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2021/04/19

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  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(238) 甲越 川中島血戦 65

    甘利、馬場、内藤、原、春日、山本勘助入道道鬼は、原昌勝の地理案内によって、やすやすと御嶽城にたどり着いた山本勘道鬼はこれより八人を従えて、城の塀下に忍び寄って地の利を斥候したそして松明を五、六百本を作らせて木の枝に結いつけたこれに兵士を五十人ばかりつけて、合図があったなら火をつけよと命じた総勢三千余人、太鼓を打ち、鬨をあげて攻めかかる無二無三に攻めかかれば、城方も険阻の要害を頼んで攻め入ることなかれと油断していたところに思いがけぬ敵勢来週一戦もせず、慌てふためいて本丸に逃げ込んだ天野鬼十郎も討ち死になる、敵は攻めよせてくる、なおも山々、谷々にも数百の松明が照らして攻め寄せるさまに、城中の足軽は元より、主だった勇士までもが戦意を失う始末である大将、木曽義昌は「もはや叶わぬ」と思い、田山壱岐守をもって、木曽累...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(238)甲越川中島血戦65

  • 同級生

    昨日は高校時代の同級生15人で久しぶりに集まって親睦会をした男女半々とバランスよく集まったものだ今回は十年ぶりくらいに参加した男子も二人いて、任意の集まりの中ではもっとも多かった以前は料理店に集まってやっていたが、近頃は気軽に集まれる居酒屋に代わっている恐らく冷凍食品の解凍オンパレードだろうが、70半ばともなれば料理はつまみ程度で充分、アルコールさえあれば楽しい時間が過ごせるほとんどが年金暮らしであるから料理屋の7割くらいであがる予算もありがたい68歳の時に卒業50周年の同級会を行い、その場で「次は古希に集まろう」となったが、コロナ騒動で中止になり、その後、リーダー兼事務総長のY子が急死して、もはや誰からも声があがらなくなったそれでも、昨日のメンバーは40歳の同級会の幹事ばかりなので、つーくんが「やっぱり...同級生

  • Yさんの思い出

    Yさんの奥さんが亡くなったと新聞の広報で知ったそれで夕方、家族だけの通夜式前の一般弔問に行って来た私は一番乗りだったので、妹と高校で同級生だった喪主さんが一人でいたから声をかけて、焼香のあとで少し話した彼は富山市で精密機器の町工場を経営しているので、こちらの自宅はもう空き家になっている、だがそれは豪邸で空き家にしておくのが惜しいほどだYさんの奥さんは99歳10か月だったそうだ、ずいぶんと長生きされたものだただ10年くらい前から認知症になって施設に入っていたYさんは15年前に89歳でガンで亡くなられた私の父より4歳年上で地元で魚の卸業を営んでいた、戦後まもなく東京からやって来た父が魚の行商を始めた時にYさんと出会ったのだったそれは険悪な出会いだったのだったYさんは27歳、父が23歳の時だ、どちらも負けん気の...Yさんの思い出

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(237) 甲越 川中島血戦 64

    かくして福島筋の武田勢、信繁、飫冨、長坂、栗原、市川、真田の勢も険難の切所を乗り越えて御嶽城に寄せ来りそして鉄砲を撃ちかけて、鬨をあげて攻め寄せる木曽方には、天野鬼十郎勝成が切所に陣を構えて、寄せ来る武田勢に激しく鉄砲を撃ちかければ、武田勢は面を上げる間もなく打倒されて、死傷数え切れず武田左馬助信繁はこれを見て、「騎馬武者にて横合いより攻め崩すべし」と下知すれば、依田新左衛門、高木蔵人、諸部又兵衛、一番に馳せだせば、左馬助の旗本も負けじと横合いより攻め入る栗原、市川、真田勢も同じく攻め入れば、木曽方も柵内より鉄砲を雨あられの如く乱れ打つこれによって、寄せ手は鉄砲の的となり、百余騎がたちまち打倒されて、依田、高木も手傷を負って、仕方なく引き下がるここに長坂左衛門は飫冨兵部の脇備えとして控えていたが、味方の正...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(237)甲越川中島血戦64

  • パンドラの箱

    パンドラの箱には一体なにが入っていたのだろう浦島太郎の玉手箱には止まっていた時間が入っていたそもそもパンドラの箱って何なんだ?調べてみたらなぜいきなりパンドラの箱を思いついたのかと言えば、自分の人生を振り返ったとき(大概は寝起きの時なんだが)煩悩が浮かび上がったそれはおそらくパンドラの箱から逃げ出した多くの煩悩の一つではないかと思ったからだ誰も彼もが当たり前の顔をして、何もなかったかのような顔をして生きているそれは知らん顔ではなくて、耄碌して忘れただけなのだ忘れるとは都合の良い言葉だ、耄碌したからとは都合の良い言い訳だ齢をとるとは、そう言うことに巧みになることなのだ「年寄りだから」で簡単に片付く場面が多くなった自動車に黄色いマークをつけておけば「老人だから仕方ない」で大概済んでしまう耄碌したって煩悩も欲望...パンドラの箱

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(236) 甲越 川中島血戦 63

    木曽左馬頭源義昌は清和天皇八代の後胤、帯刀先生義賢の嫡子、朝日将軍伊予守義仲の末流にして、数代木曽を領して、御嶽の城に住むその地は山から山に続き、険峻な谷から老松が重なり繁る深き山中を越え、木こりでも無ければ人の通う道なし大軍が通る道など無理な険地なり、更に剛勇の士が立てこもり武田の武威など恐れもしない。時に天文二十四年八月二十ニ日、武田の先備えは甘利、馬場、内藤、原隼人佐、春日福島口には武田左馬助、飫冨兵部少輔、同三郎兵衛、長坂、栗原、市川、真田源太左衛門、同吉兵衛に入道一徳斎信玄は日向大和守、諸角豊後守、穴山。原加賀守を従えて後陣を行く先陣はいよいよ木曽山中に足を踏み入れる、されども道らしき道はなく、獣道を行けば断崖絶壁に阻まれ、少しも進むこと叶わず軍議をするが、良い案も浮かばず堂々巡りを繰り返すばか...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(236)甲越川中島血戦63

  • 衆議院選挙 自民党敗北 そして妄想

    昨日最大のニュースは衆院選挙と大谷翔平のケガ大谷は盗塁失敗したとき不用意に手をついて、肩が外れたと言っていた「ハイ、入りましたよ」で済むとは思えない少なくともニューヨークの三連戦は大事をとって休養するのではないだろうかちょっと下手なスライディングをしてしまったという感じ、一番恐れていたケガをやってしまった今や野球の大谷、相撲の大の里は、それぞれの業界の看板スター、ケガをしてはいけない存在だ、軽症であることを祈る。衆院選は自民191(ー56)、立憲148(+50)、維新38(ー5)、国民28(+21)公明24(ー8)、れいわ9(+6)、共産8(ー2)、参政3(+2)社民1(ー)諸派3(+3)無所属12(ー10)となった無所属には自民党から公認を外された平沢、萩生田など自民党籍議員がいるから、これは自民に追加...衆議院選挙自民党敗北そして妄想

