を編み出したのではないか。欲望主義なら、植民地主義が資本主義の申し子であることもすぐ理解できる。人類は生存の本能により、身内に具わる欲望を満たす為の行動と工夫を重ね、適応進化して来たと思われる。私たち人類の進歩の原動力が、欲望にあったことは疑いないだろう。獲物や収穫物をより多く得たいという欲望が、狩猟や漁労の用具や農耕具の改良発達を促し、共同作業又は分業による効率化で、収穫量を増やすことを覚えたと推測できる。穀物栽培と草食動物の家畜化に成功すると、財の所有即ち富の蓄積が可能になり、さらに貨幣という財の交換手段が加った時、資本...資本主義の本質

  • 片付け上手

    整理と整頓とは異なる概念だと、大昔、新入社員の時の研修で事務の専門家から教えられた。整理とは廃棄を含むもの、整頓とは見た目綺麗に並べ揃える、つまり並び替えるに留まるものとか。その後20年くらい経って、初めてイギリス・ドイツ・ベルギーを訪れた時、旅行者の目に触れる銀行や郵便局、市役所などのオフィスが実に整然としていることに瞠目した憶えがある。文書その他の雑品が一切見当たらず、洵に整然としていた。街の商店のディスプレイも洗練されていた。書証に限らず、物品の収納・分類にかけて、ゲルマン民族(アングロ・サクソン人を含め)は収納整理の能力に秀でていると痛感した。それは、彼の国々の人たちが、ロジスティックス(物流)の能力に長けているということである。翻って我が国のオフィスを見ると、まことに乱雑無秩序、好対照を示してい...片付け上手

  • 汚濁は必然

    政治の歴史を顧みれば、この世に清廉な政治が行われた験しは殆どなかったと、理解していて好いのではないか。人には程度の差こそあれ、欲望があり、富と地位への執着がある。誰が政を行おうと、権力の側に在る人たちが、人性に具わる欲動から縁を断つことなど出来ないだろう。法律や制度を作って、政治の組織が恣意的になったり、腐敗するのを防ぐのが精一杯、政治家個々人に、生まれつきの欲動を抑えるよう自律やモラルを求めても無駄だろう。私たち人類は、有史以前から欲望主義とでも呼ぶべきイデオロギーの下で生存し、その延長上に資本主義・自由主義を確立して来たのである。政治を動かすエネルギーには、理念と共に欲望が存在していたと理解するのが至当であろう。政治に限らず、殖産や興業も、純粋に社会的な貢献や奉仕の精神だけでエネルギーを維持できるもの...汚濁は必然

  • 大腰筋の重要性

    インナーマッスルのうちで最も重要な筋肉を挙げるなら、大腰筋ではないかと私は思う。過去ログのも併せてご参照下さい。大腰筋と骨盤-道々の枝折「骨盤後傾を防ぐ」の記事をupしてから11ヶ月、防止対策への理解は一段と進み、骨盤後傾には〈大腰筋〉の衰えも大きく関与することを知って、漸く本丸にたどり着いた思い。...gooblog2本の大腰筋の両端末はそれぞれ脊柱の両側と左右の太腿骨に付いていて、体幹の直立を保ち、上半身と下半身の各骨格筋の動きに関わっているようだ。これが衰えると、姿勢が悪くなるばかりか、手足の筋力が萎えてしまい、何をやっても思うように力が出せなくなる。ということは、老人がサルコペニアやフレイルを防ぐためには、先ず大腰筋を大切にしなければいけないということだろう。このインナーマッスルを直接鍛えるのは難...大腰筋の重要性

  • タンニン鉄と腸内細菌

    かつて当ブログで「タンニン鉄」タンニン鉄-道々の枝折老生は毎日ティーカップに3杯も5杯も飲むほどの紅茶好き。紅茶の出がらしがすぐ溜まる。ユーチューブの動画で、茶葉の溶液と鉄釘とを反応させタンニン鉄の水溶液をつくり、...gooblogについてご案内した。このタンニン鉄、土壌中の微生物を活性化して作用し、植物の健康に有効に働くらしく、今では老生の植物栽培の切り札となっている。鉢植えが弱った時など、カンフルのように使っている。先日、さるユーチューバー氏が、好い実験を公開してくれた。それは、タンニン鉄は2価鉄(ヘム鉄)なのか3価鉄(非ヘム鉄)かという実験で、ウーロン茶・緑茶・紅茶・コーヒーをそれぞれ同量の湯で抽出したカップに、スチールウール片を等時間漬け置いて、2価鉄と3価鉄の検査キットを使って調べ比較するも...タンニン鉄と腸内細菌

  • 空間認識

    過日同じ町内に住む知人宅に届け物があって、徒歩で2kmばかりのそのお宅を訪ねた。町内といっても、7,000世帯、15,000人を擁する大きな町である。広い団地の、似たような家屋で埋め尽くされた中心部に、そのお宅はある。暫く訪問していなかったせいか、大通りから曲がる角を間違え、見慣れない住宅街の中に迷い込んでしまった。スマホの地図アプリの出番と思ったが、数100メートルの圏内に在る目的地の方向は分かっているので、当てずっぽうで起伏の多い団地内に深く入り込んだ。見慣れない家並みの路を歩くうち、自分の居る位置が不確かになり、目標地との相対的な位置感覚も怪しくなって来た。丁度ご自宅のドアの鍵を掛け、路に出ようとしていたご婦人に、訪問先近くの医院名を告げ、其処に行く順路をお訊ねした。医院は既に廃業していて駐車場にな...空間認識

  • 分散と統合

    人の能力というものは多様で、各人各様、その人ならではの性能をもっている。誰もが、何かしらの能力に恵まれて生まれて来るということは、洵に心強いものがある。しかし、極めて稀な能力というものがある。分散と統合という相反する性能をセットで備えている人は滅多に居ない。分散と統合は一対で働くものだから、単独では能力として機能しない。物事は、分解して構造や組成を見究め、それを最適に組み合わせることで実相が理解できるようになる。分析や解析とか計画・設計という高度な知的生産活動には、特段に分散・統合の併存が求められる。これまでは長く、集中こそが人の社会的有用性を決める最重要の性能と考えられていた時代があったた。かつて体育会系が就職に有利だった大きな理由には、体力もさることながら、集中力への期待が多分にあったからである。しか...分散と統合

  • 批評家と実務家

    私はどちらかというと、正論を説く批評家よりも、過誤や失敗の多い実務家の方を信頼する。実務というものは個人で完結できないから、どんなに有能な実務家でも間違いを排除できない。実務家は過ちを恐れない勇気をもっている人であることは慥かだろう。それに対して批評家は、あくまでも個人で完結できる仕事だから、本人さえしっかりしてさえいれば、間違いは発生しない。しかし批評家は、実行力をもたないので、評論がどんなに卓れたものであっても説得性は乏しい。批評家というものは「創れない・実行力がない・実務を知らない」のないない尽くしである。あるのはインテリジェンスのみ。実務に触れない批評家は、旧い言葉で謂うならある種高等遊民と言える。誤解を招かないように理っておくが、私にとって高等遊民は尊称である。こういう種族は極めて稀で、俗物でな...批評家と実務家

  • 生体の仕組み

    植物であれ動物であれ、双方の基本的な栄養吸収のメカニズムに微生物が関与していることは興味深い。どちらも、肥料や食物などの有機物を無機物に変える過程で、微生物(バクテリア)が大きな役割を果たしているらしい。植物の場合は、土壌中の有機物をバクテリアが無機物に変えたものを水と共に根から吸収しているという。動物の場合は消化器官が具わっており、食物は消化器官から分泌される消化酵素で消化する仕組みを備えているが、消化器官で消化できない食物繊維などは、腸内に棲息するバクテリアが働いて無機物に変換し腸壁から吸収しているらしい。動物は腸内に土壌と似た環境を具えていると言えそうだ。バクテリアに全面依存して食物を消化していた太古の原生生物時代の名残りを今にとどめているということだろうか?堆肥の効いたフカフカの畑の土は、健康な人...生体の仕組み

  • 遺伝の実感

    歳をとると、好ましいものであれ好ましくないものであれ、自分が両親のそれぞれから受け継いでいる類似点に気づき愕くことがある。年齢とともに相似性が克明になって来るもののようだ。同様に、息子や娘、更には孫たちの中に、自分に酷似しているところを見出したりして、欣んだり嘆いたりすることもある。私たちが生活の中で遺伝というものに考えが及ぶのは、このようなときとか、犬猫ペットや花卉・果物などの交配・品種改良の事実を通じてぐらいのものだろう。日常生活の中で、息子や娘、孫たちの表情に、自分や妻のクセを見出したりすることは多い。人は歳を重ねて自分を知れば知るほど、次代や次次代に自分との共通点を見出すようになるものらしい。遺伝とは、愉快でもあり、気懸りなものでもある。遺伝の実感

  • 老爺の戯言

    成人式を過ぎた若者たちを見ると、青春の活力に充ち溢れ洵に頼もしい。わが家の孫たちの2人も、既におとなである。恋愛は未だらしいが・・・老爺にも若い頃があった。異性の気を惹くに敏な厭ったらしい青年だったと、老妻は苦々しげに吐き捨てる。そんな風に見えていたのか?若者はおしなべてそういうものだと思うが・・・老生だけが特異だったとは思えないが、彼女に言わせると、高齢になってもその癖が改っていないところが特異だと・・・「三つ子の魂百まで」というではないか!若い頃は、恋をすると相手を傷つけたり自分が些細なことで傷つくことも多い。自意識過剰なくせに自信がないからそうなるようだ。そうして大抵の若者は、いくつかの失恋を経験する。逆説的なことを述べるようだが、恋愛では、相手の気持ちを斟酌しないことが大切である。現実に相手が表示...老爺の戯言

