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2022/02/27

  • フラワーパーク3

    フジが見頃になったことを公式HPで知ったので、フラワーパークへ行った。駐車場は9割が埋まっていた。脇目も振らず急階段を降り、まっしぐらに藤棚に直行する。遠州人は天竜川の対岸、磐田市池田の行興寺境内にある樹齢850年の「熊野(ゆや)の長藤」を見慣れているので、何処で盛大な藤棚を観ても滅多に驚かないだろう。それでも桜の終わった季節、藤棚を訪れる人は多い。此処のフジの樹はまだ若く50年にも満たないだろうが、植えられた樹の数が多く、花房の垂れ下がる歩廊が100mはありそうだ。フラワーパークは量で圧倒する。夜のライトアップがこの園最大の人気を呼んでいるが、私はフジの花に凄みを感じ怕さを感じる質なので、夜は決して観ない。園内には白藤も植えられているが、こちらは怕くない。カエデ3種の樹肌を比較できる場所があった。カエデ...フラワーパーク3

  • 万葉の森公園2

    低気圧が遠くサハリンの東に去り、高気圧が張り出して、冷たく強い風が吹いていた。先週は未だウワミズザクラの花を見ることができなかった万葉の森公園に行ってみた。駐車場に車は数台しか駐まっていない。正門から入ってみる。入場無料なので、何処からでも入ることはできる。お目当てのウワミズザクラに直行。花の位置は高く、強い風に揺れ動いて写真はうまく撮れないが、青空に真っ白な花穂がよく映えていた。竹・笹が好きだが、特に「篠」とか「スズタケ」に惹かれる。マコモの自生が減っているので、このように保護されているのを見ると嬉しい。当地の佐鳴湖では、葦に圧倒され衰退の一途を辿っている。「オキナグサ」を翁が愛でている姿は、我ながらいただけない。何故か園内には「オキナグサ」が増えている。風で種が散るのだろうか?「シラン」を、万葉の頃は...万葉の森公園2

  • 腸腰筋トレーニング

    インナーマッスルのうちで、トレーニングが難しい腸腰筋(腸骨筋・大腰筋)を覚醒する方法について考えてみた。腸腰筋(腸骨筋・大腰筋)は、赤ちゃんがハイハイから起ち上がる時に活躍していたインナーマッスルだという。しからば原点に立ち返り、赤ちゃんの動きをなぞることでそこに刺激を与えられるのではないか?【腸骨筋】両肩関節から両腕、股関節から両足を垂直に床に置き、腹部が最も床に近くなるよう脱力して四つん這いになる。肩と骨盤を左右方向に水平を保ったまま揺動する。肩と骨盤がねじれないように注意。この運動は股関節にも効くようだ。【大腰筋】前記正位置から、肩と骨盤を前後に同じ距離だけ揺動させる。腹部(お臍)が最低位置に来るよう注意し、背中が丸くならないこと。参考以下は過去ブログ「骨盤後傾を防ぐ」に掲載した【ハイハイ運動】のや...腸腰筋トレーニング

  • 骨格筋を衰えさせないためのインナーマッスル・トレーニング

    春たけなわ、行楽に、ハイキング・ピクニックに絶好の季節なのに、どうも身体を動かすのが億劫だという高齢者は多い。日頃の筋トレに励んでいても、元気が今ひとつ出ないという人は、インナーマッスルの衰えに注意していただきたい。インナーマッスルの機能の衰えが、アウターマッスルに及んでいる可能性は無視できない。インナーマッスルに対しては、直接的にその器官に絞って働きかけができないので、常の運動のシークェンスを逆に辿り、間接的にアウターマッスルを介してインナーマッスルを刺激する方法を採るしかない。常の運動の指令系統を逆行させることで、インナーマッスルを起動させている脳の運動分野を覚醒させるらしい。具体的には、上肢・下肢・体幹を順に伸展し、それぞれのアウターマッスル(骨格筋)に30秒から1分ほどの持続的な静止自重をかける。...骨格筋を衰えさせないためのインナーマッスル・トレーニング

  • 万葉の森公園

    数日前に中日新聞の地元欄に、市内浜北区に在る「万葉の森公園」でウワミズサクラが咲き始めた記事が掲載された。気に掛かっていたので久しぶりに訪れたみた。1992年の開設から31年、植えられた樹木が順調に育っているのが嬉しい。植物の名前が、万葉時代の古名で表示されている。ムベの花フジウワミズサクラの蕾「杏仁杏アンニンゴウ」この蕾とキブシの実を間違えて採り、塩漬けにして悦にいって食べていたことがある。花はまだチラホラ。満開まで旬日は待たなくてはいけない。ウワミズザクラには「かには」の表示があった。「ははか」が古名として通用しているらしい。ヤマブキオキナグサの花後アラカシオオムギコムギ万葉の森公園

  • お顔が派手

    デパートが昔日の面影を失いつつあるらしい。首都圏・関西圏・地方を問わず、有名デパートや老舗百貨店の閉鎖、改廃が進んでいるようだ。かつてデパート・百貨店は小売業の華てあり、女性買い物客たちのパラダイスだった。昭和の高度成長期、東京都内の私鉄線の始点ターミナル駅に系列デパート出店が相次ぎ、全国にデパートの開業が相次いだ時代があった。平成期には私鉄線の終点ターミナルにもデパートが進出した。バブルが弾け、流通と消費の構造が変わり始めたとき、呉服店をルーツにもつ日本の百貨店の商法は、ブランドイメージへの依存が強い旧弊を自ら克服しきれず、合併や店舗の統廃合を繰り返すばかりで、時代を乗り越えることはできなかった。この10年、全国規模で旧来のデパート・百貨店が消えているのは寂しい。ある時妻とデパート内で食事をし、同じ階の...お顔が派手

  • 選挙カー

    統一地方選挙たけなわ。私は選挙カーから流れる候補者やウグイス嬢の声かけを聞く度に、選挙苦々しさを覚えるようになってきた。拡声音がうるさいというのではない。投票者の好感を得るためとは言え、あらん限りの誠実と善良を口調に籠めた声かけに、どうしても不自然さを感じてしまうのである。そうせざるを得ない事情はよくわかるが・・・もうそろそろ、選挙カーによる選挙運動は、廃めにしたらどうだろう。コロナ禍で消えたドブ板・握手戦法同様、あまりにも日本的な特異な光景である。先進国では珍しいのではないか?アメリカやヨーロッパでの地方選挙でも、スピーカー搭載の選挙カーや連呼はあるのだろうか?候補者の政見や政策・主張・批判の広報活動は、今日では新聞・テレビをはじめ、インターネットの活用など、ほぼ完全に選挙民に届けることができる。自分の...選挙カー

  • 散歩道

    毎日の散歩の順路は、①佐鳴湖まで段子川を往復する平坦なコースと、②丘や三方原台地への坂道を周回するコースのふた通りを、その時の体調に応じて歩き別けている。今日はアップダウンのある②のコース、3.6km、6000歩。裏の独立丘の上は整備された公園だが、あまり人が訪れることはない。、年毎にケヤキは大きくなる。実に頼もしい。孫を遊ばせた遊具も健在だ。台地の上、静岡大学に隣接する運動公園に、当地には珍しいケヤキ並木がある。歩道を挟んで桜並木と対置している。大学と公園の敷地は、かつての陸軍練兵場の跡地である。サクラの木の根元にタンポポが群生していた。タンポポはサクラの散った後、盛りを迎えるのだろうか?年々数が減っているシロバナタンポポ。黄色に較べると、見るからに繁殖力が弱そうだ。段子川に沿うサクラも年を経た。心なし...散歩道

  • 紅茶の効用

    前々回投稿の「タンニン鉄」で、紅茶党であることをカミングアウトしたので、紅茶について少し触れさせていただきたい。静岡県はお茶の一大生産地。明治に禄を失った幕臣たちの殖産事業として、御前崎の後背地、牧之原台地を開墾し、茶を栽培し始めたという話をよく聞く。徳川慶喜に従って駿河に入った旧臣がそれほど多かったのだろう。元々、遠江・駿河は気候的にも温暖で、地質もお茶の生産に向いていたはずだ。お茶に限らず、掛川・菊川の地質は、農作物に好適のように思う。カテキンという耳慣れない物質の名が喧伝され、その効能が誇大なほどに世の中に流布されて以降、緑茶の勢いは甚だ盛んである。県内の研究機関は挙って緑茶の有用性の探求に熱心だが、生産量が僅少な紅茶の研究成果についてはあまり耳に入ってこない。原料は同じ茶の木の葉なのだが、すでに1...紅茶の効用

  • 蜆塚遺跡の桜

    去年に続き、今年も市内有数の桜の名所に行った。縄文遺跡の桜-道々の枝折市内蜆塚遺跡公園へ、次男一家のお花見に同行した。縄文時代後期から晩期(約3〜4千年前)の集落遺跡の貝塚は、江戸時代から知られていたらしく、町名にもなっている。貝塚...gooblog桜は年によって、花着き・色付きが違うようだ。それがあるから、毎年観ないではいられないのかもしれない。蜆塚遺跡の桜

  • 坂の中途の桜

    雨と風で、今年は駄目かと思っていたが、幸い晴れ日に恵まれ、1年ぶりに会うことができた町内の桜。樹齢は5、60年ぐらいかと思う。初めて出会ったのは数年前。台地が佐鳴湖に落ちる傾斜面を、巻くように上る坂道の中途の谷側に生えていた。道を登り始めてふと目を挙げたらソメイヨシノだろうか、2、3本の桜が盛大に花を着け咲いていた。道を隔てた山側の斜面には、より樹齢の高そうなヤマザクラが1本、枝を拡げていた。まるでソメイヨシノを監督するように・・・どの樹も斜面に差し掛かる如く枝を伸ばし、花叢が坂道に覆いかぶさらんばかりだった。以来毎春、通る人も観る人も少ないこの場の桜を観に、自宅から坂を2つ登って桜に会いに来ていた。昨年中に伐られたらしく、葉と花が同時に出るヤマザクラの大樹の姿はもう観られない。坂の中途の桜

  • 邂逅

    今は亡き山友と初めて出会ったのは、南アルプス深南部の末端、竜馬ヶ岳(1501m)だった。50歳を過ぎて、たまたま北遠の山中で出会っただけの縁だっ、わたが、その後20年に亘り山行を共にした。馬が合ったのだろう。ビバークのテントや小屋では、ストーブを挟んで酒を飲み、諸々のことを語り合った。その年齢で山友を得ようとは思いもよらなかった。その人の、分け隔てのない無邪気でフランクな性格と豊かな教養が、万事に天邪鬼で気難しい私を宥和してくれたのかもしれないし、変わり者の私を面白く思ってくれたのかもしれない。相寄る魂の働きがあったのだろう。彼は私より5才ほど若かった。ある年の秋の、山の楓が色づき始める頃、私は同年ながら山登りでは先輩格に当たる知人と連れ立ち、浜松市天竜区春野町の岩岳山登山口から岩岳神社を経由し、稜線道を...邂逅