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(235) 甲越 川中島血戦 62

    武田信玄は諏訪、村上、小笠原の信濃の諸将を攻め滅ぼして信濃の過半を奪い取ったが、木曽左馬頭義昌は、険阻なる地形にあって上杉謙信と通じて抵抗を続けていた信玄は、これを勢いに任せて攻め滅ぼさんと願うが、上杉謙信が背後から攻め寄せるを危ぶみ、間者を使って越後を探らせたところ、信濃から帰陣して間もなく、今度は関東に出張って北條と干戈を交えるとの報が入った。信玄は直ちに木曾に向けて兵を進めたここに木曽の隣地に瀬場兵衛大夫宗範という勇猛無双の将がいる、木曽に属して堅固な城を構える武田に属す板垣法印は、瀬場と因があるのを幸いに、板垣を使者として「武田家になびけば領地安堵に加えて信州にて一郡を与えよう」と持ち掛けた瀬場は思案して、板垣の誘いに乗ることを決めたその後、天文二十四年正月、年始の慶賀に甲府まで大蓮寺に宿を賜った...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(235)甲越川中島血戦62

  • 今日は一日テレビ桟敷

    一年ぶりか、二年ぶりか正座が出来ない膝の痛みが出て来た座る時と歩く時だけ痛む、それ以外は大丈夫、原因が無いから運動不足で筋肉量が減ったか、サポーターをしたが、そのうち治るのがいつものこと。朝からワールドシリーズ、昼は第42回全日本大学女子駅伝対校選手権大会夜は衆議院選挙速報と目が離せない。他にも天皇賞、チャンピオンシップ男子ゴルフ、レディスゴルフ、全日本サッカー、プロ野球日本シリーズと目白押しの一日だ。昨日の第一戦は両エースが投手戦を展開して中盤まで緊張の試合にエースが降板して打線が動いたが、ヤンキースがつねに先行していた10回に勝ち越し点を取られて、その裏大谷も打ち取られてずるずる負けかと思ったが、ドジャースの底力ベッツを申告敬遠してフリーマンに劇的な逆転サヨナラ満塁ホームランとは今年のドジャースはMV...今日は一日テレビ桟敷

  • ハロウィン

    ハロウィンだそうだ都会では何年も何十年も前からハロウィン騒ぎが流行したようだが、我ら保守的な田舎町では全然・・・家の前や、そこらの家庭の玄関先でカボチャ仮面をたまに見るだけだ先々週、地区公民館から回覧板で「子供たちがハロウィンの仮装をして地域内の家を回るので、ご協力してもらえる家庭を募集します」とあったので参加希望を出した。子供たちが玄関に来て「お菓子をくれないと悪戯するぞ」と英語?で言うので「悪戯しないでね」と言って、お菓子をプレゼントする趣向だそうだ我が町内ではどこも希望しなかったので、わが家が一番のりだった午後になって「ごめんください」とやって来たシンデレラなどに仮装した小学生が10人ほどやって来た、PTAも5~6人乳母車に赤ちゃんを乗せたPTAも三台、賑やかでかわいい大小の子供たちが並んで声を揃え...ハロウィン

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(234) 甲越 川中島血戦 61

    かっては村上義清に与力していた楽岩寺右馬助、依右近進、和田、布下の地侍は村上没落後、信玄に臣従したしかし義清への忠心は失せず、近年村上を助けている上杉謙信の義侠心に義勇を感じて、密かに謙信に寝返った。天文二十三年六月、謙信は信州川中島に打ち出て、善光寺の東山に陣を張るこれを聞いた信玄も信州に馳出て、茶麿山に陣を敷く同九日、謙信は信玄の陣に使い番を送って「明日、川中島に出て、清野宿を放火する」と伝えた。翌十日に謙信は一万三千の軍勢を率いて清野に向かった信玄は清野宿の放火を防ぐために、馬場民部少輔に三百五十騎に歩兵三千五百を添えて清野から高畑に至らせ、筑摩川を前にして陣を敷かせたこの陣は山本道鬼の秘中の陣形で必勝の罠を仕掛けた陣備えである謙信は高見より、この陣形をじっと探り、その破りがたきことを悟ると、敵の四...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(234)甲越川中島血戦61

  • ネコ騒動 終わりのつづき

    ネコの親子も大騒ぎの割にはあっさりと捕獲されて一件落着今日になって実感がわいてきた、ほっとした気持ちが断然強いこうしてかけがいのない命が三つ救われたおそらく4~5匹は産んだに違いない、でも母親とここまでいたのは二匹だけ命強い子猫だけが生き延びた、そしてこれからは家の中で天寿全うできるこうしたことが何だか誇らしく思える、命を救ったことが嬉しくてしょうがないハッピーな気分だ、検査の結果、いずれもエイズ、白血病、感染症なし、母ネコだけワクチンを打った、子猫は体力を見てからだからもっと後になる子猫を守り続けた母ネコ、少しホッとしたかな母ネコ似のたくましいお兄ちゃんと、シャイな妹の三毛猫長生きしてくれよ!我が家の猫になる確率はゼロに等しいが一応名前は考えたのです、母ネコは「サン」サンキュウのサン、母は太陽のサン、お...ネコ騒動終わりのつづき

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(233) 甲越 川中島血戦 60

    戦が落ち着くと武田の本陣では首実検と論功行賞が行われた信玄は馬場、小幡、小山田の先備えの諸将を賞したされど戦はまだ続いており、甲州の虎、相州の龍は睨み合ったままである。そうした緊張するところに、駿州臨濟寺の雪斎和尚と善徳寺の長老が戦場に訪れたそうして北條氏康、武田信玄に向かい「隣国が干戈を交えるとは愚かなリ、北條も武田もわが今川家とは好み深い家同士である、今川から見れば肉親同士の戦であって、到底見逃せない」と言って調停に割って入り、ついには戦を辞めさせて、三家の和睦をも成立させた。信玄の嫡子、太郎義信はすでに義元の娘との婚約あり、今川義元の息子、氏真を北條氏康の娘婿と定め、氏康の嫡男、氏政を信玄の娘婿とすることが約され、そして三方に引き上げて行った。この度の戦では、馬場民部少輔景政、先駆けとしての軍功華々...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(233)甲越川中島血戦60

  • 地球環境と魚の激減

    昨日は新湊へ鳥を探しに行っている間にネコの親子はあっさりと捕獲された鳥は期待通りにはいかず、水鳥を少し見た程度渡り鳥が少しずつ姿を見せて来た。渡り鳥を見ると秋を通り越して冬の近さを感じる昨日のKNBラジオでは魚津水族館の元館長が魚の激減を語っていた特に鮭の激減が激しく、その原因はやはり地球温暖化だそうだ我々はローカル的に地元の河川に鮭が帰ってこなくなったと言っているが、その原因はベーリング海など北洋にまで及ぶ各地で稚魚の放流を行っているが、日本海、太平洋の海水温が上昇していて、稚魚は北洋に行く前に近くの海で死んでしまうらしいまた帰ってくる成魚も暑い海の為、故郷の川までもどれないらしいさらにベーリング海では固有のカラフトマスと少ない餌の取りあいになっているという海の温暖化は鮭だけでなく我々の口に入る多くの魚...地球環境と魚の激減