  • ロジスティックスはシステム

    日本列島は、太平洋側の海底のプレートがユーラシア大陸側のプレートの下に潜り込む際に、こそげとられた海側のプレート上の海底堆積物(岩石)が、何億年にもわたり大陸プレートの端の上に徐々に積み重なった、付加体といわれる地層で出来上がっていると教えられた。地殻としては甚だ脆弱な、断層と火山だらけの、極めて地震の発生し易い地質らしい。一説には、地球上の地震の2割がこの列島で起こっていると云われるから、まさに揺れる大八洲である。そのような地震国の災害救助を担う消防庁・自衛隊・警察の皆さんの果敢な救助活動には満腔の敬意と感謝の念を表したい。我が国の地震災害救助隊の能力は優秀で、海外の地震災害にも派遣され、高い評価を受けている。一方で、其れを後方で支援する部門のロジスティックス能力となると、しばしば遺漏や不備が発生し、結...ロジスティックスはシステム

  • フラワーパーク12

    今年初めてのフラワーパーク。ウェルカムガーデンはチューリップが整列していた。フクジュソウがようやく咲き始めた。セツブンソウの花弁もまだ弱々しい。もうひと月もすると、幼児が上を見て笑っているように見えるのだが。スイセンは盛りをすぎたのだろうか?梅の花の匂いがわからないのは、一昨年末のコロナ感染のせいだろうか?フラワーパーク12

  • 植物油という曲者

    高齢者が健康を保つのはなかなか難しい。注意することが多過ぎて、何を優先させたらよいのか、選択に迷うことが多い。病の原因として、生活習慣が挙げられ、その中でも食事の質と内容は健康と強い相関があると考えられている。お酒が健康に好ましくないことはWHOでアルコールの害が認定されているので、既に社会的に共通認識に成っている。最早お酒は「百薬の長」などとは言えない存在になったようだ。上戸の方々には、ご同情申し上げる。酒の害をとり挙げるなら、もうひとつ、健康への害が懸念される液体を看過するのは片手落ちに過ぎる。植物油というものは、製油された段階では何ら有害性をもつ食品ではない。むしろ健康に有用な食品と考えられて来た。だがこの植物油、保存の状態または調理の際の加熱によっ老生はて変性し、健康に有害な物質に変わるらしい。私...植物油という曲者

  • 男らしさについて

    尾崎士郎の無茶苦茶に長い小説「人生劇場」の主人公、青成瓢吉の父瓢太郎は侠客で、男というものは「無鉄砲」でなければモノにならないと考え、息子を成る可く無鉄砲な男に育てようとした。江戸の昔から「人生劇場」の時代(大正・昭和)、すなわち侠客とい云われる人たちが生きていた時代までの日本人は、「俠気」(弱く苦しんでいる者を助けようとする心)に男らしさを見出していたようだ。混同とも言える。それは武士階級の圧制の下で苦しんだ封建時代の、庶民全員の希いだったのだろう。庶民を助け権力に対抗するのは無鉄砲そのものだった。日本の庶民社会は「無鉄砲」とか「向こう見ず」を、男らしさの要件と認識していたようだ。「無鉄砲」は当て字で「無手法」が正しいらしい。日本人の「男らしさ」には、もうひとつ「潔癖性」という要件もあったようだ。作為を...男らしさについて

  • Lookism

    「Lookism」という耳慣れない和製英語があるそうだ。looksとismを合わせ「外見至上主義」を意味するらしい。社会はルックスに過剰な価値を認める方向に進んでいるらしい。いや退いているらしい。究極の虚飾である。TV、Instagram、TikTokその他、ビジュアル情報に四六時中接している日常生活が、この傾向に拍車をかけているのだろう。これは世界的な現象に違いない。小学生がお年玉を遣い美容整形外科で瞼の整形手術を受けることが現実に有るという話を聴いて愕いた。親が整形に同意しているということだろう。祖父母は自分たちのお年玉がその様な遣われ方をするとは思いもよらなかっただろう。そういう時代に至っているのかと、老人は只呆れるしかない。何しろ生成AIの時代である。偽物が本物を凌ぐこともあり得る。そもそも、成長...Lookism

  • 羨望の裏地

    日本の歴史を調べると、紀元前2世紀から古墳時代が明けて間もなくの上古の時代までに、中国から文字・道教・仏教・儒教などの文化が一挙に雪崩の如く流入したらしい。飛鳥奈良時代に中国に倣って律令制度を導入した日本の朝廷貴族は、朝廷から授けられる極めて細かな身分制度、官位というものの支配を受けるようになった。官位とは、官職と位階のことで、官とは職務の一般的種類のこと、職とは職務の一般的範囲のこととある。ルーツは中国の律令制にあり、朝鮮・日本はそれを模倣し導入した。東北アジア3国の身分制社会は、中国の隋・唐の律令制度に起源をもつ。人種的に近いことからも、この3国の民族は、細かな身分差別に共通する部分が多いと見て差し支えないだろう。官位制度を知れば知るほど、古代中国流の人心統御のテクニックの巧妙さに感服するほかはない。...羨望の裏地

  • 専門性と統合性

    ネットワークとかシステムには全く昏い門外漢だが、敢えてシステム思考という事柄について、陋見を述べさせていただきたい。システムを構築するということは、専門性(調査・研究)と統合性(組織化・運用)とが互いに協力し合う関係を築くことである。各個バラバラに独立している専門部門を適切に配置・連結し、互いの部門が有機的に協働できるようにする性能が統合性である。統合を可能にするのは、各専門分野に通暁し理解能力がある個人及び組織の存在であって、その存在があって初めて専門部門間の有機的結合や組織的連携は可能になる。統合されることによって、各専門分野には、更なる発展の機会が訪れる。それは個人における集中力と総合力の関係と同じである。システム思考には、1人の人間が集中性と総合性を同時に併せ持つことが欠かせない。この一見背理する...専門性と統合性

  • 国の始まり

    中国の春秋戦国時代(紀元前770年代から紀元前221年までの約550年間)というものは、わが国の初期の文化草創期にあたり、極めて重要な時代だったと思うが、未だ漢字を学ぶ前の時期だったために、その時代を伝える本邦の文献史料は存在しない。この時代に中国思想界に現れた諸子百家と呼ばれる思想家たちが、中国人のものの考え方の凡ゆる類型を伝えていると見ることができる。中国人の考え方のプロトタイプは、全てこの時代までに出揃ったと見てよいのではないか。当時を大雑把に鳥瞰してみる。戦乱が続き、人々の生活が困難になった中国の戦国時代、長江下流域の人々は難民化し、種籾と農具・武器を携え船に乗り、大挙して遥か東方の、今の日本列島と朝鮮半島に辿り着いた。東方に気候的に恵まれた島々が存在することは、既に中国人は知っていたはずである。...国の始まり

  • 孫の運転で2時間

    ギフト品を買う必要があって、掛川の店に行った。あいにく妻が風邪気味だったので、一番上の孫に運転してもらった。この孫は今春学校を卒業し就職する。運転ぶりを見極める好いチャンスである。妻と違って免許返納までゴールド免許と無縁だったやつがれが不遜にもお手並み拝見とは・・・内心忸怩たるものがあるが、とかく批評家は実行がからっきし駄目なもの。居直って、速度と車間距離にダメ出しなどしているうちに、自宅から1時間、150号線に沿う「大石農場ハム工房」に着いた。ギフト品を物色していたら昼近くになったので、その店でホットドッグとコーヒーのセットで昼食を摂った。この日は風もなく暖かかった。初めて乗せてもらった孫の運転。滅多にない祖父と孫とのふたりだけの会話を愉しんだ。いろいろなことが聴けて気分が若返った。今度は孫娘に運転して...孫の運転で2時間

  • 定まり文句

    これまで幾度も、自民党に不祥事が生じるたびに、「愛想が尽きた」とか「政治改革が必要だ」の声を聞いて来た。その後に続く言葉は誰もが皆判で押したように「野党が頼りない」「政権の受け皿がない」の定まり文句。これは明らかに発想・論理が間違っている。政権を執ったことのない野党が頼りないのは当たり前である。頼り甲斐あると見て支持して来た大多数があって、政権党の自民党が驕り、国民を軽視し続けた結果、不祥事が度々発生したのである。見せかけの頼り甲斐に惑わされた、自らの投票行動の軽率を謙虚に反省しなければならない。責任を転嫁している限り、政治は変わらない。受け皿をつくるのは我々選挙民であって、天から受け皿が降りてくるのではない。受け皿が無い理由は、全てわれわれ選挙民に責任がある。権力が腐敗する例は枚挙に遑ない。そうと知りな...定まり文句

