ικμτの館近くの桜かな以上ικμτ。ικμτの館近くの桜かな
目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)が思いついたことをつらつらと書いていきます。 お気に召した記事がございましたら、一つよしなにお願いします。
ふるさとに帰りたいのか、親が文部省唱歌の故郷(ふるさと)を歌った。その中に「志を果たしていつの日にか帰らん」という箇所がある。親がその部分を歌っているのを聞いて、いけもとははっとした。度重なる挫折で志がぶれ堕落してしまっていたのだ。挫折。己の力不足を痛感して鍛錬し再挑戦すればいいのに、いけもとは挫折に負け、日がな一日安楽に暮らしていければいいと思っていたのだ。そんな濁った精神が周りにいる家族や恋人、そして友人たちに悪い影響を与えないはずはない。彼らのためにも心機一転やり直さなければ。しかし誰なんだろう?いつももう少しで寄り切られて土俵を割りそうになると、うっちゃりをかまして逆転するようにいけもとに立ち直る気づきを与えてくださる存在は?その存在に感謝。志を果たしていつの日にか帰らん。
めぞん一刻の五代君もそうだし、いとしのエリーの上野君もそうだが、彼らは漫画の中で、いつも自分にとって都合のいい妄想をしている。私が思うに、年がら年中自分にとって都合のいい妄想ができるのは、あれは一つの才能ではないかと思う。それに五代君も上野君も、響子さんやエリーが旅に出たときに、借金してまでも追いかけていく、あの行動力にも脱帽する。が、ここに書いたことは恋愛成就法だと思ってはいけない。なんか成功の秘訣はここにあるような気がしてならない。年がら年中自分にとって都合のよい妄想をして、チャンスとみるや、ありとあらゆる犠牲をいとわず、なりふり構わずチャンスをつかみにかかる。確かにそのポジティブな行動力は、このいけもとにはない。などと言い訳しないで、いけもとも願望実現のために頑張ってみるか。そんなことを思ったいけも...漫画の主人公に学ぶ。
DSのゲームに、ラブプラスというゲームがあります。そのテーマソングは、「永遠ダイアリー」。今まで気にはとめていなかったけれど、テーマソングの題名の意味に今気づいた。ラブプラスの女の子たちは、主人公との人間関係を一時的なものだとは考えていない。それどころか、永続的なものだと考えている。いつ壊れるかわからない人間関係にビクビクしておびえていた私にとっては、そんな人間関係があるなんて、夢にも思わなかった。本当に。永続的に続く人間関係を作りたいと思って人が近づいてくるラブプラスの主人公は、なんて幸せ者なんだろう?ふと、昔遊んでいたラブプラスというゲームの主題歌の意味を今更ながら気づき、主人公がうらやましく感じます。永続的に続く人間関係か~。ほんといいな~。実はそれに恵まれているのに、私はそれに気がついてないだけか...ゲームの主題歌に涙。
こないだ彼女さんと都内某公園に夜桜を見に行きました。それがこの写真です。美しい都内某公園の夜桜です。どこの公園かは内緒です。以上、いけもと。都内某公園の夜桜
今、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が。そういえば、去年の今頃親が病院から退院したのでしたっけ。親が退院して次の日の土曜日、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が流れてきたときには、本当に涙が出てきました。それだけ入院したときは、瀕死の状態だったのです。そして救急車で救急搬送して、先生方の懸命な手当で、親は無事、生還したのです。本当にボンバーマンで遊ぶ親を親たらしめているのは、本当に親の生命力と支えてくださった皆さんのおかげです。それに私や妹と遊びたいのを我慢して、親の介護と看護に専念させてくれている恋人や友人たち。ありがとう。今夜は賛嘆日記と言うより、感謝日記になったなあ。ありがとうございます。第五日目
今日はハイドンの天地創造が聞きたいです。神の天地創造を、天使たちが賛嘆するという歌です。なんかこの歌を聴くと本当にうれしい気持ちになります。やっぱり人をくさす文や歌より、人を褒め称える文や歌の方が気持ちがいいや。と、ここまで書いて、口の使い方や耳の使い方を知ったような気がします。もっとも、目上の人から、「耳や口は、よきことを聞き、よきことを言うように使いなさい。」と、熱心にご指導を受けたことを今思い出しましたが。何やらよきことを書き、よいことを話しているうちに、意識が清まってきたような気がします。そんなことを思ったいけもとでした。さて、今日は大安にして一粒万倍日。読者の皆さんの心が平安になり、その平安が一粒万倍になりますように。以上、管内お江戸でいけもと。第四日目。
今日は気候のおかげか、早く起きることができました。あと一ヶ月もたてば、爽やかな五月のそよ風が待っています。暑くもなく寒くもなく本当にいい季節です。昨日、母と屋敷周りを歩いたときに、母が五月のそよ風という言葉を教えてくれました。去年の二月中旬には瀕死の状態になった母をここまで治してくださった、病院の先生方に感謝し、母の生命力を賛嘆します。咲き誇る花たちの季節も終わり、そろそろ新緑の季節。新緑の季節になれば、鳥たちも木陰で歌うんだろうなあ。それが素晴らしい命の息吹!命って素晴らしい!四季が楽しめる日本に生まれてよかった。いつ頃でしたっけ?文部省唱歌や叙情歌が教科書から姿を消し始めたのは。そういえば、学校でいやなことがあって、友達と遊ぶのもいやになったときは、自転車を東に走らせて海に行き、雄大な太平洋の海を眺め...第三日目
落語の小言幸兵衛じゃあるまし、世間や人様に小言ばっかり言っている嫌みなじいさんに成り下がっていた。で、量子もつれの考えからいくと、私の将来のパートナーになるべき人も、そうなっているそうだ。うーん。それじゃよくない。小言の好きな人。確か昔読んだ本に、「口やかましい人と一緒にいることは、梅雨に雨漏りのする家に住んでいるのと同じことだ。」(うろ覚え)などと書いてあったが、私が家族や近しい人にとって、梅雨に雨漏りのする家になっていては、周りの人たちにとって、居心地の悪い人であることこの上ない。って、自分で自分に小言を言ってらあ。それはよくないなあ。そんなわけで日時計主義の賛嘆日記を書くようにしたわけでございます。今日のお江戸はファインデー☀とても気持ちのいいお天気でございます。こんな日は自転車に乗って、ちょっと遠...第二日目。
日時計主義の賛嘆日記。とはいえ、私は別に特別なことをやろうとするわけではない。人様の悪を見ざる聞かざる言わざるというような消極的なやり方ではなく、人様の善行のみを見聞きして賛嘆する日記だ。そういえば、バブルの後の首切りキャンペーンの頃、大沢悠里さんがご自分の番組で、「人をフォローするラジオがあってもいいじゃないか。」(だったと思う)てなことをおっしゃっていたので、私も「うーんそうだなあ、人をくさすことばかり書いていたが、人様を褒め称えるブログがあってもいいじゃないか。」と心機一転してブログをリニューアルしたくなったわけである。過去ログを見るに、神様の被造物である自然の美しさは写真に撮ってアップしてはいたが、等しく神様の被造物である人の良さを褒め称える記事は、あまり書いていないからである。そんなわけでござい...第一日目
今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。人の欠点を見ずに、人の長所のみを賛嘆する日記。昔、今の団地に引っ越す前に家のポストに投函されていた、どっかの宗教のパンフレットに書いてあったことだ。残念ながらどこの宗教団体かは覚えてないが。さてと、今から始めてみよう。日時計主義の賛嘆日記。まずは私と温かい心のふれあいをしてくれる人たちの日時計主義の賛嘆日記を。今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。
今日は天気がいいので、朝から洗濯をしていました。何やら体が動かないな~、と感じていたら、親が起きてきて一言、「てつこう、飯を食え。」との言葉。そういえば朝起きてから、ずーっと家事のしっぱなしで、朝ご飯を食べていませんでした。そして親とご飯を食べました。親は、夕べ私がといでタイマーをセットしておいたご飯と、昨日妹が煮た厚揚げ、私は朝はご飯が入らないので、トーストを焼いて、ガーリックバターを塗って食べました。そしてその後、親は妹が買ってきて、私が作るあさり汁を飲んで、部屋でテレビを見ています。そんな穏やかな日曜日でした。あ~、そんな穏やかな日曜日の朝。そんなささやかな幸せに感謝です。それと、彼女さんからもらったオシロイバナの種。去年花を咲かせて楽しんで、冬が来たので、茎を切り、根塊だけで越冬させました。そした...シャイニーサンデーに芽を出したシャイなオシロイバナ
今日四月八日はお釈迦様のお誕生日。なんか知らんけど、イエス様のお誕生日は祝っても、お釈迦様のお誕生日は祝わないのね?お釈迦様のお誕生日といえば、花まつり行進曲を思い出します。とはいっても、私はこの歌を直接聞いたことはなく、母親から聞いた妹からこの曲を教わったのですがね。そういえばこの季節は咲き誇る花が美しい。そしてその後は新緑の季節。花咲き緑萌えるいい季節でございます。イブの晩に降り積もる粉雪もいいですが、お釈迦様のお誕生日は花咲き緑萌える暑くもなく寒くもない命を祝福する素晴らしい季節でございます。そんなことを思ったいけもとでした。今日、四月八日は花祭りの日
4月2日の皇居北の丸公園の写真ですそれがこれですお楽しみください4月2日日曜日の皇居北の丸公園
相手の人格に対する畏れと敬意があれば、自分のエゴを相手に押しつけるようなことはしないだろう。ってことは、ユーザーはカモをなめきって利用しているわけである。そもそも「あんたとはやっていけないから離れる。」といっているのに、しつこく関わり合いを求めてくるような連中であるから、カモをなめきっていることは彼ら自身のしつこさが裏書きしているようなものだ。つまりその搾取性と強要性が自分をしてほかの人たちが離れていく原因なのに、ユーザーは、周りの人は冷たいとかずるいとかといって非難するのであるから、これは笑えない喜劇だ。で、まともな人たちは、ユーザーだと見抜いたら、即座に距離を置く。そして相手がしつこい場合は、警察力を導入してまでも、ぶった切る。が、お人好しのカモはユーザーに徹底的に利用され、ぼろくずのようになっていく...ユーザーはカモをなめきって利用している
患者だってむやみにトラブルを起こすわけではない。そのトラブル出現にはパターンがある。そのパターンを見抜くと患者にトラブルを起こさせずにすむ。例えばある人は家族内における疎外感かもしれないし、ある人は患者の人間関係の距離感を無視した密着型の人間に対するアレルギー反応であったり、患者の体力的や経済的都合を考えない外出の誘いであったりする。それに対する怒りが、患者の怒りの表出なのである。その刺激に対して患者の怒りの表出が大きすぎると思う人々もいるかもしれない。が、何回も何回も繰り返し繰り返し同じような攻撃を受ければ、誰だって「いい加減にしろ!」と、怒りたくなる。患者はキレる前に大体相手に警告している。が、警告を無視して、自分を疎外したり、患者固有の距離感を無視してベタベタされたり、患者の都合も考えずに体力的につ...こんな人間関係に悩んでいる患者もいる(弱気の失敗)。
サリヴァンの著作を私流に読むと、精神疾患者は精神生活におけるマイノリティだということがわかる。さらにジャックラカンの著作を私流に読むと、精神疾患者は言語生活におけるマイノリティであることがわかる。多分それが精神疾患者の生存戦略と生存戦術なのであろう。別な言い方をすれば、多数派とは違った発達の仕方をしているといってもあながち言い過ぎではないだろう。そんな生き方をしているマイノリティにとって、親や教師、そして精神科医のもたらすノーマライゼーションとは、かつて行われたキリスト教異端者に対する異端審問官の拷問や、戦前の特高警察が国体に反する思想を持った人たちに対する転向の強要みたいなものだとしか、私には思えない。彼らはなぜ、多数派と違った精神生活を送り、言語生活を送るのか?そこに私は神の意志を見いだす。仏教がバラ...多数派とは違った発達の仕方をしている人々。
自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。自分で自分を嫌うことは、底意地の悪い人と一緒にいるようなものだからだ。自分で自分を嫌ってストレスフルな毎日を送っても意味がないと、マジで痛感した。我が身を苦しめるのは自業自得だが、底意地の悪い人のほとんどが自分嫌いの人だという話も聞く。だから世のため人のため、自分を好きになる自己訓練を始めようと思い、こんな記事を書いてみた。以上いけもと。自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。