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(232) 甲越 川中島血戦 59

    小田原の先備え、松田尾張守、笠原能登守も勢より大剛の者と思しき武者六騎出でて、細道を半町ほど進み、小高き丘に登り「伴五郎大夫、松村七左衛門、殿原靱負、志村太八郎」と名乗りて威を張るこれに答えて、武田方より小幡山城入道の一子、又兵衛二十一歳が名乗りを上げる、数々の戦で手柄をあげて得た感状は十一通の勇士敵の六将の振る舞いを見てただ一騎にて駆け寄り、槍を引き絞って丘をはせ登ると同時にたちまち志村太八郎を突いて落し、五騎の敵と渡り合うただ一騎にて右に左に切って回り、追いつ追われつ馬躍らせて戦えば、小幡の中間、熊井孫四郎、藤右衛門が駆けつけて主を助けて戦う又兵衛は虎の如く吼えて露ばかりの隙も無く、伴五郎大夫、殿原靱負を相次いで馬から下に突き落とす松村七左衛門は驚き、鞭をあげて引き逃れるところ、又兵衛は飛鳥の如く飛び...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(232)甲越川中島血戦59

  • ネコ騒動 つづき

    あの日は16時頃、久しぶりにフーテンの寅ネコがやって来たので、裏口から出て買い物に行こうと車に近づいたら、目の前の草むらから母ネコと子猫が出て来たので驚きました初めて見るネコの親子、子猫はまだ2か月くらいでしょうか、その時は母ネコが三毛で、子猫が白と茶などで三匹子猫が居たと思ってましたが、昨日確認したら、母ネコは白に灰色、子猫は三毛と白に黒の二匹で、合計三匹最初の一目は当てになりませんね、一目ぼれと同じで翌日には「え~?」となることもさて、一昨日の16時に発見して、昨日保護団体の二人が午後15時過ぎゲージを持って訪れたのですが、昨日は朝から彼女らが来る前までは姿を現さず、どうしたものかと心配していましたが、ようやく母ネコがでてきてどこかに出かけて、子猫も少しだけ出てきましたそして団体の人が来たとき、ちょう...ネコ騒動つづき

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(231) 甲越 川中島血戦 58

    武田信玄は小笠原を滅ぼして武威はますます高まり、謙信が信濃に攻め寄せた時の要害として、信州川中島の内、清野の館に城を築いた山本勘助が縄張りをして僅か八十余日で普請を終わらせて、これを海津の城と名付けた。小山田備中守昌辰が城主となり、二の曲輪に市川梅印与左衛門尉を入れ、小室の城には春日弾正を置いた。同年極月、甲州にある浄土宗法を説いて人に勧めれば、法華信者の多くも浄土宗に帰依したこれにより法華宗の僧徒は大いに怒り、同二日には浄土宗の寺に押し掛けて宗論に及ぶ原美濃守虎胤は法華宗の宗徒であり法華宗に肩入れして、浄土宗の寺を焼きはらい僧の衣を脱がせて追い払う信玄は、これを聞くと大いに怒り、「その罪軽からず」と言えども、数回にわたって忠義の戦に励み手柄を立てる美濃守を死罪に問えず、所領を没収して、馬場民部少輔、内藤...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(231)甲越川中島血戦58

  • 大谷がドジャースが楽しみ&衆院選挙

    夜中から激しい南風が吹いて窓ガラスをガタガタとうるさく鳴らすそれは朝になってもおさまらず、まるで春の嵐のようだありがたいことに温かい、ネコの母子も寒い思いはせずに済んでいる。今週もワクワクが止まらない、もちろんドジャース対ヤンキースの大勝負の事だMLBが特別好きだったわけでもない、結局は特出した日本人メジャーを応援するわけで、当然ともなって所属チームのファンになるそれはチームメンバーを覚え個性を知るからだ既に何十名もアメリカに渡ったがMLBで不変の活躍をする日本人選手は、早々いるわけではない私の場合はドジャースの野茂で始まり、あとは長年イチローを応援し、今は大谷と、まだ三人でしかない松井や松坂、黒田、ダルビッシュ、マー君など活躍した選手も大勢いるが、私の目に叶ったのは最初の三人だけである。だから応援球団も...大谷がドジャースが楽しみ&衆院選挙

  • 散歩道 ネコ騒動

    外出しようと玄関を出たら迎えの草むらの中から三毛猫成体が出て来た白の中に明るい茶色が混じっている三毛猫だその後ろから、同じような白基調の子猫が二匹、ついて出て来たどう見ても野良猫としか思えないが、みな野良猫とは思えないきれいな毛並みで、顔も可愛いこれは困ったネコの命、知らぬ顔が出来ない私・・・困った年齢的に飼うこともできず、抗がん剤で免疫低下だからかまうこともできず困ったフーテンの寅ネコ(カート)、pee子もそうだったが、助けずにはおかれないのが私の弱点だ車を走らせながら何か方法はないか考えたこれから寒くなる、子猫は一か月くらいか、けっこう元気で飛び跳ねているから今ならなんとかできる女房殿はネコ道については私より詳しいから相談した結果、保護猫団体に相談することにした女房殿は、そんな関係三団体に顔見知りが居...散歩道ネコ騒動

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(230) 甲越 川中島血戦 57

    小笠原大膳大夫長時は桔梗が原の戦に敗れて、深志の城に逃げ籠り、敵が寄せ来れば城を枕に討死との覚悟を定めて、最後の決戦に備えた翌十日には武田勢が深志の城に攻め寄せて来たしかし信玄は、すぐには城攻めをせず十重二十重に取り囲んで、日夜鬨をあげて勢いをなし、城兵を休ませず疲労困憊に追い込んだ。やがて晴信は、花形民部左衛門、河野丹後守を城中に送ったそして小笠原に申すには「武田、小笠原は元は兄弟の家と言えども矛盾に及び干戈を交えることとなった、いかに武の倣いと言えども我は骨肉の小笠原を攻め滅ぼすこと士卒を殺すこと忍びず、長時が城を明け渡せば、我らは無用の殺生に及ばず」と申せば長時は「運が尽き、弓矢折れて城を枕に討死するは武の本意であるが、累代の武士を意地のために殺すのは忍びない、恥を凌いで晴信の申し出を承る、城兵を助...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(230)甲越川中島血戦57

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(229) 甲越 川中島血戦 56

    桔梗が原に押し出した武田軍は、木曽口に抑えの兵を置き小笠原には先備え甘利左衛門尉、飫冨三郎兵衛尉、馬場民部少輔、内藤修理正、春日弾正の五将に歴戦の勇士数多従う信玄は山本、真田、日向、原、秋山、芦田、諸角の諸大将を従えてすでに桔梗が原に押し出す。小笠原長時は、一家の江間治部少輔以下三千余人で桔梗が原に馳向かい五月六日両軍睨み合う間もなく鉄砲を雨あられと撃ちあう煙の消えぬ間に、早くも小笠原勢は槍を入れて攻め寄せた、江間が火水となって戦えども、武田勢の優勢に叶い難く、戦い負けて、討ち取られたる者は六百七十九人、江間らは這う這うの体で深志城に逃げ帰る。小笠原長時は大いに敗北を怒り、いよいよ全軍四千五百を率いて再度、桔梗が原に攻め寄せた両陣営、鶴翼に魚鱗に自在に陣形を巡らせて戦う、小笠原勢は今日を限りにと必死に戦え...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(229)甲越川中島血戦56

  • 眠い眠い、 そして畑の事

    急に寒くなったと思えば、蒸し暑くなって夏日になったりとこの頃の気候にはついて行けない、患った身であれば尚更そう感じるのだろう今朝は5時の室温15度寒い、6時も変わらず、そろそろ暖房が欲しい日中は23度まで上がる、天気は快晴だから過ごしやすそうだ明日は25度の夏日、まだまだ気温は安定しない昨日は日没時に散歩がてらスーパーへ買い物に行って5500歩歩いた体調どうかと思ったが、あんがいなんでもないものだ風がひんやりとして、少しだけ強く吹いていた、やや肌寒くて心配したが大丈夫だった背いたかのっぽの雲が伸びて、北に広がりそれは今にも雨が降りそうな雲でだが南はすっきりと貼れ上った青空、私の道の左右が全く異なった天気なのが面白かった。昨日はヤンキースがガーディアンズに勝ってア・リーグ優勝を決めワールドシリーズ出場を決め...眠い眠い、そして畑の事