  • サルコペニアとフレイル予防

    サルコペニアとフレイルという加齢に伴う病?に、高齢者は警戒しなければいけないらしい。前者は筋肉量の減少と筋力の低下、後者の語意は虚弱で、筋肉はもとより精神の衰弱をも含む概念らしい。サルコペニアもフレイルも、先ず第一の予防法は、日常的に筋肉に負荷をかけ、動かすことが必要のようだ。呑気な隠居暮らしで、楽ばかりしていると、筋肉は確実に衰える。そして、衰えた筋肉は復活しにくくなるばかり。老いたからと言って「人生楽ばかり」ではいけない。日本人には「鍛錬」という立派な自己陶冶を促す言葉がある。鍛錬しないとサルコペニアとフレイルに捕まるとおどかされている。筋肉増強というと、きつい筋トレと厚いステーキモリモリを連想するのは短絡に過ぎる。高齢者は疲労の回復が遅い上に、消化吸収能力も低下し、成長ホルモンの分泌も枯渇しているか...サルコペニアとフレイル予防

  • 初ウォーキング

    年明けから天災、事故、事件が連日続いた3ヶ日、テレビの報道番組と恒例のスポーツ番組に釘付けになり、食べるばかりで家を一歩も出なかった。斯くてはならじとデベスケ(遠州弁で家にじっとしていられない人)の老生、今日は近場の浜名湖、舘山寺町にウォーキングに行く長男一家のクルマに妻と乗り込んだ。浜名湖、浜松市西区舘山寺町【しぶき橋】空は晴れ渡り、強い北西風が吹き衝ける湖岸は、外洋の遠州灘に面した海岸と違って、波高・波長共に小ぶりな白波が打ち寄せていた。舘山寺サンビーチの湖岸道を歩く。夏には、海水浴やウインドサーフィンの人たちで賑わう場所。自転車で来たらしい若いカップルが肩を寄せ合って、沖を眺めていた。まだ10代と思しきふたりは、風の冷たさなど何でもないように見えた。カメラに納めたい雰囲気を感じたが、プライバシー侵害...初ウォーキング

  • おせち料理

    新年を祝って食べるおせち料理、齢をとると、こんなにも美味しく、かつまた日本人の体質に適う味覚もないと痛感した。日本酒に合うのも当然である。民族の生活文化、食の伝統は絶えないで欲しい。まさにソウルフードである。繁衍する洋風・中華風おせちでは、ソウルに響かないのではないかと老人は心配する。我が家の息子家族たちも、幸いなことに純正おせち派なので、我々夫婦も元日から胃腸の調子が良く過ごせるのは嬉しい。(クリスマスの頃は、どうしても半世紀前に切除した胃が不調になりがちだ)老人がお雑煮を咽喉に詰まらせるケースが多いと聞くが、あれは作るお雑煮の形態に問題がある。思い切り根菜・葉菜・きのこ・白滝などの具だくさんのお雑煮にすれば、よく噛まないと嚥下できないから、餅も小さく噛み砕かれ、咽喉に詰まらせる危険は少なくなるだろう。...おせち料理

  • 明日は今日の延長とは限らない

    2024年の幕開け当日の元旦、午後4時10分頃、石川県能登地方で、マグニチュード7.6震度7の大地震が発生した。被災地と同じ中部地方の私の家も、夕食準備の最中に震度3の揺れがあった。すぐに20年前の上越大地震の時のことを想起した。2004年7月23日の上越大地震の際に、老生は当時の政府や自治体の災害対策の不備と対応の遅滞に憤りを感じ、ブログ記事を投稿した。その記事を再掲させていただく。被災者用レーション-道々の枝折2004年7月23日、新潟県の中越地方が地震災害に見舞われた。テレビは地震発生以来連日、現地の惨状を報道し続けている。その報道番組で、被災者に配給されていた夕食の内容を...gooblogその時と同じ地震災害なのに、政府の対応は何も進化していない。20年前の教訓は何ひとつ生きていないように見える...明日は今日の延長とは限らない

  • 今年一年のご高覧有難うございました

    今年一年、老生の浅慮・妄見にお付き合いくださり、洵に有難く篤くお礼申し上げます。来年も宜しくお願い申し上げます。「道々の枝折」tekedon638今年一年のご高覧有難うございました

  • 中国由来の風習と民俗

    常々古代中国人の精神構造や発想の不合理を難じて来た。これは中国政府が尖閣列島を自国領と主張し、海警局の警備艇が日本の個人漁師の漁船を追尾する嫌がらせ映像をTVで観た時から始まった。嫌中意識というものである。若い頃には親中だった人間が、中国嫌いになったのである。以来あれほど好きで高く評価していた中華料理を避けるようになった。周政権に限らず、現代中国人の心性の底に、淳良なものが感じられなくなったのである。あるのは自国優先の覇権主義・排他意識・自己中心思想であるように感じられる。そこで今年から、中国に起源のある行事や、中国の風習と習合しているらしい我が国古来の風習と伝統行事を洗い出し、一切それを断つことにした。いざ我が国の年中行事を検めてみると、先ず中国由来の伝統行事や風習の多いことに愕いた。それほど中国由来の...中国由来の風習と民俗

  • 考える力

    考える力とは思惟力である。学ぶ力は学習力。学習は知的には未だ何も生産してない状態、準備段階である。学ぶことは誰でもできるが、考えてそれを思想に纏め、他人に理解してもらえるよう伝えることは難しい。日本人はある種の強迫観念に囚われているのではないかと思うほどに、学ぶこと勉強することに熱心な民族だと思う。「お勉強」が好きである。その勤勉さは世界に冠たるもので、現在の国際社会で、高い評価を揺るぎないものにしている(と思いたい)。日本の国力(総合力)の衰退を危惧する向きもいるが、過去の数々の災難を乗り越えて来たことを顧みると、懸念には及ばないだろう。ただ、本当に世界のリーダーと目される国になりたいなら、学ぶより考えることに軸足を移すよう、根本から改めなければならないと思う。私たち日本人は、学ぶことを過大に評価して来...考える力

  • 情操という忘れもの

    当ブログでは、再三、情操の大切さを繰り返して来た。情操とは、物事に感動する心、人を労わり共感する心、自然の多様性に感銘を受ける心。その他諸々の好ましい感情である。情操に最も近い英語はsentimentという語になるだろう。意味の広いsentimentの訳語に「感傷」という明治漢語をつくった学者さんは、日本人の情操理解を誤らせたと思う。この訳語ゆえに、情操にマイナスイメージを抱いてしまう人は多い。女々しく感じられるのだろうか?企業社会はその体質から、情操を重要視してはいない。企業戦士として会社に忠勤を励んだ人たちは、企業を退めて初めて、情操の意義に気づく。晩節が否応なくそのことを気づかせるようだ。情操は、私たちが老いて、寄る辺ない身であることを自覚した時に初めて、その存在と重要性を現す。情操は老境にある身を...情操という忘れもの

  • 言語の特性

    言語というものは、論理の伝達性能と情緒の伝達性能の2つの性能のバランスで成り立っている。世界に言語は民族の数だけあるが、それぞれの言語にそれを生んだ民族の特性が表れ、大別すると論理の性能に勝れた言語と情緒の性能に勝れた言語とに分かれる。英語が国際言語であることに疑いはない。英語の構造が、論理の展開と伝達に好適な言語であることは、論を俟たないだろう。世界言語になっている最大の理由は、大航海時代以降の歴史的要因を別にすれば、英語のもつ言語としての論理的特性にあると思う。英語をつくり上げた民族が、合理的な気質を多分に有していたということである。また、ラテン語の影響を強く受けていることも、国際語になる大きな要因だったろう。ドイツ語はどうかというと、民族の合理性から言って、英語に劣らず論理的でないかと思う。それと対...言語の特性

  • 感受性

    人には感情があり、その発動には感受性が関与する。それぞれの人の感受性には、対象・内容によって鋭鈍・強弱の違いがある。感受性とは、英語のsensitivityに該る言葉だろう。感性を意味するsensibilityは客観性を伴う概念だが、感受性は極めて個別的で主観的なものである。感性と感受性とは、感覚に属す概念だが、相関してはいない。感受性が鋭いことと、感性が豊かであることとは、異質の内容である。感性の涵養-道々の枝折人が歳を取るごとに感性が衰えるのはやむを得ない。若いときには誰もが瑞々しかった感性が、老年になって衰えないためには、中年以降に様々な手立てを講じてなくてはならな...gooblog良好な人間関係を築くには、自分と他人の感受性の違いを、正確に知ることが大切である。認識を誤れば、相手の感受性を刺激し...感受性

  • 権力の略史

    権力は一旦成立すると、自己増殖し始め肥大する。あらゆるものが権力に靡くからである。長い時間はかからない。権力成立の初期ほど、肥大化の速度は速い。権力は重層化と複合化の形をとって膨張する。権力が重層化するのは、成立した権力に先を争って追従しようとする劣位の権力が多数あるからである。保身のために旗幟を鮮明にする必要がある。他方新権力と覇権を争って屈服した旧権力に残された道は、新権力に服従するか吸収されるかして生き残るしかない。新権力が旧権力の遺産を利用する必要のあるときは、権力の複合化が起こる。凡ゆる権力は、このように重層化と複合化によって、自律的に膨張する。権力が消滅する時は、この逆の道を辿る。①この国で最も早く確立した政権はヤマト王権だった。飛鳥時代である。その権力を遂行する蘇我蝦夷・蘇我入鹿をクーデター...権力の略史

