木造駅舎が残る交換駅、宗谷本線雄信内を再訪しました。 想像はしていましたが、やはり抜海、南幌延、雄信内、宗谷本線3駅廃止の知らせはショックです(2024/12/13発表)。永年の歴史も、たった「ご利用の少ない駅を見直します」の告知だけで...
もう1両元小田急線2320形も甲府盆地に保存されていたが今は幻に
甲府盆地にもう1両「いた」元小田急線2320形を見てきました。(2004年訪問) 富士急線に元2200形系列4種全てが譲渡されたのは、ファンにとって喜びでしたが、そう長くは続きませんでした。 今は撤去されましたが、中央本線沿いの甲斐市...
新潟交通の廃線跡歩き、最後は越後大野~新大野です。(2022年訪問) 昨年開業した宇都宮LRTを見ていると、人口51万人規模でLRTが成り立つのなら、人口76万人規模の新潟(5月末現在)でもやっていけるのではと思うほどです。 新潟交通...
国鉄型電気機関車EF64 37「ELぐんまよこかわ」が横川で発車待ち
横川で発車を待つEF64 37を見てきました。(2021年訪問) とうとう、高崎地区の電気機関車とディーゼル機関車が引退するようです(2024/6/6リリース)。これにより、この地区で残る国鉄型機関車が蒸気機関車だけになろうとは、またも...
富士急線に譲渡された元小田急線2200形が甲府盆地で保存されていた
甲府盆地に保存される、元小田急線2200形を見てきました。 先月西武線へ8000形が譲渡されましたが、小田急線通勤車が他社線へ譲渡されたのは富士急線と新潟交通以来でしょうか。 ちょうど20年前になる2004年、甲府盆地に元富士急線57...
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木造駅舎が残る交換駅、宗谷本線雄信内を再訪しました。 想像はしていましたが、やはり抜海、南幌延、雄信内、宗谷本線3駅廃止の知らせはショックです(2024/12/13発表)。永年の歴史も、たった「ご利用の少ない駅を見直します」の告知だけで...
急行停車駅で交換駅だった宗谷本線佐久を再訪しました。 集落の玄関にも見える立派な駅舎があるのに、交換駅では無くなることが信じられません(2024/4/25発表)。 佐久からも、抜海からも、交換設備が無くなると、これから宗谷本線のダイヤ...
弘南鉄道大鰐線の、中央弘前駅を訪れました。(2013年訪問) 以前から厳しい状況は伝わっていましたが、とうとう大鰐線も2027年度末での休止が報じられました(2024/11/27報道)。奇しくも久留里線部分廃止のリリースと同じ日でした。...
久留里線上総亀山駅を訪れました。 とうとう、久留里線は久留里~上総亀山の部分廃止に向かうようです(2024年11月27日リリース)。この地球温暖化のさなか「自動車中心の交通体系」にしたいとは、相当な利用者減少が続いているのでしょう。 ...
2013年の小田急線地下化から11年、全面オープンから2年たった下北線路街を歩いてきました。 今日は下北線路街「おだきゅうまつり」だったようですが、6月1~2日には「下北線路祭2024」がありました。 すっかり旧沿線の景色ともなじんで...
2013年の地下化から11年、東横線地下化跡地を歩いてきました。 今まで街を横切っていた高架鉄道が消えるというのは、なかなか信じられないことでした。 跡地は「LOGROAD代官山」「SIBUYA BRIDGE」「渋谷リバーストリート」...
開業2年目の宇都宮ライトレールを訪れました。 あの熱かった開業日が昨日のようですが、開業1周年おめでとうございます。利用者数は順調に増えているそうで、うれしい限りです。 今回は、LRTを飛山城跡で下車して、鬼怒川橋りょう辺りを巡ってみ...
名鉄美濃町線が全廃になる前年、新関を訪れました。(2004年訪問) 宇都宮LRTを見ていると、今更ながらなぜ岐阜では市内電車を手放してしまったのか、と思います。当時から環境問題やコンパクトシティも言われていたのに、本当に残念なことでした...
線路端のその先へ、久々の航路紀行は黒部湖遊覧船「ガルベ」です。 夜行特急アルプスで信州入りした日、未乗だった立山黒部アルペンルートの大町側を巡ったのです。 なんと、日本最高所という黒部湖遊覧船が今年限りとのこと。「ファイナルクルーズま...