Microsoftのストアアプリであるフリーセルは、必ず解けることが数学的に証明されているそうですそれで私が「たかだか有限の操作で解ける」と言ったら、妹に「人生は短いんだ」と突っ込まれましたきっと理系のハローさんも同じことを言うことでしょうところでなぜこんな話になったかというと、あるソリティアは有限回の操作では解けない問題を出すからですその点、解けることが証明されている問題は、有限回の操作で解くことができるからですもちろんMicrosoftのソリティアではありませんそんなわけでございます以上いけもと。たかだか有限
加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。実はその根底には、人様に害を加える恐れのある自分が攻撃されるのが怖いという被害妄想があるのである。最近、屋敷回りを散歩するようになった。日中は先輩のいうように心身の時差ぼけがあるのか、それとも、薬の副作用なのかで動けないからである。そんなわけで、夕方お日様が沈む頃元気になり、動けるようになって、近所のスーパーに買い物に行くのだが、そのぐらいしか歩く機会がない。そんな生活を送っていたら、老母に「てつこう、屋敷回りを歩いて体力をつけろ。さもないと俺ぐらいな歳になったときに、体にがたが出るぞ!」と言われた。が、私には加害妄想があるので「そんな時間にふらふらしていたら、女性に変質者うろうろしてると思われるのでいやだ。」といったら、老母に「思い込みと命とどっち...加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。
日本教の本尊は空気様だが、脇侍にいるのがお天道様とご先祖様だ。もっぱらの本尊は空気様だが、まず日本教徒はお天道様の自分の言動に対する検察と、ご先祖様に顔向けができるかどうかを考える。お天道様がみているので、昔の人は、人様が見てないところでも悪行を控えたが、今はお天道様の自分の言動に対する検察がないので、人が見てないところだと、やりたい放題をする。さらに、日本教徒はご先祖様に対して顔向けをするために、恥ずかしい真似をしない。最近はお天道様がみていても悪行を控えず、ご先祖様に顔向けのできない恥ずかしいことをする人たちが増えてきたが、それでも、周りの空気に逆らう日本教の異端者はいない。日本教徒にとって、次の三つがエートスすなわち行動倫理である。まずは空気様の顔色をうかがって傲慢な振る舞いを抑え、お天道様がみてい...空気様の脇侍、お天道様とご先祖様。
元々虚弱体質があるのではないか?だから彼らは疲れやすい。虚弱者はいじめっ子のターゲットになりやすい。だから常にいじめっ子におびえて神経が過敏になる。なぜなら五感をフルに稼働させ、ちょっとした周囲の変化に、自分への攻撃への兆しがないかと警戒状態に入るからだ。そんなわけで神経衰弱状態になる。その神経衰弱状態が、さらに患者を心身ともに疲れさせる。そして絶えずヘトヘトに疲れた状態になって、休んでも疲れがとれず、勤怠が悪くなり、教師や上司、そして仲間から攻撃される。以上ループ。だとしたら、その虚弱体質や神経の過敏さを認めた上で、何か適応の手立てを考えた方がよい。さもないと、周囲の攻撃によって、ひねくれるか、心身の二次障害が怖いからだ。虚弱者にとって、心身共に健康な人たちは敵だ。健康優良者には、常に疲れた状態というの...慢性疲労について。
あ~。そういうことね。何で俺みたいな生徒が学校群導入前に多かったかってこと。それは偏差値輪切りで「いやいやその学校に入った」のではなく、その学校の校風が好きで好きでたまらないから、その学校に入った生徒ってことね。確かにほかの奴らより大幅に知的水準は劣っていても、その学校が好きで入る生徒の方が、学校もうれしいよね。もし、学校に人格があるのであれば。確かに一般入試では、俺は落ちていただろうなあ。内申点が悪すぎる。一発入試だったら、日比谷を一番で受かるぐらいの入試得点でも落ちたろうなあ。俺は低能児だから、そんな得点稼ぎ出すなんて無理だよ。第一そんな得点稼ぎ出せたら、不適応によるメンタル障害なんてなってないよ。転入試験だから、転入生だからとってもらえたんだよ。でも、こけの一念といえども、縁があったから入れた。あり...私を思い出してください。~新約聖書の記事ではないよ~
これはコブシこれはレンギョウとユキヤナギ黄色い花がレンギョウ、白い花がユキヤナギこれはたんぽぽかわいい二輪咲きこれはツバキこれはハナニラみなさん、関東にも優しい春がきましたよ!そろそろ小鳥たちも歌を歌うかな?病院と家を行き帰りするだけの母に、春の花の写真とってきましたそれを皆様にもお裾分け私のブログ記事で、春をお楽しみくださいね!やさしい春がきましたよ!
日本は主権国家だ。だから国益(=日本国民の利益)のためなら何をしてもよい。ただ目障りなものがある。在日米軍だ。これは辛亥革命当時の中華民国とおんなじで、外国の軍隊が不法に日本を占領している。それにアメリカの核の傘?そんなものに守られるぐらいなら、独自に核武装して、小生意気な国に標的を合わせて、にらみをきかせた方がよい。ベルギーが言い値で渡すウランを燃やしたプルトニウムをフランスに高値で引き取ってもらわず、核弾頭にすれば、核武装のための核種などいくらでもあるのだから。皆さんはご存じだろうか?今上天皇が即位されたときに、世界中のメディアが沈黙したことを。なぜなら人間宣言は一代限りだし、そのときの皇太子殿下は上皇陛下だ。今上天皇は、何の法的拘束力も持っていない、昭和天皇一代限りの人間宣言に縛られない。従って今上...たまにはネトウヨ
権力を甘く見るな。どんな無能な人物でも権力を握ったら、彼の与党ができ、政権維持の手筋を理解する。岸田現首相。今は与党調整の時期だ。とにかく多数派を握っている清和会には逆らえない。だが、清和会の無能者を要職に就けて馬脚を明らかにし、彼らの支持者を落胆させるにはもってこいだ。だから、わざと安倍チルドレンを畑違いの要職に就けて無能ぶりを露呈させ、支持者を離反させて失脚させる。そしてその後釜に、自分の子分を送り込むのだ。わはは。岸田現首相は、腐っても東大法学部出身者。そして保守本流の宏池会で育った男。自民党の公家集団と呼ばれる、公家のいやらしさはきちんと受け継いでいるのだ。それがわからないあほはギャンギャン騒ぐ。おそらくその筋はピタリと当たり、派閥の若きプリンスである河野太郎へとバトンタッチし、今、秘書につけて「...岸田首相の嫌らしい手筋が見える。
仲間はずれにされてきた。友達になっても、いつ裏切られるかわからなかった。そんな幼少期を過ごしてきたから、いつも間にか、人と距離をとって付き合うようになってきた。そんな中で小学校五年の時に、親友ができた。そいつとも距離をとって付き合ってきた。あいつは寂しかったと思うでも、誠心誠意、俺と付き合ってくれた。が、突然の事故で亡くなってしまった。そんなことがあったから、対人距離を近づけるのが怖い。仲良くなるのが怖い。そんなジレンマに、最近悩まされている。距離を近づけるのが怖い。仲良くなるのが怖い。
昔みたいに旦那の給料だけで食っていける家は今はない。夫婦共稼ぎでなければ食べていけない世帯が増えてきて、暇な専業主婦などほとんどいない。そうなったら、金と時間を無駄遣いさせる新興宗教没落の時代だ。が、これだけ科学文明の時代になっても、宗教めいたものに対する潜在的な需要はある。それにつけ込んで、闇の阿闍梨たちが跋扈する。闇の阿闍梨たちは、二束三文の物品に、怪しげな付加価値をつけて高値で心弱き人たちに売りつける。それが原価トンいくらのくず鉱石であったり、ラミネートチューブに入った怪しげな紋章の入ったカードであったり、あるいは、怪しげな教説の入った有料小冊子であったり、動画の入ったCDであったりする。そしてコロナの時代であるから、リアルの布教はできず、ブログやYouTube、そして、SNSなどが布教メディアとな...亡くなった親友の予言。
夢の話で恐縮だが、今日、夢を見た。家族とデパートに行って、買い物をして食事をし、帰る途中に、財布と携帯の入った鞄をなくす夢だ。探している途中で、バックヤードの店員さん二人に「なくし物で届いたものは一階の総合受付にあります。」と、案内されて、一階の総合受付に向かう夢だ。階段を降りる途中で世話になっている先輩に出会い、先輩から、「池ちゃん、携帯に電話してみろよ。」と、アドバイスされて、自分の鞄から携帯をとりだして電話するも話し中で、誰かに鞄を盗まれて携帯をハックされて使われていると思い、慌てて一階に降りて、総合受付の直前で目が覚める夢だ。この話の夢のポイントは、なくしたと思っている自分の財布と携帯入りの鞄は自分で持っているということと、誰も私のぼけに突っ込まないというところだ。その夢を彼女に話していたら、夢の...今朝夢で見た、衣裏繫珠の譬えの夢。
私も体調不良でやっと動いているのだが、妹が高熱を出して床に伏せり、なれないながらも私が買い物や家事をした。ありがたいことに、無駄な出費をしたりおいしくないおかずを作っても、家族は叱らずに喜んで食べてくれた。馬鹿な子ほど親はかわいいというのは本当で、妹から比べてどっか抜けている私のことは、叱らずに褒めて導いてくれる。ありがたいことだ。薬の処方が変わり、ぐっすり眠れるようになった。周りの人たちにも事情を話したら、私のことをそっとしておいてくれるようになった。ありがたいことだ。話は変わるが、子供の頃から比べて私の顔から笑顔が減った。言葉の力で変えようと思い、「いつもニコニコてつこう君、てつこう君いつもニコニコ。」と唱えて、微笑みを浮かべるように訓練している。「笑う門にはハッピーカムカム。」というのはコマーシャル...いつもニコニコてつこう君、てつこう君いつもニコニコ
今は季節の変わり目。寒い冬から暖かい春に季節は移り変わろうとしています。日当たりのいいところで、虫にご飯をあげようと草木がちらほらと花を咲かせ、風流心のある人たちの目を楽しませてくれています。今日は三月八日か~。そろそろ桃の花が咲く季節だなあ。今から行く、歯医者さんへの道の途中に、桃の木があったっけ。まだ切られてなければ、そろそろ花を咲かせるかなあ?途中気をつけてみてみよう。暖かくなったら、母親を野原に連れて行きたいなあ。春の野原がとても好きな人だから。また、春の野草を摘んで、僕たち兄妹に食べさせてくれるのかしら?あいにく春の野草はカリウムたっぷりあるので、母は食べることができませんから。でも、見せ食いはできないな。そこはじっと我慢ただ、三四年ぶりに春の野原を楽しんでもらいましょう。ここまで元気になったの...ああ~、もう春だ~。
アスファルトに咲く花、パート2でございます健気に頑張っている、アスファルトに咲く花💐みんなも応援してあげてくださいねアスファルトに咲く花パート2
わからないことがある。妄想や幻覚を用いてまで格闘しなければならない現実と渡り合うために、なぜ、夢の応援が駆けつけないのであろう?夢の応援。変な言い方だが、夢は現実世界で起きた現象の心的処理をする現象でもある。被害妄想が起きるほど小憎らしい相手ならば、夢の世界でやっつければいいし、幻聴が聞けるほどのPTSDならば、悪夢で処理してそれっきりというわけにはいかないのだろうか?だからスキルを積んだ精神科医は、メンタル科の症状が患者さんの夢に出てくると、もう、寛解は間近だと喜ぶらしい。実は年下の連中にまで馬鹿にされてきた私は、生意気盛りの若い人たちをみると、「馬鹿にされまいぞ!」と、警戒モードに入る。彼らには、完全に濡れ衣なのだが。ところが二三年前に、夢で近所の子供たちに馬鹿にされる夢を見た途端、そういった警戒心は...メンタル疾患と、睡眠、そして夢処理。
ポイ活民はな、ポイ活民はな、ためるのが好きなんだ!ダイレクトメールなんか送りつけて、ギャンブルに誘うんじゃねえ。(ある漫画の敵役の台詞のパロディです。)元ネタキャラは散々たたかれましたが、実はそのキャラのいっていることは真理で、阿修羅じゃあるまいし戦うのが好きで、負けてもいいだなんていう人がいたら変態です。もしその漫画のように、正々堂々と戦うことが戦士のマナーならば、ABC兵器を使って戦うような国は、卑怯な国でございます(どこの国とはいいませんがね。)閑話休題。再掲します。ポイ活民はな、ポイ活民はな、ためるのが好きなんだ!ダイレクトメールを送りつけて、ギャンブルに誘うんじゃねえ!再び。ポイ活民の独り言