  • 正月を前に

    年賀の賀詞を書状で伝える習慣は、大昔からあったというが、庶民に一般的なことでなく、貴族の間でも稀なことだったろう。ハガキによる年賀の挨拶は、1873年(明治6年)に官製はがきが登場してからのことだが、それから10年以上経って、年賀状のやり取りが国民の習慣となったようだ。お年玉付年賀状というものが始まったのは、1949年だという。老生が小学校生になった年だから、80年の歴史ということか。郵政省という役所があった時代、年賀状の交換は年次盛んになる。つまり、年賀状のやり取りは、戦後に官主導で一般化された風習である。元日に年賀状が配達されるよう望むのは、人に先んじたい日本人一般の気質の表れだろうか?それとも欧米のクリスマスカード交換の習慣を倣ってのことか?テレビのニュースで、年賀状投函の映像が風物詩の如く扱われる...正月を前に

  • 骨盤の歪み改善

    私たちは、日中立ったり座ったりしている時は、身体を正体に保って動作させている。ところが夜寝ている時には、輾転反側、様々に屈曲や伸展を繰り返す。無意識に身体を動かしているので、時には骨盤に無理や負担ををかけているごとに気づかない。目醒めて起ち上った途端に腰に痛みが走ったり、洗面台で歯磨きや洗面をしている時に腰痛(魔女の一撃)に見舞われるのは、就寝中の姿勢に問題があると思うが、眠っている最中にそれは正せない。朝目覚め、ベッドを抜け出したら、まず骨盤を整えるポージングをしてから歩き出すようにしている。このポージングは、YouTubeの大阪阿倍野区のパーソナルトレーナー、小林素明先生https://youtu.be/-MFRb-NqREU?si=1JF8KHF1Bo8bFplsの解説と指導がわかりやすい。40代か...骨盤の歪み改善

  • ぬばたま

    「居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」ぬばたま(射干玉)はヒオウギの実。黒髪の枕詞になるだけあって漆黒である。恥ずかしながら、ぬばたまがヒオウギの実(種子)であることを知らなかった。9月ごろだったか、「万葉の森公園」でヒオウギの花がひと叢咲いている中に、黒々とした粒を見つけ、説明文を見てそれと知った次第。ぬばたま

  • 創意

    この国の停滞または後退が懸念されている。それを打開する処方箋など、誰も書けないと考えるのが正常な認識である。官僚は政策の予算を計上し、政治家が予算を承認する。予算を充てれば仕事をしたと勘違いしてはいけない。予算実行の結果を確認するのは政治家の仕事である。其処までやって初めて、政治家の政策は完結する。現状は「やりっ放し」のようにしか見えない。臆面もなく効果のない政策や事業が遂行されるのは、与党の政治家が自身の関与した予算事業の結果を官僚任せにしないでチェックしないからである。タックスペイヤーの代理人であることを強く自覚して欲しい。国が栄えるには、創意と工夫に富み努力と忍耐を備えた国民を1人でも多く育てることに尽きる。創意こそ発展の源である。模倣と踏襲を続けるかぎり、国力は衰退の一途を辿るだろう。イノベーショ...創意

  • 歴史について

    歴史の事実、史実というものは、時代を越えて多くの専門家の地道な検証を受ける。時代と体制により様々な評価が下され、その多様な評価が時を経るうち次第に収斂し、一定の理解と認識が定着する。その定着したもの、地道な検証の集大成を、私たちは史実として受け容れている。それをテレビの脚本家たちが大向こう受けを狙って、長い歳月と多数の専門家の検証と庶民の常識によって定着した認識に、恣意的な新解釈を加え、ストーリーをつくる。史実を勝手に歪ませたり色づけたりするから、我々庶民の歴史認識を混乱させ、ドラマとしても、実に底の浅い支離滅裂なストーリーが出来上がる。所詮テレビドラマは視聴率目当て、洵に底の浅い歴史ドラマが濫造される。歴史の専門家は、現在に遺された過去の断片的資料を精査し、史実をより正確に慥かめようとするのが仕事である...歴史について

  • 現実は計画を裏切る

    何事も、人の想いどおりに事は運ばない。人生では、予想は現実に裏切られ続けられるものかも知れない。トルストイの「戦争と平和」は、現実がいかに作戦計画を裏切るものであるか、また、勝敗を決するものは、少数の優れた将軍たちの力量に依るものでなく、名もない兵士たちの奮闘であることを、繰り返し説いている。つまりナポレオンや参謀たちの頭脳(想像力)から生まれた作戦計画というものは、一旦作戦が始まると、予想外の現実によって様々な齟齬を来たし、それは時間の経過と共に当初の計画との乖離を拡げ、計画はどんどん役に立たないものになる。どんな緻密な作戦計画も、現実の前にはひとたまりもない。流石のナポレオンも「ワーテルローの戦い」では、前日の雨の影響で野砲の配置計画に狂いが生じ、それが後々まで影響して戦況を立て直すことが出来なかった...現実は計画を裏切る

  • 漱石と鴎外

    明治の文豪というと、漱石と鴎外が双璧として並び称される。しかし、人となりには相当違いがあると思量されるので、不遜ながら老生の独断・偏見を披露させていただく。漱石と鴎外は、文芸家としてはともかく、人となりは双璧たり得ない。鴎外ファンには悪いが、人としての鴎外は漱石と同格とは思えない。漱石は英国留学の挫折を経て、やむにやまれぬ思いから、小説を書き始めた。鴎外は漱石の文業の成功に触発され、この程度のものなら自分にも書けると思い小説を書いてみたに過ぎない。既に軍の医官として最高位に就いていて、功成り名を遂げていた人である。文芸に生きる動機や気概が根本的に違うように感ずる。実際、当時の文芸に対するエスタブリッシュメントの評価は低かった。漱石も鴎外も、国家から能力を認められ、分野を異にするが国命で留学している。漱石は...漱石と鴎外

  • マタンゴ

    日中戦争と太平洋戦争、戦争に明け暮れた挙句の敗戦とその後のアメリカナイズ社会は、旧い日本社会が連綿と守ってきた日本人の誇りを完膚なきまでに粉砕した。ちょうどその頃に登場したテレビは、娯楽の上では軽佻浮薄な芸能文化を国中に広めたが、人々の日常生活の慰安という点では、空前絶後の効果をもたらした。同時にそれは、大宅壮一氏が「1億総白痴化」危惧したとおり、日本人の豊かな情操を損なわせるものがあった。アメリカの占領政策の要項に、テレビの普及があったかどうかは知る由もないが、私の少年時代のテレビは、アメリカ製の西部劇やホームドラマがほとんどだった。大人気のプロレス中継も、見ようによっては、白人プロレスラーをを叩きのめす力道山の勇姿があってこそのもの、占領政策(被占領国民の慰撫)に基づく番組であったのかも知れない。テレ...マタンゴ

  • イチョウの純林

    次男の運転で、掛川と菊川の両市を通過した。まず掛川市の国道150号に沿う店で買い物を済ませた。続いて国道から北に向かう。掛川から菊川にかけて、国道150号とJR東海道線に挟まれた広大な地域には、低い丘陵が起伏し、網の目の様に道路が丘の間を縫っている。ナビなしで初めて入ったら、道迷いは必至だろう。次男のお勧めスポットがあるということで立ち寄る。道路の左手にイチョウの純林が現れた。整然と碁盤の目のようにイチョウが植えられている。縦横100mぐらい、1ヘクタールの広さがあるだろうか?元はギンナンを採る圃場であったらしい。根本から何本かの幹が立ち上がり、さらに枝分かれしている。幹の直径は30cm前後、樹齢は60年を超しているだろう。縦方向にも横方向にもイチョウのトンネルが続く。イチョウは自然状態では純林を形成しな...イチョウの純林

  • 次郎柿

    柿が美味しくなってきた。当地は次郎柿発祥の地、遠州森町に近い。遠州人は次郎柿好きが多い。石田三成は関ヶ原の合戦に敗れて処刑される前、水の代わりに柿を勧められたが、胆の毒と云って断ったらしい。三成だけでなく、柿は身体を冷やすと信じて食べない人がいる。老生は柿でお腹を壊したことなど一度もないから、取るに足らない風説だろう。次郎柿は摘果後も熟成が進み、完熟するとスプーンを使わなければ食べられない。この完熟したものが老生には極上品だが世は様々、固くカリンコリンとしたものを好む人が多い。また、完熟を腐敗の始まりと誤認する人たちもいる。腐敗は腐敗菌が増殖することだが、柿は高い糖分と抗菌作用のある渋(タンニン)の相乗効果で、熟成から腐敗へ移行することはまず無い。安心して食べていただきたい。柿はバラ科のリンゴやナシとは、...次郎柿

  • 次郎柿・イチョウの純林

    大好物の柿の季節になった。石田三成は、柿は胆の毒という風説を信じ、処刑前に水代わりに供された柿を食べなかったそうだ。三成に限らず、今も柿がお腹を冷やすと云って食べない人はいる。私は根拠の無い風説にはお構いなくよく食べる。食べ過ぎてお腹を壊したこともない。昨年は鉢屋柿の干し柿に挑戦したが、慣れぬことで何かと大変だった。風雨や鳥獣害を避けるには、毎晩屋内に取り込まなくてはならない。昼間も目が離せない。努力の甲斐あって、正月に大きな干し柿を満喫したが・・・今年は柿が不作と聞いていたし、雨が多く気温も不安定だったので、端から干し柿をつくる気はなかった。当地は甘柿の次郎柿発祥の地、周知郡森町に近く、地域の柿の栽培は次郎柿が主流だ。消費者も次郎柿を最上のものとしている。この柿は摘果後も熟成が一定の速度で進行し、完熟す...次郎柿・イチョウの純林

