電化路線には欠かせない、架線柱とその支持物にも好き好きがあります。(第2回) 欧州の鉄道写真で架線柱・ビームを見ると、日本ほど頑丈に見えるものではなく、スリムで簡易な造形で済んでいる箇所が多いようです。やはり、地震大国の日本、地盤が安定...
もう1両元小田急線2320形も甲府盆地に保存されていたが今は幻に
甲府盆地にもう1両「いた」元小田急線2320形を見てきました。(2004年訪問) 富士急線に元2200形系列4種全てが譲渡されたのは、ファンにとって喜びでしたが、そう長くは続きませんでした。 今は撤去されましたが、中央本線沿いの甲斐市...
新潟交通の廃線跡歩き、最後は越後大野~新大野です。(2022年訪問) 昨年開業した宇都宮LRTを見ていると、人口51万人規模でLRTが成り立つのなら、人口76万人規模の新潟(5月末現在)でもやっていけるのではと思うほどです。 新潟交通...
国鉄型電気機関車EF64 37「ELぐんまよこかわ」が横川で発車待ち
横川で発車を待つEF64 37を見てきました。(2021年訪問) とうとう、高崎地区の電気機関車とディーゼル機関車が引退するようです(2024/6/6リリース)。これにより、この地区で残る国鉄型機関車が蒸気機関車だけになろうとは、またも...
富士急線に譲渡された元小田急線2200形が甲府盆地で保存されていた
甲府盆地に保存される、元小田急線2200形を見てきました。 先月西武線へ8000形が譲渡されましたが、小田急線通勤車が他社線へ譲渡されたのは富士急線と新潟交通以来でしょうか。 ちょうど20年前になる2004年、甲府盆地に元富士急線57...
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電化路線には欠かせない、架線柱とその支持物にも好き好きがあります。(第2回) 欧州の鉄道写真で架線柱・ビームを見ると、日本ほど頑丈に見えるものではなく、スリムで簡易な造形で済んでいる箇所が多いようです。やはり、地震大国の日本、地盤が安定...
上野駅から発車するカシオペアを見てきました。(2023年訪問) いよいよE26系客車CASSIOPEIAも、引退報道を見るようになってしまいました。たしかに何事も、必要だから生まれ、必要なければ消える、のが宿命でしょう。とはいえ、「客車...
電化路線には欠かせない、架線柱とその支持物にも好き好きがあります。 線路端を歩いていて、列車や駅とともに私が見るのは架線柱です。日本の名物だという街の電柱は、災害や景観対策のため、少しずつ地中化が進むようです。鉄道の電化路線はどうでしょ...
小田急線向ヶ丘遊園駅の新宿寄り、登戸1号踏切を見てきました。 登戸~向ヶ丘遊園間は複々線化が注目されていた区間ですが、どうやら3線のままとの情報もあるなかで、踏切は2025年度に廃止されて歩道橋になるようです。 これで向ヶ丘遊園駅は、...
久々に終着駅桜島へ行ったところ、新車323系に見とれてしまいました。(2019年訪問) 大阪・関西万博の開催が前年の2018年に決定し、またUSJが出来てから行ったこともなかったため、桜島駅を見たくなったのです。 なお、関東在住だと「...
北海道新幹線の開業日、快速はこだてライナーにも乗ってきました。(2016年訪問) 東京-函館ならまだ新幹線/快速の乗り換えはわかりますが、新幹線札幌開業後に札幌-函館でも乗り換えが必要になると、かなり抵抗感があります。 次の札幌開業...
おおさか東線に初乗りすると、来る電車みんな緑色の201系でした。(2019年訪問) 201系といえば中央線、新しい国電「省エネ電車」のイメージと音が印象的でしたが、とうとう関西からも引退したようです。 新線開業時に投入された201系は...
神武寺から逗子への専用線沿線を歩いてきました。(2012年訪問) いつも新車搬出時に注目される逗子へのルートですが、どういう位置関係にあるのか実際に見てみたかったのです。 今回は、専用線が最後に横須賀線と合流する、逗子の電留線あたりで...
抜海駅は、とうとう廃止になってしまいます。 生きとし生けるもの、いつかは消え去ることを考えれば、駅も同じなのでしょう。 交換駅ではない抜海駅と再会するのも忍びなく、昨夏の残像を見ながらお別れしたいと思います・・・。※関連記事 抜海も...
