昨日から牡牛座の季節だったのね。牡牛座二日目の朝は、気持ちのよい快晴。そういえば、今朝、ヒヨドリのかわいい鳴き声が聞こえました。どちら様もよい週末をお過ごしください。昨日から牡牛座の季節だったのね。
目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)が思いついたことをつらつらと書いていきます。 お気に召した記事がございましたら、一つよしなにお願いします。
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昨日から牡牛座の季節だったのね。牡牛座二日目の朝は、気持ちのよい快晴。そういえば、今朝、ヒヨドリのかわいい鳴き声が聞こえました。どちら様もよい週末をお過ごしください。昨日から牡牛座の季節だったのね。
何を書こうかほいさっさ。人間、未来に希望が持てなくなると、過去の栄光にすがる。私のようにすがるべき過去のない人間は、過去のいやなことに焦点を当てて、当時の敵対者を罵る。そんなことが通俗心理学の本に書いてあって、ギョッとした。うーん、言い得て妙だ。だが、そんな生き方はかっこ悪い。やっぱり前を向いて、一瞬一瞬を大事に生きるしかない。その大事に生きた一瞬の積み重ねが、私の生きてきた証になるのだ。貯金をするとしよう。いま一ヶ月千円を積めば、十年後には十万二千円の貯金になる。そうそう、元本保証のない、積み立てなんとかにはだまされないでね。あれは元本保証がないから、元本を割るかもしれないからね。なぜ私がこんなことを書いたかといったら、私がテレビを見て文句を言っていたら、「てつこう。おまえ、俺が死んだ後も、そうやってテ...小説でも書いてみるか。
ικμτの館近くの桜かな以上ικμτ。ικμτの館近くの桜かな
笑いを忘れたικμτ。いつの頃からか、ικμτは笑っていない。微笑むことはあっても、笑ってはいない。ま、いいか。微笑みは忘れていないんだから。うん。大好きな人たちへの贈り物である、微笑みをまだικμτは忘れてはいない。よかった。微笑み忘れた顔など、見たくはないさ。
昨日は新月だった。アメリカ東海岸では皆既日食だったらしい。ικμτはのどごし生500ミリを二本飲んで、酩酊中。とはいえ、ικμτはアル中ではないよ。良い酔い☺のつまみはかっぱえびせん。そしてワイヤレスイヤホンから流れるのは、若原一郎さんのおーい中村君。最近思うことは、誰がικμτの良い隣人だったかではなく、それとは逆に、ικμτは誰それ君や誰それさんの良い隣人でったかということである。思い返すに、それなりにできる限りのことはしたが、それでもまだ足りないんだろうなと思う今日この頃である。と、ここまで書いて、ικμτが八方美人であることに気がついた。こんにち、プロの八方美人であるアイドルでさえ、八方美人になりきれなくて、世人に叩かれるのが世の常である。そう。ικμτはただ叩かれるのが嫌なだけ。根底に隣人愛のか...昨日は新月だった。
窓の外で春の鳥がさえずっている。表の世界は春。外の世界は春。でも、私の心は冬。水晶玉子先生の占いでは、今が私の春らしい。でも、私の心は冬。厚い雲が立ちこめ、冷たい風が吹きすさび、木々は枯れ、川には氷が張っている寒い冬。一体いつになったら、私の心に春が来るんだろう?今は冬将軍が私の心に居座っているけれど、きっと優しい春が来る。春風の精霊さんが、東風と南風を吹かせてくれれば、きっと優しい春が来る。確か十二月物語で、春の精霊さんは少年たち。私の十二月物語では、きっとかわいい美少女たちなんだろうなあ。とはいえ、私はロリコンではないけれど(笑い)。あ~、なんか心の憂いを書いたら、涙がこぼれ、そして笑う元気も出てきた。優しい春風の精霊さん。私の心から、怖い冬将軍を追い払っておくれ。あのいかついおっさんも、君のようなか...ちょっとメルヘン。
今日、四月八日はお釈迦様のお誕生日。なのに、街でお寺以外にお釈迦様を祝う人たちはいない。なんやねん、それ?片手落ちやんけ。何でキリストの誕生日は祝っても、お釈迦様の誕生日は祝わないねん?ま、いいか。キリストのお誕生日でお金儲けをする商人はいても、お釈迦様のお誕生日でお金儲けをする商人がいないから。そんなことを思った、お釈迦様のお誕生日の昼下がりだった。今日はお釈迦様のお誕生日。