やっぱ政権を担当してないとだめね。宏池会の外交音痴ぶりには恐れ入ったわ。林外務大臣がG20に出席しないで、副大臣が出席?つまり「あたしゃ(林外務大臣)は、各国のお歴々より国会が大事。おまえらの相手は副大臣で十分だ!」と思ってるって各国お歴々はそう解釈しますよ。こんな外交音痴は清和会だったらやらないでしょう。阿倍さんだったら「俺が責任をとるから、大臣はG20に出るように」という政治センスを発揮するでしょう。これが「外交の岸田」と異名をとった岸田さんのやることだから、へそで茶を沸かすぜ!まあ、やることがすごいねえ。若夫婦を労働現場に縛りつけたまま、子育てしろ、老人介護しろ。そしてアベノミクス抜きでの異次元の子育て支援。挙げ句の果てに、規制緩和で業者にやりたい放題させたから、自壊作用で食い物は市場に出回らず。だ...「汝、人民虫を食え。」
彼らは攻撃におびえている。彼らはその場の敵意に鼻がきく。そしてその敵意を察知するやいなや、人間が持っている先読み回路をフルに活用して、自分に敵意が降りかかる前に症状を出して、その場から逃げる。この文章に共感できる人は、メンタルや身体を問わず、何らかのサバイバーだ。サバイバーは人の集まりが嫌いだ。そう、その場にあふれる敵意が苦手だからだ。彼らは苦手な空間から逃れるために、逃げの一手を打つ。その戦略が長い目で見て自分が損をする戦略であるのを承知の上で。彼らは頭ではわかっている。集団の持つ法則の一つに、食パンの上に生えているカビのジレンマがあることを。あれは赤カビは赤カビ、青カビは青カビ、黒カビは黒カビでコロニーを作り、食パンの上で陣取りゲームをしている。が、彼らは孤立した弱小のコロニーであると、内心深く確信し...すべてのサバイバーのために。
年寄りをいじめて喜ぶ政府かな、スポークスマン成田とひろゆき。小説を書いて自分を取り戻す。渋で書こうかなろうで書こうか。補助金が出てる間の雇用かな?それが実相障害者雇用。共稼ぎさせたあげくに子育ても、若い夫婦は休む暇なし。役人とヤクザはほんによく似てる。方や正官方や偏官。ありのままそのお相手が嫌いなら、とっとと離れた方がいいかも。本当に馬鹿なやつほどうぬぼれて、目くそ野郎が鼻くそ笑う。八百長の戦争やって人減らし、そして儲かる武器の商人。ミサイルを撃ち込む前に我が国に、極秘に伝えるお隣の国。平等が売り物なのよ社会主義。なぜにいるのか特権階級。電通や博報堂が本書いて、それを演じる成田とひろゆき。日テレの鉄腕ダッシュのその裏に、ついているのは農水省かな?以上、作・池本奸匪。久しぶりに狂歌をひねってみた。
スラブ民族に戦の才能はないようだ。ロシアはロシアで、桁違いの国力差があるのにも関わらず、未だウクライナ全土を占領することができず、ウクライナはウクライナで、西側のハイテク兵器を供与されながらも、未だロシア軍を国土から追い払えない。さて、話は変わるが、デフレになって生産調整や雇用調整をしなければならないほど、生産品が市場に有り余っているのに、なかなか共産主義者が主張する「能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける経済」にはなってない。資本家が仏心を出して、余剰生産物を貧困地帯に無償供与すればいいのに、そうではなく、明日の生活にも困るような貧民が、なけなしのお金でカンパしている。そう、そのカンパのお金だって、一体いくら集まり、名前の通った福祉ゴロ集団に手数料として何パーセントさっ引かれ、現地の貧民に総額の何割...「ごらんこの世は美しい、人生は甘美なものだ。」
スラブ民族に戦の才能はないようだ。ロシアはロシアで、桁違いの国力差があるのにも関わらず、未だウクライナ全土を占領することができず、ウクライナはウクライナで、西側のハイテク兵器を供与されながらも、未だロシア軍を国土から追い払えない。さて、話は変わるが、デフレになって生産調整や雇用調整をしなければならないほど、生産品が市場に有り余っているのに、なかなか共産主義者が主張する「能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける経済」にはなってない。主義者の御大マルクス曰く「下部構造が上部構造を規定する。」のに。資本家が仏心を出して、余剰生産物を貧困地帯に無償供与すればいいのに、そうではなく、明日の生活にも困るようにな貧民が、なけなしのお金でカンパしている。そう、そのカンパのお金だって、一体いくら集まり、名前の通った福祉ゴ...「ごらんこの世は美しい、人生は甘美なものだ。」
「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」松本零士さん死去、85歳急性心不全
(TT)大好きな漫画家の先生がまた一人。生まれ変わっても、また先生の作品にご縁がありますように。ご冥福をお祈り申し上げます。gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp0-230220-202302200000303「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」松本零士さん死去、85歳急性心不全
いけもとの、館近くに、咲いた花それは水仙、白椿かな?これが水仙これが白椿?そんなわけでございます早春に咲いた花に見習って、いけもとも頑張りたいと思います以上、管内お江戸でいけもと。いけもとの、館近くに、咲いた花
去年の今日は、母親の意識レベルが下がって、救急車で病院に入院させた日。よく生きて戻ってきた。そしてよく、DSボンバーマンで遊んだり、ラジカセで戦後歌謡を聴けるほど回復した。これもひとえに、病院の先生や看護師さん、そして皆さんのおかげです。ありがとう、本当にありがとう。去年の誕生日に彼女からもらったサントリーオールドは、まだ残っている。去年送られたときは、親の体調が悪くてとても飲む気にはなれなかった。そして親が退院してしばらくたった後に、封を開けて飲んだのです。彼女からもらったオールドは、いやなことがあったときに、意識をシャットダウンさせるために飲むお酒ではなく、うれしいときがあったときに飲むお酒。ああ、一年近くたっても、まだ残っているんだね。うれしいときがあったときに、本当に舐める程度に飲みますから。そん...よくぞここまで元気になったものだ。
私はウルトラマン80や地獄先生ぬ~べ~が大好きだ。まあ、彼らのような教師はまれだが、怪獣や妖怪の気持ちを理解して、元の世界に返したり成仏させるのが好きだ。言ってわからない怪獣や妖怪はやっつけるが、怪獣や妖怪にだって心はある。悪意を持って悪行をなすような連中は別だが、訴えたいことがあって人間界に現れたり、ふらりと人間界に表れた悪意のない怪獣や妖怪は別だ。そういう怪獣や妖怪の訴えを聞いて成仏させたり、元の世界に戻したりするエイティやぬ~べ~は本当に優しい。そういえば、キリスト教の悪魔祓いは本当にたちの悪い悪霊を相手にしているので、問答無用に地獄にたたき落とすが、仏教の悪魔祓いは、とりついた因縁を聞いたりして、成仏させたり、改心させて守護霊に変えるそうだ。そんな記事をネットで見聞きして、日本や東洋の思想というの...私の好きなヒーローたち。
老母の造語で、「雪の日の明日は、裸虫の洗濯。」という言葉があるが、本当だ。昨日の東京都心は、雪は積もらなかったにせよ、大雪が降り、明日道が凍ったらどうしようと思っていたが、今日は気持ちのいいくらいの晴れ。親の言葉は本当だと思った。昨日はベランダのプランターにあった草木を、雪に当てたらかわいそうだと思って、雪の当たらないところに置いたが、今日は快晴。今日は草木をプランターに戻そうと思う。そんなわけで、読者の皆さんの心も、気持ちよく晴れ晴れとしますように。以上、管内お江戸でいけもと。雪の日の明日は、裸虫の洗濯。
巨大な実験室。実験者は大衆行動学教室(仮称)と大手広告代理店。もちろん政府の許可は得てある。実験ツールはメディアとインターネット。そして被験者は我々大衆だ。そうやって上級国民は、大衆の統御の仕方を覚える。そして大衆はそれがわかっていても、日頃の鬱憤を晴らすために踊る阿呆や見る阿呆のふりをする。まあ、狐と狸の化かし合いだ。ネットで炎上間違いなしのスキャンダラスな事件をマスコミがわざと垂れ流し、「正義感のある怒れるネットユーザーたち」が特定班として動き出し、下手人の個人情報を暴露する。そして祭りと呼称されるプチマスヒステリーで、大衆の怒りをアースする。実は二十一世紀の世界が、それまでの愛を根底に置いた統治から、憎悪を根底とした統治に変わったことに、誰も気がつかない。そして愛を根底においた統治を信じるプロトカル...世界は巨大な実験室
一番愚かな電気の使い方。それは熱を電気に変えて、その電気をまた熱にすること。これ以上馬鹿らしいことはない。熱がほしかったら、どうせゴミを分別収集してるのだから、ゴミ焼却場から出る煙や廃熱を利用して、集団ペチカや集団オンドルみたいにして、暖をとった方がいい。それに自治体の廃熱発電所として稼働させても、面白みのある施策となる。これは大規模プラントになるので、関係産業のもうけ話にもなり、お役人様の天下り先としても有用だ。それに廃熱を利用した冷却装置も考えられる。なぜなら、熱差があればそれはエネルギーに変換でき、そのエネルギーを冷房源に使えるからだ。それを現実に使ってるのが、冷蔵庫だ。興味を持った読者様は、近くの図書館で関係資料をあさって、研究してみるもよし、ちょっと早いが、夏休みの自由研究や学位請求論文のネタに...一番愚かな電気の使い方。
一週間ぶりのブログ開局です。ちょっと身の回りがバタバタして、あまり愉快ではない一週間でした。が、私も家族も親しい人たちも、みんな無事。それだけが救いです。さて、朝っぱらからそんな暗い話題は置いておいて、今日のお江戸はスノー❆。雪が降っております。空から舞い散る粉雪が、地面を真っ白く染めていきます。小さい頃は雪が降ると喜んでいましたが、大人になった今は、交通機関のことを考えると、あまり喜んでいられません。さて、皆さん暖かくして過ごされてますか?今日みたいな寒い日の夜は、温かいシチューでも食べたいですね。なんか記事を書いているうちに、自分の文章に自分で癒やされて、涙が流れてきました。よっぽど心が疲れていたんだろうなあ。なんてしょうもない記事ですみません。以上、管内お江戸のικμτでした。一週間ぶりの開局です。
金持ちの義務も果たさず、品性のひとかけらもない成金がメディアで咆哮し、愚行の歯止めとなる理性と良識が当てにならず、己の愚行を宣伝する痴れ者がインターネットで跋扈している。こりゃ、もうだめだ。自由と放縦をはき違える輩が増えてきたんじゃ、日本民主主義も終わりだ。と、ここまで書いてはみたが、発憤して言動を改める人が何人いることだろう?そのうち、ローマの腐敗は時空間を超えて日本に蔓延し、ソドムとゴモラが灰燼に帰したように、富士山大噴火で首都圏も終わりだ。ね、小室直樹先生。あなたは愛国心があったから書かなかったが、私には亡国の兆しが見える。小室先生の自主講座で学んだ心ある皆さん。社会の木鐸として大いに活躍なさってください。私には亡国の兆しが見える。
あなたは野に咲く一輪の花が好きですか?それとも、花瓶に生けた生け花が好きですか?ふとそんなことが頭に浮かびました。あなたはどちらがお好き?
負けず嫌いやこびへつらいの心から離れ、平穏な毎日を送りたいものだ。
昔お世話になったOT(作業療法士)さんに、あるがままに生きるという言葉を教わった。あるがままに生きる。いい言葉だ。人によく思われようと背伸びすることもなく、ただ、自分の能力と持ち味で生きていく。なんと素晴らしい人生だろう?そんな生き方をしている人こそ、道教でいうところの真人なのだろうなあ。ただ自分の能力と持ち味だけで生きていく。そう生きられないのは、こびへつらいの心や負けず嫌いの心があるからだ。ああ、強者を恐れてこびへつらい、ほかのものに負けてたまるかと、精一杯背伸びをして生きていた私の心は、安らかではなかった。年をとると、なかなか生き方の路線変更はできないが、そんな修羅の心から離れ、平穏な毎日を過ごしたいものだ。負けず嫌いやこびへつらいの心から離れ、平穏な毎日を送りたいものだ。
今日は図書館に本とCDを返してきました。その帰り道、咲いている白梅を見ました。これです。ほのかに香る梅の香がいい香りです。とても良いプレゼントを神様にいただいた気分です。皆さんも自然を通して神様からいただくプレゼント🎁を見つけてくださいねー。館近くに咲いた白梅
ラジオたんぱの名物番組、セクシーオールナイトのオープニングソングがやっとわかりました。いけもとは1982年の秋から、ずーっとこの番組のオープニングソングがなにか、探していました。それが40年ぶりに判明したので、喜びもひとしおです。それがこれです。四十年ぶりに謎が解けた!