名寄本線が分岐していた、石北本線遠軽駅に行ってきました。 駅構内は、かつてとあまり変わらない広さが残るようですが、行き交う列車と編成両数が減った分だけガランとした感じです。 来週3月15日のダイヤ改正から、特急大雪は快速に格下げとのこ...
南小谷まで、特急「あずさ」に乗ってきました。(2020年訪問) とうとう南小谷直通特急あずさは、3月の改正で白馬止まりになってしまうようです。(2024/12/13発表) 東京圏への直通列車があることは、地域にとって大きな望みや支えに...
夜行まりもから乗り継いで、根室駅へ行ってきました。(2008年訪問) 日本最東端の駅といえば東根室でしたが、その常識が書き換えられてしまうダイヤ改正が3月に迫ります。(2024/12/13発表) お金には換えられない価値というものもあ...
あおば通の初乗りと、終わりが近い103系を見に仙石線へ行きました。(2003年訪問) 2000年に仙石線仙台駅が地下化され、地方線区の地下化とはどんなものか早く見たかったのですが、ようやく行けたのは205系の投入が始まった頃でした。 ...
名松線が不通だった時期、代行バスで伊勢竹原を訪れました。(2013年訪問) 高校時代の鉄道研究部南紀合宿で泊まったのが、伊勢竹原駅から歩いた美杉村「レークサイド君ヶ野」だったのです。あれから30年、ずっと気になっていたのですが、ようやく...
2024年の線路端はどうだったのか、私が見た12ヵ月を振り返ってみました。 今年で21世紀も25年、そして個人的にはデジカメに移行して20年を超えました。今年は正月休みが9連休だったこともあり、いつもの記事とは指向を変えて、2004/2...
2004年の線路端はどうだったのか、私が見た12ヵ月を振り返ってみました。 今年で21世紀も25年、そして個人的にはデジカメに移行して20年を超えました。今年は正月休みが9連休だったこともあり、いつもの記事とは指向を変えて、2004/2...
年末の富士急行線河口湖駅を訪れました。 この辺り以前から訪日外国人観光客は多く見かけましたが、もうコロナ渦前を超えたようなにぎやかさです。 「富士山ローソン」という見方では初めて駅近くへ見に行ったら、そばの踏切も撮影ポイントになってい...
車扱い貨物が残る安中駅を訪れました。(2014年訪問) 貨物列車でもコンテナ以外の車扱いは減るばかりですが、今度は安中駅発着貨物で気になる報道がありました(2024/12/24報道)。 旅客線だけではなく貨物線も大事な線路ですので、気...
今は終着駅になった北陸鉄道石川線鶴来駅を訪れました。 同じ北陸鉄道の浅野川線より状況は厳しいというので、車庫のある鶴来まで再訪してみたのです。 今回北陸鉄道は「みなし上下分離」が認可されたそうで(2024/12/25発表)、存続がはっ...
島原鉄道の廃止区間にあった安徳駅を訪れました。(2008年訪問) どれだけすさまじい被害があったのかまったく判りません。山並みだけがニュースで覚えた姿を見せていました。雲仙普賢岳の麓にあった駅は、先端区間廃止になるとは思えないほど見事に...
「のと鉄道」能登線鹿波駅を訪れてきました。(2004年訪問) かつて日本全国に張り巡らされた鉄道網は、無数の小駅に支えられ、また支えていました。 最近の鉄道網はますます、無数の小駅には支えられず、また支えきれなくなっているようです…。...
山手線最後の踏切、第二中里踏切を見てきました。(2022年訪問) 残り2箇所だった頃から気にはなってはいたのですが、最後の1個所になって初めて訪れることができました。 近くの都道整備後に2029年度目標で廃止されるそうですが、離れるの...
穴水から能登線最初の交換駅、のと鉄道比良駅を訪れました。(2004年訪問) 2024年元旦の能登半島地震で不通だった残るのと鉄道ですが、4月6日に運行再開できたようで良かったですね。 まずは能登半島復興のきっかけを喜ぶともに、今後の石...