独裁者は側近に裏切られて死ぬ。独裁国の内情を一番よく知っているのは、国民を抑圧する機関である秘密警察だ。独裁者の奢侈な生活を維持するための苛斂誅求がある程度の段階を過ぎると、今度は秘密警察が独裁者を暗殺する。最近の独裁者はそれがわかっているから、徳川秀忠あたりが言い出した、民は生かさず殺さずの呼吸で、自分の命脈を保っている。さて、そののりもいつまで続くことか。後継者が自分と同等かそれ以上の統率力を持っていれば、独裁政権の維持は可能だが、乳母日傘で育てられた世代が危ない。彼らは独裁者あっての側近は知っているが、側近あっての独裁者ということがわからない。わかっていても、先代の苛斂誅求で民の民力は疲弊し、ちょっとした飢饉で革命の火種やクーデターの火種がくすぶる。秘密警察の抑圧も限界がある。だって革命やクーデター...今朝見た夢。
甘ーいお菓子と、甘ーい番組に囲まれた日々。それらでだまされていたけれど、就職氷河期で就職できなかった若者たち、もう、いいおじさんおばさんになったと思いますが、あの人たちの老後を思うと、心が寒くなります。それに、バブルの頃の老人はよかったですが、最近のお年寄りたちはどうしているのでしょうか?デジボリスという警視庁が配っている防犯アプリで、「万引き、しない、させない、見逃さない」なんてキャンペーンがありますが、これってまさか、弱いものいじめのターゲットにされた子供たちが、無理矢理万引きさせられたり、食うに困った人たちが、万引きでもしない限りは食べていけないっていう、そういう経済状況にあるのでしょうか?もしそうだったら、経済政策や刑事政策の見直しが必要で、むやみに厳罰に防犯すればいい、厳罰を科せばいいという話で...甘いお菓子を捨て、心の目を開いて辺りを見回してみた見たら。
自由主義諸国の中でも衛星国はある。そう、西側諸国の盟主、アングロサクソン連合の衛星国だ。イギリスだけは君主国だが、後の西側諸国には君主国はわずかだ。あっても、その国のアングロサクソンシンパに金を配って、王冠を毀つために、メディアは皇室王室のスキャンダルを垂れ流し、若者に民主化共産化運動をさせている。かつてある国は平和に治まっていたのだが、アングロサクソンの軍艦が大挙押し寄せて無理矢理開国させられ、不平等条約で、その国の金を奪い取られ、そして寒い国の南下防止のために、多くの若者が殺された。老獪な政治家、軍人たちは、それを利用して、富国強兵・殖産興業のスローガンとともに、世界の一等国にした。が、寒い国が一国社会主義を言い出し、革命輸出をする心配がなくなったので、ターゲットの国に、石油は売らない、鉄くずは売らな...自由主義諸国の中の衛星国。
今日はおおぼけをかました。コーヒーを飲もうとお湯を沸かし、レギュラーコーヒーを蒸らしたまではよかったが、途中で妹と親に何か食べさせたくなり、食パンにチーズをのっけたのをトースターで焼いて、妹に一枚、私が四分の三枚、親に四分の一枚食べさせた。そして妹とカシューナッツを食べ、親にカシューナッツ三粒と食べる煮干し五匹を食べさせた。これは親を虐待して量をケチっているわけではない。食事制限がある中で、少しでも栄養補給させようとする、子供の苦肉の策だ。さて、そして台所に戻ってみたら、蒸らしたままのレギュラーコーヒーがあった。コーヒーを入れようと思ったが、お湯はもう冷めていたので、電気ポットのお湯でコーヒーを入れた。昔はできたマルチタスクも、今はできなくなっていることを痛感した。せめてもの救いは、ガスの火をつけたまま、...おおぼけをかましてしまった。
今は取り立てて、急いで解決する問題はない。だから自民党の裏金問題が大騒ぎされているのだろう。火種はアングロサクソンだ。アングロサクソンが自分たちが二大政党制でうまくいっているから、お為ごかしに日本に制度輸出し、自民党をスキャンダルで選挙で大敗させ、自民と維新で日本で無理矢理二大政党制をやらせたいと思っているのだろう。なぜならどちらもバリバリの新自由主義政党で、「負け犬に災いあれ!」という、恐るべき政党だからだ。そのための計画を日米合同委員会あたりで取り決め、官庁→広告代理店→マスコミ経由でスキャンダルをリークし、国民の脳みそに「自民党は金に汚いから、一強じゃだめ、二大政党じゃなきゃだめよ。」と、印象づけしているんだろう。少子高齢化を演出したのは、自民党と社会党。社会党のおたかさんあたりが出てきたときに、「...今解散総選挙をすればこうなる。
