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わさびの日記 https://blog.goo.ne.jp/tsuki29_1954

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

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2021/08/08

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  • 古文書検定 準1級受験

    自信のないまま受験したので、想像通りの出来でした。結果は来月ですが、期待は出来ません。今回は、会場受験の雰囲気を経験するだけで終わりそうです。自身の無さの原因はいくつかあります。第一に基本的な解読に取りこぼしが多いことです。これは何だっけと思って、解読文を見て、ああそうだったとなることが多いからです。つまり、基本的な解読力が不十分ということです。次に、連想力の不足です。前後の文意から連想して、難しい文字を解読する力が不足しています。連想力の基は知識です。つまり、昔の言葉の知識が不足しています。古文書の内容によって、出てくる慣用句や頻出の熟語が決まってきます。そうした決まり切った言葉ほどくずし方が激しく難解です。そうした文字は、偏が何か、旁が何かなどと解読しようとしても歯が立ちません。最後に、苦手としているかな文...古文書検定準1級受験

  • 徒然草第百七十三段 (小野小町が事、極て定かならず)

    「小野小町をののこまちが事、極きはめて定さだかならず」、小野小町のことはよく分かっていませんが、弘法大師が生きていた時代の歌人です。弘法大師が50歳ころに、彼女は20歳前後で活躍していたようです。美人と騒がれるようになったのは、その頃なのか、その後の歴史が作り上げたものなのかは分かりません。事実は兎も角、勝手に想像するのは自由です。東北生まれで、歌人としての才能に溢れ、美人で長生きだったとのことです。小野小町は遣隋使で有名な小野妹子の子孫で、書道家として有名な小野道風(花札の雨札に出てくる人)とは従妹との説もあり、才能豊かな血筋だったことは間違いありません。美人だったかどうかは、当時の美的感覚によるもので、現代の感覚とは異なるかもしれません。長生きで90歳ぐらいまで生きたそうですが、仕えていた天皇が崩御し、宮廷...徒然草第百七十三段(小野小町が事、極て定かならず)

  • 徒然草第百七十ニ段 (老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし)

    「老いぬる人は、精神せいしん衰おとろへ、淡あはく疎おろそかにして、感じ動く所なし」、年老いてくると、精力は衰え、気力も弱く、物事に鈍感になる。それでも、知力は若い者より勝っている。老化は、肉体的にも、精神的にも、若いころのようには行かなくなります。肉体的に、瞬発力や持続力がなくなってきたことは、躓いたり、息を切らしたりすることで実感し、認めざるを得ません。一方、精神的なもの、記憶力や思考力が衰えていることはなかなか認められません。自分はまだまだしっかりしていると思っていても、言い損ない、記憶違い、健忘などは自覚しにくいからでしょう。自分で自覚できているうちにリタイヤして、周りに迷惑を掛けないようにするのが、最後に出来る社会貢献のひとつかもしれません。それこそが老人の知力でしょう。徒然草第百七十ニ段(老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし)

  • 徒然草第百七十一段 (好事を行じて、前程を問ふことなかれ)

    「好事かうじを行ぎやうじて、前程ぜんていを問ふことなかれ」、今、現在のことに集中し、先のことに気を取られるなということです。まず、自分の周りを固め、地道に努力することで、目標は達成できる。人を羨ましがったり、自分を卑下していても、自分が求めるものは手に入らない。自分にはこれしかない、これでいくしかないと腹をくくれば、きっと道が開けるということでしょう。「無い物ねだり」という言葉があります。貧乏な人はお金持ちになる事を願い、体の弱い人は健康的な体を羨み、お金持ちはスリルのある生活を求める。人はどこまで行っても、自分に無い物を見つけては手に入れたくなるものです。しかし、手に入れたところで、不老不死の薬は無いわけで、いつまでも自分のものにして置けません。自分自身でさえも自分の物であり続けられないのです。世の中では、サ...徒然草第百七十一段(好事を行じて、前程を問ふことなかれ)

  • 徒然草第百七十段 (万の事障りて時を移す)

    「人と向むかひたれば、詞ことば多く、身もくたびれ、心も閑しづかならず、万の事障りて時を移す」、人と話をするのは疲れるもので、互いに無駄な時間を過ごすことになる。話しをすることに関しては、男と女では大分違うようです。男は誰にも邪魔されない静かな時間を大切にしますが、女は誰かと無駄話しをする時間を大切にします。根本的に違うのでしょう。その違いはどこから来るのか。考えて見たところで仕方ありません。同じように、狩猟文化と農耕文化の違いは、攻撃と防御のどちらに力を入れるか。戦争に対する意識も、農耕文化の日本人は、攻める人は悪人、守ることに徹すれば世界は必ず平和になると呑気な事を考えがちです。しかし、狩猟文化の遊牧民族からすると、他を攻めて奪うことこそが生きること、それの何が悪いといったところでしょう。馬に乗って剣や弓で攻...徒然草第百七十段(万の事障りて時を移す)

  • 徒然草第百六十九段 (何事の式といふ事)

    「何事なにごとの式しきといふ事」、しきたりというものが云われるようになったのは最近の事で、昔はそんな事は気にしなかった。堅苦しい世の中になったものだということでしょうか。しきたりとは、一種の権威付けに使われます。こうでないと駄目だと、誰が偉い人が決めます。色々なやり方があり、夫々まちまちのやり方だと、これが正しい、それは間違っていると混乱するからでしょう。このやり方が正しいと決めてしまうと、そのやり方をしないと何か不味いことになるような気にさせます。人は、試行錯誤して課題を解決し、一度出来たことは、同じ手順ですれば同じように出来るようになります。これを再現性と言います。この再現性を維持するには、前提となる条件を整えることと、決められた手順を守ることが大切です。しかし、条件は変化しますし、人は横着に成ります。その...徒然草第百六十九段(何事の式といふ事)

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