  • インナーマッスル考

    年寄りの冷や水的行為で肋骨やインナーマッスルを傷めた結果、考えさせられたことを披瀝させていただきます。私たち年寄りが日頃訴える、原因不明な体のあちこちの痛みは、よく言われる関節や骨格筋の炎症ばかりでなく、常にはその存在すら忘れている数多のインナーマッスルから発しているものもあるのではないか?という疑念が湧いている。インナーマッスルは体の深層にある不随意筋だから、何処にあるのか、自覚するのは私たち素人には難しい。自覚できるのは横隔膜ぐらいだろう。インナーマッスルは、動かそうとしても動かせない筋肉だが、主動を担う骨格筋への脳の起動命令系統の中間に在って、脳からの信号を受信し、筋肉の初動をリードする。その性質からして、骨格筋よりも神経がより細密に張り巡らされているのではないかと想像される。したがって、其処に僅か...インナーマッスル考

  • タンニン鉄

    老生は毎日ティーポットに3杯も飲むほどの紅茶好き。紅茶の出がらしがすぐ溜まる。ユーチューブの動画で、茶葉の溶液と鉄釘とを反応させタンニン鉄の水溶液をつくり、週1回薄めて花壇・プランター・鉢植えの土に撒くことを教えられた。茶葉の出がらしでもタンニンは充分含まれるから、早速実行に移した。タンニン鉄は肥料ではなく、土壌に棲息する微生物を活性化し、土壌中の腐植物質を殖やす働きがあるらしい。この腐植物質が根から吸収されると、どのような薬理作用があるのか分からないが、植物は確実に元気になる。その効果は絶大だった。葉の緑・芽の出・根張り・花着きなど、植物の生理の全てにわたって好い効果があるようだ。コーヒー、緑茶、紅茶で比較してみたが、紅茶が最も成績が良かった。鉄釘は、一寸ぐらいのものを20本ほど輪ゴムで一纏めにし、糸...タンニン鉄

  • コンポスター順調

    プランターの土の再生を兼ねたコンポストづくりが順調。過日花壇で作業していたら、通りがかりの人に「これは何ですか」と訊ねられた。ミツバチの飼育箱かと思ったらしい。攪拌しないでコンポストをつくっていると答えると、すぐ納得してくれた。暖かくなるにつれ、生ゴミの分解は速まるので、夫婦2人の食物残渣では、コンポストの材料供給が追いつかない。玄米を精米した時に出たコメヌカと砂糖を、発酵促進のため時々混ぜているので、分解がより速いのかも知れない。野菜や果物の屑が分解されたコンポストは、黒色の土嚢に容れ、太陽熱で追熟させる。全ての製造過程で、匂いは全く出ない。コンポスター順調

  • インナーマッスルに着目

    インナーマッスルは自分で触ることも動かすこともできない筋肉だという。アウターの骨格筋を動かすとき、脳の指示をインナーマッスルが受け、骨格筋に橋渡しする初動の役目を受け持っているらしい。主動筋を支え安定を図る機能も併せ持つ。インナーマッスルが初動筋、アウターマッスル(骨格筋)が主動筋という関係である。筋肉運動は、インナーとアウターがセットで働いているらしい。インナーマッスルが正常に働かないと、主動筋(骨格筋)の動きも当然正常には動かない。そうかといって、不随意筋の一種インナーマッスルを鍛錬したり強化することは難しい。インナーマッスルが惰眠を貪らないよう、覚醒させておくことが大事かと思う。脳とインナーマッスルとの連係を常に双方に知覚させておくことぐらいが、せいぜい私たちにできることだろう。具体的には、骨格筋に...インナーマッスルに着目

  • フラワーパーク2

    前回の来園時に手続きをして、1年間何回でも入場出来るパスポート会員になったので、ウォーキング日和を見逃さずフラワーパークを歩いた。ソメイヨシノの花はチラホラだが、オオシマザクラの系統を引く樹には、満開のサクラもあった。蛇紋岩地帯に自生する固有種のトサミズキ、当地では愛知県境の湖西連邦が蛇紋岩質なので、自生を見ることができる。独特の葉脈が目立つ。ボケは花も良いが実が面白い。ボケミヤマツツジ園芸植物の植栽には、プロの独特の技術やノウハウがあるらしく、寄せ植えの集合美に足が止まる。葉が花と共に出るヤマザクラ。何とも素朴で懐かしい。薄暗がりが明るくなるほどに咲き誇るミヤマツツジ。花数が少なくても、日陰の若木には、紅紫の雪洞の趣がある。黄色のスイセンは相変わらずカメラマンを惹きつけている。スイセンの園地で、多数のツ...フラワーパーク2

  • モクレンとコブシ

    モクレンの花とコブシの花は、相前後して咲く。同じモクレン科モクレン属の花で、前者は白、後者は紅紫色でシモクレン(紫モクレン)というのが標準名とされているらしい。並木にはハクモクレン、庭にはシモクレンが植えられることが多い。どちらも、萼片が3枚花弁は6枚で花びらが成り立っている。私はどちらかと言うと、コブシの方が好きだ。理由はコブシが白くて花弁が薄いから。風にヒラヒラするかどうかは、花の魅力の大きな要素である。シモクレンの花は厚手の萼片3枚と花弁6枚が重なり、その紅紫色の花色もあって、何故か江戸城大奥の上級奥女中お局様を連想させる。コブシは中級奥女中といったところか・・・大奥三千人とは、旗本八万騎と並ぶ誇張だろうが、器量好しが多かったであろうことは間違いないだろう。一堂に会せば、華麗この上ない景色だったろう...モクレンとコブシ

  • 成り行きを見守る

    何事も、自分ひとりの力量と判断で処理できるうちは、困難にはぶつかっていない。社会に出る前の、学生の時代がそれである。試験で佳い点を取る仕事が、本当は人生で最も易しかったのである。その時を過ぎ、集団・組織の一員となり、他の人々や組織との接触や関与が増え、時には自然の災禍を受けたり、戦禍に巻き込まれたり、感染症の猛威に曝されたりと、不可抗力をはじめ自分自身以外の要因が増え、影響も大きく成ってくると、物事の処理は途方もなく難しくなってくる。自分ひとりの力では片付けられなくなるのは、外部要因が絡むからである。外部要因は変幻自在で予測不可能だから、適切な対応は難しい。そのような、先の見透せない混沌とした困難な状況下にあっても、ある一瞬、問題解決の方向性が垣間見える瞬間がある。そのことから、私たちは状況が不透明な時は...成り行きを見守る

  • はままつフラワーパーク

    晴天と暖かさに誘われ、浜松市西区舘山寺町の「はままつフラワーパーク」へ行ってみた。自宅から車で30分の近さにある。この前最後に訪れたのは、15年ほども前だったろうか?この園は、1970年の開園だから、かれこれ53年もの歴史がある。それなのに、数えるほどしか訪れていない。自然の山川で遊ぶに忙しかった時代と重なるからだろう。山野跋渉は不可能と見切りをつけた70歳ごろからは、市街地歩きに転じ、それなりに楽しんでいた。市内だけでは物足らず、他の都府県の街にまで出張り始めたその矢先、行動を共にして来た無二の友人を病で失った。ひとり旅に馴れはじめたその矢先、コロナが蔓延し、公共交通機関も宿も利用できなくなった。漸くコロナも下火になった昨今、マスクの着用は本人次第との、御触れとも黙認ともつかない妙な政府の見解がメディア...はままつフラワーパーク

  • The small Gallery

    旅の途中で眼を惹いた光景を、描き留めたいと発念し、50代には胸ポケットに入る淡彩セットをいつも携行していました。絵サイズを限定したのは、①広大な景観をハガキ大の用紙に集約する面白さと②描画の集中力が30分以上は続かない自身の欠陥とを承知してのことです。早描きには強い興味がありました。魚の活き造りに通じるものがあります。佳いシーンには至る所で恵まれましたが、登山や行楽の合間に描画をこなすだけの技量が私には乏しかったため、描けた作品はごく僅かなものでした。感動が格別大きかった時には、何とか描けました。「オールド・ギャラリー」のブログ記事一覧-道々の枝折「オールド・ギャラリー」のブログ記事一覧です。好奇心の赴くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・【道々の枝折】gooblogThesmallGallery

  • サッパ好漁

    「ままかり」ことサッパの釣果が上がっているらしい。今日は5、60尾もの釣果の恵贈に与った。コハダが数尾混じっている。セグロイワシは何処へ行ってしまったのか全然釣れなくなったと、セグロイワシ狙いの友は嘆いていた。回遊魚の動きとはこのようなものだろう。当方はサッパが好きなので、いっこうに構わない。冗談抜きに「まんま(ご飯)」を借りに奔ることも厭わない。ソバーキュリアス実践中の老生、お酒を飲まなくなって7ヶ月目が過ぎた。「ままかりの酢漬け」を肴に日本酒が飲めないのは残念だが、仕方がない。私は肴に左右される呑み助だったから、この種のアテなら、3合は行けただろう。こう書いてはいても、お酒が飲みたくなっているのではない。天然の魚へのこだわりが強いのである。今の私は「ままかり」には、ご飯さえあれば充分である。あれほど長...サッパ好漁

  • 衆を恃む

    「衆寡敵せず」という言葉があって、私たちは多数の優越を確信している。少数が多数に勝てないのは、常識である。ところが、この世を優れた少数が進歩させてきた事實は、厳然と歴史に記されている。革新や改革は多数からは生まれない。卓見ある少数に始まるものである。少数派の動きは速く、多数派の動きは遅い。寡が衆に優越することは現実には意外と多い。発明も発見も、寡をもって成功して来た。衆を恃んでいたら、成功は叶わなかったろう。時代のターンテーブルを回す原動力は、常に少数が担ってきた。世の中は、衆を恃んでばかりでは良い方向に向かわない。ごく少数の、特別な人たちが良い方向に世の中を導き変え進歩させて来たと見るのが正しい歴史認識ではないか?いまだに、マンパワーに依存し、派閥議員の頭数だけ増やして政権を壟断しようとする多数派政治は...衆を恃む

  • リュウキンカ

    かつて仙台在住の人に、春の山側の郊外を案内してもらったことがあった。そこで見たカタクリ、キクザキイチゲ、リュウキンカの群落の素晴らしさは、忘れられない。乾燥地を好むカタクリ、やや日陰の湿った土地の好きなキクザキイチゲ、特に湧水の溢れる谷地を埋め尽くすリュウキンカの大群落は圧巻だった。園芸種にヒメリュウキンカという花があるが、こちらは金属的光沢があり、残念ながら光沢のないリュウキンカの魅力には及ばない。遠州にも、北に行けばカタクリやキクザキイチゲの生育地はあるが、雪の積もらないかなしさ、リュウキンカだけは生育していないようだ。リュウキンカ

  • パレートの法則

    パレートの法則(8:2の原則)というものがある。全体の数値の8割は、全体を構成する要素のうちの2割の要素が生み出しているという経験則である。一般にこの法則が認められる社会現象は数多く観察されるが、観察結果から生まれた経験則であって、何にでも適用できる科学的原理・法則ではない。この法則は、19世紀イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが、2割の高額所得者が社会全体の約8割の所得を占めているという社会現象を観察して発見したらしい。全生産物の2割が売上高の8割を占め、残る8割の生産物が売上高の2割に過ぎないというのが、観察例としてよく知られている。ここからABC分析と呼ばれるパレート分析の手法よく使われるようになった。人の能力について考える時、人間の本質を見抜く能力を生得で具えている人の割合は、経験的に見て全...パレートの法則