おいしい役所、総務省。なんてったって、選挙と地方自治、そして通信行政を担っている。そして行政管理ね。ここの政務三役についたら、とっても勉強できるわよ。政務三役とは、大臣、副大臣、政務官ね。私がここの政務三役になったら、お役人様に頭を下げて、総務行政のノウハウを教えていただきたいと思います。そう、お役人様に圧力をかけて無理を言って、お役人様のお怒りを買うのではなく、頭を下げて、レクチャーしていただくの。そしたら、ほかの役所の大臣になるより、よっぽど勉強になるわよ~。なんてったって、現場を握っているのは地方だから、ここに顔が利くお役人様は優秀よ。ただ、旧内務省の嫡流のプライドが高いから、へそを曲げられないように顔色をうかがわないといけないけどね。そうそう、アルバイトもいいかもね。アルバイトでも、志があれば勉強...もっと若かったら、総務省でバイトしたかった。
動物は利口だ。本能的に人間の本性を嗅ぎ分ける。自分に餌をくれそうな子供に動物はよってきて餌をたかる。そこは人間も同じだ。動物は利口だ。本能的に人間の本性を嗅ぎ分ける。自分を虐待しそうな子供には近寄らずさっさと逃げていく。そこは人間も同じだ。人に飼われている動物は優しい。それは動物たちが、飼い主を愛しているからだ。私が薬の副作用がひどくて寝入っていた頃、妹が飼っていた小鳥たちが、私を心配して、妹の部屋から私の部屋まで訪ねてきてくれたからだ。人に飼われている動物は優しい。それは動物たちが、飼い主を愛しているからだ。田舎にいた頃、白文鳥が鳥かごの扉を開けてかごの外に脱走し、海から昇る朝日を見た後、また、鳥かごの扉を開けて鳥かごの中に入って行くのを見た。そんな利口な彼らだ。私たちが気に食わなければ、隙を見てさっさ...動物あれこれ。
その国では、生まれる前の健康診断で、先天性の障害を持つ疑いのある子供は堕胎される。そして生まれ落ちると、姓名ではなく、もののように番号で国家に管理される。まともな親の子に生まれればよいが、変な親の子供に産まれると、実の親から虐待を受け殺される。そして、就学時健診で健康な子と病弱な子に振り分けられ、健康な子供たちは仲間内での競争し、将来奴隷になるための変態狂育を受けさせられる。その変態狂育が実を結んだものが、その国で「いじめ」と呼ばれる子供たちの習慣だ。特記しておくが、優秀な子供たちは、お受験という名の特別教育により、将来この国の幹部になるようなエリート教育を受けることができるのだ。そんな環境の中で、運良く心身を病まずに青年になったものが、社会に出る。ここでも、きちんと奴隷としてのエトスを身につけたものが企...悪魔が治める国。
去年は何でウグイスの声が聞こえなかったんだろう?今年は去年鳴き声が聞こえなかった分、今年はしっかりと鳴き声が聞こえます。それとも、心ここにあらずの状態で、梅の香りやウグイスの声を味わう余裕もなかったのでしょうか?が、今年は梅が咲いているところの周りでは、しっかりと梅の香りを感じ、ウグイスの声をしっかりと味わっています。そして梅の木にはメジロが!そうそう、元々日本茶が大好きなικμτ。梅の香りとお茶の香り、そしてウグイスの声と日本茶のなんともいえないうまさを味わいながら、日曜日の昼下がりを過ごしております。そういえば、こないだ屋敷周りを散歩したら、ふきのとうを見つけました。が、人に教えると、群生する間もなく取り尽くす人々が中にはいるので、場所は秘すべし秘すべしです。そんなわけこんな訳で、日本の春の情景をブロ...館周りの春の情景
今、あまりにも脳みそパッパラパー状態がひどいので、親の涙ロートの買い置きをもらって両目に入れたら、即座によくなりました。つまりは疲れ目だったのね。そりゃ暗い部屋に閉じこもって、スマホで細かい字を見ながらぽい活をしていたら、そりゃ、目が疲れるわ。皆さんも疲れ目には気をつけてくださいね。以上、ικμτ。脳みそパッパラパー状態、疲れ目と判明