  • 酪酸菌

    私たち日本人の腸内には、善玉菌と日和見菌そして悪玉菌と云われる細菌群が、2:7:1の割合で生息しているらしい。これら細菌を始めとする無数の細菌群は、腸壁に腸内フローラと呼ばれる腸内細菌叢をつくり、さながら花畑の様相を呈しているらしい。腸内細菌叢では、細菌が拮抗を保って生活しているそうだ。善玉菌には3種類の有用菌があって、生育に好適な腸内の場所に別れて棲み、私たちの健康維持に寄与しているらしい。小腸上部には酸素が無いと繁殖できない糖化菌(納豆菌や枯草菌など)、小腸下部に酸素の有無を問わず繁殖できる乳酸菌、そして大腸の結腸部に酸素が有ると繁殖しない酪酸菌が棲みついているという。酪酸菌という細菌は、糠漬けの手入れを怠ったときに、不快臭を発生させることでよく知られている。俗に「糠味噌臭い」といわれる臭いである。こ...酪酸菌

  • 鈍の二乗

    若い頃から見ると、身のこなしが相当ぎこちなくなって来た。身体のあちこちが固いからそうなる。老化とは、感覚が鈍麻し、身体の活動が鈍重になることである。つまり鈍×鈍、鈍の二乗である。しかしそれは自然の摂理に由るものであるから避けられない。天理に抗うことはできない。抗おうとするから、サプリメント業界の好いカモになるのである。「鈍の二乗」世代は、サプリメント業界から見れば絶好の見込み客である。老いを遅らすとか、目がハッキリ見えるとか、髪が増えるとか、精力が漲るとか、肌が若返るとか、若く見えるとか・・・餌(擬似餌)をバラ撒けば、いとも簡単にお客は飛びついてくる。老化を遅らす効能を謳うサプリメントの氾濫にはただただ愕く外はない。テレビCM数も、最近はこれらサプリメントの通販広告の数が増していると感じる。消費者の藁をも...鈍の二乗

  • 浜松フラワーパーク12

    今秋は未だホトトギスを観ていないので、浜松フラワーパークに行った。この公園に山野草園はないが、植栽域でない山蔭を縫う園路の小径には、野草が多く自生している。フラワーパークに来て野草を観察するのも、手近な自然が残っていればこそ、決して酔狂を衒っているわけではない。三連休の翌日の園内は人も疎らだった。当てずっぽうにスロープカーと呼ばれる斜面モノレールに乗り、谷地の底に降り立った。園路を歩き、ホトトギスが自生していそうな斜面を探し、樹林の中のジグザグの小径を登る。例によって探索は家内の役割り、老生は端から探すのを諦めて後についてゆく。この齢になると、2歳の差は大きい?斜面を登り切った途端「有った!」と家内の声。ホトトギス数株を見つけていた。大した勘である。目的を果たしたので、バラやシュウメイギクを観ながら散策し...浜松フラワーパーク12

  • ノコンギク

    ノコンギクが盛期を迎えている。ヨメナに近い野菊の仲間だが、花色の濃淡と花弁の粗密で適当に見分けている。数年前に急逝した無二の山友は、この花とホタルカズラの花が好きだった。山歩きでは、人が見落とすような小さな野花を見つけ、丹念にマクロレンズで撮っていた。どういうものか、母親との縁に恵まれなかった人は、淡い紫色の花を好むようだ。紫は哀惜の色なのだろうか?紫といっても、青と紅の配合の割合と濃淡で、哀しみの度合いは違ってくる。リンドウになると、色濃く形も特徴ある花が群がって咲くので、山で出会っても嬉しさが勝り、哀しみを感じないで済む。ノコンギク

  • 体験

    私たちの理解や判断は、学習と体験で得られた知識を頻繁に参照することによって成り立っている。一般に人はある段階で学習を修了せざるを得ないが、寝ている時以外は活動をしているので、体験は生涯を通じて已むことがない。体験は人の理解力や判断力を琢磨し続けているものである。大工さんが毎日ノミやカンナを研ぐように、私たちは日々自分自身を体験という砥石に当てて暮らしている。好い体験であれ悪い体験であれ、体験からは必ず何らかの影響を受ける。その影響を爾後に活かすかどうかで、人の生き方は変わってくる。「人生に於いて無駄なことはひとつもない」と謂う言葉は、体験を活かす人にこそ相応しい。この世に生を受けた以上、どのような体験でも、好むと好まざるとに拘らず前向きに受け止め、自家薬籠中のものとして活かすしかないのである。幸福な体験ば...体験

  • 万葉の森公園8ヨメナ

    万葉の森公園の草花に、目を惹くものはめっきり少なくなった。ヨメナが咲いていた。最近は野山を歩かないので、目にすることが減っている。何年ぶりだろう。人も花も、心ときめいた対象に邂逅するのは、幾つになっても嬉しい。ノギクの仲間では、昔からヨメナに最も惹かれていた。花弁が離れていることと、花色の淡い色が好ましかった。五葉アケビの実が成っていた。美味しいものでもないのだが、この実を見ると、なぜか嬉しくなる。形に野趣があるからだろうか?ススキの株の中に生えたツリガネニンジンが、まだ咲いていた。万葉の森公園8ヨメナ

  • 世相を掴む

    世の中がどう動いているのか?世相を知りたい時には、人は出来るだけ徒歩で街中を歩かのが好いだろう。三木清という哲学者は「幸福は外に現れる」と云った。街行く人々の顔つきが、世相のインジケーターである。クルマ(乗用車)に乗っていては、何一つ世の中の手がかりを得られない。洵にクルマというものは、人々を隔て引き離す機械である。渋滞で何10kmも車が連なろうと、大駐車場が何千台もの車で埋まろうと、クルマの中の人たちは互いに他の車や外界から遮断され、人間の集団では無くなる。それを観察しても、人からの情報は何ひとつ得られない。クルマというカプセルの中に入ると、人は集団性を失う。一体感も連帯感も共感もない世界に入る。それは社会的集団ではない。クルマは機械文明の産んだ利器だが、単なる移動手段では無く、生身の人間感覚を喪失させ...世相を掴む

  • 類は友を呼ぶ?

    「類は友を呼ぶ」という言葉を聞くが、本当だろうか?人は同類の中から友を選ぶものだろうか?似た者同士が寄ると、比較的早く親しくなれるのは、実際に体験しているものだが、友達になるかどうかというと疑問である。人は自分と異質の者に興味をもつものであることも無視できない。私はどちらかと言えば同調性に缺け、自分と性質が似た人とは友人関係にならなかった。大勢のなかで、同類を見つけたことは嬉しいが、必ずしも友になりたいと願うことはなかった。同類性・同調性を重視し合う集団には、同調圧力というものが存在する。異類・異質を評価し合う集団には、そのような圧力は生じにくい。人の魂が相寄る為には、同質か異質かを問わない。それとは別の次元に、互いの魂が惹かれ合うものがあるのだろう。其処から芽生えた友情が、真物の友人関係を築かせるのでは...類は友を呼ぶ?

  • 新聞離れ

    長年購読していた新聞一紙を、来月から止めることにした。紙面の構成と報道の内容が、読者として忍耐の限界を超えたからである。私の購読していた新聞は、いつの間にか、地域の様々なイベント情報やどうでもよい埋草記事と、大手企業の全面広告とで紙面が構成される惨憺たる有様になっていた。新聞には物心ついた時からお世話になって来た。公的で信頼できるマスメディアとしての地位は確固としていた(と思っていた)。社会生活を営む上で必須の情報源だった。小学生の時から、漢字や熟語を覚えるのは専ら新聞記事からだった。新聞を読むのは日常生活に欠かせない習慣だった。できることなら購読を止めたたくなかったが、不快に堪えてまで読みたいとは思わない。今や新聞には、庶民がかつて託していた自主性・公平性や権力監視機能など、昔日の面影がない。新聞がポー...新聞離れ

  • 東海道新居(荒井)宿

    浜名湖の西岸、湖西市新居町を訪ねた。湖西市は静岡県の西端、遠州灘に面する浜名湖畔の都市である。浜松から電車で4つ目、JR新居駅で降りた。「浜名湖」はもともと淡水湖だったが、室町時代の1498年「明応の大地震」で湖岸が切れ、外海と通じる汽水湖になったという。歴史的に再々大地震と大津波に遭っている土地。切れ目を「今切れ」と呼び、江戸時代に橋はなく、東岸の舞坂と新居の交通は渡船に依っていた。徳川家康はこの地に関所を置いた。以後江戸時代を通じ、箱根と並ぶ東海道の重要な関所だった。新居には度々車で来ているので関所見学はパス、「紀伊国屋」という旧旅籠を見学する。この旅籠は、主人が紀州の出だったことから、紀州藩の定宿であったらしい。参勤交代の大名と家臣は関所に隣接する本陣に、町人身分のお供の人たちが宿泊したのだろう。当...東海道新居(荒井)宿