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その2) 朝の白馬で夜行列車を降りた日は、普段と比べて1日が本当に長く感じられました。やはりスタート時間が早いから、そしていつもと違う景色を見るからでしょう。 朝起き...
旧駅から後退した室蘭本線室蘭駅を訪れました。(2010年訪問) 昭和の空中写真を見ると、室蘭港周辺は線路が張り巡らされていたことに驚きます。時代の流れといえばそれまでですが、港湾地区の貨物輸送を失った鉄道は、存在価値が低下したのは確かで...
高架化工事が始まっていた予讃線松山駅を訪れました。(2019年訪問) いよいよ先日2024年9月に松山駅は高架化され、特急列車の縦列停車は解消し対面乗り換えになったようです。 ただ、駅のすぐ横に車両基地と貨物取扱があった主要駅が、また...
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を再訪しました。(その2) 先日もNHKニュース「おはよう日本」で稚内支局の記者と首藤アナが、抜海駅廃止を全国に紹介していました。これほど有名になるのなら、逆にしばらく残った方が北海道にお金は落ちる...
とうとう復活した中央東線の夜行列車、臨時特急アルプスに乗りました。(その1) ご祝儀客も多いのか車内は満員状態で、登山者を含めて多くの人たちが信濃大町や白馬まで向かっていました。今まで無くなる一方だった夜行列車ですが、よくぞ復活したもの...
この夏は稚内まで北上し、宗谷本線抜海駅を訪れました。 交換駅だった抜海駅は結局来春廃止になりそうですが、なんと一足先に今月24日から2線のうち1線は使用停止だそうです(2024/4/25リリース)。 わざわざ本州から訪問する理由になる...
相鉄いずみ野線ゆめが丘駅前、ゆめが丘ソラトスへ開業翌日に訪れてきました。 ゆめが丘駅開業の時以来、駅前の今後が気になり続けて二十数年、ようやく目に見えて整備が進んだ感じです。 相鉄線の中でも、鉄骨アーチのホーム覆い、ゆめきぼ切符、駅近...
夜行列車だけではないですが、テールランプはみな赤色に決まっているようです。 赤く光る夜行列車の最後尾を見ていると、何となくもの悲しく感じたのは、走り去るものだったからでしょうか。それとも消えゆく存在だったからでしょうか。 今まで数々の...
フェリー船内には到底かなわないとはいえ、夜行列車の狭い車内でもそれなりに時間の過ごし方を選べました。 人それぞれでしょうが、自分は長い夜行列車の乗車時間も苦にならない方です。車窓を眺めるのが好きなのと、本でも読んでいれば暇なく過ごせまし...
夜行列車に乗るために、ホームで長時間待った時代もありました。 一番思い出深いのは165系急行型電車時代の大垣夜行で、東京駅や品川駅のホームにどれだけ並んだことでしょう。でも旅はそこから始まっていました。スマホも無い時代でしたが、並びなが...
夜行列車に乗る前に一度は確認する、駅ホームの発車案内表示。 近郊の行先が表示される中、これから向かう遠方の駅名を見つけた時、旅先へと気持ちは高ぶります。かつてのパタパタ回転表示はすっかり消え、最近は液晶のような表示も広まっているので、L...
小田急鉄道展2015で、ロマンスカーVSEを間近に見てきました。 とうとう今月2023年12月で運行を終えたVSEですが、意外と短期間の活躍で終わったしまったのが未だに信じられません。 連接車体、展望席、これから小田急ロマンスカーはど...
北陸新幹線の敦賀開業時に閉所される、金沢総合車両所「松任本所」を見てきました。 近くに新幹線白山総合車両所が出来、一方国鉄主要工場だった旧松任工場が消えるのは、時代の流れとはいえ信じられません。 金沢総合車両所になっても、「松任本所」...
北海道新幹線を降りて、キハ40で函館駅へ向かいました。 いよいよ北海道でもキハ40が最終期になり、普通列車では2025年春迄になるようです(2023/11/24道新)。わざわざ新聞記事になるのも驚きですが、多くの人に知られている存在なの...
氷見線の終着駅氷見駅を訪れてきました。(2017年訪問) なんと氷見線と城端線が、本当に「あいの風とやま鉄道」へ移管されるようです。(2023/11/29 NHK) 氷見線は高校時代に旧型客車で乗っていたので思い入れがあり、まさか三セ...