いよいよ来週の水曜日は彼岸だ。彼岸を過ぎればだんだん暖かくなる。親を車椅子に乗せて、屋敷回りを回り、季節の草花を見せたいなあ。終戦後のもののない時代をくぐり抜けた親のことだから、私や妹に、「これは食える」とか、「これはなんとかに似てるが、毒があるから食べられない」と、教えてくれるんだろうなあ。本当にそろそろ暖かくなるから、親を車椅子に乗せて、屋敷周りの草花を見せよう。伝書鳩でもあるまいし、医者と病院の往復だけじゃかわいそうだ。そんなことを思ったικμτだった。来週の水曜日は彼岸だ。
今朝も七時ぴったりに起きて、ウグイスの鳴き声が目覚ましメロディ代わりでした。ああ、かわいいウグイスの鳴き声が、目覚ましメロディとは、なんと贅沢なことでしょう。今日も一日頑張るか。さてと、その前においしい日本茶でも淹れて飲むことにしましょう。以上、ικμτ。ここのところ、ずっとウグイスの鳴き声が目覚ましメロディーだ。
世界が見知った日常に戻った。自分が世界から孤立した感じで、世界が私を異物として排除しようとするあの奇妙な感覚が消えた昔から世界が自分を異物として認識し、私を世界から排除しようと世界意思を感じていた。そしてその奇妙な感じを消すために、ありとあらゆる努力をして、自分を世界に着地?接地?させようと、動き回っていた。この感じや行動は、市川卓司氏の小説に詳しい。もしかしたら、私は軽い自閉症か小児統合失調症患者で、それが今の年齢になって寛解したのかもしれない?いつも通りの薬をいつも通り飲んでいるから、処方は特に変わってはいない。とにかく、今日は、自分が世界から切り離された感覚がもたらす、世界バーサス自分という、幼い頃から感じていた、あの奇妙な感じが消えた。あの奇妙な感じこそ、医者の言う妄想気分なんだろうか?昔、発達障...世界が見知った日常に戻った。
ふるさとに帰りたいのか、親が文部省唱歌の故郷(ふるさと)を歌った。その中に「志を果たしていつの日にか帰らん」という箇所がある。親がその部分を歌っているのを聞いて、いけもとははっとした。度重なる挫折で志がぶれ堕落してしまっていたのだ。挫折。己の力不足を痛感して鍛錬し再挑戦すればいいのに、いけもとは挫折に負け、日がな一日安楽に暮らしていければいいと思っていたのだ。そんな濁った精神が周りにいる家族や恋人、そして友人たちに悪い影響を与えないはずはない。彼らのためにも心機一転やり直さなければ。しかし誰なんだろう?いつももう少しで寄り切られて土俵を割りそうになると、うっちゃりをかまして逆転するようにいけもとに立ち直る気づきを与えてくださる存在は?その存在に感謝。志を果たしていつの日にか帰らん。
めぞん一刻の五代君もそうだし、いとしのエリーの上野君もそうだが、彼らは漫画の中で、いつも自分にとって都合のいい妄想をしている。私が思うに、年がら年中自分にとって都合のいい妄想ができるのは、あれは一つの才能ではないかと思う。それに五代君も上野君も、響子さんやエリーが旅に出たときに、借金してまでも追いかけていく、あの行動力にも脱帽する。が、ここに書いたことは恋愛成就法だと思ってはいけない。なんか成功の秘訣はここにあるような気がしてならない。年がら年中自分にとって都合のよい妄想をして、チャンスとみるや、ありとあらゆる犠牲をいとわず、なりふり構わずチャンスをつかみにかかる。確かにそのポジティブな行動力は、このいけもとにはない。などと言い訳しないで、いけもとも願望実現のために頑張ってみるか。そんなことを思ったいけも...漫画の主人公に学ぶ。
DSのゲームに、ラブプラスというゲームがあります。そのテーマソングは、「永遠ダイアリー」。今まで気にはとめていなかったけれど、テーマソングの題名の意味に今気づいた。ラブプラスの女の子たちは、主人公との人間関係を一時的なものだとは考えていない。それどころか、永続的なものだと考えている。いつ壊れるかわからない人間関係にビクビクしておびえていた私にとっては、そんな人間関係があるなんて、夢にも思わなかった。本当に。永続的に続く人間関係を作りたいと思って人が近づいてくるラブプラスの主人公は、なんて幸せ者なんだろう?ふと、昔遊んでいたラブプラスというゲームの主題歌の意味を今更ながら気づき、主人公がうらやましく感じます。永続的に続く人間関係か~。ほんといいな~。実はそれに恵まれているのに、私はそれに気がついてないだけか...ゲームの主題歌に涙。
