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2022/02/27

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  • 自覚

    人間何が大切かとあれこれ考えてみたら、先ず自覚が最も大切との結論に至った。自覚無しには、何事も覚束ない。自覚に欠けるということは、船舶や航空機が自位不明の状態で航行や飛行を続けるようなもの、進むべき目標も進路も定められない。人は自覚が足りないと、的外れな行動や言動が出てくる。自分のポジションがわからなくなっているからである。人を育てるということは、その人の自覚を促すことに尽きるように思う。自覚があれば、その人の自発性は正しい方向に向かうだろう。人は他からの強制や誘導によってでなく、自発によって生きるべきであるが、自覚に拠って正しい方向を見定めてもらいたい。自覚したことはいつも念頭に置いておきたい。自覚は書き留めておかないと忘れてしまうものである。その意味で、私は日記をつけている人を尊敬する。私は小学校以来...自覚

  • 対岸の景色

    人の人生は、大河を泳いで渡るようなものである。大河の流れに逆らうことはできない。水に入った時は対岸の目標地点の景色を目に焼き付けたはずだが、いったん泳ぎ渡り始めると、下流に流され続け、漸く対岸に着いて岸に上がってみると、いまだかつて夢想もしなかった情景を観て絶句する。たじろいでも仕方がない。やり直しは効かない。情況に甘んずるしかないのである。泳ぎ出す前に見た景色は幻だったのか?と我が目を疑う。幻ではない。観たのは実景である。ただ、景色の違うところまで遠く流されてしまったのである。人生は洵に大河を渡るに似ている。めでたく目前の対岸に着くには、常に上流に向かって泳ぎ続けていなければならない。流れに逆らうのだから、気力・体力共に充実していなければ叶わないことだ。誰にでも真似のできることではない。とてもそんなこと...対岸の景色

  • 鹿児島行

    静岡空港から小型旅客機に乗り、鹿児島空港ヘ降りた。15年も前に開港した県内唯一の空港発便を初めて利用したのだから、飛行機嫌いというか時代遅れも甚だしい。高所と閉所、両方嫌いだから仕様がない。10年前九州に来た時のアクセスは新幹線で、小倉で下り、大分・宮崎を経由して鹿児島に入った。今回は同行した娘夫婦が航空機・宿・レンタカーを全てセットしてくれた2泊3日の5人旅、重い腰を上げ苦手な飛行機に乗ったのには、内緒にしていたが、老生にやむにやまれぬ事情があった。先般、当ブログで負傷と快復の経緯をお知らせした腰の損傷が完治していなかったらしく、その後にしなくてよい肉体労働を小半日やったら、痛みが再発した。霧島と指宿に宿泊すると聴いて、温泉と砂むし温泉併用の湯治効果に期待した老生、一も二もなく率先参加を決めたのだった。...鹿児島行

  • 共感

    ネット社会が進化するに従って、人同士の触れ合いの場や人に共感を抱く場と機会が、世の中から急速に減っているのではないかと危惧している。生産性が上がり余暇時間が増え、人々の交流の場が増えているのなら嬉しいが、どうもそう良い方向ばかりではないらしい。共感というものは、人の集まりがあるところで呼び合うものである。仕事を遂行する組織の人員が、省力化やIT化に伴う縮小または分散により、目に見えてその規模を減らしている。特にITの普及は、これまで合理化や効率化が遅れていた事務・販売部門の少数精鋭化と分散化を推し進めた。其処にCovicの世界的蔓延があって、人の分散は地球的規模で進んでいる。それから5年・・・人間は共感によって仕事や生活からの満足を得る。自己満足では済まないのが人間である。共感するためには人が複数居なけれ...共感

  • 感懐を掬う

    世の中には、老人になってみなければわからないことが沢山ある。若い頃には考えが及ばなかったことが多い。知恵が足りなかったのではない。人生体験の不足が、適切な思考を促さなかったのである。人は老人になるに従い、心裡に溜まった感懐を掬い上げることが多くなる。芸術の素養のある人たちは、創作に感懐を籠めることが出来る。書や画、音楽や詩作など、表現をもってそれをする人たちは多い。筆の立つ人は書簡や随筆の形をとることもあるだろう。どんな方法でも、自らの胸の内にある感懐を、人に伝え共感を得ることができたら、欣快この上ないことと思う。心の裡に在るものは、現在の意識の表面に泛かんでいなくても、無意識下に厚く積み重なっているに違いない。それらのひとつひとつが任意に浮かび上がるのを掬い採り、考察を加えることは、時間に余裕がある(と...感懐を掬う