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(228) 甲越 川中島血戦 55

    武田晴信入道の嫡子太郎殿は、去る天文七年に誕生した信玄は太郎を愛し、すでに十五歳となった天文二十二年に元服した。信玄公は使者を京都に登らせて、今出川右大臣晴季公を頼み、足利将軍義輝公に申し賜い入るに「信玄いやしくも、故萬松院義晴公より御諱の一字を賜り晴信と名乗り候、今、太郎にも御諱の一字を賜れば、信玄の望みはこれに過ぎること無し」と申し上げれば、義輝公の御許容あって義の一字を賜り、武田太郎義信と号し賜うる。信玄はこれを大いに喜び、我は義晴公の下の字の晴を賜ったが、太郎は義輝公の上の一字を賜り、我に勝る果報者であると絶賛した。天文二十二年四月陣触れがあり、義信の初陣の準備がなされた吉日良辰を選ばれて旗屋にて儀式が執り行われた飫冨兵部少輔虎昌、鎧を着せて参らせる、信玄は喜び「虎昌の武略あやかれば天晴、武勇の名...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(228)甲越川中島血戦55

  • 役者

    もう20年くらい前になるかな中学校の同級会が行われて、100人くらい集まったんだけど、その中にK子がいた格別の付き合いも無かったが、家は近くて親同士が昔からの友達だったからほんのりとした関係ではあった。K子は、私とは正反対で頭が良く、美人で、積極的な人だった高校を卒業して東京に出た。大学へ行ったのかどうかは知らないが音信は普通になった、別に友達関係でもなかったし、意識もしてなかったがその日の同級会で、彼女が私のところにやって来た、突然だったなぜ私のところに来たのかは全くわからない、今もわからないそして、久しぶりね”みたいなことを言って話し出した、それは唐突で脈絡もない話「高校生のときね、あなたのお父さんが家に遊びに来てね、私を見て言ったのよ『**ちゃん、美人になったなあ、うちの倅の嫁になってくれたらいいの...役者

  • ちょっと気分が良くなりましたから

    昼に投稿して頭は相変わらず「ぼ~」としていたので、昼食、テレビのあと14時半ころから寝て、18時まで寝ていました相変わらず、友人知人登場の楽しい夢を見ていました。起きてみたら、かなり楽になっていたので少しホッとしてますパソコン、スマホに集中している時間が長かったのも原因ですね、きっとそれから6月に退院してから、よく食べるようになって、もう健常者と変わらぬものを食べて、これが腸によくないのでしょうね人は調子がよいと調子に乗ってしまう、これがいけません一昨日は何と67㎏を超えて、入院前より太りましたから要注意です口が美味いので、ついつい肉でもラーメンでも食べてしまうので、自重が肝心またまた反省です御飯は軟らかめにして、みそ汁など水分を多く、少量ずつ口に入れてよく噛む是基本、忘れがちです少なくとも抗がん剤が終了...ちょっと気分が良くなりましたから

  • ちょっと不調

    昨日の夜はやたら暑くて、室温を見たら26度あった蒸し暑くはないが、季節が代わってから日増しに寒さが身に染みてきたところだったから、この気持ち悪い暑さには参った。そのせいか昨夜は深夜まで、抗がん剤の影響が出て苦しい夜になった二度、風呂に入って体を温めて、それから一時間くらいで落ち着き、朝は珍しく7時まで寝ていた。やはり抗がん剤は怖い薬であるそれはそうだろう、血球を減らすくらいだから劇薬なのだ私の場合は今の「ゼロックス治療法」が体にあっているのだろう、今までの3クールは多少の副反応はあったけれども、軽い症状だったでも抗がん剤の先輩が何人も言っていたが、先に行くほど体がたいへんになっていくとのこと今は、そこの入り口に来たのかもしれないでも今回でおしまいになるので、ぎりぎりセーフというところかなんか頭がボーっとす...ちょっと不調

  • 映画「PERFECT DAYS」を見た 2回目

    1回目を見たのは4月初め、もう一度見たいと映画館を探しているうちに5月に緊急入院となって、今日まで映画館で2時間以上じっとしていることができない状況になったのだった。ところが今月のWowowでは、2023年に上映された映画が相次いで放映されたこの映画もそうだが、「こんにちは、母さん」「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」、すべて見た映画だが、パーフェクトを家で見られるのはラッキーだった。映画は予備知識なく見る1回目、そしてあらすじを知って見る2回目では感じる場所が違ってくる、そして1回目では見落とした部分が2回目では見えてくる感じ方も違ってくる。登場人物にも視点が行く、作者はそれぞれに何を背負わせたのか、まっさらな俳優にどんな個性を持たせて魂を吹き込んだのか主人公平山(役所広司)、同僚の若者タカシ、ホームレ...映画「PERFECTDAYS」を見た2回目

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(227) 甲越 川中島血戦 54

    かくして上杉謙信は上杉憲政に頼まれて北條を討つべく上野の国へ兵を出した武田信玄は上杉謙信が越後を離れているので、いよいよ信濃の小笠原攻めをするのに良い機会と天文20年8月2日甲州を出発したそして信州小県郡へ打ち出した、武田佐馬介信繁を大将に、長坂釣閑斎、内藤修理正、日向大和守をつけて深志(松本)の小笠原を抑えさせた同月5日には旗本の前備え、馬場、渡部、甘利、飛田、牧瀬、野上、平林早川、金丸、椎名、米倉など諸将を従い小笠原勢の刈谷原の城に攻め寄せた城将太田弥助は大剛の勇将、これに従う助勢たちは皆勇士なれば鉄砲を放ち矢を放ち雨あられのごとく、武田勢打ち倒される者数知れず、進むこともままならず信玄公は大いに気を苛立ち、深志より援軍が来ることは必定、その上上杉入道謙信、奇妙な男であればこそ不意にこちらにやってくる...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(227)甲越川中島血戦54

  • 割引だ、ポイントだ

    ドラッグストアで高齢者15%引きというので欲しいものがあったので買いに行きまして、レジに行って「老人割引の日だね」と言ったら「はい」それで商品を出したら「お客様、養命酒は割引対象にならないんですよ」「あれれ1910円なのに」「これ酒類なんですよ~ぉ、お酒は割引対象じゃないんですよ」「ああ、これそうだね、養命酒だもんね、そうか酒か」「どうしましょう?」「いいよ、どうせいるんだから」一件落着ここでは割引2連敗中前回も15%割引で、980円の品を買ってレジに行ったら「すみません、1000円以上からなんです割引…広告に書いてあるんですけど」チケットを見たら1000円以上のお買い物でと小さく書いてある、納得したが「前からそうだった?」と聞いたら「すみません、最近こうなったんですよね」だそうだ・・・決まりは決まりだか...割引だ、ポイントだ