  • 河津桜

    今日はこれまでで最も穏やかな、春めいた一日だった。早くも受傷後4週間、身体を動かしたり歩いたり、運動して回復を早めなければならない。老生は人が大勢幸福感に浸っている場所なら、何処へでも行きたくなる軽率な気質。混雑を厭う妻を宥め説得し、休日を避け家から車で15分ほどの、市内では栽植数が最も多い公園にカワヅザクラを観賞に出かけた。昨年に続いて2回目のカワヅザクラ花見となる。7分咲きというところか?この週末が花見には好適だろう。今日は平日なので予想どおり人出は少なかった。本場の伊豆河津では、車の大渋滞だったとニュースが伝えていた。この川は三方原台地に発し、浜名湖に流れ込む、流程僅か数キロの小川。サラサラと流れていた。河津桜

  • 初動筋の重要性

    インナーマッスルというものは、筋肉組織の初動を受け持ち、脳からの起動命令が直接届くところで、運動には極めて重要な役割をもっていると教えられていた。初動があって、主動のアウターマッスルが起動する仕組みらしい。肋骨を痛めた際にインナーマッスルも多少傷んだようだ。痛みがその辺りにある。これが痛いと身体に力が入らない。動作をするのにこれほど影響が大きいとは思わなかった。老人は骨格筋を鍛えようと筋トレに熱中するよりも、インナーマッスルを衰えさせない方が大切ではないか?と思い初めている。インナーの劣化がアウターに及び、サルコペニアからフレールという経過を辿るのではないかと推測している。インナーマッスルが衰えていては、いくらアウターマッスルの強化に励んでも、効果があがらないのではないかと思う。齢に逆らって身体的に若々し...初動筋の重要性

  • 梅園ウォーキング

    月始めに肋骨を傷めたが、3週間を経て、肋骨基部の強い痛みはほとんど無くなった。しかしまだ、胸郭から腹腔にかけてインナーマッスルが動くと、鈍い痛みがある。薄紙を剥がすような回復テンポというものは、性急な性格の私には忍耐を要する。4週目に入ったので、リハビリを兼ね何処かへウォーキングにでも出かけたいと思っていたら、次男が磐田市内の豊岡梅園に誘ってくれた。リハビリにはもってこいの、丘陵地の梅園である。孫たちも行く。ウンもスンもなく飛びついた。この梅園は昭和42年に始まり、40,000坪の敷地に2,000本の梅が植えられているという。最初に植樹された梅の樹齢は50年を優に超えていることになる。曇り空だが降雨の予報は出ていない。馬蹄形の園の外周を尾根が巡り、その内側が梅の圃場に成っていて、全ての通路は舗装され歩き易...梅園ウォーキング

  • 眼は脳のディスプレイ

    妻と食後に談話をしていて、何気なくウマやシカなど、草食動物の眼がとても優しく澄んでいることに話題が及んだ。今さら話題にするのもおかしいが、テレビに映っていたのがきっかけだった。そこから、猛獣や猛禽の眼の猛々しいこととの対照にも話は及ぶ。食性の違いということで、お開きになった。ところがおとなしい草食獣も、生殖の時期を迎えると、卓れた子孫を遺すために気性が荒くなる。生殖に脳が集中する結果、オス同士はメスをめぐって激しい闘争を展開する。相手の雄を殺すこともある。この時期には、彼らの眼に優しさはないだろう。オスの脳はひたすら好ましいメスの獲得に集中する。怕い眼になっているのだろう。草食獣のオスが定期的に荒ぶることを抑えるには、去勢しかない。常に荒ぶる猛獣が人間に飼育されて獲物を獲る必要がなくなると、ぺット化し野性...眼は脳のディスプレイ

  • サッパ(ままかり)

    いつも釣果を分けてくれる友人から、セグロイワシを120尾もいただいた。釣って2時間と経たない新鮮魚である。手開きの刺身で食事を始め、続いて頭とワタをとった魚を卓上電気魚焼器に並べ、焼きたてを生姜醬油で食べた。それでも老人2人では食べきれない。若い者たちは青魚を好まない。残りはマリネにして、以後の朝食でべることにした。調理中に妻がセグロイワシの中に、2尾の見慣れない小魚を見つけた。呼ばれて見に行くとサッパだった。瀬戸内地方ではママカリの名で知られる魚だが、一般に遠州の釣り人は、ヒイラギやネズミゴチ同様、この魚が釣れても喜ばない。妻は初めて見たのだが、ママカリと知ってその2尾を下ろし、酢漬けにしてくれた。食べてみると、酒の肴に好適と思った。友人にサッパを見つけたと伝えると、捨ててきたはずだが見落としたと云う。...サッパ(ままかり)

  • 土づくり

    戦争前までの日本の農業は、肥料に天然の有機肥料を使い、土づくりと施肥は分けることなく一体化していた。敗戦後、進駐したアメリカ軍は、将兵の生食する野菜の寄生虫汚染に愕き、GHQが日本政府に化学肥料と農薬を使う化学農法の普及を押し進めさせた。寄生虫病の撲滅は、占領した日本に来る欧米人の健康を護る上で急務だった。化学農法は、土1g中に1000万個も居るといわれる土壌微生物を死滅させたり疲弊させる。植物は肥料でなんとか育つが、土が本来の機能を失っては、大陽・水・土に依拠する自然農法は続けられなくなってしまう。そこで、営農に土づくりが欠かせないことを私たちは知った。具体的には、土に堆肥や腐葉土を入れ、土壌微生物の増殖を図るのである。その微生物が産生する腐植物質が多い土壌を好い土いうらしい。植物は、土と肥料で育つ。ど...土づくり

  • 春に足並み合わせて

    肋骨を傷め、行動が不如意に陥ってから2週間が経った。受傷当初の、身体を曲げたり動かしたときの、背部や腹部に電撃のように走った疼痛は鈍痛になり、普通の行動にほぼ支障は無くなった。この種の故障は、回復のテンポが遅いものだが、薄紙を剥がすように、日一日、快方に向かっているようだ。受傷した時は全国的に大雪に見舞われていたが、その後当地は雨の降る日が多かった。降るたびに気温も少しづつ上がる。雨を吸った枯れ草に僅かながら生気が蘇って見えるのは、気のせいだろうか。間もなく、木々の新芽が競い合うように萌え出るだろう。冷たく乾いた空っ風が熄みさえすれば、当地の春もホンモノになる。1週間前まで全く無かった歩く意欲を取り戻し、今日はリハビリを兼ねて街中まで買い物に行って来た。帰宅したら玄関脇のアプローチの花が増え、西洋リュウキ...春に足並み合わせて

  • 自業自得

    かつて製作したシジュウカラ・ヤマガラサイズの巣箱2つ、最初の年だけシジュウカラのカップルが入居し、育雛ぶりを見せてくれた。その後いっこうに小鳥の新入居が無く、数年間木から取り外して軒下に放置していた。その間風雨に曝され板に割れ目が入り接合部も緩んで、見るからに居住性の劣化した巣箱に成り下がった。せっかく作った物だから廃棄はしのび難く、年が改まって早々、リペアーすることにした。全体をトーチで焼き色を付け、隙間はグルーガンで埋めて、雨仕舞いの完璧な、製作当時同様の巣箱に修復した。立春を控えた1日、やつがれ止せばよいのに寒風の吹き荒ぶ中、桑の木の枝を払い、地上4mあたりに巣箱を針金で固定する作業に没頭した。老人には危険な作業なので、枝や幹にロープを張り回し、安全を確保しての作業だった。これがいけなかった。日頃し...自業自得

  • 糖質制限と日本人

    私は「糖質制限食」とか「無糖質食」というものに懐疑的である。その根拠は、人類がヒトになる前の、サルに近い生き物だった時代から今日まで、気の遠くなるような永い時間を、果実や木の実、葉や芽など糖質+食物繊維=炭水化物を摂取し続けて来た、進化の過程の食物史というものを尊重するからである。特に人類になってからの、一段と雑食性化した後に日本列島に定着し、稲作水田農耕を営んだ人々の生活史を考えると、日本民族に特有の炭水化物への依存性と、それによって出来上がった体質というものは、欧米人と根本的に違いがあるはずと考える。幾千年にも及ぶ日本人の、炭水化物を主食に、魚介類や野菜を副食にして来た食性活を、私は無視することができない。この列島では、稲作農業と漁業と米食とが、民族の生活を支えて来たのである。欧米人の体質をベースにし...糖質制限と日本人

  • 1/2000ミリの微小器官

    人の体は約37兆個もの細胞で出来上がっているという。そのひとつひとつの細胞の中に、ミトコンドリアという独自のDNAをもつ小器官が存在するという。臓器のような独立した器官ではないが、全身の細胞の中に散在し、各個がひとつの器官のように機能しているらしい。全くの素人だから、ネット記事で知ったことを受け売りさせていただく。ミトコンドリアの大きさは極めて微小で500ナノ、大腸菌よりも小さい。個々の細胞内に存在するミトコンドリアの数は、数百個~数千個と様々だが、全身のミトコンドリアを集めると体重の約10%にもなるとか・・・まさに天文学的な数のミトコンドリアが私たちの体の細胞に分散し、機能していることに驚く。ミトコンドリアは細胞内に運ばれた酸素を取り込み、生物のあらゆる活動に不可欠な、ATPという物質をつくりだしている...1/2000ミリの微小器官

  • 人間らしい気持

    私たちは皆、人間らしい気持を保って日々を楽しく暮らしたい。美しいものを見たとき、美しい旋律や詩に触れたとき、美味しいものを食べたとき、知り合いと楽しい会話をしたとき、愛する者の傍らにいるとき、私たちは人間らしい気持に浸り安らぎを感じる。愛する者とは人に限らない。命あるもの全てが対象になるだろう。恋している相手と居るときはどうか?というと、恋そのものが誤認や錯覚を伴う、直感的印象と本能的情熱の産物であるから、初期はときめいて幸福感に包まれても、長く人間らしい穏やかな気持になることは難しい。恋人同士は、互いに苛立つことが多々あるものである。人が恋をすると不幸になるのは、恋が動物的エゴイズムに根拠をもつからで、これが人間らしさを失わせる主因である。とはいうものの、齢をとればとるほど、80歳だろうが90歳だろうが...人間らしい気持

  • おすんばあ

    静岡県西部地域(遠州)には、「おすんばあ」という方言があったらしい。私は知らなかったが、家内はよく耳にしたという。常にそう呼ばれていたと云う。「おすんばあ」とは、澄ました女の子の謂で、「お澄婆」とでも書くのだろうか?「お転婆」の対語としての「おすんばあ」・・・私の思いつきだが、初めて聴く人には納得してもらえそうだ。恥ずかしがり屋、引っ込み思案、要するに内向的な女の子のことを指す言葉であるようだ。家内は「おすんばあ」そのものだったらしく、あまり嬉しい言葉ではなかったらしい。前に当ブログ【「おきゃん」すぎる花-道々の枝折】で、幼い頃はお転婆が苦手(と言うより嫌い)だったことを書いたが、今この語を知ってみると、もっぱら「おすんばあ」に惹かれていたことが多かったように思う。男性は一般に、「お転婆」より「お澄婆」の...おすんばあ