  • ブナ林の衰頽

    今年は熊との遭遇被害が例年より多いらしい。過去最高になるのだろうか?気温の影響か?冷温帯落葉樹林の主要樹ブナの結実が今年は激減したようだ。主餌料が山に無くては、熊が人里に出没するのは避けられない。熊に遭遇すれば人が傷害されるし、果実など農作物の被害は拡大する一方だろう。だからといって殺害駆除は許されない。動物との共生あっての人間生活である。ブナは本州では標高800〜1500mの冷涼を好む木だから、異常高温には弱い。地球温暖化の影響を、最も早くから強く受けている樹木の筆頭だろう。その結果として、ブナの結実不良が始まっているのではないか?14年前に、たまたま山歩きで訪れた北遠旧龍山村(現浜松市天竜区龍山)で、既に衰頽が始まっていた小規模な人工のブナ林を目撃し「近場のブナ-道々の枝折」として投稿した。暖地に珍し...ブナ林の衰頽

  • 万葉の森公園7

    浜松万葉の森公園で、万葉時代の食を味わう会があり参加した。真菰(マコモ)料理が賞味できると聞き、迷うことなく1ヶ月前に申し込んでいた。かつて一回だけ食べたことのあるマコモ(マコモダケ)の味が、忘れられなかったのである。食事の前に、秋色深い園内を巡った。三方原台地のこの辺りは、天然のままでは酸性土壌。ススキの生育には適しているのだろう。穂が伸びて2mを超えている。ススキの株下にツリガネニンジンが咲いていた。数年ぶりに見たので、嬉しかった。かつては、佐鳴湖周りの雑木林の至る所で見かけた花だが、年ごとに数を減らし、散歩中に見い出すことが少なくなっている。同じくススキの株下に、ナンバンギセルが咲いているのを、妻が見つけた。高校理科クラブで植物好きだから目ざとい。それに較べて強度の近眼・乱視で老眼の私は、いつも後れ...万葉の森公園7

  • 日本人のルーツ

    日本人は、ルーツ探しが好きである。老生も中学生の頃から関心があった。不謹慎にも同級生の顔の特徴の多様なことに興味をそそられたのである。◯◯は北方系、◇◇は南方系などと言って戯れ合っていた。今ならハラスメントにされてしまうだろう。専門家は、エビデンスに基づいて推論を進めるのが仕事だから、長い時間が掛かる。人類学や遺伝学、考古学に無知な素人は、現実の人間を任意に観察することで想像(妄想?)という裏技を駆使して推測する。老生は絵を描くことが好きだったせいか、景観や人物の顔のディテールに関心が向かう悪い癖がある。記憶に留めたい欲求の露われかと思うが、人様の顔貌をしげしげと観察するのはマナーとして落第である。観察によって、その人の顔立ちとよく似た人びとが高い密度で暮らす国や地域を特定し、過去にその地の人々が本邦に渡...日本人のルーツ

  • フラワーパーク11

    秋晴れのフラワーパークへ行った。綺麗な形のシンボルツリー。クリスマスには電飾の飾り付けがあるのだろうか?季節柄ウェルカムガーデンに直植えの花は少なく、プランター栽培の花で飾られていた。アメジストセージ肥満したミツバチ?かと思ったら、ナミハナアブというらしい。花はアゲラタムとか。ナガコガネグモがネットを張っていた。私はクモが大嫌いだが、この派手な柄のクモは、見続けることができた。白いスイレンが咲いていた。ソメイヨシノの大木。狂い咲きのサクラ。このサクラの名前は「浜名湖手毬」とのこと。花が手毬に似ている新種だろうか?今日は好天に恵まれたので、園内バスに乗客の姿は少ない。今日見たかったのは、このコスモス。最近はキバナコスモスが繁衍し、市街地でコスモスに出会わなかった。こどもの頃から見慣れたコスモスを見ないでは、...フラワーパーク11

  • ススキの穂

    栽培している鷹の羽ススキ(ヤハズススキ)が、沢山の穂を着けている。鉢植えして5年、当初の2年は、株に寄生していたナンバンギセルの駆逐に悩まされた。ナンバンギセルは退治できたものの、その後、穂がいっこうに出なかった。茎は伸びたものの、穂のないススキはお月様に供える価値がない。毎年のお月見が今ひとつ盛り上がらなかった。野生のススキにヒントを求め、たぶん、ススキは多肥を嫌う性質だろうと考えた。それまで、朝顔と共に施していた肥料を、今年は止めてみた。その効果だろうか?今秋漸く穂を見ることができた。今年の中秋の名月は、お供物もススキの穂も揃い、完璧なお月見を楽しむことができた。何故にこうまで月見にこだわるかというと、縄文の風習を今に留めるものと信じているからで、それを決定しているのが、供え物のクリとススキである。団...ススキの穂

  • 献酬

    お酒をやめて、献酬という行為を一切しなくなってみると、これはユニークで好ましい飲酒の習慣だったと、つくづく懐かしく思う。毎月の呑み会でも、ノンアルコールビールでの乾杯だけでは虚しい。私たち日本人には、気心の知れた飲み手同士が互いに酒を酌み交わす、献酬という佳い習慣がある。これは日本酒を飲む時の習慣なので、洋酒を飲む機会が増えた昨今では、この行為は減っていると思う。しかし日本酒がある限り、この世界に誇る淳風美俗はなくならないと思う。日本酒が海外に広まれば、外国人がこの風習を取り入れるだろう。これほど親愛感の籠った酒の飲み方は、他の国には見受けられないものではないか?と思う。もっとも、酒が飲めない人とか、若い女性たちからは、歓迎されない忌むべき習慣だったかもしれない。胸襟を開き合える上戸同士にのみに尊重される...献酬

  • エリート教育の立ち後れ

    明治になって近代化し、西欧の学術を急ぎ摂り入れる必要に迫られた日本は、学問・芸術・政治・行政などの各分野での知識や技術に精通したエキスパートが必要だった。その需要を満たしたのは「お雇い学者」と呼ばれた欧米人学者・技術者たちだった。しかし、大学制度が国内に整って以降は、2・3年で契約任期が終了する欧米人のお雇い学者では、教授陣を構成し維持するのが困難、日本人学者の充実を望む声が高くなった。そこで、自前の教授陣の卵を養成するために、明治8年(1875年)から西欧に「官費留学生」を送り出す事業が始まった。国家(文部省)が、東京帝国大学卒業生の中から、学業・品行・志操・身体が優秀な若者を選抜し、5年間、国費で海外留学させる制度。この制度は昭和5年(1940年)まで65年間続き、3000名の官費留学生を輩出した。官...エリート教育の立ち後れ

  • ノーブルの条件

    インスタグラムで、百獣の王ライオンをごく近いところから撮った映像を観ていたら、ネコ科の仲間の中では比較的「額が高く、鼻梁が太く長い」特徴を掴むことができた。ライオンの牡を王に見せているのは、たてがみもさることながら、このノーブルな容貌によるところが大きいと感じた。同じネコ科のトラやヒョウとの違いが歴然としている。ライオンの額から鼻先までが比較的秀でているのは、口吻が長いというより、肉食獣に特有の、上下の顎が大きく頑丈で長いことに由ると思う。それがたてがみと相まって、ライオンを百獣の王の座に着かせているかと思った。また、トラやヒョウなどと較べ、体色が地味であることも、人間の目には品佳く見える。この地球上で、派手なものに品の佳い物はひとつもない。ベットの犬は、交雑に人為が加わっているので、実に多様な種類がいる...ノーブルの条件

  • 批評と批判

    批評は私たちにとって、大切な文化活動である。人が何らかの活動をすれば必ず他の誰かの批評を招き、他の人の活動に触れれば、心中に批評が生まれる。批評が生まれないのは、その活動に関心が無いか、心の眼が、閉じていたのであろう。批評をすることは、その人のモノゴトを観る眼・見方・考え方を明らかにするものであり、アイデンティティを示すものである。従って、批評することは、批評される側と同様自らを顕らかにすることである。意識して批評を控える生き方は、世過ぎ身過ぎとしては無難だろうが、人間性には逆らうものであろう。旗幟を明らかにしないで生きることは、自身を封じ籠めることにほかならない。個人として、ものごとの価値を検討しないでは措かない心のはたらきを批評精神と謂う。慥かな価値観のあるところから発した批評は説得力をもつ。今日、人...批評と批判

  • クジャクソウ

    過日の墓参りのとき、偶々店で見つけた紫の花。秋の野山でよく見かける、好きなノコンギクに似ていた。花数が多く賑やかな感じが好ましいので、これをお墓に供えた。グーグルレンズで調べたら、クジャクソウというらしい。アスターの仲間でキク科だそうだ。別名クジャクアスターとも呼ぶとか。花瓶に活け、卓上に置いててみたら、花保ちが頗る好い。それで仏花として重宝されているのだろう。秋の彼岸には、もっぱらこの花を供えることにしよう。クジャクソウ

  • 情報整理

    今日私たちは、FB・Twitter(X)・YouTube・Instagramなど、SNSと呼ばれる膨大な情報の大河に取り囲まれて暮らしている。これをスキマ時間に閲覧していると、つい引き込まれ、気がつくと随分時間を費やしていて愕く。SNSは、それと気づかず、中毒の状態に陥り易い。ほかならぬ私がその症状を呈していると,家族から度々指摘されていた。この大河を流れる情報は、私たちの仕事や暮らしに役立つ情報も多いが、全体から見ると、われわれ一般人には知らなくて良い情報が8割以上を占めているように思う。世の中は、作為がなければ、知らせたい人が2割、知りたい人が8割ぐらいの比率に保たれていたのではないかと思う。8:2の原則である。印刷の時代とテレビの時代までは、これでバランスが取れていた。ところが、ネットの時代になり、...情報整理