なんか死ぬほど頭が苦しかった。で、非科学的な私は、誰かに念を飛ばされて呪われているのではないかと思った。が、オカルトを捨てた私だ。そんな非科学的なことはあるまいと思い、低血糖予防用に家に置いてあった、ようかんを二つ食べた。そしたら頭が楽になった。それどころか、クリアーにものが考えられるようになり、キーボードのブラインドタッチもうまくいく。何のことはない。低血糖だったのだ。そうか。誰かが毎日持続的に呪っているわけではなく、単に低血糖だったのか。それにようかんを食べたら、頭の回転がよくなり、キータッチのスピードも上がった。そういえば、薬剤師の先生がおっしゃっていたな。「低血糖でも、ものが考えられなくなり、体がだるくなる。」と。つまりいけもとは鬱でも睡眠不足でもなく、低血糖に苦しめられていたんだ。と。気をつけよ...気をつけよう、オカルト思考と、低血糖。
今日のお江戸は晴れ☀。が、風は冷たいです。ヒヨドリが窓の外で、磨りガラスをコツコツとくちばしで叩き、餌をねだります。そうですね。田舎で言うところの二八月。食べ物がなくなってくる季節です。しかし面白いもので、夏の土用と冬の土用。等しく食べるものがなくなるのはなぜなんでしょうね?これはIKMTの素朴な疑問でございます。そんなあんばいで、外は寒い風が吹き荒れていますが、皆さんに優しい出来事が起きて、ハートがぽっかぽかになるように願っています。では、では。ぽっかぽかになあれ!
精神的にズタズタじゃ。ああ、癒やしがほしい。明日はショッカー病院。ほんとは先週行くはずだったんだけど、クタクタで動けなかった。ショッカー病院終わった後は、眼科に行かにゃー。どうでもいいけど、Perfumeランダム再生占いで当選したのはPerfume。へー、そうなんだ。ほかの曲じゃないってのがみそだね。ま、いいか。精神的に負荷がかかって疲れた。レインボーマンのヨガの眠りじゃないけど、少し引きこもります。さてと、今までの旅の思い出をぼうけんのしょ1にセーブして。では、また会おう。読者の皆さんよ。チカレタ。
フランスやベルギーの多国籍企業は、手持ちのウランを売りつけたくてしょうがない。そのターゲットにされているのが日本だ。それで政府もやりたくもない、原発再稼働を云々言ってます。いいですよ。日本に売りつけてください。言い値で買いますから。その代わり、買ったウランを燃やしてできたプルトニウムを使って、先の大戦で米英仏蘭蘇支に散々煮え湯を飲まされた恨みを・・・。晴らせぬ恨みを晴らしてくださる、プルトニム核弾頭様~。へほほほほほ、うーん、ガニヲデ。たまにικμτはネトウヨモードに入る。
待ちくたびれた。ずーっと待ってたんだ。でも、なかなか来なかった。ずーっと待ってても、なかなか来なかったから、もう、待ってることすら忘れちゃった。今日はそれを思い出した日。でも、思い出したのは待ってることだけで、ずーっと待ちすぎて、何を待ってるのか、誰を待ってるのか、そのことすら忘れてしまったよ。俺、何を待ってたんだろう?俺、誰を待ってたんだろう?ま、いいか。思い出すまで、また、待ち続けようっと。待ちくたびれた。
お昼頃、急におかわりシスターズの「虹色のカノン」が聴きたくなり、YouTubeで虹色のカノンを聴いた。急に悲しくなり、涙が流れてきた。一体何だったんだろう?お気楽な毎日を送っているので、特にストレスがたまるようなことはなく、未だにあれは何だったのかといぶかしがっている。オカルトを信じている頃だったら、「きっと集合無意識の世界で、どこかの誰かの失恋の念をキャッチして」聴きたくなったのだろうと解釈していただろうと思うが、オカルトを捨てたいまは、そんな馬鹿げた理論は採用しない。世の中に不思議なことは多々ある。いちいちそんなものに関わり合っていると、いたずら者の汚れた霊が乗じる隙を与えるので、うっちゃっておこう。そんなわけである。急におかわりシスターズの「虹色のカノン」が聴きたくなった。
あ、急にオカルトを信じるのがあほらしくなった。相手は俺の連絡先を知ってるんだったら、連絡を取ってきた方がいいじゃないか。それに朝起きてから寝るまで、ずーっとパソコンのモニターとにらめっこなんだから、VDT症候群になるし、体重も増えるよ。それなのに、念を飛ばされて呪われているだなんて、被害妄想のキーサンみたいなことを言ってるんだから、そりゃ、身近な人は私のことを心配しますよ。大体そうだとしたって、そんなのは不可能だっぺ。と、一番年下のいとこなら、私をそう、いさめることだろう。それなのに、オカルト云々と言っている俺はアホだ。オカルトにはまるのも一秒なら、オカルトから離れるのも一秒だった。そんなわけでございます。今日のお江戸はファインデー☀の、いけもと。急にオカルトを信じるのがあほらしくなった。
延命十句観音経観世音(かんぜおん)南無仏(なむぶつ)与仏有因(よぶつういん)与仏有縁(よぶつうえん)仏法僧縁(ぶっぽうそうえん)常楽我浄(じょうらくがじょう)朝念観世音(ちょうねんかんぜおん)暮念観世音(ぼねんかんぜおん)念々従心起(ねんねんじゅうしんき)念々不離心(ねんねんふりしん)願わくばこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん延命十句観音経。
今、いけもとはウィンドウズ11でネットしています。さて、いけもとが二千十二年頃に買った今のマシン。ウィドウズが動かなくなったら、Linux。Linuxが動かなくなったら、Android-x86でも乗っけましょう。どうしてもマイクロソフトウィンドウズを使わなければいけないってわけでもないのですから。そんなことを思ったいけもとでした。金の力に頼れない貧乏人ですから、知恵を使います。
一般常識の枠内では、取るに足らないことだ。が、彼の超自我の世界では、それは大罪なのだ。その「罪」を成すかなさないかで、彼は葛藤している。その葛藤が、意識レベルではなく、行動にまで発展する人がいる。そんな人は、ものを考えるといきなり思考がストップし、行動をしていると、いきなり行動がストップする。この現象については、脳器質性の場合もあるので、一概に心理的原因とは呼べないので、悩んでいる人は医師の診察を受けるべきである。さて、話を戻すが、まず意識レベルでの葛藤が、無意識に抑圧され、その抑圧をさらに抑圧するとこうなる。実はこの心理はヒステリーと親和性があり、ヒステリー者は目標に対して並々ならぬ貞潔と忠誠を誓うそうだ。目標に接近したくてもできず、さりとて断念も対象移行もできない。そのなんとも言えない心理が、こんな現...行く?止める?さあどっちだ?
無能な自分をパージする社会を否定し、無能な自分を否定し、そして両者をシニカルに冷笑する。そしてその補償因子として、身の丈を超えた世俗的な成功を追求してみたり、はたまた、社会の変革を主張してみたり、ありのままのあなたは神の子仏の子と褒め称えるイデオロギー団体に惹かれ、加入し、そしてまた社会の壁と自分の無能さに直面し、さらに否定と冷笑の心理に拍車をかける。が、それが行き着くと、今度は自分がそんな目に遭うのは生まれる前から神に選ばれた偉大な人物になるための試練だったのだと妄想する。(このような思想が、バイブルや中国の古典・孟子に書いてある。)そして自分は、「人類の偉大なる指導者先生。」だと妄想する。何のことはない。オーダーメイドの誇大妄想思想を捨て、レディメイドの誇大妄想思想に乗り換えただけで、依然として苦痛を...価値の否定と冷笑の心理
あまり知られていないことだが、地獄の獄卒。すなわち地獄の鬼も、慈悲の心を持っている。人を苦しめるのが大好きなサディストじゃあるまいし、いくら地獄の鬼といえども、地獄の亡者を年がら年中いじめて楽しいわけがない。特に賽の河原にいる鬼。彼らだって、まだ、年端もいかないかわいい子供たちが「一つ積んでは父のため、二つ積んで母のため。」などと涙を流して積んでいる石を崩して楽しいわけがない。これも因縁果報がなすところ。が、そんなおぞましいところにも、二仏中間の間に六道を巡って、彼らを助けてくれる優しい菩薩がいます。それが地蔵菩薩。そうそう、忘れていましたが、閻魔帳を見て人の宿業を観察し、処遇を決める地獄の十三王だって、役目柄とはいえ、さぞかしいいやなことでしょう。今日は閻魔参りの日。地獄の釜の蓋が開いて、地獄の責め苦が...今日は閻魔参りの日。
ピンチはチャンスなんだ。土俵際まで追い詰められた力士。負けまいと考えればそこで踏ん張って寄り切られるが、勝ってやろうと考える力士は、そこで相手にうっちゃりをかます。さて、力士が土俵際まで追い詰められてしまいました。そして土俵を割ろうとした瞬間、俵に足がついた。そして力量は互角かこちらの方が少し強い。だったら、うっちゃりをかまさない手はないでしょう。これが負けまいと、勝ってやろうとの違いなんです。勝ってやろうと負けまいの違い。
突然頭に「君は小宇宙を感じたことはあるか?」という台詞が頭に浮かび、続いていきなり「勝利をつかむ、明日のために」という、ソルジャードリームの歌詞が浮かんだ。なぜいきなり聖闘士星矢?あれはいけもとが二十二三歳ぐらいの時だったなあ。まだ妹が小学生で、土曜日の晩飯の時には、いつでも聖闘士星矢を見ていたなあ。それはさておき、マクロコスモスとミクロコスモスは究竟して等しいという。そうか、いけもとの体内には、無限の宇宙が眠っているのか。いつまでも「具合が悪い、具合が悪い。」と愚痴をこぼして、周りの人に心配をかけっぱなしじゃいけないなあ。今日はテレビ東京の昼飯旅で、鎌倉がやっていました。十年前に八幡様にお参りしたっきり、鎌倉に行ってないな~。あんまり八幡様にも大仏様にも行ってないから、心配して向こうから・・・。かたじけ...よーし、小宇宙を燃やして元気になるぞ~。
そもそもШокерに入党する連中は、周りのすべてに反抗するのが趣味な人々と、怠け者である。ゆえにШокерが政権を奪取した暁には、反抗が趣味な人間や怠け者などは、国家建設の妨げとなる。よってШокерは、職制と協力して、不良社員のパージを行うのだ。その手口はこうだ。最近話題になっている宗教と同様の手口で、不良社員をリクルートする。ターゲットはひがみ癖のある、銀看保・アパ勤女だ。そしてまずはつぶしのきく、銀看保・アパ勤女を仲間に引き入れ、そしてこの女性たちに、鼻の下の長い男を虜にさせ、Шокерにリクルートするのだ。もちろん、男がШокерに加入した暁には、じゃあね、バイバイ、元気でね~。と裏切り、しつこく言い寄れば、ストークの廉で、組織や警察に訴え、相手を笑いものにして辱める。もともとШокерに入るよう...Шокерは職制と協力して不良社員をパージする。
もうやめようよ。復讐のために栄光を求めるのは。あなたに必要なのは、復讐の美酒に酔いしれることではなく、優しい隣人の慰めと励まし。あなたは傷ついたその日から、ずーっとそれを求めていたね。でも、誰もそれに気づいてはくれなかった。したいことをしているつもりでも、あなたは寂しかった。世間は厳しいって、したり顔でいう人たちはいるけれど、その人たちは仲間とその厳しさを潜り抜けてきた。でもあなたは、たった一人で世間の荒波に立ち向かい、ある時は、弱い仲間の防波堤となって、彼らを守りはぐくんできた。あなたのために、誰もそんなことをしてくれる人はいなかったのに。もういいよ。我慢しないでいいよ。優しい人の胸で涙を流し、あなたを傷つける人に立ち向かっていいから。それをずーっと我慢してきたんだね。もういいよ。我慢しなくて。仏さまっ...慰撫と激励。その3。
あなたはたくさんの敵の群れの中で、たった一人で戦ってきた勇士。時々近寄ってくる優しげな人もいたけれど、それは利用目当ての人や敵のスパイ。そしてあなたは誰も信じられなくなって、心折れた。私は知っている。どこにも居場所がなくて、真夏の炎天下や凍えるような寒空の下で、その苦しみをわかってくれる人に出会いたくて、ずーっとひとりぼっちで過ごしてきたことを。あのSARSがはやったときや、新型コロナがはやっている今も、あなたはそうやって過ごしていたね。痛ましい話だ。本当に身を切られるような思いだ。居場所のない女性や子供たちには行政は優しいが、居場所のない男性には、行政は厳しい。だから、なけなしのお金で路上飲みをして、つかの間の時を潰す。そしてそういう人たちに、羊の皮を被った飢えたオオカミや吠え猛る獅子が近寄ってくる。群...慰撫と激励。その2