  • 冬の叢雲

    寒中の遠州「静岡県西部」地方は、晴れて陽が照っていても、終日遠州灘の沖合に積層した叢雲が立ち昇り、帯となって西から東に流れ、平野には冷たい北西風が吹き募る。長年見慣れた遠州の冬の光景、まさに冬の風物詩である。山陰から北陸・東北の日本海沿岸に大雪を降らせる西高東低の気圧配置が、寒気を琵琶湖北岸から関ヶ原を経て伊勢湾に送り出し、暖かく湿った海洋の空気に触れ発生した叢雲が、遠州灘の沖合を通過する。寒の間の一ヶ月、この雲を断続的に見ることになる。沖合10数キロ前後の叢雲の下の海面には、霙か雪が降っているはずだが、それを確かめた画像はネットでも見たことがない。この雲を見なくなると、海から春が上陸して来る。冬の叢雲

  • 消費社会の末期的現象

    中国では、春節の大移動が始まったらしい。先進国の国民からは盲目的に見える集団行動の根底に、古くから保ち続けて来た祖先崇拝と血縁尊重、物質重視と享楽耽溺の民族的習性が発現しているように見える。皮相的で刹那的な幸福感に酔う人々の数の多さは、日常と現状に人々が安寧と満足を見出していないことの裏返しと見える。スケールは違うものの儒教の影響を受けた韓・日両国にも共通して見られる習性かと思う。私たちの、盆と正月の集団行動も、規模こそ違え本質的には、同根のものを感じる。ただ本家本元は規模が大きい。コロナ禍で疲弊している観光産業を援けるには、海外からのインバウンドに期待が集中するところだが、コロナ感染対策の杜撰な中国からの観光客への防疫対策に手抜かりがあってはならず、政府の舵取りは難しそうだ。観光立国という言葉が、海外か...消費社会の末期的現象

  • 腰痛対策

    私にはどうも常識を疑う悪い癖があるようだ。例えば腰痛に対する対処法。人は突然腰痛を発すると、先ず整体院とか整形外科で診てもらう。それが普通、常識的な対処だと思う。しかし私は、ギックリ腰というものは、人類が二足歩行を始めたときに受忍を定められた、器質的脆弱性に由来していると盲信しているので、よほどでないと医療機関を受診しない。2、3日痛みに耐え安静を保ち、回復を待つ。何回もギックリ腰を体験した結果、私の場合は、腰周りの筋肉の衰弱に原因があったと理解している。脆弱性をカバーするには、常日頃腰周りの筋肉を鍛える生活をするしかないと思った。そこで、日常生活で腰の筋肉を衰えさせない工夫?を編み出した。具体的には、腰を楽にするアームチェアとかカウチソファなど、安楽椅子の類を、身辺から一掃してしまった。思い立ったら、実...腰痛対策

  • 1回だけのソロキャンプ

    日頃メディアのフィクションに取り囲まれて生きていると、人はフィクションのない世界に行って、リフレッシュしたくなるものらしい。冬もキャンプをする人が増えているようだ。YouTubeを見ていると、ソロキャンプやブッシュクラフト、中には好んで氷点下の雪中でのテント泊や車中泊など、マニアックなアウトドアライフを愉しむ愛好者も増えているらしい。インスタネタにもなるのだろう。老生にも、ふた昔前のことだが一度だけ、ソロキャンプの体験がある。単独泊は、後にも先にもその時だけだった。〈南アルプス深南部〉と言われる北遠地域の山塊の、黒法師岳(2068m)西方に、たまたま標高がジャスト2000mの山がある。古くから土地の営林職員や猟師たちから「バラ谷の頭」と呼ばれて来た山稜だが、登山者が増え誰が云い始めたのか「バラ谷山」。国土...1回だけのソロキャンプ

  • 果てしなき好奇心

    今年はアルコールゼロ元年になりそうである。SoberCuriousを実践して5ヶ月になろうとしている。お酒の無い日常の食事は、高校生の頃に立ち返ったかのようである。去年までの60回の年越しは、毎回お酒にどっぷり浸かっていた。お酒の無い年越しなど、異文化の最たるものと捉え、自分に最も相応しくないと考えていた。SoberCurious(ソバーキュリアス)という言葉は、ルビー・ウォリントンというイギリス人の記者が造った言葉だそうである。『飲まない生き方』と邦語訳され、本も出版されているが、この書名ではcuriousをつかった造語の真意は伝わらない。禁酒や断酒との根本的な相違を直截に示していない。顧みると、老生の飲酒習癖の長さには、ただ慨歎のほかはない。ビール・日本酒・ワイン・ウイスキー・ジン・ウォッカ・焼酎など...果てしなき好奇心

  • おめでとうございます

    新しい年を迎えました。日々の暮らしを希望に繋いでゆきたいと念じました。今年もよろしくお願いします。昨年の暮れには「体熱の倹約」の記事で、免疫力と体熱の関係に関心が向かった。免疫力を落とさないということは、体熱を浪費しないということに尽きる。①汗をかかないないで体熱を産生する②寒気に皮膚を直接晒さない③睡眠中の保温に留意するこの3つが要諦と考えた。①筋肉を動かして熱を産生しても汗をかくほどにはしないこと。高齢者はスロー筋トレとスロー歩行に限る。②下着に吸収されている凝固水の蒸散に因る体熱低下を防ぐこと。適切な防風・防寒・保温衣料を活用したい。③は以下に説明を加えさせていただく。誰でも暖かいベッドで就寝しているはずだが、熱の移動には対流・伝導・輻射があるのはご存知のとおり。これらのうち、私たちは輻射に因る体熱...おめでとうございます

  • 人為の埒外

    この齢になると、企みごとは殆ど成功しないことが分かって来る。プーチン大統領・習主席・金主席も、ご当人たちの企みが成就することはないだろう。万一成就したとしても、その代償が余りに大き過ぎ、成果を帳消しにするに違いない。競争社会を生きる人間が、企みごとから縁を切るのは、お酒と縁を切るよりも難しそうだ。人は考える動物だから仕方がない。企みをしないではいられないのである。だが成否は人為の埒外にある。多くの人は其れを忘れて企みごとに奔る。忘れていない人は賢い人である。静かに現実に対応して淡々と前へ進むしかない。現実への適切な対応の軌跡こそが、その人の人となりを示すものである。人為の埒外

  • 光のシャワー

    今日はクリスマス、キリスト教以前から、冬の長いヨーロッパには、冬至と関係深い行事があったのだろう。南アルプス深南部の登山口のひとつに、奈良代山(1624m)という山があり、30年ほど前には、駐車場の近くに20年生くらいのモミが程よく百本ばかり植林されていた。モミの林の周囲は、ブナ・ミズナラ・白樺が自生し、シカが跳梁する落葉樹林帯。秋の山行の都度、きっとクリスマスには其処のモミの林の中で幕営し、キャンドルを灯して持参したチキンやケーキを食べようと思い希ったのだが、紅葉を満喫して自然に充足した後は怠惰に傾き、酷寒中の幕営を嫌気してとうとう実現せずに了った。私には幻のクリスマスイブである。今より遥かに感性が働いていた頃のことなのだが、いったい誰と其処に行きたかったのか、どうしても憶い出せない・・・冬至の頃は、私...光のシャワー

  • 昭和史を忘れない

    戦争を念頭に置いた予算編成が、現実味を帯びて来た。好むと好まざるとにかかわらず、非友好的な態度をあからさまに示す敵性国家が近隣に存在する以上、それら国家の不時攻撃に対応する防衛計画と予算は、何を措いても準備しておかなくてはならないだろう。政府与党が反撃の敵地攻撃を持ち出す前に、私たち国民は、父祖の代の昭和の轍を踏まない慥かな防衛態勢が、現在の国内に整備・構築できているかどうかを、自分自身の目と耳で確かめておくべきではないか。過去の例でもわかる通り、マスメディアは戦時には挙げて大政翼賛に奔る存在だから、報道の名を藉りたプロパガンダには特に注意を要する。昭和の前期から始まる我が国の大陸への勢力拡張は、最大の仮想敵ソ連の南下を阻止する目的と明治期に多大な犠牲を払って獲得した南満州の権益を確保する目的とが一体とな...昭和史を忘れない

  • 昭和の幻影

    わが国のように、敵性国家(指導者がわが国攻撃を口にしたり、実験を口実にミサイルを発射したり、領海や領空を度々侵犯する国々)がごく近隣に存在するような国の政府は、戦争の不時勃発(敵性国家の侵略)を予想し、事態発生に際して非戦闘員の国民を保護収容する公的な退避施設を全国規模で構築するか、避難移住を支援する制度を整えることが不可欠であるように思う。それは兵站配備や新鋭ミサイル調達に先立つものであるべきだろう。コロナ禍対策よりも切迫感が高い、喫緊の課題であるように思う。今年に入ってからの、列島に向けたミサイル発射の異常な数の増加は、わが国政府にとって、国民保護対策が焦眉の急に迫っていることを告げている。兵器の拡充を急ぐより、敵の攻撃から国民を護る設備・手段の充実を急ぐべきである。ミサイル攻撃があった場合、犠牲者が...昭和の幻影

  • めでたしめでたし

    世間では、夫婦の会話が寡ない嘆きをよく耳にする。それが一般的だとすると、自分たちは標準から外れ、会話が多過ぎる。その為、諍いが屢々起こる。口は災いの元である。連れ合いはどちらかと言うと無口な方だから、私の饒舌が諍いの因ということになる。会話の発端はほとんど私なのだが、調子に乗って口が滑り、妻の感情の信管に触れ機嫌を損ねてしまうことが多い。会話の多さが口喧嘩の原因になっている。そうならないよう、なるべく会話をしないというご夫婦もある。何事も過ぎるのはいけない。ある時思いつき、「日本昔ばなし」に倣って、会話を適当なところで「めでたしめでたし」と締め括ることにしてみた。これは格別奏功があった。機嫌を損ねそうだと感じたら、先手を打って「めでたしめでたし」で締め話を打ち切る。先方は呆気にとられ気を緩める。何もめでた...めでたしめでたし

  • カヤトの原

    木枯らしが吹き紅葉が散ると、県内の山野にも、裸木の林とカヤトの原が出現する。落葉樹の林とカヤトの原は、セットのような間柄。敢えてススキの原と言わずカヤトの原と呼ばせてもらうのは、日本の暖地に独特の、冬の低山歩きの好フィールドのイメージを、適切に表現したいからだ。雪の積もらない山地の、初冬の陽を浴びたカヤトの原の光景は、柔らかく暖かい。周囲の濃緑の針葉樹林や澄み切った青空との色彩の対比を眺めながらベージュ色の原を踏み分ける。老生は今はもう歩かないが、冬の低山のカヤトの原を歩くのは好きだった。其処は大昔から里の村々の採草地や牧草地として管理されて来た、入会地という名の周辺の村々の共有地で、独占は許されない土地である。茅葺屋根の材料を提供し、家畜の飼料の生産地でもあった。決して天然自然の原野ではない。幾千年とな...カヤトの原