こないだ彼女さんと都内某公園に夜桜を見に行きました。それがこの写真です。美しい都内某公園の夜桜です。どこの公園かは内緒です。以上、いけもと。都内某公園の夜桜
今、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が。そういえば、去年の今頃親が病院から退院したのでしたっけ。親が退院して次の日の土曜日、親の部屋からDSボンバーマンをプレイする音が流れてきたときには、本当に涙が出てきました。それだけ入院したときは、瀕死の状態だったのです。そして救急車で救急搬送して、先生方の懸命な手当で、親は無事、生還したのです。本当にボンバーマンで遊ぶ親を親たらしめているのは、本当に親の生命力と支えてくださった皆さんのおかげです。それに私や妹と遊びたいのを我慢して、親の介護と看護に専念させてくれている恋人や友人たち。ありがとう。今夜は賛嘆日記と言うより、感謝日記になったなあ。ありがとうございます。第五日目
今日はハイドンの天地創造が聞きたいです。神の天地創造を、天使たちが賛嘆するという歌です。なんかこの歌を聴くと本当にうれしい気持ちになります。やっぱり人をくさす文や歌より、人を褒め称える文や歌の方が気持ちがいいや。と、ここまで書いて、口の使い方や耳の使い方を知ったような気がします。もっとも、目上の人から、「耳や口は、よきことを聞き、よきことを言うように使いなさい。」と、熱心にご指導を受けたことを今思い出しましたが。何やらよきことを書き、よいことを話しているうちに、意識が清まってきたような気がします。そんなことを思ったいけもとでした。さて、今日は大安にして一粒万倍日。読者の皆さんの心が平安になり、その平安が一粒万倍になりますように。以上、管内お江戸でいけもと。第四日目。
今日は気候のおかげか、早く起きることができました。あと一ヶ月もたてば、爽やかな五月のそよ風が待っています。暑くもなく寒くもなく本当にいい季節です。昨日、母と屋敷周りを歩いたときに、母が五月のそよ風という言葉を教えてくれました。去年の二月中旬には瀕死の状態になった母をここまで治してくださった、病院の先生方に感謝し、母の生命力を賛嘆します。咲き誇る花たちの季節も終わり、そろそろ新緑の季節。新緑の季節になれば、鳥たちも木陰で歌うんだろうなあ。それが素晴らしい命の息吹!命って素晴らしい!四季が楽しめる日本に生まれてよかった。いつ頃でしたっけ?文部省唱歌や叙情歌が教科書から姿を消し始めたのは。そういえば、学校でいやなことがあって、友達と遊ぶのもいやになったときは、自転車を東に走らせて海に行き、雄大な太平洋の海を眺め...第三日目
落語の小言幸兵衛じゃあるまし、世間や人様に小言ばっかり言っている嫌みなじいさんに成り下がっていた。で、量子もつれの考えからいくと、私の将来のパートナーになるべき人も、そうなっているそうだ。うーん。それじゃよくない。小言の好きな人。確か昔読んだ本に、「口やかましい人と一緒にいることは、梅雨に雨漏りのする家に住んでいるのと同じことだ。」(うろ覚え)などと書いてあったが、私が家族や近しい人にとって、梅雨に雨漏りのする家になっていては、周りの人たちにとって、居心地の悪い人であることこの上ない。って、自分で自分に小言を言ってらあ。それはよくないなあ。そんなわけで日時計主義の賛嘆日記を書くようにしたわけでございます。今日のお江戸はファインデー☀とても気持ちのいいお天気でございます。こんな日は自転車に乗って、ちょっと遠...第二日目。
日時計主義の賛嘆日記。とはいえ、私は別に特別なことをやろうとするわけではない。人様の悪を見ざる聞かざる言わざるというような消極的なやり方ではなく、人様の善行のみを見聞きして賛嘆する日記だ。そういえば、バブルの後の首切りキャンペーンの頃、大沢悠里さんがご自分の番組で、「人をフォローするラジオがあってもいいじゃないか。」(だったと思う)てなことをおっしゃっていたので、私も「うーんそうだなあ、人をくさすことばかり書いていたが、人様を褒め称えるブログがあってもいいじゃないか。」と心機一転してブログをリニューアルしたくなったわけである。過去ログを見るに、神様の被造物である自然の美しさは写真に撮ってアップしてはいたが、等しく神様の被造物である人の良さを褒め称える記事は、あまり書いていないからである。そんなわけでござい...第一日目