かわいそうに。今までよっぽどたちの悪い人に囲まれて生きてきたんだろう。だからちょっとした当たり前の優しさに感激してしまうんだね。あなたは幸せだ。人の優しさが身にしみてわかるということは、あなたの心の中にも優しさがあるということなのだから。確かに強くなければ生きていけないけど、優しくなければ生きていく資格はないよ。優しいあなたには意地悪な人たちの群れは似合わない。優しいあなただからこそ、優しい人たちの群れがよく似合う。優しい心遣いが空気のように飛び交う群れこそ、あなたが集うべき群れなんだ。その群れは、目に見える教会とかサンガとかではない。それらの群れの中でさえ、飢えたオオカミや吠え猛る獅子がいるのだから。さあ、立ち去ろう。飢えたオオカミや吠え猛る獅子の群れから。今こそあなたが作り上げるのだ。穏やかな幸せに満...慰撫と激励。その1。
Шокерの第二目標は、自立の見込みのない受給貧民の撲滅である。
Шокерの第一目標は、大衆の組織化と運動への動員であるが、第二目標として、自立の見込みのない、受給貧民の撲滅がある。ШокерにはШокерネットワークがある。Шокерネットワークで、枯死させようとするターゲットを監視し、枯死させる。国家は自立の見込みのない、受給貧民の幸福を望んでいない。むしろこれらの人物を、国家に対する潜在な敵として、撲滅させたがっているのだ。そして国家の手先として、Шокерが暗躍するのだ。こいつらは、受給貧民が連合して反乱を起こすと困るので、彼らにはした金をばらまいて、生かさず殺さずにして食わせておくのだ。さて、まずШокерは、対象者を近隣住民から孤立させる。孤立させておいて、威徳のない人物を対象者の館に送り込んで寂しさから救済し、かつ、取り込もうとする。それに引っかかってう...Шокерの第二目標は、自立の見込みのない受給貧民の撲滅である。
大衆は組織化しなければならない。組織化しないと管理しにくいからだ。例えば秩序紊乱分子は、ノーマークの右翼や左翼として野放しにするより、イデオロギー団体に組織化させ、そこにスパイを放って監視した方が、警備公安警察も楽に管理できる。その手先団体が、Шокерである。さて。おっかない話はこれくらいにして。大衆は別名、小人(しょうじん)とも言う。だから閑居させると不善を為すこと請け合いだ。だから大衆を組織化して活動に動員させ、暇な時間を与えないに限るのだ。余暇。暇な時間。腐敗していない人間は、余暇を学芸に費やして、国家の隆盛に寄与する。が、腐敗した人間は、つまらないことに余暇を浪費する。某大国はそれを利用して、3S(スクリーン、セックス、スポーツ)を対象国にはやらせ、対象国の国民を腐敗させるように仕向けるのだ。繰...大衆は組織化しなければならない。
さっきまで、調布にいました今は小田急線の中ですなぜ調布から京王線ではなく小田急線かというと、調布からバスに乗って、成城学園前に出たからです。そこからまたバスに乗って、渋谷に行ってもよかったかも~。そして渋谷から。副都心線に乗って、館ね。さて、布多天神社で見つけた、ゲゲゲの鬼太郎の砂像です。調布駅前に出ていた満月🌕です。再び、調布の街に出でし月かも。以上、調布の街でした2023年の調布です
実は昨日だかおとといのスマホの着信音が大音量で聞こえたのも、今日、初夢を見たのも、すべて刺激夢でした。実はいけもとが寝ている時間に、親がテレビを見るのですが、付けはじめの大音量で、刺激夢を見ていたようです。全く困ったもんだ。そんなわけこんな訳で、今年は初夢をまだ見ていません。今年の初夢。いい夢だといいな。初夢?実は刺激夢だった。
夕べは早く寝た。十二時前には寝たであろう。そして今朝は、大音量の携帯の着信音で目が覚めた。が、私のスマホをみても携帯にに着信はなかった。この時間の携帯着信といえば、親の送迎の車であるが、それにしたって、着信履歴がない。きっと親のことで病院から電話が来ることを心から恐れているので、夢作業という形で、不安を処理したのであろう。こんな風に、入眠時幻聴や覚醒時幻聴などの夢で、不安や葛藤を処理すると、もう、統合失調症の完全寛解は間近だ。あることを抑圧し、そのことをさらに抑圧するから不安を感じ、その不安をさらに抑圧するから、幻聴や妄想という形で、抑圧されるべきものを処理しようとするからだ。つまり、おまえの不安は、親の健康不安だと意識が覚知して、「夢」という形で処理したわけであるからである。さて、今日は正月四日。ほとん...不安の処理が夢でできるようになった。
今朝、親が病院に出かけたあと、妹がお雑煮を作ってくれました。そして妹と二人で食べました。一口食べたら、ものすごく幸せな気持ちになりました。過去ログにもあるように、私はお雑煮を食べないと、心に正月が来ないのです。親にも食べさせたかったのですが、親は高齢。餅の喉つまり事故とかを警戒して、元旦に餅を焼き、私がちぎって、親に食べさせました。あ~、何年ぶりだろう?お雑煮を食べるのは。なんか二千十九年から、全く食べてなかったもんなあ~。お雑煮。あ、今上天皇がご即位されてから、初めてお正月にお雑煮を食べた👀そうだったんだ。とにかくικμτの心に正月が来ました。今、ものすごく心身ともにリラックスしています。このまま寝ちゃいそう。そんなわけです。以上、ικμτ。お雑煮を食べました。
ただほどこわいものはない。今年の暮れから、年始にかけて、それを痛感した。元旦に近所のコンビニでY新聞を買ってきた。Y新聞にするかS新聞するか迷ったのだが、Y新聞にしてみた。買って読んでみた結果だが、やっぱり金を取って売る新聞は違う。記事や広告もきちんと時節を考えているし、なんといっても読みやすく、ネットにつきものの誤字脱字がない。ネットの新聞記事は、誤字脱字は当たり前で、句読点の打ち方もまるででたらめで、時にはつじつまの通らない文章もある。が、やっぱり金を取って読ませる新聞は違う。それにニュースソースもしっかりしているので、安心して読める。それになんといっても、物理的実体があるので、改ざんができない分、紙の新聞の方が信頼できる。とろうかな?新聞。本当にそう思った、元旦だった。とろうかな?紙の新聞。
新年明けましておめでとうございます😃読者の皆様今年もよろしくお願いいたします😃いけもとてつこう2023/01/01
家🏠からのブログ投稿になります。読者の皆さんよいお年をお迎えくださいね😃2022/12/31
あ~。いつしか受け身の人生を送ってきた。人の動作の目的語として生きてきた。それじゃあ、そんな人生おもしろくない。俺は誰かの人生の付属物でも付録でもない。自分の動作の主語にならなきゃ。そうそう、be動詞の主語にもならないとね。さもないと、自分が望む人生の状態になれないや。何で俺の人生を他の存在に任せなきゃいけないんだ?神仏任せきりの人生なんて、そんな生き方が好きな奴らに送らせればいいや。んで、そんな人生を勧めに来る連中など、おととい来やがれ。そんなわけで、能動態の文章の目的語人生よ、さようなら。今日から私は、能動態文章の主語になります。そうそう、もちろん法は、直説法の法でっせ。いつまでも、仮定法の人生なんか送ってたまるか。受け身の人生よ、さようなら(^^)/~~~。
子供の頃の記憶で、詳しい内容は覚えていないのですが、関東地方の、火曜日のサザエさんか、日曜日のサザエさんだったかで、わかめちゃんが小遣いの残りやお使いのお駄賃とかを、コツコツと金融機関に貯金していました。子供の頃の私は、それをわかめちゃん貯金と名付けてまねをして、小金を貯めていました。そのお金は、欲しいもの買うときに使い、時々は、家の急な出費の時に、ヘルプしていました。それはさておき、小銭の貯金に手数料を取るようになって、神社さんやお寺さんがこんな情けない張り紙をするほど追い詰められていると知り、悲しくなりました。近所の駄菓子屋さんや神社仏閣にしてみれば、死活問題です。何なんでしょうね?ネットで成金がおごり高ぶったことをいってもそれが支持され、フードロスが問題になりながらも給食だけが満足な食事だという子供...わかめちゃん貯金ができなくなりました。
私は日々新たにされる。眠りにつくと同時にその日までの私が死に、目覚めると同時にその日に私は誕生する。本当に悔い改めれば、昨日までのよくない習慣を持った私は死に絶え、今日からよい習慣を持った私に生まれ変わる。これこそ福音だ。そうか。今日眠るのと同時にかの悪しき古き我は滅び、明日目覚めるのと同時に新しき良き我が生まれるのか。そう信じて、今から良い習慣マラソンを始めよう。その良い習慣マラソンが、私を日々よくしていくのだから。それでは皆さん、おやすみなさい。おやすみなさい。
なんか今月はおかしいです。先週末、体が動かないと思ったら、今日は頭が回りません。このことについてはドクターに相談済みで、年明けから対応してくださるそうです。(今月は年末年始で医療体制が不十分で、きめの細かい対応ができないからだそうです)そんなわけで、近況報告でした。最近心身の不調に悩まされています。
十二月十八日頃から心身がともに不調になり、家にいました。二十一日から動けなくなり、そしてやっと今日、動けるようになって記事を書く元気が出てきたので、記事を書きます。十二月に入ってから、ずーっと情緒不安定でカリカリして、体調も、ものすごく不安定でした。で、二十四日の日にピークになり、それから今日まで休んでいて、やっと元気になりました。さて、いけもとのご心配をされていた奇特なお方たち。いけもとはそんな塩梅で、家で休んでいました。そんなわけです。とりあえず、いけもとの生存報告の記事でした。以上、いけもと。生存報告。
親は偉い。父親は不肖の息子を持ち、人生の理不尽に、黙って耐え忍んであの世に旅立った。母親は不肖の息子を持ち、人生の理不尽に、文句も言わずに耐え忍んで生きている。あ~。さすが戦中派。国民学校の教育を受けてきた世代だ。明治生まれの親に育てられた世代だ。その生き方には何か一本筋の通った美しさがある。父親や母親が口をそろえて、俺ら兄妹に語ってきたことだ。昨日まで一緒に遊んでいた友達が、爆弾投下や艦砲射撃、そして機銃掃射でいなくなってしまう。そしてやっと戦争が終わったと思ったら、今度は昨日まで遊んでいた友達が飢え死にでいなくなってしまう。そんな時代をくぐり抜けてきたからこそ、俺らは人に優しくしたいし、一つものをみんなで分けたいんだと。やっと私も還暦近くなって、遅まきながらそんな親の生き方の美しさがわかり、彼らを尊敬...遅まきながら、親の偉さがやっとわかった。
そうだよ。だまされたふりをしているんだよ。大体自分が就職したり、結婚できるだなんて思っちゃいないよ。それに神社仏閣だって信じちゃいない。俺みたいなまともじゃないやつが、逆立ちしたって、就職や結婚なんてできるわけがないことを知っている。猫が神社にお賽銭を上げて、お札を授与してもらったところで、人間になれるわけがない。舎利に経を上げたって、舎利が天に昇るわけがない。そんなことをしたって、釈迦のいうとおり、木の葉に沈めといって、石に川の中を泳げというようなものだ。もういい。家族三人、肩寄せ合ってつましく暮らしていければそれでいい。今日、暇つぶしをしてみてうれしいことがあった。IKMTの生き方を応援してくれている人がいて、諸仏護念みたいに、生き霊で俺を護念してくれているんだって。いくら嘘だと思っても、ありがたくて...涙また涙。悔し涙とうれし涙。
ノーマライゼーションは大きなお世話だ。そんなことをされて喜ぶのは、まだ、「世間の温情」を信じている甘ちゃんだ。ホームレスは知っている。メンタル障害者は知っている。自分たちの姿は「自分の持っている力学と社会の持っている力学との社会学的な均衡である。」ということを。それに社会復帰したところで「三流国民」として、軽蔑と拒絶、そして嘲笑と迫害を受けることを知っているからだ!身体科の慢性疾患が、患者と外界との病的均衡とするならば、精神科疾患においてもそれはいえるであろう。仏教めいた言い方になるが、自分の持っている因と社会の持っている縁が因縁和合してメンタル疾患を生じ、その果報として、在宅精神障害者や、檻のついた病院の中の人になるということを、患者は言語化できないレベルで信じている。それはメンタル科の医師も、声を大に...先生治してくれるな。PART2
皆さんおはようございます。いけもとでございます。今朝のお江戸はファインデー☀。雲一つない、とても気持ちのいい朝でございます。今朝は神棚の上げ下げをして、その後ベランダに出てみると、集団登校待ち合わせ場所にまで歩いて行く、小学生の姿が見えました。昨日、一年半ぶりに、親が夕飯のカレーライスを食べました。もちろん、腎臓病患者でも食べられるように工夫したカレーでございます。親がカレーを食べられるようになった!とてもうれしいです。そんなわけでございます。以上、館から。いけもと。昨日、一年半ぶりに親がカレーを食べました。