留萌本線峠下駅の木造駅舎を見てきました。(2019年訪問) しかしなんとこの冬の雪で、旧峠下駅舎は崩壊したという悲報が入ってきました。近くの深名線添牛内とか廃線後20年以上持ちこたえた駅舎もありますが、よほど疲れがたまっていたのでしょう...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、新幹線を降りて在来線特急ホームへ歩きました。 新幹線ホームの直下にあるとはいえ、九州新幹線の対面乗り換えと比べてしまうと、正直乗り換えは面倒でしょう。 着工があまり長引くようなら、今まで通りに米原へ延伸す...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、芦原温泉駅を訪れました。 芦原温泉のホームは、在来線ハピラインふくい2面3線に加えて、北陸新幹線が2面2線対向ホームになりました。 在来線とは別線になる日本の新幹線は、地方へ延びるほど全体として過大ぎみな...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、北陸本線敦賀駅を見てきました。 敦賀発着になった特急サンダーバード・しらさぎは、新幹線高架下の専用特急ホームに移り、今までの在来線ホームは昨日までのにぎわいがウソのように閑散としています。 日本海縦貫の貨...
北陸新幹線!祝!敦賀開業の日、越前たけふ駅を訪れてきました。 武生駅の横に出来れば便利だったのにとも思うのですが、やはり土地の関係で離れた場所にせざるを得なかったのでしょうか。 新高岡もそうですが、今までの駅前市街地も維持させながら、...
北陸本線金沢駅を訪れてきました。 東北上越新幹線開業後に残った特急街道として、関東からもずっと注目していたのが北陸本線でした。 特急街道の中心駅だった在来線金沢駅から、いよいよサンダーバードとしらさぎも飛び立っていきます・・・。※関...
北陸本線大聖寺駅を訪れてきました。 いよいよ北陸新幹線敦賀開業が来週に迫り、大聖寺駅は北陸本線としての歴史を閉じようとしています。 かつては北陸鉄道も発着していたそうですが、これから三セク鉄道の境界駅としてどんな歴史を刻むのでしょうか...
廃止まであと半年に迫った、東横線桜木町駅を見てきました。(2003年訪問) 四六時中ステンレスカーが発着していた、立派な高架終着駅が無くなるとは、にわかに信じられません。 それでも、ローカル線廃止を悲しがる感覚とは全く別の、都市鉄道の...
廃止まであと半年に迫った、東横線高島町駅を見てきました。(2003年訪問) 反町と同じく横浜の隣駅なのに、それまで下車したことは無かったのです。 そこそこ利用者も見かけたので根岸線にホームを設置する話でも出るかと思ったのですが、地下鉄...
地下化まであと1週間に迫る、東横線横浜駅を見てきました。(2004年訪問) 素っ気ない高架駅でしたが、まさかみなとみらい線直通で地下化されるとは想像できなかったことでした。 東海道線ホームの小田原方で聞こえていたトラス橋の轟音も、20...
地下化まであと1週間に迫る、東横線反町駅を見てきました。(2004年訪問) もうふた昔前になるとは信じられません。今月で東横線の桜木町廃止・みなとみらい線直通からはや20年です。 未だに記憶は新鮮な気もしますが、反町、横浜、高島町、桜...
能登線の終着駅、蛸島を訪れてきました。(2004年訪問) かつて金沢から蛸島まで鉄道では3時間以上もかかり、能登半島の大きさを実感したものです。 鉄路が奥能登まで伸びていたことに当時は当たり前に思っていましたが、ファンとって幸せな時代...
箱根登山線の入生田から箱根湯本へ、残る踏切を見てきました。 箱根登山鉄道といえば、今春の会社再編では社名が消えてしまうようです(2024/1/24発表)。 沿線の登山鉄道らしい情景が急に消えることはないと思いますが、ファンとしては少し...
穴水から能登線の一駅目、のと鉄道中居駅を訪れました。(2004年訪問) 2024年元旦の能登半島地震はかなり地形が変動したことも衝撃でしたが、能登線が残っていたとしても大変な被害だったことでしょう。 現地へのお見舞いと復興をお祈りしな...
羽田空港2タミの展望デッキから、ポケモンお花ジャンボを見てきました。(2009年訪問) 2024年正月2日のC滑走路での事故はショックでしたが、基本的な動作がその後を大きく左右することを再考させられました。一方全員脱出できたJAL機のニ...
水車踏切の行方が気になり、箱根登山線風祭駅を訪れました。 以前あった踏切存続検討の告知は無くなっていて、当面は残る感じなので安堵しました。 しかしそれもつかの間、風祭駅の構内踏切が廃止になっていたのは驚きでした。立体化はあきらめ、至近...
沿線の紫陽花でも有名な、箱根登山線宮ノ下駅を訪れました。(2021年訪問) 宮ノ下温泉ホテル・旅館への下車駅ですが、2月からは無人駅になってしまうようです。(2023/12/27発表) 観光地への玄関口なので、せめて観光案内の人とかが...