今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。人の欠点を見ずに、人の長所のみを賛嘆する日記。昔、今の団地に引っ越す前に家のポストに投函されていた、どっかの宗教のパンフレットに書いてあったことだ。残念ながらどこの宗教団体かは覚えてないが。さてと、今から始めてみよう。日時計主義の賛嘆日記。まずは私と温かい心のふれあいをしてくれる人たちの日時計主義の賛嘆日記を。今日から日時計主義の賛嘆日記を書いてみるか。
今日は天気がいいので、朝から洗濯をしていました。何やら体が動かないな~、と感じていたら、親が起きてきて一言、「てつこう、飯を食え。」との言葉。そういえば朝起きてから、ずーっと家事のしっぱなしで、朝ご飯を食べていませんでした。そして親とご飯を食べました。親は、夕べ私がといでタイマーをセットしておいたご飯と、昨日妹が煮た厚揚げ、私は朝はご飯が入らないので、トーストを焼いて、ガーリックバターを塗って食べました。そしてその後、親は妹が買ってきて、私が作るあさり汁を飲んで、部屋でテレビを見ています。そんな穏やかな日曜日でした。あ~、そんな穏やかな日曜日の朝。そんなささやかな幸せに感謝です。それと、彼女さんからもらったオシロイバナの種。去年花を咲かせて楽しんで、冬が来たので、茎を切り、根塊だけで越冬させました。そした...シャイニーサンデーに芽を出したシャイなオシロイバナ
今日四月八日はお釈迦様のお誕生日。なんか知らんけど、イエス様のお誕生日は祝っても、お釈迦様のお誕生日は祝わないのね?お釈迦様のお誕生日といえば、花まつり行進曲を思い出します。とはいっても、私はこの歌を直接聞いたことはなく、母親から聞いた妹からこの曲を教わったのですがね。そういえばこの季節は咲き誇る花が美しい。そしてその後は新緑の季節。花咲き緑萌えるいい季節でございます。イブの晩に降り積もる粉雪もいいですが、お釈迦様のお誕生日は花咲き緑萌える暑くもなく寒くもない命を祝福する素晴らしい季節でございます。そんなことを思ったいけもとでした。今日、四月八日は花祭りの日
4月2日の皇居北の丸公園の写真ですそれがこれですお楽しみください4月2日日曜日の皇居北の丸公園
相手の人格に対する畏れと敬意があれば、自分のエゴを相手に押しつけるようなことはしないだろう。ってことは、ユーザーはカモをなめきって利用しているわけである。そもそも「あんたとはやっていけないから離れる。」といっているのに、しつこく関わり合いを求めてくるような連中であるから、カモをなめきっていることは彼ら自身のしつこさが裏書きしているようなものだ。つまりその搾取性と強要性が自分をしてほかの人たちが離れていく原因なのに、ユーザーは、周りの人は冷たいとかずるいとかといって非難するのであるから、これは笑えない喜劇だ。で、まともな人たちは、ユーザーだと見抜いたら、即座に距離を置く。そして相手がしつこい場合は、警察力を導入してまでも、ぶった切る。が、お人好しのカモはユーザーに徹底的に利用され、ぼろくずのようになっていく...ユーザーはカモをなめきって利用している
患者だってむやみにトラブルを起こすわけではない。そのトラブル出現にはパターンがある。そのパターンを見抜くと患者にトラブルを起こさせずにすむ。例えばある人は家族内における疎外感かもしれないし、ある人は患者の人間関係の距離感を無視した密着型の人間に対するアレルギー反応であったり、患者の体力的や経済的都合を考えない外出の誘いであったりする。それに対する怒りが、患者の怒りの表出なのである。その刺激に対して患者の怒りの表出が大きすぎると思う人々もいるかもしれない。が、何回も何回も繰り返し繰り返し同じような攻撃を受ければ、誰だって「いい加減にしろ!」と、怒りたくなる。患者はキレる前に大体相手に警告している。が、警告を無視して、自分を疎外したり、患者固有の距離感を無視してベタベタされたり、患者の都合も考えずに体力的につ...こんな人間関係に悩んでいる患者もいる(弱気の失敗)。