  • 視座というもの

    自分がたまたま植物好きなので、身内贔屓になっているかもしれないが、植物愛好者というものはほとんどが、生物多様性に対する視座を備えているように思う。それ無くして彼・彼女の趣味は成り立たない。趣味には、多様とは正反対に、固有ないしは特定に向かうものも多い。対象は多岐にわたりバラエテイに富み多様だが、それらの個々の趣味そのものには、多様性に対する素養を必要としないものもある。一口に趣味というが、視座の違いが趣味に及んでいることは興味深い。視座の違いは、実は趣味に留まらず、人の人生観・社会観・歴史観などの相違の根本的な要因となっている。そうしてみると、どうやら視座は、信念や思想に立脚するもののようだ。この世に誤った信念や思想が溢れていることを識ると、正しい視座を保つことがいかに困難でありかつ大切であるか、深く考え...視座というもの

  • 干し上がり

    蜂屋柿が、漸く干し上がった。渋は比較的早く抜けていたのだが、水分が十分抜けるまで待つと、やはり1ヶ月かかる。干し始めは13個だったが、1週間後に地元で買った百匁柿が加わり、数が30個ほどになっている。干し始め干し上がり家内が極端に惧れていたカラスも、あれだけビニールテープが垂れ下がっていると、罠があるかと警戒してか寄ってこない。CDを吊るまでもなかった。干し上がり

  • 洒脱

    老いて洒脱な生き方をしていたら、その人は、良い老境に在ると見て間違いないだろう。洒脱とは、さっぱりしていて俗気がないこと。俗世に在っては得られない境地である。人生の晩期に入って、初めて得られる貴重な境遇である。cozyでcomfatableな生活は、本人が洒脱でなければ得られない。老人なら洒脱かというと、なかなか、洒脱な生き方は求めて得られるものではない。自分を知らない、自己を客観視できない人は、洒脱と程遠い境遇に在ると見て間違いないだろう。人は人生の仕上げの時期に入ったら、終活よりも何よりも洒脱でありたい。そもそも終活などという言葉は、生活評論家など、一旗上げたい連中が思いついた造語かと思う。本の発行部数を伸ばすには、インパクトのあるキャッチワードが必要だ。生命・死後という、人為の及ばない領域に、あれこ...洒脱

  • 果物

    私は子どもの頃は果物があまり好きでなかったが、果物好きの伴侶をもったおかげで、好物になった。桃・梨・林檎・柿を生食するのは、お菓子嫌いの私の楽しみである。男性は果物を剥くのが不得手というか剥きたがらない人が多く、またナマで齧るのが得意な人も少ない。私も例外でなく、剥いた果物を食べたい。しかし、同性の無骨な手で剥いた果物は食べたくない。不思議なことに、果物ほど女性に剥いてもらうと美味しい食材はない。白魚のような指が、ぺティナイフを器用に遣って手早く皮を剥く。それを、八つ割りにして供してくれると、同じ果物でも断然味覚が違う。日本女性の醇風は、食後に食卓で果物を剥いて供する習慣である。外国でも同じだろうか?食前に剥いておいたものでは、感動を呼ばない。果物を剥かない女性は情に欠けるなどと言うと、鼻先で笑われる時代...果物

  • 宗教

    人類は、現世の苦悩を宗教(信仰)に帰依することで、緩和ないし解消を図ってきた。その切実な願いに誠実に対応し、民衆の救済を目指した宗教者(開祖)たちの足跡は尊い。だが宗教の本態は、強烈な自我をもったある個人(教祖)と、自我を喪失した多数の人々(信徒)とがつくりあげる、依存と被依存の特殊な人間関係で構築された集団が始まりである。世界宗教といえども、初期のこの基本構造は変わらない。開祖のようなカリスマ性をもたない後継者たちは、教義を深めるよりも、教団組織の拡張と、経済基盤の確立安定に傾く。時代を経るに従い、時の権力に迎合し、手厚い保護を受け、教勢の拡大に邁進する。平安時代の日本仏教がそれであり、キリスト教の歴史にも、中世にはそのようであった。目下問題になっている旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)などは、元々宗...宗教

  • むさい人

    「むさい」という言葉がある。「爺むさい」は今もよく耳にする。「爺」は即むさいのであるが婆はむさくない。大変な違いである。意地悪婆さんが居るのに意地悪爺さんは居ない。男女で好対照を示すものは多い。「むさい」は①意地や欲が強くて、心がきたない。②きたならしい。きたなくて気味が悪い。不潔である。むさいに苦しいが付いて「むさ苦しい」まである。どうしてそうなるのか?女性は幾つになっても身綺麗にしているが、男性は社会生活を離れると、外見に無頓着になりがちである。それが「爺むささ」を招き寄せてしまうのである。先ず無精髭、そして鼻毛・耳毛の3点セット。頭髪も手入れをしなければ「むささ」を助長する。次にアウトフィット。現役時代、気を遣うのはスーツとゴルフウェアぐらいだった人が危ない。普段着はどうでも良いという人である。フォ...むさい人

  • 歴史ドラマ

    私たちは、歴史上の人物の伝記やその人が主人公として活躍する小説・を読み、映画やTVドラマを視て、その人物を敬慕したり親近感をもったりする。歴史上の人物は、著作によってつくられた被造物と見ることができる。作者は過去に実在した人物に仮託して自己を表現する。したがって、伝記や小説や原作が、主人公の人となりや業績を正しく伝えているかどうか、実際のところはわからない。評論とか創作というものには、創作者の人格が顕れるものだから、彼の価値観が作品に色濃く投影されるのは当然である。客観性があるようでないのが、歴史上の人物である。それは経てきた各時代の時代精神を反映した潤色や誇張が、多重に積み重なっているからである。歴史上の人物を考える時、本人が実際に書いたもの以外の史料は、史料批判という作業なしに信用できない。しかし、検...歴史ドラマ

  • 「同」というバイアス圧

    日本の社会には「同調圧力」という心理的なバイアス圧力がかかっていると言われている。同質を何にも増して大切にする空気が集団内に生ずる。思い付くままに挙げてみると、「同」を冠する言葉の多いことに愕く。同級・同窓・同期・同郷・同年・同胞・同根・同梱・同文・同期・同人・同心・同調・同族・同慶・同期・同系・同等・同腹・同感・同意・同行・同好・同類・同情・同化・同等・・・馬方みたいに、毎日「ドウドウ」を口にしていなければならない。「同」でなければ人に非らずと思っていないかと思うほど、日本語には「同」を冠する語が多い。対義語の「異」となると、ずっと少なく、社会的な違和感や忌避感が感じられる。私たちの社会は、古くから「異」を忌み嫌って来たようだ。異国・異人・異相・異端・異質・異類・異形・異教・・・どう考えても好もしく思わ...「同」というバイアス圧

  • 歩めば至る

    何かになることを夢見る。何かに成れば、両親・教師に報恩でき郷党や親戚・知人にも鼻が高い。先ずもってめでたい。だが成って安穏かというとそうでもない。成った結果,成った者同士の競う世界はますます苛烈になる。最期には必ず「成れの果て」の時が来る。成るも成らぬも、果てには気をつけなければいけない。果てというものは茫漠として,何も見えないからである。成って見定めることこそ,成る意味があると思う。議員に成って大臣に成って、これで事が成ったと呵呵大笑したら、瞬く間に成れの果てに達し、辞任させられ、もう2度と成ることはない。為せば成るで頑張って、成っても元の場所から一歩も進んでいなかったでは困る。それで早々に果てを体験するのは辛いものがあるだろう。成るも成らぬも、人は一歩でも二歩でも、進むことの方が大切だ。南ア深南部登山...歩めば至る

  • 迫る冬

    冬直前暖地とはいえ、日に日に冬は近づいている。①トチノキ近くの公園を歩いたら、クヌギの並木の列に一本だけ、トチノキが育っているのを見つけた。気候的に適地ではないからか葉が小さいが、健やかに育っているのは嬉しい。トチノキの紅葉は、コナラ,クヌギの中では、ひと際目立つ。②ススキ鉢植え栽培しているススキは、まだ穂が枯れない。ノコンギクの種を株元に蒔いて、来年を楽しみに待とう。今年は、ナンバンギセルを根絶できた上に、開花(穂)を初めて見ることができ、欣快この上ない。③マルベリーマルベリー(クワ)の実が成っているが、これは食べられるのだろうか?迫る冬

  • 発想というもの

    世の中には、発想の豊かな人がいる反面、発想の乏しい人もいる。発想力は天賦のもので、後天的に発想力を強化したりどうこうできないものだが、社会生活の上ではあまり重要視されて来なかった。実社会で発想が重視されないのは、人の発想は多様すぎて分類も整理もできず、客観的に評価できないこととにある。発想はあくまで個人に留まっていて、社会生活に直接係ることがないからだろう。社会生活というものは定例化された制度や慣例のもとで成り立っているので、新規の発想が求められることは殆どない。統治機構は前例踏襲が基本だから、個人の発想を調和を掻き乱すものと見てそれを嫌う。特に儒教的封建社会のわが国では、その傾向が強かった。発想は,専ら個人に留まる。個性を個性たらしめるものこそ、その人の発想である。発想の違いが、他者との違いを明瞭にする...発想というもの

  • 残念なこと

    この国は、明治の文明開化以来、西欧の先進社会に追いつき、西欧人と同格の人類と認められようと切望し、西欧の近代文明をゼロから瞬く間に学び、産業を振興させ、生活文化を向上させて来た。明治政府は、欧米人に、彼らと同等同格に認められることを一途に願い、それは悲願でもあった。それを目的に国家を運営したのである。欧化して、白人先進国グループに列することが、明治の功業を成した人々の悲願であったとなると、何をしても悲願が先立ち、滑稽になるのは致し方がない。その滑稽の極が鹿鳴館だった。ロシアと戦い陸戦で敵に勝る多大な人的犠牲を出しながら戦い抜いたのも、我が国の応援団についた欧米列強に認められたいがためである。幸運にも勝って、目出度く彼らに認められ、国際的なデビューを果たした。しかし、目的のための苦節というものは、必ず達成し...残念なこと

  • 干し柿に空っ風

    今月16日あたりから、当地の冬の常態「空っ風」が吹き始めた。毎年木枯らしが報じられる頃になると強い北西風が吹き始める。晴天日数が多く風が強いことは、天然乾燥にはもってこいである。先日投稿した柿干し架台の横木の下にもう一段横木を増設し、吊るす柿を増やした。吊るし柿の数を増やすと、それだけカラスやヒヨドリの目を惹くことになり、昼間は監視していなければならない。これは老人にしか向かない仕事である。最低でも2週間、禁足させられたようなものである。干し柿に空っ風