  • 衆院選ですね

    選挙が始まりましたね、ほんの少し前近くで街頭演説がありました自民党ですが今回は先の見えない選挙なので、声をからすほどに長時間力説していきました。裏金問題で窮地ですが、小泉首相以来の仲間の斬り捨てを断行した石破総理、岸田総理を引き継ぎましたね、これが選挙で効果を発揮するのかどうか?だけど野党も頼りないからね・・・いい勝負が展開されるでしょう。落選しても比例で助け上げるのはどうなんでしょう、負けた武士は見事に腹を切って果てますけどねせめて惜敗率95%以上とか、名簿順位は何番以下とかにすべきじゃないですかわれら北信越5県では昔から自民党王国と言われましたが、長野県だけは与野党伯仲してましたがところが平成からは長野県でも自民党が強く、北陸三県も自民党王国、なぜかかっての自民党王国新潟県だけは民主党系が勝つことが多...衆院選ですね

  • ついに最終投与が始まった

    昨日はとうとう最後の抗がん剤投与が始まりました5週間遅れた原因は抗がん剤によって、白血球、赤血球、好中菌数が維持下限数の8~9割になるからだこれは抗体が弱まって通常よりも細菌などによる病気に罹る確率が大きくなるということで、最悪死に至る病気にもなるというそれでは今は存在していない(かもしれない)がん細胞を恐れて、免疫を下げて死に至る病を招き寄せることになる先生は抗がん剤の中止を勧めた、これもステージ2だったからで、3以上だとどちも危険なので主である抗ガンを選択するという但し、数多ある治療薬を好感しながらだと言った。担当医が代わった、恐らく執刀医だったA先生が、新任で来たばかりのB先生になったB先生は無表情の若い先生だ、あまり話もしない、高校のクラスに一人居るクールで近寄りがたい同級生タイプ私の半年をペーパ...ついに最終投与が始まった

  • 早朝3時に目が覚めて

    しばらく就寝時間が23時過ぎになって来たので、夕べは20時半に寝た案の定、午前3時に目が覚めて、もう眠れない時間的には6時間半熟睡したので十分と思うが、どうも夜中の3時では何をやるにも半端すぎる。風が南の窓を叩いている、夕べは肌寒くてくしゃみも出ていたのに、今は室温が23度あってフェーン現象の臭いがする。夕べ20時半にベッドに入ったのには2つ理由がある一つはドジャースの第二戦が朝5時からで、それが見たいがためいま一つは今日が病院での検査日だからだ、血液検査次第で一つの区切りがやってくる前回の検査では赤血球、白血球、好中球が標準下限を10%ほど下回っていて2度目の抗がん剤投与延期になった一回目は3週間延期、今回は2週間の延期にしてもらった、これ以上遅れると11月のスケジュールに支障が出てくる是が非でも今日は...早朝3時に目が覚めて

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(226) 甲越 川中島血戦 53

    京都にて政治を握る足利将軍家は、関東の地をも押さえさせるために関東管領を定めて鎌倉に足利一門を送り込んで関東管領と定める。管領足利基氏の時、管領家の執事である上杉右京亮憲忠(のりただ)が関東管領を継いだ足利持氏の末子、成氏は是を怒って上杉憲忠を殺した、すると上杉の一門はこれを怒って戦いを挑み、上杉兵部少輔房顕が成氏を破って鎌倉に戻り管領を名乗る房顕の子、民部太輔顕定は上野平井に城を築き、鎌倉の山内に住み山の内上杉家となり、上杉修理大夫定正は扇ケ谷(おうぎがやつ)に住んで扇ケ谷上杉家となり、互いに管領を号して、両管領という。頼定の子、民部大輔顕実は武州鉢形城に住して管領職を継ぐ、そして数代、上杉憲政の時、小田原北條氏康が武田と密約を結び上野国に攻め込んで、天文二十年、憲政は敗れて上野国を逃れて、長尾景虎を頼...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(226)甲越川中島血戦53

  • 恐るべしドジャース打線&サツマイモ収穫

    ドジャストとメッツのリーグ優勝戦が始まったメッツの先発は千賀だったが2回一死で3点奪われてKo!スコアは5回終わったところでドジャースが6対0ト一方的な試合になっているドジャースの先発フレアティーは4回までノーヒット調子がいい、前にも書いたがドジャースが圧倒する試合は6番以降の下位打線が打てるかにかかっている、下位打線が打つと大谷へまわり大谷が打つと上位打線も位打線も得点を重ねるというパターンが何度かあった。今日の試合もそのパターンである、大谷もここまで4打数2安打1打点と活躍している投手陣も今日の5回を終わったところまでで29イニング無失点に抑えている投手陣も絶好調だ。7回も0で押さえてこれで31イニング無失点。4回が終わったところで畑に出てさつまいもを収穫した出来栄えはご覧の通りで想像していたさつまい...恐るべしドジャース打線&サツマイモ収穫

  • ドラえもん電車&近況あれこれ

    ドラえもんの声優、大山のぶよさんが90歳でお亡くなりになられた奇遇かな、10日に乗った万葉線電車は「ドラえもん電車」だった。81歳の先輩に誘われて居酒屋へ行ったこれより前に飲みに出たのは一体いつだったか思い出せない5月には入院したから、それより前であることは確かだ今回はボランティア仲間の59歳、70歳を含めて男ばかり4人先輩もおととし、すい臓がんの手術をしている、すい臓がんは発見がされにくく見つかった時にはステージ3、4という場合が多いらしいだが先輩は偶然に見つかったらしく、まだ芽生えたばかりのガンであった見つけたのは町医者で、大きな病院で調べてもらうように言われて、そこには検査機器があってそれで調べたらしいが、あまりにも細胞が小さかったので、医者は「申し訳ないが、この機械はステージ2以上になっていないと...ドラえもん電車&近況あれこれ

  • 日没の浜辺にて

    昨日の続き順番は前後して、こちらが先だったがなぜか心は逆順を選んだ。予想に反して夕日には会えず、これも自然相手なればよくあることとあきらめるそれでも日没後マジックアワーの楽しみあって、しばし・・・釣り人と同じ心にて見る波のきらめきなぜか嬉し日没の浜辺にて

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(225) 甲越 川中島血戦 52

    この度の時田合戦では旗本の前備えは馬場甘利内藤板垣の四手であったが、山本道鬼の作戦を行うにあたってこの四手を戦に出したが甘利内藤馬場の三将は粉骨を尽くして勝利したが板垣弥冶郎ただ一人軍を出さず見物していた信玄は甚だこれを怒り「板垣、諏訪の郡代でありながら、酒宴遊興にのみ浸って、軍事を怠り法福寺の合戦にも虚病を構えて出陣せず、小山田までも騙して、戦を遅らせた、此度は馬場内藤初老でもあり苦戦を強いられたが、八治郎はこれを他人ごとのように見ていた甘利左衛門尉は若年であるが何度も戦功を表し感状を得た、弥治郎は組下に名誉の勇士を多く持ちながら一度も手柄を立てず駿河守の嫡子なれば才あり臆病者ではないはずなのに、これは忠義の心が薄いとしか思えぬ、仁義の心がないのだ」と、もってのほか機嫌悪く、原隼人佐、市川宮内助の両人も...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(225)甲越川中島血戦52

  • 日没後の漁港にて

    16時半ともなると陽は西の家並に隠れてしまう日没にはまだ早いので、急いで海に向かう、今日は夕日の凄いのに会えそうな気がしてけれども水平線に湧いた雲がせっかくの楽しみを消し去ったけれども、その後の30分はまた違った景色を見せてくれたそれから春先まで働いた漁港に行って見た日の出前から昼まで仕事をしていたが、夕暮れ後の港を見るのはずいぶん久しぶりだった。日没後の漁港にて