  • おだて

    子どもの頃に女性にチヤホヤされた男は、女性のおだてに弱い。女性というものは、そういう男を直感的に判るもので、「豚もおだてりゃ木に登る」という状態にた易く導く。恥ずかしながら老生、幼い頃にチヤホヤを体験したので、洵に女性のおだてに弱い。私が若い頃のデパートでは、ネクタイ売り場の女店員は美人でおだてのエキスパートだった。多くの男性客は女店員の推奨するネクタイを盲目的に買ってしまう。ネクタイ売り場で活躍した女性がママと呼ばれる職業に就けば、お店は繁盛間違いなしだろう。そんなお店があった憶えがある。老人になれば、下心というものが無いから、女性のおだてには乗らないだろうと思うのは素人の浅はかさ。年寄りほど、滅多に褒められないから、おだてに弱くなるものである。ある時、山野草を観に市外の中山間地を訪れた。村おこし活動の...おだて

  • 歩程を延ばして

    前日の散歩で弾みがつき、今日は早朝から佐鳴湖まで歩いた。往復約4キロ弱。ウォーキングよりランニングの人の数が多い。働き盛りの人たちに較べ、老人の活動が少なくなっているようだ。年齢は確実に脚に顕れる。山に登って動けなくなり、スマホで救助要請をする60台が多いが、何が愧じかということがわかっていない。安易に救助を警察に要請するのは間違っている。犯罪に遭ったのではない。自ら招いたのである。新川に架かる「であい橋」を渡れば、アシの密生する湖岸に出る。「であい橋」からの新川河口の眺めは、四季を通じて癒される。アシの湖岸は、オオヨシキリの声が賑やかだ。ウグイスと比べると濁声が際立つ小鳥、同情を禁じ得ない。造物主の気まぐれ、というものだろうか?歩程を延ばして

  • 散歩

    夕刻に妻と散歩に出た。去年鉢植で購入し、地に降ろしておいたスカシユリ?が咲いている。散歩道で、近くに住む次男父娘と出会った。滅多にない偶然に愕いたが、考えてみれば、日頃散歩に出ない自分たちと違い、次男たちは毎晩食事前に散歩しているのだから、たまたま思いつき散歩に出てふたりと出会ったのは、愕くことでも何でもなかった。アジサイがたくさん咲いている場所を教えられ、現場に行ってみた。北向きの山陰に、沢山のアジサイが植えられている。ホタルブクロもこの季節の花。残念ながら、今夏もホタルは見ていない。ひさしぶりに、ユキノシタを見た。子どもの頃、家の裏庭にたくさん咲いていたことを思い出した。橋を渡って帰路についたら、カワウのカップル?が休んでいた。この時期、鳥類は子育てに疲れているだろう。散歩

  • 近江の歴史探索行再開

    過般、中学校の同窓会があり、同じ町内で小中学校時代を倶にした級友たちと、数年ぶりに会うことができた。互いの近況を語るうち、私の近江歴史探索行に関心を持ってくれる人が居たので、コロナで中断していた探索行を、6月1日、5年ぶりに再開した。先ずは同行の友人に滋賀県の遺跡分布の概要を知ってもらおうと、滋賀県立安土考古博物館へ直行した。好天だったので、駅から安土山の麓の所在地まで、駅から街並みを抜け、ヒバリの声を楽しみながら、水田地帯の幹線道を歩いた。しかし目的建物は見えているものの、水田の区画方向に沿う道路が目的方向に斜行している為、ヨットのタッキングのようにジグザグに進まねばならず、なかなか博物館に近づけない。かつて別のルートを辿ったときに比べ、倍近い距離を歩くことになってしまった。漸く辿り着いてみたら、残念な...近江の歴史探索行再開

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