  • 民主化の濃淡

    日本の政治が、敵性国家の対日強硬政策を奇貨として民意を煽り、対抗して軍事力を増強する方向に舵を切った。前の戦争遂行に大きな責任があった人々の、衣鉢を継ぐ人たちが表立って発言するのが目立つようになっている。彼ら彼女らに若い人たちが使嗾されないよう、誤った国家主義に被れないよう、私たち戦争の影響を直接蒙った世代は、政治が右傾することに対して敏感でなければならないと思う。国民が非戦を国是と望むまで、選挙の度に事を糺していかなくてはならない。日本は敗戦後、形は民主国家に生まれ代わったように見えるが、本質は民主主義の国には程遠い。中央の官僚が国会議員の私利に配慮するような国は、決して民主国家ではない。戦後の保守政権は、巧妙に外面は民主、内面は因循固陋の、政治的に不合理極まりない国を作り上げたのである。外には民主国家...民主化の濃淡

  • 喧騒の必要性

    人が喧騒を好むのは、考えたくないからではないかと思う。人間は集団化したり、喧騒の中に入ると、思考力は低下するのが普通である。孤独と静けさは、否応なく人に何ごとかを考えさせる。思考には静寂が必要だ。いくら考えたところで、良い考えが泛かぶとは限らないが、困ったことに頭というものは、静かになると自動的に作動し始めるもの。物事を考えたくない時には、喧騒の中に身を置くのが一番確実だろう。都会で暮らす人間は、日常うんざりするほど現実に追い回されている。都市の生活者には、できる限り現実から遠ざかりたい願望が常にあるのだろう。現実を忘れたいのである。喧騒は現実に対する思い煩いを忘れさせてくれる・・・深まりゆく秋の、虫の音が聞こえる静かな夜は、人を物想いに沈潜させるもの。静けさは老人たちにこそ相応しいが、若く健康な人々には...喧騒の必要性

  • 渡りの季節

    秋は鳥の渡りの季節、伊良湖岬はサシバほかのタカ類が南へ渡る経路に当たっている。岬の先端部にある丘の森が、発進の拠点になっているようだ。9月、タカたちは列島の北の各地からこの森に集まり、渡海の機会を待つ。10月に入ると、晴れた日には、サシバの渡りが本格化する。前日からの晴天が、進発の条件である。日が昇り地面が暖まると、上昇気流が発生する。タカたちは気流に乗り、三々五々、旋回を繰り返しながら段々と高度を上げていく。充分な高度を稼ぐと、数羽単位の群れを組み、発進の機を窺いながら旋回を続ける。機を見るのはリーダーの鳥だろう。思い切り良く、鳥羽の方向を目指して直進の飛翔に入り、群れが後に続く。身体が小ぶりな個体は、今年春に生まれた幼鳥だろうか?渡洋の無事を祈らずにはいられない。群れの各鳥が、点になって空に溶け込むま...渡りの季節

  • 正義感

    正義感というものは「絶対的な感覚」である。「ほどほどの正義感」というようなものはない。ところが面白いことに「絶対の正義」というものはない。正義は観念だからだ。観念は人それぞれに違いがある。観念に過ぎない正義を定義しようとするから、間違いが起こる。定義できないものを定義しようとするのはナンセンスである。正義を口にするのが躊躇われるのは、人として正しい反応である。人が声高に正義を叫ぶ時、碌なことが起こらない。正義を叫ぶ煽動家が跋扈し出したら、ファシズムに気をつけたい。ファシズムは正義を標榜する。絶対的な正義などないことを肝に銘じておきたい。正義感とは、単純に曲事を嫌う感覚である。感覚だから、正義感というものは「ある」か「ない」かのどちらかである。大概の人は、正義感を問われたら「ある」と答えるだろう。「ない」と...正義感

  • 「みこ」という語

    遠州弁は信州や甲州の方言の影響を受けているが、当然ながら三州・尾州の方言の影響も大きい。私の小学校時代には「みこ」という言葉をよく耳にした。目上の人の庇護が篤いという意味である。ひと言で云えば依怙贔屓である。「誰それは先生の『みこ』が好い(悪い)」という形で使われていた。「みこ取りが上手い(下手)」とも使う。歓心を買うに長けているということである。「みこ」は調べてみると、尾張方言であったらしい。ネットから引用させていただく。【出典】http://www.mytown-nagoya.com/nagoya/nagoya02.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%81%BF%E3%81%93%E3%80%8D%E3%81%AF%E9%80%9A%E5%B8%B8%E3%80%8C%E3%81%BF...「みこ」という語

  • 主語曖昧の言語世界

    短歌・俳句という短い詩型は、海外の人には珍しく受け取られるらしい。何故そのような詩型が生まれたかは、いろいろ説明されているが、主語がない言語とまでいわれる日本語に、その鍵があるようだ。主観と客観を明確に意識しない言語であることが素因ということか?主語を曖昧化できる言語であるからこそ、短歌・俳句という詩は生まれた。もう一つの要因は、埒の内に囲われていないと、発想を楽しめない民族的気質。すなわち自由(無限の融通性)に馴染まない私たちの気質があると思う。限られた詩型の枠の中でなら、自由に詩想を繰り拡げられるという楽しみ方が、気質に適うのだろう。限られた詩型のお手本は、中国の詩、絶句だろうか?ひらがなの発明により、韻文の詩型が短歌に収まり、俳句に繋がったと推測している。詩想表現の奥行きは浅くなった分、間口は拡がっ...主語曖昧の言語世界

  • cozy and comfortable

    私は自分の人生を顧みると、熱心に快適性を追い求めて生きてきたと思う。別の言い方をすると、不快なことを可能な限り避けて来たということになる。こう書くと、独善的で利己的な人間と想像されてしまいそうだが、快適性を追求し不快なことを避けるのは、全ての生物に共通する自然の原則であって、人間は誰もが快適性を求めて生きている。それが積極的かどうかは、個性によって違いがある。快適性と言っても、この日本語は漠然として意味が広く、具体的なイメージを捉えにくい。日本語では舌足らずになるので、英語の語彙を借りて快適を、「cozyでcomfortableな状態」と説明させていただく。滅私報恩を尊び、苦節を讃え、他人への気遣いを評価する日本社会にあって、cozy&comfortableを貫き通すことは、それなりの配慮と工夫を要する。...cozyandcomfortable

  • 臨機応変

    内輪のことで恐縮だが、老生と老妻とは、同じ町内で生まれ育ち、幼稚園も小中学校も同じの2歳違い。幼馴染みかというとそんな親しい縁は無く、学齢期には一緒に遊んだり口をきいたりしたこともない。その上二人の性格は正反対である。私はO型で万事大雑把で八方破れ。型を嫌い融通無碍を奉じている。変わったことや珍しいことを好むことが甚だしい。家内はA型で几帳面かつ律儀。日常は予定・計画を重視し、生活がルーチンどおりに進まないと機嫌が悪くなる。絵に描いたような「水と油の関係」である。これでは夫婦間に、紛争の種は尽きない。紛争は当事者が熱くなれば拡大する。私はかねがね、夫婦が性格の不一致を離婚の理由に挙げるのを、奇妙に思っていた。性格が違うから、夫婦になる情動が強く働いて結婚し、一緒に生活することになったのだろうに・・・生物多...臨機応変

  • 万葉の森公園5

    「万葉の森公園」を2ヶ月ぶりに訪れた。先ず「伎倍の茶屋」で冷たい甘酒を飲み、身体を冷やしてから、ツクツクボーシが翔び交う園内に入った。まだ陽射しは強いが、ムクノキの大木の陰に入ると、冷房中の屋内に居るような心地がする。江戸時代、この木が街道の一里塚に植えられ、夏の炎熱に炙られ辿り着く旅人たちに至福の日影を提供したことを体感した。ヒオウギ・オミナエシ・フジバカマ・ハギなど、秋の草花を確かめながら散歩する。穀類のアワ・ヒエ・キビも稔りの時を迎え、穂を垂れている。【ヒオウギ】万葉の時代は「ぬばたま」と呼ばれていたらしい。種子の色が黒いことから、黒とか夜に掛かる枕詞になったという。オレンジの花色からは夜を連想できない。【オミナエシ】秋の七草のひとつ、オミナエシの黄色の散房花序は、やはり秋の野で最も目に付く。【マコ...万葉の森公園5

  • 生き甲斐

    仕事というものは、生き甲斐と成るほど人にとって大切なものである。そのことに異論のある人はいないだろう。仕事第一は、真っ当で正しい生き方だと思う。運良く生き甲斐になるほどの仕事に就いて、めでたく定年を迎えた人は、幸運を慶ぶべきである。だが「仕事を罷めたら何も残らない人」に成ることは、賛成致しかねる。人の人生は、仕事だけのためにあるのではない。「仕事人間」という言葉は、決して褒め言葉でなく、無趣味、無感動、無関心、三無の寂しい人生を感じさせる。その人ならではの、活き活きとした活動が仕事の対極にあってこそ、全人的には均衡がとれるのではないかと思う。一生を賭けた仕事があって、その対極に、自分が集中できる為事をもっているのが望ましい。仕事の対極にある為事には、俗に趣味とか道楽と言われるものや、ボランティア活動、中に...生き甲斐