  • ドジャース、リーグ優勝決定戦に出場決定

    大リーグナリーグプレーオフドジャース対パドレスの2勝2敗同士のリーグ優勝進出のための最終戦MLB初の日本人先発対決山本対ダルビッシュ、山本は第一戦で2回ノックアウト一方ダルビッシュは第2戦で7回1失点で勝利投手今日の対決はどうなるか山本の持ち味はストライク先行でアウトを積み重ねていく省エネ投法、注目の1回は1三振を含む三者凡退で抑えた、見たところ好調時の山本の投球だ今日は期待できそうさあその裏いきなりダルビッシュ対大谷の第1打席ダルビッシュは中4日がどう出るか、山本もダルビッシュも早めの継投が予想される、どちらのチームもブルペン陣が充実しているので早く2点ほどの選手点を取った方が有利になるだろうさあ大谷対ダルビッシュの第1打席大谷はダルビッシュに軽く挨拶をして打席に入った3-2から空振りの三振第1打席はダ...ドジャース、リーグ優勝決定戦に出場決定

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(224) 甲越 川中島血戦 51

    去る時田合戦においては武田が、最終的に勝利したが武田勢の重臣小山田備中守討ち死に、さらに小山田左兵衛も伊地知大隅守と戦い討ち取ったが自分も痛手を折った、帰国の後様々な治療をしたけれどかいなく21日目についに亡くなった信玄はこれを深く惜しみ、嫡子小山田弥三郎信繁に家督相続を許したが、弥三郎は辞退した、けれど「代々の所領であればなんぞ相違あるべきかと信玄は弥三郎に都留郡一円を変わらず与えた、弥三郎は手勢二百騎も将となった。そもそも小山田の由緒を訪ねれば、武田の先祖太郎信義五代の後胤武田安芸守信宗は、六郎安芸守時綱の嫡子であったが没落して甲斐の国を捨て、碓氷峠を越えて上野から武蔵に至り、滝山というところに彷徨っていると、一人の聖が追ってきた、そして信宗のそばに近寄り顔をじっと見ていたが「そなたは何者であるかと聞...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(224)甲越川中島血戦51

  • 日本のベニスと呼ぶ「内川」辺りを歩いてみた(射水市、新湊)

    先々週に続き、また万葉線に乗って海王丸駅から新町口駅までここからゆっくり港町の景色を眺めながら内川の「川の駅」を目指すのんびり歩いて10分で川に着いた。観光案内のネットによれば>内川は、富山新港から東西約3420メートルを結ぶ運河。海から海へとつながる珍しい川です。ということだ。映画のロケ地にもなった、独特の情景を醸し出す場所には思える観光船がこの運河をゆっくりと通り過ぎていったまず橋が独創的で、いくつもある橋はそれぞれに個性的、今回は1時間半しかないので、今度あらためてゆっくりと歩こうと思う川べりの喫茶などもあって下調べしてくればもと楽しめるし、観光船にも乗って橋巡りをしてみたい。街並みもちょっと雰囲気があって、ゆっくりと歩いてみたい。日本のベニスと呼ぶ「内川」辺りを歩いてみた(射水市、新湊)

  • 映画「放浪記」を見た 林芙美子、そして私の祖母の事

    昨日、女流小説家「林芙美子」の生涯を描いた昭和37年の映画「放浪記」主演、高峰秀子を見た若き日の宝田明、小林桂樹、加藤大介、草笛光子、田中絹代、中谷昇、飯田蝶子など豪華キャスト、舞台では森光子が30年近く2017回まで公演したことで有名。大正末期から昭和初期にかけて芙美子がその生活を(主にカフェーの女給)赤裸々に綴り、それをもとに書いた小説「放浪記」で昭和5年に刊行された。これで一躍有名人気作家となって、貧乏暮らしにピリオドをうった。私の祖母も、離婚して貧しすぎる家計を助けるため、一人息子を祖祖母に任せて鬼怒川温泉に住み込みで出稼ぎに行ったどんな仕事をしていたかはわからないが、その前の仕事が旅館の住み込み女中だったから、温泉旅館で仲居をしていたというのが一番だが、カフェの女給の方が稼ぎが良かったので、わが...映画「放浪記」を見た林芙美子、そして私の祖母の事

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(223) 甲越 川中島血戦 50

    武田の先陣大将小山田備中守討死小山田左兵衛尉、栗原左衛門尉深手を被り飫冨、真田、芦田は大敗して退いたこれは長尾政景の勇猛なるゆえである、まるで鬼神のようであった、武田勢は皆舌を巻いて恐れた。山本勘助入道は旗本の脇備えにいたが、越後勢の引く様子を見て、長尾景虎と長尾政景の間に不和があると見抜いた政景がいかに強いといえども、戦いの様子を見れば味方に対する怒りを含みもはや討ち死にすると定めた戦である彼を討ったとしても景虎は引き返して助けにくるまいと知り越前守を討つのは今であると、旗本の前備えの馬場民部少輔、甘利左衛門尉、内藤修理勢に謀を言い含めて、山本勘助真っ先に軍を進めた馬場、甘利、内藤をはじめ、真田、芦田、相木など名だたる武田の大将らわめき叫んで打ってかかる真田一徳斎は一時は敗れて引き上げていたが、甘利、内...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(223)甲越川中島血戦50

  • 捨てるべきか売るべきか、置いておくべきか

    私の部屋は少しワイドな2間真四角の洋間この頃思うのは部屋にあるものの処分、要するに断捨離だ今までもかなり処分したので、大したものはないが改めて見回すとここに置いて後々息子の邪魔になりそうなものは、レコード100枚程度、CD50枚くらいあとは本とアルバムそれ以外はモニターやオーディオやパソコン器具くらいがあるだけでそれは邪魔にはならないと思う、最近はテレビラジオだけでなくて新聞の広告にもやたらめったら買取専門業者のコマーシャルだ、近頃は我が地元のスーパーや会館にまで出張鑑定買取のチラシも入ってくるようになった金製品古銭ブランドバッグブランド時計レコード切手骨董品に古い着物農機具だとか美術品、絵画まで買取とかとにかく何でもかんでも買取するという別物では中古車買い取りとか農機具とかはロシアとかアジア諸国などで売...捨てるべきか売るべきか、置いておくべきか

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(222) 甲越 川中島血戦 49

    先陣を承った長尾越前守政景は、越前守房景の子で、幼名は五郎と言った去る天文六年、景虎が兄晴景と戦った時、越前守父子は晴景に味方したが、晴景の暗愚な性質を疎み、米山の麓から軍を引いて上田に帰り、立てこもっていたが景虎は晴景を討って長尾の家督を継いだ為景と政景は景虎と和睦して、景虎の姉を娶り、親戚として最も深い縁者となった。政景は大望を持つ勇者であったから、景虎の下になるような性質でなかったので景虎は心底、政景を心翌思わなかったが、今日を幸いに政景を見殺しにしようと謀ったのである政景を殿軍として誠に戦には不利な場所に置いて、武田の大軍を政景に任せて、景虎は政景の一手に武田勢を任せて全軍を率いて地蔵峠から須坂まで手軽く引き下がった。武田勢は越後勢の引くのを見て、小山田備中、飫冨兵部少輔が急ぎ追って越後勢を攻め崩...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(222)甲越川中島血戦49

