chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
tekedon638
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/02/27

arrow_drop_down
  • 浜松フラワーパーク15

    選挙日の翌日、フラワーパークのバラ園に、秋のバラの花の香りを慥かめたくて行った。生憎明け方まで降雨があり、花弁に雨水が溜まっていて、香りを楽しむことはできなかった。帰りに鉢植えの花でも買おうかと売り場に立ち寄ったら、室外のフジバカマの鉢棚に、アサギマダラが1頭、吸蜜に来ていた。バラの香りを補って余りある、今年初めて見たアサギマダラに癒され、帰途についた。浜松フラワーパーク15

  • 心意気

    私がこの齢になるまでの長い間、互いに心が通じ合ったと確信できた人々とのことを想起する時、その人たちの全てから、心意気というものを感じていたように思う。交誼を結ぶ期間の長短は関係ない。どんなに長くても、心意気の介在しない関係は、泡沫のようなものである。徒に長い交際期間があっても、心意気の缺けている人物とは、誼が深まらなかった。肝胆相照らす関係には、お互いの裡にある、心意気という割符が必要不可欠であったと思う。友誼は互いの心意気から生まれるものである。心意気というものは、外に顕れるもので、有・無を確かめるのは存外簡単である。【心意気がある】①気前が好い②侠気がある③思い入れが深い【心意気がない】①吝嗇(ケチ)である②事大主義者(長いものに巻かれる)④臆病であるこれなら分かり易い。これを見れば、心意気のある人も...心意気

  • 見識と人格に照準

    今回の衆議院選挙は、私たち選挙民にとっては、旧来の選挙における陋習を脱する画期的かつ有意義な選挙だったと思う。それと同時に、メディアの選挙報道の無用性と選挙をエンターテイメントと同列に扱う軽薄性を浮き彫りにした。国政選挙というものは、私たち庶民に、社会のゆがみやひずみを浮き彫りにしてくれる貴重な機会である。観察の機会を提供してくれる貴重なイべントである。候補者というものは、得票のために選挙活動の過程を通じて、政治家としての公の貌ばかりない私の貌を曝露せざるを得ない。当選するための必死の行動が、善かれ悪しかれ、彼の人物像を瞭かにする。それは私たちが普段の生活では決してできない、政治家本人の本当の人間観察の場を提供してくれる。選挙民は選挙期間中、徹底して候補者を注視観察し、彼や彼女の政治的見識と政策実現力を知...見識と人格に照準

  • 選挙戦も終盤

    衆議院の解散総選挙も終盤に入った。各党選対本部は当落予想に一喜一憂、テコ入れに応援を奔らせる。候補者は最後の頑張りに、全力を投入している。候補者の政見を聴いていると、段々、それぞれの候補者の置かれた立ち場と切迫度が伝わってくる。この騒ぎも、27日で終わる。与党の当選回数がそこそこの議員は、当選したら公約などそっちのけ、新内閣の閣僚や党の役職しか、眼中に入らなくなるだろう。前ブログで書いたが、老生は改革を叫ぶ候補者を信用していない。「改革」の胡散臭さ-道々の枝折与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる詰めた政策をもたないのではな...gooblog政治課題としては、改革が最も難しい。その人が本当に改革に取り組む気があ...選挙戦も終盤

  • 民主主義のコスト

    民主主義というものは、登山に喩えるなら、削ぎ立った狭い尾根の一本道を行くようなものではなく、両側の谷が視野に入らないほどの広尾根を歩くようなもののように思える。ガスっていれば、中央部を歩いているのか、滑落の危険のある両側の谷に臨む縁(へり)を歩いているのか、判然としない広い尾根・・・山歩きをする人なら先刻ご承知だろうが、最も道迷いし易いのは、このような広尾根である。常に尾根の中心を歩めるなら安全だが、樹木その他の障害物でそれは不可能、尾根の両端(はじ)の間を、右端(はじ)に寄り過ぎたり、左端(はじ)に寄り過ぎたり、ジグザグに進路を修正しながら歩かざるを得ない。民主主義というものもこれに似て、為政者が、始めから安心・安全な中道を辿れないものである。なぜなら人間というものは、選択の幅の広い、判断の自由度の高い...民主主義のコスト

  • 万葉の森公園9オケラ

    7ヶ月ぶりの万葉の森公園。この日は、園内の建物内で万葉食の食事会があった模様、駐車場に車が多かった。昨年は我々夫婦も参加し試食した。食後マコモの葉で、縁起物の亀を編む講習がセットされていたが、老生は巧く作れなかった。手芸好きの妻は何とか亀らしいモノを作った。園路の入り口はヒオウギが並び、黒いヌバタマを覗かせていた。ツリガネニンジンもう時期を過ぎている。オケラオケラの花の好い状態を撮ることができた。長年栽培していたが、このような綺麗な状態の花を観ることがなかった。カシワ柏餅が好物なので、この葉は見逃さない。カクレミノニレクヌギシノ(メダケ)シノの生えている処に来ると足が止まる。篠は笹・竹の中で最も好きな種類。シノの葉スガナヨタケ(ナヨタケ)ナヨタケの稈カラタチマユミヤマチサウワミズザクラウノハナハマユウハギ...万葉の森公園9オケラ

  • 賢明な人?