  • 述懐のとき

    人の弁舌のタイプは、大雑把に言って寡黙と多弁の2つに分かれる。生まれつき人と話すことが嫌いな人、人前で話すことが苦手な人が居る反面、話好きな人、饒舌な人は多い。中には、しょっちゅう喋っていないと落ち着けない、強迫観念的なお喋りも居る。好奇心が強い博覧強記の、話題に事欠かない話したがり屋も多い。世の中は人で出来上がっているから、意見を述べることと意見を聴くこと、つまり話し合うことが大切である。話し合うと言っても、その内容は、その場面と対話者・参加者の組み合わせにより様々に変化するから無限の広がりがある。現実の社会生活では、話し合いは物事の進捗をスムースにする。誰でも職に従事している間は、話し相手に事欠かないだろう。ローマの兵士の退役年齢が50歳だったというから、人は概ね60歳(還暦)ぐらいから話し合いが減る...述懐のとき

  • 好奇心と人間性

    以前のエントリーで、好奇心が猿を進化させ、人間に導いたという論題に触れた。人類にとって、好奇心が動物から人間へのアクセレーターだったとすると、人間らしさとは、絶えざる好奇心に負うていると考えることができる。事実かどうか、現実に照らし考えてみたい。人間になった今日でも、私たちの脳には、人間に成る前の永い動物の時代に形成された脳、旧い大脳皮質がある。これを包みこむように覆っているのが、人間になって以降に形成された知的な精神活動を司る脳で、新しい大脳皮質といわれる組織である。饅頭の餡の部分を旧い大脳皮質、薄い皮の部分が新しい大脳皮質とイメージすると分かり易い。私たちの脳は、進化の過程で動物の時代に獲得形成した旧い脳の機質と、人間に成ることで形成された新しい脳の機質を併存させているらしい。常には古い皮質は新しい皮...好奇心と人間性

  • 体熱の倹約

    列島各地から雪の便り、愈々厳しい寒期が始まる。防寒・保温に熱心な高齢者がついうっかりしていることに、皮膚から蒸散する水蒸気が凝結ふる水分の体熱冷却作用がある。これを軽視したり無頓着な人は多い。皮膚から出る水分には先ず汗がある。過剰な体熱が産生されると、それを冷却するために、私たちには発汗作用が備わっている。汗は体の積極的な冷却作用である。見過ごしがちなのは、水蒸気が飽和して凝結した凝結水(condensedwater)である。皮膚の表面で常時吸収と放出を繰り返している。凝結水由来の水分も、気化放出する時には体熱を奪う。気温が下がることは、体熱低下の主要因だから、誰もが保温に気を配る。それで十分かというと、そうではない。保温していても、皮膚表面からは常に一定量の水分が放出されているから、体熱は奪われている...体熱の倹約

  • ずいき(芋がら)

    芋がらを炊いてもらった。好物である。ちょっと毒気のあるサトイモの葉柄「ずいき」は、日本のソウルフードのひとつでないかと思う。何十本ものサトイモの葉柄の皮をピーラーで剥いたのは老生、これが面倒である。天日で干して刻んだのは老妻。翁嫗夫婦の共同作業で、芋がらが漸く調理できる状態になる。街のスーパーでは売っていないが、山里の道の駅などでは今でも見かけることもある。農山村では、大昔から食べられていた食材である。だが、同年配の飲み会で訊いてみたら、その名も味も知る人はいなかった。この芋がらを水で戻し、油で炒め、油揚げと共にだし汁で煮含ませた「ずいき煮」は、「ゼンマイの煮浸し」に似て、野菜嫌いの私には美味しい逸品である。初老になって初めて口にし、忽ち好物になった。遠い縄文の時代を想わせる食材である。救荒食でも戦時の携...ずいき(芋がら)

  • 生活文化

    私たちの生活文化は、風土・民族性・生業・経済・歴史・宗教などの影響を色濃く受けて成り立つものである。生活文化の違いが、人間同士の親交を妨げたり、家庭の平穏を乱したり、ハラスメントやイジメなどの原因となるをことがある。それは個人間の関係にとどまらず、国際関係にまで及ぶこともある。私たちが、自分と同質なものを親和的に受け入れ、異質なものに排他的なのは、自然の本性であると思う。それでも、異質なものに関心を抱く好奇心の強い人々というものは一定数居て、異質な人々との交流の接点が絶えないのは、心強いものがある。異質な人々に出会ったら、先ず生活文化の違いに配慮し、その変異を尊重し、割り切ることが大切である。生活文化の違いに寛容であることは、大人として大切な対応である。日本は戦前まで、文化人類学を重んじて来なかった。異民...生活文化

  • 鉢屋柿

    娘夫婦が飛騨旅行の土産に「鉢屋柿」を届けてくれた。干し柿用の柿として名声が高いが、当地ではほとんど産しない。早速干し柿づくりに取り掛かった。老生、興味のあることには、滅法仕事が早い。180cm4cm角のホワイトウッド3本をホームセンターで購入、門の形に組み、ベランダに立てた。ヘタ元のT型枝に紐をつけ女房殿に渡す。殿はその皮を剥く。剥いた柿を熱湯に浸けては返すその傍から、亭主が紐を結び、柿を横木にぶら下げる。滅多にない夫婦の共同作業、珍しく息が合って、叱声を聴かずに済んだ。目的が一致しているということは、こうも仕事が捗るものか。カラスを警戒してこれから約3週間、干し柿は日に日に熟成、甘くなるだろう。鉢屋柿

  • 伝統

    私たちは幸いにも、祖先が海洋中の八つの島に住みクニを定めたおかげで、有史以来、異民族に征服支配されたこともなく、同一民族の安定社会で固有の伝統を守り続けて来られた。そのおかげで、国中何処へ行っても、伝統がその地の文化を支えている。まさにわが国は伝統国家という名称が相応しい。伝統を重んじるということは、好いことと私たちは考える。だが、血の滲むような努力をして守って来たわけでもなく、庶民が粘り強く異民族や権力と闘い抜いて勝ち取ったものでもない。長いものに巻かれる民族の性癖で、権威と大勢に逆らわず、代々前例を踏襲し続けて来た結果である。民族が生来改革や革新を好まない気質だったことが、結果として多様な伝統を今日まで保たせていたということである。新規のことをするよりも、前例慣習に従う方が楽なのである。伝統を保守する...伝統

  • 点る灯

    男性というものは、幾つになってもマドンナが居ると、かつて当ブログに記事投稿した。マドンナ-道々の枝折男というもの、老若問わず胸の裡にマドンナの面影を宿しているものらしい。本人が否定しても、基準?に照らしてみると大抵マドンナということになる。マドンナとは?基準1...gooblogフーテンの寅さんよろしく、マドンナを胸中に秘めている男性は多い。記事でも書いたが、マドンナは男性に通弊の浮気癖とは無関係である。聖女視など、滅多にあることではない。老生の年配でも、男性はマドンナに会うと、その日1日が心楽しく、足腰の痛みを忘れ、人にも細君にも優しくなり、孫に小遣いをはずむ、典型的好々爺となる。先月、老生図らずもマドンナに邂逅、しかもあろうことか、そのマドンナに褒められてしまったものだから、すっかり嬉しくなって舞い上...点る灯

  • 驕慢

    政治家は一般に人格・知能・識見において衆に卓れ、志操堅固の人物でなくてはならない。しかしこの世にそんな理想的な人間は居るはずもなく、中には家業化して世襲したり、職業として政治家を志す心得違いの人も多い。選挙で選ばれることで、高慢心を発する人が一定の割合で出現するのは避けられない。早くその様な人を見つけて、政界から排除しないと、将来の国政に禍根をもたらすことになるが、地縁・人縁がモノを言うこの社会では、それはなかなか難しい。わが国の政治土壌にも、遅ればせながら女性議員の活躍を期待する動きが盛んになり、数が増えているなは大いに歓迎すべきことである。しかし数が増えれば、男性同様職分を弁えない人が紛れ込むのは避けられない。当選回数が増え、党の役職に就くなどキャリアを重ねるにしたがい、その女性議員の口調が、横柄な男...驕慢

  • 合理性の較差

    コストコの会員証の期限が過ぎていたので更新した。書類を書くとき、思いを新たにしたことがある。日本法人だから当然日本語の申込書だが、書式は米国式、日付欄が日/月/年になっていた。私たち日本の書式の文書日付はこれと逆の年/月/日である。単に文化の違いの瑣末なことと看過すべきではない。この日付認識の違いに、彼我の根本的な精神構造の相違、合理性の較差というものが歴然と顕れている。私たちは日常の生活において、日単位で仕事や行事を進める。今日を起点として、時間感覚は月→年の順に遠くなる。近くから遠くへ、時間感覚にしたがって順に並べる日/月/年の日付表記は、極めて自然で合理的である。これに対して、日付けに年を真っ先にもってくるのは、王の在位期間、紀年を念頭に置く意識が働いていて、時間感覚的に不自然で不合理である。何処か...合理性の較差

  • 健康周期

    これは自身の経験に照らして感じていることだが、どうも体の総合的な健康というものは、一年の中で2回ほど周期的な波動を繰り返しているように思える。冬に好調の山があると、春から夏にかけて不調の谷があり、夏が好調だと秋から冬にかけて不調の底が来る。落差は微小で、それと気づかないことも多い。この波動を正確に掴むことができれば、先手を打って対処し、より健康な生活を維持できるはずだが、波動は微妙に波長と振幅の変化とズレを伴い、規則性を的確に掴むことは叶わない。体調不良になって初めて、周期の底に入ったと知るのである。私の場合は、今年は当月が底だったようだ。滅多に医療機関に行かない私が、2つの医院を掛け持ちする羽目になり、行楽絶好期を虚しく家で過ごしている。健康波動は年ごとに周期が短く、振幅は大きくなるのだろう。健康は体力...健康周期

  • 焼玉エンジン

    人は眠っている間は、呼吸数も呼吸量も最低になり、血流量も減って、代謝量が基礎代謝量近くにまで下がる。睡眠中はそれで足りるからだ。したがって、目が覚めたからといって、老人は直ちに行動スタンバイとはいかない。体中の筋肉は寝ている間に拘縮し、内臓諸器官は未だ働かず、頭はぼんんやりしている。恐縮ですが、ここで話を小型船の機関に飛ばさせていただきます。ガソリンエンジンやディーゼルエンジンが小型軽量化されるまで、60年ほど前の沿岸漁業の小型船舶には、焼玉エンジンという内燃機関が使われていた。そのエンジンは「ポンポン」と独特の排気音をたてるので、「ポンポン船」と呼ばれ、人々に親しまれていた。私も高校生ぐらいまでは、ポンポン船に幾度か乗ったことがある。焼玉エンジンは、エンジンのシリンダーヘッドに鉄球が装置されていて、これ...焼玉エンジン