  • 記事

    大概は寝ていても行儀が良くて掛け布団が乱れることは滅多にないが、昨夜は掛け布団が絡み合うほど乱れていたどんな夢を見ていたのか覚えていないが多分楽しい夢を見ていた気がする目が覚めたらまだ暗いけれど5時半だった、今日の予定は美容院でカットする、今日はドジャースが移動日で試合がないので他には全く予定はない。昨日は珍しく一日中シトシトと雨が降っていた、今日も一日中雨予報雨は憂鬱だがここに来ての雨は案外悪くない、まず畑の野菜が喜ぶだろう私も暇が開いて少し嬉しい、とにかく何をやろうがやるまいが一日中寝ていようが全く自由で、これが高齢者のご褒美なんだろう。おとといは女房殿は地域のグランドゴルフ大会に参加したが、私ときたら全然スポーツや運動をしていなくて、せいぜい散歩くらいのものだそうそう、この頃小学生程度の筋トレはやっ...記事

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(221) 甲越 川中島血戦 48

    三略に曰く戦を仕掛けるにはまずは敵の情を察して、その蔵を見て米の蓄えを知り、それによって敵の強弱を占う武田信玄は小笠原を攻め滅ぼさんと、天文20年3月より5月まで信濃の国に入って田畑を荒らし、麦を踏み荒らし出てきた敵との戦いを望んだが敵は出てくることがないので兵を引き、同年8月にまた諏訪に出向いて兵を敵地に分けて今度は秋の収穫を踏みにじり民家には放火してあるいは乱暴させて敵の地を荒らし敵の兵糧を減らした伊那の方へは弟の信繁を大将として攻めさせ木曽の方へは武田兵庫之助信実を大将として、縄無理ノ介、五味与三兵衛を差し向けた伊那、木曽、松本の三方に軍を分けて進めた馬場民部少輔景政、甘利左衛門尉の両将は松本へ向かい、小笠原長時の深志城まで乱入せんと桔梗ヶ原(現、塩尻市街地の西)へ打って出た、そして周辺の村落を焼き...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(221)甲越川中島血戦48

  • 食欲の秋 味覚の秋

    秋の恵がそろそろ取れ始めて友達からも色々頂いていますつー君からは大きなみょうがをたくさんいただき、同じく同級生のやっさんからは大きな造り栗をいただきましたまた女房殿の実家からは新米コシヒカリを頂いて美味しく食べています今日は朝のうちに栗ご飯の準備と、みょうがの甘酢漬けを作りました栗は普通サイズを栗ご飯用に、大きなサイズは茹で栗でそのまま食べます1つ2つ茹で栗を食べたけどびっしり詰まってとても美味しいですみょうがの甘酢漬けもちょうどいい味になり明日からが楽しみです今日のドジャース対パドレスはダルビッシュが先発でいい投球を続けていますこれから7回に入るけどももう見るのやめました、勝負ありと見た今日はダルビッシュの勝ちでいいと思います、大谷も3打席ダルビッシュに抑えられ試合の雰囲気を見てもパドレスの選手たちの気...食欲の秋味覚の秋

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(220) 甲越 川中島血戦 47

    さてここに板垣弥治郎信里は諏訪の郡代として組衆250騎を従えて諏訪にいたが、敵の近くにいながら少しも戦を行わず組の諸士を侮って軽んじた誰にはばかることなく城中に美女を置いて日夜酒色をもっぱらとする有様奥の間には人の出入りを禁じ昼夜遊楽のみに暮らすこれひとえに信玄公を恨み密かに越後に味方しているからで、そのためあえて敵を防ぐこともなく組の諸士は嘆き怒るけれどもいかんとも仕方なく密かにつぶやくのみそんな中に曲渕庄衛左門、三科肥前守、広瀬郷左衛門の3人は信里が軍事を怠ることを嘆いて信里の居間に入って諫言したけれども数多の女たちは集まってこれを支えて申すには「いかに被官の者といえども褥(しとね)に入ることは無礼でありましょう」と言ったので曲渕はまなこを怒らせて「狐、狸に等しい女ども板垣殿を惑わして諸士の怒りを起す...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(220)甲越川中島血戦47

  • 楽しみなプレーオフ 大谷の活躍は?

    3週間前まではエアコンなしではいられなかったが、今は電気ストーブを出したい気分だ、35度から20度に一気に下がったからだ近年の気温変化は短期間で極端すぎる、だから春と秋が無くなった感じがする。昨日は雨の晴れ間に散歩したが、久しぶりに1時間6500歩歩いた退院以降、最高の歩数だった、体重も65㎏を越えて、入院前と変わらなくなった、体温が急上昇して平熱が1度以上あがったのは?今の状態が人並みなのだが・・・35.2度から36.5度に平熱があがった。メジャーリーグのプレイオフは第一ステージのワイルドカード決戦が終わり、ア・リーグ、ナ・リーグ、それぞれ4チームが残ったこれからリーグチャンピオンをかけての、それぞれ2試合が今日から始まるまずはリーグ準決勝と言ったところか、3勝先取でリーグ優勝戦決勝に勝ちあがるワイルド...楽しみなプレーオフ大谷の活躍は?

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(219) 甲越 川中島血戦 46

    天文十九年十二月二十日、武田晴信公は旗屋にお入りになり、足利より呼び寄せた桃首座、片側町の当松庵の両名に本卦を尋ねる両僧これを承り、卦を占うに「君の本卦は豊かにして尤も宜しき、御生まれでありますが、六ニの辞に云く、昼より以前は吉なれど、昼以後には満ち欠けの動きあり、これへの御思慮なされますように」と申し上げる。晴信は、これを聞いて「その儀に思い当たることあり、我は若年の頃より父信虎に疎まれて種々の危機に遭い、近年は長尾の大敵と雌雄を争い、その上、上野国を手に入れようとしたところ、北條氏康も望んでいることを今川義元に訴えて、今川からこれを妨げられた日中以後に良きこと悪しき事、繰り返されるとあれば、晴信は入道して天命を恐れるべし我はかねてより剃髪の志もあり、そのわけは一つには、世上の体を見るに、古き家の滅びゆ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(219)甲越川中島血戦46

  • 世界の人口問題

    今は夜の連続ドラマも秋番組への切り替え時期で「すばらしき也先生」しか見ていない、これも次回が最終回だあとは大河ドラマ「光る君へ」と朝ドラ「虎に翼」が終わり、橋本環奈主演の「おむすび」に代わった残念ながら松平健、宮崎美子などを並べたドラマだが、今一乗れないで、たぶん今回はパスである。この他はサイエンスや歴史、実録物ばかりで「フロンティア」「アナザーストーリーズ」「その時歴史が動いた」「NHKスペシャル」「サイエンスゼロ」「新プロジェクトX」と圧倒的に有料放送のNHKが多い、見なきゃ損だからね。この前の、爆発的に増加する世界人口80億人突破の放送に興味がいった。多種多様な生物の中で人類につながる、猿人、原人、ホモサピエンスの太い幹は100万年以上前からある「フィットコール」という遺伝子の突然変異を調査していく...世界の人口問題