  • ♬九月になれば

    例年9月になると、思い切りよく夏に別れを告げ、暑さに困憊した気分を刷新したくなる。老生の青年時代に公開された同名の映画のテーマ曲「九月になれば」(作曲ボビーダーリン)が脳裡に刻印されていて、月が変わった途端に、ターンテーブルが回りだす。この齢になっても、曲を聴くたびに、来るべき秋への備えに心身が引き締まる。♬ボビーダーリン楽団(オリジナル)「九月になれば」(ComeSeptember)https://youtube.com/watch?v=B7_FH4Ra4wI&si=_YSLMT5Dbb5JH8A-♬九月になれば

  • 気を失うほどの美しさ

    過日投稿のブログで、往年の女優さんのことを何人か思い出したので、老生が少年の頃に憧れていた女優さんについて書かせていただく。中学生の頃、東映時代劇のお姫様女優、桜町弘子さんの清楚で愛らしい魅力に傾倒し、熱烈なファンになった。知り合いの伝手を頼りに、東映京都太秦撮影所をニ度も訪れた。ニ度目の見学の際、スタジオでの撮影現場を見終え白昼の屋外に出た。オープンセットの街並みを、俳優会館に向かってブラブラ歩いていた時、ふと目をあげると、会館の外階段をスラックスとセーター姿の桜町弘子さんが降りて来た。その日は撮影が無かったらしい。ポニーテールの髪に富士額が映えていた。年頃は21・2才ではなかったか?ご本人の素顔を間近に見て、あまりの美しさに呆然、中学生の私は意識を失いそうになった。人は本当に憧れている美しい人に会うと...気を失うほどの美しさ

  • 音声感覚・色彩感覚

    国々の民族を特徴づけ、その地を訪れた旅人に印象を刻印するのは、その国の人々が共通して用いる言語の音声と、その地に立つ建物や服飾の意匠(特に色彩)である。異国に在って、その国に普遍の音声と色彩に馴染めるかどうかは、その国の食べ物と同様、旅人の個性にとって重要なことである。社会や政体よりも何よりも①食べ物②色彩③言語音声が、その国の印象を特徴づける文化的な要素だと思う。私は妙に音に敏感で、外国語の音声に対する選り好みが強い。生理的な感覚だから、意思でどうこうできない。現代の異文化尊重とか多様性尊重など、文化人類学的見地からの常識に抵触すると言われそうだが、感覚の問題だからどうにもならない。楽器の音色に好みがあるように、外国語の音声にも選り好みがあるのはごく自然な反応かと思う。言語の選り好みには、音としての響き...音声感覚・色彩感覚

  • 刃物研ぎ

    旧い話で恐縮だが、小学校3年の時に家の改築があり、1ヶ月ほど大工さんたちが出入りした。好奇心旺盛なイタズラ盛り、学校から飛んで帰ると若い大工さんにべったり貼り付き、大工仕事を具に見学した。まだ木工機械が導入されない昭和20年代の建築工事は、大工さんが木材を現場でコツコツ加工するのが普通だった。ノコギリやノミ・カンナの使い方から、造作材の組み手の墨付け・加工法・取り付け方など、伝統の技を毎日見学できるのだから、学校の授業より遥かに面白い。職人さんたちには随分迷惑をかけたことだろう。最も関心をもったのがカンナ・ノミなど刃物の研ぎで、これは見飽きることがなかった。職人さんたちは、その日使った道具の研ぎを怠らない。それが終わるまで、大工さんに密着し、細大漏らさず刃物研ぎ作業を見守った。早速見よう見まねで、自分の工...刃物研ぎ

  • 儒教社会の鬱屈

    旧い時代に儒教の洗礼を受けた東北アジアの中・韓・日3国の社会には、合理性と実証性を缺いた儒教思想に由来する不条理な権威主義・形式主義が蔓延し、3国の一般庶民の心裡に、長い間鬱屈の思いを澱のように沈潜させ続けて来たように思う。個人を自縄自縛に陥れる教条によって醸成された鬱屈が、広く社会の各層に蟠っていると観て差し支えないだろう。儒教精神は、社会を開明・闊達な方向には導かなかった。その鬱屈の思いは、人々の生得の健全な精神に悪影響を与え、自然に浄化消滅することなく、3国各民族の特性となって、累代に亘り積もり続けていると思う。極端な家族主義や本能である恋愛を不義と見做す偏見、滅私奉公の忠義の押し付けなど、儒教精神に由来する不条理なものの考え方や行動規範は枚挙に遑ない。儒教統治システムによる大衆支配に馴致させられた...儒教社会の鬱屈

  • 医療先進国

    私たちは日頃、健康を保つことに特段の注意を払っているが、いったん病気になって病院にかかってみると、自分のほかにこんなにも多くの、治療を必要とする病人がいることに愕き、失われた健康の回復を痛切に願う。日進月歩の医学の進展は、検査の精度を高め、診断の正確性は向上の一途を辿っている。治療成績も卓越していることだろう。今日、疾病は比較的軽微なうちに発見でき、早期に治療できるようになった。病気によっては、発病前に治療に着手したり、発病を防ぐことすらできるようになっているらしい。有病率というものは、年齢に応じて高くなるものだから、早期発見と相まって、高齢者が何かしらの疾病をもっているのは当たり前の時代になっている。身体的疾病の対極にある、生命に直結しない精神の疾病となると、内科領域・外科領域の長足の進歩に比べ、私が寡...医療先進国

  • コケット

    コケット(coquette)とはフランス語で、「洗練された大人の女性」を意味するらしい。独特の性的な魅力があり、男性を魅了する女性がcoquetteであるらしい。コケティッシュ(coquettish)はコケットの形容詞で、蠱惑的と訳されている。魅惑的とも扇情的とも違う。訳語のキーワードは、日頃見慣れない文字「蠱」(こ)である。皿の上に虫が盛られた形は、想像するだにゾッとする。占いを表す象形で「たぶらかす」の意があるという。蠱惑的とは「妖しい色香によって人の心をひきつけ惑わすこと」らしい。要するに曲者である。魅力的と言われて嬉しがる女性も、蠱惑的と評されると眉を顰める。コケティッシュな女性の数は多くないが、大方の男性はこのタイプに大層弱いと推測する。コケットすなわち蠱惑的な女性はモテて困る筈である。私は幼児...コケット

  • 恋の仄めかし

    日本の女性は、恋情を男性にストレートに告白するよりも、仄めかす方が圧倒的に多い?(多かった)のではないかと思う。社会は、歴史的にそれを歓迎して来た。告白より仄めかしの方が奥ゆかしいからだろう。それは、女性にとっても好都合だった。実は仄めかしには、相手の好意が得られなかったとき、相手の誤解にすり替えて仄めかしの事実が無かったことにし、女性が失恋の憂き目に遭わないで済むようにとの配慮と予防策が感じられる。要するに狡いのである。仄めかしが使えることは,女性ならではのアドバンテージである。男性はこの方法が使えない。禁じ手と言ってもよい。男性の仄めかしは男らしさに欠ける。卑怯者か臆病者であることを自ら表明するも同じであり、評価を下げてしまう。これでは女性の心は掴めないだろう。我が身を省みると、忸怩たる思いに駆られる...恋の仄めかし

  • 人格と品性

    人は人格円満・品性高潔でありたいが、そのような人物にはなかなかお目にかかれない。それだけ、人格と品性とを兼ね備えることは難しいと言うことだろう。品性が陋劣であると、人格が低俗に傾くことは避けられない。品性こそ人として最も重要視されるべき徳性である。一般に、品性は先天的要素が、人格は後天的な要素が大きいと考えられている。したがって、人格は自らの努力で陶冶するものである。先天的な品性が秀れていれば、後天的な人格も良い方向に向かう可能性は高いが、品性が陋劣であっては、人格を磨き上げることはできない。他方先天的に決定づけられている品性は、内からも外からも、陶冶したり矯正したりすることは難しい。品性が生まれつき高潔なら、人格を劣化させるような環境に育っても、人は陋劣に向かうことは決してない。つまり人は品性が大事で、...人格と品性

  • 肉体と精神の調和

    先史時代以来、人類はその圧倒的な大多数が、肉体労働で生活を営んで来た。狩猟・採集の旧石器時代から金属器農耕時代、機械と蒸気機関、そして産業革命を経るまで、人々の日常生活は、男女共に肉体労働で成り立っていた。農耕を知り富が生まれ、権力者が出現した時から、祭祀者や呪術者、学者、医者、芸術家、建築家など、ごく少数の、専門知識や精神労働で権力者に仕える階層が出現した。同時に権力の実行を司る官僚群が出現し、肉体労働に依らない階層を形成する。権力は拡大増殖する性質をもつ。精神労働や専門知識で権力に仕える人々もそれに伴って増え続けた。それでも、精神労働で生きる人たちは、被支配者のうちのごく僅か、ほんの一握りの人々でしかなく、他は全て肉体労働に従事していた。近世になり、資本主義が発達して産業が起こり、労働の分業化と単純化...肉体と精神の調和

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