不妊手術か日干しかって、とんでもない二択させておいて、同意を得たもくそもないでしょう?そして監視するために職員まで同行させたって?こりゃ、福祉会じゃないね。ナチズム実践団体ですか?gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2022121901000355障害者の不妊処置に職員が同行北海道、福祉施設に聞き取りへ
官にできることは官に、民にできることは民に。国でやるといちゃもんつけられるので、国の意を忖度した民間授産施設の理事長が、不妊手術を障害者に強要しました。すごいですねえ、不妊手術に応じないと、日干しにするなんて。なんとえげつないことをやらかす福祉会なんでしょう?あすなろ福祉会は。皆さん。これが自由と平等を謳う、心と福祉とやらの時代の実相です。よーっくおぼえておきましょう。gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2022121801000482障害者の結婚、不妊処置が条件北海道・江差の福祉施設
政治と統治は違う。それがわかっていれば「政権交代」だなんていう戯言に甘い夢を見る人たちはいなくなる。政治と統治の違い。一番簡単に言えば、イデオロギーと国益の違いだ。そう考えれば、いくら帝政から社会主義、そして括弧付きの民主主義国になったところで、ロシアが民衆圧迫政策や異民族圧迫政策をとり、南下政策をとるには火を見るより明らかだ。それがわかっているからこそ、日本政府は、いかにシャッポがくるくる替わろうとも、ロシアを警戒するのには変わりない。それに日本内務省が四分五裂しただなんて言っているが、内務省の機能は、きちんと残っているではないか!分散執務の弊害は出ているだろうが、上級幹部はしっかりと連携している。故に自民一強時代は、自治大臣と国家公安委員長は併任であった。つまり、内務省の雄である、地方局と警保局はしっ...政治と統治の違い。
ポイ活餓鬼道に墜ちていた。いや、マジで。買い物をしてついたポイントで、小銭を丸めるためにポイントを使うのはわかるが、朝から晩までポイ活ポイ活と、たかだか一日数円しか儲からないポイント活動に狂奔し、お友達とかにもポイ活を勧めていた私は、ポイ活餓鬼道に墜ちるどころか、ポイ活ネズミ講まがいのことまでやらかしそうになっていた。そんな折り、ふと、三度三度の飯にありつけ、食う寝るところすむところに恵まれているありがたみに感謝せず、「まだ足りぬ、まだ足りぬ。」と、ポイ活い狂奔していた自分は、浅ましい餓鬼道に墜ちていた餓鬼だったのだと気づき、愕然としたわけだ。自分の行いを振り返って、浅知恵を振りかざす記事を書いて悦に入っている自分の姿は、あたかも愚かな畜生のごときものであり、普通の幸せに恵まれているのにもかかわらず、まだ...ポイ活餓鬼道に墜ちていたいけもと。
グランローヴァのじいちゃんを思い出した。グランローヴァ。あの人は本当に賢者だった。小難しい理屈をこねて、人を煙に巻くのではなく、機嫌良く生きるこつを、サイアムに無償で教えたおじいちゃん。それこそ本当に賢者であろう。グランローヴァのじいちゃん。イリューシャたちとぐら、千年の門の向こうで、機嫌良く生きているかなあ?実はこの記事を書く前に、まるでアカみたいな文章を書いていたのですが、ふとグランローヴァのじいちゃんを思い出して、こんな記事にしました。どうか読者の皆さんも、せめて今日一日だけは、機嫌良く暮らせますように。そんなことを思った、いけもとであった。ふと、グランローヴァのじいちゃんを思い出した。
成仏したって苦からは逃れられず、難からは逃れられない。況んや凡夫をや。
釈迦が言っている。生老病死を筆頭とする四苦八苦からは、どんな生き物でも逃れることはできないと。ってことは、成仏したお釈迦様でさえ、生老病死を筆頭とする四苦八苦からは逃れられない。それにお釈迦様は成仏した後、難に遭った。それが俗に言う、九横の大難である。これが事実なら、なぜ仏の法を聞いて人が幸せになれるのか?修行して成仏したって、難は逃れられないし、苦しみからは逃れられない。一体なんじゃ、それってことになる。が、仏教はまだましだ。オルフェウス教を母体とする宗教のように、死後の冥福や受苦を説かないからだ。これはいけもとの想像であるが、おそらく浄土教は、東に伝わったオルフェウス教が母体になっている。つまり、オルフェウス教、いやさ、キリスト教と仏教の合いの子だ。さらにいえば、東方浄瑠璃世界の教主、薬師如来だって、...成仏したって苦からは逃れられず、難からは逃れられない。況んや凡夫をや。
水木一郎さん死去74歳7月に肺がん闘病公表、11月歌謡祭では車いす姿「マジンガーZ」熱唱
ア、アニキ・・・。もう、病の苦しみに悩むことはないのですね。でも、もうアニキの生歌を聴けないのが残念です。(TT)gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp0-221212-202212120000531水木一郎さん死去74歳7月に肺がん闘病公表、11月歌謡祭では車いす姿「マジンガーZ」熱唱
昨日は彼女さんが家族旅行のお土産を届けに、いけもとの地元まで来てくれました。先月の三十日にあってそれっきりなので、十日ぶりに会いました。そして館近くのファミレスでお茶をして楽しくおしゃべりをしました。彼女さんのお土産は、神棚にお供えした後、お下げしました。が、なんかもったいなくて、何か手を出せません。が、飲み物や食べ物は、飲食してなんぼ。後で家族とおいしくいただきたいと思います。話は変わりますが、妹が買い物のお土産に、のり塩ポテチと今月号の文藝春秋を買ってきてくれました。総合雑誌を読むのは、昭和天皇の大喪の礼特別号以来です。やっぱりネットの記事とは違って、しっかりした内容に感心しました。そして雑誌に目を通した後、コーヒーを飲みながら、ポテチをおいしくいただきました。なんて読者は友達みたいな文章でごめんなさ...寒い師走も心はぽかぽか
日本はスパイ天国だと呼ばれているが、あの鉄のカーテンを敷いたソ連国内でさえ、西側のスパイが活動できた。いくらスパイ防止法なんて作ったって、結局はいたちごっこだし、スパイを根こそぎ捕縛したところで、意味がない。あの鉄のカーテンや竹のカーテンを引いている、旧ソ連や中国だって、西側のスパイが活動できるのだから。だったら、思想で考える人は腹立たしいことだろうが、ここは一つ我慢をして、スパイ天国である点を活用し、国際政治に役立てる。スパイがうようよしている国というのは、そこは情報の集約する拠点なのである。つまり情報の要所だ。そこに網を張れば、情報がおもしろいように手に入る。情報がおもしろいように手に入るということは、切りたいときに切れる切り札がたくさん集まるということなのだ。あなたが政府高官だとして、ファナティック...スパイ天国の活用法。
いけもとの館近くの夜景ですこれは屋敷前のコールドムーンこれは屋敷裏の紅葉以上、いけもといけもとの館近くの夜景
日本の国土を全部農地化して、養える人口以上の人口を日本は有している。それらの人々を食べさせるために、日本は加工貿易体制をとっている。が、この加工貿易体制は、発祥の地であるイギリスとは違った、偽加工貿易体制である。イギリスは加工貿易をするにおいて、その原材料をすべて旧植民地から購入している。それにこれらの地域は、すべて旧スターリング体制の国々であるから、決済関連でもめることはない。実にうらやましい。が、日本は違う。日本はこのイギリスの旧植民地から、原材料を買っている。それらの旧宗主国であるイギリスを怒らせたら、もう、加工貿易体制は維持できない。そして現在、日本の安全保障体制は、アメリカに依存している。国家の安全と国民の胃袋をアングロサクソンに握られている。ああ、なんということであろう。これは戦前から何も変わ...偽加工貿易体制国家日本
今日は寒いですが、今日は朝から調子が良く、いっぱい働けました朝から自転車で役所回りをして、家に帰って家事をして、いま、ブログを書いていますこんな日は、時間を有意義に使えたと感じられて嬉しいですそんなわけでございます以上、いけもと。今日は家事がたくさんできた
今日は土曜日だ。なぜだか知らないが、せっかく構築したウィンドウズ10のシステムをぶっ壊して、ウィンドウズ8.1にダウングレードしようと企み、毎週毎週そんなことをしている馬鹿さ加減に気がついて、沙汰止みにした。いつもそうだ。いつも週末になるとシステムをぶっ壊してまた構築し、また次の週末が来ると、システムをぶっ壊してまた構築する。なんて馬鹿なことを繰り返していた。私がなぜこんなことをするのかは、さっぱりわからない。が、なぜか知らないが、週末になると、システムをぶっ壊してはまた構築したくなるのだ。が、そんな馬鹿ないたちごっこはもうやめる。登録台数を消去できないくせに、台数制限をかける馬鹿なソフトハウスがあるから、そんなことをするとめんどくさいのだ。しかし私も落ち着きのないやつだ。毎週末になると、システムをぶっ壊...毎週システムを作ってはぶっ壊すそんな馬鹿まねはもうやめる。
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ικμτの館近くの桜かな以上ικμτ。ικμτの館近くの桜かな
笑いを忘れたικμτ。いつの頃からか、ικμτは笑っていない。微笑むことはあっても、笑ってはいない。ま、いいか。微笑みは忘れていないんだから。うん。大好きな人たちへの贈り物である、微笑みをまだικμτは忘れてはいない。よかった。微笑み忘れた顔など、見たくはないさ。
昨日は新月だった。アメリカ東海岸では皆既日食だったらしい。ικμτはのどごし生500ミリを二本飲んで、酩酊中。とはいえ、ικμτはアル中ではないよ。良い酔い☺のつまみはかっぱえびせん。そしてワイヤレスイヤホンから流れるのは、若原一郎さんのおーい中村君。最近思うことは、誰がικμτの良い隣人だったかではなく、それとは逆に、ικμτは誰それ君や誰それさんの良い隣人でったかということである。思い返すに、それなりにできる限りのことはしたが、それでもまだ足りないんだろうなと思う今日この頃である。と、ここまで書いて、ικμτが八方美人であることに気がついた。こんにち、プロの八方美人であるアイドルでさえ、八方美人になりきれなくて、世人に叩かれるのが世の常である。そう。ικμτはただ叩かれるのが嫌なだけ。根底に隣人愛のか...昨日は新月だった。
窓の外で春の鳥がさえずっている。表の世界は春。外の世界は春。でも、私の心は冬。水晶玉子先生の占いでは、今が私の春らしい。でも、私の心は冬。厚い雲が立ちこめ、冷たい風が吹きすさび、木々は枯れ、川には氷が張っている寒い冬。一体いつになったら、私の心に春が来るんだろう?今は冬将軍が私の心に居座っているけれど、きっと優しい春が来る。春風の精霊さんが、東風と南風を吹かせてくれれば、きっと優しい春が来る。確か十二月物語で、春の精霊さんは少年たち。私の十二月物語では、きっとかわいい美少女たちなんだろうなあ。とはいえ、私はロリコンではないけれど(笑い)。あ~、なんか心の憂いを書いたら、涙がこぼれ、そして笑う元気も出てきた。優しい春風の精霊さん。私の心から、怖い冬将軍を追い払っておくれ。あのいかついおっさんも、君のようなか...ちょっとメルヘン。
今日、四月八日はお釈迦様のお誕生日。なのに、街でお寺以外にお釈迦様を祝う人たちはいない。なんやねん、それ?片手落ちやんけ。何でキリストの誕生日は祝っても、お釈迦様の誕生日は祝わないねん?ま、いいか。キリストのお誕生日でお金儲けをする商人はいても、お釈迦様のお誕生日でお金儲けをする商人がいないから。そんなことを思った、お釈迦様のお誕生日の昼下がりだった。今日はお釈迦様のお誕生日。
独裁者は側近に裏切られて死ぬ。独裁国の内情を一番よく知っているのは、国民を抑圧する機関である秘密警察だ。独裁者の奢侈な生活を維持するための苛斂誅求がある程度の段階を過ぎると、今度は秘密警察が独裁者を暗殺する。最近の独裁者はそれがわかっているから、徳川秀忠あたりが言い出した、民は生かさず殺さずの呼吸で、自分の命脈を保っている。さて、そののりもいつまで続くことか。後継者が自分と同等かそれ以上の統率力を持っていれば、独裁政権の維持は可能だが、乳母日傘で育てられた世代が危ない。彼らは独裁者あっての側近は知っているが、側近あっての独裁者ということがわからない。わかっていても、先代の苛斂誅求で民の民力は疲弊し、ちょっとした飢饉で革命の火種やクーデターの火種がくすぶる。秘密警察の抑圧も限界がある。だって革命やクーデター...今朝見た夢。