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(218) 甲越 川中島血戦 45

    この曲淵庄左エ門と言う男、隠れ無き武辺名誉の者であるが、理非については無頓着で心のままに動いて、他の人々の気持ちなど少しも考えないそれゆえに、本人に悪げなくとも、大いに迷惑を被る者多く、とかく争論すること多く、訴えに及んだことは七十四度にも及ぶ、そのうち一度だけは勝ったけれども七十二回は訴訟に負けて、残る一度は預かりとなる。それなのに又しても家中の朋輩と論争になり、またしても訴訟に敗れた悔し紛れに、「此度の訴訟は、某が勝つべきものなのに、各方面に手を回さなかったばかりに負けてしまった、今一度、訴訟をおこすが、その時は柿、栗を手土産にもって各方面井に配るものなり、特にわが里のさわし柿の味は最上であるから、必ずや訴訟も勝利するであろう」と言って相手の者たちを散々に罵ったが、晴信が愛する者なので、誰もこれに逆ら...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(218)甲越川中島血戦45

  • きっかけ

    自分の仕事、結婚相手、趣味、友人、振り返ればそれぞれに出会いのきっかけがある嘘か本当か知らないが、ニュートンはリンゴの木の下に座っていたから引力を発見するきっかけになったし、豊臣秀吉は家出した子供の時、橋の上で寝ていたから蜂須賀小六に出会い、その後の出世物語のきっかけになった(完全な作りごとだが)こんな大物のきっかけは別として、我々一般人にもいろいろなきっかけがある準親友ともいえるMと友達になったきっかけは「ヒッピーヒッピーシェイク」のレコード高校時代、クラス一の暴れ者、停学の常習だったM、教室にレコードを一枚持ってきて、周りの連中に次々と「この歌を知ってるか」と声をかけるが、誰も知らない、第一Mとは関わりたくないそんなところに、なぜか私にまで聞いてきた、一度も彼と話したことはなかったが・・・私は、この歌...きっかけ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(217) 甲越 川中島血戦 44

    板垣弥治郎に泣きつかれた長坂左衛門、跡部大炊介もまた曲淵の人を人とも思わぬ態度を快く思っていなかったから、板垣に同意してさっそく大将、武田晴信に面会して、曲淵の無礼を伝えた。武田晴信、幼き頃より声を出して笑うこと無し、三十二、三歳の頃は四十、五十の人たちよりも素直な気質で冷静であったが、曲淵の一件を聞くと、腹を抱えて大いに高笑いしたので、長坂、跡部、さらに近侍の若侍までもが皆驚いた。晴信は「さてさて曲淵めは物を知らぬ奴かな、ただ犬のような男である犬と言うものは物の善悪を知らず、丁寧に掃除をした花壇の中に踏み込んで、己の思うままに荒らしまわる朝夕、丹精込めて育てた花を堀散らかして、心ある人を嘆き悲しませても平気だ主人が怒って杖を挙げれば、牙をむいて唸り、杖にかじりつく始末だが、それが狼藉だと気づいていないか...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(217)甲越川中島血戦44

  • 忙しくて時間が足りない

    今度で2回目の抗がん剤治療先送りとなったが、実は「ああそうですか」では済まないのだいろいろな人と付き合っているので、すでにそれらの人との予定もいくつか立ててある長いものでは2か月先まで決めてあって、あるいは歯科医に行く日も、この治療状態の合間を選んでいるから予定日になっている。このように抗がん剤治療は、様々な予定や人とリンクしているので、大元の治療スケジュールが変わると、これらのリンク先の全てを変えなければならなくなって大事になるのだ連絡は当然だが、物によってはキャンセルだとかも発生してくるしかも次回予定日は決まっていても、その日の検査次第では、またまた先送りになることもあるので、結局暫定的な計画しか立てられない。あと1クールになってから2度つまずいたこれが一般的な8クール、12クールともなれば、とても私...忙しくて時間が足りない

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(216) 甲越 川中島血戦 43

    その後も庄左衛門は数々の戦で高名を轟かせた諏訪頼茂の城攻めで功を上げ、天文十五年の小笠原勢との戸石合戦では首三級を挙げ、同年十月には碓氷峠で上杉勢と戦った時には兜首二級を挙げ、雑兵を討ち取ること数知れず、自らも六か所の手傷を負う。駿河守が碓井合戦の功労者を賞した時には、広瀬、三科とともに最上級の膳に据えてもらい面目大いに立つさて、各組衆の知行(給料)は半分を名田と言って、このうち少しの年貢を大将に差し出す通例あり、これを段銭という板垣の組の二百人にも同様の決まりがあったが、板垣駿河守は特に曲淵の功績を尊び、曲淵ただ一人段銭を免除された。しかるに板垣信方が討死した後を、嫡子板垣弥冶郎が継ぐと、曲淵に対して他の諸士同様に段銭を払うように命じたしかし曲淵は「先代公からいただいたものであるから、断固として払わぬ」...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(216)甲越川中島血戦43

  • ムーミンの原本を読み始めて

    トーベ・ヤンソンフィンランド、首都ヘルシンキ生まれ(1914-2001)1939年11月ソ連(現ロシア)の一方的な侵略戦争に巻き込まれたフィンランドは、英、仏、スウェーデンなどの援助を受けて激しく抵抗するも圧倒的な軍事力と兵力の差で5か月で負けてカレリア地方を始め国土の一部を奪われ、そのほか30年間の租借地など不平等条約を押し付けられる。(ソフィン戦争)2か月後の1940年6月には、ドイツがロシアと戦闘状態になったのを機に失地回復の戦争を仕掛けて失地の多くを取り返したしかし1945年、ドイツは米英ソなどの連合軍に負けて、指導者ヒットラーは自殺した、フィンランドにもソ連軍が攻め込んできて、ついにフィンランドは二度目の敗北を喫した。フィンランドは日独伊の枢軸国連合には加わらなかったが、ドイツへの便宜を図り、ド...ムーミンの原本を読み始めて

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(215) 甲越 川中島血戦 42

    さて、板垣弥冶郎が武田を見限って、長尾に通じたのはどうしてだろうかそれには原因があった、武田家の重臣板垣の与力である曲淵庄左衛門との確執である。曲淵は、元は甲州身延村の農家、吉六の子で、幼名は多吉という性質はあくまで力強く、四、五歳の頃には同じ村の中では五歳ほど年上であっても多吉に敵う者はいなかった父母は、そんな多吉を折檻して糾そうとしたが少しも効き目がなく、十二、三になると近隣のあぶれ者でさえ多吉を恐れて、身延村に近づこうとしなかった。ある年、百日も雨が降らず干ばつとなり、田畑の水は枯れそうになったので、共同して一村の為に用水を引いた吉六の田の隣は庄屋の田であったが、夜中に庄屋は田に出かけて、吉六の田に入る水をせき止めて、自分の田にたっぷりと水を引いたそのため吉六の田の稲は枯れる寸前となった、それが庄屋...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(215)甲越川中島血戦42

  • 2度目の失敗

    病院から帰って来た、いよいよ抗がん剤のラストクールと思いきや、またしても赤血球、白血球、好中球の数が、基準の最低値を下回って中止になりました。恐るべし抗がん剤の威力、がん細胞だけでなく友軍の筈の、わが抗体ともバトルしてしまうこんな抗がん剤にも負けないがん細胞もあるのだから、ガン細胞も恐るべしだ。と言うことで、また2週間先延ばしになった、これで立てておいた10月の月間予定もまた書き直し1週間後にしますか、2週間後にしますか、それとも1クールの3週間後にしますか?と聞かれたが、3週間は一度経験したが、さすがに気がめいってくるし1週間後が早すぎて、また失敗なら採血という難関をまた1回余計にやらなければならないので、2週間後に決着した。とにかく血管が細くて、曲がっているので採決では看護師泣かせなのだもちろん私も、...2度目の失敗

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