  • 情熱の熾火

    男女の間柄ほど理屈に合わない関係も珍しい。恋愛感情は常に理性を凌ぐ。人間同士の関係で、およそ恋愛関係ほど不条理な男女関係もない。恋愛関係は、当事者男女がお互いの相手に対する情熱を同時に自覚共有しなくては成立もしないし維持も出来ない。長い期間交際していても、どちらかの恋情に熱が感じられないのなら、恋愛は終わっているのだろう。早々に仕舞う方が双方の為である。相手の情熱が感じられない交際は、恋の泉のほとりをただグルグルと廻っているに過ぎない。男女の恋愛は、それが終生継続するものでありたい。恋の始まりに太い薪を焚べ、情熱の盛大な炎を燃やして好い熾をつくることが大切である。炎は永く続かないが熾は長保ちする。始めからチョロチョロとした焚き火では熾は出来ず、晩年までの情熱を保てないだろう。中途半端な焚き火も駄目である。...情熱の熾火

  • 思考と作文

    私たちが何かを考える場合、ベースとなるものは記憶である。人間はモノゴトを見て触って聴いて読んで覚え記憶する。脳の記憶領域に書き込まれた情報は、随時思考の都度参照され、発想の加除と整理を経て上書きされる。思考の課程や結果も新たに記憶領域に書き込まれる。つまり思考と記憶と発想は一体で機能しているものであり、記憶は思考の基盤である。人間はこの基盤を欠いて考えをまとめ発想を生み、思考を推し進めることはできない。論理は最終的に文章で整理され表現されるものだから、理性は文章に宿ると見てよいのではないかと思う。私たちは、文章を介することで初めて、記憶を参照整理し、発想を喚起し、思考を練ることができる。口頭での話はどうしても考えが浅くなりがちだ。文章を書くことは、それがどんなものであっても、思考を促進する基本であるように...思考と作文

  • 感性の涵養

    人が歳を取るごとに感性が衰えるのはやむを得ない。若いときには充実していた感性が老年になって乾涸びないようにするには、中年以降に様々な手立てを講じて、感性の衰えを防がなくてはならない。旅は最も手軽で総合的な感性保全の対策だが、目下のコロナ禍で感染のリスクがあっては、思うに任せない。感性を涵養する方法を思いつくままに洗い出してみた。文学・美術・音楽など芸術に触れること、絵を描く・写真を撮ること、昆虫や野鳥を観察すること、山歩きや散策、ペットを飼う、草花を観賞したり栽培すること、などなどが思い泛かぶ。これを面倒がるようになるのが問題である。私の場合は、その時期と連れ合いが料理を面倒がるようになるのとが一致した。料理づくりも、感性の所産であることは間違いない。こう考えてくると、事を面倒がるようになることは、感性が...感性の涵養

  • 鷹の羽(ヤハズ)ススキ

    かれこれ5年ほど鉢植えで栽培していた鷹の羽ススキ、嬉しいことに初めて穂が出てきた。花をつけたということである。花穂はあるが花弁がなく、雄しべと雌しべが穂の一本一本に連なる。結実すると穂が白く枯る。この株を鉢植えで購入したら、ナンバンギセルが寄生していて、ススキの生育を妨げるほどの勢いがあった。株を植え替え、ナンバンギセルを抑えた努力が漸く実ったのかも知れない。鷹の羽ススキは、チッソが過剰になると鷹の羽の模様が消えることも、遅ればせながら今年チッソを与え過ぎて知った。乾燥を好み、チッソ分の少ない、荒地に自生する植物は、ノギクやスミレなども同様で、栽培は思いの外難しい。友人宅の地植えの鷹の羽ススキは、丈高く葉の幅広く、斑の模様も鮮やかに叢生している。そもそもその友人宅の地植えのススキに感動し、お月見用に栽培し...鷹の羽(ヤハズ)ススキ

  • 焼きりんご

    過般の伊那路ドライブで、リンゴの「紅玉」を見つけたので、妻に「焼きりんご」用に購入するよう請願しておいた。他のリンゴでは、つくれないからだ。家庭でつくる素朴な一種のお菓子だが、老生は少年時代に知り合いの家で初めて食べた時のそのバターの香る甘酸っぱい味の感動が忘れられず、とてつもなく美味しいおやつとして記憶に固定されている。今とは違い、洋風おやつの少ない時代だった。「紅玉」を見つけると、この老人、きまって反射的に「焼きリンゴ」と騒ぐので、妻はこのリンゴをなるべく見付けて欲しくなかったに違いない。内心(キノコだけで欣んでいろ!)老生が子供の頃のリンゴは、「国光」「紅玉」「インド」ぐらいしかなかった。中学生の頃から「ゴールデンデリシャス」という品種が出て、これを食べたときには柔らかく甘くジューシーで、これ以外食...焼きりんご

  • 不誠実な政府

    戦後日本の政治が、明らかに国民に不誠実になった時期はいつ頃で、その契機は何にあったのだろうと考えてみた。それは竹中平蔵氏という学者を重用した小泉純一郎政権が登場してからのことであるように思う。それに続く旧統一教会応援団に支えられた安倍政権は、小泉政権の手法を踏襲した。安倍政権の8年間は、小泉亜流内閣が敷かれていたと言えるし、安倍政権の官房長官で、記者団への不誠実な対応で定評のあった菅義偉氏が総理に成り上がった菅政権も、考え方といい手法といい、小泉亜流政権と見て差し支えないだろう。この3人の首相による自民党政権13年の期間に、国民に不誠実な政治態勢、つまり国会と国民を軽視する政治が定着した。小泉・安倍両氏と竹中平蔵氏とは、古代中国の王権のような人民無視の精神で貫かれ、強固な連帯感を共有していたのだろうか?皮...不誠実な政府

  • 脳の活性を守る

    脳のトレーニングというと、APPに沢山ある「脳トレ」アプリを連想するかもしれないが、私がお勧めしたいのは、特別なアプリやメソッドではなく、生活習慣である。日々の生活で、情報のインプットとアウトプットのバランスを適正にすることを第一に考えたい。現代は、情報のインプットがある意味視聴者に強要されているかと思うほどに氾濫している。テレビの情報バラエティー番組やお笑い・ドラマ。スマホではストリーミングに寛容な閲覧をしていると、知らずに無用不必要な情報の閲覧が増えてしまう。向こうは押し込んでくるから堪らない。テレビのバラエティー番組やスマホでのストリーミング閲覧を制限し、生活時間の中の映像情報のインプットを減らす。その上で、情報のアウトプットを意識して増やすようにしたい。情報の入力と出力のアンバランスを均すことが大...脳の活性を守る

  • 赤いシャツ

    赤いポロシャツを着てさる所へ行ったら、その地域の同年配のご婦人3人組みから、赤がよく似合うと言われた。自分では赤が似合うとは露ほども思っていなかったが、そのご婦人たちにお世辞を云われる関係でも立場でもないので真に受け、素直に悦んだ。長年連れ添った妻にも、赤が似合うとは一度も言われたことはないのである。老齢になったから似合うようになったのか?事情は詳しくは分からないが、見ず知らずの人の言葉だから有り難く信用してしまった。以来、仕舞ってあった赤系のシャツを頻繁に着るようになっている。今では、青年時代にこの色を身に着けなかったことを、大いに悔やんでいる。還暦のときには、赤の祝い衣裳を断固拒んだ老生である。あれは赤というより朱に近いのが嫌だった。赤い色が似合うとは、どういうことだろうかと考えてみた。フランス国旗を...赤いシャツ

  • 神道と政治

    秋祭りが各地で盛んである。保守党選挙事務所の雰囲気や光景は、神社の祭礼の際の会所と相似すること驚くばかりだ。選挙事務所が、会所に倣うところ大だったのだろう。日本人にとって、選挙はある意味祭りの延長なのだ。私たちは其処に日本人の祭と政の錯綜を見出す。それをいち早く見抜いた日本の保守党は、私たちの深層に眠る氏神・氏子の連帯感を集票組織の構築に利用してきた。氏神・氏子と郷党主義は、現代日本の政治に強く関わっている。日本の選挙組織では、祭り実行団体も無縁とは言えない。候補者も投票者たちと同じ神社の氏子である。皆が生まれながらの支持者となる。理念も政策も利害も関係ない。日本の保守政治と神道との親和性は、仏教と較べると際立って神社の方が高い。仏と神とでは、後者が遥かに政治的潜在能力を持っている。それは神代の昔から連綿...神道と政治

  • 旧有本分校

    かつて昭和の時代までは、日本全国の、へき地と呼ばれた山地や島嶼に、小中学童生徒の通う分校(分教場)が数多くあった。日本は山国・島国で、通学に不便の地は無数にあった。教育の機会均等を推し進めた明治政府は、たとえそれが富国強兵の政治的目的から出たものであったとしても、結果は評価されて然るべきである。日本の初等教育は遍く行き渡った。天竜川中流部の北遠(遠州北部)地方の山間地には、平成になるまで、廃校となった分校(分教場)が数多く残っていた。其処は、小学生から時には中学生までが通学する学舎だった。天竜川水系の無数の渓谷が刻んだ谷々で区切られた1000mを超える山山々の標高700m前後の辺りの尾根には、昭和40年代まで、主に山林業を生業とする高地集落が散在していた。其処に住む学童たちは、山麓の里の本校へ通学すること...旧有本分校

  • 愛国心と歴史教育

    為政者(政府)が恣意的に歴史を歪曲したり封印したりする国の国民は、本心から国の歴史(正史)を学ぶ気にならないし、学んでも身に付かないだろう。それでは、愛国心が芽生え育つはずもない。77年前まで、神話を歴史として、初等学校の学童に教えていた国である。人文科学を蔑ろにして来たばかりか、大学教育での人文学研究を等閑にする傾向が今も改まらない。絶えず歴史教育を非科学的なつくり話で、国民を自分たちに都合よい方向に誘導しよとする守旧勢力のエネルギーは、なかなか衰えることはない。愛国心を示すためには血を流す覚悟が必要と妄言を振りまいたり、敵地攻撃を声高に叫ぶ女性議員が現れた。なぜ女性議員が勇ましいことを言うかというと、彼女らは、猟官の為に守旧派老人に阿諛追従しているからある。彼女らは、守旧的右派老人に使嗾されたり彼らの...愛国心と歴史教育

  • 伊那路ドライブ

    娘夫婦の車に同乗し、伊那路を駒ヶ根まで往復した。2年前にも行っている。若い頃から、秋の情趣に触れたいときは、この日帰りルートをよく辿った。三遠南信道の開通区間と、153号線・151号線の改修で、浜松から駒ヶ根高原までの時間距離は、年ごとに縮まっている。平成の大合併で市境を接したものの、天嶮の山稜が境界を成す飯田市を、数年前までは隣接市と実感できないでいた。それが至る所の難所で、トンネルや架橋が施工され道路改良が進み、年次、両市の中心が時間的に接近していることを実感する。既に東部の甲斐路は、中部横断自動車道の新清水JCTから双葉JCT間が2021年8月開通し、浜松から甲府へのアクセス時間が短くなっている。遅れている三遠南信自動車道の全開通が待ち望まれる。153号線沿いの民家にはキンモクセイが多く、車の窓を開...伊那路ドライブ