甘ーいお菓子と、甘ーい番組に囲まれた日々。それらでだまされていたけれど、就職氷河期で就職できなかった若者たち、もう、いいおじさんおばさんになったと思いますが、あの人たちの老後を思うと、心が寒くなります。それに、バブルの頃の老人はよかったですが、最近のお年寄りたちはどうしているのでしょうか?デジボリスという警視庁が配っている防犯アプリで、「万引き、しない、させない、見逃さない」なんてキャンペーンがありますが、これってまさか、弱いものいじめのターゲットにされた子供たちが、無理矢理万引きさせられたり、食うに困った人たちが、万引きでもしない限りは食べていけないっていう、そういう経済状況にあるのでしょうか?もしそうだったら、経済政策や刑事政策の見直しが必要で、むやみに厳罰に防犯すればいい、厳罰を科せばいいという話で...甘いお菓子を捨て、心の目を開いて辺りを見回してみた見たら。
自由主義諸国の中でも衛星国はある。そう、西側諸国の盟主、アングロサクソン連合の衛星国だ。イギリスだけは君主国だが、後の西側諸国には君主国はわずかだ。あっても、その国のアングロサクソンシンパに金を配って、王冠を毀つために、メディアは皇室王室のスキャンダルを垂れ流し、若者に民主化共産化運動をさせている。かつてある国は平和に治まっていたのだが、アングロサクソンの軍艦が大挙押し寄せて無理矢理開国させられ、不平等条約で、その国の金を奪い取られ、そして寒い国の南下防止のために、多くの若者が殺された。老獪な政治家、軍人たちは、それを利用して、富国強兵・殖産興業のスローガンとともに、世界の一等国にした。が、寒い国が一国社会主義を言い出し、革命輸出をする心配がなくなったので、ターゲットの国に、石油は売らない、鉄くずは売らな...自由主義諸国の中の衛星国。
今日はおおぼけをかました。コーヒーを飲もうとお湯を沸かし、レギュラーコーヒーを蒸らしたまではよかったが、途中で妹と親に何か食べさせたくなり、食パンにチーズをのっけたのをトースターで焼いて、妹に一枚、私が四分の三枚、親に四分の一枚食べさせた。そして妹とカシューナッツを食べ、親にカシューナッツ三粒と食べる煮干し五匹を食べさせた。これは親を虐待して量をケチっているわけではない。食事制限がある中で、少しでも栄養補給させようとする、子供の苦肉の策だ。さて、そして台所に戻ってみたら、蒸らしたままのレギュラーコーヒーがあった。コーヒーを入れようと思ったが、お湯はもう冷めていたので、電気ポットのお湯でコーヒーを入れた。昔はできたマルチタスクも、今はできなくなっていることを痛感した。せめてもの救いは、ガスの火をつけたまま、...おおぼけをかましてしまった。
今は取り立てて、急いで解決する問題はない。だから自民党の裏金問題が大騒ぎされているのだろう。火種はアングロサクソンだ。アングロサクソンが自分たちが二大政党制でうまくいっているから、お為ごかしに日本に制度輸出し、自民党をスキャンダルで選挙で大敗させ、自民と維新で日本で無理矢理二大政党制をやらせたいと思っているのだろう。なぜならどちらもバリバリの新自由主義政党で、「負け犬に災いあれ!」という、恐るべき政党だからだ。そのための計画を日米合同委員会あたりで取り決め、官庁→広告代理店→マスコミ経由でスキャンダルをリークし、国民の脳みそに「自民党は金に汚いから、一強じゃだめ、二大政党じゃなきゃだめよ。」と、印象づけしているんだろう。少子高齢化を演出したのは、自民党と社会党。社会党のおたかさんあたりが出てきたときに、「...今解散総選挙をすればこうなる。
おいしい役所、総務省。なんてったって、選挙と地方自治、そして通信行政を担っている。そして行政管理ね。ここの政務三役についたら、とっても勉強できるわよ。政務三役とは、大臣、副大臣、政務官ね。私がここの政務三役になったら、お役人様に頭を下げて、総務行政のノウハウを教えていただきたいと思います。そう、お役人様に圧力をかけて無理を言って、お役人様のお怒りを買うのではなく、頭を下げて、レクチャーしていただくの。そしたら、ほかの役所の大臣になるより、よっぽど勉強になるわよ~。なんてったって、現場を握っているのは地方だから、ここに顔が利くお役人様は優秀よ。ただ、旧内務省の嫡流のプライドが高いから、へそを曲げられないように顔色をうかがわないといけないけどね。そうそう、アルバイトもいいかもね。アルバイトでも、志があれば勉強...もっと若かったら、総務省でバイトしたかった。
動物は利口だ。本能的に人間の本性を嗅ぎ分ける。自分に餌をくれそうな子供に動物はよってきて餌をたかる。そこは人間も同じだ。動物は利口だ。本能的に人間の本性を嗅ぎ分ける。自分を虐待しそうな子供には近寄らずさっさと逃げていく。そこは人間も同じだ。人に飼われている動物は優しい。それは動物たちが、飼い主を愛しているからだ。私が薬の副作用がひどくて寝入っていた頃、妹が飼っていた小鳥たちが、私を心配して、妹の部屋から私の部屋まで訪ねてきてくれたからだ。人に飼われている動物は優しい。それは動物たちが、飼い主を愛しているからだ。田舎にいた頃、白文鳥が鳥かごの扉を開けてかごの外に脱走し、海から昇る朝日を見た後、また、鳥かごの扉を開けて鳥かごの中に入って行くのを見た。そんな利口な彼らだ。私たちが気に食わなければ、隙を見てさっさ...動物あれこれ。
その国では、生まれる前の健康診断で、先天性の障害を持つ疑いのある子供は堕胎される。そして生まれ落ちると、姓名ではなく、もののように番号で国家に管理される。まともな親の子に生まれればよいが、変な親の子供に産まれると、実の親から虐待を受け殺される。そして、就学時健診で健康な子と病弱な子に振り分けられ、健康な子供たちは仲間内での競争し、将来奴隷になるための変態狂育を受けさせられる。その変態狂育が実を結んだものが、その国で「いじめ」と呼ばれる子供たちの習慣だ。特記しておくが、優秀な子供たちは、お受験という名の特別教育により、将来この国の幹部になるようなエリート教育を受けることができるのだ。そんな環境の中で、運良く心身を病まずに青年になったものが、社会に出る。ここでも、きちんと奴隷としてのエトスを身につけたものが企...悪魔が治める国。
去年は何でウグイスの声が聞こえなかったんだろう?今年は去年鳴き声が聞こえなかった分、今年はしっかりと鳴き声が聞こえます。それとも、心ここにあらずの状態で、梅の香りやウグイスの声を味わう余裕もなかったのでしょうか?が、今年は梅が咲いているところの周りでは、しっかりと梅の香りを感じ、ウグイスの声をしっかりと味わっています。そして梅の木にはメジロが!そうそう、元々日本茶が大好きなικμτ。梅の香りとお茶の香り、そしてウグイスの声と日本茶のなんともいえないうまさを味わいながら、日曜日の昼下がりを過ごしております。そういえば、こないだ屋敷周りを散歩したら、ふきのとうを見つけました。が、人に教えると、群生する間もなく取り尽くす人々が中にはいるので、場所は秘すべし秘すべしです。そんなわけこんな訳で、日本の春の情景をブロ...館周りの春の情景
今、あまりにも脳みそパッパラパー状態がひどいので、親の涙ロートの買い置きをもらって両目に入れたら、即座によくなりました。つまりは疲れ目だったのね。そりゃ暗い部屋に閉じこもって、スマホで細かい字を見ながらぽい活をしていたら、そりゃ、目が疲れるわ。皆さんも疲れ目には気をつけてくださいね。以上、ικμτ。脳みそパッパラパー状態、疲れ目と判明
いよいよ来週の水曜日は彼岸だ。彼岸を過ぎればだんだん暖かくなる。親を車椅子に乗せて、屋敷回りを回り、季節の草花を見せたいなあ。終戦後のもののない時代をくぐり抜けた親のことだから、私や妹に、「これは食える」とか、「これはなんとかに似てるが、毒があるから食べられない」と、教えてくれるんだろうなあ。本当にそろそろ暖かくなるから、親を車椅子に乗せて、屋敷周りの草花を見せよう。伝書鳩でもあるまいし、医者と病院の往復だけじゃかわいそうだ。そんなことを思ったικμτだった。来週の水曜日は彼岸だ。
今朝も七時ぴったりに起きて、ウグイスの鳴き声が目覚ましメロディ代わりでした。ああ、かわいいウグイスの鳴き声が、目覚ましメロディとは、なんと贅沢なことでしょう。今日も一日頑張るか。さてと、その前においしい日本茶でも淹れて飲むことにしましょう。以上、ικμτ。ここのところ、ずっとウグイスの鳴き声が目覚ましメロディーだ。
世界が見知った日常に戻った。自分が世界から孤立した感じで、世界が私を異物として排除しようとするあの奇妙な感覚が消えた昔から世界が自分を異物として認識し、私を世界から排除しようと世界意思を感じていた。そしてその奇妙な感じを消すために、ありとあらゆる努力をして、自分を世界に着地?接地?させようと、動き回っていた。この感じや行動は、市川卓司氏の小説に詳しい。もしかしたら、私は軽い自閉症か小児統合失調症患者で、それが今の年齢になって寛解したのかもしれない?いつも通りの薬をいつも通り飲んでいるから、処方は特に変わってはいない。とにかく、今日は、自分が世界から切り離された感覚がもたらす、世界バーサス自分という、幼い頃から感じていた、あの奇妙な感じが消えた。あの奇妙な感じこそ、医者の言う妄想気分なんだろうか?昔、発達障...世界が見知った日常に戻った。
今朝は七時ぴったんこに目が覚めました。そして目覚めると同時に、ウグイスの鳴き声が。近所に生えている梅の香りとウグイスの鳴き声。ああ、何という贅沢な目覚めでしょう?そしてικμτは龍の湯飲みで日本茶を飲みながら、ブログを書いています。そんな気持ちのいい朝をを皆さんに実況中継。今日のお江戸は午後から雨だそうです。今は降ってなくても、お出かけの際には、折りたたみの傘をお忘れなく。以上、ικμτ。今朝は早く目覚めました。
今日は家に親の訪問看護師さんとケアマネさんが見えられました。そして彼女達が帰られた後、部屋でコーヒーを飲んでいたら、窓の外からウグイスの鳴き声が聞こえました。早速親といもうとに教えました。そんなわけでございます以上、ικμτ。今日もウグイスが鳴いていました
ふるさとに帰りたいのか、親が文部省唱歌の故郷(ふるさと)を歌った。その中に「志を果たしていつの日にか帰らん」という箇所がある。親がその部分を歌っているのを聞いて、いけもとははっとした。度重なる挫折で志がぶれ堕落してしまっていたのだ。挫折。己の力不足を痛感して鍛錬し再挑戦すればいいのに、いけもとは挫折に負け、日がな一日安楽に暮らしていければいいと思っていたのだ。そんな濁った精神が周りにいる家族や恋人、そして友人たちに悪い影響を与えないはずはない。彼らのためにも心機一転やり直さなければ。しかし誰なんだろう?いつももう少しで寄り切られて土俵を割りそうになると、うっちゃりをかまして逆転するようにいけもとに立ち直る気づきを与えてくださる存在は?その存在に感謝。志を果たしていつの日にか帰らん。
めぞん一刻の五代君もそうだし、いとしのエリーの上野君もそうだが、彼らは漫画の中で、いつも自分にとって都合のいい妄想をしている。私が思うに、年がら年中自分にとって都合のいい妄想ができるのは、あれは一つの才能ではないかと思う。それに五代君も上野君も、響子さんやエリーが旅に出たときに、借金してまでも追いかけていく、あの行動力にも脱帽する。が、ここに書いたことは恋愛成就法だと思ってはいけない。なんか成功の秘訣はここにあるような気がしてならない。年がら年中自分にとって都合のよい妄想をして、チャンスとみるや、ありとあらゆる犠牲をいとわず、なりふり構わずチャンスをつかみにかかる。確かにそのポジティブな行動力は、このいけもとにはない。などと言い訳しないで、いけもとも願望実現のために頑張ってみるか。そんなことを思ったいけも...漫画の主人公に学ぶ。
DSのゲームに、ラブプラスというゲームがあります。そのテーマソングは、「永遠ダイアリー」。今まで気にはとめていなかったけれど、テーマソングの題名の意味に今気づいた。ラブプラスの女の子たちは、主人公との人間関係を一時的なものだとは考えていない。それどころか、永続的なものだと考えている。いつ壊れるかわからない人間関係にビクビクしておびえていた私にとっては、そんな人間関係があるなんて、夢にも思わなかった。本当に。永続的に続く人間関係を作りたいと思って人が近づいてくるラブプラスの主人公は、なんて幸せ者なんだろう?ふと、昔遊んでいたラブプラスというゲームの主題歌の意味を今更ながら気づき、主人公がうらやましく感じます。永続的に続く人間関係か~。ほんといいな~。実はそれに恵まれているのに、私はそれに気がついてないだけか...ゲームの主題歌に涙。