サリヴァンの著作を私流に読むと、精神疾患者は精神生活におけるマイノリティだということがわかる。さらにジャックラカンの著作を私流に読むと、精神疾患者は言語生活におけるマイノリティであることがわかる。多分それが精神疾患者の生存戦略と生存戦術なのであろう。別な言い方をすれば、多数派とは違った発達の仕方をしているといってもあながち言い過ぎではないだろう。そんな生き方をしているマイノリティにとって、親や教師、そして精神科医のもたらすノーマライゼーションとは、かつて行われたキリスト教異端者に対する異端審問官の拷問や、戦前の特高警察が国体に反する思想を持った人たちに対する転向の強要みたいなものだとしか、私には思えない。彼らはなぜ、多数派と違った精神生活を送り、言語生活を送るのか?そこに私は神の意志を見いだす。仏教がバラ...多数派とは違った発達の仕方をしている人々。
自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。自分で自分を嫌うことは、底意地の悪い人と一緒にいるようなものだからだ。自分で自分を嫌ってストレスフルな毎日を送っても意味がないと、マジで痛感した。我が身を苦しめるのは自業自得だが、底意地の悪い人のほとんどが自分嫌いの人だという話も聞く。だから世のため人のため、自分を好きになる自己訓練を始めようと思い、こんな記事を書いてみた。以上いけもと。自分を好きになるための自己訓練をしてみようと思っている。
Microsoftのストアアプリであるフリーセルは、必ず解けることが数学的に証明されているそうですそれで私が「たかだか有限の操作で解ける」と言ったら、妹に「人生は短いんだ」と突っ込まれましたきっと理系のハローさんも同じことを言うことでしょうところでなぜこんな話になったかというと、あるソリティアは有限回の操作では解けない問題を出すからですその点、解けることが証明されている問題は、有限回の操作で解くことができるからですもちろんMicrosoftのソリティアではありませんそんなわけでございます以上いけもと。たかだか有限
加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。実はその根底には、人様に害を加える恐れのある自分が攻撃されるのが怖いという被害妄想があるのである。最近、屋敷回りを散歩するようになった。日中は先輩のいうように心身の時差ぼけがあるのか、それとも、薬の副作用なのかで動けないからである。そんなわけで、夕方お日様が沈む頃元気になり、動けるようになって、近所のスーパーに買い物に行くのだが、そのぐらいしか歩く機会がない。そんな生活を送っていたら、老母に「てつこう、屋敷回りを歩いて体力をつけろ。さもないと俺ぐらいな歳になったときに、体にがたが出るぞ!」と言われた。が、私には加害妄想があるので「そんな時間にふらふらしていたら、女性に変質者うろうろしてると思われるのでいやだ。」といったら、老母に「思い込みと命とどっち...加害妄想といっても、結局被害妄想の変形には変わりはない。
日本教の本尊は空気様だが、脇侍にいるのがお天道様とご先祖様だ。もっぱらの本尊は空気様だが、まず日本教徒はお天道様の自分の言動に対する検察と、ご先祖様に顔向けができるかどうかを考える。お天道様がみているので、昔の人は、人様が見てないところでも悪行を控えたが、今はお天道様の自分の言動に対する検察がないので、人が見てないところだと、やりたい放題をする。さらに、日本教徒はご先祖様に対して顔向けをするために、恥ずかしい真似をしない。最近はお天道様がみていても悪行を控えず、ご先祖様に顔向けのできない恥ずかしいことをする人たちが増えてきたが、それでも、周りの空気に逆らう日本教の異端者はいない。日本教徒にとって、次の三つがエートスすなわち行動倫理である。まずは空気様の顔色をうかがって傲慢な振る舞いを抑え、お天道様がみてい...空気様の脇侍、お天道様とご先祖様。