  • ソバキュリアン

    生活時間に素面(しらふ)で過ごす時間が毎日2時間ほど増えてみると、これは大きな生活の変化をもたらす。少なくとも週10時間は生産的な時間が増えるのである。年間なら500時間。それまでは、飲酒している時間は、自主裁量で自分の可処分時間を充てていると思っていたが、実はアルコールが支配していた時間だった。アルコール自体が摂取を勧めるのである。アルコールがアルコールを招き呼ぶのである。禁酒した人が、猪口一杯飲んだがために元に戻ってしまったという話をよく聞くが、それがアルコールの本性を物語っている。ソバキュリアンは、アルコール(酒)という物質を絶ったのではない。実は酒を嗜む心を封じたのである。恋情を封じるのと、全く同じ理屈である。物質が問題なのでなく、精神に信頼を置く生き方を選んだのである。ストイシズムである。事は万...ソバキュリアン

  • 足を改善する

    ウォーキングが健康に有益だといって、高齢者は、漫然と歩いていてはいけない。意識して足の指、歩くときの足形の改善を図らなくてはならない。本ブログの過去記事「縄文の足」で詳述したように、私たちの足は、凹凸のある野外の不整地を歩くときには、指先を広げ、ジャンケンのパーの形で地面をグリップして歩くのが最も望ましい。それは靴を履いていても同じで、靴の中で足の指を拡げて歩くのが理想的である。高齢者は、常にヤモリの足に倣ってもらいたい。登山靴・ハイキングシューズの靴先が丸く幅広に、余裕あるつくりになっているのは、足の指先が開くよう設計しているからである。人体は靴を履いていても、足指で靴底の傾斜に対応し、全身のバランスをとっている。足指をピッタリ寄せる状態にするビジネスシューズやスニーカー、パンプスは、足指によるバランス...足を改善する

  • 散歩再開

    暑い盛りは熱中症を惧れ、中止していた散歩を再開した。記憶力の保全には、海馬への刺激を等閑にできないと聞く。秋から冬は、出来るだけ歩きたいと思う。まず手始めに、佐鳴湖までの往復2.5km。これに佐鳴湖一周6kmが加わると8.5km。週に一回歩くなら理想的だが続くかどうか。秋は可くても寒くなったら止めるだろう。夏よりも冬が苦手である。散歩は春と秋に限る。犬も歩けば・・・やつがれも歩けば必ず何かに当たる。往復の行程で興味を惹くものを見つけた。『その1植物』【可愛いホシアサガオ】【気品あるタカサゴユリ】外来種であっても、白百合は人を惹きつける。【蘇った桑の木】10年近く前に、道脇に自生していた5mほどの桑の木が、草刈り清掃の際伐採された。その同じ場所に、何と再び桑の木が、元の高さで育っていた。桑の生命力の強さに感...散歩再開

  • 弔問外交の実

    弔問外交とやらで、外国から来た40人の弔問使節と3日間で個別に会談する岸田首相、手始めに昨日はアメリカのハリス副大統領と会談した。これがお粗末。呆れたことに、15分程度の対話に原稿なしで真率に語るハリス副大統領と、原稿から目を離せない岸田首相との対照的な姿の映像がテレビで流され、彼我の大きな違いが浮き彫りになった。我が身が縮むような、国辱ものの映像だった。あれが外交?あれを有ろうことかあと39人、臆面もなく累ねる気らしい。おそらくほとんどの国の弔問使節は、原稿を読んだりしないだろう。事務方の原稿がないと、たった15分間の対話もできなくて弔問外交とは、笑止千万である。自分の頭で考えたことを真率に相手に伝えられない人間に、国益を左右する外交などできるはずもない。内容のある対話なら、たとえ15分でも意義はあり成...弔問外交の実

  • 残んのアサガオ

    彼岸を過ぎ、もう雲も光も風も紛う方ない秋だが、残んのアサガオが姉妹のように咲いていた。やはり晴れが続かないと、アサガオは佳い花を着けない。残んのアサガオ

  • 兵役忌避

    ロシアでは、プーチン大統領が予備役を対象に30万人規模の部分動員を発令した。これに対して対象者の市民たちの中には、ビザ不要の近隣諸国に脱出を図る人たちや、招集逃れに自分の身体を毀損する人まで出ているらしい。自国民がそのような悲惨なことをしてまでも戦地に行きたくない戦争とは、為政者プーチン個人のものであって国民のものではない。プーチン政権の動員目標は、30万人どころか100万人を目指しているらしい。人海戦術で有名な隣国中国の支援が期待できないので、自ら人海戦術に出る気だろうか?アメリカ・NATO諸国から最新兵器の供与を受けているウクライナとの戦争の劣勢を挽回するのに、核の恫喝と人道無視、そして人海戦術では、国のリーダーとしてお粗末過ぎる。徴兵対象も政権への影響力の大きいヨーロッパロシアでなく、シベリア・極東...兵役忌避

  • 声美人

    「声美人」という言葉がある。私の場合、ちょっと低く、くぐもったような声に、魅力を感じてしまう。現役だった頃、銀行に勤務する女性で、まさに「声美人」の人の声を屢々聴く機会があった。電話の受話器を伝ってその声が耳に届くと、身体の力が抜けるような心地がした。悩殺と言ってもよいパワーである。会話の内容は極めて事務的なのだが、声質が普通の女性と違う。声というものは、男女共に、低い方が魅力はあるのだろう。性的に魅力のある声域は何ヘルツで、波形はあれこれと、科学的に解明されているはずである。調べるまでもなく、私は声に全く自信がない。その人と直接会って話すときは,他の要素がいくつか関与してくるためか、声の特徴もさほど魅力的に感じないのだが、電話だと声だけなので、パワーが最大になる。声で悩殺される人間というのは変質的に思...声美人

  • 好奇心

    妻に言わせると、どうやら私の好奇心は、それが最も旺盛な2歳児並みであるらしい。昔から好奇心の赴くままに行動していたし、老いた今、変わっていないものは、それだけだと云う。なかなか枯れないジジイと、と内心苦々しく思っているだろう。ひとつのモノやコトに捉われると、飽きるまで関心が向かう。その関心を長く留めて居られないのが欠点である。要するに移ろい易い気質である。家庭人としては、評価の芳しからぬ性質である。小・中学生の孫たちに、精神年齢が2歳児並みと吹聴するのだけは已めてもらっている。好奇心は、年寄りの品格を損なう主な要因だと思っているからである。奇を好む性癖はいまさらどうにもならない。奇を嫌う妻の性格がつくづく羨ましい。その妻も、こと食べることになると、好奇心の強さでは遥かに私を凌ぐ。人間は「好奇心の強い猿」だ...好奇心

  • 月光仮面

    フォロワーの方々には、「月光仮面」世代がご健在かと思う。♪月光仮面のおじさんは正義の人よ良い人よ〜はやてのように現れてはやてのように去ってゆく〜月光仮面は誰でしょう月光仮面は誰でしょう♪最近私の家の面する市道を北に上った先に、青空マーケットの市が立つようになったらしい。その市の立つ日に、私が家の外回りの木や鉢植えの手入れをしていると、颯爽とバイクを走らせ下ってくる人がいる。ヘルメットとマスクで顔は分からないが、婦人らしい。私を認めると横に急停車した。機関銃のように近況や雑感を一気にまくし立て、こちらの話は一切聞かず再びはやてのように走り去っていった。その行動ぶりは、映画やTVでよく観た月光仮面(原作・脚本川内康範)を彷彿させた。その人は30年来の顔見知りで、私の妻より15才以上は若いだろうか?私の家内とも...月光仮面

  • 恋愛至上主義

    高校2年の夏休み、自由課題の読書でスタンダールの「赤と黒」を読んで以来、私は恋愛至上主義者になった。恋愛が好きなのではなく、恋愛話が好きということである。恋愛の果てに遂には断頭台に消えるジュリアン・ソレルの生涯を若年で知ったから、恋愛はまっぴら御免である。老爺の恋愛論かと白けないで、我慢して読んでいただきたい。人間は生きている限り、恋と無縁にはならない。初めての恋愛で結婚しているので、自分自身の恋愛経験はごく僅か、無いに等しい。それで恋愛至上主義と読者は嗤うかも知れないが、至上主義はあくまで思想上のことで、実体験の有無を要しないと思う。恋愛というものは、ひとつ実れば他の一切の恋愛の可能性を排除してしまう性質がある。それなのに、現実は、恋愛経験が豊富な人たちが多数存在する。同時並行で複数の異性と交際するのは...恋愛至上主義

  • ショート映像文化を憂う

    私はTikTok・YouTube・Instagramその他の15秒程度以内の映像、ショート動画を観ないことにしている。私個人にとっては、これらショート動画は、益より害が大きいと感じているからである。人間の脳は、いくら短くても動画すなわち映像を記憶できない。記憶されないということは、思考と結びつかないということである。断片的でストーリーの無いショート動画ばかりを観ていると、脳の記憶・思考の機能への刺激は激減する。思考機能が停止している時間が増えることは、思考力の減退を招く。少なくともその可能性を否定できない。ショート映像は、愕き・スリル・好感・親愛・美観・美景・喜怒哀楽など、感性に強く訴えかける内容がほとんどである。その効果・効用は絶大であるが、記憶と無縁である以上、思考に結びつかない。成長期にある子どもた...ショート映像文化を憂う

  • 動態記憶の補完

    私たちが、人や生き物の動く姿、乗り物の走行や飛行などの動態を記憶できないという事実は、事故や事件の当事者や目撃者の動いていたものに対する目撃証言の内容には、不正確・不確実なものが含まれると言うことである。極端にいうと、動いていたものへの人の記憶は、信用できないということになる。この事実を弁えると、監視カメラやドライブレコーダーの重要性は飛躍的に高くなる。私たちは、自分も相手も目撃者も、記憶できない移動の渦の中で、日々仕事をしたり生活していることにもっと真剣にならなければならない。自分自身の行動映像の記録を常にバックアップする習慣は、現代人にとって必要不可欠になっているのかもしれない。スマホのビデオ機能のおかげで、有用無用のドキュメンタリー映像がネット上に無数に溢れているが、人間に缺けるている映像記憶の補完...動態記憶の補完

  • 記憶と思考

    私たちの視覚対象には、動いているもの(動態)と停止しているもの(静態)とがある。私たちの視覚は、スチール(静止画)しか記憶出来ないようだ。脳はムービー(動画)を記憶するようにはできていないらしい。動きのある物体や情景は、シーン(映像)をそのまま記憶できず、断片化したショット(画像)のみを記憶として留めるらしい。記憶はスチールで出来上がっている。この事実は重い。私たちの脳が現実の映像をムービーで記憶できない理由は、コンピュータの仕組みから類推すると、脳の記憶の構造や、記憶素子の数に限界があるからだろう。映像は画像に比べ記憶素子を圧倒的に多く必要とする。限られた記憶領域に視覚情報を収納するなら、静止画で保存する仕組みになるほかなかったのだろう。映像情報を記憶できないとすると、日常生活の多くの時間、テレビやスマ...記憶と思考

  • 名前の分からないキノコ

    自宅の自転車置場に生えたキノコ。名前はわかりませんが、直径20cm以上ありました。目に付かない場所にも、秋はしっかり貌を覗かせています。名前の分からないキノコ

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