こないだ彼女さんと都内某公園に夜桜を見に行きました。それがこの写真です。美しい都内某公園の夜桜です。どこの公園かは内緒です。以上、いけもと。都内某公園の夜桜
今、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が。そういえば、去年の今頃親が病院から退院したのでしたっけ。親が退院して次の日の土曜日、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が流れてきたときには、本当に涙が出てきました。それだけ入院したときは、瀕死の状態だったのです。そして救急車で救急搬送して、先生方の懸命な手当で、親は無事、生還したのです。本当にボンバーマンで遊ぶ親を親たらしめているのは、本当に親の生命力と支えてくださった皆さんのおかげです。それに私や妹と遊びたいのを我慢して、親の介護と看護に専念させてくれている恋人や友人たち。ありがとう。今夜は賛嘆日記と言うより、感謝日記になったなあ。ありがとうございます。第五日目
今日はハイドンの天地創造が聞きたいです。神の天地創造を、天使たちが賛嘆するという歌です。なんかこの歌を聴くと本当にうれしい気持ちになります。やっぱり人をくさす文や歌より、人を褒め称える文や歌の方が気持ちがいいや。と、ここまで書いて、口の使い方や耳の使い方を知ったような気がします。もっとも、目上の人から、「耳や口は、よきことを聞き、よきことを言うように使いなさい。」と、熱心にご指導を受けたことを今思い出しましたが。何やらよきことを書き、よいことを話しているうちに、意識が清まってきたような気がします。そんなことを思ったいけもとでした。さて、今日は大安にして一粒万倍日。読者の皆さんの心が平安になり、その平安が一粒万倍になりますように。以上、管内お江戸でいけもと。第四日目。
今日は気候のおかげか、早く起きることができました。あと一ヶ月もたてば、爽やかな五月のそよ風が待っています。暑くもなく寒くもなく本当にいい季節です。昨日、母と屋敷周りを歩いたときに、母が五月のそよ風という言葉を教えてくれました。去年の二月中旬には瀕死の状態になった母をここまで治してくださった、病院の先生方に感謝し、母の生命力を賛嘆します。咲き誇る花たちの季節も終わり、そろそろ新緑の季節。新緑の季節になれば、鳥たちも木陰で歌うんだろうなあ。それが素晴らしい命の息吹!命って素晴らしい!四季が楽しめる日本に生まれてよかった。いつ頃でしたっけ?文部省唱歌や叙情歌が教科書から姿を消し始めたのは。そういえば、学校でいやなことがあって、友達と遊ぶのもいやになったときは、自転車を東に走らせて海に行き、雄大な太平洋の海を眺め...第三日目
落語の小言幸兵衛じゃあるまし、世間や人様に小言ばっかり言っている嫌みなじいさんに成り下がっていた。で、量子もつれの考えからいくと、私の将来のパートナーになるべき人も、そうなっているそうだ。うーん。それじゃよくない。小言の好きな人。確か昔読んだ本に、「口やかましい人と一緒にいることは、梅雨に雨漏りのする家に住んでいるのと同じことだ。」(うろ覚え)などと書いてあったが、私が家族や近しい人にとって、梅雨に雨漏りのする家になっていては、周りの人たちにとって、居心地の悪い人であることこの上ない。って、自分で自分に小言を言ってらあ。それはよくないなあ。そんなわけで日時計主義の賛嘆日記を書くようにしたわけでございます。今日のお江戸はファインデー☀とても気持ちのいいお天気でございます。こんな日は自転車に乗って、ちょっと遠...第二日目。
日時計主義の賛嘆日記。とはいえ、私は別に特別なことをやろうとするわけではない。人様の悪を見ざる聞かざる言わざるというような消極的なやり方ではなく、人様の善行のみを見聞きして賛嘆する日記だ。そういえば、バブルの後の首切りキャンペーンの頃、大沢悠里さんがご自分の番組で、「人をフォローするラジオがあってもいいじゃないか。」(だったと思う)てなことをおっしゃっていたので、私も「うーんそうだなあ、人をくさすことばかり書いていたが、人様を褒め称えるブログがあってもいいじゃないか。」と心機一転してブログをリニューアルしたくなったわけである。過去ログを見るに、神様の被造物である自然の美しさは写真に撮ってアップしてはいたが、等しく神様の被造物である人の良さを褒め称える記事は、あまり書いていないからである。そんなわけでござい...第一日目
今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。人の欠点を見ずに、人の長所のみを賛嘆する日記。昔、今の団地に引っ越す前に家のポストに投函されていた、どっかの宗教のパンフレットに書いてあったことだ。残念ながらどこの宗教団体かは覚えてないが。さてと、今から始めてみよう。日時計主義の賛嘆日記。まずは私と温かい心のふれあいをしてくれる人たちの日時計主義の賛嘆日記を。今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。
今日は天気がいいので、朝から洗濯をしていました。何やら体が動かないな~、と感じていたら、親が起きてきて一言、「てつこう、飯を食え。」との言葉。そういえば朝起きてから、ずーっと家事のしっぱなしで、朝ご飯を食べていませんでした。そして親とご飯を食べました。親は、夕べ私がといでタイマーをセットしておいたご飯と、昨日妹が煮た厚揚げ、私は朝はご飯が入らないので、トーストを焼いて、ガーリックバターを塗って食べました。そしてその後、親は妹が買ってきて、私が作るあさり汁を飲んで、部屋でテレビを見ています。そんな穏やかな日曜日でした。あ~、そんな穏やかな日曜日の朝。そんなささやかな幸せに感謝です。それと、彼女さんからもらったオシロイバナの種。去年花を咲かせて楽しんで、冬が来たので、茎を切り、根塊だけで越冬させました。そした...シャイニーサンデーに芽を出したシャイなオシロイバナ
今日四月八日はお釈迦様のお誕生日。なんか知らんけど、イエス様のお誕生日は祝っても、お釈迦様のお誕生日は祝わないのね?お釈迦様のお誕生日といえば、花まつり行進曲を思い出します。とはいっても、私はこの歌を直接聞いたことはなく、母親から聞いた妹からこの曲を教わったのですがね。そういえばこの季節は咲き誇る花が美しい。そしてその後は新緑の季節。花咲き緑萌えるいい季節でございます。イブの晩に降り積もる粉雪もいいですが、お釈迦様のお誕生日は花咲き緑萌える暑くもなく寒くもない命を祝福する素晴らしい季節でございます。そんなことを思ったいけもとでした。今日、四月八日は花祭りの日
4月2日の皇居北の丸公園の写真ですそれがこれですお楽しみください4月2日日曜日の皇居北の丸公園
相手の人格に対する畏れと敬意があれば、自分のエゴを相手に押しつけるようなことはしないだろう。ってことは、ユーザーはカモをなめきって利用しているわけである。そもそも「あんたとはやっていけないから離れる。」といっているのに、しつこく関わり合いを求めてくるような連中であるから、カモをなめきっていることは彼ら自身のしつこさが裏書きしているようなものだ。つまりその搾取性と強要性が自分をしてほかの人たちが離れていく原因なのに、ユーザーは、周りの人は冷たいとかずるいとかといって非難するのであるから、これは笑えない喜劇だ。で、まともな人たちは、ユーザーだと見抜いたら、即座に距離を置く。そして相手がしつこい場合は、警察力を導入してまでも、ぶった切る。が、お人好しのカモはユーザーに徹底的に利用され、ぼろくずのようになっていく...ユーザーはカモをなめきって利用している
患者だってむやみにトラブルを起こすわけではない。そのトラブル出現にはパターンがある。そのパターンを見抜くと患者にトラブルを起こさせずにすむ。例えばある人は家族内における疎外感かもしれないし、ある人は患者の人間関係の距離感を無視した密着型の人間に対するアレルギー反応であったり、患者の体力的や経済的都合を考えない外出の誘いであったりする。それに対する怒りが、患者の怒りの表出なのである。その刺激に対して患者の怒りの表出が大きすぎると思う人々もいるかもしれない。が、何回も何回も繰り返し繰り返し同じような攻撃を受ければ、誰だって「いい加減にしろ!」と、怒りたくなる。患者はキレる前に大体相手に警告している。が、警告を無視して、自分を疎外したり、患者固有の距離感を無視してベタベタされたり、患者の都合も考えずに体力的につ...こんな人間関係に悩んでいる患者もいる(弱気の失敗)。
サリヴァンの著作を私流に読むと、精神疾患者は精神生活におけるマイノリティだということがわかる。さらにジャックラカンの著作を私流に読むと、精神疾患者は言語生活におけるマイノリティであることがわかる。多分それが精神疾患者の生存戦略と生存戦術なのであろう。別な言い方をすれば、多数派とは違った発達の仕方をしているといってもあながち言い過ぎではないだろう。そんな生き方をしているマイノリティにとって、親や教師、そして精神科医のもたらすノーマライゼーションとは、かつて行われたキリスト教異端者に対する異端審問官の拷問や、戦前の特高警察が国体に反する思想を持った人たちに対する転向の強要みたいなものだとしか、私には思えない。彼らはなぜ、多数派と違った精神生活を送り、言語生活を送るのか?そこに私は神の意志を見いだす。仏教がバラ...多数派とは違った発達の仕方をしている人々。
自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。自分で自分を嫌うことは、底意地の悪い人と一緒にいるようなものだからだ。自分で自分を嫌ってストレスフルな毎日を送っても意味がないと、マジで痛感した。我が身を苦しめるのは自業自得だが、底意地の悪い人のほとんどが自分嫌いの人だという話も聞く。だから世のため人のため、自分を好きになる自己訓練を始めようと思い、こんな記事を書いてみた。以上いけもと。自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。
Microsoftのストアアプリであるフリーセルは、必ず解けることが数学的に証明されているそうですそれで私が「たかだか有限の操作で解ける」と言ったら、妹に「人生は短いんだ」と突っ込まれましたきっと理系のハローさんも同じことを言うことでしょうところでなぜこんな話になったかというと、あるソリティアは有限回の操作では解けない問題を出すからですその点、解けることが証明されている問題は、有限回の操作で解くことができるからですもちろんMicrosoftのソリティアではありませんそんなわけでございます以上いけもと。たかだか有限
加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。実はその根底には、人様に害を加える恐れのある自分が攻撃されるのが怖いという被害妄想があるのである。最近、屋敷回りを散歩するようになった。日中は先輩のいうように心身の時差ぼけがあるのか、それとも、薬の副作用なのかで動けないからである。そんなわけで、夕方お日様が沈む頃元気になり、動けるようになって、近所のスーパーに買い物に行くのだが、そのぐらいしか歩く機会がない。そんな生活を送っていたら、老母に「てつこう、屋敷回りを歩いて体力をつけろ。さもないと俺ぐらいな歳になったときに、体にがたが出るぞ!」と言われた。が、私には加害妄想があるので「そんな時間にふらふらしていたら、女性に変質者うろうろしてると思われるのでいやだ。」といったら、老母に「思い込みと命とどっち...加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。
日本教の本尊は空気様だが、脇侍にいるのがお天道様とご先祖様だ。もっぱらの本尊は空気様だが、まず日本教徒はお天道様の自分の言動に対する検察と、ご先祖様に顔向けができるかどうかを考える。お天道様がみているので、昔の人は、人様が見てないところでも悪行を控えたが、今はお天道様の自分の言動に対する検察がないので、人が見てないところだと、やりたい放題をする。さらに、日本教徒はご先祖様に対して顔向けをするために、恥ずかしい真似をしない。最近はお天道様がみていても悪行を控えず、ご先祖様に顔向けのできない恥ずかしいことをする人たちが増えてきたが、それでも、周りの空気に逆らう日本教の異端者はいない。日本教徒にとって、次の三つがエートスすなわち行動倫理である。まずは空気様の顔色をうかがって傲慢な振る舞いを抑え、お天道様がみてい...空気様の脇侍、お天道様とご先祖様。