函館本線は砂原線の池田園駅を訪れてきました。(2021年訪問) 観光地大沼公園も近く、辺りは穏やかな住宅・別荘地のようでした。今も暮らす人たちがいます。 地方線区はバス停のようなきめ細やかな集客も必要と思いますが、とはいっても維持費は...
鶴見線の車庫がある弁天橋を訪れてきました。 いよいよ12月から新車E131系が運転開始だそうで、鶴見線の205系時代も終わりが近づいたようです。(2023/11/1発表) 205系導入当初は鶴見線までもステンレス車かとがっかりしたこと...
城端線城端駅を訪れてきました。(2017年訪問) 一時はLRT化の話も出ていた城端線ですが、なんとあいの風とやま鉄道へ移管される方向になるそうです。(2023/9/7報道) たしかに、新幹線新高岡駅への接続を良くするためにも、地域一体...
2020年へ新宿駅で年越ししていた、8000形10両編成を見ました。 小田急線8000形でやはり最近驚いたのは、誰もが想像しなかった?西武線への譲渡です。(2023/9/26リリース) これで8000形が少し長生きできると安堵しながら...
小田原駅が橋上駅舎化された翌日、新駅舎を見てきました。(2003年訪問) 2003年3月30日に小田急線・東海道線小田原駅が橋上化されてから、早くも20年がたちます。当時の小田急線ホームは、アイボリー色の通勤車がまだ多く発着していました...
新幹線開業翌日に、長崎本線西諫早駅を訪れました。 西九州新幹線開業から1年、そして西諌早が非電化化されて1年がたちました。今まで並行在来線は、新幹線開業による廃止はありましたが、廃止以外で架線が撤去されるのは初めてでしょう、しかも一部は...
来年北陸新幹線を迎える福井駅を見てきました。 いよいよ先日、敦賀までの新幹線試運転開始が報じられていましたが、新線開業にまた胸は高まってきます。 福井駅には高架化後初めて下車したのですが、在来線ホーム2面4線(+越美北線)に加えて新幹...
宇都宮ライトレールの開業日、営業開始一番電車を見てきました。 まさかねと思っていたら、とうとう実現されました、ライトレールの新線開業。とても信じられない思いです。 日本でもやはり環境の大切さと、コンパクトシティの思想が広まってきた証し...
厚木、三沢、瑞穂、横田、の次は、鶴見線の(旧)浜安善を訪れました。 米軍基地への鉄道輸送も、ここ浜安善発が最後になるのでしょうか。 いわば前回の世界大戦後の名残りともいえる、貴重な光景を目に焼き付けてきました。※関連記事 今なお残る...
小田急線の多摩川鉄橋を訪れてきました。 そういえば一昔前、鉄橋付近はバーベキューを楽しむ人たちで賑やかすぎた感もありましたが・・・、それも今は昔。 今一番賑やかなのは少年チームのかけ声、あとはボールで遊ぶ人、走る人、釣る人、寝る人、撮...
屋久島のトロッコ道を少しだけ歩いてきました。(2011年訪問) 現代に残る森林軌道は奇跡としか言いようがありません。今まで書物の中だけだったものが、直接見られて感無量でした。 今回は島も周回したかったので、40分ほどの滞在でしたが、そ...
かつて山陰を延々と浜田まで、寝台特急出雲で乗り通したことが忘れられません。 日本海側沿いの非電化単線をディーゼル機関車に牽かれて坦々と走る時間は、永遠に続くかのような貴重な時間でした。 東京と日本の各地を鉄道で直結していたブルートレイ...
西鹿児島までの「はやぶさ」には乗れませんでしたが、熊本から「はやぶさ」で帰京したことがありました。 関東から九州への旅行というと、多くの人は飛行機でしょうが、中には自分のように鉄道でという人もいると思います。そんなときに片道は新幹線でも...
はるか長崎まで、東京から夜行列車1本で行けたのは素晴らしいことでした。 北海道へと共に九州への夜行列車が1日1本でも走れば、日本の鉄道旅行はまた変わると思うのですがどうでしょう。 乗ることが目的の観光列車が各地で盛んですが、そこへ行く...
ブルートレインでも元祖といわれた夜行「あさかぜ」すら消えてしまったのは残念でした。 その後「サンライズゆめ」下関発に名残が残ったりしましたが、それも最近見られなくなっています。 東海道山陽というメインラインには、新幹線に次ぐ第2の選択...