    定年または引退まで、恙無く無事に浮世を渡ることができたということは、別の見方からすれば、自分の意思の多くを、抑えたり撓めたりして来たということの証である。人生における自分の意思の実行度合いは、0から10まであるとして、両極端は現実的でなく、大方の実行率は7分前後に落ち着くだろう。世の中は意に染まないことをしなければならないことが多々ある。自主自律の精神を尊ぶのが近代人だが、言うは易く行うは難しい。人間自分の意思をあらゆる場面で推し通すことなどできるものではない。協和・同調・妥協・迎合・雷同なくして、他人と協働や協調をすることはできない。万一自分の意思が誤っていた場合には、他者との協和で事なきを得ていたはずである。権力者と雖も、いや権力者ほど、自主自律が難しくなるのは、国政を観察していればよくわかる。意思は...賢明な人?

  • 浜松フラワーパーク14

    昨日は、当記事を誤って白紙でアップしてしまい、ご閲覧いただいた方々に、ご迷惑をおかけ致しました。お詫び申し上げます。*************************************7月以来、3ヶ月ぶりにフラワーパークを歩いた。夏の猛暑はこの園にも害を及ぼしたとみえ、いつもより草や木の花が少なく、好んで訪れるスマイルガーデンに花はなく、寂しい園路だった。コスモスはチラホラ、フジバカマは蕾段階、オミナエシは探したが見つからなかった黄色の彼岸花・酔芙蓉・秋明菊の3種が、見頃を迎えていた。ショウキズイセン(彼岸花)自生のムラサキツユクサシュウメイギクスイフヨウピンカ浜松フラワーパーク14

  • 緑を身近に

    老生の植物愛好と栽培は、屋外での雑草観察から始まった。それまでは、とんと草花の名前に疎い無粋者だった。先ず身の廻りの目に触れる雑草から覚え始め、山野草→高山植物→蛇紋岩残存植物→竹・笹類と、10年単位で親しむ植物が増えた。老いるに従って観察の機会は減り、それと反対に栽培が増える。ここ数年は、植物の栽培にも断捨離が必要と気づき、鉢植えを減らしている。年齢のせいか、美しい花々を見ることに熱意が湧かず、毎夏の朝顔を除き花づくりは早々に諦めてしまった。花に心を奪われなくなったのは、感性が涸れたという指摘もあるが、色彩にあまり魅惑されにくくなったと理解している。綺麗な花々に変わって、ススキを実生で栽培したり、コケを鉢植えにしている。もはや仙人の趣味の領域。対象は移っても、植物を愛する気持ちは変わらない。苔が好きなの...緑を身近に

  • 前例踏襲と無謬信仰の源

    世の中は優勝劣敗、リスクに充ち満ちている。となると、8割の人はこの世を無難に渡るために、リスクを取らない処世を身につけようとするかリスクを回避する方法の習得に腐心する。リスク管理などという、尤もらしい言葉も生まれる。予測できるリスクに対してならそれで好いが、予測できないリスクに対してはどう対処したら好いのだろう。予測可能なリスクなどたかが知れている。予測不能なリスクがあるから、世渡りが怖いのではないか。手におえないことは、神仏に祈るか衆を恃んで大勢で突破するしかない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」である。人間は多勢となら、過酷な運命でも、甘受できる生き物である。初詣の人出は、如実に大衆の心情を顕している。人は誰もが、リスクから逃れる術をもたないということを知っているのである。ならばリスク回避に汲々としな...前例踏襲と無謬信仰の源

  • 合理精神

    合理精神というと、冷徹を連想してしまう人がいるが、それは偏った理解である。合理性の高い人から、その様な印象を受けがちだからであろう。クールでなくホットな合理主義者も多い。合理精神とは、心の持ち様が自然の理に適っていることである。したがって、科学的常識に則って物事を考える。情緒に惑わされることが尠い。そこが他者との同調の差し支えになることは多々あるに違いない。合理の対極に、不合理・非合理・無理・理不尽がある。不合理な精神の持ち主は、非科学的常識をもって思考し判断し、物事に対処する。合理性の無いところに、有耶無耶・誤魔化し・隠蔽・虚偽が蔓延る。これらは不合理の果実と言っても好い。個人も組織も、合理性を失っては立ち行かない。ところで、科学的知識の豊かな人に、合理精神を缺く言動・行動が顕れることがあるのは、一体ど...合理精神

  • コーヒーの実

    嬉しいことに、コーヒーの実が赤熟してきた。精製の知識がないので検索したら、UCCコーヒーに、精製の方法についての詳しい記述があった。初めての体験ではあるが、精製は言葉ほどには難しくなさそうだ。完熟が楽しみ。コーヒーの実

  • 倫理と論理

    論理は言葉による説明の筋道。倫理は人の人たるに相応しい筋道。倫理はどこまでも、自然人に関わるものである。人偏を強く意識しなくてはならない。しかるに企業倫理とか政治倫理とか、自然人でない存在に倫理の語を遣うのは、意味的におかしい。法人企業や官公庁自治体などの団体には、コンプライアンス(法令遵守)があるばかりで、倫理の語を遣うのはまやかしである。無いものをあるが如く錯覚させる用法は、論理を混乱させる因である。企業名に個人の敬称である「さん」を付ける日本人独特の言語感覚が、企業倫理などという論理的に意味不明な言葉を生む。倫理はあくまで、人に限られるものである。私たちの社会は、資本の論理、企業の論理、集団の論理など、社会的、経済的、政治的に論理をもって構築された価値を奉じて生きている。論理を優先することで、あらゆ...倫理と論理

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tekedon638さんをフォローしませんか?

ハンドル名
tekedon638さん
ブログタイトル
道々の枝折
フォロー
道々の枝折

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用